吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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女性作家による最初の吸血鬼小説「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」が捏造作品だったことについて【ピーター・ヘイニングの捏造疑惑①】

シリーズ目次(クリックで展開)吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?(ヘイニングの不正を知る前の記事)
①この記事
古典小説「フランケンシュタインの古塔」はピーター・ヘイニングの捏造?他にもある数々の疑惑
ホレス・ウォルポールの幻の作品「マダレーナ」が、別人の作品だった
女性で最初に吸血鬼小説を書いたエリザベス・グレイという作家は存在していなかった
ドラキュラに影響を与えた作者不詳の吸血鬼小説「謎の男」の作者が判明していた
ドラキュラのブラム・ストーカー、オペラ座の怪人のガストン・ルルーなど、まだまだある捏造疑惑
吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」の作者を間違えたのは、ピーター・ヘイニングではなかった?
吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」を1800年作と紹介してしまったのは誰なのか
【追補】吸血鬼小説「謎の男」の作者判明の経緯について
アメリカ版「浦島太郎」として有名なリップ・ヴァン・ウィンクルの捏造


 エリザベス・キャロライン・グレイが1828年に作り、英国のアンソロジストのピーター・ヘイニングにより1995年に初めて紹介された吸血鬼小説「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」"The Skeleton Count, or The Vampire Mistress"という作品が、イギリスの有名なホラー・アンソロジストであった故ピーター・ヘイニングによる捏造作品である可能性が極めて高いことが判明しました。そして「骸骨伯爵」を発端に、イギリスでホラー・アンソロジストとして名を馳せたピーター・ヘイニングという人物が、過去の功績が実は数々の不正をしていた可能性が極めて高いことも判明しました。


 実はニコニコ動画の方では既に解説済みで文章であとで残そうと思っていたらずるずると伸びたので、「吸血鬼の元祖」解説シリーズは少しお休みして、今回紹介することにしました。ピーター・ヘイニングはその筋では有名な方なのですが、彼の功績が不正によって得られた可能性が高いことについては、日本ではほぼ知られていないと思われます。


 「骸骨伯爵」と聞いてもどんな作品なのか知らない方が大半だと思われるので、「骸骨伯爵」のこれまでの立ち位置から説明していきます。ニコニコ動画では既に解説済みであるので、結論を早く知りたい方は、下記の動画をご覧ください。



「骸骨伯爵」と発見者ピーター・へイングについて

吸血鬼文学年表

 上記の年表は、マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」(1994)より、私が手を加えたもの。その中の1828年のエリザベス・キャロライン・グレイの「骸骨伯爵」は、「吸血鬼の事典」では紹介されていない。それもそのはずで、「吸血鬼の事典」の原著が発売された1993年よりも後の1995年に、イギリスでホラー・アンソロジストとして名を馳せた故ピーター・ヘイニングよって、その存在が初めて公にされたからだ。

 「骸骨伯爵」はピーター・ヘイニングのアンソロジー”The Vampire Omnibus(1995)”において、吸血鬼が登場するシーンのみ抜粋する形で初めて公開された。日本では風間賢二氏により「ヴァンパイア・コレクション」:角川文庫(1999)という題名で翻訳された*1。「ヴァンパイア・コレクション」は元より、原著の"The Vampire Omunibus"も日本のAmazonで、ハードカバー版、ペーパー・バック版両方購入が可能だ。


ヴァンパイア・コレクション
”The Vmapire Omunibus”のペーパー・バック版を入手。かなり分厚いです。


 さてこの”The Vampire Omnibus(1995)”に収録された作品だが、ブラム・ストーカーのドラキュラより古い作品から、現代作品まで様々だ。有名どころで言えば、大デュマの「蒼白の貴婦人」、映画にもなったアン・ライスの「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」、数々の作品が映画されたホラーの帝王・スティーヴン・キングの「新・死霊伝説」などが目白押しだ。だが本アンソロジーの目玉は何といっても、エリザベス・キャロライン・グレイの「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」"The Skeleton Count, or The Vampire Mistress"だろう。理由は先ほども述べたように、この作品はその存在が完全に忘れられていたもので、ピーター・ヘイニングがそれを発見*2、”The Vampire Omnibus”にて初めて公開したからだ。「骸骨伯爵」という作品がどのような評価を受けていたのかを説明するには、まずピーター・ヘイニングという人物について先に説明しておかなければならない。

ピーター・ヘイニング
ピーター・アレクサンダー・ヘイニング(英語wikipedia)
(1940~2007)


モンタギュー・サマーズ
オーガスタス・モンタギュー・サマーズ(英語wikipedia)
(1880~1948)


 そもそも、こうした古典怪奇文学を語る上で欠かせない人物として、自称聖職者モンタギュー・サマーズ師がいる*3。サマーズ師は魔女・狼男・吸血鬼といった存在を初めて学術的に引用に値する論文を書いた人で、彼の書いた論文は今なお初期研究として引用されるほどだ。そんなサマーズ師のもう一つの功績が、当時忘れ去られそうになった怪奇小説をどんどんと発掘して世に公開したことだ。吸血鬼関連で言えば1847年の吸血鬼ヴァーニー、今こうして世に公開されているのも、サマーズ師によるところが大きい。こうしたことから魔女や狼男の初期研究よりも、見知らぬ怪奇文学の発掘のほうこそ功績が大きいと唱える人もいるほどだ。


 だがそんなサマーズ師よりも、それ以上に恐ろしい勢いでどんどんと珍しい怪奇文学を発掘した人物がいる。その人こそがピーター・ヘイニングであると、あの荒俣宏氏は「怪奇文学大山脈Ⅰ」において紹介している*4。とてつもない凄腕の発掘者として、生前のヘイニングは有名だった。


 ヘイニングの経歴は、”The Vampire Omnibus”の翻訳者である風間賢二氏が「ヴァンパイア・コレクション」の巻末において、簡潔に紹介してくれている。英語wikipediaにも専用の記事も存在する。ヘイニングは1940年生まれで2007年に67歳で亡くなった。このヘイニングの生まれ年は頭の片隅に入れておいて欲しい。少年時代に「ジキル博士とハイド氏」の映画を見たことがきっかけで、ホラーの虜となる。1963年には大手出版社ニュー・イングリッシュ・ライヴラリーの編集者となる。ホラーは勿論のことファンタジーやミステリーにも精通し、豊富な知識と優秀な編集能力により1970年には編集部長にまでなっている。しかも編集者を務めるかたわら、イギリスの作家と共著で小説も刊行している。アンソロジストとしては、1965年に刊行した古典的なゴースト・ストーリーもの『鏡地獄』がデビュー作。以降、数々の怪奇幻想テーマのアンソロジーを編纂。1972年には退職し、以降はフリーの著述家・アンソロジストとして本格的な活動を開始した。とくに斬新な視点と作品選択の炯眼が凄かったという。へイニングは怪奇幻想小説の分野で最も多産なアンソロジストとして知られており、またその手の編者としてだけでも生活できる数少ない人物だとも言われていた。デビュー作「鏡地獄」をネットで調べてみたところ、江戸川乱歩の「鏡地獄」のことであった。他にも乱歩の「芋虫」が収録されている。2作目となるアンソロジー”Beyond the Curtain of Dark”では、乱歩の「人間椅子」を収録するなど、初期のころは乱歩の作品を好んでいたことが伺える。


 ヘイニングのアンソロジーの特色として一つ目は、独自の視点で作品をコレクションしていることはいうまでもなく、興味深いテーマの設定、つまり切り口が面白いことにあること。そして理由の2つ目は、マニアには非常に嬉しいことで、へイニングのアンソロジーには、ほとんど知られていない作家や作品が必ず何本か収録・紹介されていることだという*5


 以上、荒俣氏や風間氏が述べるように、ヘイニングは人気のホラー・アンソロジストであったのだが、その理由が、彼のアンソロジーにはほぼ毎回、これまで知られていない忘れられていた怪奇小説を発掘して紹介していたことだ。ゴシック・ロマンス、あるいは怪奇文学といったジャンルを好む人たちからすれば、ヘイニングのアンソロジーはさぞ愉しみであったことだろう。


 話を「骸骨伯爵」に戻そう。ここまで解説を聞けばおおよそ察せられたことだと思う。「ヴァンパイア・コレクション」に収録された「骸骨伯爵」は、ヘイニングが紹介するまではすっかり忘れられていた存在で、これもヘイニングが「発掘」した怪奇小説の一つだ。それが今回は吸血鬼の作品であったということになる。これは19世紀の労働者階級に人気を博した俗悪三文小説ペニー・ドレッドフルの一つだという。ペニー・ドレッドフルについては、いずれ「吸血鬼ヴァーニー」の解説記事で詳しく説明するので、ここでは簡単に説明する。


 ペニー・ドレッドフル(PD)は特定の出版社の書籍名を表すのではなく、いつの間にかできたスラングで、他にもペニー・ブラッド、ブラッド・アンド・サンダースなど、多種多様な呼び名がある。ライトノベル、なろう小説などと一緒であくまで一般名詞で、最盛期には出版する会社が100社以上もあったという。これは単一の小説を僅か1ペニーで週刊販売していたものだ。現代では少年ジャンプ、青年向けに週刊ヤングジャンプなどといった漫画雑誌があるが、ペニー・ドレッドフル/ブラッドはやや乱暴な例えをすれば、単一作品のみの週刊少年ヤングライトノベル、週刊ヤングライトノベルと言えば、何となくイメージは掴んでいただけたかと思う*6。ペニー・ドレッドフルは労働者階級の受けを狙って、エロ・グロを前面に押し出した作品が多かった*7。またチャールズ・ディケンズを筆頭に、とにかく有名な作家の作品の剽窃が横行した*8。当時は少年犯罪の温床になるとして社会問題となったほどである。


 ペニー・ドレッドフルで特に人気だった版元の一つが、実業家エドワード・ロイドが興したエドワード・ロイド社のもので、通称ソールズベリ・スクウェア・ノヴェルズと呼ばれていた。その中でも一番人気を博したとされる作品が、今回の「骸骨伯爵」と同じ吸血鬼物語である、1845年から47年にかけて連載された「吸血鬼ヴァーニー」だ。吸血鬼ヴァーニーに関してはいずれ記事にして紹介予定だ。エドワード・ロイドは今回の骸骨伯爵とも大いに関係があるので覚えておいて欲しい。その他詳しいことは、最近ペニー・ドレッドフルのwikipedia記事が出来たのでそれを参照するか、私の吸血鬼ヴァーニーの解説動画でも解説しているので、そちらをご覧頂きたい。



 さて「骸骨伯爵」はそんなペニー・ドレッドフル作品の一つであり、160年もの間忘れ去られていた作品だとしてヘイニングは紹介した。しかも女性が書いた最初の吸血鬼小説だということもあって、界隈を大いに驚かせた作品だ。この作品を日本で紹介したものは、ヘイニングのアンソロジーの翻訳版「ヴァンパイア・コレクション」と、それを参考にした「萌える!ヴァンパイア事典」ぐらいしか見たことがない。私も最初に解説を見たときは、実に興味をそそられた。ということで、「骸骨伯爵」という作品について、そしてエリザベス・C・グレイという人物について、まずは「ヴァンパイア・コレクション(pp.18-20)」にあるヘイニングの解説から紹介しよう。グレイに関しては英語wikipediaからも紹介しよう*9


 まずこの「骸骨伯爵」を掲載していたのは、ペニー・ドレッドフルのうちの一つ「カスケット”The Casket”」に収録されていたものだという。ヘイニングに骸骨伯爵の追跡に駆り立てた指折りの古書業者、故G・ケン・チャップマンによれば、『カスケット』はとびきり劣情的な週刊三文新聞だという。残忍なゴシック小説の短編に始まり、病的な詩、ニュース記事などがあり、各号のフロントページにはメインとなる小説を題材にした、木版による陰惨なイラストが掲載されていた*10。これでもかというぐらいのゴシップ誌だったようだ。多くのペニー・ドレッドフルは希少になったが、この『カスケット』と例にもれず、非常に希少となった。蒐集家のデイヴィット・フィリップスが何年か前に装丁された合本を発掘しなければ、「骸骨伯爵」は跡形もなく消え去っていただろうという。このページが黄ばんでもろくなった雑誌が発見されたおかげで、私(ヘイニング)は物語の一部を抜粋したうえ、ここに再録することができたとある。そう、骸骨伯爵に関して言えば実際の発見者は、デイヴィット・フィリップスなる人物ということになる。


 さて、そんな「骸骨伯爵」の作者、エリザベス・C・グレイについてだがヘイニング曰く、その生涯は欲求不満を覚えさせるほど知られていないという。それでもヘイニングは色々調査したようで、記録によれば彼女は、ロンドン生まれで旧姓はエリザベス・ダンカン。ミス・ダンカンという人気のメロドラマ女優の姪っ子にあたる。叔母のミス・ダンカンは、最初の吸血鬼小説を生み出したジョン・ポリドリの「吸血鬼」*11から派生した吸血鬼劇「島の花嫁」に出演していたことがある。なのでエリザベス・グレイはそれを見ていた可能性があり、そこから骸骨伯爵の着想を得た可能性がある。ポリドリや「島の花嫁」については、現在連載中の「吸血鬼の元祖解説」シリーズを参照して欲しい。そんなエリザベスは若いころは、シティ・ロードで女学校を経営していた。やがて彼女はモーニング・クロニクル紙で働いていた、カーネル・グレイというジャーナリストと結婚する。そして夫のカーネルは妻エリザベスを、当時ペニー・ドレッドフルの出版社として有数の存在だった社長のエドワード・ロイドに紹介した。


エドワード・ロイド
エドワード・ロイド(英語wikipedia)
(1815~1890)


 エドワード・ロイドについて吸血鬼ヴァーニーの解説記事を作成予定なので、そこで詳しく紹介する。ともかく夫の縁からエリザベスはエドワード・ロイドと出会い、彼の秘書を経て編集主幹となる。当然、ペニー・ドレッドフルを執筆するハック・ライターたちを束ねる立場となる。ハック・ライター*12はやや軽蔑的に思われていた職業で、質よりも量を求められた物書きだ。文章1文字あたりか、1行あたりの単価で報酬が決まっていた。その為文字数を稼ぐことに躍起、個人でひねり出せるアイデアもすぐに限界に来るため、剽窃が横行することになった*13。ハック・ライターたちの奇想に付き合うという仕事の性質からして原稿が間に合わないことがあり立場上、彼女自らペンを執る場合もしばしばあったという。そういうことをしていく内に、彼女自ら小説を執筆するようになる。代表的な作品は、1846年に発表した「手探りの試練」。英語wikipedia記事によればペニー・ドレッドフル作品の一つなようだ。このメロドラマは好評を得た為、彼女は100ギニーの褒賞を得ることとなった。そしてこの作品は、先ほど紹介したモンタギュー・サマーズ師による書評も残っている。彼は1940年の「ゴシック書誌」”Gothic Bibliography”において、「この小説は多くの点で馬鹿げた小説だが<スリラー>として銘打たれた今日の小説の大半ほどには馬鹿げていない」と評価した。ここでゴシック書誌の出版年月である1940年という数字を、頭の片隅に入れておいて欲しい*14次回の記事で関係してくる


 風間氏が紹介していない作品は英語wikipedia記事に羅列されている。まず英語wikipediaにあるなかで一番古い作品は「デ・ライル、または不信心な人」”De Lisle: or, The Distrustful man”で、これは「骸骨伯爵」と同じ1828年に作られている。代表的な「手探りの試練」と同じ1846年には「シビル・レナード」”Sybil Lennard”という作品を作っている。これは銀のフォーク小説というジャンルだ。銀のフォーク小説は正式にはファッショナブル・ノベルと言うようで、英語wikipedia記事が存在している。上流階級と貴族の生活を描いた19世紀のイギリス文学のジャンルで、1820年から40年代にかけてイギリスで流行したという。日本では検索にヒットしないことから、まず知られていないジャンルだろう。このようにエリザベス・グレイは、ペニー・ドレッドフル作品も手掛けていたが、どちらかといえば銀のフォーク小説作家として名を馳せたらしい。ちなみに、「吸血鬼の元祖解説」シリーズで紹介した最初の吸血鬼小説、ジョン・ポリドリの「吸血鬼」をバイロン作として売り出した編集者のヘンリー・コルバーンは、銀のフォーク小説の主要な編集者として有名だそうだ*15


 ともかくこうして小説家にもなったグレイは、71歳でこの世を去るまで健筆をふるったという。英語wikiepdiaを見る限りでは「骸骨伯爵」も含め、実に33もの作品が紹介されている。数々の作品があることが判明しており、とくに「手探りの試練」に関しては、サマーズ師が1940年に書評も残している。「骸骨伯爵」と同じ年につくった「デ・ライル」も、前からその存在は確認できていたようだ。そんな状況において、「骸骨伯爵」だけはヘイニングによって発見されるまで忘れ去られていたということになる。こうして聞くと実に不自然な状況だろう。なぜ彼女の「骸骨伯爵」だけが忘れ去られていたのか。まあ実際は彼女の作品でなかったというオチであるのだが。


「骸骨伯爵」を見たときは驚愕した理由

 私が初めて「骸骨伯爵」を読んだときは大いに驚愕した。なぜなら吸血鬼ベルタ・クルテルが第二犠牲者を襲う時、首筋の肌に鋭い歯で突き刺し、首筋の血管から血を吸ったという描写があったからだ。実は最初の吸血鬼小説、ジョン・ポリドリ「吸血鬼」では、首筋を食いちぎるという荒々しい方法であり牙の描写はない。牙が登場したのは、1845年連載開始の吸血鬼ヴァーニーからだとされている*16。実際、ヴァーニー以前の作品を出来る限り確認したが、牙の描写が見受けられる作品はヴァーニーまで見受けられなかった*17。また、作中では「吸血鬼に襲われたものは吸血鬼化してしまう」ということが示唆されている。あくまで示唆なだけであるがそれでも、「吸血鬼に襲われた者は吸血鬼化する」という設定を創作に取り入れたのも、「骸骨伯爵」が最初ということになる。これも「骸骨伯爵」以前は、吸血鬼ヴァーニーが最初だとされていた。ヴァーニーも実際に吸血鬼化することはないが、吸血鬼に襲われて複雑な条件をクリアすれば吸血鬼化してしまうことが示唆されている。


 実は「ヴァンパイア・コレクション」には、220章ほどある「吸血鬼ヴァーニー」の終盤の三章分が紹介されており、それにも当然ヘイニングの解説がついている。ドラキュラにも影響を与えたとされ、当時のペニー・ドレッドフルのなかでも1番人気を博したとされる「吸血鬼ヴァーニー」の作者のジェイムズ・マルコム・ライマー*18は、エドワード・ロイド社のドル箱ハック・ライターであった。そしてエリザベス・グレイはエドワード・ロイド社に在籍しており、ライマーに先んじて「骸骨伯爵」という吸血鬼小説を刊行している。このあたりからヘイニングは個人的な推測にしか過ぎないとの断りを入れつつも、ライマーとミセス・エリザベス・グレイとの付き合いは確実にあっただろうし、吸血鬼ヴァーニーのアイデアを示唆したのか彼女だったのではないかとの疑問は退けることができないと述べている。とはいえ、おそらく編集者だったグレイは、それまでの自分の経験にもとづき、こうした企画を積極的に推し進めていただろうともヘイニングは主張している。吸血鬼ヴァーニーがエドワード・ロイド社から刊行されていたということは、私も事前に知っていた。だからヘイニングの解説を見たときの私はヘイニングの意見に同意した。そして「吸血鬼ヴァーニー」の牙のアイデアは、エリザベス・グレイが示唆したのではないか、その可能性は完全には否定できないと思っていた。まあ実際はなんら影響を与えていなかったのだが……


 ヘイニングのまえがきを読むと、”The Vampire Omnibus(1995)”で紹介したのはあくまで吸血鬼が登場するシーンのみ。最終的なストーリーの結末は、そのまえがきにて説明している。ということで簡単にストーリを紹介していくが、正直今回の趣旨では詳しく内容を説明しても仕方がない。私の動画ではもう少し詳しく紹介しているので、気になる方はそちらをご覧頂きたい。

 ラーフェンスブルク城城主のロドルフ伯は、不老不死の霊薬を作り出そうと、錬金術に傾倒していた。その過程で悪魔ルシファーとの契約により、7日後から執行される「夜だけ骸骨になる」という条件と引き換えに長寿を得る。その後、不死の霊薬を完成させたロドルフ伯は、付近で一番美しい娘、不幸にも死んでしまったベルタ・クルテルの遺体を入手、霊薬で復活させる。伯爵が骸骨となることも受け入れ、お互い相思相愛となる。だがベルタは実は吸血鬼となって復活しており、ロドルフ伯はそれを知らなかった。夜に血を求めるようになるベルタ。最初の犠牲者は噛みついた途端に悲鳴をあげられて失敗。二人目の犠牲者は首筋の肌に鋭い歯で突き刺し、首筋の血管から血を吸った。恐るべき怪物の歯の刺し穴は、蛭が吸いついたぐらいのものに過ぎなかったので、2人目はすぐにはバレなかった。だがずっと隠し通せるはずもなく、痛みにより目覚めた娘に叫び声をあげられて逃げることに。この時姿を見られてしまい、連日の吸血鬼騒ぎは死んだはずのベルタ・クルテルに違いないとなり、吸血鬼に襲われたものは吸血鬼になってしまうと村人たちは恐れる。このままでは、村の若い娘全員が吸血鬼に変えられてしまう、墓を確認しよう。墓をあばくとベルタの遺体がない、いよいよベルタが吸血鬼になったと確信する村人たち。またラーフェンスブルク城の執事がやってきて、最近入城した若い娘がベルタ・クルテルかもしれない、食物も一切口にしないのでおかしいと告げる。こうして村人たちはラーフェンブルク城へと攻め込む。なんやかんやで戦いが始まる。村人たちの「吸血鬼を出せ!」という叫び声で、ベルタが吸血鬼であったことをようやく知るロドルフ伯。さて日が落ちて伯爵が骸骨になる瞬間が訪れた。最初は骸骨になれば村人も恐れをなすだろうと踏んでいたが、むしろ村人の士気は上がってしまい、ロドルフ伯の城の者たちの方が「ロドルフ伯の方が化け物じゃないか、村人は正しい」と判断し、戦いを放棄。村人たちは、ベルタ・クルテルを捕える。どうやって始末するか話し合いの末、鍛冶屋の「二度と復活できないよう、再び棺桶に押し込み、杭を打ち付けよう!」という意見が採用される。哀れベルタは、腹におもいっきり杭を打ち込まれ、断末魔の苦しみで震えるなか、墓を踏み固められてしまう。ラーフェンブルク城も焼け落ちてしまった。吸血鬼騒ぎが終わったが好奇心のある農民が、ハンサムなロドルフ伯がどうなったか気になって、焼け落ちたラーフェンスブルク城を訪れた。夜が開けると薄気味悪い骸は、瞬く間にロドルフ伯の姿を取り戻した。ロドルフ伯は崩れ落ちた自分の城をみて、壊れた門から外へと出ていった。農民は自分が見たことを村へと伝えた。そしてこの骸骨伯爵と吸血鬼の愛人の話は瞬く間にドイツ中に伝播した。ベルタに襲われたミナとテレサは何ら影響はなく、村人たちは二度と吸血鬼に悩まされることはなかったという。


 以上が”The Vampire Omnibus"や「ヴァンパイア・コレクション」で紹介された部分だ。何度も言ったようにこれは「骸骨伯爵」において吸血鬼が登場するシーンのみ抜粋したもので、この物語にはまだ続きがある。そしてヘイニングはまえがきにおいて、この物語の最終的な結末を簡単に紹介しているロドルフ伯爵は200年後に荒れ果てた自分の城に戻ってくる。しかし200年前とは違って、村人たちは超常なる存在となったロドルフ伯爵を恐れなくなった。ロドルフ伯爵は逆に追い詰められて、ベルタと同様に柩に押し込めて杭を刺されて死んでしまうという結末を迎える。このように、ヘイニングがアンソロジーで紹介した部分は全体の一部分だけである。


 この物語を初めて読んだときは先ほども述べたように、最初に吸血鬼の牙が生えた吸血鬼は「吸血鬼ヴァーニー」が最初だと思っていたので、それよりも古いこの作品で「吸血鬼の牙」の描写があったため本当に驚いた。当然私は色々なサイトを調べてみたが、骸骨伯爵に関する情報自体がなかなかヒットしなかった。そもそも当時、吸血鬼ヴァーニーの英語wikipedia記事の存在を知らず、THE GATE TO DARKNESSというサイトの「吸血鬼の容姿の歴史」というサイトの記述を鵜呑みにしており、英語wikipediaを確認するという発想がこの時の私にはなかった。こうしてこの時の私は、「吸血鬼の牙」のついて新説を見つけたかもしれないと思ったほどだ。だがすぐ冷静になった。私が気が付くなら、海外の人がすでに気が付いているはずだと。実際「最初の吸血鬼の牙」なんて、論争する以前の問題であったことを、私は後に思い知ることになる。


 その他の物語の感想としては、西洋文学にありがちな日本人には分かりづらい小難しい言い回しがあまりないこと、翻訳が分かり易いこともあって、当時の西洋文化に疎い私でもスラスラと読めた。これは翻訳のおかげもあるのだろうが、文章が割と現代的だと思った


「骸骨伯爵」の捏造疑惑を知る

 私が「骸骨伯爵」読んだのは、確か2013年か2014年のころ。そして私は2015年からニコニコ動画で吸血鬼解説を始めた。そして2018年、相互フォローの方が「吸血鬼の牙」の描写っていつ始まったのだろうとTwitterで呟いたものだから、「吸血鬼ヴァーニー」が最初だとされていますが、実際はそれより古い「骸骨伯爵」かもしれませんと返信した。この時はそれで終わったが、ふと気になった。以前調査したときは有用な情報は得られなかったが、この時は吸血鬼ヴァーニーの英語wikipedia記事の存在を知った後。もしかしたら骸骨伯爵のwikipedia記事もあるかもしれない*19、英語wikipediaは日本では知られていない情報があることは吸血鬼ヴァーニーで学んだし、一度見てみようと思いたった。そしたらそこに驚愕のことが書いてあった。下記はその時の私のTwitterでのつぶやき。


 「骸骨伯爵」のwikipedia記事は内容を紹介する記事ではなく、その存在の疑義を論ずる内容であったのだ!最初に見たときは、ただただ唖然とするしかなかった。女性作家による最初の吸血鬼小説、そして吸血鬼の牙がでた最初の作品かもしれないと思っているなか、この事実は最初は受け入れがたいものだった。だが結論から言えばこの作品は存在自体が怪しく、これまで解説したことは全部デタラメである可能性が非常に高いと言わざるを得ない、という結論に至った。


「骸骨伯爵」の英語wikipedia記事


 実は「骸骨伯爵」の英語wikipedia記事は、文学的なデマの論争は個別記事でする必要がないなどの理由で、現在はエリザベス・グレイの記事に統合されてしまった。実際、先ほどのリンクを踏むとリダイレクトされる。編集履歴からは現在でも見ることが可能。


 ヘイニングは”The Vampire Omnibus(1995)”で初めて「骸骨伯爵」を紹介したわけだが、wikipediaの書き方を見るに、証拠となる実物は一切公開していないとのこと。ヘイニング自身が「160年ぶりに発掘」と紹介しているものだ。女性作家による最初の吸血鬼小説でもあるわけだから、まずなによりも「骸骨伯爵」が収録された実物の「カスケット」そのものを公開すべきだ。実物を見せなければ「骸骨伯爵」が本当に存在していたかという証明ができないことは、誰が言わずともわかること。まさか実物の公開すらしていないとは思いもしなかった。せめて写真でもいいから実物を公開するべきだろう。実物が世に公開できない理由はあるのだろうか。だが実物を見せないにしても、公開できるものがある。そう、「骸骨伯爵」の最終的な結末だ。ヘイニングは”The Vampire Omnibus"「ヴァンパイア・コレクション」のまえがきで、200年後に戻ってきたロドルフ伯が殺されてしまうという、物語の最終的な結末を紹介している。ということは、少なくともその結末のあたりは、一文字残らず文章を公開できるはずである。まさかこんな「新発見」した文学の文章を見ただけで覚えたわけではあるまい。少なくともコピーは手元に残しているはず。だがそれも実行した形跡がない。自身のアンソロジーにおいて最初に紹介する際、内容を抜粋して紹介するのは理解できる。だがこの作品は今まで誰も知らなかった作品であるのだから、それとは別に実物の写真や全体の内容を、誰に言われずと公開すべきだ。そもそも、アンソロジーで紹介する前に、まずは物語全文を公開する方が先だと思うが……なぜ一部だけ公開してあとは公開しないのか。情報を秘匿する必要性がまるで感じられない。なにかやましいことがあると言われても仕方がないだろう。


ペニー・ドレッドフル
ペニー・ドレッドフルのビックスリー


 上記はYesterday's Papersという海外サイトが紹介している実物のペニー・ドレッドフルの一例。右下が何度も紹介した吸血鬼ヴァーニー。このように、「骸骨伯爵」より後のペニー・ドレッドフル作品でもこのボロボロ具合である。だから「骸骨伯爵」も痛めたくないから公開したくないのかもしれない。実際、ヘイニングも「黄ばんでもろくなっている」と言っているが、だとしても詭弁だ。マイクロフィルムで保存なんてのは昔からあるし、骸骨伯爵より古い書籍でも平気でスキャンして、Googleブックスなどでアーカイブを公開するなんて例は、ごまんとある。もし痛めたくないのなら、最初の発見者であるデイヴィット・フィリップスが写真を取らせればいいだけの話である。そもそも内容を確認するために本をめくっているわけだから、写真だって撮れるはず。ヘイニングはこの物語を紹介したわけだが、まさか一文字残らず書き写したわけではあるまい。なんらかの方法でコピーを取ったはず。それこそ一番簡単かつ傷めずに済む方法は、写真を撮ることである。上記でみせたペニー・ドレッドフルの写真のように、せめて写真撮影すらしなかったのかという疑問は、誰しもが思うことだろう。それすら嫌なら、そもそも誰にも見せるべきではなかった。そしてもう一つ気になるのが、この作品はそもそも蒐集家のデイヴィット・フィリップスが発見したもので、ヘイニングはあくまでコピーを貰っただけだ。ということはフィリップスも実物の公開を拒んでいるということになる。こうして疑義が生じたのだから、発見者であるフィリップスが、表立って証拠を見せなければならない立場だ。だがやっぱりそれすらしている形跡は見当たらない。かなり邪推になるが、本当にデイヴィット・フィリップスなる人物が果たして実在しているどうかで、私はまず疑っている。まあ実在していたらしていたで、ヘイニングの主張が疑われているのにも関わらず、我関せずで放置しているということになるが。


 次、「骸骨伯爵」は1828年の「カスケット」なるゴシップ誌に掲載されていたということだが、英語wikipediaによれば、1852年6月号が第一号の「カスケット」はあるが、1828年発行のカスケットなる雑誌は見当たらない。他にも1826年発行カスケット全三巻がGoogleブックスにアーカイブがあるのを発見したが、これもヘイニングが述べるところの「カスケット」でないことは確かだ。このように1826年と1852年にカスケットなる書籍があることは確認できたが、1828年発行のカスケットは見つからない。となると当然浮かび上がる疑問点がある。先ほど、ヘイニングに骸骨伯爵の追跡に駆り立てた指折りの古書業者、故G・ケン・チャップマンは「カスケット」のことを「とびきり劣情的な週刊三文新聞」と紹介していたと説明した。だが1828年版カスケットの存在の形跡がない以上、チャップマンも嘘をついたか、もしくは死んでいることを利用してヘイニングが嘘をついたことになる。以前の記事でも紹介したが、散文という形式で最初の吸血鬼小説*20はイグナーツ・フェルディナント・アルノルトによる、1801年に発表された「吸血鬼」という作品になる。だが現物は一切見つかってなくて内容も不明だが、同時代のカタログとか書評にはその作品の名前が確認されているので、確かに実在していた作品であると認識されている*21。その事を踏まえると、カスケットなる雑誌やそこに収録されていた「骸骨伯爵」も同時代のカタログや書評に雑誌名や作品の名前が、どこかしらにあっても良いはずだ。これもヘイニングが実物を公開してくれれば、こんな問答をせずに済むのだが。だがヘイニングは既に亡くなってしまったので確認のしようがない。


他にもあるヘイニングのおかしな主張

 英語wikipediaにあった「骸骨伯爵」の疑惑については以上だが、記事では他の不正疑惑についても言及している。それは、19世紀中頃の様々なイギリスの怪奇小説に登場する架空の連続殺人者である理容師のスウィーニー・トッド(Sweeney Todd)に関してだ*22。さきほどペニー・ドレッドフルの実物画像を見せたが、そのうちの一つがそれだ。そのスウィーニー・トッドに関してヘイニングはおかしな主張をしているとのこと。その件に関しては、日本語wikipediaのスウィーニー・トッドの記事にも書かれている。ヘイニングによれば、彼の著書2冊において、トッドが1800年頃に犯罪に手を染めた実在の人物であると主張している。しかし、フランスではパリのラルプ通りで起きたというトッドの物語に似た言い伝えが存在するも、ヘイニングの引用について検証を試みた他の研究者らは、ヘイニングが主張の裏付けとしている出典の中にその論拠を見出せなかったという。3つの典拠があることから、各方面にてヘイニングの主張が調査されたようだ。こうしたことからも、ヘイニングが発表した「骸骨伯爵」の存在が懐疑的に扱われているのだろう。こうしてみると、「最初に牙が生えた吸血鬼」なんて論じる以前の問題だった。まずは作品そのものの存在自体を論じなければならないものであると分かったときは、本当にショックの一言であった。


 さて、2018年にwikipediaを調べて判明した情報はこれだけである。鵜呑みにするわけにはいけないと思い、他にも何か情報はないかと探ってみたが、有用な情報は得られず一旦調査はあきらめた。だがこの時私は一つミスをしていて、作者のエリザベス・グレイのwikipedia記事を調べるということを怠ってしまった。その事に気が付くのは約半年後ぐらいのことである。

 だが偶然にも、ヘイニングという人物が信用ならないことを後押しする情報を発見した。しかもそれは日本の書籍に書かれていた。実はヘイニング、あのフランケンシュタインについて、限りなく黒に近い捏造行為をしていたことが判明した。これはフランケンシュタインについて調べているとき、偶然発見した。その事について説明していきたいが、長くなったので続きは次の記事で行う。1週間以内に投稿予定です。


次の記事➡古典小説「フランケンシュタインの古塔」はピーター・ヘイニングの捏造?他にもある数々の疑惑

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*1:ヴァンパイア・コレクションの巻末の風間氏の解説にもあるように、”The Vampire Omnibus”に収録された作品全ては翻訳されず。例えば年表でみせた「夜ごとの調べ」(1894)はヴァンパイア・コレクションでは収録されなかった。

*2:正確に言えば発見者はヘイニングではない。詳しくは後述する。

*3:自称なのは、若いころ少年愛疑惑があったことと、魔女や狼男は本当に存在していると公言しており、胡散臭い人物と思われたことが原因。当時、同性愛はまだ世間の目が厳しく、例えばサマーズ師と同国同年代のアラン・チューリング博士は、同性愛を理由に薬物去勢されてしまっている。そのような人なので正規の教会からは聖職者として認めて貰えず、怪しい団体から聖職者認定をもらっていたようだ。写真の法衣も自作したものらしい。サマーズ師の死後、正規の教会は彼の著書を禁書にしたほどである。

*4:荒俣宏編「怪奇文学大山脈Ⅰ 西洋近代名作選 19世紀再興篇」:東京創元社(2014) p.410

*5:ピーター・ヘイニング編/風間賢二訳「ヴァンパイア・コレクション」:角川文庫(1999) pp.584-586

*6:実践女子大学 土屋 結城  「The Wild Boys of Londonに関する一考察 : ペニー・ドレッドフル序論」によれば、現在は比較的児童向けがペニー・ドレッドフル、青年向けがペニー・ブラッドと大まかに区別しているという。ただブラッド・アンド・サンダーズというあだ名もあったし、他にも軽蔑的な呼び方もあったので、本当に大まかな区別である。あと何も知らない方向けに現代の週刊漫画に例えたが、もちろん厳密には違う。アメリカのパルプマガジンが比較的まだ近い例えだろうか。

*7:勿論、現在の基準ではエロもグロも大したことはない。だが「チャタレー夫人の恋人」と一緒で、当時としては過激なものとして扱われていたようだ。ちなみに裁判沙汰になったチャタレー夫人の恋人は、今では普通に図書館で借りられると、ニコニコ動画のコメントで教えて貰いました。

*8:実際、チャールズ・ディケンズは、そうしたペニー・ドレッドフルの業者に対して訴訟を起こしたようだ。ディケンズが「クリスマス・キャロル」を作り上げるまでを描いた映画「Merry Christmas!ロンドンに奇跡を起こした男(2018)」では、ディケンズが勝訴するも、相手側に支払い能力がなくて賠償金が貰えなかったシーンが序盤にある。

*9:ちなみにエリザベス・グレイの英語wikipedia記事は、ヘイニングの不正を知ってから、大分経ってからその存在に気が付いた。

*10:ペニー・ドレッドフルは先ほど、単一作品を週刊販売したものと説明した。だがペニー・ドレッドフルであると言いつつも、週刊三文新聞であるとも解説している。当時見たときは意味が分からなかった。だがそのあたりの追求は意味がない。理由はこの後の解説をご覧頂ければお分かりになる。

*11:以前の記事でも述べたが、ここでいう「最初」というのは、今の吸血鬼の原型、一般的なドラキュラへと繋がる「貴族服を着た」「美女を襲う」というテンプレートを生み出した吸血鬼という意味である。今の吸血鬼らしくない吸血鬼小説ならばポリドリよりも前にある。散文で最初の吸血鬼小説はイグナーツ・フェルディナント・アルノルトの「吸血鬼」という作品になるとういう。

*12:ハック・ライターには正式な日本語訳があり、三文文士と訳される。

*13:文字数を稼ぐことからハック・ライターは、現代の「キュレーションサイト(いかがでしたかサイト)」の執筆者とにたような性質だろう。これも吸血鬼ヴァーニーの解説記事で詳しく解説予定。

*14:サマーズ師の英語wikpedia記事を読むと、Other booksとして”A Gothic Bibliography 1941 (copyright 1940)”とあり、As editor or translatorとして”Gothic Bibliography, 1940”とある。恐らく同じ書籍だと思う。1941年という数字もあるがコピーライト1940とあるので、1940年とした。

*15:"Fashionable novel" 英語wikipedia記事より

*16:英語wikipediaの「牙が最初に出てきたのはヴァーニー」という参照元は、Skal, David J. (1996). V is for Vampire. p.99. New York: Plume. ISBN 0-452-27173-8.、Cronin, Brian (2015年10月29日). “Did Vampires Not Have Fangs in Movies Until the 1950s?”. en:HuffPost.、 Lisa A. Nevárez (2013). The Vampire Goes to College: Essays on Teaching with the Undead". p. 125. McFarlandの3つ。デイヴィット・J・スカルはテレビの司会などやってSF作家としてデビューしたが、ノンフィクション作家として転じたらしい(ハリウッド・ゴシックより)。2つ目はハフポストのブログ記事、3つ目は「吸血鬼は大学へ行く」というエッセイ。いずれも学術的な文献とは言い難いが、私が可能な範囲でヴァーニー以前の作品を調査したが、牙の描写があるものは見つからなかったので、信ぴょう性はあると判断した。

*17:私の吸血鬼の元祖解説シリーズを読んだ人ならお判りになろうだが、ポリドリの「吸血鬼」の発表以後、とくにフランスでは劇場と言う劇場が吸血鬼ものだらけになった。なのであくまで牙が最初に出た吸血鬼がヴァーニーというは、「現存している中では」という但し書きが付く。本当の意味で最初というのは、劇やオペラなども含めたありとあらゆる創作を調査しなければ断定はできない。

*18:当初はトマス・プレスケット・プレストが作者だとされていたが、現在ではライマー説が有力。両者の共著という説もある。海外では様々な復刻版があるが、作者名はプレストしか明記しないもの、ライマーの名前しか明記しないもの、両者の名前を併記するものなど実に様々。ちなみに人気を博したスウィーニー・トッドを描いた作品「真珠の糸」も、当初はプレスト作者説が有力だったが、これも現在はライマー説が有力で、復刻版の著者名の表示もヴァーニーの復刻版と同じ感じである。

*19:2020年5月、英語wikipediaを翻訳する形で、吸血鬼ヴァーニーの日本語wikipedia記事も作成された。

*20:貴族服を着たドラキュラへと繋がる、今の吸血鬼像を作り上げたという意味では、何度も述べたようにポリドリの「吸血鬼」が最初と言える。

*21:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
 京都大学 森口大地 p.67

*22:ティム・バートンが監督、ジョニー・デップが主演を務めた映画になった。他にも悪魔城ドラキュラシリーズの手掛けた人が作ったゲーム「Bloodstained: Ritual of the Night」において、主人公のヘアスタイルを変えてくれるトッドというNPCの元ネタだと思われる。