吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?

この記事は「死者よ目覚めるなかれ」という吸血鬼小説の内容を知っているという前提で話が進みます。なので、この記事をご覧になる前に出来れば

吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳のご紹介
最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説

のブロマガ記事をご覧になってから、この記事をご覧ください。またよろしければ下記動画も合わせてご視聴下さい。

またこの記事は2017年9月23日にブロマガで投稿した記事を移転させたものです。
リンク修正はしましたが、抜けがあればご連絡下さい。
下は元記事のアーカイブ。

web.archive.org

 【目 次】
吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳を公開します
最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
③この記事

エルンスト・ラウパッハ、吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の本当の作者について
世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?


 
 平素はゆっくりと学ぶ吸血鬼シリーズをご視聴頂きましてありがとうございます。この記事では日本の一部の吸血鬼マニアの間では幻の作品となっていた、ヨハン・ルートヴィヒ・ティーク(ティエック)「死者よ目覚めるなかれ」が、ティークが作者ではなく本当の作者は別に存在していたということを紹介していきます。 動画では既に解説済みですが、恐らく日本では初出の情報であり大変貴重であると思われるので、文章でもぜひ残したく、今回記事を投稿することにしました。かなり長い記事となることをご了承ください。動画でご覧になりたい方は、下記動画にてご覧ください。




1.吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」の日本における立ち位置

 まずは吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」、いや前の記事 で解説したように正しい題名だと「死者を起こすことなかれ」が、吸血鬼小説としてどのような立ち位置にある作品であるのかを、改めて確認しておきたい。「最初の吸血鬼の文学作品」というものは、厳密には定義できない。これは神話や民話なんかも一種の創作物であるからだ。だがそれでも「作者がきちんと判明している近代的な文学作品」という括りで見るのならば、最初の吸血鬼文学というものは、一応存在している。詩も含めればドイツのオッセンフィルダーの「吸血鬼」というが、最初の吸血鬼の文学作品であると、海外では紹介される。その例として吸血鬼の情報サイトであるvampires.comでは、オッセンフィルダーの作品が最初の吸血鬼作品だとして紹介している(クリックで移動)
 それでは詩でなくて小説ならば、どの作品が最初の吸血鬼小説となるのか?

ヨハン・ルートヴィヒ・ティーク
詳細は動画若しくはwikipediaの記事等参照

 
 それがティーク「死者を起こすことなかれ」という小説であり、これは『小説として最初に出来た吸血鬼小説』&『女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説』であると、何年も前からネット上で散見された。
 例えば「萌える!ヴァンパイア事典」を作成したTEAS事務所がツイッターで、「吸血鬼ブルンヒルダは小説や演劇など、文学の世界にはじめて登場した女性吸血鬼だといわれています」と述べている。

これは何も日本人が勝手に言っているのではない。これは恐らく吸血鬼情報誌のバイブルとして有名なマシュー・バンソンが「吸血鬼の事典」において、「文学史上初の、記憶されるべき女吸血鬼を描いた作品」と述べており、この記述が日本では広まっていったのだろう。他にもマヌエル・アギーレという学者は自著において「西欧文学における最初の吸血鬼」と評価している。
Manuel Aguirre’s book The Closed Space: Horror Literature and Western Symbolism
アギーレに関する記述は後述する、ハイド・クロフォード女史の論文から引用した。


~ドラキュラ以前(1897年)に出版された吸血鬼作品一覧~
(鍵括弧はの作品・二十鍵括弧は小説作品を表す)
(下記は主要なものを抜粋して掲載した。本当はもっとある)

1748年 「吸血鬼」           オッセンフィルダー
1773年 「レノーレ」         ゴッドフリート・アウグスト・ビュルガー
1797年 「コリントの花嫁」      ゲーテ
     「クリスタベル」        サミュエル・テイラー・コールリッジ
1800年 「破壊者タラバ」       ロバート・サウジー
     『死者を起こすことなかれ』   ティーク
1805年 『O侯爵夫人』        クライスト
1810年 「吸血鬼」          ジョン・スタッグ
1813年 「異教徒(異端者・不信者)」 バイロン卿
1819年 「つれなき美女」       ジョン・キーツ
     『吸血鬼』           ジョン・ポリドリ
1821年 『セラピオンの兄弟』     E.T.A.ホフマン
1828年 『骸骨伯爵』         エリザベス・グレイ
1838年 『ライジーア(リジィア)』  エドガー・アラン・ポー
1847年 『吸血鬼ヴァーニー』     J・M・ライマー(異説あり)
1860年 『謎の男』          作者不詳
1872年 『吸血鬼カーミラ』      シェリダン・レ・ファニュ
1897年 『吸血鬼ドラキュラ』     ブラム・ストーカー

※吸血鬼→ヴァンパイアの日本語訳
 ヴァンパイア→所謂吸血鬼の英語、つまり普通名詞
 ドラキュラ→数多くいるヴァンパイアの中で一番有名なドラキュラ伯爵のこと、つまり吸血鬼の名前。これは串刺し公ヴラド三世に由来する。ドラキュラの名はあまりにも有名になったので「吸血鬼」の総称としてドラキュラと呼ぶこともある。だが本来は個人名であり、吸血鬼の総称を「ドラキュラ」と呼ぶのは誤り。ここでは小説ドラキュラの解説も行う為、混同を避けるためにも、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの小説に出てくる吸血鬼ドラキュラ伯爵のこと、「ヴァンパイア」は一般名詞ときちんと区別していくことにする。


 上記の表を見て分かるように、詩ではなく小説という形式ならば、「死者を起こすことなかれ」が最初に出来た吸血鬼小説となる。マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」によれば、初版は1800年にドイツで出版され、英訳版は1823年イギリスで「北方諸国の物語とロマンス(Popular Tales and Romances of Northern Nations)」の第一巻に掲載されたと紹介している。これを受けたホビー・ジャパン/TRAS事務所の「萌える!ヴァンパイア事典」でも、ティークの作品だとして紹介している。
 この様に「最初の吸血鬼小説」であり同時に「女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説」でもあるため、この作品は非常に重要視されていた。そんな小説であるのだが、今回あるきっかけでこの小説がティークの作品ではなかったことが、海外では有力視されていることが判明した。そして「最初の吸血鬼小説」&「女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説」でない可能性まで浮上した!
 この事実を受けて検証した結果、それがほぼ事実だろうと確信したため、先んじて動画で紹介し、そして今回ブロマガでも紹介することにした。

2.判明した切っ掛け

 先程解説したように、「死者を起こすことなかれ」は最初の吸血鬼小説であると考えられていた。当然吸血鬼マニアほど気になるというものであるが、残念ながらこの作品はその重要度に反して日本語訳が存在していない。ちょっとした概要がマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」、それを参考にして作られた「萌える!ヴァンパイア事典」で紹介されるに留まっている。むしろ一番詳しいのが萌え事典という現状である。私自身も当然読んでみたいと思っていたが、何時翻訳されるか分からない。そしてこの作品は当然パブリックドメインであるので、海外ではネット上で普通に全文公開されている(サイト1サイト2)。また、日本のkindleストアでもたった100円程で英語訳の電子書籍版が購入できる。

 このように海外では英訳版がネット上で無料で見れる。そして機械翻訳にかけてみると、古英語を使っていて読み辛い部分もあるが、それでも大まかな話の流れを掴むことができた。そんなに長い小説でないこと、辞書を駆使すればなんとかなると思い、私自身の手で翻訳することにした。これは日本語訳が存在しないので、素人翻訳でも需要があるということもあるが、何よりも自分でいつでも見れるようにしたかったというのが大きい。それが以前ブロマガに投稿した、吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳のご紹介という記事である。

 そうして日本語訳を投稿した後、どうしても気になることが頭からはなれなかった。作者はヨハン・ルートヴィヒ・ティーク、つまりドイツ人だ。なのにネット上で見つけたものは英訳であり、ドイツ語原著が見当たらない。そもそも英語の題名「wake not the dead」で検索すれば、「ドイツ語の原題名は○○です」という解説がヒットしそうなものなのに、なぜかドイツ語の原題名が検索に出てこない。さらに不可解なのはドイツ語wikipediaのティークの記事である。ドイツ国内の人物ということもあって、日本語英語wikipediaよりも詳細なことが記述されており、ティークの著作の一覧も掲載されているのだが、そこには何故か「死者を起こすことなかれ」らしき作品の名前が見当たらないのである。マシュー・バンソンの解説を信じるのばらばドイツでは1800年イギリスでは1823年に初版ということであったが、該当の年数にそれらしきものが見当たらなかった。さらにウィキソース(wikipediaが運営する電子図書館)にもティークの作品一覧があるのだが、そこにも「死者を起こすことなかれ」の文字がない。これはティークの作品ではマイナーであるから掲載されていないのかという可能性も考えたが、そうであったとしても不可解である。さらにドイツのamazonでも検索してみたが、ヒットしたのは先程上記で紹介した、日本でも購入できる英語版の「wake not the dead」だけであり、ドイツ語版はヒットしなかった。

 このように何故かドイツでは悉く「死者を起こすことなかれ」と作者のティークが結びつかなかった。さすがにこれはおかしいと思い、日本語訳を作り終えた後、何が何でもドイツ語原著を探し出してやろうと思い立ったのである。

 そこでどんな情報でも隅から隅まで読んでみて情報の洗い出しを行うことにした。英語の原題名「wake not the dead」でGoogle検索すると、上位の検索サイトに「good reads」というサイトがヒットする。このサイトは日本でも良く見かける、書籍販売サイトの電子書籍の内容を紹介したもので、その商品は日本のkidleストアでも購入できる「wake not the dead」を紹介したものだ。このサイトは以前も見ていたのだが、ちょっとした概要と下部の方にユーザーレビューが投稿されているだけであった。なので以前見た時は大した内容はないと判断して真剣には読まなかった。だが今回はどんな情報でも欲しいので、このユーザーレビューもきちんと見ることにした。そうしたらそこに、衝撃の事実を突きつける書き込みを見つけた。



 それが上記で表示した書き込みである。書いてある内容は次の通り。

私はこの散文がもう少し豪華なら好きになったかもしれません。だがティークはドイツ人であり、(好きになれなかったのは)翻訳されたもの(つまり英訳)をみたからかもしれません。だから私はティークのオリジナルのものを探そうとしました。

この方も私とは違う理由で、ドイツ語原著版を探そうとされていた。そして次の書き込みに衝撃を受けた。

だがティークはこの翻訳や元のオリジナル小説とは全く関係がなかった。この作品はErnst Raupach(エルンスト・ラウパッハ)作とされているようです。だが私はまだ原著を見ていないのでなんとも言えない。今私は非常に混乱している。このタイトルで彼の演劇があるが、それのストーリーはあまり関係がないようだ。

 なんと、この方の調査よると「死者を起こすことなかれ」は、ティークではなく、「エルンスト・ラウパッハ」なる人物が本当の作者であるということを知り、非常に驚かれていたのだ!
 
 当然すぐに「Ernst Raupach wake not the dead」でグーグル検索した。そしたら、「死者を起こすことなかれは、ラウパッハが本当の作者です」と解説する海外のブログが沢山ヒットするではないか!いやそれどころか、海外で発売されている書籍のサンプルも上位検索にヒットした。海外の書籍はGoogleブックスに長めのサンプルが公開されていることが結構あるのだが今回の場合、「死者を起こすことなかれは、ラウパッハが本当の作者」だと解説している部分のサンプルが幾つか確認できたほどだった。

 そしてヒットしたブログの解説を読んでいくとどれも、ハイド・クロフォード(Heide Crawford)という人が2012年「Journal of Popular Culture」に掲載した論文を参照ソースとしていた。そして実は先程の「Ernst Raupach wake not the dead」でGoogle検索して一番上にヒットするのが、その「Journal of Popular Culture」で掲載された論文のPDFファイル(クリックで移動)であった。当然読もうと思ったが、このサイトは個人ならば38ドルで購入する必要があった。そして実は「Research gate」というサイトに、どうも同じ内容のものと思われるものが掲載されており、こちらは無料で見れるようなので最初はそれを閲覧しようとした。だがこのサイトは本物の研究者でなければ見れないようで、どこの研究機関なのかを問われた。適当にでっち上げて登録したが「あなたの研究結果が確認できません、あなたの研究内容を証明できる人のメールアドレスを送って下さい」と出て来たので、無料の閲覧はあきらめて、「Journal of Popular Culture」のサイトで38ドル払って論文を購入した。

 ちなみにその後とある方から、「Research gate」で登録が上手くいき、無事論文をゲットできたという連絡を頂いた。そして確認してみると私が「Journal of Popular Culture」で38ドルで購入したものと内容は全く一緒だった。本物の研究者ならば論文は無料で手に入れることが可能なようだ。なので研究室に所属している大学生や、どこかの企業の研究職の人ならば、「Research gate」での登録は上手くいくと思われる。ということで、ハイド・クロフォード女史の論文「※エルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハの吸血鬼ストーリー『死者を起こすことなかれ』」を紹介していこう。
※原題名:Ernst Benjamin Salomo Raupach's Vampire Story “Wake Not the Dead!”
 ちなみに、論文はvisaのクレジットカードがあれば購入できます。JCB等で購入できるかは不明。

3.「死者を起こすことなかれ」の原題名、当時の紹介事情

ジョージア大学
ハイド・クロフォード講師

 
 今回この説を唱えたハイド・クロフォード女史は、ジョージア大学のドイツ語とスラブ語の講師である。研究分野はドイツ語、18世紀以降のホラー文学、オカルト、そしてドイツの吸血鬼などだ。その方が5年前の2012年、「死者を起こすことなかれ」の作者はティークではなくてラウパッハと主張する論文を発表した。「Journal of Popular Culture」で発表したものは全17ページである。後で解説するが、より詳しく解説した本を出版しているので、「Journal of Popular Culture」で掲載したものは概要をまとめたレジュメといったほうがいい。

 それではレジュメの内容を解説していく。まずはこの「死者を起こすことなかれ」の原題名だ。ドイツ語の原題名は「※Lasst die Todten ruhen」、英語だと「Let the dead rest」となり、意味は「死んだままにせよ」となる。このあたりからも日本では長らく紹介されてきた「死者よ目覚めるなかれ」という題名はあまりよろしくないことが伺える。
※「Lasst die Todten ruhen」は「Laßt die Todten ruhen」と当時は表記していた。今ではß(エスツェットの取り扱いが変わった為、現在は「Laßt」でなく「Lasst」と表記されるが、引用の場合「Laß」表記tも見受けられる。

 そしてマシュー・バンソンの吸血鬼の事典では、この作品は1800年にドイツで初版されたと解説していたが、クロフォード女史によれば初版は1823年にドイツで「ミネルヴァ」という雑誌で掲載されたのが初出だとしている。
※Minerva. Taschenbuch fur das Jahr 1823 as “Ein Marchen von D. Ernst Raupach” (“A Fairy-Tale by Dr. Ernst Raupach”) (エルンスト・ラウパッハ博士のおとぎ話)

このマシュー・バンソンは1800年という情報の参照ソースを明示していない。なのでマシュー・バンソンは何をもって1800年初版としたのかが不明である。

 クロフォード女史によると「死者を起こすことなかれ」は出版されて以降、18世紀以降のイギリスや欧州において、ゴシック文学の学術論文で特集されることが多くなった作品だという。そして1973年以降、この作品は作者がラウパッハでなくティークであると信じられるようになってしまったと主張している。つまり1973年以前までは、正しい作者で紹介されていたという。

 その例としてクロフォード女史が挙げた一人目が、ドイツの文学歴史家カール・ゴーデク(Karl Goedeke:グーデケの方が正しいかもである。彼はドイツ語wikipediaに紹介記事があるので、ドイツでは有名な人なのであろう。

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カール・ゴーデク(1814~1887)


 ゴーデクは※1905年に出版した自著「ドイツ文学史集、ドイツ文学史」において、エルンスト・ラウパッハの生涯と主な功績、そして吸血鬼小説「死者を起こすことなかれ」をラウパッハ作として紹介、評論まで行っている。

※ゴーデク原著:Grundrisz zur Geschichte der deutschen Dichtung (Compendium of German Literary History, 1905)
※ゴーデクは1887年死去している。後述するが、この1905年版は後にエドモンド・ゲーツにより文章を増量して編纂された第二版のもの。

 2人目はドイツの文学者ステファン・ホックという人も1900年、自著「吸血鬼信仰とドイツ文学への活用において、ラウパッハの作品であること、作品の概要と評論を行っている。

※ホック原著:Hock, Stefan. Die Vampyrsagen und ihre Verwertung in der deutschen Literatur. Berlin: Verlag von Alexander Duncker, 1900. Print.
※ステファン・ホックは詳細を解説したものが見つからなかったのでどういった人物なのか詳細は不明。

 さらにゴーデクの死後、エドモンド・ゲーツ独wikiソース英語wikipedia)は、ゴーデクの著書を文章を増量した第二版を1905年に出版するのだが、その時はステファン・ホック「ラウパッハ・ストーリー」を参照して編纂されている。

 以上3名とも、吸血鬼小説「死者を起こすことなかれ」を、エルンスト・ラウパッハ作として紹介していたのである。この中でゲーツにより編纂された1905年のゴーデクの著書第二版はwikisourceにコピー画像のリンクが掲載されていた。それがこちら(クリックで移動)
その中の1905年版の所のInternet ArchiveGoogle-USAが並んでいるが、Internet Archiveをどれでも良いのでクリックすると、著書のコピー画像サイトへ飛べる。
 ラウパッハの項目は下のバーのページ数「658ページ目(クリックで移動)」から始まっている。そして「死者を起こすことなかれ」の記述は下のバーで「661ページ目(クリックで移動)」にある。ドイツ語であるし、文章コピーは面倒な上に正確にコピー出来なかったので翻訳はしなかった。内容は分からないが、それでも右下の方にLaßt die Todten ruhenの文字が確認できたので、「死者を起こすことなかれ」を、ラウパッハ作として紹介していることはまず間違いない。(題名だけ文字間隔が開いているので見つけ易いはず。あとドイツ語が読める方は内容を教えて下さると有り難いです。)

 ステファン・ホックの著書は画像コピーを見つけることが出来なかったが、彼の著書名で検索をかけたら、他の書籍で参考文献として名前を挙げている例を見つけた。ゴーデク&ゲーツの著書は実際に発見できたこともあるので、クロフォード女史の解説はいい加減なものでなく信憑性が高いものとして私は判断した。

4.作者を取り違えた犯人:ピーター・へイニング

 さてこうして20世紀初頭まではラウパッハ作として紹介されていた訳だが、クロフォード女史によれば1973年以降、ホラー文学の編纂で著名なイギリスのピーター・へイニングこの作品をティーク作として紹介した為、作者がラウパッハからティークへと間違われてしまうようになったと主張している。吸血鬼マニアの方や怪奇幻想文学好きの方ならば、どこかで聞いたことがある人物であろう。ともかくまずは、ピーター・へイニングという人物について紹介しなければならない。

ピーター・へイニング(1940~2007)


 ピーター・へイニングはイギリスで大手出版社でSFやホラーの編集を手掛けて編集部長を経験した後、怪奇幻想文学の発掘・編纂に生涯をささげた人物である。あの荒俣宏先生「怪奇文学大山脈の第一巻」において、へイニングを紹介しているのだが、荒俣先生は「20世紀後半において恐ろしい勢いで怪奇文学をどんどん発掘し続けた人」であると紹介している。例えば「フランケンシュタイン」と聞くと、現在はメアリ・シェリー原作の、あの人工的に作られた怪物のことだと誰でも思い浮かべるが、「フランケンシュタインの古塔」という、今現在一般的に知られているメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン・あるいは現代のプロメテウス」が出版される前に「フランケンシュタイン」の名称を使った小説を発掘して有名になった人物だ。この「フランケンシュタインの古塔」から、メアリ・シェリーは自身の小説に「フランケンシュタイン」と名付けたであろうと推測されている。あの知の巨人荒俣宏先生も、へイニングの解説で初めて知り、非常に驚いていた。

(ちなみに「フランケンシュタインの古塔」は1810年頃に出版された「ファンタゴスマゴリア:原著はドイツ語」に収録されており、かの有名な出来事『ディオダティ荘の怪奇談義』でメアリ・シェリーらに仏訳版が読まれていたであろうとヘイニングは述べていたようだ。だがその後の研究で「ファンタゴスマゴリア」には、仏訳どころか英訳版にも「フランケンシュタインの古塔」が収録されておらず、それどころかドイツ語原著版にも収録されていないことが判明した。「フランケンシュタインの古塔」の一番古い出版日は今の所1811年のようだ。へイニングは死去したので、もはや確認のしようがないと荒俣先生は述べている)

 
 吸血鬼関連だとヘイニングは百数十年も忘れられていた1828年の作品「骸骨伯爵」を、とある人が発掘したのを、世に知らしめた人物でもある。発見されたのは恐らく1980年代であろう。この「骸骨伯爵」はマシュー・バンソンの吸血鬼の事典では紹介されていない。この作品は吸血鬼の歴史を見ていく上では非常に重要な作品で、今後私の動画でも紹介予定にしている。この「骸骨伯爵」の概要と抄訳は、角川文庫から出版されているヘイニング自身が編纂した「ヴァンパイア・コレクション」に収録されている。他に日本で紹介しているのは「萌える!ヴァンパイア事典」のみである。19世紀頃のマイナーな吸血鬼小説を収録しており、それぞれの作品にヘイニング自身が解説をいれている。私の動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第12話」では、大デュマの「蒼ざめた貴婦人」や、ジェイムス・プランシェの「島の花嫁」という吸血鬼小説の解説を行ったが、その解説はヘイニングの解説を引用させて貰った。

 このようにピーター・へイニングは吸血鬼関連の著作も何冊も出版している。日本では恐らく「ヴァンパイア・コレクション」ぐらいしか、ヘイニングの吸血鬼に関する著書は翻訳・出版されていないだろう。だが海外の著者はヘイニングの著書を引用することが多く、吸血鬼解説本では名前を見ることが多い評論家である。

 さてこのように吸血鬼関連では多大な功績を残したヘイニングであるが、今回の主題である「死者を起こすことなかれ」の作者を取り違えた主犯であると、クロフォード女史は唱えている。1973年にヘイニングが出版した「恐怖のゴシック物語:Gothic Tales of Terror」で、作者をラウパッハでなく、ティークとして紹介してしまったという。
Gothic Tales of Terror米amazon日本amazonで購入可能)


 この時へイニングはこの作品を「wake not the dead:死者を起こすことなかれ」という題名ではなく、何故か「The Bride of the Grave:墓の花嫁というタイトルで紹介している。その理由としてクロフォード女史は次のように推測している。イギリスでは「死者を起こすことなかれ」は1823年「北方諸国の物語とロマンス(Popular Tales and Romances ofNorthern Nations)」に収録されが、3年後の1826年「※恐怖の伝説」というホラーアンソロジーにおいても収録された。この時「恐怖の伝説」では「墓の花嫁」のタイトルで紹介していたという。なのでヘイニングはこの1826年の「恐怖の伝説」を見て解説した可能性があると、クロフォード女史は指摘している。
※Legends of Terror! And Tales of the Wonderful and Wild; Original andSelect, in Prose and Verse / with Historical Illustrations, and Elegant Engravings on Wood. London: Sherwood, Gilbert, and Piper, 1826.Print.


 上記画像は実際の「恐怖の伝説」に収録された「死者を起こすことなかれ」のコピー画像。一番上に「Legends of Terror:恐怖の伝説」とある。そして実際には「The Bride of the Grave:墓の花嫁」のみならず、「wake not the dead」のタイトルも残っていた。よって「墓の花嫁」というタイトルは副題だと思われる。(上記で表示した「恐怖の伝説」の正式名称でググれば上位検索に出てくる:クリックで恐怖の伝説のトップページへ
 念のために上記の「恐怖の伝説」の収録内容と、無料公開しているサイトの内容を最初の部分だけ見比べてみたが、全く同様の記述であるので、恐怖の伝説に収録されたものは「死者を起こすことなかれ」で間違いない。

 話を戻して。1973年に出版したヘイニングの自著では上記で説明したように1826年の「恐怖の伝説」を参照したと推測されるが、ヘイニング自身はあくまで「ティークの作品集本体から選出した」と言い張っているようだ(このあたりの翻訳は怪しいので、鵜呑みにはしないで下さい)
 また別の意見もあって、ポール・ルイスという学者は「ゴシック・フィクションの知的機能:ポーの『リィジア(ライジーア)』とティークの『死者を起こすことなかれ』」という論文において、「ヘイニングが「死者を起こすことなかれ」で参照したのは1823年出版の「北方諸国の物語とロマンス」であろう」と、ルイスは主張している(ここの翻訳も怪しい)

※Lewis, Paul. “The Intellectual Functions of Gothic Fiction: Poe's ‘Ligeia’ and Tieck's ‘Wake Not the Dead.’” Comparative Literature Studies 16 (1979): 207–19. Print.
※上記「ドラキュラ以前に出版された吸血鬼作品一覧」でも掲載したが、マシュー・バンソンはエドガー・アラン・ポーの「リジィア」を「心霊的吸血鬼」として紹介している。詳しくは吸血鬼の事典を参照。

 このようにヘイニングが「死者を起こすことなかれ」を紹介するときに参照したソースは確定できないのだが、問題はどの文献を参照したとしても「死者を起こすことなかれ」=「ティーク」とは結び付かないことだ。「北方諸国の物語とロマンス」も「恐怖の伝説」も著者名は明記されていない。「恐怖の伝説」は先程リンクを紹介したので確認して貰えればわかるのだが、どこにも著者名の明記はない。書いてあることと言えば、「恐怖の伝説」の編集者は、1823年に出版された「北方諸国の物語とロマンス」がイギリスで最初に「死者を起こすことなかれ」を収録したアンソロジーであるということについて言及しているぐらいである。

 19世紀当時の出版事情であるが、この当時はまだ著作権というものが整備されておらず、版元は作家に利益が渡るのを嫌い、著者名の明記をしないこともよくあった。また作家側もどうも名前を公開するということに関して無頓着のようで、現在よりも著作権の意識が希薄であったようだ。このあたりの事情は先程も紹介した荒俣宏先生の「怪奇文学大山脈の第一巻」に詳しい。

 以上のように、ティークは参照ソースを明示していない上に、ティーク作と明記された原著がないにも関わらずへイニングは、「死者を起こすことなかれ」をティーク作として紹介している。そしてクロフォード女史によると、イギリスとアメリカの著者による(重要)、アンソロジー、百科事典、批判的な書評など、このゴシック文学に関するあらゆる学術的出版物は、「死者を起こすことなかれ」をティーク作として紹介するようになったという。その時はほぼ必ずヘイニングの著書が参考文献として挙げられるそうだ。

 クロフォード女史は別の書籍で、そのヘイニング説を信じた研究者の名前を数名あげているのだが、その中で槍玉にあげた人物が、私の吸血鬼解説動画ではお馴染み、「吸血鬼の事典」の著者、マシュー・バンソンである。吸血鬼の事典は日本語訳されるぐらいであるし、マシュー・バンソン自身も本国では著名な研究者なようだ。なので槍玉にあげられたのであろう。

5.作者を取り違えた第二の元凶:マシュー・バンソン

 さて、マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」の解説によると「死者を起こすことなかれ」は、ドイツでの初版は1800年、イギリスでは1823年に「北方諸国の物語とロマンス」に収録されたと述べている。だが上記でも述べたが、クロフォード女史の解説ではドイツでの初版も1823年であり、それは「ミネルヴァ」というアンソロジーに収録されたとしている。よってマシュー・バンソンは何をもって「1800年初版」としたのかが不明だ。そしてこのあたりのクロフォード女史の解説を見て気が付いたことがある。それは「吸血鬼の事典」の日本語訳では、邦題以外にも原題名も一緒に明記されているのだが、この「死者を起こすことなかれ」は英訳の題名「wake not the dead」しか紹介していないことだ

 例えばゲーテの「コリントの花嫁」という作品。英題名は「The Bride Of Corinth」となるが、原著のドイツ語の題名は「Die Braut von Korinth 」となる。そして「吸血鬼の事典」ではドイツ語題名の「※Braut von Korinth,Die」も紹介している。フランスのシャルル・ノディエ&シプリアン・ベラールの作品「吸血鬼ルトヴァン卿」「Lord Ruthven ou les Vampires」と、フランス語原題名で紹介している。他にも「吸血鬼」という題名の作品がいくつもあるのだが、英語の作品は「The vampire」、ドイツ語の作品は「Der vampire」きちんと使い分けて紹介している。このように原題名はその国で出版された言語で必ず紹介しているのにも関わらず、今回の「死者を起こすことなかれ」だけは、ドイツ語の原題名「Laßt die Todten ruhen」を明記せず、英語の題名「wake not the dead」しか掲載していない。これは明らかに不可解である。
※正しくは「Die Braut von Korinth(クリックで参照)」だが、吸血鬼の事典では「Die」が後になっている。「吸血鬼の事典」の原著The Vampire Encyclopedia」では正しい語順で表記されている。

 この理由として考えられるのは、マシュー・バンソンはドイツ語の原著は見たことがないということだ。実際「吸血鬼の事典」に掲載されている参考文献を見てみたが、「死者を起こすことなかれ」を直接みた形跡はない。ただ、ピーター・へイニングの著書4冊を参考文献にあげていたのは確認できた。以上から推察するに、マシュー・バンソンは「死者を起こすことなかれ」のドイツ語原著を見たことがない。そして解説はピーター・へイニングの著書からそのまま孫引きしただけの可能性が大いにあるということだ。ドイツ語の原題名「Laßt die Todten ruhen」を紹介していないことが、その疑いを強めている。
 念のために「吸血鬼の事典」の原著The Vampire Encyclopedia」を確認してみたが、やはり他の作品はその国の言語で題名を紹介しているのに、「死者を起こすことなかれ」だけは英題名の「wake not the dead」しか紹介していなかった。となるとやはりマシュー・バンソンは原著は見ておらず、ヘイニングの解説しか見ていない可能性が高い。一つ不可解なのはなぜドイツでの初版を「1800年」として紹介したかだ。もしかしたらヘイニングの著書にそう書いてあったのかもしれない。どちらにせよ1800年初版という根拠はどこから来たのかが不明だ。ヘイニングの著書を見れば何か分かるかもしれないが、流石にそこまで検証する気にはなれない(誰かやってくれてもいいのよ?)

6.作者を取り違えた原因

 さてピーター・へイニングやマシュー・バンソンが「死者を起こすことなかれ」の作者を取り違えた原因は、1823年にイギリスで発表された「北方諸国の物語とロマンス」にあるだろうと、クロフォード女史は指摘している。先ほどから解説したようにイギリスでは3年後の1826年に「恐怖の伝説」というホラーアンソロジーにおいて、「死者を起こすことなかれ」が再録されたが、そこには著者名は明記されていない。それはこの「北方諸国の物語とロマンス」に置いても同様である。

“Lebrecht and Tieck are the authors of many beautiful legends, but they have generally trusted totheir own fancy instead of building themselves on ancient traditions”
(Popular Tales and Romances xii).

翻 訳
レブレットとティークは、多くの美しい伝説の作者ですが、古代の伝統に身を置くのではない。

 クロフォード女史によれば、「北方諸国の物語とロマンス」においてティークの名前が出てくるのは、上記で紹介した序文のみであるという。「北方諸国」は色んな作家の作品を集めた作品集であるし、その作品も著者名の明記はない。上記の序文だけでは、「死者を起こすことなかれ」の作者をティークとして断定することは到底できない。ではなぜ「死者を起こすことなかれ」をティーク作として勘違いしてしまったのか。

 それは「北方諸国の物語とロマンス」の第一巻にはティークの有名な著作に「金髪のエックベルト:Der blonde Eckbert」(amazon)という著作がある。日本語訳も複数出ている有名な作品だ。「北方諸国」ではその「金髪のエックベルト」の前に「死者を起こすことなかれ」が掲載されているという。
 つまり作者を取り違えた原因とは、「死者を起こすことなかれ」がティークの有名な著作「金髪のエックベルト」と並んで掲載されていたことと、序文にティークの名前が出ていたので、そこで単純に早とちりしたのだろうと、クロフォード女史は指摘している。この早とちりの原因として、ラウパッハはドイツ国内でしか有名でなかったが、ティークは国際的にも有名だったのも影響しているだろうとしている。ティークはあのシェイクスピアの「真夏の夜の夢」をドイツ語訳しており、それを元にあのメンデルスゾーンが曲を付けたことからも、ティークの著名ぶりが伺える。プロがこんなミスをやらかすのか、と思われるかもしれないが、クロフォード女史はこの可能性が高いと見ている。

 さてこの「北方諸国の物語とロマンス」であるが、原題名の「Popular Tales and Romances of Northern Nations」でGoogle検索をかけてみたら、Googleブックスに画像コピーが掲載されていた(クリックで移動)のが確認できた。

 上記がその表紙。1823年に出版された第一巻である。

  目次ページを見ると、確かに「死者を起こすことなかれ:wake not the dead」と「金髪のエックベルト:Auburn Egbert」が並んで掲載されていた。(文字が青なのは作品の最初のページのリンクが張られているため、かなり便利)
 「金髪のエックベルト」の原題名は「Der blonde Eckbert」となるが、英語だと「Auburn Egbert」となるのは「isfdb.org」というサイトで確認済みである。

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死者を起こすことなかれ表紙、作者名がない

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金髪のエックベルトの表紙、これも作者名がない


 そして上記が、「死者を起こすことなかれ」と「金髪のエックベルト」のそれぞれの1ページ目の画像。ご覧の通り、作者名は明記されていない。勿論、途中のページにも作者名は明記されていなかった。

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唯一、ティークの名前が出てくる個所



 そして上の画像が、ティークの名前が唯一出てくる序文。先ほど紹介したクロフォード女史の解説通り、「レブレットとティークは、多くの美しい伝説の作者ですが、古代の伝統に身を置くのではない」と記されている。

 以上から「恐怖の伝説」や「北方諸国の物語とロマンス」を参照しただけでは、「死者を起こすことなかれ」の作者をティークであると断定することは、到底出来ない。そしてクロフォード女史の解説の通り、「死者を起こすことなかれ」と「金髪のエックベルト」が並んで掲載されていたことが確認できたので、クロフォード女史の「単純に早とちりした」という推察は信憑性は高いと言えるだろう。

 さて、マシュー・バンソンが主張するドイツでの初版が「1800年」というものについてだが、これは結局その主張を根拠とする参照物は発見できなかった。ただクロフォード女史が主張した、1823年にドイツで初版されたとしているアンソロジー「ミネルヴァ」については、画像コピーを掲載しているサイトを発見することができた(クリックで移動)。というかミネルヴァの原著名「Minerva. Taschenbuch fur das Jahr 1823」で検索したら普通に出てきた。

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ミネルヴァの表紙

 ご覧の通り、1823年発行の「ミネルヴァ」の表紙である。上記のサイトではジャンプボタンが上部にあるので35ページを指定して「Go」ボタンを押すと、「死者を起こすことなかれ」の最初のページに飛んでくれる。

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「死者を起こすことなかれ」ドイツ語原著の表紙

 当時のドイツ語はフラクトゥールというドイツ文字が使われていたので読みにくい。フラクトゥールのwikipediaの解説記事のを見て貰えればわかるが、確かに青文字で表記した通りになる。「ch」は文字同士が接触しないものの、字間が通常より狭い合字をそれぞれ用いられている。そして下の画像は最初の文の画像。





 上が、「ミネルヴァ」に掲載されたもの、下の画像は日本のamazon・キンドルストアで見つけた、ラウパッハ作「Lasst die Toten ruhen(クリックで移動)の文章だ。ミネルヴァの文章は見辛いが、それでもフラクトゥールの解説記事を見ながら見ていくと、全く同じことが書いてあるのが確認できた。このドイツ語と、ネット上に「Wake not the dead」の英訳文をそれぞれ機械翻訳してみた結果が下記のリンクの通り。

○ドイツ語の日本語訳
○英語の日本語訳

 翻訳の精度はあまりよくないがそれでも「墓の中は愛のあるベッドよりも暖かいかな?」という翻訳が出てくるので、この「ミネルヴァ」に収録された「Lasst die Toten ruhen」は、英語でいうところの「Wake not the dead」でまず間違いない。

 以上から、クロフォード女史が主張したように「死者を起こすことなかれ」は1823年に「ミネルヴァ」に、作者は「エルンスト・ラウパッハ」として掲載されていたことが確認できた。
よって「死者を起こすことなかれ」の作者は、ヨハン・ルートヴィヒ・ティークではなくて、エルンスト・ラウパッハが本当の作者であると言って間違いない

7.クロフォード女史の主張まとめ

 これまでの解説を纏めると次の通りになる。

①現在入手出来るものから推測すると、「死者を起こすことなかれ」の初版は1823年、ドイツのホラー・アンソロジー「ミネルヴァ」に掲載されたものが最初である。またこの時は、作者はきちんと「エルンスト・ラウパッハ博士」と明記されていた。

②20世紀初頭の文学者、カール・ゴーデク、ステファン・ホック、エドモンド・ゲーツらによる解説では、作者はラウパッハとして紹介し、彼の遍歴や作品についての書評を行っていた。

③ところが怪奇文学の編集者として、そして吸血鬼研究でも非常に著名なイギリスのピーター・へイニングが1973年、自身の著書において作者をティークであると紹介してから、この作品はラウパッハからティークへと間違われてしまうようになってしまった。

④以降、イギリスやアメリカの研究者はヘイニング説を鵜呑みにした。その中にはアメリカで有名な「吸血鬼の事典」の作者、マシュー・バンソンも含まれていた。

⑤特にマシュー・バンソンはドイツでの初版を「1800年」として紹介しているが、根拠が不明。また各小説作品の題名はどれも、その国の言語の題名も併記しているのにも関わらず、「死者を起こすことなかれ」についてだけは、英訳された題名「Wake not the dead」しか紹介していない。

⑥ヘイニングやマシュー・バンソンと言った有名な評論家がティーク作と主張したため、以後「死者を起こすことなかれ」の作者がラウパッハからティークであると信じられてしまうようになってしまった。

 以上がクロフォード女史の主張である。さてこのクロフォード女史の主張が他の研究者がどのような見解を持っているかまでは、流石に分からなかった。他の研究者が追認して初めてクロフォード女史の主張が正しいと判断できる。だが当時の資料がネット上でアップロードされているので、個人でも検証できた。私が出来る範囲内で確認した限りでは、クロフォード女史の解説はまず間違いなく、本当の作者はラウパッハであると言えると判断した。

 さて、このクロフォード女史の解説だが、「Wake not the dead、Ernst Raupach」で検索すると、クロフォード女史の文献を引用して解説する海外ブログが幾つか確認できた。
サイト1サイト2サイト3

 また海外ではグーグルブックスで長めのサンプルが読めるのだが、「死者よ目覚めるなかれの作者はラウパッハ」だとして紹介する書籍のサンプルもグーグル検索でヒットした。
例えば、「The Best Vampire Stories 1800-1849: A Classic Vampire Anthology」という書籍のサンプル。「死者を起こすことなかれ」は長年ティーク作として信じられていたが、本当の作者はラウパッハだとして紹介している。他にも1826年には「墓の花嫁」として紹介された、というようなことが書いてあった。そしてその後は作者を「ラウパッハ」として、「Wake not the dead」の全文を掲載している。 「Classic Vampire Tales」という書籍においても、作者はエルンスト・ラウパッハとして「Wake not the dead」を全文公開していた。

 そして上記でも紹介したが日本amazonでLasst die Toten ruhen」を販売しているのを見つけた。題名は「Lasst die Toten ruhen (German Edition)」であり、ドイツの吸血鬼文学を収録した吸血鬼アンソロジーであった。作者はきちんとエルンスト・ラウパッハとして紹介している。Kindle版もあり580円程で購入でき、またKindle Unlimited対応なので会員の人は無料で見れる。内容は本文以外にも簡単な説明があった。ドイツ語を機械翻訳しただけなので、よく分からなかった部分も多いが、ドイツ文学者ステファン・ホックの論文を例にして紹介していた。また私の動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話」でも紹介した、ポリドリの吸血鬼と比較して「死者を起こすことなかれ」を紹介していた。ここで気付いたことは、このアンソロジーの販売は2012年6月、一方今回主に参照したハイド・クロフォード女史の論文の発表日は2012年12月である。つまりドイツでは昔から作者はラウパッハであると認識していた可能性がある。

 クロフォード女史によると、作者をティークであると信じたのはイギリスやアメリカの研究者であるとしている。さらにクロフォード女史は「ティークの作品として「Laßt die Todten ruhen」や「Wake Not the Dead! / The Bride of the Grave」を紹介するドイツ人の学者はいない」とも述べている。

 先程のamazonで購入したアンソロジーの解説でもドイツの文学者ステファン・ホックの名前を挙げて紹介していることから、もともとドイツ国内では初めから作者はラウパッハであったという認識だったのかもしれない。冒頭でドイツ語wikipediaのティークの記事には、ティークの著作が細かく掲載されているのに、何故か「死者を起こすことなかれ」は見受けられなかったと説明したが、ドイツ国内では最初からラウパッハの作品として認識していたから、ティークの記事に「死者を起こすことなかれ」を記載していなかったのだろう。そう考えると辻褄が合う。ちなみに書かれた時期は不明だが、スウェーデン語のwikipediaのエルンスト・ラウパッハの記事では、彼の代表作としてLaßt die Todten ruhen」を紹介している。やはり作者ティーク説を信じたのは英米の研究者だけというクロフォード女史の主張は、信憑性があると言えるだろう。

 この後も原題名で色々工夫して検索してみたところ、クロフォード女史が2012年に指摘する以前から、作者はティークでなくてラウパッハであると主張している人を見つけることが出来た。例えばこのサイト(クリックで移動)。作者はティークとして紹介しているが、下の方では「本当の作者はラウパッハである」というが書かれている。この書き込みは2009年のものだから、クロフォード女史よりも3年も前に指摘している。またGoogleブックスで見つけた「The Vampire Book: The Encyclopedia of the Undead(クリックで移動)という書籍でも、作者はラウパッハとして紹介していた(下にちょっとスクロールすると見れるはず)。この書籍の販売は初版はどうも1994年(リンク先参照)であったようだ。そして2010年に再版されたようで、日本のamazonでもkindle版が購入できる。いずれにせよ、クロフォード女史が2012年に指摘する前から、本当の著者はラウパッハであると主張していたことは間違いない。この本の執筆者であるJ.ゴードン・メルトンアメリカ人である。アメリカ人でもきちんと理解していた人はいたようだ。

 さてこのメルトンであるが、ベイラー大学宗教学研究所の教授で特にカルト宗教の専門家である(wikipedia記事参照)J.ゴードン・メルトン」と日本語で検索すれば分かるが、日本語のサイトでもメルトン教授を紹介する記事がいくつかヒットするほどである。
 というか、世界初の無差別科学テロである「地下鉄サリン事件」などで日本中を震撼させたオウム真理教が、オウム教団を擁護させるために、オウムの負担で来日させたことがあるという人物だった。
 これだけで日本人からすれば、相当色眼鏡で見てしまう人物であるが、他にもアメリカの新興宗教「サイエンストロジー」など、色んなカルト宗教が自分たちの擁護の為に証人として呼ばれることが多い人物であるという。そんな教授の趣味はドラキュラだそうだ。オカルト趣味もあった為に、専門は宗教でありながら「吸血鬼」というオカルトの研究本も出版したのであろう(参考サイト)。ちなみに何度も紹介している「吸血鬼の事典」作者マシュー・バンソンだが、吸血鬼の事典の紹介では博物学者として紹介しているが、英語wikipediaの記事を見る限り、マシュー・バンソンもメルトンと同じく宗教、とくにカトリックに関する神学者であるようだ。wikipediaの一番下にあるリンクを辿ると著作物一覧が出てくるが、The Vampire Encyclopedia」、つまり「吸血鬼の事典」の作者として紹介している。メルトンやバンソンの様に、宗教の研究家はどうもオカルト趣味、とくに吸血鬼というものに惹かれる傾向があるのかもしれない。


 話は逸れてしまったが、以上からクロフォード女史が2012年に指摘する前からも、作者はティークでなくてラウパッハだと紹介していた人は少ないながらも存在していた。だが、イギリスとアメリカでは1973年以降、ティーク作として長らく信じられるようになってしまった。これは恐らく同国で有名なピーター・へイニングやマシュー・バンソンの影響力が強かったの為だと思われる。有名所が典拠として挙げていれば、とくに疑いもせずに孫引きしてしまうのが人の心理というものだろう。一々検証もしていられないというのも関係しているかもしれない。だが本国ドイツでは最初から作者はラウパッハであったという認識だったようだ。そして日本においてはこの「死者を起こすことなかれ」を紹介した書籍は、マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」、そしてそれを参考にした「萌える!ヴァンパイア事典」だけだ。こうしてアメリカやイギリスでの勘違いが日本でも蔓延した、という流れになる。

 クロフォード女史による「死者を起こすことなかれ」の、作者の取り違えの経緯の解説は以上だ。さてクロフォード女史のレジュメの内容だが、今解説したのは内容の半分ほどだ。もう半分は、本当の作者、エルンスト・ラウパッハの紹介、そして「死者を起こすことなかれ」の物語の解説がある。これらを解説していきたいが、長くなったので続きは次の記事で解説していくことにする。(続きの記事は未定)

 最後に。今回はクロフォード女史の「エルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハの吸血鬼ストーリー『死者を起こすことなかれ』」という論文から解説したが、実はクロフォード女史は「The Origins of the Literary Vampire(amazon)」という書籍を2016年に販売している。実はこれgoogleブックスにサンプルがあったのだがこの書籍、今回紹介した内容をより詳しく解説したものであった。レジュメは38ドル全17ページであるのに対して、この書籍はより詳しいのはあきらかだ。そして上記でリンクを貼ったが、日本のamazonでも購入が可能でkindle版もある。とくにハードカバー版は約3千数百円となっているので、かなりお得である。たった2ヶ月程前までは5千円程であったことを考えるとかなりお得だ。キンドル版は9千円近くもして少々お高いが、それでも本来のハードカバー版の定価よりは数百円安い。もし今回の内容を詳しく知りたくてクロフォード女史の書籍を購入されるのならば、PDFではなくて、amazonで書籍を購入されることをお勧めする。

 
 また今回は翻訳を機械翻訳や辞書片手に翻訳していますので、ところどころ間違いもあるかもしれませんが、大まかな流れは合っているはずです。
 検証の為にも、もしクロフォード女史の論文をご覧になった方がいらっしゃれば、間違いの指摘、私の解説の正確性などご指摘を頂ければ幸いです。

 

【2022年3月31日追記】

 この記事を書いた2017年当時の私は、作者の取り違えはピーター・ヘイニングの単純な早とちりだと思っていた。だがその後、ヘイニングの数々の不正疑惑を知った。よってヘイニングの早とちりではなく「作者が不明なことを利用して、自分が新発見者であることを知らしめたいがために偽って作者を紹介した」という疑惑が浮上した。そして今回はヘイニングの調査不足で不正が露呈しまっただけに過ぎないだろう。ヘイニングの不正疑惑は数多くあり、到底一つの記事では解説しきれないほどだった。詳しくは下記記事をご覧頂きたい。

www.vampire-load-ruthven.com


次の記事→エルンスト・ラウパッハ、吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」の本当の作者について

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