吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」の作者を間違えたのは、ピーター・ヘイニングではなかった?【捏造シリーズ⑦】

シリーズ目次(クリックで展開)吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?
(ヘイニングの不正を知る前の記事)
女性作家による最初の吸血鬼小説「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」が捏造作品だったことについて
古典小説「フランケンシュタインの古塔」はピーター・ヘイニングの捏造?他にもある数々の疑惑
ホレス・ウォルポールの幻の作品「マダレーナ」が、別人の作品だった
女性で最初に吸血鬼小説を書いたエリザベス・グレイという作家は存在していなかった
ドラキュラに影響を与えた作者不詳の吸血鬼小説「謎の男」の作者が判明していた
ドラキュラのブラム・ストーカー、オペラ座の怪人のガストン・ルルーに関する捏造
⑦この記事

 吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」という作品は、日本では長らく作者はドイツのヨハン・ルートヴィヒ・ティークの作品で、1800年作であると紹介されていた。だが本当の作者はドイツの多作劇作家、エルンスト・ラウパッハであり、初出は1823年であった。日本で間違えて紹介され続けたのは、1994年のマシュー・バンソン「吸血鬼の事典」の影響だろう。だが、そもそも間違いが広まった原因は、英国のアンソロジスト、故・ピーター・ヘイニングのアンソロジーからだとされていた。その経緯を日本で最初に紹介したのは、2017年に私がニコニコのブロマガで投稿した記事だろう。当時はピーター・ヘイニングの数々の捏造疑惑を知らなかったので、ヘイニングの単純ミスではないかとして紹介した。だがヘイニングの数々の怪しい疑惑を知った現在では、「いつものヘイニングの捏造案件」であると思っていた。


 ところが、あるきっかけで色々調査をしていたら、ヘイニングよりも前に作者をルートヴィヒ・ティークだと間違えて紹介していた人を発見した。これまで私はヘイニングの「いつもの捏造」と言いきってしまっていたが、そうでない可能性が浮上した。そして今まで私が見てきた資料をよく読めば、ヘイニングのせいとは言いきれないことも読み取れることが判明。今回はその経緯と検証結果を紹介していきたい。できれば過去記事を読んで経緯を知ってから、この記事をご覧頂きたい。


過去記事(ニコニコブロマガ版)
site.nicovideo.jp
過去記事(はてなブログ移行版)
www.vampire-load-ruthven.com


これまでの経緯

 一応、これまでの経緯を簡単に説明していこう。吸血鬼小説「死者を起こすなかれ」は、作者はルートヴィヒ・ティークで、1800年作と紹介されてきた。日本ではマシュー・バンソン「吸血鬼の事典」の影響で「死者よ目覚めるなかれ」と、適切でない題名で紹介される*1。最初の吸血鬼小説として名高いジョン・ポリドリの「吸血鬼」よりも古く、小説という形式では女吸血鬼が出てきた最初の作品として認識されていた。当然、女吸血鬼として名高いあの吸血鬼カーミラよりも古い作品だ。「萌える!ヴァンパイア事典」を作ったTEAS事務所も、最初の女吸血鬼作品だと紹介している。こうしたことから日本の吸血鬼マニアの間では「ぜひ読んでみたい作品」であると、個人掲示板なので言われていた作品だ。


 2017年、私はどうしても内容が気になったのでほぼGoogle翻訳の日本語訳を公開した。それが下記である。

ニコニコブロマガ版
site.nicovideo.jp
はてなブログ移行版
www.vampire-load-ruthven.com


 「死者を起こすなかれ」"Wake not the Dead"は、ドイツ語の作品、だというのになぜドイツ語の原著が見つからないのか気になった私は、色々検索してみた結果、ジョージア大学のハイド・クロフォード講師の2012年の論文と彼女の2016年の書籍を見つけることができた。それが下記である。


論文(有料記事*2
Ernst Benjamin Salomo Raupach's Vampire Story “Wake Not the Dead!”(2012/12/20)

書籍(kindle版あり):Heide Crawford"The Origins of the Literary Vampire":Rowman & Littlefield Publishers (2016/8/30)


 上記の論文や書籍でハイド・クロフォードは、「死者を起こすなかれ」の本当の作者はエルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハであること、ドイツ語の題名は"Laßt die Todten ruhen"*3であること、本当の発表年月日は1823年であることなどを主張した。そして作者を取り違えた原因は、イギリスのアンソロジスト、ピーター・ヘイニングが1972年に発表したアンソロジー"Great Tales of Terror"の第二巻で間違えて紹介したことがきっかけであると、クロフォードは主張していた。この時ヘイニングは題名を"Wake not the Dead"ではなく"The Bride of the Grave"として紹介した。これは1826年の"Legends of Terror! "に収録された英訳版にあった副題で、ヘイニングは何故か元のタイトルを削り、メインタイトルに据えた。


ピーター・ヘイニング
毎度お馴染みの故ピーター・ヘイニング

ヘイニングが参考にしたと思われるもの


 Great Tales of Terror Great Tales of Terror
Great Tales of Terror第2巻表紙


"Legends of terror!(1826)"のアーカイブリンク babel.hathitrust.org


 左の画像(スマホなら最初の画像)がハードカバー版の"Great Tales of Terror from Europe and America: Gothic Stories of Horror and Romance, 1765-1840 (1972) "、右側がペーパー・バック版となる"Gothic Tales of Terror, Volume Two: Classic Horror Stories from Europe and the United States (1973) "で、両方とも日本のAmazonでも購入可能だ。ドイツ周辺国では正しい作者ラウパッハで紹介されてきたのにも関わらず、このアンソロでヘイニングが作者を間違えて紹介してから、英米ではティーク作として間違え続けられたとクロフォードは主張している。そしてその情報が日本にも伝わり、日本でもティーク作として間違え続けられてきた。以上の流れを2017年、ニコニコ動画やブログで紹介した。


 そして2022年4月に、京都大学・森口大地の博士論文「ドイツ語圏を中心とした初期ヴァンパイア文学史 : セルビアの事件からルスヴン卿の後継者まで」(2021/5/23)の存在を知った。国立国会図書館でしか閲覧できないのでわざわざ出向いて閲覧した。そこにはハイド・クロフォードの"The Origins of the Literary Vampire(2016)"を引用して、「死者を起こすことなかれ」の作者の取り違えは、ピーター・ヘイニングであるとして紹介していた*4。このように日本の論文でも、作者取り違えの原因はヘイニングであると紹介されていた。京都大学のリポジトリには概要だけしか掲載されておらず、本文の閲覧は国立国会図書館内のPCで閲覧するしなかい。

ci.nii.ac.jp


 こうして調べてきたなかで、一つだがずっと解決しない問題があり、気になることがあった。「死者を起こすことなかれ」は、日本の書籍では1800年作と紹介するものが幾つか散見される。だが当のヘイニングは、1800年作とは言っていないどころか、そもそも発表年月については一切名言していないのである。というのに、日本では1800年作と紹介されるのは何故なのかずっと気になって仕方がなかった。日本で1800年と紹介した一番古い書籍は、1994年に翻訳されて発売されたマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」(青土社)だと思われることが分かったぐらいだ。一番最新の研究であろう森口大地の論文でも、言及されていない。ずっと、どうやって調べたらいいのか見当もつかなかったが、中島晶也様からとある件で、海外のファンタジーやホラー小説のデータベースであるISFDBの存在を教えて頂いたことにより、調査の糸口をつかむことができた。ISFDBでは、その作品がどの書籍に収録されたのか、一覧で表示してくれる。ということは"Wake not the Dead""The Bride of the Grave"で検索し、ピーター・ヘイニング前後の作品を見比べると何かわかるのではないかと思い立った。そうして調査した結果、実はヘイニングより前に「死者を起こすことなかれ」の作者を間違えている人を発見することになった。

最初に作者を取り違えた人物

 
"The Bride of the Grave"(墓の花嫁)
www.isfdb.org


"Wake not the Dead"(死者を起こすなかれ)
www.isfdb.org


"The Bride of Grave"の検索結果


"Wake not the Dead"の検索結果


  ISFDBの検索結果は上記の通り。まず「死者を起こすなかれ」を"The Bride of the Grave"と紹介したのはヘイニングだけで、1972年に発表している。一方、"Wake not the Dead"で紹介したもはいくつかヒットした。そしてヘイニング前後にこの物語を紹介した主なものが3つある。入手した順番は、まず最初が、Christopher Fraylingが1978年に発表したアンソロジー"The Vampyre: Lord Ruthven to Count Dracula"だ。これは別件で既に手元にあった(理由は次回記事にて詳しく説明する)。ここではフレイリングは「ヨハン・ルートヴィヒ・ティークが作者だとされると、明言は避けつつもティーク作としていた。


The Vampyre: Lord Ruthven to Count Dracula
The Vampyre: Lord Ruthven to Count Dracula


 次に確認できたのは、Jeanne Youngsonが1981年に発表したアンソロジー"The Count Dracula Book of Classic Vampire Tales"だ。これは運よくeBayの販売ページで、目次ページがサンプルにありそこで確認することができた。


The Count Dracula Book of Classic Vampire Tales
"The Count Dracula Book of Classic Vampire Tales"

"The Count Dracula Book of Classic Vampire Tales"の目次

 ジャンヌ・ヤンソンは、「死者を起こすなかれ」をティーク作として紹介している。目次ページだけでは発表年月は不明だが、多分本文ページでも年月日は公開していないと思う。本当は購入して確認すべきだろうが、作者名だけは確認できたこともあって、年月日の有無を調べるためだけに購入してまで確認する気は起きなかった。こうしてヘイニング以降のアンソロジーでは、両方とも作者をティークとしていた。クロフォードが言う通り、作者をティークとして間違えたのはヘイニングがきっかけなんだろうと私は再認識した。


 この2つの後に入手したアンソロジーが、Charles M. Collinsが1967年に発表したアンソロジー"A Feast of Blood"である。ヘイニングが発表するよりも5年前にコリンズは「死者を起こすことなかれ」を紹介していた。私の頭の中では、作者名を間違えたのはヘイニング、そのヘイニングよりも前に紹介しているのならば、正しい作者ラウパッハで紹介しているだろう、それが確認できればヘイニングが間違えたという説がより際立つと思い、このアンソロジーを輸入した。そしていざ目にしたとき私はとてつもなく驚愕することになった。


A Feast of Blood
"A Feast of Blood"(出版社:Avon/1967年)
Wake not the Dead
"Wake not the Deadの作者はヨハン・ルートヴィヒ・ティーク"


 なんと、ヘイニングよりも5年前に既に、コリンズは「死者を起こすことなかれ」の作者を、ヨハン・ルートヴィヒ・ティークであると紹介していた。最初私は、何かの間違いじゃないかと思った。具体的には本当に1967年出版なのか疑ったのだが、印刷は1967年と明記されているし、ネット上でも複数のサイトで1967年著であることが確認できた。間違いなく、ヘイニングよりも前に「死者を起こすことなかれ」の作者をティークとして紹介していた事例だ。ハイド・クロフォードはピーター・ヘイニングが原因とはっきりと明言している。そして森口大地も2021年、クロフォードの論文を引用してそのように説明している。だからこそ私はこの事実を知ったときは、もう驚くしかなかった。そして、日本人である私が新発見してしまったんじゃないかと思い、思わずその胸をTwitterで呟いてしまったぐらいだ。


 だがすぐに冷静になった。海外なら私よりも先にこの事実を知っている人がいてもおかしくはないと思い、"Wake not the Dead""Peter Haining""Charles M. Collins"の3つの単語で検索したら、あっさりと「コリンズが最初である」と紹介するブログが見つかった。"Lesser-Known Writers"(あまり知られていない作家)というブログの"George Blink"という記事のコメントに書かれていた。当ブログのヘイニングの捏造シリーズ解説を見てきた人ならお分かりになるだろうが、ブログ主は吸血鬼小説「謎の男」の作者を突き止め、ヘイニングの不正を色々調査を行ったことがあるダグラス・A・アンダーソン氏のブログだ。そのアンダーソン氏が「死者を起こすことなかれ」の作者間違いに言及していたのだ。


2012年5月28日の記事
desturmobed.blogspot.com


 内容はジョージ・ブリンクという人を紹介する記事。彼の代表作は"A Romantic Drama, in Two Acts"『吸血鬼の花嫁:または、墓の住職』 (London: J. Duncombe, [1830])で、にロンドンのサドラー・ウェルズ劇場で初演された後は、イギリスの他の劇場でも上演されたものだという。そしてこの劇はエルンスト・ラウパッハの「死者を起こすことなかれ」の英訳版が元になったという。その英訳版は1823年に"Popular Tales and Romances of the Northern Nations"「北方諸国の物語とロマンス」に収録されたが、ラウパッハの名前は明記されていない、という説明がなされている。その後2012年12月26日に、アンソニー・ホッグ氏がアンダーソン氏に、「吸血鬼の花嫁」のオリジナルである「死者を起こすことなかれ」の作者は、ルートヴィヒ・ティークなのかどうかを教えて欲しいとコメントを送っていた。後のコメントで分かるがホッグは、2010年自身のブログで「死者を起こすことなかれ」を紹介しており、そこで本当の作者はラウパッハであると紹介している。そしてクロフォードの論文も見ており、ティークでなくてラウパッハが作者であると掴んでいた。だがそれでも他人の意見を聞きたくて、アンダーソン氏に質問していた。この質問に対しアンダーソン氏は、ティークではなくてラウパッハの作品であること、ラウパッハ自身のことなどを一通り説明した後、次のようなコメントを残した。


アンダーソン氏の返信


ラウパッハの物語の英訳は、"Wake Not the Dead"として、ドイツでの発表後すぐに出版された。これは、匿名で編集された3巻のコレクション”Popular Tales and Romances of the Northern Nations”(London: W. Simpkin and R. Marshall; and J.H. Bohte, 1823)の第1巻に掲載されている。その数年後、同じように匿名で編集された”Legends of Terror! ”でも、"Wake Not the Dead"は作者不明のまま掲載されている。この翻訳物語をもとにジョージ・ブリンクが書いた「吸血鬼の花嫁」という短編劇が1830年にロンドンの舞台に登場し、小さな冊子として出版されている。ここでもラウパッハが原作者であることを示すものはない。

 1960年代に入り、おそらくチャールズ・M・コリンズのペーパーバックアンソロジー"A Feast of Blood"(New York: Avon, 1967)から、"Wake Not the Dead"はルードヴィヒ・ティークの作とされ、執筆年代も「1800年頃」とされ、ティークの名と誤った年表がつくことになる。現在に至るまで、ラウパッハの物語が彼の名前を冠して英語で出版されたことはない。


 なんと2012年12月26日の時点ですでに、ダグラス・A・アンダーソンは「死者を起こすことなかれ」の作者を最初に間違えたのは、コリンズであると言及していたのだ。この質問をしたホッグも実は知っていたようで「私の興味は、ティークが「死者を起こすなかれ」の作者として帰属し始めたのはいつなのかを正確に立証したい。私はそれがヘイニングやコリンズより前に伸びたと思うので、この特別な劇(ジョージ・ブリンクの「吸血鬼の花嫁」に興味を持った」とのコメントを残している。ここまで見て疑問に思ったことは、ヘイニングのせいと論文や書籍で言いきったハイド・クロフォードや、彼女の論文を引用した森口大地はこの事実を知っているのかということ。早速クロフォードの説を読み返していたら、実は彼女もコリンズの書籍に、分かりづらいがきちんと触れていた。「死者を起こすことなかれ」の作者を間違えたのはピーター・ヘイニングのアンソロジーが原因と書いた後、次のような注釈を入れていた。この注釈は2012年の論文、2016年の本、双方とも同文だ。


クロフォードの注釈
In his book The Monster With a Thousand Faces: Guises of the Vampire in Myth and Literature,Brian J. Frost attributes the story “Wake Not the Dead!” to Ludwig Tieck and claims that Charles Collins “rescued [the story] from obscurity” in his anthology A Feast of Blood (1967) , but it has not been possible to verify Collins’ anthology as a source for “Wake Not the Dead,” nor do any of the critical editions on Gothic literature or the vampire in literature cite Collins’ anthology.
The most widely-referenced contemporary source for the story is Haining’s anthology from 1972.


その著書『千の顔を持つ怪物』の中で、ブライアン・J・フロストは「死者を起こすことなかれ」という物語を、ルートヴィヒ・ティークの作としている。またチャールズ・コリンズは、自身のアンソロジー"A Feast of Blood (1967)"において、「(この物語を)無名から救い出した」と主張している。
しかし、コリンズのアンソロジーが「死者を起こすことなかれ」の出典であることは確認できておらず、ゴシック文学や文学における吸血鬼についての批評もコリンズのアンソロジーは引用されていない
この物語(死者を起こすことなかれ)において、同時期に最も多く参照された典拠は、ヘイニングの1972年のアンソロジーである。

註:2012年の論文では、「最も参照されたものはヘイニングの1973年のアンソロジーである」としているが、これは後に出たペーパーバック版。2016年の論文では、最初に出したハードカバー版の1972年に修正している。


 クロフォードは「作者の取り違えはピーター・ヘイニング」という一文の脚注に、はっきりと明言する言い方でないが、「死者を起こすことなかれ」の作者を最初に取り違えてしまった人物はコリンズであると、分かりづらく言っていた。クロフォードもコリンズについて、実は把握していたのだ。正直、この書き方はいただけない。「死者を起こすことなかれの作者を間違えたのは、コリンズが最初。だが彼のアンソロジーを引用しているものは見かけない、だから作者間違いが広まった原因は、引用されることが多いピーター・ヘイニングのせいだと言える」という言い方を、脚注でなく本文中に言っておいても良かったのではないか。脚注で、しかも分かり辛く書く必要があったのだろうか。当時、私はこの脚注は見た覚えがある。恐らくいきなり関係ない人物の本のことに触れだしたので、よくわからないとしてこの脚注はスルーしたんだと思う。2017年に調査した時、この脚注についてもっと関心をもっておくべきだったと反省する次第だ。


 このハイド・クロフォードの論文は先ほども説明したように、京都大学の森口大地の2021年の博士論文でも引用されている。この論文でも引用されていからこそ、私も「ピーター・ヘイニングのせい」とよけいに思い込む要因となった。この事実を知った後、再度森口の博士論文を確認したが、森口はコリンズについては一切触れていないことが確認できた。森口は「ヘイニングが原因であろう」という説明の引用として、クロフォードの"The Origins of the Literary Vampire"(2016)の87ページを典拠として挙げてはいたが、脚注のページについてはどこにも明記はなかった。だが研究者である森口であるならば、脚注含めて全文は注意深く見ているはず。それでもコリンズについて触れなかったということは、森口も元凶はヘイニングであるから、コリンズについては触れる必要がないと判断したのかもしれない。可能性は低いが、もしくは単純に見落としたか。それは聞いてみないことには分からない。


 そして"Wake not the Dead"の英語wikipedia記事が、つい数か月前の2022年4月30日に新しく作られたのだが、そこでも「死者を起こすことなかれ」の作者取り違えについて触れられていた。その原因はピーター・ヘイニングであり、典拠はクロフォードの2012年の論文を挙げていた。だがそこでもコリンズについては触れられていない。wikipedia記事編集者も、コリンズについては触れる必要はないと判断したか、もしくはクロフォードの脚注は、英語圏の人でも気が付きにくいほどであったかだろう。

en.wikipedia.org


 こうしてクロフォードの脚注を見てみると、「(作者取り違えを最初に犯したのはコリンズだけど)、コリンズのアンソロは引用されることはない。ヘイニングは引用されることが多い、だから悪いのはヘイニング」という意味合いのことを言っている。確かにヘイニングの不正が知られていない当時は「凄腕の発掘者」として名を馳せていたから、彼の影響力が多大であったことは間違いない。そしてヘイニングは数々の捏造をやらかしているから、これもヘイニングのやらかし案件の一つとして数えられ、ヘイニングが全ての元凶というとらえ方をされるのも仕方がない。だがそれでも、ヘイニングよりも前に間違えた人がいるのだから、もう少し分かり易く、「コリンズが最初」と書けなかったのだろうか。コリンズが最初に間違えたということは、何件も捏造疑惑があるヘイニングとは違い、間違えてしまう要因があるということだ。そしてヘイニングはコリンズの書籍を引用した可能性だったある。間違えた責があるのはヘイニング唯一人、と誤認させるような書き方をするのはどうかと思う。私以外にも研究者の森口や英語wikipedia記事でも、脚注(コリンズ)はスルーされてしまっている。冷静に判断して解説したのは、ダグラス・A・アンダーソンだけだ。


コリンズはなぜ作者を間違えたのか

 「死者を起こすことなかれ」の作者をルートヴィヒ・ティークと最初に間違えた人物は、ピーター・ヘイニングではなく、チャールズ・コリンズと判明した。辛辣な言い方になるが、ヘイニングなら「いつものように新発見を知らしめたいがために捏造した」という可能性もある。もちろん、クロフォードは一応、ヘイニングが素直に間違えた前提でその要因を挙げてはいるが。だが、ヘイニング以外の人物が間違えたとなれば、捏造の意思はまずないと見ていい。ということは作者をティークとして間違える要因が、どこかにあったということだ。ということで、なぜコリンズが作者を間違えたのかについて説明していこう。


 クロフォードはヘイニングが間違えたであろう要因として、"Popular Tales and Romances of the Northern Nations(1823)"(北方諸国の物語とロマンス)を挙げている。ここに「死者を起こすことなかれ」は作者無記名で掲載され、その後にティークの有名な物語「金髪のエッグベルト」が収録されてことが間違えてしまった要因ではないかと推測していた。"Popular Tales"にティークの名前が出てくるのは序文の「レブレットとティークは多くの美しい伝説の作者ですが~」という一文に出てくるのみである。


Popular Tales and Romances of Northern Nations
北方諸国 第一巻(1823)の表紙と序文

北方諸国の目次と実際の物語開始ページ


上記アーカイブリンク:Googleブックス版とInternet Archive版

www.google.co.jp archive.org

 だが、ダグラス・アンダーソンは先ほど紹介したブログ記事のコメントにてクロフォードよりも、もう少し踏み込んだ考察を残している。「最初に間違えたのはコリンズ」と言及する前に、次のようなコメントを残している。そしてそのコメントを受けたアンソニー・ホッグの返信も合わせて紹介しよう。


ダグラス・A・アンダーソン
 ティークの誤記は、全米総合目録"National Union Catalog"の"Popular Tales and Romances of the Northern Nations_(1823)"の項目を読み違えた結果であると思われるが、この項目には、ドイツ語の著者名がわかっている場合は括弧書きで記載されている。第1巻の項目には、"The Sorcerers", "The Enchanted Castle", "Wake Not the Dead", "Auburn Egbert" と4つの物語が連続して掲載されており、4番目のタイトルの後に "[by J.L. Tieck]" があることから、 "The Sorcerers" "The Enchanted Castle" "Auburn Egbert" が実際にTieckの作品だということも合わせて、もう一つのタイトル "Wake Not the Dead" もTieckによるものと容易に推定されたのであろう。


アンソニー・ホッグ
それは興味深いですね。NUCの件ですが、「English prose fiction」(1892年)という本に、ティークの「Wake not the dead」(139ページ)の作者として載っていました。その本は、St. Louis Mercantile Libraryのカタログでした。


 全米総合目録(NUC)は電子書誌データベースが登場する前に、書誌情報を見つけやすくする目的で作られたもの。1901年以降、議会図書館(LC)がカード目録を主要図書館に送付し続けていたが、使い勝手が悪いしLCカードの維持管理も多大な費用が発生する。こうした事情からLCのカード目録を冊子体で刊行しようと動き、できたのがNUCである。1956年以降は最初から冊子で刊行したようだが、それ以前のものはカードのコピーを取っていったようだ。成立の経緯などは、下記を参照して欲しい。

dl.ndl.go.jp


 アンダーソンによれば、そのNUC中にある"Popular Tales(1823)"にある物語タイトルの列記方法が、作者をティークとして誤認させる要因となったという。そしてホッグも1892年"English prose fiction"というカタログに"Popular Tales(1823)"があり、そこの記述も誤解を招いたのではないかと残していた。運よくNUCもEnglish prose fictionも見つけ出すことができたので、実際見て貰った方が早いだろう。


NUCアーカイブ:総合ページ
catalog.hathitrust.org


NUC:実際の記述があるページ
babel.hathitrust.org


www.google.co.jp


en.wikipedia.org


NUCにある記述
English prose fictionにある記述
実際の収録物を分かり易くしたもの(wikipedia記事より)


 まず、ハイド・クロフォードはティークの作品は1823年の本に収録されたティークの作品は、「死者を起こすことなかれ」の後に収録されていた「金髪のエックベルト」しか触れていない。しかし「死者を起こすことなかれ」の前に収録された"The Enchanted Castle"も、ティークの作品であった。アンダーソンは"The Sorcerers"もティークの作品だとして説明しているが、これは現在では"Ludwig von Baczko"の作品だと判明しており、ブログコメント内でも指摘されている。アンダーソンも知っていたがこの時は忘れていたようで、そういえばそうだったと返信している。


 NUCにある1823年の本の収録物の記述を見てみよう。もとはカード目録だったものをコピーしたためか、かなり不鮮明で分かり辛いが、確かに"Wake not the Dead"を含めた四作品列挙したあと、[by J.L. Tieck]とあるのが確認できる。改行せずただ作品名を列挙し、しかも作者が分からないものは省略している。これは確かに間違えやすいだろう。


 そして1892年"English prose fiction"、これも非常に分かり辛い。改行すれば次のようになる。

ー Musäus,L.K.A. The Treasure-Seeker.
ー la Motte Fouqué,F.H.K.de. The Bottle-Imp.
ー The Sorcerers.
ー Tieck,J.L ー The Enchanted Castle.
ー Wake not the dead.
ー Auburn Egbert

 こちらはもっと複雑だ。最初の作品は『ー Musäus,L.K.A. The Treasure-Seeker.』と、作者名→作品名としており"ー"は最初だけにしかつけておらず、作品名と作者名の間に"ー"はない。だがティークの作品を紹介するときは『ー Tieck,J.L ー The Enchanted Castle.』と、作者名と作品名の間に"ー"を挟んでしまっている。これのせいもあったティークの名前以降にある作品は、ティークの作品であると誤認してしまうのも仕方がないだろう。何の説明や呼び知識がなければ、間違えてしまうのも無理はない。


 以上、見てきたように、アンダーソンは作者がティークと誤認された原因は1956年のNUCではないかとし(コリンズが見た当時は恐らくまだカード目録)、ホッグは1892年"English prose fiction"も原因ではなかろうかとしている。これらをコリンズが見たかどうかは一切分からない。"A Feast of Blood"内でコリンズは、「死者を起こすことなかれ」について説明しているが、なぜティークが作者と断定できたのかといった説明はしていない。現状としては、アンダーソンやホッグが主張する原因が可能性としては一番高いだろうと思う。


 だが一つだけ気になることがある。実はダグラス・アンダーソンとチャールズ・コリンズは友人関係にあったという事実だ。例のアンダーソンが運営するブログ"Wormwoodiana"の別記事において、アンダーソンはそのように言及していた。

wormwoodiana.blogspot.com


 上記は2019年にコリンズが亡くなったときに投稿した記事で、コリンズと友人関係にあること、コリンズの主な出版物として今回話題にした"A Feast of Blood (1967)"を挙げている。そしてアンダーソンは2012年に先ほど述べたように、「死者を起こすことなかれ」の作者を最初に間違えたのはコリンズと説明し、その原因を考察していた。だがコリンズと友人関係にあるのならば、間違えた原因を直接聞けたにも関わらず、それをした形跡がない。あのコメントの書き方なら、アンダーソンはコリンズに、間違えた原因を直接は聞いてはいない。友人関係というほど顔見知りの関係であるのならば、なぜ直接理由を聞かなかったのかが疑問だ。まあコリンズが病気療養していたとか、そういった込み入った事情があって聞ける状況でなかったのかもしれない。


 以上、「死者を起こすことなかれ」の作者をラウパッハでなくティークとして間違えた最初の人物は、ピーター・ヘイニングではなく、チャールズ・コリンズであることが明らかとなった。となると気になるのが、ピーター・ヘイニングはコリンズのアンソロを見ていたかのかどうかだ。残念ながらピーター・ヘイニングは自身のアンソロジーで作品を解説するときは、基本的に典拠を示すことはしない。示した時に限って、存在が疑わしい書誌を紹介するから困る。よって、ヘイニングがコリンズのアンソロを見たかどうかについては全く分からない。コリンズのアンソロを見た可能性はあるし、逆に見ておらず、ヘイニングも素で間違えた可能性も考えられる。それどころか、捏造の意思を持ってヘイニングはわざと作者を捏造した可能性すらある。ヘイニングのこれまでの所業を考えれば、そんな邪推をされてしまうところが、彼の悲しいところだろう。クロフォードも脚注で指摘していたように、作者がティークだとして広まってしまった原因は、やはり当時「怪奇文学をどんどん新発掘して有名だった」ヘイニングのせいであるという点は、一通り調査したうえでの結論であろうから、まあその通りなのだろう。


 ヘイニングの次に間違えて紹介したのが冒頭でも紹介したように、1978年のクリストファー・フレイリングだ。彼は2人のあとに間違えたわけだが、彼はなぜ間違えてしまったのだろうか。フレイリングは参考文献を紹介している。ただ資料名を列挙するのではなく、この物語や項目ではこの書籍を参考にした、というような紹介形式だ。具体的には「チャールズ・コリンズの"A Feast of Blood"からは、モンタギュー・サマーズが紹介した「謎の男」を復活させた」*5という言い方で紹介している。「謎の男」は過去記事で紹介した通り、作者がずっと不明だった吸血鬼小説で、文字通り受け取るのであれば、コリンズの本から参考にしたのは「謎の男」だけだ。だが通常、一つの作品だけしか見ないってことは考えにくいので、フレイリングはコリンズの本を一通り見たはず、つまりコリンズの本から「死者を起こすことなかれ」を知った可能性は大いにある。だがフレイリングは作者を「ヨハン・ルートヴィヒ・ティークだとされる」と確定でないことを明確に意思表示している。フレイリングはコリンズの解説は見たと思われるが、決して鵜呑みにはしなかったことが伺える。


フレイリングは作者は確定させなかった


 フレイリングの後に紹介したひとがジャンヌ・ユンソンの1981年のアンソロジー"The Count Dracula Book of Classic Vampire Tales"だ。こちらは目次ページでしか確認していない。だがこの3名のあとなので、3名の解説のいずれかをみて、そのまま間違えて紹介したのではないかと思う。本当は買ってみるべきだが、金銭的労力的な面で面倒であるので、断念した。


 ハイド・クロフォードは、「死者を起こすことなかれ」の作者間違いは、ピーター・ヘイニングが原因だとし、コリンズの影響はまずないという旨の発言をしている。ヘイニングが数々の捏造をやらかしており、信用がないということもそうした意見がでる要因であるかもしれ*6。しかし、ヘイニングは色々と不正を行った人物ではあるが、彼の不正でないと思われる部分については、それはそれできちんと把握し区別しておかなければならない。そういった理由で今回急遽解説することにした。英語wikipediaの記事ではクロフォードの論文を引用して、ヘイニングのせいであると紹介されているが、近いうちに「コリンズが最初である」という事実も追記しようかと思う。


 ちなみにアンソニー・ホッグは「作者の取り違えは、ヘイニングやコリンズよりも前だと思う」と言っているが、これを立証することは困難だろう。現状は、コリンズが最初に間違えてしまい、ヘイニングも知ってか知らずかは不明だが、ヘイニングも立て続けに間違えてしまったという事実しか分からない。


 ところでダグラス・アンダーソンの返信コメントのあとは、例のごとくピーター・ヘイニングの捏造疑惑の話になっていった。アンダーソンは、ヘイニングのテキストや出典については、あまりにも大胆な嘘が多いので、私はヘイニングのことを信用できない。彼の書いたもので、他に証明されていないものはすべてチェックしなければならないと、辛辣だが当然なことを指摘していた。当ブログで最初に紹介した吸血鬼小説「骸骨伯爵」の捏造についても触れていた。そして読み進めると、まだ私が把握していなかったヘイニングの捏造案件についても説明していた。いや、前回紹介したとき、まだあるかもしれないが流石にこれで打ち止めだろうと思っていたのだけれど、まさかこんなところで言及されているとは。しかもその内一つは、1890年代の日本で紹介されているぐらい有名な作品なのに、捏造を働いていたものだから、もう唖然するしかなかった。その件については別記事で紹介しよう。


 さて、そもそも今回の調査目的は「死者を起こすことなかれ」がなぜ1800年作とされてしまったのかを調査するため。コリンズが間違えたというのは、その過程で判明したに違いない。当初の目的である1800年と間違えられた原因は確定させることはできないが、筋の通る推論を立てることができた。そのあたりの経緯は、日本において作者がティークとして誤って伝わったのは、ヘイニングは関係がなさそうであるということも含めて、次回記事で紹介しよう。


 「死者を起こすことなかれ」は、英米では長らく作者は間違えられて紹介されて続けてきたが、ドイツ周辺国ではずっと正しい作者ラウパッハで紹介されている。それどころか"Lasst die Toten ruhen"の題名の吸血鬼アンソロジーが、ドイツでは発売されている。キンドル版もあり、日本でも購入が可能。今回紹介した京都大学の森口大地はこのアンソロジーを元に、他の吸血鬼作品について論じている。ドイツ語が読める方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。そして1823年「ミネルヴァ」誌に収録された初版のアーカイブリンクも合わせて紹介しておきます。


babel.hathitrust.org


 最後に宣伝を。2022年5月30日に、東京創元社から吸血鬼小説アンソロジー「吸血鬼ラスヴァン」が刊行された。これはブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ(1897)」以前の吸血鬼小説を集めたアンソロジー集。私はゲームやアニメの吸血鬼しか知らない層に「ドラキュラ以前にも吸血鬼作品は沢山あった」ということを言いたいがために、このブログやニコニコ動画で啓蒙活動を行っているが、そんな私にとってドンピシャな一冊だ。マシュー・バンソンの吸血鬼の事典でも紹介されていない作品も網羅されていて、私も知らなかった作品もいくつかある。吸血鬼とはドラキュラだけに限らずということが分かる一冊。吸血鬼に興味がある方にはぜひこれを機に読んでみてはいかがでしょうか。電子書籍版もあります。

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*1:物語を読めばわかるが、ヴァルターは魔術師に「死んだ妻を生き返られくれ」と頼むも魔術師は「死者を起こしてはならぬ”Wake not the dead”」と警告する。このフレーズは物語中何度かでてくる。そしてここで使われている"Wake"は他動詞である。だから死者が自発的に起きようとする意味ではなく、他人が死者を起こしてはならないという意味が正しい。それでも「死者よ目覚めるなかれ」と紹介するのは、まだまだこの経緯を知らない人が多く、検索性を高めるためる意図で、適切でない題名も紹介している。

*2:当時は38ドルの買い切りのみだだったが、現在は閲覧日数によって料金が選べる。クレジットカードがあれば日本からでも購入できる。

*3: "ß"は現在では使われないので、現在は"Lasst die Todten ruhen"と表記される。 ß → ss

*4:森口大地 p.129

*5:Christopher Frayling "The Vampyre: Lord Ruthven to Count Dracula"(1978) p.427

*6:但し、クロフォードはヘイニングの数々の不正については一切触れていないので知らない可能性もある。だが英語圏の人ならば何かしらの噂を知っていてもおかしくはない。コリンズの件を知っていたのにヘイニングのせいにしているのは、やはり数々の捏造疑惑があると知っていたからではないかと思っている。