- 最初の吸血鬼小説の作者とバイロン卿との出会い
- ディオダティ荘に集結するバイロン一行
- 歴史的一夜「ディオダティ荘の怪奇談義」
- 詩人バイロン卿と吸血鬼ルスヴン卿の共通点
- 【補足①】 ディオダディ、それともディオダティ?
- 【補足②】怪奇譚を書くように提案したのはバイロンではない?
- 【補足③】ディオダティ荘の怪奇談義の時系列について
- ディオダティ荘の怪奇談義をモチーフとした劇や映画について
最初の吸血鬼小説の作者とバイロン卿との出会い
前回は、バイロンが祖国追放となり、近親相姦の関係となっていた最愛の姉・オーガスタと涙のお別れをした11時間後に作った愛人・クレア・クレアモント*1に、スイス・ジュネーブへ行くことを示唆したところまで解説した。今回はいよいよ、「最初の吸血鬼」小説が生まれたきっかけであるディオダティ荘の怪奇談義について解説する。
1816年4月、ついにバイロンが祖国を出る日がやってきた。随行者は、いつも身近に仕えていた忠僕フレッチャー、美少年の小姓ラッシュトン、雇ったスイス人の世話係、そして今回の主役、最初の吸血鬼小説を書くことになるバイロンの侍医、ジョン・ポリドリである*2。
記事③で紹介したように、ポリドリはスコットランドにあるエディンバラ大学の医学部を20歳で卒業した。だが法律の違いにより、ポリドリの地元であるロンドン(イングランド)で開業するには26歳になり、さらにイングランドでの試験にもパスしなければ、開業できないという事情があった。そこでポリドリは26歳になるのを待たず、バイロン卿の侍医となる道を選んだ*3。
バイロンは離婚前、下剤を乱用、脅迫的な接触、アルコールに溺れるなど、精神的にも肉体的にも変調をきたしていた。肝臓の病気から脳に変調を与えて狂気に陥らせたなどと診断されていたので、バイロンが侍医を連れて旅にでることは、極めて自然なことだった*4。一方、ポリドリは元々文学に興味があったので*5、詩人として名高いバイロンの侍医になることは、渡りに船だったことだろう。
バイロンがポリドリを選んだ理由は、下剤の乱用で苦しんでいたバイロンを治療した、ウィリアム・ナイトン卿の推薦が挙げられている*6。双方にとってメリットがあるように思われたが、バイロンの周り、特に大学からの友人ホブハウスは、ポリドリを連れていくことを強く反対した。というのも、ポリドリはおしゃべりで出しゃばりな性格だったので、何かと癇癪を起しやすいバイロンとは合うはずがないと思ったようだ。だが、バイロンは周りの反対にも関わらず、ポリドリを連れていくことにした。何らかの興味を抱いたことは確かだとされる*7。以前の記事で散々触れたように、バイロンには男色趣味があり、ポリドリのことを知人のハリエット・マーティノーは「美男」と言ってるので、もしかしたら愛人を兼ねていたのかもしれない。(あくまで私の勝手な憶測であることに注意)(註1)
註1 ちなみに、この記事後半で紹介する映画では、ポリドリは同性愛者にされている。詳細はその時に紹介する。
祖国を出る前、ポリドリはバイロンの旅行記を公開可能な日記として記録しておくよう、バイロンの友人で彼の本の出版も手掛けたジョン・マレーから500ギニーで頼まれることとなる。この件に関して、クリストファー・フレイニングは「バイロンはこの件はあずかり知らぬことだった」と述べているが*8、相浦玲子は「バイロンは承知していた」としている。相浦は根拠として以下のように述べる。
ポリドリが妹に宛てた次の一節
"Some time you will either see my Journal in writing or print-Murray having offered me 500 guineas for it through Lord Byron”を読むと、バイロンもこのことを承知していたらしいことがわかる。
参照:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.11
要約すれば、500ギニーはマレーからバイロンを通してポリドリに支払われたらしい。私の個人的な意見も交えるが、他の出版社ならいざ知らず、バイロンの友人であり、しかも借金苦で困っていたバイロンに無償で金を分け与えようとしたマレーが(前回記事参照)、バイロンをだまし討ちするような真似をするとは考えにくい。
さてそのポリドリの日記だが、後世の評論家からの評価は散々だ。フレイニングは、「『日記』を見ればよくわかることだが、彼(ポリドリ)はそれほど文才に恵まれた人物ではなかった」と言う*9。その具体的な内容だが、バイロンのことを書くように依頼されていたのにも関わらず、ポリドリは自分の名前を高めることに熱心だったので、日記にはバイロンのことよりも自分のことに関してばかり書いていた。挙句の果てには妹に宛てた手紙には、「自分とバイロンとは対等の立場にいる」とまで書く始末。かなり調子に乗っていたようだが、その一方で日記には自分のことを「単なる装飾物に過ぎない」とか「月影に隠れた星」などと、バイロンには及ばないことも正直に吐露していたようだ*10。
この日記は、ポリドリが早々とバイロンに解雇されたこともあって、ポリドリ存命中にはついに公に発表されることはなかった。この日記は以前紹介したポリドリの甥であるウィリアム・マイケル・ロセッティにより編纂され、1911年にようやく出版された*11*12。ウィリアムによる解説もついている。それは現在、日本のamazonでも購入できるほか、日本の青空文庫に当たるプロジェクト・グーテンベルクにて無料で閲覧できるので、興味がある方はぜひご覧頂きたい。
ディオダティ荘に集結するバイロン一行
さてバイロンとポリドリの旅の話に戻そう。当初バイロンは、敬愛したナポレオンの国フランスに赴こうとしたが、フランス当局はバイロンを危険人物だとして入国を拒否した。当時のフランスは周辺国ではいち早く同性愛は罪ではなくなったが、敵国だったイギリスで極悪人扱いされているバイロンという火種を抱えたくなかったことは、容易に想像できる。そこでバイロンはドイツなどを経由した後、スイス・ジュネーブへ行くルートを選択、1816年5月25日、スイス・ジュネーブの街の手前のホテルに投宿する。そして後日、祖国を離れる前に愛人関係となったクレア・クレアモントが、バイロンを追いかけてこのホテルにやってきた。そしてバイロンはレマン湖が見渡せるディオダティ荘(ヴィラ・ディオダティ)へ移り渡っていた*13。
このヴィラ(屋敷)は、ガブリエル・ディオダティが18世紀初めに建設を監督して以来、その家族の持ち物へとなっていた。だがバイロンが訪れた当時は、家主は別の場所に住んでおり、来訪者に賃貸していた。そこをバイロンが借りて住むことになった。ちなみにそのディオダティ荘は上記写真のように現存している。それは、当時から残ってるレマン湖畔の周りの大きな屋敷のなかで一番保存状態がよく、「詩人バイロン卿が『チャイルド・ハロルドの巡礼第三篇』を書いた」という記念の銘板が、誇らしげに掲げられているという*14。
そのディオダティ荘に滞在しているバイロンを追って、ついにクレアが追いつく。だが来たのはクレアだけでなく、血の繋がらない姉であるメアリー・ゴドウィンと、そのメアリーと当時愛人関係であった、イギリスのロマン派詩人・パーシー・シェリーも一緒に連れだっていた。クレアとメアリーが血がつながらない姉妹というのは、親同士の再婚によって姉妹になったからである。1816年5月27日、バイロンは初めてパーシーと出会った*15。
(1792~1822)
後にイギリスの詩人・ロバート・サウジーに、バイロンと共に「悪魔派」と呼ばれることになるロマン派の詩人。前回記事で紹介したウィリアム・ゴドウィンに心酔し、彼の秘書となる。借金まみれのゴドウィンも、彼の一族の資産に目を付けて、金をたかる目的で秘書にしたようだ。妻はコーヒー店を経営している一家の娘であるハリエット・ウェストブルック。だが妻子がいるのにも関わらず、ゴドウィンの血のつながった娘メアリーと恋仲になる。これにゴドウィンは激怒、二人はクレアと共に駆け落ち、各地を転々としていたところ、ついにバイロンのところに行きついたという流れだ。バイロンのところに来た時、二人には2人目の子となる、生後数か月の息子ウィリアムも抱えていた。最初の子供は生まれて11日で死んでいる*16。
学生時代に「気狂いシェリー」とあだ名されたように、彼はかなりの変わり者だ。反時代的なオカルト思想に熱中していたほか、オックスフォード大学時代、宗教色の強い街オックスフォードで、無神論を説くパンフレットを販売して放校処分を食らっている*17。そしてゴドウィンの「政治的正義(初版)」の中にあった「自由恋愛主義」を、自分の都合のいいように解釈する(ゴドウィンは後の版ではその個所を改定している)。その結果、友人のトマス=ジェファーソン・ホッグに「妻ハリエットを共有しよう」などと持ち掛けている*18。そしてそのホッグにメアリー・ゴドウィンも言い寄られて(主に性行為を求められた)メアリーは泣いた。それをパーシーに相談するも「どうせなら関係を持ってみてはどうか」と逆に勧められてしまい、メアリーは人間関係に悩むことになる*19*20。そしてメアリーと逃避行に落胆する妻ハリエットに対しても、「メアリーを妻として、君は『霊の妹(心の友)』として一緒に暮らさないか」と大真面目に提案し、ハリエットに深刻なショックを与えた*21*22。こうして夫が原因の人間関係に苦しんだハリエットは、後に入水自殺するが、その時他の男の子種を宿していたという。(註2) 是非はともかくとして「自由恋愛主義」の思想に関しては一貫していたことには違いない。
註2
パーシー・シェリーのwikipediaには、ハリエットは他の男の子種を宿していたとあるが、その相手はマックスウェル大佐(大尉)だとされる。だが夫パーシーの可能性も完全には否定できず、パーシーとの子の可能性もあるという。詳細は「死と乙女たち」pp.242-244と典拠を参照。p.242ではマックスウェル大佐となっているが、次ページでは大尉となっている。単純なミスなのか、それとも意図的に変えて紹介したのかは不明。
バイロンはパーシーと会うのは初めてであったが、パーシーの「クイーン・マブ(1813)」を既に読んでおり、彼のことは既に知っていた*23。そして瞬く間に二人は意気投合する。パーシーの愛人メアリーの日記には、バイロンはパーシーと二人きりで話すことを好んでいたようだ。パーシーがバイロンを優先したことに関して、メアリーはどうも困惑していたように思われる。ポリドリの日記にも、バイロンがパーシーとだけ食事をし、会話をすることを好んだことが明らかにされている*24。
こうした状況が面白くなかった者がいる。それはもちろん、バイロンの侍医であるポリドリである。マシュー・バンソンは「ポリドリはメアリー・ゴドウィンを一目見て、彼女が嫌いになり、劣等感を抱いた」と言っている*25。だがオンライン・ジャーニーの情報では、ポリドリはアリーにほのかに想いを寄せるようになったが、当の本人に「兄のように思っている」と言われしまい、落ち込んだという*26。主人バイロンは、ポリドリがメアリーに恋していると思っていたようだ。実際ポリドリは、メアリーを救おうとして跳んだ時くるぶしをくじいてしまい、しばらく足が悪くなった*27*28。また次回記事で述べるが、後年ポリドリは自分の「吸血鬼」に盗作疑惑が出たとき、メアリーを引き合いにして盗作ではないという言い分を述べた事実がある。本当に嫌っていれば、メアリーを引き合いにして言い訳するなど、ちょっと考えられないというのが個人的な意見である。
ポリドリはメアリーを嫌っていたとは考えにくいが、メアリーの愛人パーシーを嫌っていたのは事実なようだ。主人バイロンを取られたような気がして嫉妬してたという。それに対しパーシーはあまり相手にしなかった。ポリドリは、些細なことでパーシーに決闘を申し込むようになるが、射撃が上手いバイロンが変わると言い出してようやく申し出を引っ込めるという有様だった。メアリーの日記にも「ポリドリは、バイロンとシェリー貴族的な親密さに嫉妬していた」と残されている*29。ただ気に入らない相手とはいえ、パーシーへの医療行為はきちんとしていたようで、度々エーテルもしくはアヘンチンキを処方していた。ちなみにバイロンには前回紹介した当時人気のあったアヘン混合物ブラック・ドロップを度々処方していた*30。ポリドリは決闘以外にも、機会をとらえてはパーシーを捕まえて生命観のようなことをたびたび議論していたようだ*31。こうして過ごす中、1816年の6月初旬、クレアは自分が妊娠したことをバイロンに告げた。バイロンは「そのガキは俺の子か?」と言った*32*33。そしてバイロンはオーガスタに、クレアから執拗に夜の誘いのことで手紙で相談する。実はバイロンはスイスへ逃亡しても、芸能スキャンダルのために常に好奇の目で見られていた。ディオダティ荘に着いた直後は、「バイロンの連れた小姓は、(かつての愛人)キャロライン・ラムか、(腹違いの姉)オーガスタが変装しているのだろう」と噂された。レマン湖の向こう岸ではバイロンを一目みようと、イングランド旅行客が押し寄せた。そしてホテルは望遠鏡を貸し出すようになる。ディオダティ荘でのバイロンの暮らしぶりの情報が、英国へと逐一報告され、瞬く間にバイロンの噂が英国へと流れた。そして女性トラブルが起きたことが、まるで事実であるかのように、最愛の姉オーガスタの耳に届いてしまっていた。先ほどの手紙は、それを弁明するものでもあったようだ*34*35。
ディオダティ荘滞在中のバイロンは、あることないこと噂された。例えば、バイロンは町中の処女を襲うと噂されたし*36、テーブルクロスを干しているだけだけなのに、それは少女たちのニッカ―(婦人用のショーツ) であるなどとも噂された*37。極めつけは、英国からの旅行客グレンバーヴィー卿シューベスター・ダグラスの日記だ。次のように書いている。
バイロンは今、ディオダティ荘に例の女性と一緒にいる。シェリー夫人というらしい。つまり、マウント・コーヒー店の経営者の妻だという。*38
滅茶苦茶である。バイロンの愛人はクレア・クレアモントであり、パーシー・シェリーとメアリー・ゴドウィンはこの時まだ結婚していない。そしてマウント・コーヒー店の経営者の妻は、パーシーの正妻ハリエット・ウェストブルックである。人の噂がいいかげんで無責任なのは、昔も変わらないことが伺える。
歴史的一夜「ディオダティ荘の怪奇談義」
パーシーと意気投合したバイロンは、たびたび二人で議論していた。愛人のメアリーは二人の話を聞くだけだった。その一例をあげると、当時話題だったガルヴァーニ電気のこと、『進化論』で有名なチャールズ・ダーウィンの祖父であるエラズマス・ダーウィンが行った「電気を通してパスタを動かす」実験のこと、そして当時最先端科学であった生気論について、たびたび論議していたようだ*39*40*41。また上記でも説明したが、ポリドリもパーシーを捕まえては、生命観についてパーシーと議論していたことが、メアリーの日記に残されている。
一同が集った1816年の夏という時期だが、前年にインドネシアのタンボラ火山が大噴火した影響で、1816年は夏のない年と言われるほど北半球は寒冷化、欧州は夏にしては寒く雨が続いていた。ちなみに日本は、一般的には影響は少なかったとされる(冷夏程度)*42。こうした事情があるので、ディオダティ荘にいる間のバイロン卿は外出できず、部屋の中に閉じこもる日々が続いていた。当然、暇を持て余す日々が続く。なので先ほど紹介した、生気論などについて色々談議していた。1816年6月16日の夜、バイロンはパーシーやポリドリらと共に朗読会を開く。手元にあったのは、ヨハン・アウグスト・アペルとフリードリッヒ・ラウンが書いたドイツの怪奇譚集Gespensterbuch:幽霊の本をフランス語訳したFantasmagoriana:ファンタスマゴリアーナだった。
編者アペル(日本wiki)(独wiki)
編者ラウン(独wiki)
フリードリッヒ・ラウンは仮名で、本名はフリードリヒ・アウグスト・シュルツェ。「幽霊の本」は全7巻あり、最初の巻は1811年に出版。その1巻目の1つ目の作品が”Der Freischütz”:魔弾の射手である。これは、ヨハン・フリードリヒ・キーント台本、カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲した有名なオペラ「魔弾の射手 作品77、J.277」(1821年初演)の元となった作品だ。上記の画像はその「魔弾の射手」の挿絵で表紙を飾っている。オペラ「魔弾の射手」は吸血鬼関連の創作であれば、漫画「HELLSING」において、敵の人狼(吸血鬼?)リップヴァーン・ウィンクルの二つ名と能力として登場、実際、オペラの一幕が引用されるシーンがある。(HELLSING 5巻)
上記の「幽霊の本」は1812年、ジャン・バプテスト・ブノワ・エイリエにより仏訳された*43。1巻と2巻から抜粋されて仏訳されたが、有名な「魔弾の射手」は翻訳されなかった。吸血鬼関連の本では「ファンタスマゴリア」と表記されることが多いが、「ファンタスマゴリアーナ」と言う方が、元のフランス語の発音に近い。この中の内、L'Amour Muet:ラムール・ミュエという作品は、ポリドリの「吸血鬼」やメアリーの超有名作に影響を与えたとして有名なようだ。"L'Amour Muet"は英語だとThe Spectre-Barber:理容師スペクターという題名になり、英語wikipediaに記事があるので、詳細はそちらを見て頂きたい。
「幽霊の本」の英訳版。仏訳の「ファンタスマゴリアーナ」からの重訳となる。
1816年6月16日の夜、バイロンはこの仏語の「ファンタスマゴリアーナ」を朗読した。朗読を終えた後、バイロンは一つの提案をする。それは「自分たちでも一つ、怪奇譚を書いてみないか?」というものだった*44*45。この戯れに一同は賛同する。そしてバイロンは早くも翌日6月17日に、一つの作品を皆の前で紹介する。それは”Fragment of a Novel”という作品で、"A Fragment" や "The Burial: A Fragment"としても紹介される。日本においては「断片」という名で紹介ことが多いが、南条竹則により「断章」というタイトルで邦訳されている。
”Fragment of a Novel”のwikipedia記事、相浦玲子、種村季弘らは、この「断章」を吸血鬼物語などと紹介しているが*46*47、本文中には吸血鬼では出てこず、またバイロンがこの後吸血鬼を登場させるようなことを言及したものを私は見たことがない。それはともかくとして、この作品は序盤までの未完成品で、バイロンはたった1日で筆を置いてしまった。後年のメアリーの回想では、バイロンは散文の単調さに嫌気がさしたようだ。では他のメンバーはどうのなかというと、パーシーも怪奇譚というのは性に合わず、少年時代の体験に基づいた話に取り掛かった。クレアはどうも最初から書こうとはしなかったようである。結局この日のメンバーで最初に作品を完成させたのは、パーシーの愛人メアリーだった。この朗読会が行われた2年後の1818年、晴れてパーシーと結婚したメアリー・ゴドウィン改めメアリー・シェリーは一つの作品、いや、一匹の化物を作り上げた。その名は…
(1797~1851)
彼女が作り上げた作品とは、「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」 そう、西洋三大モンスターの内の一つ、最初のSF作品だとも言われている世界的超名作を、彼女は世に送り出したのである。
バイロン卿の提案は二つの作品、いや、2匹の化物を生み出した。一つは、ドラキュラへとつながる最初の吸血鬼、そしてもう一つがフランケンシュタイン。バイロン卿の一夜の提案により、2匹の偉大なる化け物が生まれることとなった。こうしたことからこの摩訶不思議な、運命とさえ言えるこの一夜は『ディオダティ荘の怪奇談義』と呼ばれている。この呼び方は書評家や訳者によって違い、「ディオダティ館の幽霊会議」「ディオダティ館の夜」などと表記する人もいるが、wikipedia記事の影響もあってか、ディオダティ荘の怪奇談義が一般的に使われる。あとで詳しく解説するが、ディオダディではなくディオダティと、最後は濁音にならないのが正しい。
第1回目の記事で私は、吸血鬼好きを名乗ったり考察するのであれば、ポリドリの「吸血鬼」は常識であると述べたが、それはポリドリの吸血鬼が出来たきっかけは、同時にフランケンシュタインも生まれたからである。色んな書籍を見ると、この出来事は文学史を見る上では当たり前の情報として扱われているようだ。先行してニコニコ動画で紹介したときも「怪奇文学を知る上では常識」といったコメントもあった。さらに言えば、平井呈一訳の「吸血鬼ドラキュラ」の巻末において、平井自身がこの出来事を簡潔に紹介しているのである。「吸血鬼ドラキュラ」は2014年に田内志文訳が出るまでは、実質平井訳しか入手できなかった。ポリドリの「吸血鬼」を知らないというのは、吸血鬼の常識たる「吸血鬼ドラキュラ」すら読んでない可能性が非常に高いことを示していた。だから吸血鬼の考察をしたり吸血鬼好きを公言するのであれば、ポリドリの「吸血鬼」は常識と言った次第だ。(ちなみにニコニコのコメントには、平井版読んだけど、解説までは見てないというひとも何人かいた)
詩人バイロン卿と吸血鬼ルスヴン卿の共通点
話をポリドリたちに戻そう。メアリーは1818年にフランケンシュタインを作り上げた訳だが、現在は1831年に出版した第三版が基本的に出回っている。その第三版にメアリーは前書きを挿入したのだが、そこには作品を生むきっかけとなった、あのディオダティ荘での一夜についてもメアリーは触れている。それはいくつかある日本語訳においても、まず紹介されている。ダーウィン博士によるバーミセリというパスタを使った実験のこと*48、バイロンの提案により、みんなでお話を作ろうとしたこと、バイロンやパーシーは早々に諦めてしまったこと。そしてポリドリが作った作品についても言及している。
亡きポリドリは、頭が髑髏にされてしまった女性について、恐ろしいことを思いついた。彼女がそんなことになったのは鍵穴から覗き見した罰なのだけれど、何を見たのだったかは覚えていない。
(中略)
処理に困ったポリドリは、しかたなく彼女に相応しいただ一つの場所、つまりキャピュレット家の墓所へと彼女をおくりこむことになった。
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」森下弓子訳/創元推理文庫(1984)pp.8-9
このことで分かるように、ポリドリが最初に作ろうとしたのは「吸血鬼」ではなく、「頭が髑髏にされてしまった女性」についての作品だった。それはErnestus Berchtold ; or, The Modern Oedipus:エルネスタス・バーチトルド 現代のオイディプス(1819年)という作品で、スイスを舞台とした近親相姦の物語だ*49。ポリドリは、メアリーがフランケンシュタインの着想を得た晩に、この作品を書いたと主張している。1816年当時、ポリドリとメアリーの仲は良好だったのにもかかわらず、フランケンシュタインのまえがきでメアリーが、このポリドリの作品の酷評したことについての真意は分からないとされる*50。
ポリドリが「吸血鬼」を作るのは、バイロンに解雇されてからのことである。1816年9月6日のポリドリの日記には「LB(バイロン)は我々の離別を決めた。いかなる不和によるのでもなく、合わないというだけだ」書いている。バイロンに侮辱を受けて不仲だったので解雇されたと紹介するものもあるが*51、当事者の日記を見る限りでは、あくまでそりが合わないからという理由だったようだ*52。
ディオダティ荘の怪奇談義から3年後の1819年4月、ポリドリの「吸血鬼」は「ニュー・マンスリー・マガジン」誌4月号*53にて掲載されたが、この時どういうわけか、作者はポリドリではなくバイロン卿として出版された。なぜ作者を取り違えたのかは次回の記事で説明する。ともかく、これに対してバイロンは怒った。理由の一つ目は、自分の名前を勝手に騙られたということ。二つ目は、内容がどうみても自分が見せて聞かせた「断章」を、明らかにベースにしていたということ。そして3つ目、「吸血鬼」のなかに登場する吸血鬼ルスヴン卿に不快感を示したことだ。以前の記事で紹介したように、吸血鬼ルスヴン卿は色白の美形で女を魅了するどころか、男さえも魅了するゲイセクシュアル的な要素を持っている。そして一方のバイロンはというと、色白の美形で女どころか男色にも手を染めている。染めたがゆえに祖国を追放された。ここまで言えば、御分かりになったことだろう。そう、吸血鬼ルスヴン卿はどうみてもバイロン卿がモデルであるとしか思えない吸血鬼であったのだ。実際、当時の人々たちは、ルスヴン卿はバイロンがモデルであると信じていた*54。
そう、バイロン卿こそが、今日におけるすべての吸血鬼のモデルといってよい。よくヴラド三世が吸血鬼のモデルであるかのように巷では言われているが、ヴラド三世は数多の吸血鬼作品のなかで後発も後発作品である「ドラキュラ伯爵」の元ネタでしかない。ましてや原作のドラキュラ伯爵は美形ではない。現在のステレオタイプな吸血鬼、高貴で貴族的、高慢、美形、男すらをも魅了するゲイセクシュアルな要素、これらはすべてバイロン卿に起因している。以前の記事で紹介したように、バイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼」に登場する主人公は、バイロン自身がモデルであることからバイロン的主人公:バイロニック・ヒーローと呼ばれ、wikipediaにも記事が存在している。そこからマシュー・バンソンはこうしたルスヴン卿のことをバイロン的吸血鬼の嚆矢と呼んでいる。ポリドリの吸血鬼はたちまちにして大量の模倣作品を生み出し、これらがまた吸血鬼のバイロン的イメージを強め、吸血鬼の一般的なイメージをそのように変えていったと、マシュー・バンソンは評価している*55。それは遠く離れた日本でも同じだ。現在商業、同人問わず色んな吸血鬼作品があるが、大体がバイロン的吸血鬼の要素を何かしら持っている。多くの書評家や評論家が「最初の吸血鬼はルスヴン卿」というのも頷ける話だろう。気付いた方らもいらっしゃるだろうが、なぜここまでバイロンのことを詳しく解説したのかというと、今日の吸血鬼のモデルとなったバイロンという人物を紹介したかったからである。彼のことを詳しく知れば、おのずと最初に説明したルスヴンと似ているということが察せられるはずだ。実際、先行のニコニコ動画で紹介したときは、「吸血鬼ルスヴン卿って、もしかしてバイロンなのでは?」と、解説の途中で気づく人も何人かいらっしゃった。吸血鬼のモデルはヴラド三世ではなくバイロン卿である、ということをもっともっと広めていきたい。
キリがいいので続きは次回に。この後は補足と、ディオダティ荘の怪奇談義にまつわる映画や創作の紹介をしていこう。
【補足①】 ディオダディ、それともディオダティ?
ディオダティ荘の怪奇談義だが、日本では長らくディオダディと、最後のティがディと濁音になって紹介されていた。元は”Villa Diodati”と最後が"ti"となっているので、ディオダティが正しい。これは種村季弘の「吸血鬼幻想」において間違われてから、長年この誤字で紹介され続けたそうだ。wikipedia記事では長らく本文中は正しかったが、タイトルは「ディオダディ荘の怪奇談義」と誤字のままだった。だが2020年になりようやくタイトルも修正された。2019年7月18日、NHKプレミアムで放送されたダークサイドミステリー「不老不死!?吸血鬼伝説の真相~人類VS天敵~」においても、中田譲治のアナウンスと画面のテロップは誤字で紹介されていた。そこでNHKに間違っているのではないかと問い合わせたところ、NHKも間違いを認めた。それどころか早くも7月25日再放送分ではテロップを修正、ナレーションも修正して放送していた。下記画像は修正前と修正後のもの。
本文中で、現在のディオダティ荘には「詩人バイロン卿が『チャイルド・ハロルドの巡礼第三篇』を書いた」という記念の銘板が、誇らしげに掲げられていると説明したが、バイロンの名前しかなく、メアリー達の名前は一切ない。宣伝するのであればポリドリの「吸血鬼」はまだしも、「ここでフランケンシュタインが生まれるきっかけが行われた」とでも掲げたほうが、フランケンシュタインの知名度的に考えて、チャイルド・ハロルドの巡礼より宣伝になるだろうにと思う。ジャネット・トッドも、暗にそのことを疑問視している節の発言をしている*56。
【補足②】怪奇譚を書くように提案したのはバイロンではない?
平井呈一訳の「吸血鬼ドラキュラ」の巻末において、平井は今回の「ディオダティ荘の怪奇談義」についても簡単に紹介している。だが平井は、怪奇譚を書くように提案したのはバイロンではなく、イギリスの小説家マシュー・グレゴリー・ルイスであると紹介している。
代表作は「マンク(修道士)」で、彼は通称「マンク・ルイス」と呼ばれるほど彼のマンクは有名。マンクと言うよりモンクと言った方が、まだ通じるかたもいらっしゃるだろう。さて実はこのあたりを解説していた海外サイトが消失してしまったのだが、そこには確かに、ルイス提案説が主流だった時期があったと書いてあった。だが現在は、ディオダティ荘の怪奇談義が行われたのは1816年6月16日、それに対してルイスがディオダティ荘を訪れたのは、1816年8月18日であることが判明しているので*57、現在はルイス提案説は否定されているということであった。平井呈一の解説は、そのルイス提案説が主流だったときのものだったようだ。それにきちんとしたソースではないが、バイロンはルイスと会った後、こんなことを言ったらしい。
サド侯爵を崇拝する詩人のバイロンは、当然のごとくエログロ・ホラー派のM・G・ルイスの「マンク」を大絶賛していた。ある日、憧れのルイスを客人に迎えたバイロンは、彼らしい感想を残している。「会わなきゃよかった。あいつはただのアホなブタ野郎だ」。 https://t.co/2gwUsDeDUL
— 風間賢二 (@k_kazama) July 9, 2018
バイロンはルイスのことを、アホなブタ野郎呼ばわりしている。そんな風に評価した相手の提案に乗るとは思えない。
【補足③】ディオダティ荘の怪奇談義の時系列について
ディオダティ荘の怪奇談義では「コールリッジの『クリスタベル』を聞いたパーシーが、乳首が目になった女を思い浮かべた」という有名なエピソードがある。また怪奇談義行われた日と一行が読んだ本の順番は、参考文献によってまちまちだ。以下のそれぞれの本の要約を抜き出す。
「吸血鬼幻想」 河出文庫版 pp.167-168 薔薇十字社版 p.128
ガルヴァーニ電流やダーウィンの実験などの生気論にまつわる話をする。そして頃合いになった時、バイロンがコールリッジの「クリスタベル」を朗読する。すると神経過敏状態だったパーシーはこれを聞くと幻覚状態に陥り、全身冷や汗をかき、大声をあげながら突然部屋を走り出た。見つけると意識不明で昏倒していた。ひとしきりすると一同は気を取り直して、今度はフランス語訳されたドイツの幽霊怪奇譚を読み始めた。そして最後にバイロンが自分たちで怪奇物語りを書こうと提案した。
クリスタベルを朗読 → パーシー倒れる → 気を取り直してファンタスマゴリアーナを読む → バイロンが怪奇小説を自分たちで書くことを提案する、という順番であり、しかもそれが1日の出来事として紹介している。
「血のアラベスク」 pp.104-105
ドイツの恐怖小説を回し読んで善し悪しをあげつらった後、コールリッジの「クリスタベル」を朗読する。するとパーシーが脂汗にまみれて部屋から逃げ出す。気絶した状態で見つかる。そして最後に、バイロンが怪奇小説を書こうと提案する。
ファンタスマゴリアーナを朗読 → クリスタベルを朗読 → パーシー倒れる → 一連の騒動の後、バイロンが怪奇小説を書こうと提案する、という順番。こちらも1日の出来事として紹介している。
「悪夢の世界」 pp.22-26,pp33-34
pp.22-23でまず、一行が「ファンタスマゴリアーナ」を読んだことを説明、ここでは具体的な日付の紹介はなし。次のp.24、メアリーの回想、ポリドリがエルネスタス・バーチトルドを書こうとしていたことの解説。p.25-26、1816年6月18日、一同が集まって「クリスタベル」をバイロンが朗読すると、パーシーは突如叫びだし、両手を頭にのせローソクをもって部屋から飛び出した。気絶したパーシーの顔に水をかけ、エーテルをかがせた。するとかつて聞いたことのある女、なんでも乳首の代わりに目がある女を思い出したという。これはポリドリの日記に書いてあったこと。
pp.33-34、ポリドリの日記にある時系列とクリストファー・フレイニングの考察について。ディオダティ荘の怪奇談義が行われたのは1816年の6月15日か16日のどちらかで、16日の方が可能性が高い。亡霊物語の会は6月17日と18日に行われたことになる。バイロンの「断章」は1816年6月17日という日付がついている。(以上の流れをフレイニングはあちこち話題を変えながら、分かり辛く書いている。)
6月16日、ファンタスマゴリアーナを朗読、バイロンが怪奇小説を書こうと提案する。
6月17日、バイロン「断章」を序盤まで書いて筆を置くも、みんなの前で披露する。
6月18日、バイロンが「クリスタベル」を朗読するとパーシー発狂、話を聞くと「乳首が目になった女」を思い浮かべたという。
以上のように各々時系列が違う。結論は、クリストファー・フレイニングの「悪夢の世界」で紹介している時系列が正しい。これは当事者であるポリドリの日記に正確な日付があるからだ。だが私は長いこと、種村の「吸血鬼幻想」の時系列が正しいものとばかり思っていた。最初に読んだのが種村のものだったことと、種村は断定的な書き方をしていた為に、私の中でバイアスがかかった。だから「血のアラベスク」や「悪夢の世界」の解説は間違っていると早計に判断してしまっていた。とくに「悪夢の世界」だが、非常に目が滑り読み辛い。著者のクリストファー・フレイニングは時系列をあちこちに飛ばして解説しているし、最初にファンタスマゴリアーナを朗読したと紹介したときは、具体的な日付も紹介していない。そしてこの本は、とにかく翻訳も悪く非常に読み辛い。英文によくありがちな、本文中に長い注釈が入っているので、それをそのまま日本語の文法に当てはめると、話の腰を折られる文章が多々ある。そしてどうも直訳ばかりしているようで、意味が分からない文章も多い。外国人特有の小難しい言い回しが、それに拍車をかけている。この本を見るのは辛いということもあって、既知の情報は流し読みし、他の本には書いてないところだけを集中して読んでいた。
「悪夢の世界」が正しいと分かったのは、ジャネット・トッドの「死と乙女たち」を読んでからのこと。pp268-269に分かり易く、当時の時系列が紹介されていた。これを見た後「悪夢の世界」をもう一度よくよく読んでみると、非常に分かりづらい書き方をしているが、ジャネット・トッドと同じ時系列で紹介していると、ようやく理解できた次第だ。その後、松山大学・細川美苗の「ジョン・ポリドリと『ヴァンパイア』」(pp.53-54)という2018年の論文においても、「悪夢の世界」と同じ日付で紹介していることが確認できた。しかもこちらは典拠付き紹介しているので、まずこれで間違いないだろう。「吸血鬼幻想」や「血のアラベスク」は参考文献一覧はあるものの、論文のような細かい引用はしていない。
ついでなので、なぜパーシーが「乳首が目になった女を思い浮かべたのか」について解説しておこう。バイロンが「クリスタベル」中の「魔女の胸」のいくつかの詩を繰り返した時に、それを思い浮かべたそうだ。これはパーシーの最初の妻ハリエット・ウェストブルックの姉、(パーシー曰く)悪魔的なイライザ・ウェストブルックが胸をはだけ、「乳首の代わりに二つのぎらぎら輝く目」を以前見せてきたことがあるとパーシーを主張しており、これを思い出したようだ。ちなみにパーシーはイライザのことを「吸血鬼」呼ばわりし、「ひどく邪悪な力を持った完璧な悪霊」などと言ってたりもする*58。そこまでの恐怖を与える威力が「クリスタベル」にあるのだろうか。須永朝彦は、「クリスタベル姫」には今日の私たちにはさほど怖いものとも映らない、150年前あまりのことであるし、その場の雰囲気を推量すれば、繊細な神経の持ち主であったパーシーが、恐怖を覚えたというのも有りえたのかもしれないと述べる*59。パーシーは、エーテルやアヘンチンキをポリドリから度々処方されていたので、その影響も何かしらあったのかもしれない。
ディオダティ荘の怪奇談義をモチーフとした劇や映画について
今回紹介したディオダティ荘の怪奇談義だが、これにまつわるエピソード自体が面白い。下手をすれば、「吸血鬼」や「フランケンシュタイン」以上に面白く感じる方もいらっしゃるだろう。それは海外でも同じであり、この出来事自体が映画や劇にされている。ということでそれを紹介しよう。現在、この出来事を描いた映画はいくつかあるが、今でも見ることができるものは映画「ゴシック」と映画「メアリーの総て」だ。
解説の都合上、ネタバレしていくので気になる方はご注意を。
ヘンリー・フューズリー作「夢魔(悪夢)」
まず有名なものは、鬼才ケン・ラッセル監督による1986年のイギリスの映画「ゴシック」だろう。wikipedia記事もある。その内容だが…この映画は評価が難しい。というのもこの映画、ディオダティ荘の怪奇談義や人物の数々のエピソードを知っているという前提で作ってるとしか思えない内容だからだ。まずパッケージの絵だが、これは上記で見せたように、ヘンリー・フューズリの「夢魔」という絵が元。メアリーのフランケンシュタインはフューズリの絵から影響を受けているほか、実際にフューズリに出会ったこともある。それどころかメアリーの母、メアリー・ウルストンクラフトは18歳年上だったフューズリと当時不倫関係にさえあった*60*61。映画ではこの悪魔が出てくるシーンがあるが一切説明はない。リアル知識がないと「なんか変なサルが実体化してきたなぁ」という感想しか抱かないだろう。だがこの絵は映画「メアリーの総て」にも登場する、メアリーを語る上で重要な作品だ。
次、バイロンが侍女に抱き着いて「オーガスタ、オーガスタ」と呟いて泣いているシーン。
当時禁忌だった近親相姦をしてまで愛した実の姉オーガスタのことを思って泣いているシーンなのだが、それまでにオーガスタの説明は一切ない。一応後半にメアリーから「実の姉を犯した気分はどう!?」と罵られるシーンがあるものの、リアル知識がないと「オーガスタって誰?」「オーガスタは恋人か妻かな?」となるだろう。
このシーンのみで、唐突に名前が出てくるウィリアム。このウィリアムとはメアリーとパーシーの2番目の子、生後数か月のウィリアムのこと。この後「一晩乳母さえいれば」というのでそこから推測はできるものの、ウィリアム自身が出てこないこともあり、これもリアル知識がなければ、瞬時に誰のことだか分からないだろう。
順番は前後するが、冒頭のシーン。イギリスから野次馬が襲来して望遠鏡でバイロンたちを盗撮するシーン。ここで紳士が聴衆に対して、バイロンとはどういう人物なのかを説明している。字幕ではその名前は一切表示されないが、この紳士は確かにキャロライン・ラムという名前を口にしている。そう、バイロンとかつて愛人関係にあり、その後ヤンデレになってしまったあのキャロライン・ラムのことだ。ここは実際には「キャロライン・ラムとの不倫関係で有名になり~」といったニュアンスなのだろう。このことで分かるように、字幕の邦訳はそこまで正確ではなさそうなことが伺える。
実際の内容だが、中盤ぐらいまでは史実通りに話が進む。史実通り不自由な右足を引きずって歩くバイロン、バイロンに依頼されてポリドリはバイロンの伝記を書いていること、ポリドリの悪夢に関する論文の話題がでたりなど、妙に細かい部分で史実ネタがちりばめられている。ディオダティ荘の怪奇談義の時系列は、「悪夢の世界」の通り。つまり正しい順序で行われている。中盤で、クレアはパーシーとも性行為があったのだろうとバイロンがメアリーに問い詰めるシーンがある。一般的にクレアとパーシーは肉体関係になかったとされる。だがそういった噂があったのは本当で、メアリーの父ゴドウィンやバイロンはどうもその噂を信じていたようだ。なかにはそれが事実だと考える学者もいるようだ。そのあたりの詳細はジャネット・トッドの「死と乙女たち」やクレア・クレアモントの英語wikipedia記事を読んでいただきたい。
史実とは違う展開ではあるが、コールリッジの「クリスタベル」を聞いたパーシーが思い浮かべたという乳首が目になった女が出てくる有名なエピソードのシーンもある。
ディオダティ荘の怪奇談義のあとは、オリジナル展開になる。一行は降霊術を行い、幽霊を呼び出す儀式を行う。そこからどんどん奇妙なことが起きて、みんな狂っていく(特にクレア) 終盤、メアリーは幻覚をみる。それは死産の子、死んだ男の子、死んだ赤子、ポリドリの服毒自殺、葬式で死んだ女の子を抱えるバイロンと、それを恨めしそうに見るクレア、そしてそれに対して不敵な笑みを浮かべて返すバイロン。夫のパーシーが水死してキリスト教ではありえない火葬されるシーン、そして最後、バイロンがベッドで、瀉血のため顔中にヒルをくっつけられて苦しみながら最愛の姉オーガスタの名前を連呼する。この情景をみたメアリーは絶望し自殺を試みるが、寸のところでパーシーに止められる。理由を聞くと今見た幻覚は未来だ、だから死んで未来を変えるつもりだったと告げる。そして翌朝、平和な日常が戻る。メアリーはフランケンシュタインを書くことを決意する。そしてポリドリは史実通り、この時は「吸血鬼」ではなく、頭が骸骨になった女性の話を書くことを思いつく。
ラストシーンのメアリーの幻覚だが、メアリーの子の死とか、パーシーの葬式のシーンで一部史実とは違うところはあるものの、全て実際に起きたことである。リアル知識があれば「ああ、この後のメアリーたちの未来だな」と分かるが、何も知らない人たちは置いてけぼりの展開だろう。とくにバイロンが抱えた死んだ女の子と、それを恨めしそうにみるクレアは、史実を知らなければ到底理解できないと思う。この死んだ女の子は、バイロンとクレアの子アレグラで、私のな中ではバイロン卿の一番のクズエピソードだと思っている。(パーシー・シェリーがブチキレて、バイロンに決闘を申し込もうとしたほど。だが誤解を招いたパーシーも悪いが)
この映画はホラー映画という位置づけのようだが、今見るには古臭すぎ、当時基準でも怖いものとは思えない。人間の狂気を描きたかったのかもしれないが、演出がエキセントリックすぎた。
序盤、アヘンをキメたパーシーが地下へ行くと、へんてこな人形が変なBGMとともに変な踊りを披露する。パーシーが乳首を押すと衣装の一部がパージ、腰を振る人形の股間には取っ手が付いており、それをパーシーが触ろうとすると、触れるなと言わんばかりに手をはたく人形……ラッセル監督が鬼才と言われる所以が理解できるシーンである。ちなみにこの人形はインド産らしい。
左はパーシー・シェリー、真ん中は若いころ、右は現在の姿
ジュリアン・サンズは、アン・ライス原作の名作吸血鬼映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」において、原作者のライスが吸血鬼レスタト役に考えていた俳優だ。だがレスタトはあのトム・クルーズが演じることになり、ライスも絶賛したという。
さてこの記事は吸血鬼に関することなので、吸血鬼を作ることとなったポリドリに関して気になる人もいるだろう。だがこの映画のポリドリは酷い。
この映画のポリドリは、スキンヘッドのホモになっている。昔の映画なのでホモ呼ばわりである。普段はカツラを被っている。(何故だ!)史実のポリドリはお調子者とはいえ、ハリエット・マーティノーは「美男」といっているのだから、このキャスティングは一体何を考えてのことなのうだろうか。須永朝彦も「スキンヘッドの同性愛者に描かれていて、ちょっと気の毒に思われます」という感想を漏らしている*62。だがこのポリドリを演じられたティモシー・スポールは、映画「ゴシック」の出演者のなかでは、一番国際的に有名になった俳優である。
ティモシー・スポールは、渡辺謙主演の映画「ラスト サムライ」に出演しているどころか、今や世界的名作小説と映画とで知られる「ハリー・ポッター」シリーズのピーター・ペティグリューを演じた俳優として世界的に有名。ティモシー・スポールが演じたピーター・ペティグリューのフィギュアが発売されるほど。名脇役として名を馳せていたが、実在した画家ターナーを演じた映画「ターナー、光に愛を求めて」では、ついに主役ターナーを演じ、第67回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した。スポールは一般的に「ラスト サムライ」で一躍に有名になったと言われている。須永氏も今なら「あのハリー・ポッターに出演した名優による演技」と、少しフォローを入れた評をしたかもしれない。ちなみに実在のターナーは、バイロンの詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」を元にした、その名も「チャイルド・ハロルドの巡礼」という絵を描いている。
以上をふまえると、映画「ゴシック」はリアル知識ありきの作りであり、何も知らない人が見れば理解できないシーンが多いし、たぶん退屈すると思う。かといってホラー部分に目を向けても、当時基準だとしてもそれほど怖いものとは思えず、人間の狂気というよりは、ラッセル監督のエキセントリックな演出が目についてしまう映画だ。史実映画としてもホラー映画としても中途半端な印象を持った。中盤からのオリジナル展開はやめて、史実映画にしていればまだ評価は上がったかと思う。昔はレーザーディスク版もあったそうだが、現在はDVD版を中古で手に入れるしかない。DVD版はLD版と比べて画質が悪いので、その点においても悪い評価が目に付く。正直、視聴はそこまでお勧めできるものではなく、気になれば見る程度でいいかと思う。最後に一つ、キャスト一覧を見るとそこには、バイロンの小姓ラッシュトンも登場していたようだ。こういう言い方するのは、作中に名前は出てず、どこで出てきたのか分からなかったから。でもきちんとキャスティングするあたりが好印象だった。
映画「メアリーの総て」は、サウジアラビア初の女性監督ハイファ・アル=マンスールが監督を務めた作品。原題はそのまま"Mary Shelley"である。公開は2018年と、メアリーが1818年に発表したフランケンシュタイン生誕の200周年を記念するかの如く上映された。この映画だが……私のなかで超クソ映画だった!いや、起承転結がきっちりしているので、なんの知識もない人がみれば、間違いなく先ほどの映画「ゴシック」よりはまだ楽しめるのは確かだ。実際、日本の女性たちを中心に好評である。だがメアリーの史実を知っている人、私もそうだが、とくに海外ではすこぶる評判が悪い。以前詳細なレビュー記事を投稿したので、そこで詳しく見て欲しいが、簡単にだけ理由を説明しておこう。
私が怒った理由は、、史実改変があまりにも激しいこと、とくに一番求められていたであろうディオダティ荘の怪奇談義の内容の改変は、許容できる範囲を超えた。女性蔑視を訴えたいがために、とにかくメアリーを悲惨に、事実を捻じ曲げて周りの男たちを悪くしたてあげたこと。監督や脚本家のイデオロギーの道具にされてしまったような印象をもったからだ。
史実改変に関しては仕方がないと思う面もある。クレア・クレアモントの兄チャールズ・クレアモントやメアリーの種違いの姉、ファニー・イムレイを出す必要性は、正直あまり感じられない。特にファニーは幼いころ天然痘にかかった影響で、その影響が顔に残っているとされているから、出すとなると特殊メイクが必要になってくる。メアリーの第三子クララが、映画では第一子になっている。メアリーの子供たちの削除や一度駆け落ちしてまたイギリスにもどってきたエピソードを削除するのは、上映時間を考えれば仕方がないかなとも思えた。
だが、史実では右足が不自由で生涯足を引きずっていたバイロンが元気よく歩くシーンは、一体どういうことなのか。ディオダティ荘でパーシーを出迎えるシーン、どう見てもバイロンの足は快活に動いている。ゴシックはここはきちんと演技をしていたというのに。こういった部分で監督や脚本家の人物考証が雑に感じられた。
一番許せなかったのが、一番重要なディオダティ荘の怪奇談義のシーン。ファンタスマゴリアの朗読はなく、いきなりバイロンが「怪奇譚を書こう」と提案。一番求められていたであろうシーンを改変するとは何事か!しかもこの後の展開がさらに私の怒りを買う。なんとポリドリは「頭が骸骨になった女性」の物語ではなく、いきなり「吸血鬼」を書くと言い出す。しかもそれを聞いたバイロンが「吸血鬼なんて存在しない」と鼻で笑った。ふざけんな!なんでそこ改変する!バイロンは以前、自分の詩「異教徒」で吸血鬼の話題をしている。だから少なくとも「吸血鬼は存在しない」と、鼻で笑うようなシーンはありえない。このように、実在の人物に対する敬意を払わない展開に怒りを覚えた。一番求められていたエピソードなのに、この展開はあんまりすぎる。
その後はメアリーにとって厳しい展開が続く。フランケンシュタインを書こうとするメアリーに対して、パーシーは「そんな物語書いてどうする」みたいな辛辣な対応をする。また女性を理由に出版を断られるシーンもある。これもふざけるなと言いたい。史実ではむしろパーシーの方から、フランケンシュタインの執筆を促した。しかもパーシー自身が加筆してしまったものから、長年メアリーの文学的功績が評価されなかったぐらいだ。そして当時身重だったメアリー(映画では第一子となっていたクララを身ごもっていた)に代わって、出版してくれる出版社を探し回ったのも夫のパーシーである。そして唐突に挟まれる、ポリドリのシーン。ポリドリは「吸血鬼」を出版するも、バイロン作ということで出版されてしまい盗作疑惑が出てしまったと、メアリーに打ち明けるシーンがある。何も知らなければポリドリ可哀そうになるだろうが、実際はバイロンの「断章」からの明らかな剽窃があるので、盗作疑惑は残念だが当然なのである。そもそも唐突に出てくるので、正直ポリドリをここで出す必要が全く感じられなかった。最後のシーン、クレアはバイロンに捨てられるも、おなかの子に関しては養育費を払うと言われ、一方的に別れを告げられる。これバイロンが非道に見えるかもしれないが、史実を考えるとむしろかなりマシな対応している。それどころか史実があまりにも酷すぎるのでよかった、とさえ思ってしまったぐらいだ。史実ではすぐさま子どもから引き離され、クレアはその後一切自分の子アレグラに会うことが出来ず、アレグラは5歳で死んでしまったのだから。なぜここも改変したのか。史実通りで問題なかったはずだ。むしろバイロンの非道さが際立っただろうに。最後ナレーションで各人物のその後を説明していたから、「永遠に会えなかった」と一言入れておけば、それで展開上問題もなかったはず。
「メアリーの総て」でも、ヘンリー・フューズリの絵画「夢魔」が登場する。こちらはメアリーの口から、母ウルストンクラフトとフューズリは、かつて愛人関係だったという説明がある。ちなみに映画のPVでもフューズリの「夢魔」の絵が出てくる。
「メアリーの総て」をみて、思ったことは「ゴシック」は意外と史実に沿っていたんだなぁと認識できたことだ。確かに後半を中心にオリジナル展開はあるのだが、リスペクト魂は感じとれるのである。要所要所で、そして何気ないところでも史実ネタが散りばめられている。だから「ゴシック」はつまらないとは思っても不快には感じなかったのだとわかった。
あらかた不満をぶちまけたところで、この映画のポリドリを紹介しておこう。
「メアリーの総て」でポリドリを演じたのは、イギリスの新進気鋭の俳優ベン・ハーディ)。X-MENアポカリプスで映画デビュー。とくに、実在したロックバンド、クイーンのボーカルであったフレディ・マーキュリーの生涯を描いた2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」で、クイーンのドラマーのロジャー・テイラーを演じて、一躍有名になった。見て貰えればわかるが、かなりのイケメンだ。史実ではポリドリは美男だとされているが、同時にそそっかしいだの、おしゃべりで出しゃばりだの、何かとパーシーと張り合うなどと言った面もある。だがこの「メアリーの総て」のポリドリは終始かっこよすぎる。むしろパーシーが嫉妬してポリドリに殴り掛かるも、逆に返り討ちにするほどである。彼のイケメンぶりは「ゴシック」のポリドリと比べると、特に顕著だ。
左:史実のポリドリ:美男だがそそっかしい、お喋りで出しゃばり
中:ゴシックのポリドリ:スキンヘッドのホモ、お喋り、お調子者
右:メアリーの総てのポリドリ:見た目も言動もイケメン
間を取ったポリドリは、果たして今後出てくるのであろうか……
私のように、ある程度史実を知ってしまったら「メアリーの総て」は楽しめなくなるだろう。メアリー以外の人物に対してリスペクトを感じず、監督や脚本化のイデオロギーの道具にされてしまった映画というのが、私の率直な感想になる。そもそも「メアリーの総て」という邦題も気に入らない。メアリー・シェリーは生まれる前からしてかなりドラマチックだ。そこが一番面白いとさえ思っている。2時間程度の映画では「メアリーの総て」なんて、到底描写しきれるものではない。
「メアリーの総て」はDVDやブルーレイがあるほか、amazonなどの各種VODで配信されている。正直あまりお勧めはしないが(正確にはお勧めしたくないが)、気になる方は見てみるといいかも。
もう一つ、ディオダティ荘の怪奇談義を描いた映画がある。それは1989年の「幻の城 バイロンとシェリー」である。これは現在VHSのみでしか存在していないので、入手は非常に困難。私も見たことはない。須永朝彦氏が「血のアラベスク」で簡単にレビューしている。「ゴシック」と比べると美形をそろえている、だがポリドリは中年男になっていて、ゴシックのポリドリと同様に、ちょっと気の毒に思われる、幻の城では早々とポリドリは自殺し、これでは「吸血鬼」を書くことにならないので納得しかねる、というものであった。以上がディオダティ荘の怪奇談義を描いた映画だ。次は劇を紹介しよう。
ディオダティ荘の怪奇談義を描いた劇にBLOODY POETRY:ブラディ・ポエトリーという有名な劇がある。1984年にイギリスで初演されたのを皮切りに、英米では幾度となく上演されている劇だ。英語wikipediaにも専用の記事が作られている。日本ではフランケンシュタイン生誕200周年となる2018年2月に、劇団:アン・ラト(unrato)により初めて上演された。この劇ではポリドリはミドルネームのウィリアム・ポリドリという名で登場する。これは元の英語の脚本からしてそうなっており、ポリドリの英語wikipedia記事によれば「脚本家のハワード・ブレントンが、何らかの理由でそのように呼ばせた」とある。理由はブレントンに直接聞くしかないようだ。
私は2018年2月17日18時開演のものを見に行った。後から知ったがその公演には、ロックバンドGLAYのTERUさんも見に来ていた。
舞台ブラディ・ポエトリー観劇して来ました。
— TERU (@TE_RUR_ET) February 17, 2018
もっと早くに伺って皆さんにもオススメするべきでしたね。
舞台は1816年スイスのレマン湖。
バイロン卿を筆頭とする詩人達による革命と青春の物語。… https://t.co/5xvpIvo2yh
観劇してきた感想は以前記事にしたので、詳しくはそちらをご覧頂きたい。
www.vampire-load-ruthven.com
記憶を頼りに、簡単にだけ説明していこう。ディオダティ荘の怪奇談義からパーシー・シェリーが死ぬまでを描いた、パーシー・シェリー視点のセリフ劇。序盤はセリフ劇らしく、バイロンとパーシーが文学談議に興じる。正直、西洋文学には疎いので話の半分も分からなかった。ただ、史実のバイロンは同じ詩人であるロバート・サウジーを毛嫌いしていたのだが、劇ではそのサウジーをボロカスに貶していた。ここは迫真の演技も相まって、思わず笑ってしまった。後、印象てきだったのは、パーシーが例の「乳首が目になった女」を思浮かべて気絶するシーン。ここでバイロンはポリドリに「君は持っているのだろう!あの禁断の秘薬を!」と叫ぶ。この禁断の秘薬、アヘンチンキよりも強力なブラック・ドロップのことか!瞬時に分かり、思わずニヤリとしてしまったシーンだ。その他のレビューは上記のレビュー記事を参照して頂きたい。このブラディ・ポエトリーのパンフレットには、バイロン達に関してこれまでに聞いたことがない説が多くあり、困惑させられた。だがどうもその解説は創作のエピソードと混同して勘違いしているようであった。それに関してはまだ本文で解説していないこともあるので、次回の記事にて、話の流れに沿って説明しよう。
非常に長くなりましたが、今回はこれで終わりたいと思います。このディオダティ荘の怪奇談義を広めたくて、私は吸血鬼解説を始めたようなものです。吸血鬼を知る上では常識と言っても過言ではないこの出来事が、もっと広く知れ渡るよう、これからも活動していく所存です。
この記事は2020年12月27日にニコニコのブロマガで投稿したものを加筆訂正した記事となります。元記事は下記のアーカイブよりご覧ください。 web.archive.org
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次の記事➡最初の吸血鬼小説と当時の出版事情の闇、それに翻弄される者たち
*1:クレアは何度か改名しているが、この記事では分かり易くするため、最後に改名したクレアで統一する。
*2:楠本晢夫「永遠の巡礼詩人バイロン」:三省堂(1991) p.214
*3:バイロンとポリドリ:ヴァンパイアリズムを中心に
相浦玲子 滋賀医科大学基礎学研究 (9), 9-30 1998/03 p.11
*4:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 p.69
*5:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.11
*6:19世紀前半におけるヴァンピリスムス 森口大地 p.69
*7:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.11
*8:クリストファー・フレイニング「悪夢の世界 ホラー小説誕生」:訳・荒木正純 他/東洋書林(1998) p.10
*9:「悪夢の世界」 p.10
*10:ジャック・サリヴァン編「幻想文学大辞典」:翻訳多数/国書刊行会(1999) p.552
*11:「幻想文学大辞典」 p.552
*12:ジョン・ポリドリの『ヴァンパイア』 ―― 出版の背景と英語圏における吸血鬼小説への影響――
細川美苗 松山大学 言語文化研究第38巻第1-1号(抜刷)2018/09 p.50
*13:楠本晢夫「永遠の巡礼詩人バイロン」:三省堂(1991) pp.214-217
*14:「悪夢の世界」 p.13
*15:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.218
*16:"パーシー・ビッシュ・シェリー" 日本語wikipedia
*17:小池滋「ゴシック小説を読む」:岩波書店(1999) p.118
*18:須永朝彦「血のアラベスク 吸血鬼読本」:ペヨトル工房(1993) p.102
*20:ジャネット・トッド「死と乙女たち ファニー・ウルストンクラフトとシェリー・サークル」:平倉菜摘子訳/音羽書房鶴見書店(2016) p.219
*21:オンライン・ジャーニーの記事より
*22:「血のアラベスク」 p.102
*23:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.218-219
*24:「悪夢の世界」 pp.14-16
*25:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:松田和也・訳/青土社(1994)
※ネタバレ防止の為、メアリーの苗字は旧姓にして紹介した。
*26:オンライン・ジャーニーの記事より
*27:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.219-220
*28:「死と乙女たち」 p.270
*29:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.12,p.21
*30:「悪夢の世界」 p.28
*31:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.12
*32:「悪夢の世界」 p.13
*33:「死と乙女たち」 p.271
*34:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.227-228
*35:「悪夢の世界」 p.69
*36:「死と乙女たち」 p.267
*37:「悪夢の世界」 p.70
*38:「悪夢の世界」 p.69(要約)
*39:種村季弘「吸血鬼幻想」:河出文庫(1983) p.167、薔薇十字社版(1970) p.128
*40:「悪夢の世界」 p.51
*43:「悪夢の世界」 p.22
*44:「悪夢の世界」 pp.22-23
*45:「死と乙女たち」 p.268
*46:バイロンとポリドリ 相浦玲子 p.19、「吸血鬼幻想」 p.168
*47:英米文学における超自然 三浦清宏 金井公平 明治大学人文科学研究所紀要 (別冊10), 193-208, 1990-03-25 p.3においても、「断章」を吸血鬼小説として紹介している。
*48:メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」森下弓子訳/創元推理文庫(1984)p.6
森下によると、ダーウィン博士の実験というのは、博士が実際に行ったこと、あるいは行ったと自ら述べたことをいうのではなく、当時世間で言われていたことという意味である、としている。
*49:「血のアラベスク」 p.108 作品タイトルの邦題の表記は「血のアラベスク」に準じた。
*50:ジョン・ポリドリの『ヴァンパイア』 細川美苗 pp.52-53
*51:「吸血鬼の事典」 p.340,p.397
*52:ジョン・ポリドリの『ヴァンパイア』 細川美苗 pp.54-55
*53:「吸血鬼幻想」p.169ではニュー・マンスリー・レヴェー誌としているが、他の書籍やwikipedia記事では、レヴェーではなくマガジンしており、マガジンと言う方が一般的だと思われる。
*54:「吸血鬼幻想」pp.169-170 このあたりは特に言及している参考文献が多く、残りは割愛するが、吸血鬼幻想がバイロンの心情を、端的に紹介したものだろう。但し、種村の憶測も多いことに注意。
*55:「吸血鬼の事典」 p.95,p.397
*56:「死と乙女たち」 p.368
*57:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.231 ルイスがやってきた日に関して参照。
*58:「死と乙女たち」 p.148,p.270
*59:「血のアラベスク」 pp.104-105
*60:「悪夢の世界」 p.37
*61:木村晶子「メアリー・シェリー研究―『フランケンシュタイン』作家の全体像」:鳳書房(2010) p.32
*62:「血のアラベスク」 p.105