当時の出版事情:作家の力は弱かった
前回は”最初の吸血鬼”と”フランケンシュタイン”が同時に生まれるきっかけとなった歴史的一夜、ディオダティ荘の怪奇談義について解説した。今回からはいよいよ、その怪奇談義によって生まれた”最初の吸血鬼小説”について解説していこう。とくに今回は、日本の書籍や論文ではこれまで紹介されたことがないエピソードを紹介していくので、ご期待頂きたい。
前回説明したようにポリドリが書いた「吸血鬼」は、どういう訳か作者はポリドリではなく、ポリドリが侍医として仕えていた主人のバイロン卿の名で出版されてしまった。この事情を知るには、わき道に逸れてしまうが当時の出版事情について、ざっくり知っておく必要がある。荒俣宏のアンソロジー「怪奇文学大山脈Ⅰ巻 西洋近代名作選 19世紀再興篇」:東京創元社(2014)において、荒俣が当時の西欧における出版事情について詳しく解説している。そしてせっかくなので、興味深いエピソードもついでに紹介しておこう。
19世紀に入ると、一般庶民にも読書という文化が根付こうしていた。次第に同趣向作品をまとめようとする動き、つまり専門誌化するようになる。それに伴い本の出版を手掛ける編者、あるいは編纂者という職業や、出版社が生まれてくるようになる。当時は著作権なんてものはまだ希薄で、著者名を明記しないということが割と普通だった。例えば最初のゴシック小説とされるホレス・ウォルポールの「オトラント城奇譚」は、初版は無記名だった。ベストセラーを出す作家も出てくるようになるが、版権を守り、印税や原稿料を確保する闘争の成果は、ようやく19世紀末に至ってチラホラ見えてきた程度だった。SFの父とも呼ばれる有名作家ジュール・ヴェルヌですら、豪腕の版元エッツェルに対してほぼ無力であって、有名な「海底二万里」をエッツェルの雑誌に連載した時ですら、月給制で書かされる「サラリーマン作家」だったという。このように、基本的には19世紀末までは、版元は著作権という意識が薄く、作家の力が弱かったことが伺える。だがウォルポールより数十年後の人物、「吸血鬼カーミラ」の作者、シェリダン・レ・ファニュはちょっと事情が違っていたようだ。彼は当時から大物という認識であったが、彼の有名な作品「緑茶」でさえ、当時は無記名で発表された。日本語訳もされたこの名作は、後にレ・ファニュ自身が自身の名前を公開して自著に収録したからよかったものの、彼の死去とともに埋没する可能性もあった。そもそもレ・ファニュは、政治臭の強い刊行物「ザ・ダブリン・ユニヴァーシティ・マガジン」の権利を買い取り、自身が編集人となって自身の小説を発表していたが、どれも無記名で発表している。政治的発言を自由にするために本名を隠したのではなく、単にそういう習慣がなかったと荒俣は見ている。だがレ・ファニュはやはり小説で自身の名を明らかにしたい気持ちがあったようで、作家に専念してからは単行本に必ず本名を使うようになった*1。
このように説明すると出版社があくどいように思えるが、出版社側としても相応の理由はあった。そのあたりの事情は、「あらゆる文士は娼婦である:19世紀フランスの出版人と作家たち」を紹介したダヴィンチ・ニュースの記事が簡潔にまとまっている。たしかにあくどい出版社も多くいた。だから、作家や詩人から才能を搾取する極悪人として描かれることもあるし、なかには本書に登場するヴァニエ書店のレオン・ヴァニエのように、人殺しと後ろ指を指される出版人もいたそうだ。「悪の華」で有名なボードレールも、ずいぶんと足元を見られたらしい。だが出版業者は出版業者の側で必死であった。本を売って利益を出さなければ会社は潰れてしまうし、同業他社との競争もある。場合によっては、自社に利益をもたらしてくれるはずの作家も敵になりうる。看板作家が出版業者を鞍替えするようなことは当たり前にある。ヴィクトル・ユゴーのようにいくつもの出版業者を手玉に取った、やり手の大御所作家もいた。ヴェルレーヌやゾラのように、金の無心や印税の前借りをもくろむ連中もいた。作家イコール善玉とは限らないのである*2。それに当時、本は多売するものではなく、貸本屋に太く短く売るものであり、庶民は貸本屋からレンタルする、というのが主流だった。こうした背景も、出版社が慎重にならざるを得なかった理由の一つだろう。
このようにポリドリが「吸血鬼」を出版した19世紀初頭という時代は、例外はあれど作家の力は基本的に弱かったのである。それこそポリドリの「吸血鬼」と同じきっかけでうまれたメアリー・シェリーの世界的名作「フランケンシュタイン」ですら、初版は無記名だった。学術的な本から引用できていないので鵜呑みにはして欲しくないが、メアリーの場合はテクスチュアル・ハラスメント、つまり「女にこんな偉大な作品が書けるわけないだろ!夫(男)が書いたのだろう!?」が原因だったようだ。女というだけで出版が断れられ、夫のパーシー・シェリーが序文を書かないと出版しないと言われたという*3。(註1)(註2)
学術論文でなくても、せめて出版日が明確な出版社を通じて発行された書物から引用すべきであるが、映画「メアリーの総て」のパンフレットでしかこの解説が見当たらない。初版に著者名を無記名にさせられたという事実は本当であること、映画のパンフレットも何かしらの資料を見て解説しているはずなので、見当違いなことは言ってないだろうと判断したこと、後に本文で紹介するが、メアリーはフランケンシュタイン以降の著作物では「シェリー夫人」か「フランケンシュタインの作者」と名乗り、自身の名前「メアリー・シェリー」を公開することがなかったという事実を踏まえて、今回パンフレットの記述を紹介することにした。もし他によい典拠をご存知の方は、ご一報ください。
註2
テクスチュアル・ハラスメントは現代でもある。その最たる例が世界的名作小説で映画にもなった「ハリー・ポッター」シリーズの作者・J・K・ローリングである。彼女は本名ジョアン・ローリングだが、本のターゲットとなる男の子が女性作家の作品だと知りたくないだろうと心配した出版社が、イニシャルを用いるように求めたためJ・K・ローリングと名乗ることになった。ローリングは受け入れおり、この件については詳細なことは言及が見当たらないが、これもテクスチュアル・ハラスメントの一例といっていいだろう。(参考:JKローリングwikipedia記事)
メアリーは確かに初版は無記名にされてしまったが、どうもメアリー自身もフランケンシュタインにおいて自身の名前を公開することには、当初はそこまで拘っていなかった節がある。メアリー・シェリーがバイロンに送った「フランケンシュタイン」初版の献呈本、三巻本の内の一巻目が、2011年に奇跡的に発見された。翌年ニューヨークでお披露目された際の記録によれば「ロード・バイロンへ、著者より」とあるばかりで、献辞にすら実名は書かれていなかった*4。このあたりの事情を、幻想画家・イラストレーター山田維史氏が自身のサイトで、より詳しく解説されているのを発見した。そこによると、この本を発見したのはロンドンの稀覯本古書店ピーター・ハーリントンの若き研究員サミー・ジェイ。彼は、これが偽の献辞ではないかという疑念を一方に抱きながら研究をした結果、「To Lord Byron」の「T」の筆法が、メアリーの他の直筆と明らかに同じであることから、メアリー本人が送ったものであると断定した。こうして世に一つしかない「作者メアリー・シェリーがバイロン卿に送った献呈本」が発見されることとなった。そしてニューヨークでのお披露目会だが、ピーター・ハリントンがその様子をYoutubeで公開していた。
「バイロン卿へ、著者より」
上記がそのお披露目会の動画とメアリーの直筆部分の画像。確かに「著者より」としか書いていない。以上を踏まえるとメアリーは、名前の公開に関してはどうも無頓着だったように見受けられる。だがやはり自身の名前は公開したい思いはあったようで、コルバーン・アンド・ベントリー社から出版されたフランケンシュタインの第三版にて*5、ようやくメアリーの名前がはっきりと明示された*6。これは娘の可愛さあまりに刊行に動いた父ウィリアム・ゴドウィンのの力があってからこそである。余談だが、フランケンシュタインの初版本は状態が良いと2千万の値がつくという*7。そしてこの世界に一つしかない、メアリー・シェリーがバイロンに送ったフランケンシュタインの献呈本は、ピーター・ハリントンは£350,000の値を付けた。日本円にしておよそ5千万円ほどである。オークションになればもっと跳ね上がるだろう。こうしてフランケンシュタインの第三版にて、ようやくメアリーは自身の名前を公開することができたが、名前を公開できたのはフランケンシュタインだけだったようだ。これ以後、夫パーシー・シェリーの詩の編集・出版する際は「シェリー夫人」と名乗り、その他の自身の作品では匿名か、「フランケンシュタインの作者」という肩書を使うことがほとんどだった*8。
盗作疑惑をかけられるポリドリ、そして自殺
本題のポリドリの話題に戻ろう。ポリドリの「吸血鬼」がなぜバイロン作とされてしまったのか。その原因は長いこと不明だったようだ。日本では1999年に翻訳された「幻想文学大辞典」では、『「吸血鬼」の作者の取り違えた理由は、ポリドリによるものなのか、出版社によるものなのかは議論の分かれるところである』*9とあるぐらいだ*10。だが2000年代に入り、ようやくその経緯を紹介するものが出てきた。ポリドリの「吸血鬼」の作者をバイロンと偽ったのは、最初に掲載した「ニュー・マンスリー・マガジン」誌の編集者(経営者)であったヘンリー・コルバーンの策略だった。彼は日本では全くもって知名度はないが、コルバーンは英語圏ではwikipedia記事が作られるほど、歴史に名を残した編集者である。銀のフォーク小説(ファッショナブル小説)というジャンルで、特に手腕を発揮したようだ。そのコルバーンは、当時自身の雑誌の売り上げが落ちてきたこと、そしてライバルである「ブラック・ウッズ・マガジン」誌の成功に焦りを感じていたことで、ポリドリの「吸血鬼」をバイロン作と偽ることを思いついたようだ*11*12*13*14。同紙はかねてからスイスへ逃亡したお騒がせ詩人バイロン卿のあとを追いかけており、愛人関係にあったメアリー・シェリーの血の繋がらない妹クレアとバイロンの醜聞を記事にしようとしていた。その過程でバイロンの情報を書き送っていた記者が、侍医ポリドリの書いた恐い小説をバイロンの作と誤って伝えてしまった*15。クリストファー・フレイニングや森口大地の書き方を見るに、どうもポリドリは「吸血鬼」を、バイロンに雇われていたジュネーブ滞在中には作っていて、その手稿をそのまま置き忘れており、ニュー・マンスリー・マガジン誌で掲載されるまで、どうも2年間忘れていたようである*16*17*18。記者はポリドリの「吸血鬼」とともに「ジュネーブからの手紙の抜粋(Extract of a Letter from Genev)」を添えてコルバーンに送ったのだが、この手紙も作者の取違えた原因となったようだ*19。この手紙は、手紙の書き手がレマン湖を訪れ、バイロン所縁の土地を回ったり関係のある人物に話を聞いたりして彼の足跡をたどるという内容で、「吸血鬼」の下敷きとなったバイロンの「断章」や、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」にも触れている。だが手紙には「吸血鬼」の作者には触れておらず、読者が勘違いしてしまうのも無理はなかった*20。この手紙を送った記者も「吸血鬼」の作者は、バイロンであると勘違いしていたようだ。荒俣宏、森口大地、細川美苗らは口をそろえて、作者の取り違えはコルバーンによる策略であると言っていることから、コルバーンが記者の誤報をそのまま利用することを思いついたのは、まず間違いなさそうだ*21*22*23。
1819年4月に「ニュー・マンスリー・マガジン」誌で掲載された、バイロン作と銘打たれたポリドリの「吸血鬼」は当時のヨーロッパで大層な人気を博し、ロンドンではその年の七版もの重版がかかる程、人気を博したという(註3)。その人気は国内のみに関わらず、1830年までにフランス語、スペイン語、ドイツ語、スウェーデン語、イタリア語など、欧州各国で翻訳されるほどの人気を誇った*24*25。アメリカにもすぐさま伝り、そのポリドリの「吸血鬼」人気に乗っかって、「黒人吸血鬼-サント・ドミンゴの伝説-」という作品が、おなじ1819年に出版されるほどの影響を与えた。題名に吸血鬼と銘打たれてはいるが、この作品の主題はあくまでハイチ革命と黒人差別の諷刺にあり、それをポリドリの吸血鬼の人気に乗っかる形で作られた小説のようだ*26*27。
ポリドリの「吸血鬼」が1819年中で重ねた版の数だが、ジャック・サリヴァン編「幻想文学大辞典」:翻訳多数/国書刊行会(1999) p.553では六版、森口大地の「19世紀におけるヴァンピリスムス」(2016)p.71では五版、同じ森口大地の「矮小化されるルスヴン卿」(2019)p.1では七版を重ねたとある。このように版の数が違うが、森口は2016年の論文では典拠を明示していないのに対し、2019年の論文では七版と訂正し、その上典拠を示していることから、近年では研究が進み七版存在したものと考えられる。森口が七版存在した根拠とした典拠:Cf. Baldick, Chris / Morrison, Robert: Introduction. In: id. (eds.): The Vampyre and Other Tales of the Macabre.Oxford 1997, pp. vii-xxii, here p. x.
バイロンの肖像画が描かれている。
もちろん本人のサインではない。
ポリドリ「吸血鬼」が掲載されたニュー・マンスリー・マガジン誌の実物。「吸血鬼幻想」河出文庫版p.169などでは、ニュー・マンスリー・レヴェー誌などと紹介されるが、実物画像を見る限りではニュー・マンスリー・マガジンである。
現在、吸血鬼の英語のスペルは"vampire"であるが"vampyre"となっている。これは18世紀においてヴァンパイアの英語が作られたのだが、その時は表記ゆれしていた。後にvampirが正式になるも、現在も英語圏の創作においてはvampyreの表記は使用される。マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」によれば、普通の吸血鬼とは違う、特別だったり強力な吸血鬼を表す場合に”y”表記のヴァンパイアを用いるという。日本の創作では「真祖」の設定が人気だが、乱暴に例えれば真祖みたいなものと思えば、理解し易いだろう。(真祖という意味があるわけではないことに注意)
こうしてポリドリが作った「吸血鬼」はバイロン作として、欧州全土に広まった。バイロンは、パリの英字新聞『ガリニャーニズ・メッセンジャー( Galignani's Messenger )』の広告で、ポリドリの「吸血鬼」の存在を初めて知り、バイロンは怒る*28。その理由は、自分の名前を勝手に使われたことがいたく不愉快であったからだ。しかも、バイロン自身が作り、ポリドリにも聞かせた散文「断章」から、あからさまに剽窃したシーンがあった。「断章」はバイロンが散文の冗長さに耐えきれず、途中で筆を置いた未完成であるが、それでも剽窃したとなるとバイロンの作家としての矜持からは、到底許せるものではなかったようだ。バイロンは早速行動を起こした。滞在先のヴェネチアから編集者のガリニャーリに、即刻本当の作者を明らかにし、バイロン作でないことを明示することを強く要望する手紙を1819年4月27日に書き送った*29*30。そしてバイロンは「おまけに私は、吸血鬼が個人的に嫌いであって、それは私が彼らを殆どしらないからだ」と付け加えている。ポリドリの死後も、バイロンは手ひどく傷つけられた私の名望を救うために、中傷から身を守らなければならないと、知人への手紙で訴えている*31*32。
マレーはバイロンの詩「マゼッパ」に、「断章」を付録としてつけて出版したのだが、どうもマレーの独断であったようで、バイロンは「お前は私の許可なく出版した。この大バカ者!」(註4)という非難の手紙を書き送っている*33。後にバイロンはマレーに対する不信感から、彼に出版を頼まなくなるのだが、恐らくこの出来事がきっかけだろう。
フレイニングの「悪夢の世界」p.118では、「断章」をマゼッパに付けて出版することは、バイロン自身がマレーに直接依頼した旨の解説をしている。しかも「即刻出版するように」とまで言っている。だが「断章」のwikipedia記事では、マレーが勝手に出版したようで、マレーの勝手な行動に対してバイロンが激怒したとある。wikipediaを信じた理由は、記事の典拠がバイロンの手紙を書き写したものであったから。当事者の手紙には、断章を勝手に出版したマレーを大いに批判していた。手紙には「be damned to you!」とある。19世紀の英語と単純に比較はできないが、現代ではdamnedは直訳すると「呪われよ」「地獄へ落ちろ」という意味になる。だが「damned fool」で「大バカ者」という意味になるので、バイロンは「この大バカ者」というニュアンスで言ったものと個人的には思っている。
ちなみに、「フランケンシュタイン」第三版のまえがきにおいて、メアリー・シェリーはディオダティ荘の怪奇談義でバイロンが「断章」を作ったこと、それが「マゼッパ」にが添えられて出版されたことを説明している。
「皆でひとつずつ怪談を書いてみないか」というバイロン卿の提案が、受け入れられた。私たちは四人。この高貴な詩人が書き始めた物語の断片は、彼の詩『マゼッパ』の後ろにそえて出版された。
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」:森下弓子・訳/創元推理文庫(1984) p.8
本文では強調されていないので分かりづらいが、物語の断片というのは「断章」のことである*34。この後メアリーは、ポリドリは当初作ろうとしていたのは「頭が髑髏になってしまった女性の物語」であることを説明している。
閑話休題。ポリドリが作った「吸血鬼」がバイロン作として広まったことは、当のポリドリも青天の霹靂だった。ニュー・マンスリー・マガジン誌の1819年4月1日号で、「吸血鬼」がバイロン作として公開されたが、ポリドリは早くも翌日の4月2日にはニュー・マンスリー・マガジン誌の編集者ヘンリー・コルバーンに、4月3日にはモーニング・クロニクル誌の編集者ペリーに手紙を送っている。内容はコルバーンの勝手な行動と正当な報酬を求めたものだ*35。コルバーンに宛てた手紙には次のように書かれている。
「怪奇文学大山脈Ⅰ」 荒俣宏 p.43
土台は確かにバイロンの案だが、ある婦人の依頼によって書き上げたものである。この婦人は、本作品において、バイロンが自身の幽霊物語に使おうと公言した材料が流用された可能性を、一切否定している。
ジョン・ポリドリの「ヴァンパイア」 細川美苗 p.56
ヴァンパイアはバイロンの作品ではなく,ある貴婦人の要望に従ってすべて私が書いたものなのです。私はそれを何もすることのない午前中に二日間かけて書きました。
補足
「怪奇文学大山脈Ⅰ」p.43において荒俣宏は、1819年4月1日号において「吸血鬼」がバイロン作として公開され、その小説の前に、ポリドリが寄せた抗議文(ある婦人の依頼によるもの)も掲載したと説明しているが、どう考えても抗議文が4月1日号に掲載されていたというのはありえない。細川美苗はこの抗議文は4月2日に書き送ったものと説明、その日付の根拠となる典拠も紹介していることもあり、荒俣宏の解説の時系列はおかしいと判断した。
また、この「ポリドリの手紙」の内容だが、細川は実物ではなく、Matthew BeresfordとFranklin Charles Bishopの論文からの孫引きしている。細川によれば、ベレスフォードとビショップでポリドリの手紙の内容がわずかに違っているという。ただ、ポリドリが『ヴァンパイア』をバイロンではなく、自分の書いたものだとしている点では一致している。細川と荒俣で手紙の内容が微妙に違うのは、それぞれ孫引きした典拠が違うのだろう。細川はビショップのものから引用しているので、荒俣はベレスフォードの書籍から引用したものと思われる。(荒俣は典拠などは一切明示していない)
ある婦人とは、メアリー・シェリーのことである。こうしてポリドリは「吸血鬼」は「断章」の剽窃ではないという反論を行っている*36*37。
コルバーンは次号にポリドリからの手紙を掲載し、彼lこ小説の対価を払うということで合意したが、全額を支払わなかったどころか、前号に掲載されていた、副編集長のアラリック・ワッツによるポリドリの権利を仄めかすす但し書きまで削除した。ポリドリ、バイロン双方から正しい作者を公開するように要請があったのにも関わらず、コルバーンはのらりくらりとかわしていった。結局ポリドリが手にいれたものは、わずか30ポンドのお金と、盗作者、ペテン師といった汚名だけだった*38*39。
ポリドリは紆余曲折を経てイギリスへと戻る。1821年、バイロンの影響を受けて作った詩「天使の堕落"The Fall of the Angels"」を匿名で発表する。同年5月5日に公開されたものが唯一の既知のレビューだが、その内容は否定的なものだった。結局医者としても作家としても大成しなかった彼は、酒とギャンブルにおぼれて借金を背負う。その後馬車の事故により脳に損傷を負ってからというもの、身体的にも精神的にも衰弱してしまった。そして1821年8月24日、26歳の誕生日を目前とするときに、シアン化合物を煽って服毒自殺した。キリスト教では自殺は罪であり、現代でも自殺者と分かると埋葬を拒否される場合がある。だからか検視官は、死因は自殺とはせず「神の到来」と表現し、ポリドリに配慮した。敬虔なキリスト教徒である父ガエターノは、息子の自殺は信じなかったという*40*41*42*43。
バイロン卿と吸血鬼ルスヴン卿、その共通点
編集者ヘンリー・コルバーンの策略により、ポリドリの「吸血鬼」は、バイロン作として発表されたが、当時の読者はバイロン作として疑いもしなかった。理由の一つは以前の記事で説明したように、バイロン的主人公:バイロニック・ヒーローの要素がある作品だったからだ。バイロン作品の主人公はバイロンの自己投影したキャラであることが多い。その点ポリドリの「吸血鬼」に登場するルスヴン卿は、女どころか男すらも魅了する色白の美形の貴族、女を破滅させる男であった。ルスヴン卿の外見はこの程度の描写しかないが、それがかえって読者の想像を膨らませることになった。バイロンも色白の美形で男すらを魅了していたことは、当時の人々からすれば周知の事実。マシュー・バンソンは、ルスヴンは単に偶然とはいえないほどバイロンに似ており、所謂文学におけるバイロン的吸血鬼のモデルとなったという点で、極めて大きな影響力を持つにいたったと評価している*44。他にもバンソンは、ルスヴンは様々な点でバイロンのパロディであり、ポリドリの吸血鬼は「吸血鬼」という存在にロマンティックなイメージと貴族性を付与した。そして大量の模倣作品を生み出し、これらがまた吸血鬼のバイロン的イメージを強めて、吸血鬼の一般的なイメージをそのように変えていったと解説する*45。何度も言ってきたが現在吸血鬼と言えば、夜会服を身にまとった美形という造詣にされることが多い。このあたりから海外の評論家を中心に、ルスヴン卿こそが吸血鬼の始祖だと評価される所以だろう。
ルスヴン卿のモデルがバイロン卿だと思われたのは、ルスヴンという名前自体も大いに関係がある。ポリドリがルスヴンと言う名前を採用した理由は、二つの説がある。一つはバイロン家の借家人であったグレイ・ド・ルスヴンに由来するというもの。そしてもう一つが、バイロンのかつての愛人であったキャロライン・ラムが書き上げた小説の登場人物に由来するというものだ。こちらの方がどうも有力視されているようだ。以前の記事で散々解説したが、キャロライン・ラムはバイロンに捨てられた後、バイロンを呪うようになったかと思えば、愛も残っていたようで現在でいうストーカーになるなど、愛憎入り乱れた感情をバイロンに抱いていた。バイロンが祖国追放されたあと、キャロラインは一つの小説を書きあげていた。それは「グレナヴォン"Glenarvon"」という小説で、これはバイロンやキャロライン自身を登場させた私小説であり、バイロンを揶揄する意図で書かれたものだ。その小説でバイロンは、グレナヴォン卿クラレンス・ド・ルスヴンという名前で登場している。グレナヴォン卿(バイロン)が無邪気で若い花嫁のカランサ(キャロライン自身)を腐敗させ、相互破壊と死を招くという内容だ。当時バイロンは何をしても社交界の花形。女性はバイロンに話しかけられるのを心待ちにしていた。だがそんなバイロンは、近親相姦や男色や離婚が原因で悪評が高まり国外追放となる。そんな中、話題のバイロンとキャロライン、他にも実在の人物を登場させた小説が出てきた。だからゴシップを心待ちにしていた人たちに売れてベストセラーとなったようだ。こうした背景があるなかで、バイロン作として発表された「吸血鬼」に、ルスヴン卿という名の吸血鬼が出てくれば、当時の人がルスヴン卿のモデルがバイロンであると思うのは必然だろう*46*47*48*49*50。
上記は、現在販売されているキャロライン・ラムの小説「グレナヴォン」の表紙の例。バイロンの肖像画を使っているものすらある。色んな版があり、それらは日本のAmazonで購入できるので、英語が読めるかたは挑戦してみるといいかも。
何の因果かだろうか、「グレナヴォン」を出版したのは、ポリドリの「吸血鬼」の出版を手掛けた編集者のヘンリー・コルバーンである。というかコルバーンが出版事業を成功するきっけかとなったのが、キャロライン・ラムの「グレナヴォン」なぐらいだ*51。そんな「グレナヴォン」の評価だが、当時は好評だったが、後世の評論家は「パルプ・フィクション(マガジン)」だと評した。パルプ・マガジンは簡単に言ってしまえば当時アメリカで流行した安っぽい雑誌のこと。つまりグレナヴォンは低俗だという評価がなされたのだが、あのゲーテは「真剣に文学的考察する価値がある」と評価したという*52。
そんな「グレナヴォン」をバイロン自身も読んでいた。バイロンに「グレナヴォン」の存在を教えたのは、フランスの批評家、フェミニズム先駆者、そしてナポレオンと対立したスタール夫人である。スタール夫人は離婚したアナベラとの仲を取り持つべく、ディオダティ荘滞在中のバイロンを訪ねていた。その時にスタール夫人は「グレナヴォン」をバイロンに貸した*53*54。当然、ディオダティ荘に一緒に滞在していたポリドリも、グレナヴォンの存在は知っていたものと思われる。ルスヴンという名前が小説「グレナヴォン」から取られたものと考えられるのは、こうした状況証拠があることも一因だろう。
さて、ポリドリの吸血鬼はヘンリー・コルバーンにより、バイロン作ということで勝手に出版されたわけだが、ポリドリは作者が自身であることを示した第二版を出版しようと計画していた。その第二版では吸血鬼の名前をルスヴン卿ではなく、ストロングモア卿"Load Strongmore"に変えようとしていることを、妹に宛てた手紙に残している*55*56*57。変更しようとした理由は不明だが、ルスヴンという名前は、どうしてもバイロンを想起させてしまう。自身の小説であることを知らしめるために、バイロンを想起させるものは消してしまいたかったのだろうということは容易に想像できる。だがはポリドリは自身の名前で出版することはかなわず、「吸血鬼」はバイロン作ということで世に広まることとなった。個人的意見を言えば、名前の響き的にルスヴンはかっこよく思えるが、ストロングモア卿はなんかごついイメージがあって、ダサく感じる。もっといい名前はあっただろうに……
今回はここまでにしたいと思います。今回はマニアックな話もしましたが、ルスヴン卿からストロングモア卿に変更しようとしていたエピソードは、日本では書籍や論文では紹介されておらず、当ブログが最初に紹介したといっても過言ではないほど、貴重な情報です。こんな面白い情報を私一人で抱えていても仕方がないので、今回紹介させて頂きました。次回はポリドリの「吸血鬼」が生み出した、熱狂的な「吸血鬼ムーブメント」について解説していきます。
さて、ここまでがニコニコのブログサービス「ブロマガ」で先行して紹介した内容となり、これでようやくブロマガからの記事移行が完了しました。次回からは新規で記事内容を作っていくので、更新が遅くなります。
下は元記事のアーカイブ(2021年4月4日、ニコニコのブロマガで投稿したもの) web.archive.org
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次の記事➡ドラキュラ以前に起きた「第一次吸血鬼大ブーム」・大デュマの運命も変えた
*1:荒俣宏編「怪奇文学大山脈Ⅰ 西洋近代名作選【19世紀再興篇】:東京創元社(2014) pp.15-21
*2:ダヴィンチ・ニュースより「出版社vs.作家!? 名作誕生の裏にバトルあり」:2017.11.12更新分
*3:映画「メアリーの総て」のパンフレットより
*4:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 pp.23-24
*5:フランケンシュタインにてメアリーの名前が公開されたのは、1823年の第二版からだとする説もある。荒俣宏氏は第二版だと説明している(怪奇文学大山脈Ⅰ p.24)。映画「メアリーの総て」のエピローグでも第二版としていた。
*6:クリストファー・フレイニング「悪夢の世界 ホラー小説誕生」:訳・荒木正純他/東洋書林(1998) pp.86-87
*7:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 p.24
*8:メアリー・シェリー「マチルダ」:市川純・訳/彩流社(2018) p.188
*9:ジャック・サリヴァン編「幻想文学大辞典」:国書刊行会(1999) p.553
*10:ただもっと前に、作者の取り違えの理由を掴んでいた研究者は当然いた可能性がある。
*11:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 pp.25-26
*12:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 pp.70-71
*13:矮小化されるルスヴン卿 --1820年代の仏独演劇におけるヴァンパイア像--
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2020/01 p.2
*14:ジョン・ポリドリの『ヴァンパイア』 ―― 出版の背景と英語圏における吸血鬼小説への影響――
細川美苗 松山大学 言語文化研究第38巻第1-1号(抜刷)2018/09 p.55
*15:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 pp.25-26
*16:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.2
*17:「悪夢の世界」p.117
*18:ジョン・ポリドリのヴァンパイア 細川美苗 p.56
*19:「ジュネーブからの抜粋の手紙」の作者は定かではないが、1828年に『バイロン卿の私生活(Private Life of Lord Byron)』を出した三流の雇われ作家ジョン・ミッドフォードではないかとされる。
参考:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.2
*20:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.2
*21:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 p.25
*22:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.2
*23:ジョン・ポリドリの「ヴァンパイア」 細川美苗 p.55
*24:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:松田和也・訳/青土社(1994) p.341
*25:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 pp.1-2
*26:Vampires on the Margins: The Black Vampyre-WWAC
*27:"The Black Vampyre: A Legend of St. Domingo" 英語wikipedia記事
*28:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.3
*29:種村季弘「吸血鬼幻想」:河出文庫(1983) p.169、薔薇十字社版(1970) p.129
*30:矮小化されるルスヴン卿 森口大地 p.3
*31:「吸血鬼幻想」 p.169、薔薇十字社版 pp.129-130
*32:「悪夢の世界」p.118
*33:"Fragment of a Novel" 英語wikipedia記事
*34:大抵、断片という日本語があてられるが、南条竹則による唯一の完訳では「断章」という訳になっている。当ブログでは分かり易さを優先して、「断章」というタイトルで紹介している。単純に「断章」の方がかっこよくて好きというのもあるが。
*35:19世紀前半におけるヴァンピリスムス 森口大地 p.71
*36:「怪奇文学大山脈Ⅰ」 p.43
*37:19世紀前半におけるヴァンピリスムス 森口大地 p.71
*38:「幻想文学大事典」 p.553
*39:19世紀前半におけるヴァンピリスムス 森口大地 p.71
*40:「幻想文学大事典」 p.552
*41:ジョン・ポリドリの「ヴァンパイア」 細川美苗 p.55
*42:バイロンとポリドリ:ヴァンパイアリズムを中心に
相浦玲子 滋賀医科大学基礎学研究 (9), 9-30 1998/03 p.12
*44:「吸血鬼の事典」 p.95
*45:「吸血鬼の事典」 p.397
*46:「吸血鬼の事典」 p.341
*47:"Glenarvon" 英語wikipedia記事
*48:「幻想文学大事典」 p.553
*49:19世紀前半におけるヴァンピリスムス 森口大地 p.70
*50:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.24
*52:”Lady Caroline Lamb” 英語wikipedia記事
*53:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.24
*54:アンドレ・モロア「バイロン伝」:大野俊一・訳/角川文庫(1968) pp.351-354
*55:”Lord Ruthven (vampire)”) 英語wikipedia記事
*57:Frankenstein - Third Edition 左リンク先文章のGoogle翻訳