ごあいさつ:吸血鬼解説ブログを始めた理由
吸血鬼と聞けばどういったものを皆様は思い浮かべるでしょうか。夜会服に身を纏った美丈夫で美女(とくに処女)を魅了、時には同性の男すらも魅了し、その首筋に吸血鬼特有の牙を刺して生き血を飲む。女性の吸血鬼ならば妖艶な美女。能力面で言えば、単純な力に優れていて、蝙蝠や霧に変身できて魔力も高く、特定の方法でなければ不死身。だがその能力の高さに反して弱点も多い。有名な弱点として、にんにく、日光を浴びると灰になる、杭を心臓に刺されると死ぬ、銀の武器に弱いなど。変わった弱点としては、「吸血鬼は豆を数えだすと止まらない」といったものも。こうした特徴から話を膨らませやすいのか、吸血鬼というモチーフは国内・国外問わず、また商業・同人問わず、漫画・アニメ・映画といった、ありとあらゆる創作市場でモチーフにされているのを見かけます。
そんな人気の吸血鬼ですが、なぜニンニクや日光や銀の武器が弱点なのか、杭を心臓に刺して死ぬのはあたりまえ、といったことが、ネット上で議論されているのをずっと見かけました。ですがネット上で語られる吸血鬼の常識は、漫画やアニメ等から仕入れた知識で語る人ばかり。例えば次に挙げたまとめブログの内容をご覧ください。
ラノベ吸血鬼「十字架や日光のような古典的なものは私に効かん」←は?
吸血鬼キャラの癖に全く弱点無しとかいう最近の風潮に異を唱えたい
吸血鬼キャラ「血を飲まなくても日を浴びても十字架見ても平気でーすw」←これやめろ
【悲報】最近のアニメ、十字架やニンニクが効かない吸血鬼キャラが多すぎる
上記は5chで交わされた吸血鬼論のスレまとめ。2015年から2019年のスレをピックアップしました。上記リンクを見ていくと、ネット上では本当の吸血鬼像というものが度々議論されています。こうしてみると、吸血鬼の常識とも言える「弱点がない吸血鬼」というものが気に入らない人が結構いるようです。あとよくあるのが「真祖と呼ばれる吸血鬼なら弱点がない」と思い込んでいる人も見かけます。
しかし上記のスレを見ていくと、吸血鬼に関することを「アニメや漫画等で仕入れた知識」で語っている人がほとんどで、吸血鬼の古典文学どころか有名な吸血鬼ドラキュラすらもまともに読んでないと思われる人が大半であることが伺えます。ツイッター等のSNS上でも同じです。本当の吸血鬼に関する議論は何年もの間、繰り広げられています。中には基本の「吸血鬼」と「ヴァンパイア」と「ドラキュラ」の区別すらついていない人もすらも見かけます*1。しかし、怪奇幻想文学を嗜むような方々からすれば、「吸血鬼が出来た歴史なんて分かり切っている。最初の吸血鬼小説と最初の吸血鬼とされる存在もきちんと判明している。なぜこんな論争をしているのだ?まずは小説のドラキュラぐらい読もうよ」と思われることでしょう。
しかしこの状況は仕方がないでしょう。吸血鬼文学を好き好んで読もうと思う人は少ないし、ネット上でも吸血鬼の歴史をきちんと体系的に解説したサイトは無いに等しい。商業どころか同人でも吸血鬼の創作があふれた現状では、それらを見て吸血鬼を知りえたと思い込んでしまうのも仕方がありません。中には所謂吸血鬼警察と呼ばれる人たちが、自分が知っている吸血鬼像と違うとして、作品の作者にSNSなど誹謗中傷を行い、作者が心を痛めるということも最近ではあるようです。ですがそういった人たちは吸血鬼警察とは言わず、言い方は悪いですが「吸血鬼の古典もろくに読まず、浅い知識で語っているただのにわか」にしかすぎません。ネット上、特にSNS界隈では「SF警察」「神話警察」「妖怪警察」変わったところだと「ぬりかべ警察」などといった人たちを見かけました。彼らは創作、或いはちょっと誤ったことをSNSで発言しただけで「考証が甘い!」「実際の神話・伝承とは違う!」などと、上から目線で絡んでくる面倒な人たちではありますが、専門書を読み込んでいるだけあって、情報の正確性は信頼できる場合が多いです。でも何故か吸血鬼警察と呼ばれる人たちに限って言えば、誤った知識で語る者しか見かけず、きちんと吸血鬼の基礎を学んだ本物の吸血鬼警察を、少なくとも私は見たことがありません。
私は、このようなエセ吸血鬼警察による不毛なやりとりを少しでも無くしたい、そう思って2015年よりニコニコ動画で吸血鬼の解説動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」シリーズを始めました。その甲斐あって、「吸血鬼の創作やってるけど、この動画のおかげで揚げ足を取られる不安がなくなった」とのコメントを頂くようになりました。ニコニコ動画で始めた理由は、吸血鬼を解説しているブログも見かけるが、体系的に解説しているものが見当たらない、それならば怪奇幻想文学なんて読まない、吸血鬼の知識を漫画やアニメ等から得ているような層にアピールするには、文字よりも動画の方が興味を持ってもらえるだろうがいいと思い、ニコニコで動画解説を始めました。当時ゆっくり解説と呼ばれるジャンルはニコニコ動画特有のもので、2015年頃はジャンルが隆盛する過渡期でした。(余談ですが、ゆっくり解説でもYoutubeの収益化が可能になるにつれ、今ではYoutubeでゆっくり解説を投稿する人が増えてきました。今始めるならばYoutubeとの同時投稿にしていたと思います)
基本的にはニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」の活動をメインにしており、参考文献の紹介や日本では紹介されたことがない貴重な情報はニコニコのブログサービス「ブロマガ」にて発信していました。2020年の終わりごろから動画は少しお休みして、吸血鬼解説記事をブロマガで投稿しておりました。しかし2021年10月をもってブロマガサービスが終了するというアナウンスを受けたことにより、今回新たに「吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ」として立ち上げることにしました。しばらくの間は、ブロマガで投稿していた記事の引っ越しと、ブロマガで投稿途中の解説シリーズの続きの投稿がメインとなります。現在の解説シリーズが終われば、基本的には「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」の動画投稿をメインに戻してしていく予定です。
吸血鬼の歴史を学んでいけばおのずと「吸血鬼って血を吸っていれば何でもあり」と思えるようになります。吸血鬼の代名詞と言えば、1897年のブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」でしょう。ドラキュラ伯爵は有名ですが、実はドラキュラは吸血鬼小説としては後発も後発で、ドラキュラ以前にも吸血鬼小説はたくさんあります。例えば、女吸血鬼の代名詞的存在である、1872年のシェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」が挙げられます。ストーカーは同郷かつ同じ大学の先輩であるレ・ファニュの「カーミラ」を見て、ドラキュラの執筆を決意したほどです。ドラキュラ以前の吸血鬼は、むしろ日光が平気なのが当たり前、弱点のない吸血鬼も当たり前でした。小説のドラキュラも、昼間出歩くシーンがある程です。日光が弱点になったのは、小説「ドラキュラ」を原作とした映画から始まったものです。銀の武器が弱点というのも同様です。このブログでは、そうした背景を順を追って解説して吸血鬼に関する固定観念を壊し、「吸血鬼の設定ってなんでもありなんだ」ということを、一人でも多くの方に知ってもらうことを目標としています。そのためには、なるべく多くの参考文献を引用し、そしてその文献自体も事細かく紹介して、日本一詳しく正確な吸血鬼解説サイトを目指していく所存です。実際、自分で調査して分かったことですが、日本では吸血鬼に関する情報は、1990年代あたりの情報で止まっているということです。もちろん、吸血鬼解説本はニッチ過ぎるので、近年は特に販売されていないという事情もありますが。ですが海外では日本以上に吸血鬼の研究は盛んです。2010年代になっても未だに新発見があったり、それまでの定説が覆っていたりします。本当の研究者からただの吸血鬼好きのライターなど色んな人が、お堅い論文から気軽に読める雑学本など、様々な吸血鬼解説本・論文を発表しています。また個人ブログレベルでも、最新情報を紹介しているなんていうこともザラだったります。このブログでは日本の書籍では紹介されたことのない、吸血鬼に関するの最新情報も提供していきます。
「吸血鬼」にタブーな設定などない
吸血鬼を語るには、大まかに民間伝承と創作とに分けられます。このブログで主に「民間伝承編」と「文学編」とに分けて解説していきます。本当は民間伝承の吸血鬼をある程度学んでから吸血鬼文学を学ぶ方が分かり易いと思いますが、諸々の事情により、最初は吸血鬼文学の方を先に解説していく予定です。
今のステレオタイプな吸血鬼は西洋文学によって形成されたといってよく、吸血鬼の歴史を学ぶということは、即ち吸血鬼の古典文学を学ぶということになります。1819年のジョン・ポリドリの「吸血鬼」が今の吸血鬼の土台となり、そこから色んな吸血鬼小説が作れていきました。そうした積み重ねの中、1897年のブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」が、現在の吸血鬼の一つの完成形となりました。小説のドラキュラは日光は平気です。その後映画により、吸血鬼に日光や銀の弱点が付け加えらた結果、次第に「吸血鬼は日光が弱点」というのが常識になったに過ぎません。そしてそこから後発の創作家たちにより更にアレンジされ、その流れが今も続いている、というのが簡単な吸血鬼の歴史です。オタク層に人気な「真祖」なんてものは、近年の日本で生まれた比較的新しい設定にしかすぎません。日光が平気な吸血鬼はおかしいなどと言うのであれば、後付けも後付けである「真祖」も、大いに否定しなければなりません。そして原作のドラキュラは昼間も出歩いていますから、むしろ昼間出歩く吸血鬼を当たり前とし、日光を弱点にした吸血鬼を大いに批判すべきです。
でも「真祖」の設定を好む人は大勢いらっしゃるでしょうし、日光が平気な吸血鬼は嫌だという人の方が多いことでしょう。このように、創作の吸血鬼に言えることは「吸血鬼の設定は自由。あるのは設定に対する好き嫌いのみ」ということです。先ほどの例で言えば「日光が平気な吸血鬼はおかしい」というのが「おかしい」のです。吸血鬼の歴史を知れば「日光が平気な吸血鬼はあってもいいよね、むしろ昔はそれが普通だったし。けど、そうは言ってもその設定は好きじゃない」と、おのずとそのように思えるようになります。これこそが本物の吸血鬼警察が出てこない理由でしょう。本当に吸血鬼に詳しい人は「吸血鬼は何でもあり」と分かっているから、創作の吸血鬼の設定に対しての好き嫌いはあれど、設定自体にあり得ないなどと批判するはずがないのです。。
このように吸血鬼は文学によって徐々に発展した存在なので、創作の吸血鬼に関して正しい姿なんてものを議論する余地なんて、ほぼありません。19世紀の小説家はこぞって「自分が考えた吸血鬼」を発表してきました。そして19世紀の終わりごろになりブラム・ストーカーが、それまでの吸血鬼小説の設定、および民間伝承の吸血鬼の設定をいろいろ付け足し、ドラキュラという一つの完成形を作り上げたにすぎません。吸血鬼のあれがおかしい、これがおかしいなどと言うのならば、そもそも東欧の民間伝承に伝わる吸血鬼像にしなければならなくなります。民間伝承に伝わる吸血鬼は、死んだ農民の場合がほとんどで棺桶に悪臭を放って眠っている、ときには幽霊の状態で血を吸いにやってくる。牙なんてものはなく、胸から心臓に溜まっている血を飲む……これはもう、血を飲むことに特化したゾンビやグールみたいなものです。吸血鬼と聞いたのにゾンビを見せられて喜ぶ人はいないでしょう。でも本来の吸血鬼にするなら、ゾンビの亜種にみたいなものにしなければならなくなります。このように吸血鬼というモチーフは、設定に対してどれが正しい、違うといった線引きができないのです。神話・伝承・妖怪と違い、吸血鬼は設定に対する論争とか議論なんてものが巻き起こらない、本来は平和な界隈だと思います。
吸血鬼程、創作家が好き勝手に設定して文句のつけようのない存在はないでしょう。日光が平気な吸血鬼も、弱点のない中二病丸出しの吸血鬼も、気にせずどんどんと出して良いのです。設定に対する「嫌い」という感想は受け止めるべきですが、「おかしい、ありえない」という批判は、聞く必要は全くありません。設定にして「おかしい」という批判がきたら、「その前に、最低でもドラキュラぐらい読んでから議論や文句言いに来い」と、言い返せばいいでしょう。SNSで過剰に攻撃するような人たちには、これぐらい言い返しても罰は当たりません。もちろん吸血鬼の創作をする方は、吸血鬼の古典は読んでおいた方が望ましいです。最低でもドラキュラを読めば、それだけでも「原作のドラキュラは日光は平気なのだが?」と、理論武装ができます。吸血鬼は何でもあり、ということが一人でも多くの方に伝わることを目標として、これから活動していこうと思います。
2021年5月1日
*1:吸血鬼の英語がヴァンパイア[vampire]。ドラキュラは吸血鬼(ヴァンパイア)と呼ばれる種族のうちの一人で個人名。確かに吸血鬼を指す言葉としてドラキュラが用いられることもあるが、知ってる人からすれば混乱の元なので、使い分けが望ましい。