吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

MENU

古典小説「フランケンシュタインの古塔」はピーター・ヘイニングの捏造?他にもある数々の疑惑【ピーター・ヘイニングの捏造疑惑②】

シリーズ目次(クリックで展開)吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?(ヘイニングの不正を知る前の記事)
女性作家による最初の吸血鬼小説「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」が捏造作品だったことについて
②この記事
ホレス・ウォルポールの幻の作品「マダレーナ」が、別人の作品だった
女性で最初に吸血鬼小説を書いたエリザベス・グレイという作家は存在していなかった
ドラキュラに影響を与えた作者不詳の吸血鬼小説「謎の男」の作者が判明していた
ドラキュラのブラム・ストーカー、オペラ座の怪人のガストン・ルルーなど、まだまだある捏造疑惑


 女性作家による最初の吸血鬼小説「骸骨伯爵(1828)」、これはイギリスのアンソロジスト、故ピーター・ヘイニングが初めて紹介したが、これは海外ではヘイニングによる捏造である可能性が極めて高いと思われていることを前回の記事で紹介した。そして調査を進めるとヘイニングは架空の殺人鬼、理容師のスウィーニー・トッドは実在していたと主張するも、検証可能な典拠は何一つ示していないことも判明した。これ以上のことは分からないと思っていた矢先、ヘイニングはあのフランケンシュタインに関して、とんでもない嘘をでっちあげていたことが判明した。しかもそれは日本の書籍において紹介されていた。今回はその事に関して解説していこう。今回の内容は、ディオダティ荘の怪奇談義についてあらかじめ知っているという前提で話が進む。知らなくても一応分かるように解説してはいくが、やはり前知識があった方が理解しやすい。なのでよろしければ先に下記記事をご参照頂きたい。それとニコニコ動画では解説済みであるので、気になる方はそちらもぜひご覧ください。

www.vampire-load-ruthven.com


ヘイニングが発見したという「フランケンシュタインの古塔」

 まずは発見の経緯から話していこう。メアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン」は、今更説明は必要ないだろう。吸血鬼の元祖シリーズでも紹介したように、ディオダティ荘の怪奇談義において、吸血鬼とともに生まれたもう一匹の化け物で、こちらの方が文学として今なお評価されている作品だ。今ではホラー映画やハロウィンの定番だ*1


 そのフランケンシュタインが生まれるきっかっけとなったディオダティ荘の怪奇談義という一夜は、怪奇文学を知る上では欠かせない出来事だ。詩人バイロン卿は怪奇物語の朗読を終えたあと、参加者たちに「自分たちでも一つ、怪奇物語を書いてみないか」と提案する。これがきっけかで2つの偉大なる小説(化け物)が生まれることとなった。一つは今の吸血鬼の原型となりドラキュラへと繋がる吸血鬼の小説(1819年)。そしてもう一つがフランケンシュタイン(1818年)。このようにフランケンシュタインは吸血鬼とも関係が深い。そして私がヘイニングの不正を知った2018年は、フランケンシュタイン生誕200周年の年だった。以前ニコニコ動画の吸血鬼解説でディオダティ荘の怪奇談義を紹介したことと、作者のメアリー・シェリーの生涯が面白く思えたことが重なり、フランケンシュタイン生誕200周年を記念して、メアリー・シェリーの解説動画を作ろうと計画していた時期だった。ちなみに下がその完成した動画である。あとディオダティ荘の怪奇談義の詳細については過去記事も参照して欲しい。


 メアリー・シェリーの解説動画を作るにあたって調査をしているとき、ふと1冊の書籍の存在を思い出した。それは荒俣宏編纂のアンソロジー「怪奇文学大山脈Ⅰ (西洋近代名作選 19世紀再興篇) 」:東京創元社(2014)である。


 名の通り、19世紀の西洋の作品を集めたアンソロジーだ。この書籍はもともと、吸血鬼ドラキュラの冒頭でも引用されたドイツのビュルガーの詩「レノーレ」の日本語訳が、この本に収録されていると知ったのがきっかけ。最初は「レノーレ」しか興味がなくて借りて済まそうと思ったが、思いもがけず冒頭にポリドリの「吸血鬼」に関して、今まで見たことがない情報があったことで図書館では借りず購入した本だ*2。荒俣宏先生の博識さには驚くばかりだった。


 前回記事でも言ったように、ヘイニングの骸骨伯爵の捏造疑惑を知ったのは2018年。この荒俣氏のアンソロジーを購入したのは、2015年の年始ぐらいだったと思う。さてこの荒俣氏のアンソロジーには作者不詳「フランケンシュタインの古塔」という作品が収録されていた。購入したとはいえ、「レノーレ」とポリドリに関する解説以外には興味がなかったので、他の収録物については読んでいなかった。だがメアリー・シェリーの解説を作るにあたって、この「フランケンシュタインの古塔」が収録されていたことを思い出し、これを機に読んでみようと思い立った。そして410~412ページにある荒俣氏の解説を見て私は驚愕することになった。なぜなら、このフランケンシュタインの古塔、これはヘイニングによる捏造作品である可能性が高い、だが経緯が面白いので捏造作品と知りつつもあえて今回紹介したなどと解説していたからだ。まさかヘイニングの不正がこんなところで解説されていたとは思わず、また数年前に購入していた書籍に書いてあったとは思わず、もっと早くにヘイニングの疑惑について知る機会があったという事実に愕然とするばかりだった。ということで、荒俣氏の解説から紹介していこう*3


 そもそも荒俣はアンソロジーの始めのほうで、19世紀の文学作品には著者不明なものが多いこと、そしてなぜ著者不明で出版させられるのか、その経緯を説明している*4。この「フランケンシュタインの古塔」はその例に漏れないものだと説明する。何しろ掲載された原本が確認されておらず、モンタギュー・サマーズ師らが調査したゴシック・ロマンスの書誌にもいないからだ。サマーズ師は当時埋もれていた怪奇小説をいくつも発掘したことで有名であるが、20世紀後半、そのサマーズ師以上に恐ろしい勢いで怪奇文学を発掘し続けたアンソロジストがいる。その人こそがピーター・ヘイニングであるという*5。そんなヘイニングは当時、ある怪奇小説を発掘して界隈を驚かせた。それこそが今回紹介する「フランケンシュタインの古塔」だ。そしてヘイニングは1978年に「シリング・ショッカーズ」というアンソロジーに収録して初めて公開した。


シリング・ショッカーズ
Amazonで表示される「シリング・ショッカーズの表紙」


 正式なタイトルは”The Shilling shockers: Stories of terror from the Gothic bluebooks”といい、日本のAmazonでも中古本が購入可能だ。「フランケンシュタインの古塔」はほとんど筋もないような短編とはいいつつも、やはり今まで誰も見たことがない作品であることから、同アンソロジーの目玉の一つにされた作品。ヘイニング曰く、ゴシック・ノヴェルズ爛熟期の19世紀初頭に著作権を無視して刊行された 「ブルーブック」を調査中に発見したという。そして「メアリー・シェリーが1816年夏に、スイスで怪奇文学の古典『フランケンシュタイン』を執筆しようとした際、たまたま読んだドイツの怪奇譚集に収められていた一編」と紹介した(このディオダティ荘の怪奇談義については、過去記事なども参照してほしい)。そのような説明があれば、この「フランケンシュタインの古塔」から、メアリー・シェリーは題名を名付けたのに違いないだろうと誰しもが思うことだろう。荒俣氏も初めて読んだときは、フランケンシュタインという呼称がメアリー・シェリー以前にも小説に用いられたのかと大変興味を惹かれ、ヘイニングの発掘を称賛せずにはいられなかったという。


 だが後に荒俣氏は、ヘイニングの発表を怪しむようになる。なにせ相手は著作権無視の海賊的な出版家が横行した冊子出版界、この作品の出所すらはっきりとしなかった。頼りは発見者のヘイニングによる解説だけだが、そのヘイニングによれば「1810年頃『ファンタスマゴリア』と題され刊行されたドイツ語の本が出典であり、1年後には英訳と仏訳も刊行された。『フランケンシュタインの古塔』は英・仏訳ともに収録された」という。つまり英訳と仏訳はドイツ語の原著から翻訳されたものであるとし、刊行年月日は両方とも1811年頃に刊行されたといういうことになる。荒俣氏は、メアリー・シェリーが、バイトンやポリドリとともに、ドイツの怪奇譚のフランス語訳を見たという逸話が確かにあること、さらに英訳版を刊行したとされるトマス・テグはブルーブック界で名を馳せた豪腕ビジネスマンであることなどを勘案して、メアリー・シェリーとフランケンシュタインを結ぶ重要な作品という評価も成立するだろうと考えた。


 ところが、それから30年以上経過して真相が明らかになった。まず英訳本が、ドイツ語原本からの翻訳ではなく、1812年刊行のフランス語訳の「ファンタスマゴリアーナ」”Fantasmagoriana”からの重訳であり、タイトルも「テールズ・オブ・ザ・デッド(死者の物語)」”Tales of the Dead”と題されており、1813年にホワイト・コクレン社から刊行されたことが判明した。しかも、英仏両書には「フランケンシュタインの古塔」が収録されていないことも確認された。そして欧米の研究家らがドイツ語原典も調査したが、やはり「フランケンシュタインの古塔」なんて作品が収録されていないことを確認したという。以前の記事でも紹介したが、海外のwikipedia記事には、それぞれ表紙の実物やコピーの画像が掲載されている。


ファンタスマゴリアーナ
ファンタスマゴリアーナ(1812年)

(英語wikipedia ”Fantasmagoriana”より)
(仏訳を担当したジャン・バプテスト・ブノワ・エイリエの英語wikipedia)


テールズ・オブ・ザ・デッド
テールズ・オブ・ザ・デッド(1813年)

(英語wikipedia)


 上の画像を見ると荒俣氏の解説通り、フランス語訳のタイトルは「ファンタスマゴリアーナ」であり、刊行年月日は1812年と明記されている。下の英訳版も「テールズ・オブ・ザ・デッド」と題されており、1813年刊行だ。そして1813という数字のちょうど上にに”White Cochrane”(ホワイト・コクレン)という社名が確認できる。さて、荒俣氏はドイツ語原著の題名などについては言及していなかったが、海外wikipediaに荒俣氏が解説していない情報があった。


Gespensterbuch
”Gespensterbuch”第一巻の表紙画像
(Googleブックスにある第一巻のアーカイブ)


Gespensterbuch
「幽霊の本」の中にある「魔弾の射手」の挿絵

幽霊の本 (英wiki)(独wiki)
編者アペル(日本wiki)(独wiki)
編者ラウン(独wiki)


 「ファンタスマゴリアーナ」や「テールズ・オブ・ザ・デッド」の原典であるドイツ語原著のタイトルは”Gespensterbuch”といい、英語・ドイツ語にwikipedia記事も存在する。意味はゴースト・ブック、つまり日本語では「幽霊の本」というタイトルになる。編集者はフリードリヒ・ラウンとヨハン・アウグスト・アーペル。フリードリヒ・ラウンは仮名で、本名はフリードリヒ・アウグスト・シュルツェ。相方のアーペルのほうは日本語wikipediaにも記事がある。ヘイニングはドイツ語原著もタイトルは「ファンタスマゴリア」などと言ってたようだが、一体何を見て「ファンタスマゴリア」などと言ったのであろうか。一番近いフランス語訳でも「ファンタスマゴリアーナ」と微妙に違う。


 このドイツ語原典は英語wikipediaでは、1811年から1818年の間で計7巻が刊行されたという。ただドイツ語wikipediaでは1810年からだとしている。ヘイニングは1810年頃刊行と、年数を曖昧にして解説している。だが英語wikipediaやGoogleブックスの情報では1811年からとあるし、先ほどみせたGoogleブックスのアーカイブ画像をみると、1811とはっきりと書いてある。一応、当時の刊行物は発行年月日と実際は違うみたいなことを、以前ニコニコ動画のコメントで教えてもらった記憶がある。だがここは画像にあるように、通常は文字通り1811年刊行と受け取るべきだろう。それにヘイニングは実物を見ていれば、1810年頃などといった曖昧な年数をいう必要はないはず。間違いとは言いきれないあたりが、実にいやらしく感じる。


 余談になるが、第一巻の一話目は「魔弾の射手」。これは、かの有名なカール・マリア・フォン・ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」のモチーフとなった物語だ。上記で見せた挿絵はその「魔弾の射手」のものであり表紙を飾っている。ただ残念ながら、こちらは英仏訳両書には収録されなかった。フランス語訳の「ファンタスマゴリアーナ」は1巻と2巻から一部抜粋して翻訳されたものになる。そして”Gespensterbuch”のドイツ語wikipedia記事には、全巻の収録タイトルが記載されている。

Band 1 (Hrsg. von Apel und Schulze):Googleブックスにあるアーカイブ(第一巻)

  • Der Freischütz (Apel)魔弾の射手
  • Das Ideal (Schulze)
  • Der Geist des Verstorbenen (Schulze)
  • König Pfau (Apel, nach französischer Vorlage)
  • Die Verwandtschaft mit der Geisterwelt (Schulze)

Band 2 (Hrsg. von Apel und Schulze):Googleブックスにあるアーカイブ(第二巻)

  • Die Todtenbraut (Schulze)
  • Die Bräutigamsvorschau (Apel)
  • Der Todtenkopf (Schulze)
  • Die schwarze Kammer (Apel)
  • Das Todesvorzeichen (Schulze)
  • Der Brautschmuck (Apel)
  • Kleine Sagen und Märchen (Apel)


 第一巻と第二巻だけ抜き出したが、どこにも”Frankenstein”の文字列が確認できない。1、2巻とも、Googleブックスにアーカイブ化されていたのでそちらも確認してみたが、やはりなかった。wikipedia記事を見て貰えればわかるが、当然他の巻にも見当たらない。一応、どの版もヘイニングの説がまったく間違いとはまだ言いきれない可能性が残されている。ドイツ語原著は1810年版、仏訳や英訳に1811年度版が存在しているという可能性である。だが仮に存在していたとしたら、後の版で「フランケンシュタインの古塔」は、それぞれ削除されたということになる。一つの作品だけ後に削除するなど、普通は考えられない。そもそも当時は重版というのはあまり例がないという。ともかくこれではヘイニングの調査は、まったくもって信用ならないと言わざるを得ないだろう。ヘイニングの主張と他の研究者や実物証拠から分かった比較は以下の画像のとおり。


ヘイニングの主張と他の研究者の調査結果比較


 以上を踏まえて荒俣氏は次のように述べる。

 この短篇(フランケンシュタインの古塔)はいったいどこで刊行されていたのだろう。肝心のヘイニングも亡くなってしまっている。いかにも海賊出版の時代らしいミステリーだが、私はこの作品を、19世紀煽情的な怪奇小説に巧みに模したヘイニングの創作ではないかと思っている。自身が編纂するアンソロジーに「新発見」を期待されるようになった彼が、故意にか意図せずにかは別にして、この「幻のゴシック小説」を捏造した可能性が高い他にも同じ手法で珍品を捏造した事実がある。この掌編は19世紀初めの名もなき煽情小説を偲ぶメモリーとものなっている。この正体不明の作品/贋作に付随する怪しげな気配は、端的に当時のジャーナリズムの実状を伝えている。怪奇文学がこのような需要に応じた事実を知る上でも、ぜひご一読願いたい。

「怪奇文学大山脈Ⅰ」 pp.411-412


 当然というべきか、荒俣氏もフランケンシュタインの古塔は、ヘイニングによる創作ではないか疑っている。そして、「他にもフランケンシュタインの古塔と同じ手法で珍品を捏造した事実がある」という一文を読んだときは、他にも捏造行為に手を染めていたと断定できるものがあるのかと、ただただ愕然とするしかなかった。当然気になることは、ヘイニングが捏造したいう「珍品」について。これはもしかして今回の主題である「骸骨伯爵」のことなのだろうか。それは荒俣氏に聞かないと分からない。断定的に言っているあたりから、何らかの確証があるのだろう。ヘイニングのアンソロジーにはいつも見知らぬ怪奇小説があったということから、「骸骨伯爵」以外の可能性もある。というか他にもまだまだ余罪はあると見るべきだろう。少なくとも「フランケンシュタインの古塔」とは別に、ヘイニングが捏造したという作品は、後一つは確実にあると考えてよさそうだ。


次々と出てくるヘイニングのおかしな主張

 この記事の内容はニコニコ動画で既に公開しているのだが、その時視聴者の方から、このヘイニングが捏造した「珍品」に関して情報を頂くことができた。その珍品とは”The Legend and Bizarre Crimes of Spring Heeled Jack”「バネ足ジャックの伝説と奇妙な犯罪」のことかもしれないと。バネ足ジャックとは、あの切り裂きジャックが出てくる数十年前のイギリスで出現した都市伝説だ。切り裂きジャックよりもその存在はより幻想的。数メートルの壁をいとも簡単に飛び越えたことから、バネ足ジャックと呼ばれるようになる。前回紹介したペニー・ドレッドフルでもバネ足ジャックの物語が作られ人気を博したことも、バネ足ジャックの都市伝説が流布する要因となった。その他詳細はwikipedia記事などを参照して欲しい。下記画像の下段の左と真ん中が、ペニー・ドレッドフルで連載されていたバネ足ジャックの物語の実物画像である。


ペニー・ドレッドフル
ペニー・ドレッドフルのビックスリー

Yesterday's Papersより引用


 さて、視聴者さんから教えて頂いた”The Legend and Bizarre Crimes of Spring Heeled Jack”は、そのバネ足ジャックに関するノンフィクションだった。そして検索してみたら、そのまんまのタイトルで英語wikipedia記事が作成されていた。よっぽど歴史に残した著書ならいざ知らず、こんなニッチな事項に関してのwikipedia記事があると分かった瞬間嫌な予感がしたが、記事を見てその嫌な予感は的中した。記事内容は、ヘイニングのデタラメな主張を追求する内容だった。

en.wikipedia.org

 前回の記事で、架空の殺人鬼、理容師のスウィーニー・トッドを紹介した。上記のペニー・ドレッドフルの画像の上段2つがそれで、かなりの人気作品だった。架空の殺人鬼ではあるが、ヘイニングはトッドは実在する人物だと主張する。だが検証可能な証拠は何一つ提示されていないことは、前回記事でも説明したとおり(日本語wikipediaの記事でも言及されている)。それで何が何がいいたいのかというと、このバネ足ジャックに関しても、ヘイニングは実在していた人物だとして、自身の著書”The Legend and Bizarre Crimes of Spring Heeled Jack”で主張していた。スウィーニー・トッドのwikipedia記事では、ヘイニングの主張には何ら証拠がないと紹介されていたがこちらの記事でも、証拠がない、捏造であると冒頭で書かれている始末である。


 そして記事の内容だが、イギリスのウェールズ出身の歴史家、研究者であるマイク・ダッシュという人の研究記事からの引用だった。このダッシュ氏を紹介する英語wikipedia記事が存在することから、本国では著名な方なようだ。公式サイトもある。そしてその内容だが、ヘイニングはバネ足ジャックが存在していたという証拠を何一つ提示していない、ヘイニングが示した証拠はヘイニングが作り上げたもの、という結論を出している。だがダッシュ氏はこれだけでは終わらなかった。1996年に、なんとヘイニングに直接連絡して、証拠となる典拠を直接見せて欲しいと要求したという。だがヘイニングの返答は、「数年前に研究資料を脚本家に貸し出しており、その後失われた」と説明、資料の提供は受けられなかったという。
 あー、そうか、それは仕方がない……って、通るか!こんなもん!!この件だけならまだしも、他にも色んなことで証拠提示していない状況でこの返答は怪しすぎる。だからこそかダッシュ氏は、証拠品はヘイニングによる創作と結論づけてしまっている。ヘイニングは、証拠は見せなきゃ意味がないということを理解しているのだろうか。それじゃあ一体その紛失させた脚本家は誰だという話になる。今まで誰もみたことがないような貴重な資料なのだからかばってはならず、本当に失くしたのか問いたださなくてはならない。仮に実在するとすれば、そもそも今まで誰も見たことがないような貴重な資料を、個人に直接貸すこと自体がおかしい。専門の研究機関に渡すのであれば別だが、普通はコピーで十分なはず。それ以前になぜそんな貴重な資料を、なぜ今まで研究者や専門機関に公開せず、個人で秘蔵していたのかという疑問もある。ヘイニングは他にも証拠を示していないものはあるが、もし未だ存命しており、ほかの件についても証拠を出せと言われたら、彼は果たしてなんと答えたであろうか。


 この件に関してであるが、松閣オルタ氏のオカルト・クロニクルのサイトの記事「バネ足ジャック―スプリンガルドと呼ばれた男」の記事3にて、ダッシュ氏の検証結果を紹介しているので、気になる方は下記リンクも参照して頂きたい。ヘイニングが「ある」と主張した証拠を探し回ったが見つからなかったのでダッシュ氏は「人生の数週間を無駄にした」などと、なかなか辛辣な恨み節を残している。松閣オルタ氏は「どうもヘイニングは著作で色々とやらかしているようで」と述べていることから、ヘイニングの主張を怪しむ人は他にもいることが伺えた*6

okakuro.org


 さてニコニコ視聴者から教えて貰った”The Legend and Bizarre Crimes of Spring Heeled Jack”はノンフィクションであり、実在が怪しい証拠品を理由に、ほぼ架空の存在のバネ足ジャックは本当に存在していたと主張しているという内容であったことから、荒俣氏が言う「ヘイニングが捏造したという珍品」ではない。やはり「珍品」とは、「骸骨伯爵」のことなのだろうか。そう思っていたら、偶然他にも候補作品を見つけた。1973年に歳月社より刊行された「幻想と怪奇 7月号 吸血鬼特集」に収録されたホレス・ウォルポール「マダレーナ」"Maddalena"という作品だ*7。ウォルポールの「オトラント城奇譚」は当時爆発的な人気となり、ゴシック・ロマンスというジャンルを築いた元祖とされる。19世紀の吸血鬼文学の解説本などを読むと、彼や彼の作品の名はどこかしらで目にする。今でもウォルポールといえば「オトラント城奇譚」というぐらいだ。さてそんなウォルポールの作品「マダレーナ」は吸血鬼の調査の為「幻想と怪奇 吸血鬼特集」を呼んでいるとき、偶然見つけたものだ。「吸血鬼特集」と銘打たれたものであるが、「マダレーナ」に関しては吸血鬼要素は全く見いだせなかった。恐らくではあるが、今まで誰も知らなかったウォルポールの作品が「吸血鬼特集」より1年程前に見つかったことから、怪奇文学を嗜む日本の読者にいち早く知って貰いたいがために、吸血鬼モノでないこの作品を紹介したのだと思われる*8


 そんな「マダレーナ」は、ヘイニングが発掘したものであると紹介されている。だが「骸骨伯爵」や「フランケンシュタインの古塔」の経緯を知ったあとだったので、私は非常に怪しんだ。ともかく「怪奇と幻想」にある説明をそのまま紹介しよう。


幻想と怪奇 7月号 吸血鬼特集
中古品も現時点ではまだ手に入ります

 怪奇小説の創始者ホレス・ウォルポールと、その「オトラント城奇譚」の名はあまりにも有名だが、日本の読者に真価が理解されているかどうかということになると、まったく別問題である。毀誉褒貶いずれにしても、この作品を英文学とEnglish tasteの里程標として正面から論じた者はほとんどいない。
 その理由の一つに、彼の書簡等を中心とする著作38冊の大部分が稀覯本であるということもあろう。ここに訳出した一編は、1798年から1825年にかけて刊行された全集に含まれたもので、アンソロジスト、ピーター・ヘイニングにより150年ぶりに発掘されたものである。ウォルポール理解の一資料となるものであろう。

「幻想と怪奇 7月号 吸血鬼特集」 p.87


 ウォルポールの著作38冊の大部分が稀覯本で、それをピーター・ヘイニングが150年ぶりに発掘。普通ならすごいとなるだろうが、数々の捏造疑惑を知った後ならもはや信用できない。証拠となる実物を提示してくれなければ、少なくとも私は到底信じることはできない。残念ながらこのマダレーナに関しては真贋を言及する人は見つからなかった。だが実物していたのなら19世紀の書物とはいえ、今日Google検索すれば大抵本物の写真画像なりコピー画像なりが出てくる。だがマダレーナについては本物の画像は見つからなった。分かったことと言えば、ヘイニングは1972年に刊行したアンソロジー"Great British Tales Of Terror: Gothic Stories Of Horror And Romance 1765 - 1840 "(リンク先Amazon)で、マダレーナを初めて紹介したようだということぐらいだ。この掲示板を見ると、一番最初に収録されている。ハード・カバー版、ペーパー・バック版ともに日本のAmazonで購入可能だ。さて荒俣氏がいう「珍品」は、この「マダレーナ」の可能性もあると思っている。その理由は荒俣氏はこの「怪奇と幻想」の編者であるからだ。「フランケンシュタインの古塔」の不正からこの「マダレーナ」のことを思い出したのではないかとも思うが、単なる憶測。やはり荒俣氏に「珍品」とは何か、直接お伺いしたいところである。


【2022年2月17日追記】
 中島晶也様より、「マダレーナ」は実在する、ただし作者はウォルポールの死後別の人が作ったものという情報を頂きました。次回、訂正記事を投稿します。
【追記ここまで】

左:ハードカバー版 右:ペーパーバック版


疑問視されるヘイニングの調査能力

 こうしてヘイニングの主張がどれも証拠がないということを知ったとき、私はある吸血鬼小説作品のことを思い出した。ヨハン・ルートヴィヒ・ティークが1800年に作ったとされた吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」についてである。この作品はあの現代的吸血鬼の始祖ジョン・ポリドリの「吸血鬼(1819)」より古い作品であり、小説という形態においては女性吸血鬼が出てきた最初の作品だとも言われていた。


 だが2017年、実はティークの作品ではないことを私は発見した。作者の取り違えを言及した人を日本では見たことがないので、私のブログ記事がその件について日本で最初に公に紹介したものになるだろう。

site.nicovideo.jp

www.vampire-load-ruthven.com


 上はニコニコにより保存されたブロマガ記事、下がニコニコで書いた記事をこのはてなブログに移行させた記事で内容は一緒だ*9


 「死者よ目覚めるなかれ」という小説の本当の作者は、ドイツの多作劇作家エルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハであり、タイトルも「死者を起こすことなかれ」が、ニュアンスとして正しいということを紹介した記事だ。ジョージア大学のハイド・クロフォード講師の2012年の論文と、日本のキンドルストアでも購入できる同講師の書籍から紹介した。クロフォード講師によれば、1973年以降ラウパッハ作からティーク作へと間違われてしまったが、その原因こそが今回のピーター・ヘイニングであると述べている。1973年、ヘイニングにがGothic Tales of Terrorというアンソロジーにて「死者を起こすことなかれ」の作者をティークとして紹介してしまった。刊行年月日も1800年ではなく1823年が正しい。ただしヘイニングは刊行年月日までは言及しておらず、どうも他の人物がさらに間違えてしまったようだ。ともかく、クロフォード講師によれば、実際1823年の「ミネルヴァ」という雑誌に掲載されたのが初出としている。実際、エルンスト・ラウパッハの名前が明記された当時のアーカイブが公開されているのを発見し、上記記事でも実物画像やアーカイブのリンクを紹介した。他にもドイツの文学者ステファン・ホックは1900年に、ドイツの文学歴史家カール・ゴーデクは、1905年に自著にてエルンスト・ラウパッハの生涯や彼の作品「死者を起こすことなかれ」を紹介、評論まで行っている。その評論が乗った書籍のアーカイブも実際に発見、そのリンクも上記記事で紹介した。


 しかし欧米の研究者は、ヘイニングの誤った主張を特に検証もせず鵜呑みにしてしまったという。例えばマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」ではティーク作として紹介している。日本でも「吸血鬼の事典」の日本語訳でティーク作と紹介されているし、先ほど紹介した「怪奇と幻想 7月号 吸血鬼特集」で紀田順一郎氏が「死人を起こすなかれ」*10というタイトルで、ティーク作として紹介している。だがドイツ本国やドイツ周辺国は、そもそも最初から正しい作者を認識していたようである。ドイツではラウパッハ作としてアンソロジーが販売されており、しかもそれが日本のkindleストアでも購入できる。スウェーデン語wikipediaのラウパッハの記事でもラウパッハの作品として「死者を起こすことなかれ」”Laßt die Todten ruhen*11を紹介している。アメリカの研究者の中でも正しい作者で紹介している人がいて、ジョン・ゴードン・メルトンという人は1995年の自著においてラウパッハ作と紹介している。しかもメルトン教授は本業は新興宗教やカルト宗教の研究者であり、吸血鬼はあくまで趣味でやっている人だ*12


 「死者を起こすことなかれ」の英訳版は、1823年と1826年にそれぞれ別の媒体で発表されており、状況証拠からヘイニングはどちらも参照したようだ*13。そしてどちらの英訳版も作者名の明記はない。ヘイニングが作者を取り違えた原因としてクロフォード講師は、1823年の「北方諸国の物語とロマンス」”Popular Tales and Romances of Northern Nations”の第一巻が原因ではないかとしている。これは色んな作家の作品を集めたアンソロジーで、「北方諸国の物語とロマンス」においてティークの名前が出てくるのは序文のみ。タイトルの表示はあれど著者名の明記は一切されていない。上記の序文だけでは、「死者を起こすことなかれ」の作者をティークとして断定することは到底できない。1826年の”Legends of Terror”に収録されたもう一つの英訳版でも、やはり作者名は明記されていないという*14。それではなぜクロフォード講師は、「北方諸国」が原因だとしたのか。第一巻にはティークの有名な著作に「金髪のエックベルト」”Der blonde Eckbert”(英語タイトル”Auburn Egbert”)という作品があるのだが、「北方諸国」ではその「金髪のエックベルト」の前に「死者を起こすことなかれ」が掲載されているという。つまり作者を取り違えた原因とは、「死者を起こすことなかれ」がティークの有名な著作「金髪のエックベルト」と並んで掲載されていたことと、序文にティークの名前が出ていたので、そこでヘイニングは単純に早とちりしたのだろうと、クロフォード女史は指摘している。実際、「北方諸国(1823)」と「恐怖の伝説(1826)」のアーカイブがGoogleブックス等にあるのを発見、クロフォード講師の解説通り著者名はどこにも一切なく、ティークの名前は「北方諸国」の序文にしかないことが実際に確認できた。もちろん、過去の私のブログ記事ではその画像やアーカイブのリンク先を紹介しているので、クロフォード講師の解説が信頼に値するものであることがお分かりになるはずだ。


 このヘイニングの早とちりの原因として、ラウパッハはドイツ国内でしか有名でなかったが、ティークは国際的にも有名だったのも影響しているだろうとしている。ティークはあのシェイクスピアの「真夏の夜の夢」をドイツ語訳しており、それを元にあのメンデルスゾーンが曲を付けたことからも、ティークの著名ぶりが伺える。クロフォード女史はこの可能性が高いと見ている。この経緯を紹介した2017年当時の私も、ヘイニングの単純な思い違いぐらいにしか思っていなかった。だがヘイニングの数々の捏造疑惑を知ったあとだと、単純ミスではないような気がしてきた。ヘイニングはいつも「新発見」を期待されていた。そして偶然にも作者不詳の吸血鬼作品を見つけたことから、作者不詳をいいことに「いつものように」作者をでっちあげて「いつものように新発見した」と称して発表したという疑惑だ。こんなことを言えば普通なら悪意のある邪推と言われるだろうが、この件に関してはそう言われても仕方がないだろう。だってヘイニングはそのように思われても仕方がない主張や行為を、ずっと繰り返してきているのだから。それはともかくとして、ヘイニングはドイツ語原典の調査はしていないことは明らかであることから、彼の調査手法にも疑問符がつくこととなった。そして、とても断定できる証拠はないのに「作者はティーク」と断定して発表したことについて、もし捏造の意思がなかったとしたら、それはそれで自身の調査結果に対してあまりにも検証が杜撰であると言わざるを得ない。ヘイニングはもっと自分の影響力を考えて慎重に発言して欲しい。現に欧米の研究者は有名なヘイニングが言うことなのだからといって、長年鵜呑みにしてしまった。真実を正す労力を考えれば、非常に罪深いと言わざるを得ない。


 さて私の個人的な考えでは「マダレーナ」も、ヘイニングの捏造であると思っている。当然「骸骨博伯」などこれまで説明してきたこと全て、彼の捏造だと思う。日本にはヘイニングと同じく、次々と石器を新発見し「ゴッドハンド」と呼ばれたが、後にそれらがすべて捏造であることが判明した、藤村新一という人物が一時話題となった。彼の嘘が発覚したあとは日本の歴史の教科書が修正されるほどであったが、ヘイニングもイギリスにおける「ゴッドハンド」だと言わざるを得ない。だが藤村の場合は不正を実行する現場をその場で抑えられたことで言い訳が出来ない状況であったが、ヘイニングの場合は、どこまでいっても捏造疑惑止まりだ。「骸骨伯爵」「フランケンシュタインの古塔」「スウィーニー・トッド」「バネ足ジャック」など、ヘイニングが主張きてきたことは出鱈目であるという証明は、決してできないからだ。なぜなら「ある」という証明は証拠を見せればよいが、存在しないものを「ない」という証明することは不可能だ。典型的な悪魔の証明というものだろう。それでもヘイニングの主張がほぼ嘘と言えるのは、「フランケンシュタインの古塔」と「死者よ起こすことなかれ」ぐらいのものだろう。

 ヘイニングの数々の主張は嘘であったと証明する方法は、日本のゴッドハンドと同じようにヘイニング自身が嘘であると認めることだけだが、その肝心のヘイニングは2007年に亡くなってしまっている。もはや彼の主張の真贋を明らかにすることはできない。だからどこまでいっても、不正疑惑止まりなのが悔やまれる。それでも個人的には、ピーター・ヘイニングの主張はもはや信用できない。彼が「発掘」したという小説や彼の発言は、全て疑ってかかるべきだという結論に至った。「骸骨伯爵」のwikipedia記事がヘイニングが捏造したという前提で記事を作成していたが、懐疑的に書かれるのも当然だった。「牙が生えた最初の吸血鬼なのか?」ということを論じる以前の問題だった。実物がない現状、「骸骨伯爵」という作品はないものとして取り扱わねばならないものであった。


 以上、色々とヘイニングの捏造疑惑について説明してきたが、仮にヘイニングの主張が嘘であったと仮定すると、なぜ彼は調べたらすぐにボロがでるような嘘をついたのだろうか。とくに「フランケンシュタインの古塔」なんて、あの世界的有名作に関わるものであるから、こぞって調査されることは目に見えていただろうにと思う。これに関しては完全な憶測であるが、フランケンシュタインの古塔が収録されたという原典も翻訳版も稀覯本中の稀覯本で、現物の調査が非常に難しく、彼はバレないと踏んだのかもしれない。先ほど紹介した英訳版のテールズ・オブ・ザ・デッドであるが英語wikipediaによれば、1904年まではロンドンの図書館にあった。だが1905年にはアメリカの実業家ロバート・ホー三世の個人ライブラリーに渡り、現在はアメリカ・カルフォルニア州にあるハンティントン・ライブラリーに保存されているという。英訳版がこんな感じだからフランス語訳の”Fantasmagoriana”やドイツ語原典”Gespensterbuch”も、まずどこに保管されているのか探すところから始まったのだろう。実際、真相が明らかになるまで、ヘイニングの発表から十年単位の年数を要している。


 さて、私はブログを開設する前はニコニコ動画で吸血鬼の解説している。「骸骨伯爵」をニコニコ動画で紹介しようとした私は2019年6月頃に改めて、ヘイニングに関する不正疑惑の情報の整理をすることにした。この時「骸骨伯爵」のwikipedia記事を見ると、作者のエリザベス・グレイの記事に転送された。個別記事でもはや取り扱われなくなったしまったのかと思った時、私は「そういえば、作者のエリザベス・グレイのwikipedia記事読んでなかったな」と思い出した。そして自分の詰めの甘さをまたもや思い知ることになる。エリザベス・グレイのwikipedia記事に衝撃的なことが書いてあった。

 それは……エリザベス・グレイはそもそも存在しない人物であると紹介してあったのだ!しかもwikipediaという、一般人が調べものをするのならまず見るサイトに書かれているではないか!ピーター・ヘイニングはそこまで捏造したのであろうか。だがここで前回記事で私が強調していたことについて思い出して欲しい。ピーター・ヘイニングは1941年生まれだ。そして自称聖職者のモンタギュー・サマーズ師はエリザベス・グレイの「手探りの試練」を1940年か1941年の「ゴシック書誌」において書評を紹介している。


 そう、まだ赤ん坊のヘイニングにエリザベス・グレイという存在は捏造できるわけがない。エリザベス・グレイという人物を捏造した人物は他に存在する!先に言っておくが、捏造したのはサマーズ師ではない。ともかく、このエリザベス・グレイという人物が存在しないことからも、ヘイニングが紹介した「骸骨伯爵」の存在が極めて疑わしくなった。ということで、詳しいことは次回記事で解説していこう。と思ったいたら、「マダレーナ」に関して新情報が入ったので、先にそちらを解説します。


次の記事➡ホレス・ウォルポールの幻の作品「マダレーナ」が、別人の作品だった

ランキング参加中!クリックして貰えると嬉しいです。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング

*1:映画でボリス・カーロフが名もなき怪物を演じてから、フランケンシュタインの外見イメージは、カーロフ演じたものが主流となった。フランケンシュタインと聞くいまや怪物を指すことになっているが、もともとフランケンシュタインとは怪物を作った人物の名前であり、怪物には名前がない。それがいつの間にか化け物を指すようになった。

*2:それまでポリドリの「吸血鬼」がなぜバイロン作とされたのか解説する書籍等は見当たらなかったが、編集者のヘンリー・コルバーンの仕業であると紹介していた。私はこの荒俣氏の解説で初めて知った次第である。その後京都大学 森口氏の論文でも典拠付きで紹介されるようになった。

*3:以下の解説は荒俣宏編纂「「怪奇文学大山脈Ⅰ (西洋近代名作選 19世紀再興篇) 」:東京創元社(2014) pp.410-412から引用。またその他の参照元は都度リンク表示などをしていく。

*4:当ブログもそのあたりを以前解説しているので、気になる方はこちらへ

*5:荒俣氏はピーター・ヘイニングは2008年死去と紹介しているが、英語wikipediaでは参照ソース付きで2007年11月19日としている。英語wikipediaの情報の方が正しいだろう。

*6:ちなみに松閣オルタ氏にヘイニングの不正に関して他にも何かご存知ないかと伺ってみたが、私が調べた以上のことは分からないとのことであった。

*7:この作品を見つけたのは、ニコニコ動画でヘイニングの不正を紹介した後のことである。

*8:一応、血が出る描写があるが怪我によるものであり、血を飲む描写は一切出てこない。マダレーナという女の悲恋を描いた物語である。

*9:当初ニコニコのブロマガ記事は削除されるという話だったので、はてなブログに記事を移行させたが、後にユーザー投票により残す記事を決めることになり、当記事がニコニコからも保存されることになった。

*10:「怪奇と幻想7月号 吸血鬼特集」 p.71

*11:”ß”は現在使われなくなったので、現在は”Lasst die Todten ruhen”と表記される

*12:ただし、本業の研究ではとんでもない人。特に我々日本人は正当に評価できないだろう。なにせ地下鉄サリン事件の時に、オウム真理教に金で雇われて「オウム真理教にサリンの生産能力はない」と擁護して、世界中から批判された人であるからだ。気になる人は、「死者よ目覚めるなかれ」を紹介した過去記事を参照してほしい。

*13:詳しくはこのことを紹介したブログ記事にて説明している。

*14:「死者を起こすことなかれ」の英訳タイトルは"wake not the dead"であるが、ヘイニングは初めてこの物語を紹介したとき、”The Bride of the Grave:墓の花嫁”というタイトルで紹介した。クロフォード講師によれば1826年の”Legends of Terror”で収録されたときのタイトルが「墓の花嫁」だったという。そしてヘイニングはそれをみて紹介したのだろうとしている。だが実際にアーカイブを確認したら"Wake not the dead! or The Bride of the Grave"とあったので、”The Bride of the Grave”は1826年英訳版だけの副題のようだ。これも過去のブログ記事で実物の画像を紹介している。