吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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「ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇譚集」書評①:ラウパッハの「死者を起こすなかれ」がついに邦訳されました

ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇譚集
「ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇譚集」


お久しぶりです。今回は2024年1月29日に幻戯書房より刊行された「ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇譚集」のレビューを、数回にわたり行っていきたいと思います。これはブラム・ストーカーの「ドラキュラ(1897年)」より以前の、19世紀のドイツで刊行された吸血鬼小説集めたもので、日本の吸血鬼解説本でも紹介されたことがない、非常にマニアックな古典アンソロジー集となります。翻訳者は当ブログでは何度もご紹介させていただいている、ドイツのヴァンパイア文学*1の研究家である京都大学 森口大地氏によるもの。それぞれの作品の解説や、本邦初公開の貴重な情報も紹介されており、研究者らしく典拠を事細かに提示しているので、情報の正確性にも富んだものとなっているのも、個人的に一押しな一冊です。


順番にそれぞれの作品感想を述べていきたいと思うのですが、この記事ではとくに個人的な思い入れの強い、エルンスト・ラウパッハの「死者を起こすなかれ」について述べていきたいと思います。



絶対に邦訳されないと思った作品「死者を起こすなかれ」

過去記事(ニコニコのブロマガ掲載版)
吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳を公開
最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは
エルンスト・ラウパッハ、吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の本当の作者について
世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?

過去記事(はてなブログ移行版)
吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳を公開
最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは
エルンスト・ラウパッハ、吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の本当の作者について
世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?


今回紹介する書籍はアンソロジーなので、当然いろんな作品が収録されているわけだが、その中でも特に個人的に思い入れがあるのが、冒頭でも述べたエルンスト・ラウパッハによる「死者を起こすなかれ」"Laßt die Todten ruhen"(1823)という作品だ。この作品は長らく、ヨハン・ルートヴィヒ・ティークの作品だと紹介され続けてきた(英題名"Wake not the dead")


「怪奇と幻想 7月号 吸血鬼特集」p.71で紀田順一郎が「死人を起こすなかれ」というタイトルで紹介したのが、日本ではおそらく一番最初だろう(私が把握できた限りでは)。この時既に、ティーク作として紹介されていた。その次に日本で紹介したのは恐らくマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」(1993)の日本語訳で、ここで「死者よ目覚めるなかれ」という、本来の意味合いから外れた題名で紹介されてしまった。以後日本では、ティーク作「死者よ目覚めるなかれ」という題名で紹介され続けるようになった。例えば2015年に発売された「萌える!ヴァンパイア事典」でも、「吸血鬼の事典」を参照して「死者よ目覚めるなかれ」として紹介している。


「吸血鬼の事典」で非常に内容が気になるように紹介されていたこと、上記のように、当時は女吸血鬼が登場した最初の小説だと思われていたこともあいまって、2000年代の個人サイトが流行していた時期では、「ぜひとも読んでみたい」という書き込みがいくつか散見されたのを覚えている*2。かくいう私も、非常に読んでみたいと思っていた一人だ。


そんな作品を初邦訳したのは、私だ。ニコニコのブロマガに2017年に公開したのが、初の邦訳となる。底本には英訳版の"Wake not the Dead"を用い、英語がからっきしなので、ほぼGoogle翻訳というとんでもない翻訳を公開した*3


暴挙ともいえるものであるが、当時は「死者よ目覚めるなかれ」の翻訳なんて一生で拝めないだろうと思っていたこと、ブログでの解説活動以前からニコニコ動画で吸血鬼解説動画活動を行っており、当時は「小説という形式では、女吸血鬼が登場した最初の事例」と思われていたので、ぜひとも紹介したという思いがあったことと、私自身どうしても読んでみたいという思いが強く素人の翻訳でも需要はあるだろうと思いが相まって、自分で翻訳し公開するに至った。


その翻訳過程や調査過程で、「死者よ目覚めるなかれ」でなく「死者を目覚めさせることなかれ」「死者を起こすなかれ」が、内容的にも意味合い的に正しいこと、本当の作者はエルンスト・ラウパッハであることを知った。ラウパッハが本当の作者であることを最初に日本で紹介したのは、僭越ながら私のニコニコ動画(2017年)になる*4。同年中にブログでも紹介させていただいた。それらのブログは前掲で紹介させていただいたとおり*5


ニコニコ動画(2017/7/20投稿)


エルンスト・ラウパッハ
エルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハ
(1784~1852)
(独語wikipedia) (英語wikipedia)


このように、この作品は自分自身で機械翻訳を駆使して翻訳、それが本邦初邦訳・初公開となったこと、翻訳や調査の過程で本当の作者に行きつき、それも日本で最初に紹介したこと。以上の理由から思い入れがあるというのもわかって頂けたけたことだろう。自分で翻訳したと言っても、底本は英訳版で重訳だったし、そもそもGoogle翻訳頼みで、意味の解らないところはぶっちゃけ適当に翻訳したといういい加減。なので今回、ドイツ語の底本をもとにきちんと翻訳されたものを読むことができて、それはもう感無量だった。生きているうちには「商業誌による翻訳」なんてされないだろうと思っていたことも、それを後押しした。


死者を起こすなかれの感想:18世紀の「ざまぁ」物語

初見の感想は2017年に投稿しているいるが改めて述べると、とにかく印象的だったのは、後妻スヴァンヒルデの存在だった。それまで日本でこの作品を紹介したのは「吸血鬼の事典」「萌える!ヴァンパイア事典」ぐらいで、そこでは主人公がブルンヒルダを生き返らせるも、吸血鬼となって困ったことになったからやむなく殺した、というような説明しかなかった。


そんな中途半端な事前情報を手に入れた状態で読んだので、まさかヴァルターには後妻がおり、しかもブルンヒルデと暮らすために有無を言わさず親権を奪って離縁させるという、とんでもないクズムーブしていたことは衝撃だった。しかも子供たちはブルンヒルデに血を吸われて殺されてしまい、そのブルンヒルデを失ったあとは、まさかの復縁を迫るというあまりにも自分勝手な行動にはあきれるばかり。その復縁を迫った帰り道に美女をお持ち帰りする様子にはもはや笑うしかなかった。とにかく解説本では後妻の存在は一切触れられていないため、ヴァルターは「死んだ妻を忘れられない誠実な夫」だと思い込んでいたところ実は、「後妻を簡単に捨てたあと、こまったら縋りつくほどクズな夫」だったことが、とにかく印象的だった。当時は自分の翻訳ミスを疑ったほどだ。


今回初めてきちんとした翻訳を見て目を引いたのは、「3」と「7」という数字のこだわりだ。特に「7」これは2017年の記事でも紹介したように、1週間とかけばいいところを「7日間を二度」という感じで、とにかく"7"という数字がそこかしこに見受けられる。自分で翻訳したときは実は気付かず、ハイデ・クロフォードの解説を読んで始めて知ったのだが、こうして今回の翻訳を読んで「7」という数字のこだわりは確かに感じ取ることができた。ラウパッハがなぜ「3」と「7」に拘ったのかであるが、森口の解説によると、作中に出てくる「魔法の植物」と併せてメルヒェン(メルヘン)的モチーフであるという。少し調べてみたら、「グリム童話」におけるこの数字の意味だけで、色んな研究論文が存在するようだ*6


気になったところでいえば、以前自分で翻訳したときには気にもとめなかったが、作中には一切「ヴァンパイア」という単語は見受けられなかったことだ。ただ作中のブルンヒルダは片っ端から子供の血を吸いまくっており、まさに"血に飢えたヴァンパイア"と呼べる存在だ。吸血鬼ものの創作だと、古今東西意外と犠牲者は少なかったりするものだが、あそこまで血に飢えて数多くの人間を餌食にした吸血鬼は、かなり珍しいだろう。他の収録作品と比べても、一番「吸血鬼していた」作品だ。


ブルンヒルデは主に子供を狙って餌食にするが、血を吸われた子供は髪が灰色になり老人のようになってしまうという描写がある。今の創作で血を吸われたら老人のようになってしまう描写がたまにみかけるが*7、それを初めて行った吸血鬼作品として注目すべきだろう。この作品はポリドリの「吸血鬼(1819年)」の後にできた作品だが、血の吸い方は「胸から血を吸う」というもので、今の吸血鬼作品とは違う点も面白い。今でこそ吸血鬼は首筋にかみつくというのがスタンダードになっているがこのブルンヒルデの吸い方は、民間伝承に伝わる血の吸い方だ。民間伝承では「吸血鬼は血を吸った。おそらく胸から心臓の血を吸ったに違いない」と考えられていたので、ラウパッハはこの伝承を知っていて参照したのではないかと個人的には考えている。


この物語は今風に一言で言えば「ざまぁ」ものになる。死者は起こしてはならないという魔法使いの忠告を無視した結果、破滅を迎える。ただ気になるのは、なぜ魔法使いは余計な「死者を起こすなかれ」という助言を与えたのか。最初からヴァルターなんて無視するか、無視しないにしても、死者を生き返らせることができることを黙っておけばよかったのにと思う。


まあこれを言ってしまったら物語が成り立たなくなってしまうが、でもこうした矛盾が気にならない魅力があるのも事実。今回のアンソロジーにかぎらず古典外国小説は、日本人には馴染のない特有の小難しい言い回しが多いが大なり小なり出てきて、場合によっては読むのが苦痛になることもある。死者を起こすなかれについてはまだ少ない方で、ストーリーも単純明快なこともあって読んでいて面白かった。特にブルンヒルデが血に飢えていて犠牲者を出しまくるのが、吸血鬼創作としてはあまり見られないので、読んでいて新鮮だった。ちなみにだが、この作品を最初に所収した1823年「ミネルヴァ誌」は、教訓的物語を集めたアンソロジー集であるという。アンソロジーの趣旨に沿って作品を書いたのか、たまたま書いた吸血鬼作品が書誌のコンセプトにあったのかまでは不明。さらに余談になるが、ラウパッハは同名の喜劇も作っていて、こちらは「死者は眠らせておきましょう」といった具合の冗談としての性格が強くなっているという。


作者取り違え問題について:ピーター・へイニングはなぜ間違えたのか

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さて当ブログの読者の方々ならお判りになる通り、当ブログでは本当の作者がラウパッハであること、なぜ作者の取り違えが発生したかについて、2017年当ブログで日本で初めて紹介させていただいた。当ブログが紹介するまで「死者を起こすなかれ」は、ルートヴィヒ・ティークの作だとされていた。2017年にハイデ・クロフォードの書籍で、ラウパッハが作者であったことを知った。クロフォード曰く、作者を取り違えて原因はイギリスのアンソロジストの故ピーター・へイニングが間違えたせいだと主張していた。この時は私も単純にへイニングのミスだろうと考えていた。ところがへイニングの数々の捏造疑惑を知ったあとでは、この作品もへイニングの捏造の一つではないかと思うようになった。


だが2022年、偶々取り寄せたチャールズ・コリンズのアンソロジーで、へイニングより前にティーク作と紹介していたことを発見、それでクロフォードの論文をもう一度よく読むと、本文ではなく脚注に「チャールズ・コリンズが最初に間違えているが、へイニングの本の影響が大きい」というようなことを少々分かりづらく書いていた。


よって「死者を起こすなかれ」の作者の取り違えは、一番最初に間違えたのはチャールズ・コリンズなのは間違いないが、へイニングはコリンズに倣ったのか、コリンズの件を知らずしてへイニングの意思で捏造したのかまではわからないというのが、以前の記事でも紹介させていただいた通り。


翻訳者の森口大地氏はドイツ・ヴァンパイア文学の研究者であるので、当然というべきかこの問題について触れていた。私の調査は素人ができる範囲でやったことだし、翻訳もいい加減なものだ。「個人的に調査したことを本職の研究者によって解説されないかな」と、今回のアンソロジーで一番収録を期待していたものだったから、この解説を見たときは心躍るものであった。森口は「ドイツ語圏を中心とした初期ヴァンパイア文学史 : セルビアの事件からルスヴン卿の後継者まで」(京都大学 2020年)の博士論文においても、作者取り違えの件について触れてはいたが、そこまでは詳しく説明はしてなかったので、今回より踏み込んだ解説をしていたことも、個人的に喜ばしかった部分だ*8


さて私がクロフォードの論文を見たときはコリンズの言及は気づかず、数年後になってからようやく気が付いたありさまだが、森口は当然コリンズについて触れていた。クロフォードによれば、「死者を起こすなかれ」の作者を間違えて広めた原因はピーター・へイニングであると主張しているが、実際はチャールズ・コリンズが先に間違えている。さらに、クロフォードはコリンズのアンソロジーが(作者取り違えの)誤解の起源だと確認できなかったとある。ここまでは私も把握して以前の記事でも紹介している。だが森口によれば、クロフォードが実際に見ても確認できなかったのか、見ることができなかったから確認できなかったのか微妙な書き方をしているという。ここは私が気が付かなかった部分だ。そして森口は、クロフォードはへイニングの二巻本のペーパーバック版(1973年)を引用している節があるが、書誌情報ではそれより前にでたハードカバー版(1972年)の情報しか掲載しないなど、クロフォードの情報には信頼性が欠けるところがあるとしている。森口が疑問に思うのも当然であるが、これに関しては思い当たる節がある。森口はクロフォードが2016年に刊行した"The Origins of the Literary Vampire. Lanham/Boulder/New York/London: Rowman & Littlefield, 2016"より引用している*9。だがクロフォードは、その前の2012年12月20日付で"TheJournal of Popular Cultur"に掲載した"Ernst Benjamin Salomo Raupach's Vampire Story “Wake Not the Dead!”"で最初にこの問題について触れている。


In his book The Monster With a Thousand Faces: Guises of the Vampire in Myth and Literature,Brian J. Frost attributes the story “Wake Not the Dead!” to Ludwig Tieck and claims that Charles Collins “rescued [the story] from obscurity” in his anthology A Feast of Blood (1967) , but it has not been possible to verify Collins’ anthology as a source for “Wake Not the Dead,” nor do any of the critical editions on Gothic literature or the vampire in literature cite Collins’ anthology. The most widely-referenced contemporary source for the story is Haining’s anthology from 1973.

以前の記事も参照


上記を要約すれば、死者を起こすなかれについて最も参照されたのはコリンズではなく、ピーターへイニングの1973年のアンソロジーであると、クロフォードは書いている。これが2016年の書籍だとクロフォードは同じ文章を書いて、年数だけ1972年に訂正しているのである。以上から考えられるのは、どうやらクロフォードは2012年の時点では、ペーパーバック版しか読んでいないと思われる。それが2016年の自身の書籍を執筆する段階の時になり、より古いハードカバー版の存在を知ったが内容までは確認するほどでもないだろうと判断し、そのまま典拠としてハードカバー版の存在をあげたのではないかということだ。研究者としてあるまじき行為はあるが、状況証拠的としては一番辻褄が合うだろう。


とまあクロフォードの説明は信頼性が欠けたとしても、へイニングより前にコリンズが先に間違えたのは私自身で確認しており、以前の記事でも紹介している。森口もコリンズのアンソロジーを取り寄せ、本作をラウパッハでなくティークの作品とみなしていることが確認できているので、この点については間違いはない。ただ森口は、この誤解が広まったのがコリンズからなのかへイニングからなのかという問題はイコールではなく、また後者は調べるのが難しいと述べている。例えば、クリストファー・フレイリングやマシュー・バンソンなどが作者をティークとしているが、彼らがコリンズとへイニングをどちらを参照してティークとしたのかはわからないこと。しかもフレイリングに至ってはE.F.ブライラーの示唆を受けて、あくまで「ティークに帰されている」として、頭から信じていたわけではない。クロフォードがへイニングが広く参照されているとしているが、それを確かめるには、実際にへイニングを参照としてティーク作とみなしている書籍や研究の数を数えていく必要があるだろうと、森口は述べている。もし調査をするならば論文は難しいが、ISFDBをみれば「死者を起こすなかれ」が収録されたアンソロジー本はある程度分かる。一応、私も自分でできる範囲で取り寄せて調査し紹介させてもらったその過去記事のリンクはこちらから


森口のこの問題に関する説明は以上だった。なぜコリンズとへイニングは、作者を間違えてしまったのかについての言及はなかった。この辺りについては、過去記事でも紹介しているが簡単に説明すると、クロフォードは1823 年の"Popular Tales and Romances of Northern Nations"において、「死者を起こすなかれ"Wake not the dead"」のあとにティークの「金髪のエックベルト"Auburn Egbert"」が収録されたから、そこで勘違いが起きたのではないかと主張している。別の意見としてトールキンの研究者として有名なダグラス・アンダーソンのブログのコメントでは、全米総合目録(NUC)や1892年の"English prose fiction"のような書誌目録の、ややこしい記述をみて勘違いを起こしたのではないかという意見が寄せられている。さらには、コリンズ以前にも作者を間違えている人がいた可能性があるなどという意見もあるが、これは流石に根拠に乏しい。


NUCにある記述
English prose fictionにある記述
実際の収録物を分かり易くしたもの(wikipedia記事より)
NUCアーカイブ:総合ページ
NUC:実際に記述があるページ
1892年"English Prose Fiction"


そしてへイニングのミスについては色々考えられる。単純にコリンズの主張に倣った、若しくはコリンズの主張を知らずに彼も同じように間違えてしまったという可能性の両方考えられる。そしてもう一つ、へイニングが捏造の意思をもって作者を偽ったという可能性もあり得る。普通なら無礼にもほどがある説だが、ピーター・へイニングが数々の捏造疑惑を生み出し、そのいくつかについては彼の捏造と言い切れる証拠までそろっていることは、当ブログの読者ならお分かりの通り(へイニングの捏造解説シリーズは現時点で10個)。捏造の手口もバラエティに富んでいる。もし調査をするのであれば、冗談抜きでへイニング捏造説も視野に入れなければならない。


他に目を引いた解説を挙げていくと、ブルンヒルデやスヴァンヒルデの髪の色から、女性像のステレオタイプが用いられているということや、土葬された死体が腐敗しないことの理由付けとして、植物的生命活動と関連付けているという指摘、ヴァルターが次々と女を乗り換えるのは、過去を理想の黄金時代とみなす初期ロマン主義の歴史館への批判と解釈する向きの話などがあげられる。こうした解説は初めてみたということもあって、非常に興味深く面白かった。


感想を簡潔に言えば、個人的には今回のアンソロジーなかで一番面白いと思った作品だ。でもこれは自分で翻訳し、しかも作者間違いに気が付いて日本で最初に紹介したという経緯から思い入れ補正も含んでいる。感想も気が付いたらいろいろと語りたくなって長くなってしまった。次回記事もドイツ・ヴァンパイア怪縁奇譚のレビューをしていくので、ぜひご覧ください。



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*1:今回のアンソロジーや森口氏の論文「矮小化されるルスヴン卿 --1820年代の仏独演劇におけるヴァンパイア像--」(2020) p.1を見ればわかるように、森口氏は研究の場面においては「吸血鬼」という単語は使うべきでないという立場を取っている。詳細は本アンソロジーや論文を参照。

*2:当時はこうした吸血鬼解説ブログを作ろうだなんて微塵も思ってなかったので、個人サイトのURLを控えていない。アーカイブをたどることもできないので、個人サイトの書き込みが本当にあった証明はできないことはご了承願いたい。

*3:当時はDeepL翻訳はなかったと思う。あったとしても存在を知らなかった。今ならDeepL翻訳を使用した

*4:もしかしたら私よりも先にエルンスト・ラウパッハの存在を認識したいた人は、当然いたかもしれない。だがラウパッハの存在を日本において最初に公にしたという意味では、私が最初だといって差し支えないだろう。

*5:ブロマガとはてなブログ両方記事が存在するのは、当初ニコニコのブロマガは、サービス修了にともない記事が消えるので移転するようにという通達があった。だが要望によりユーザーの投票が多い記事については運営の方で、記事の編集が一切できない状態で残すことが後から決まった。そしてニコニコ動画のユーザーに呼びかけて、記事が残るように呼びかけた結果、ニコニコの記事も残ることとなった

*6:石川克知, 高橋吉文 北海道大学「『グリム童話集』における数字使用 : コンピュータ検索と作品内在分析の連携」(2014)

*7:例えば、マンガ「ロザリオとバンパイア」の、本編ではなく短編読み切りの話において、血を吸われた不良が一時老人のようになってしまう描写がある。

*8:森口の博士論文は、国立国会図書館内の館内PCでのみ閲覧可能

*9:ちなみに私はkindle版を参照している