吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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【書評】幻の吸血鬼小説「吸血鬼ヴァーニー 或いは血の饗宴」(国書刊行会)第一巻の感想

吸血鬼ヴァーニー
吸血鬼ヴァーニー第一巻


2023年3月末、国書刊行会より「吸血鬼ヴァーニー 或いは血の饗宴」がついに刊行されました。この長編、もしかしたら一生邦訳にお目にかかれないと思っていた作品だったのですが、まさかこうして全訳されるなど夢にも思っていませんでした。一応、ツイッターで匂わせのツイートや、前回レビューした「新編 怪奇幻想の文学2 吸血鬼」には刊行予定であることがアナウンスされてはいましたが、実際こうして手に取ったときは感無量でした。今回はそんな吸血鬼ヴァーニーの第一巻のレビューをしていきます。ですがその前に、なぜ私がこれほどまでに待ち望んだのかを理解してもらうべく、これまでのヴァーニーという作品の立ち位置などを簡単に、まずは説明していきたいと思います。吸血鬼ヴァーニーもいずれは当ブログで詳しく取り上げる予定です。いつになるかはわかりせんが。あと解説の都合上、第一巻以外のネタバレもしていきますので、気になる方はご注意を。



吸血鬼ヴァーニーとペニー・ドレッドフルとは?

今回の第一巻にもある程度のことは書かれているが、改めて解説していく。吸血鬼ヴァーニーは、1845年から47年にかけて連載された長編小説で、ペニー・ドレッドフル(略PD)と呼ばれる三文小説だ。ペニー・ドレッドフルとは1ペニーの恐怖小説という意味で、これは自然についた呼び方だ。ほかにもペニー・ブラッド、ブラッド・アンド・サンダーズのほか、軽蔑的な呼び方もあったという。今では1860年までの比較的大人向けのものをペニー・ブラッド、1860年以降の少年向けのものをペニー・ドレッドフルと大まかに区別しているという。なのでこの区別を適用すると、ヴァーニーはペニー・ブラッド作品ということになる。PDを発行する会社は最盛期には100社以上もあったという。その中でも人気があった版元がエドワード・ロイド社のもので、別名ソールズベリ・スクウェア・ノベルズと呼ばれていた。非常に乱暴に例えるならば、ペニー・ブラッドが週刊ヤングライトノベル(単一作品のみ)、PDが週刊少年ライトノベル(単一作品のみ)といった感じだろう。この小説は教養のない労働者階級向けだったので、とにかく扇情的な内容が求められた。ヴァーニーも女性の血を飲むシーンが「まるで強姦シーンのような印象を与えた」といわれるほど。こうした作家はハック・ライターと呼ばれ、日本語では三文文士と訳される。やや軽蔑的に思われた職業だという。それもそのはずで、内容よりも筆の速さが重要視され、数をこなす程儲けることができた。となると一人で生み出すアイデアには限界がくるので、自然と剽窃が横行した。また内容も、今の基準では大したことはないのだけれどもエログロものも多く、少年犯罪を冗長すると社会問題にもなったというから、軽蔑的に思われるのも仕方がない。ともかくこうした扇情的な内容とともに、読者の目を引くために挿絵も添えられたという。


出版社にとっても、PDは画期的なシステムだった。人気がなければさっさと打ち切り、逆に人気が出たら引き延ばししてでも長く続けさせるという、今の少年ジャンプシステムを取り入れていた。こうして出版社は次々とヒット作を生み出し利益をあげていった。吸血鬼ヴァーニーは2年間の長期連載だったので、それだけで当時絶大な人気を誇っていたことが伺える。


そのほか詳しい説明は当ブログではまだなので、ニコニコ動画をご覧頂きたい。またペニー・ドレッドフルにまつわる、簡単な紹介は"当ブログを参考にした漫画「ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して」の紹介とレビュー"で解説しているので、そちらをご覧頂きたい。また近年作成された「吸血鬼ヴァーニー」「ペニー・ドレッドフル」のwikipedia記事を合わせてご覧頂くとと理解がより深まるだろう。
www.nicovideo.jp
www.nicovideo.jp
www.vampire-load-ruthven.com

ペニー・ドレッドフルをテーマとした漫画。時代背景を理解するのに最適です。
#吸血鬼 ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して - 河野のマンガ - pixiv


こちらの論文もPDの成り立ちに説明がありわかりやすい。
cir.nii.ac.jp


今まで日本語訳はなかったので、断片的な情報を得るしかなかった。ハック・ライターに求められているのは先ほども説明したように、きちんと内容を練ることではなくて、とにかく筆の速さだった。そのせいか評論家たちの作品評は酷評ばかり見受けられる。


マシュー・バンソン
「この小説はあらゆる面で駄作と言われるが~」*1


平井呈一
「その文章の卑俗さはまるで香具師の絵看板でもみるような泥臭い感じで、ほとんど読むに堪えません*2


クリストファー・フレイリング
「868ページからなるこの読むのに根気のいる安っぽい犯罪小説*3


仁賀克雄
「当時の知的階級読者の評価では低俗な恐怖小説(ショッカー)扱いされたが、ヴィクトリア朝初期の代表的小説のひとつであることはまちがいない」*4


幻想文学大辞典
「ヴィクトリア朝に匿名で発表されたこの俗悪な三文小説は~」*5


このように、悪評ばかりであり、文学としてはまるで価値がないことが伺える。それも当然だろう。吸血鬼であるヴァーニーの正体だが、ほんとコロコロと変更されている。


本名:ランナゲート・バナーワース(ヒロイン・フローラ達の先祖)

本名:マーマデューク・バナーワース → ほかの矛盾を解消するために、フローラ達の父の名前に

元人間で強盗団に入っていたが、逮捕されて絞首刑、その後電気ショックで蘇った(先祖設定がなくなる)

イングランド王ヘンリー四世の時代から生きている超自然的な吸血鬼

16~17世紀のオリバー・クロムウェルの敵対者であった王党派の人間で、本名はモーティマー、自分の息子を殺した呪いで吸血鬼となった


私が把握しているだけでも、ヴァーニーの正体はこれだけ変更されている。しかも最後の設定はほぼ終盤の話だ。後述するE.F.ブライラーによれば、作者はあえて手の込んだ設定にした可能性もあるが、単純に設定を忘れた可能性が大きいとしている。確かに文学として評価されないのも頷ける話だ。だがそれでも、この作品をほめる人もいる。


荒又宏
「結論からいえば、これほどスリリングなヴィクトリアン・スリラーにはめったにお目にかかれない。*6


石井一男
「恐怖スリラーとしての『ヴァーニ』は今日読んでも退屈を感じることはない。それどころか、語りのテンポは迫力に満ちている」*7


よく週刊漫画だと多少の矛盾はあっても人気はあるという現象があるが、それと似たようなものだろう。実際、PDは人気がなければたった1か月足らずで打ち切られたとされているなか、2年も長期連載を勝ち取っていたわけだから、当時の読者に受けていたことは事実。文学としてみると微妙だが、多少矛盾があっても許せる漫画とかライトノベルのような作品だと思えば楽しめるのではないか、私はずっとそんな風に考えていた。


なぜ私がヴァーニー邦訳を待ち望んだのか

私は死ぬまでには「吸血鬼ヴァーニー」を読んでみたいと思っていた。その理由は、吸血鬼ヴァーニーはドラキュラに影響を与えたと考えられているからだ。


「吸血鬼の事典」より
「ヴァーニーは、ジョン・ポリドリのルスヴン卿の後を継ぐキャラクターであるが~」*8
「ドラキュラは、彼以前に小説に現れた吸血鬼ルスヴン卿やヴァーニー、そしてアツォの「最良」の部分をすべて受け継ぎ、そこにカーミラの持つエロティシズムを加えて~」*9

新妻昭彦、丹治愛「完訳 ドラキュラ」に収録された、クリストファー・フレイリングの解説よりA.N.ウィルソンの評価
「明らかにストーカーは、有名な『吸血鬼ヴァーニー』や『カーミラ』などの煽情的な吸血鬼文学に精通していた*10

「幻想文学大辞典より」
「主人公のサー・フランシス・ヴァーニーは、性悪の色男で、少なくとも外見的特徴(燃えるような目、鉤爪状の両手、尖った歯)に関しては、吸血鬼ドラキュラの先達となっている*11

「図解 吸血鬼」より
フランシス・ヴァーニー 卿 は、 ジョン・ポリドリ の ルスヴン 卿が確立した、厭世的で酷薄な夜の貴族というイメージ を、ブラム・ストーカーが創造したドラキュラ伯爵へと橋渡しする役目を担った、吸血貴族の元型的な存在である。*12


ドラキュラの作者のストーカーは、吸血鬼ヴァーニーに関してはなにも言及はしていない。それにも拘わらず吸血鬼ヴァーニーという作品は、今や吸血鬼の代名詞となった吸血鬼ドラキュラの元になったであろうとする意見を唱える人が散見される。とくに着目すべきは、今や吸血鬼と言えば特徴的な牙が生えているが、その設定を最初に取り入れた作品だろうということだ。貴族的な装いの吸血鬼の始まりはジョン・ポリドリ「吸血鬼」に登場するルスヴン卿であるが、ルスヴン卿は首元を食いちぎって相手を絶命させるという、荒々しい方法を取っている。当然、牙に関する描写も一切ない。


そんな吸血鬼の牙がはっきりと描写されたのが、吸血鬼ヴァーニーだ。1845年の連載開始時の第一章で明確に牙の表現が出てきた。なので牙が出てきた最初の吸血鬼作品はヴァーニーだとする意見は複数散見され、下記の資料がそれにあたる。


下二つは実際には閲覧しておらず、「吸血鬼ヴァーニー」のwikipedia記事より孫引きした
・Cronin, Brian (2015年10月29日). “Did Vampires Not Have Fangs in Movies Until the 1950s?”. en:HuffPost*13
・Skal, David J. (1996). V is for Vampire. p.99. New York: Plume.
・Lisa A. Nevárez (2013). The Vampire Goes to College: Essays on Teaching with the Undead". p. 125. McFarland


先ほどぼかして説明したように、「明確に牙の描写はないが、状況的に牙があった」と考えられる作品がある。それは1844年のK・A・F・ヴァクスマンの「謎の男」である。ここでは首筋を噛まれた悪夢を見て起きたら、1ツォル、幅1リーニエほどの小さな傷があったという描写がある。歯形とは言及されていないので、これの解釈次第では牙とも受け取れる。


ヴァーニーの日本語wikipedia記事ができたのはつい数年前だが、翻訳元となった英語版の記事はもっと古くからあり、そこに牙の件を知った。また、吸血鬼が初めて主人公になった作品、「人間に同情的な最初の吸血鬼」で、最後は吸血鬼であることに疲れて自殺するという終わり方をするというのも目を引いた。その同情的吸血鬼の例として、マーベル・コミックに登場するモービウスなどが例に取り上げられるとあった。こうしてドラキュラに影響を与えたであろうこの作品に、私は強い興味を覚えることとなった。


なぜ吸血鬼ヴァーニーはこれまで邦訳されなかったのか

吸血鬼ヴァーニーは234章のうち、ほんの一部の章は翻訳されている。モンタギュー・サマーズの著書に第一章を収録したものがあり、それを1931年に日夏耿之介が翻訳したのが一番最初だ(モンタギュー・サマーズ、日夏耿之介『吸血鬼妖魅考』ちくま文庫/2003年(原著は1931年))。ほかには、ロバート・ブロック他『怪奇と幻想 第1巻 吸血鬼と魔女』矢野浩三郎・編/角川文庫/1975年に、同じく第一章が、ピーター・へイニング編『ヴァンパイア・コレクション』風間賢二他・訳/角川文庫/1999年に終盤の三章分*14*15が、昨年2022年発売された『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』夏来健次/平戸懐古・訳/東京創元社/2022年では、いくつかの章をピックアップして紹介するにとどまっていた。では全訳化の動きはどうであったのか。そのあたりの邦訳化の動きは、藤原編集室氏のサイトにそのあたりの事情が詳しく書かれていた。


【内容見本でみる国書刊行会 第3回】
国書刊行会 ドラキュラ叢書
没企画 吸血鬼ヴァーニー(2023年4月現在リンク切れ)


ヴァーニーの邦訳化の動きはあった。これは今回の第一巻にも書かれているが、国書刊行会創立5周年を記念して、紀田順一郎+荒俣宏コンビがドラキュラ叢書シリーズという企画を立ち上げた。第一期は全10巻で、その第二期に吸血鬼ヴァーニーが予定されていて、広告すらも打たれていた。ところがこのドラキュラ叢書シリーズは国書刊行会にしては当時としても安値の販売でもあった。つまり数を多く売らなければならないのだが想定より売れなかったようで、このドラキュラ叢書の企画は第一期で打ち切りになってしまった。たとえ実現したとしても、企画の趣旨から考えれば抄訳だっただろう。


そして国書刊行会時代の藤原編集室氏もヴァーニー全訳の企画を立ち上げようと考えたことはあるということだった。残念ながらその記事は現在無くなってしまった*16。記憶を頼りに説明すると、こんな長編を翻訳してくれる人を探すことすら難しいこと、ハードカバーだとかなりの高値になってまうのは目に見えているから、企画を立てることはあきらめたとあった。吸血鬼ヴァーニーは「文化的価値」はあれど、「文学的価値」は正直言ってない作品だから、売り上げのことを考えるとどうしても二の足を踏むのは仕方がない。


あとは私が吸血鬼に興味をもった2007年ごろの話だが、個人サイトで吸血鬼ヴァーニー翻訳プロジェクトを立ち上げた人がいたのを覚えている。一人では到底無理だから翻訳者を複数募り、みんなで翻訳していこうという企画だった。当時なので、連絡にはだれでも閲覧できるレンタル掲示板で行われていた。当然私も興味をもったので閲覧したのだが、こう言っては失礼なのだが、始まる前から企画がとん挫しそうな雰囲気だった。応募する人は一見やる気はあるのだが、仕事の都合やら何やらで条件を細かく言う人や、喧嘩というわけではないが意見が割れてたりしていたりなど、傍目から見てもグダグダしていた。そしていつのまにかそのサイトは綺麗さっぱりになくなってしまっていた。


以上からわかるように、吸血鬼ヴァーニーの全訳化は非常に難しいことがお分かりになったことだろう。正直私は、全訳は生きているうちにお目にかかれないとすら思っていた。「牙が最初に生えた、ドラキュラにすら影響を与えたであろう吸血鬼作品」で、吸血鬼の歴史・文化的に重要な作品とはいってもかなりの長編、しかも一般的には設定もいい加減な俗悪な三文小説と言われてるこの作品を読もうだなんて思う人は、そういるとは思えない。正直、よく企画を通したものだと驚くしかなかった。ヴァーニーの全訳化というだけで、国書刊行会や携わった皆様の熱意と執念がそれだけでも伺える。


英語圏では吸血鬼ヴァーニーは多くの出版社が復刻版を発売しているが、220章もの、234章もの、237章ものの3つが存在する。連載当時は途中で章付けが滅茶苦茶になった。しかも単純に飛ばしたわけではない。それで最終章が220章になってしまった。連載終了後3巻の単行本になったのだが、そこでも章付けが狂ってしまい237章となってしまった。よって正しくは全234章となり、今回の邦訳では正しい234章ものが選ばれていた。ちなみに私が調べた結果が下の表となる。どれも原著でなく復刻版をもとに調査。237章ものは復刻版によっても章付けがことなっていたので、両方記載した。



吸血鬼ヴァーニーの全訳化はこれまでなかったが、中盤までの内容を大まかに紹介するものはあった。それは吸血鬼ヴァーニーの邦訳化を試みた荒又宏氏によるもの。


紀田順一郎・編『ゴシック幻想』書苑新社/1997年
これは紀田順一郎・編『出口なき迷宮』 牧神社/1975年を改題して出版したもので、ヴァーニーに関する解説は、荒俣宏『空想文学千一夜 いつか魔法のとけるまで』工作舎/1995年に、全く同じ内容のものが収録されている。ここで中盤までの大雑把なストーリーが紹介されている。これ以上の内容を知るには、英語版を個人輸入や無料テキストなどを読むしかなかった。この荒俣氏の紹介だが、ペニー・ドレッドフルが生まれて流行するまでの経緯を解説しており、PD流行の経緯はこの荒俣の解説が一番分かりやすい。またプレストやライマーの人物紹介も簡単に行っているので、PDの理解を深めたい方はぜひ読んでみてほしい。


吸血鬼ヴァーニー第一巻の感想

さて本題の吸血鬼ヴァーニーを読んだ感想を述べていこう。作者はジェームズ・マルコム・ライマーとトマス・ペケット・プレストによる共著だとして公式サイトで紹介されていた。プレストのミドルネームはプレスケット"Preskett"という説もあるが、今回はペケット"Peckett"を採用していた*17。今回一番気になったのは、公式で共著とはっきり明言してあったことだ。私が以前ヴァーニーの解説動画を作ったときに調査したときは、両者の共著説は一応見たことがある。ライマー(英語wikipetia記事)、プレスト(英語wikipetia記事)のwikipedia記事のほか、仁賀克雄「ドラキュラ誕生」には「主にライマーが書いたようだが、それ以外に複数の執筆者がいたことが、文体の違いから指摘されている」というのを見たことがあるが、共著説を唱えているものに関しては具体的な典拠を示めして紹介しているものを見たことがなかった。今はE.F.ブライラーなどが唱えた作者ライマー説が主流になっている。ライマー説はほかの作品の文体などを見ると、まずライマーの可能性が高いという。なので、何を根拠に共著としたのか、発売前はそれが気になって仕方がなかった。


そのあたりの経緯は制作総指揮をとられた作家の山口雅也氏の解説に書かれていた。山口氏も最初はE.F.ブライラーの説を紹介していた*18。だが氏が保有しているPulp-Lit Productions版では、ライマーとプレストの著者名の間をand/orで繋ぐ表記となっていること、作中の語り手の人称も「we」となっているから、共著説を採用したとのことだった。もっと具体的な根拠があるものかと思っていたらそうでなかったのは残念であった。


ちなみにE.F.ブライラーの解説は、吸血鬼ヴァーニーを一般購入できるようにしたという意味では初めての復刻版である*19、1972年のドーヴァー・パブリケーションズ版に、ブライラーの解説がついている。

またよく解説書などでE.F.ブライラーが作者ライマー説を最初に唱えた人のように紹介されることがあるが、その前にケント大学のルイス・ジェームズ名誉教授が1963年に出版した、"Fiction for the Working Man 1830-50"において、作者をライマーであると紹介しているようだ。それぞれの書籍はAmazonで購入が可能なので、一応リンクを紹介しておく。


山口雅也氏が所有しているPulp-Lit Productions版


初の復刻版、ドーヴァー社版
kindle版ならすぐ購入できる。ハードカバーやペーパーバックの新品を購入したい場合は、アメリカAmazonから購入する方が安い。ドーヴァー・パブリケーション社から直接購入はできない(発送はアメリカ国内のみと書いてあった)。


ルイス・ジェームズ名誉教授の本


それでは内容の感想に移る。内容は吸血鬼が突如現れて、美女の首筋に牙を立てて血を吸うだけの内容だが、余計な前置きもないので、インパクトは今でも十分感じられる。週刊連載の第一回目らしく、読者の目を引くような作りだなと感じた部分だ。そして今回の新訳は、ところどころ注釈があるのも有難い。第一章の最後「牙のような歯を娘の喉笛に突き立てる」という描写が吸血鬼史上、初めて明確に吸血鬼の牙が描写された瞬間だ。そしてそのシーンは、挿絵も添えられており、今回の新訳にも当時の挿絵はすべて収録されている。


吸血鬼ヴァーニー第一章の挿絵


上記の画像は第一章の実物画像だが、1ページ目に挿絵があり、購入者の目をひこうとしたことが伺える。この挿絵は、全面をイラストにせず、右下を文章の欄するというのが、現代ではまずやらないのでなんとも面白いやり方をするものだと、最初見たときは非常に興味をひかれた。だが今回の翻訳ではこの挿絵は1ページ目ではなく、該当のシーンのページに挿入されていた。この最初の挿絵だけは当時のインパクトを伝えるためにも、あえて1ページ目にして欲しかったが、こんな意見をいうのは私ぐらいのものだろう。


吸血鬼の特徴として、招待されなければ他人の家に入ることができないという弱点が知られているが、これもドラキュラから始まった設定であり、それより古い作品である吸血鬼ヴァーニーでは別に何の制限もなく、他人の家に侵入している。だから私は「はじめに」のページで、「吸血鬼の設定はなんでもありなので、批判する方がおかしい。言っていいのは設定対する好き嫌いのみ」と主張しているわけである。ドラキュラより古い吸血鬼小説を読めば読むほど、吸血鬼の設定なんて何してもいいというのが、嫌でも分かってくるのである。


生きているうちにヴァーニーの全訳を拝めるだなんて思ってもいなかった。だから読んだことがない第二章を読を読み始めたとき、ああ、本当にヴァーニーの全訳を今、読み進めているんだと、思わず感激して震えるほどであった。


第二章では襲われたフローラの状態が描写されていたが、思っていた以上に凄惨な状態だった。兄のヘンリーらが見つけたときは、フローラは血だまりの中におり、殺されたとしか思えない状態だったとあったからだ。ここら辺はまだまだ荒々しさが残っている。


巻末に「章タイトルと内容が一致しない箇所があるが、原文のままにしている」という注意書きがある。第三章の章タイトルは「消えた死体 フローラの回復と狂気 フランシス・ヴァーニー卿からの援助の申し出」とあるが、ヴァーニーは全く出てこなかった。ヴァーニーは設定が矛盾だらけであるとは知っていたが、早くもここで矛盾していると知り、さすがPDなだけあるなと思わされた。


第四章ではフローラを襲ったのは吸血鬼だろうということで、話が行われる。作中で吸血鬼の存在を明確に示した瞬間で、如何に恐ろしい怪物なのかが強調されていた。「吸血鬼に襲われたものは吸血鬼化してしまう」ということが、早くも示唆されているのが印象的だた。


次に気になったのが第八章、吸血鬼がフローラの部屋にある肖像画の人物、ご先祖様ランナゲート・バナーワースに似ているということから、その棺を確認しに行く。ここで先祖の名前が原文ではマーマデューク・バナーワースになっていたが、今回の翻訳では元のランナゲート・バナーワースに修正し、マーマデュークの名はフローラ達の父の名前であるという注釈がつけられていた。海外ライターのドリス・V・サザーランドさんのweb記事で「ヴァーニーの本名がランナゲートからマーマデュークになったときに、ヴァーニーの矛盾は始まった」という記事を以前に見ていたので、その部分が読めて無性に嬉しかった。


展開上の都合というのはわかっているが、吸血鬼の正体を暴きに行くのに男4人全員で向かい、襲われたフローラには母親だけに任せるというのは、いくら何でも無能過ぎる。だれか男一人を残すのが普通だろうに。案の定、その隙を狙ってヴァーニーが再び襲いに来ている。偶々、フローラの思い人チャールズ・ホランドが助け来てくれたからよかったものの、もしホランドが来なかったら最悪の事態もあり得た。ここのフローラの兄ヘンリーやジョージの危機感のなさが現実味のなさを醸し出しており、どうしても気になってしまう。またホランドの来訪も少々不審者っぽくもあるが、ここはまだ創作の範囲ならアリと思えるものだ。


次は、フローラの兄ヘンリーが客人のマーチデールと共に、隣人のフランシス・ヴァーニー卿へ会いに行くシーン。吸血鬼の噂が流れたバナーワース家は父親の借金もあり、家を売ろうかどうかで悩んでいた。そこで隣人のヴァーニー卿が、吸血鬼の噂があるバナーワース家の屋敷をぜひとも購入したいと持ち込んできたので一度会うと、ヴァーニー卿はどうみてもフローラの部屋にあるご先祖様の肖像画にそっくりということで、ヘンリーが取り乱す。ここでもヘンリーは無能ぶりを発揮する。動揺するのはわかるし、腹芸をやれとまでは言わないが、それにしたって初対面のヴァーニー卿に対する対応はひど過ぎ、もう少しましな対応できんかったのかと思ってしまった。あまりに対応がマズ過ぎるので、逆に笑えてくるぐらいだ。


その次の第15章吸血鬼騒動から船乗りのベル提督と、提督の元甲板長・ジャック・プリングルの話に移る。ベル提督はチャールズ・ホランドの伯父。この二人の登場で話の雰囲気が変わる。ベル提督はジャックに対して結構辛辣な物言いをするのだが、ジャックも生意気にあしらう様子が、なんとも凸凹コンビという感じで憎めない。


15章できになったのが、文中に「吸血鬼」だけでなく「きうけつ鬼」という表記を使いわるようになったことだ。以降、「きうけつ鬼」という表記はたびたび出てくる。調べてみると"wamphigher"という言葉を「きうけつ鬼」と表記していた。それでこの"wamphigher"を検索してみたのだが、吸血鬼ヴァーニーの原著がヒットするばかりで、どういった存在なのか説明するものは確認できなかった。ヨーロッパにおいて血を吸う怪物の伝承は"vampire"以外にもほかの名称も使われており、スラヴ語ではwupi、wukiといった表記があり、ポーランド語で吸血鬼"Wampir"となる。なので"wamphigher"もそういった吸血鬼を表すスラブ語圏の言葉なのだろう。細かく注釈をつけている本書において、この辺りの注釈は一切ないので想像になるが、的外れではないだろう。しかし検索しても詳細がわからないというのは、なんともモヤモヤさせられる。当時は割と通じる言葉であったのかも含めて、ここは気になって仕方がない。


17章、ヴァーニーがバナーワース家を訪れる。フローラは一目みて、「吸血鬼だわ!」と叫ぶ。ヴァーニー卿は吸血鬼と思われているのに、それでもお構いなしにバナーワース家を訪れているのが、目的が読めなくてなんとも不気味だ。そしてここでも兄ヘンリーの無能っぷりが酷すぎて笑てえてくる。ヴァーニーに対してあんたは吸血鬼だろうとか、本当の名前はバナーワースだろうと迫るも、そのヴァーニーには「本来は決闘を申し込むべきだが、彼の頭はおかしくなったんだろう」などと軽くあしらわれてしまう始末。そばにいたマーチデールが落ち着くようにいい、帰ろうとするヴァーニーが本当に屋敷を出ていこうとするのか確認しに行く。


だが18章になるとそのマーチデールもヴァーニーと言い争い、最終的には殴り倒されてしまっていたので、あれだけ冷静に対応するように言っておきながらなんでそうなってしまうんや、とツッコまざるを得なかった。だがその後のマーチデールの言葉は私の目を引いた。なぜなら「奴(ヴァーニー卿)を追いかけたが、まるで赤子のように、簡単にぶちのめされてしまった。超人的な力だった。」とあったからだ。吸血鬼の設定としてよくあるのが、純粋な力に優れているというものがあるが、ヴァーニーではここで明言されていた。


19章ではフローラが持っていた「ヒューゴ・ド・ヴェロール:二重の陰謀」というタイトルの本をよみ、次のように始まると続き、実際その本の内容の記述が始まるのだが、19章はなんとその本のストーリーだけで終わってしまった。もちろん、本筋のバナーワース家に起きた吸血鬼の話とは全く関係がない内容である。普通ならあらすじを紹介する程度にとどめるだろうに、まさか本の内容まるまる全部紹介するとは。PDは週刊でハック・ライターはアイデアに詰まって時には剽窃も横行したというぐらいだから、この19章は展開に詰まったので、お茶を濁すためのものとなのかもしれない。吸血鬼ヴァーニーは極悪三文小説などと評価している人がいるが、この19章でそう評価される所以が垣間見えた。ただこの19章で展開されたフローラが読んだ本の内容だが、普通に面白くしかも本編より読みやすい。吸血鬼ヴァーニーの本編は労働者階級向けとはいっても、やはり古い外国小説にありがちな、回りくどく、日本人には馴染のない独特の言い回しが多くて、読みづらさがある。だがこの19章は現代語に近い表現しか出てこないので、かなり読みやすかった。もしかしたら、19章は誰か別人が書いた可能性もあるのではないだろうか。元の英語は見てないし、そもそもそれを判断できるほどの英語力もないが、そんな気がしてならない。


その後はバナーワース家の吸血鬼騒動を収めるべく、ヴァーニーと決闘するか否かで25章まで続く。ここはグダグダで中だるみした。早くも引き延ばしに入ったのかと思ったぐらいだ。だが山口雅也氏の解説によれば、当時の決闘事情を鑑みると別段おかしくないようであった。読んだときは山口氏の解説を忘れていたので、つい引き延ばし工作と思ってしまったが、でもそう思ってしまうほど、話が進まなくなった。


だが26章になると急展開を迎える。初来訪はフローラーをヴァーニーから守り、その後もヴァーニーと決闘まで考えていたフローラの恋人のチャールズ・ホランドが、フローラは吸血鬼に魅入られてしまったから女性を妻に迎えることはできないから、この場を去ると置手紙をして失踪してしまった。この展開は予想外であった。本当に裏切ったのか、はたまた事情があって失踪せざるを得なくなったのか、全く読めなかった。まあでヴァーニーに対する評論家や研究者の見解やPDの実情を鑑みると、人気が落ちそうになったから、インパクトのあるシーンを出す必要が出たために、何の考えもなしに思いついたような気がしてならない。だけどインパクトは十分。それまでの展開が中だるみしていたこともあるので、このホランドの裏切り疑惑は予想外で一気に展開が読めなくなり面白くなったのは事実。当時PDで一番人気を博したというのが伺えた瞬間だった。


でも気になることもある。それはホランドの置手紙を見て、ヘンリーも伯父のベル提督も、なんの疑いもなくホランドの手紙だと断定していたことだ。いや、筆跡は確認すればいいのではと思っていたら、そのあたりのことは28章で言及された。ホランドの手紙をフローラは信じようとはしなかったので、マーチデールが「まずはホランドの手紙が本物かどうかを調べるため、他の手紙と見比べて筆跡を確認しよう」と提案する。ヘンリーは「ホランドが大陸にいたときに送った手紙があるからそれと見比べよう」、ベル提督「甥の筆跡はよく知っている、あれはホランドで間違いない」と。 ベル提督は納得だが、ヘンリーぇ……お前は筆跡も確認せんとホランドは裏切ったと騒いでおったんかい……と、これで私はまた一つ、ヘンリーの評価を下げざるを得なくなった。


29章は短いながらも新たな謎が追加される。いったい地下牢にいた者たちは何者なのか、非常に気になる。次の30章はこれまでの話を蒸し返すかのような内容で、またしても尺伸ばしのように感じられた。


31章では一転、ヴァーニー卿に視点が移り、吸血鬼疑惑のある彼も実は弱音を吐き、悩み事があることが描写される。その後はヴァーニーが読んだ本の内容を最後まで紹介するという、19章と同じ展開になり、これには笑うしかなかった。一度ならまだしも、二度も同じような手法を取るとなると展開に困って、とりあえずお茶濁しをしたように思えてならない。ヴァーニーが読んだ本の内容は、19章のものとくらべるとすっきりしない終わり方なのでいまいちだった。


そして32章、ヴァーニーはそれまで得体のしれない不気味な存在として描かれていたのに、ここでは一気に人間くさい一面を覗かせる。ヴァーニーは何やら秘密があるようだ。話の内容からしてヴァーニーは一度死んだが、蘇ったことが示唆される。そして男はヴァーニーの秘密を守るべく、ヴァーニーに年に一度、多額の金銭を要求している。バナーワース家の人間と話しているときのヴァーニーは自信満々でどこか不気味な感じを醸し出していたのに、この章のヴァーニーは、単に脅された側の人間でしかなく、本当に同一人物とは思えないほどである。現にwikipediaの解説*20には、作者はヴァーニーを吸血鬼にするのか、それとも吸血鬼のようにふるまう人間にしようとするのか一貫性を持たせなかったので、物語に混乱を生じさせてしまっているとある。この記述に典拠はしめされていないが、その通りとしか思えない。私も、読者の目を引くことを第一に考えた結果、その場の勢いでヴァーニーが情けなくなる32章を書いたのではないかと思っている。だがそれでも意外性があるのは間違いなく、しかも面白いのだから侮れない。作者の意図は不明だが、いずれにしても私は作者の術中にはまってしまった。


第34章は第一巻の山場といえるほどの内容で、ここが一番面白かった。34章は事前に読んだことがある。2018年NHKBSプレミアムで放映された「ダークサイドミステリー」の「永遠の命!?吸血鬼伝説の真相〜人類は天敵に勝てるのか?〜」では、「吸血鬼に襲われたものが吸血鬼化するという民間伝承の設定を取り入れた作品は、1847年の吸血鬼ヴァーニーが最初というような説明をしていた。気になった私はNHKに具体的な章を教えてほしいと要望を送ったら、それは32章であるとの返答をもらったので自分で翻訳して読んだのが最初だ。その次は昨年2022年に刊行された「吸血鬼ラスヴァン」においても32章がピックアップされて翻訳されていた。だが今回一から通しでこの34章を見ると、盛り上がり具合が段違いであった。


フローラはホランドの裏切りのショックのせいか夢遊病に陥ったらしく、フラフラと歩いているところヴァーニーが見つけて、話しかけて正気に戻す。ヴァーニーは自分は恐怖を振りまく吸血鬼であるが、自分が吸血鬼であることを嫌がっているかのような言動をする。その言動にフローラも同情を示したので、フローラにお願いをする。


「我が忌まわしき種族では、愛していくれる人間が一人でも見つけられれば、我らは自由の身となる。中略、私のものになってくれるか?」


だがフローラは拒絶する。なら報いとして血を貰うというと、先ほどまで分別があったあなたが、そんな理不尽なことをできるはずがないというも、ヴァーニーは甘んじて餌食になれという。だがヴァーニーは彼女を哀れんだのか、吸血鬼から逃れる方法と、吸血鬼という存在がどのようなものかが明かされる。「吸血鬼ヴァーニー」における吸血鬼の特性は以下の通り。


● 相手を悲惨な目に合わせ、苦しめているとき、苦しめている吸血鬼本人も、言いようのない苦痛を感じる。
● だが吸血鬼の本質における謎めいた法則で、活力を消耗してくると、生きたいという欲求が膨れ上がり、やがて人も神もものともしない、荒れ狂う錯乱状態になって、血を求めてしまう。
● 忌むべき食事が終わり、落ち着く状態になると、ありとあらゆる嫌悪感、反動による苦痛、筆舌にしがたいほどの苦悩に襲われる。
● ひとたび人間を襲えば、同じ相手からもっと血を得たいという奇妙な、だがひどく衝動的な欲求にかられる。


いまでも吸血鬼の創作として使えそうな非常に凝った設定で、とても面白い。ヴァーニーは「最初の人間に同情的な吸血鬼」という評価をしている人がいるが、それがここで明かされている。


これを聞いたフローラも同情を示し、ヴァーニーもフローラを助けたいと思う。だからヴァーニーは吸血鬼から逃れる方法を教える。それは吸血鬼はこの場に留まざるを得ないから、今すぐこの地域から逃げることと告げる。だがフローラは、「一度吸血鬼に襲撃されたけど、死後自分もおぞましい一族になってしまうの?」と問う。それに対するヴァーニーの返答が、この作品における吸血鬼の特性を示していて面白い。


● 一度や二度血を吸われたぐらいでは吸血鬼にはならない。吸血鬼になるには、変化しやすい体質となる必要がある。
● 吸血鬼になるには、血を奪われることで、死ななければならない。
● 毎年のように血をすわれ、生命力が徐々に乏しくなり、やがて栄養をとっても追いつかなくなるほど衰弱したとき、最後の一押しとなる襲撃で命の炎が消えると、吸血鬼になるかもしれない。


今の創作では割と簡単に吸血鬼化することも多いが、ヴァーニーにおいては時間と手間がかかる。先ほども紹介した2018年のNHKBSプレミアムの「ダークサイドミステリー」において、人間が吸血鬼化する様子を描いた最初の作品は「吸血鬼ヴァーニー」であるというような紹介のされ方をしており、私もそうだと思っていた。だが残念ながら、1819年のユリア・デリック・ダーシーの「黒い吸血鬼」のほうが先にやっていたので*21、最初の作品ではなくなってしまったが。


吸血鬼形成の歴史の部分に興味を持っている私としては、吸血鬼の特性を一気に紹介したこの34章は一番の見どころだった。物語的にも、それまで得体の知れなかったヴァーニーが、実はヴァーニーにも吸血鬼の因果にとらわれ、苦しんでいることが示されたことで、物語を盛り上げている。ただ、31、32章でヴァーニーが何者かに脅されれていること、金のほうに執着する様を描写をしておきながら、この章ではまた元の通りおぞましい吸血鬼として描くのは、その場の勢いでやったようにしか思えない。


第一巻は38章までだが、まさかヴァーニーとバナーワース家が決闘しないまま終わるとは思いもしなかった。あそこまで引きずるのは、やはり引き延ばし工作な気がしてならない。そういえばwikipediaに「ジョージ・バナーワースの名は第36章以降には見られなくなる」とあったが*22、36章にもジョージは登場しておりマーチデールに出ていかないよう懇願していた。英語版を確認してみたら、37章以降はどうも名前が出てこないようなので、37章以降登場しないというのが正しいだろう。しかし、いくら三文小説のペニー・ドレッドフル作品とはいえ、いきなり登場人物がいないものにされるというのはなんとも悲しいものがある。この辺りも俗悪三文小説と評価されてしまう理由だろう。


こうして第一巻を読んでみたが、俗悪三文小説と呼ばれる理由も、今見ても迫力があって面白いという評価がある理由もよくわかった。引き延ばし工作が早くも露見しているし、行き当たりばったりな展開も見受けらるが、それでもいきなり意表を突く展開を持ってきたりするから侮れない。さすが、2年間の長期連載を勝ち取った作品なだけはあると思わされた。


何かのブログで、ジョン・ポリドリの「吸血鬼」の原著は、今の英語とはだいぶ違うからかなり読みづらかったが、「吸血鬼ヴァーニー」は教養のない労働者階級向けの物語だったせいか、当時の英語にしては読みやすいと書いていた人がいた記憶がある。だが今回の日本語訳を見てみると、この当時の外国小説にありがちな、日本人には馴染のない比喩表現とか言い回しが多様されていて、読みづらい部分も多かった。やはりこのあたりは外国小説なのだなと思わされた。


あと気になるのは、バナーワース家に客人として滞在しているマーチデールが、序盤なにやら怪しげな雰囲気を出していたのが気になる。一応理由は明かされるとはいえ、チャールズ・ホランドとなぜか険悪な雰囲気になっていたし。あと、荒俣宏の解説で知ってしまっているのだが、医師のチリングワースが何の怪しさも出していないのが、気になって仕方がない。実は後の設定でヴァーニーは元盗賊団で絞首刑で死んだのだが、医学生の電気ショックにより蘇ったということになるのだが、その時の医学生こそがチリングワースである。彼はヴァーニーの正体を知っているはずなのに、第一巻ではそんなそぶりすら見せてこなかった。


第一巻だけでも、内容は既に突っ込みどころが多い。きちんとした小説とも言い難い。だが、要所要所で読者の予想を裏切る展開は見事なもの。チャールズ・ホランドは本当に裏切ったのか、決闘はの行方は、チリングワースはどう動くのか、なぜヴァーニーは人間すら余裕で倒せる力もあるのに、男に脅されているのか、様々なことが気になって、早くも第二巻が待ち遠しい。


以上となる。吸血鬼ヴァーニーは書評などはいろいろと呼んだことがあるので、ヴァーニーがなぜバナーワース家に執着するのか、ヴァーニーがいずれ主人公になるといった、大まかなことは知っていても、こうしてみてみると新しい発見があった。俗悪三文小説という評価がされており、その理由も理解できたので万人におすすめとは言い難いが、ポリドリの「吸血鬼」からストーカーの「ドラキュラ」へと橋渡しをした作品である。なので吸血鬼そのもに興味がある方は、ぜひとも読んで欲しい。



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*1:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:青土社(1994) p.37

*2:平井呈一訳「吸血鬼ドラキュラ」東京創元社 巻末より

*3:クリストファー・フレイリング「悪夢の世界」: 東洋書林(1998) p.127

*4:仁賀克雄「ドラキュラ誕生」:講談社(1995) p.98

*5:ジャック・サリヴァン 編「幻想文学大辞典」:国書刊行会 p.116

*6:紀田順一郎・編『ゴシック幻想』書苑新社/1997年(紀田順一郎・編『出口なき迷宮』 牧神社/1975年を改題したもの)、また荒又の『空想文学千一夜 いつか魔法のとけるまで』工作舎/1995年にも同じ記事が収録されている。

*7:「怪奇と幻想 2号 吸血鬼特集(1973.7月号)」:歳月社(1973) p.156

*8:「吸血鬼の事典」 p.37

*9:「吸血鬼の事典」 p.246

*10:ブラム・ストーカー「ドラキュラ 完訳詳注版」 新妻昭彦・丹治愛・訳、注釈:水声社(2000)p.471

*11:p.116

*12:「図解 吸血鬼」:新紀元社(2006) p.74

*13:閲覧:2023年4月25日

*14:ヴァーニーは週刊連載分、単行本分ともに章付けが狂っている。正しい章に直したものを含めると3パターンある。

*15:ちなみに内容は過去話で、オリバー・クロムウェルの敵対者であった王党派時代の話で、王党派を裏切り、自分の息子を殺して吸血鬼となった顛末の部分が紹介されている。

*16:2023年の3月初旬ごろは閲覧できたので、おそらく今回の全訳化をうけて不要と判断され削除されたのではないかと思う。マイケル・ホームズのヴァーニー解説を一部紹介していた。ペニー・ドレッドフルのことや、作者のライマー、プレスト、出版社のエドワード・ロイドの障害を簡単に解説してくれていて、情報源としても非常に有意義なものだっただけに、削除は惜しまれる。このホームズの解説を見たい方は、Wildside Press社のペーパーバックの復刻版、全5巻のうち第2巻目にあるので、それをAmazonで購入するといい。プリント・オブ・デマンド対象商品なので、日本で印刷して数日で配達される。Amazonリンク

*17:ちなみに私はこの翻訳が刊行されるまでは、ずっとプレスケットとして紹介してきた。理由はペケットよりプレスケットのほうが発音が好きだから

*18:ブライラーは岡倉天心の『茶の本』の版のひとつを出版したり、日本語の文法書なども発表している。そのためか、日本語wikipediaにも記事が作られている

*19:限定販売ならデヴェンドラ・P・ヴァーマの1970年復刻版のほうが古い。

*20:日本語wikipediaのヴァーニーの記事は英語版からの翻訳

*21:ちなみに私が黒人吸血鬼のことを知ったのは2020年のこと。

*22:日本語wikipedia 英語版wikipediaをそれぞれ参照。