吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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ドラキュラ以前に起きた「第一次吸血鬼大ブーム」・大デュマの運命も変えた【吸血鬼の元祖解説⑦】

シリーズ目次(クリックで展開)吸血鬼の元祖はドラキュラではなく、吸血鬼ルスヴン卿こそが吸血鬼の始祖
吸血鬼ドラキュラより古い吸血鬼小説はこれだけある
最初の吸血鬼小説の作者ジョン・ポリドリと詩人バイロン卿、その運命の出会い
バイロンの吸血鬼の詩「異教徒」とバイロンの祖国追放
『最初の吸血鬼』と『醜い怪物』が生まれた歴史的一夜「ディオダティ荘の怪奇談義」
最初の吸血鬼小説と当時の出版事情の闇、それに翻弄される者たち
⑦この記事

ヨーロッパ中で人気となった小説「吸血鬼」、あのゲーテも大絶賛

 前回の続きより解説していこう。今回はポリドリの「吸血鬼」から派生した作品群を紹介していくが、その物語の内容については後日、ポリドリの「吸血鬼」と共に対比させる形で紹介していきたい。今回は、ポリドリの「吸血鬼」から派生した作品が作られた歴史的な流れと、そのエピソードを中心に解説していく。


 ポリドリの「吸血鬼」は編集者の思惑により、バイロンの作品として発表されてしまった。ポリドリ、バイロン双方から正しい作者を公開するように要請があったにも関わらず、修正はされなかった。良くも悪くも有名なバイロンの作品とした方が売れると思ったためで、実際ポリドリの「吸血鬼」はイギリスではその年の内に7版(註1)も重版がかかるほど、人気を博した*1。前回も説明したが、その人気は国内にとどまらず、ヨーロッパ中に瞬く間に広まった。まずフランスに伝播、アンリ・ファーベルが「ヴァンパイア、英語から訳されたバイロン卿の小説(Le Vampire, nouvelle traduite de l'anglais de lord Byron)」という題名で翻訳した*2*3*4


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 アンリ・ファーベルが仏訳したポリドリの「吸血鬼」の写し。こちらのサイトで全文アーカイブ化されている。フランスのAmazonでは、作者はバイロン卿として復刻版を発売している

 フランス以外にも、ドイツ語、スウェーデン語、スペイン語、イタリア語と翻訳された*5*6。アメリカにもすぐさま伝り、そのポリドリの「吸血鬼」人気に乗っかって、「黒人吸血鬼-サント・ドミンゴの伝説-」という、ハイチ革命を諷刺した小説が作られるほどであった*7*8。翻訳の際は全て、作者はバイロン卿ということになっていた。

註1
ポリドリの「吸血鬼」が1819年中で重ねた版の数だが、ジャック・サリヴァン編「幻想文学大辞典」:翻訳多数/国書刊行会(1999) p.553では六版、森口大地の「19世紀におけるヴァンピリスムス」(2016)p.71では五版、同じ森口大地の「矮小化されるルスヴン卿」(2019)p.1では七版を重ねたとある。このように版の数が違うが、森口は2016年の論文では典拠を明示していないのに対し、2019年の論文では七版と訂正し、その上典拠を示していることから、近年では研究が進み七版存在したものと考えられる。森口が七版存在した根拠とした典拠:Cf. Baldick, Chris / Morrison, Robert: Introduction. In: id. (eds.): The Vampyre and Other Tales of the Macabre.Oxford 1997, pp. vii-xxii, here p. x.


 ポリドリの「吸血鬼」は、とくにフランスで大ヒットした。1825年には二番目の仏訳が発売されるほどであった*9。勿論、作者はバイロン卿であると誤解されたままである。パリにおいてバイロンの著作集の第二版からこの物語が削除されたと分かった時、予約者からのクレームが凄いことになったという。なので、1820年の第三版からは(当時はバイロン作として)ポリドリの「吸血鬼」を再度入れることにしたという。その時の出版社は次のように漏らしていた*10

我々は吸血鬼を生き返らせることで、夥しい数の予約者の圧力に屈することにした。

 ポリドリの「吸血鬼」の人気ぶりが伺える一言である。さてフランスではサロンにおいても、あっというまに「吸血鬼」が話題となった。そしていち早く書評を書いたのが、フランスの幻想文学の祖とされるシャルル・ノディエであった。


シャルル・ノディエシャルル・ノディエ
シャルル・ノディエ
(1780~1844)
日本語wikipedia 英語wikipedia 仏語wikipedia

 英語wikipediaによれば、右側の肖像画はかつてシャルル・ノディエと考えられていたが、現在はノディエではないと考えられている。左側はノディエの肖像画で間違いない。ノディエはフランスにゲーテやバイロンを紹介するなど、作家達に与えた影響は大きい人物だ。代表作は「ジャン・スボガール」「テレーズ・オベール」など*11。そんな彼こそが、ヨーロッパ中で吸血鬼大ブームを引き起こした張本人である。彼は1813年にライバッヒャーの『テレグラフ・オフィシエル』の編者として、吸血鬼に関する報告を書いている。19世紀に巻き起こった「吸血鬼大論争」において、聖職者でありながら啓蒙思想の観点から吸血鬼を否定した、オーギュスタン・カルメ師の論文をノディエは読んでいた。そして、バルカン地方に伝わる業病『スマラ』と吸血鬼を結びつけた論文を書いている。スマラとはフランス語で夢魔にあたる言葉だ。彼はスマラが吸血鬼の原因であると述べていた*12。こうした実績からポリドリの「吸血鬼」の書評を書くのにはうってつけの人物だった。1819年7月1日の「ドラボー・ブラン(Le drapeau blanc)」紙によせた書評は次の通り*13

吸血鬼はその恐怖の愛によってあらゆる女性をその夢の中で不安に陥れるだろう。そして疑いもなく、この墓から暴かれた怪物は、その不動のマスク、その陰々滅々たる声、そのうつろな灰色の眼……を、そのあらゆるメロドラマチックな特性を、遠からずブールヴァールの女神に捧げることになるに違いない。その時彼は、いかばかりの成功に預かる事であろうか!*14

原文
Nodier, Mélanges de littérature et de critique, t. I, Paris: Raymond, 1820 p.416-417

註2
ノディエの書評の日本語訳は種村季弘の「吸血鬼幻想」から引用したが、 関西学院大学 藤田 友尚「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』:「狂熱派」演劇の一側面」p.119でも紹介されている。種村は典拠は紹介しておらず、藤田はノディエの書評の典拠を紹介している

 ブルーヴァール劇とはフランスの通俗喜劇の呼称。コトバンクの説明によると、ブールバールは大通りを意味する普通名詞であるが、多くの変遷を経て今日では、パリのいわゆるグラン・ブールバール周辺の商業劇場で上演される大衆向けの通俗的な演劇をさすようになった。18世紀末にタンプル大通り周辺にゲテ座、アンビギュ・コミック座、ポルト・サン・マルタン座など多くの劇場が誕生した。これらの劇場では19世紀前半、ドビュローのパントマイム、綱渡りなどの曲芸、道化芸が演じられ、さらにピクセレクールらの書くメロドラマが上演されて民衆は熱狂していた。

 さて、このノディエの書評であるが、要約すれば「この怪物(吸血鬼)はブルーバル劇にすれば(メロドラマ化すれば)流行る!」と評価した。まさに大絶賛である。そして大絶賛したのはノディエだけではない。あのゲーテすらも次のように大絶賛したという。


ゲーテ
ゲーテ

この作品こそは、バイロン卿の最高傑作である*15*16*17


 ゲーテは「ロマン派は病気」だと言ってロマン派の作家には批判的であった*18。だがバイロンは別で「バイロン卿こそ、19世紀最大の天才である」と大絶賛している*19。その中でもゲーテは「吸血鬼」は最高傑作であると大絶賛する。これに対して種村季弘は、炯眼なゲーテにしては軽率な評価だと述べる*20。ゲーテもノディエもバイロン作として思い込んでいたが、本当の作者がバイロンの侍医だったポリドリだと知れば、彼らはどんな反応をしただろうか。ちなみにポリドリの「吸血鬼」を「ゲーテがバイロンの最高の作品だと絶賛した」ということは、色んな本や論文で紹介されているが、実はゲーテ本人が言及したのではなく、あくまで伝聞のようだ。森口大地によると、この発言は枢密顧間官フリードリヒ・フォン・ミュラーの日記に記述があるという。そのミュラーの日記には「おそらく自分は一年の半分はバイロンに反対を表明するだろうという発言と『ヴァンパイア』は彼の最高傑作だというゲーテの発言」という記述がある。1819年5月4日のゲーテの日記に言及があるので、彼はこの日にポリドリの小説を読んだものと思われるという。詳しくは森口の論文「矮小化されたルスヴン卿」p.3を参照。

 ちなみにではあるが、ドイツの文豪E.T.A.ホフマンも、ポリドリの「吸血鬼」は、作者はバイロン卿だと思い込んでいた。ただしホフマンは「吸血鬼」には批判的だったようだ。そのあたりに関しては過去記事で詳しく解説したので、詳細はそちらをご覧頂きたい。

www.vampire-load-ruthven.com

特にフランスで大流行するポリドリの「吸血鬼」、勝手な続編も

 ここからは適時、以前紹介した吸血鬼文学一覧年表も見つつ読んで頂きたい。

吸血鬼文学年表

 昔も人気作品にあやかろう、人気に乗っかろうとする動きは活発だった。「吸血鬼」出版の翌年1820年には早くもパリで、ポリドリの「吸血鬼」(当時はバイロンの「吸血鬼」)続編と勝手に銘打った作品が作られた。それはシャルル・ノディエの友人シプリアン・ベラールの小説「吸血鬼ルスヴン卿、あるいは吸血鬼」”Lord Ruthwen ou les vampires”*21。フランスではなぜかRuthvenがRuthwenと表記されるようになってしまった。Rutwenと表記するものもあるようだ。デイヴィット・J・スカルによれば、ルスヴンの名前のつづりは、脚色や翻訳の間に変化しているとのことなので、なぜ変化していったのかは不明なようだ*22。「吸血鬼の事典」の翻訳者・松田和也は「吸血鬼ルトヴァン卿」と訳したが*23、他の書籍を見る限りではルスヴン、ルスウェン、ルスヴェンと、日本語表記は定まっていない。

ルスヴン卿あるいは吸血鬼
上記画像ほか当時の全文が読めるアーカイブのリンク先
赤字で囲った部分は後程説明する


 さてその勝手な続編の内容だが、吸血鬼ドン・ジュアンが血のグランドツアーで引き起こす冒険を、年代記風に綴ったものだとフレイニングは解説しているが*24、フランス文学者の森茂太郎によれば、本編では死んだ主人公オーブレーが息を吹き返し、妹の仇を取るために吸血鬼ルスヴン卿を追いかけまわす物語だという*25。それはともかくとして、ベラールはこの続編をバイロンに献呈したとされる*26。自身の作品ではないと怒っていたバイロンからすれば、迷惑極まりない行為である。そしてこの作品であるが、実は先ほどのシャルル・ノディエが支援したいう説*27、ノディエは出版人として序文を書いたとする説*28*29、ノディエが書いた小説だとする説など色んな説がある*30。きちんとしたソースではないが、海外の掲示板では「ベラールはノディエのペンネームだった」と書き込む人も以前見かけた。だがノディエの伝記を書いたアルフレッド・リチャード・オリヴァーは、そもそも最初からノディエが執筆した可能性が非常に高いとみなしている。先ほど上記で示した「吸血鬼ルスヴン卿、あるいは吸血鬼」の表紙画像を見て頂きたい。赤字で囲った部分には「『ジャン・スボガール』と『テレーズ・オベール』の著者による出版」と記載されている。これは前述したように、ノディエの代表作品である。このようにベラールの名前は無く、完全にシャルル・ノディエの名前に頼っていると指摘されているあたりから*31、シャルル・ノディエが本当の作者という説が有力視される要因だろう。

 この作品の後世の評価だが、ドイツの演劇史家で有名なクラウス・フェルカーによれば、「冗漫に詩と散文、歴史的逸話と奇妙な思いつきを組み合わせたものに過ぎない」と述べている*32。森茂太郎は、書評家たちからは散々酷評されていると述べ、森茂自身も「退屈のあまり途中で投げ出してしまった」と言ってるあたりから*33、今でもよくある、人気に乗っかっただけのクォリティの低い作品のようだ。

 シャルル・ノディエは「吸血鬼ルスヴン卿」以外の、つまりポリドリの「吸血鬼」の派生でない吸血鬼作品も作っている。同じ1820年に作った「スマラ、夜の悪霊」*34、1822年には「地獄奇譚」を発表している。スマラは先ほど解説したように、当時バルカン地方に伝わる業病『スマラ』を題材とした作品だ。古代ギリシアが舞台となっていてテッサリアの魔女、つまり女神ヘカテに仕えていた魔女が出てくる。岩波文庫より、篠田知和基・訳「ノディエ幻想短篇集」(1990)に日本語訳が収録されている。これは夢魔が血を吸う作品で、日本語訳で「吸血鬼」となっている個所は原語では”mante decharnee”「やつれた蟷螂」となっており、原文中にはvampireという単語は出てこない(原文サイト1)(原文サイト2)。だが先ほども説明したように、ノディエはスマラを吸血鬼と結びつける論文を発表しているので、吸血鬼作品として書いたと見ていいだろう。実際森口は、ノディエの「スマラ」はヴァンパイアは登場しないとはいえ、吸血鬼モティーフを扱っていると述べる*35

 「地獄奇譚:"Infernaliana"」は、日本では恐らく関西学院大学 藤田 友尚氏の論文「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』:「狂熱派」演劇の一側面」でしか紹介されていないだろう。藤田によると「地獄奇譚」は、複数の作家の作品を寄せ集めた怪奇コント集で、多くの吸血鬼物語が含まれているという*36Googleブックスにある原著のアーカイブを見ると、、”Le Vampire Arnold-Paul:吸血鬼アルノルト・パウル" "Vampire de Hongrie:ハンガリーの吸血鬼" "Le Vampire Happe:ハープの吸血鬼"といった作品がある。英語wikipediaのノディエの記事によると、いくつかの物語は以前の本からの抜粋になるらしい。アルノルト・パウルとは吸血鬼化したとされる人物で、これをきっかけに西欧で吸血鬼の存在に関して、政治家、聖職者、ローマ教皇をも巻き込んだ吸血鬼大論争を引き起こした。これをきっかけに西欧で吸血鬼という存在が一気に認知されることとなった。詳細はニコニコ動画で解説している。

 「地獄奇譚」は写原 祐二氏により一部翻訳・公開されてはいるが、吸血鬼に関するものは残念ながら翻訳されていない。

 代表作「ジャン・スボガール(1818)」は、吸血鬼こそ登場しないものの、吸血鬼と同じ精神風土を背景に書かれた作品であると見されているようだ。イタリア人の美術史家、文学研究者であり、文学批評で大変著名なマリオ・プラーツは、「ジャン・スボガール」の主人公はポリドリの「吸血鬼」から派生した劇作品における主人公の類縁性に着目し、「彼(スボガール)はロマン派の吸血鬼と密接な関りをもつ」人物だと指摘した*37

 こうしてみるとノディエは吸血鬼に関する数々の活動をしているが、ダニエル・サンスュは、こうしたノディエの吸血鬼のテーマへの執着を「吸血鬼博士」として自らを売り込む作家の意図に結びつける。吸血鬼へのこだわりを売名行為の戦術の一つとして理解するというのがサンスュの主張だ*38*39

フランスで大流行するポリドリの「吸血鬼」の劇

 シャルル・ノディエはポリドリの「吸血鬼」の書評で、「ブルーバール劇(メロドラマ)の女神に捧げることになるに違いない」と論じた。もっと簡潔に言えば、「『吸血鬼』をメロドラマ化すれば、成功は間違いない」と予想した*40。その予想通りに、「吸血鬼」はフランスにおいて早くも劇場化されることになる。先ほども説明したが、ブルーバール劇はフランスの通俗喜劇の呼称で、とくに当時の民衆は18世紀後半からジャンルとして力をもち始めたメロドラマ(コトバンク)に熱狂していた。メロドラマ(wikipedia)は今では演劇や映画のジャンルの一つで、一般に感情の起伏を誇張した感傷的な恋愛劇を指す。所謂昼ドラもメロドラマも一つといっていいようだ。だがメロドラマは時代や地域によって多様に使われてきたので、一概には説明できない。例えば当初ドイツでは、オペラのなかで音楽の伴奏がつく台詞の部分を、フランスでは登場人物が沈黙したときに、その感情を音楽で表現する演劇をさしていた*41

 ただ当時のフランスのメロドラマ、特にブルーバール劇の特徴として、単純化・理想化されたステレオタイプな人物描写、曖昧さのない明白な善悪二元論の世界、勧善懲悪で詩的正義のあるハッピーエンドなどが挙げられる。例えば、薄幸の美女が悪漢の餌食とされ、波瀾万丈のすえに奇跡的に救われるという感じの劇が流行っていたようだ。形式的には、身体的なアクションや歌と踊り、音楽による会話の特徴など聴覚、視覚に訴える点が目立つ。そして婉曲的な性描写や残酷描写の強調がよく見られる。つまり、筋が追いやすく観客を楽しませることを主眼とした、大衆にアピールするタイプの刺激の強い劇が、当時のメロドラマであると言える。19世紀のフランスにおいて特に有名になったのが、メロドラマの父と呼ばれるギルベール・ド・ピクセレクールである。彼は「私は読めない者のために書く」という言葉を残している*42*43。現代では芸術的な映画よりかは娯楽的な映画の方が評判になるが、昔も大して変わらなかったようだ。


ピクセレクール
ルイ・シャルル・ギルベール・ド・ピクセレクール
(1773~1844)
コトバンク 英語wikipeida

 メロドラマについて長々と説明してきたが、ポリドリの「吸血鬼」も当時のフランスにおいてメロドラマ化した。それは「吸血鬼、序幕付三幕のメロドラマ」”Le vampire,melodrama en trois actes avec un prologue”という作品で1820年6月13日、パリのテアトル・ド・ラ・ポルト・サン・マルタンで開演、大成功をおさめ、至る所で類似の芝居やコメディを生み出した*44*45


 上記は劇の台本だと思われる。内容の全文がGoogleブックスにてアーカイブ化され公開されている。マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」では1820年1月13日開演と説明しているが、森口大地は6月13日と説明している。上記画像の赤線部分、"juin"はフランス語で6月を意味する。バンソンは1月13日を根拠とする典拠を明示していない。恐らく単純に間違いをしたものと思われる。

 このメロドラマ「吸血鬼」は、伴奏音楽はルイ・アレクサンドル・ピッチーニが作曲した。台本の作者であるが、当時は、複数の共作者との協力のもとに創作するのが慣例であり、この「吸血鬼」の劇作品もその慣例に従った*46。上記の台本画像から分かるように、その共同作者たちは署名はしていないが、誰が関わったのかは判明している。その共同作者たちは、P・F・A・カルムーシュ(註3)、アシル・ド・ジュウフレ、そしてシャルル・ノディエであった*47*48

註3
種村の「吸血鬼幻想」ではT・F・A・カルムーシュと表記されているが、森口大地の「矮小化されるルスヴン卿」ではピエール・カルムシュと表記されている。Googleブックスにあるアーカイブリンク先を見るとピエール・フレデリック・アドルフ・カルムーシュ”Pierre-Frédéric-Adolphe Carmouche”とある。森口の表記も合わせてみると種村の表記は単純な間違いだと思われ、P・F・A・カルムーシュが正しいと判断した。


 そう、ノディエは「ポリドリの「吸血鬼」は、メロドラマ化すれば成功は間違いない」という書評を書いていたが、自らそのメロドラマ化に動いていた。ノディエがポリドリの「吸血鬼」をメロドラマ化したのは、流行に乗ったというのもあるだろうが、メロドラマの父・ピクセレクールと友人関係であった*49ということも大いに関係しているだろう。メロドラマ劇「吸血鬼」の作成よりも大分後になるが、ピクセレクールは自身の劇から主要作を選び、1841年から43年にかけて『演劇選集』”Théâtre choisi”を出版した。そこにノディエが序文を寄せて、メロドラマ論を展開している*50*51。このようにノディエはメロドラマに対して大変情熱と興味があったことが伺える。

 ノディエがメロドラマ化した劇「吸血鬼」だが、大筋はポリドリの「吸血鬼」に沿っているが、舞台がスコットランドになっており(ポリドリ原作はロンドンどギリシア)、随所に当時の時代の趣向に適ったバーレスク風の場面が挿入されているが、これは脚色者の一人であるノディエにさえ意に満たない上演となっていた。原作のポリドリの「吸血鬼」だが、主人公オーブレーはは妹をルスヴンから守るということを果たせず、失意の中で死に、その最愛の妹もルスヴン卿の毒牙にかかってしまうというバッドエンドなのだが、ノディエの劇では先ほど解説したメロドラマの説明通りに、薄幸の美女が悪漢の餌食とされ、波瀾万丈のすえに奇跡的に救われるという、勧善懲悪のハッピーエンドになった。やはりハッピーエンドの方が昔も受けはいいのだろう、興行的には連日満員御礼で、劇中の小唄はパリ中の小路で口ずさまれたという*52

 ノディエの劇「吸血鬼」は、たちまちそれを模倣した吸血鬼芝居がパリの各所で上演された。ノディエの劇の二日後には、パリのヴォードヴィル劇場で「吸血鬼」と同名のファースが芝居の幕をあけた。次いで、ブラジュ、ガブリエル、アルマンの合作のコメディ「三人の吸血鬼、あるいは月の光」が、ヴァリエテ劇場で上演された。これは吸血鬼や幽霊の物語を読み過ぎた青年の妄想喜劇だという。1820年には少なくとも6作の吸血鬼演劇がパリで開演された。エミール作『吸血鬼のアンコール』、デソギュ作『吸血鬼カデット・ビユー』、マルティネ作『吸血鬼・三幕のメロドラマ』、フェヴァル作『吸血鬼の息子』(註4)、スクリブ作『吸血鬼』、作者不詳『吸血鬼のお年玉』(お年玉という訳は正しいのかどうかは、後程詳しく補足説明する)と、吸血鬼演劇の華盛であった*53*54

註4
フェヴァル作「吸血鬼の息子」は1820年でなく、恐らくもっと後年に上演されたものと思われる。詳細は記事最後にて説明する。

吸血鬼の劇はあの大デュマの運命を変えた

 こうしてポリドリの「吸血鬼」は劇場作品となり、パリ中で大ヒットした。それに関して、フランスのとある文豪が面白いエピソードを残している。その人物とは大デュマである。

大デュマ
アレクサンドル・デュマ・ペール
(1802~1870)
日本語wikipedia 英語wikipedia 仏語wikipedia

 黒人奴隷とのハーフ。同姓同名の息子と区別するため、デュマ・ペールと呼ぶか大デュマと呼ばれる。ここでは大デュマで統一する。大デュマの代表作は何といっても三銃士ダルタニャン物語)だろう。作中にある「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉はあまりに有名。特に優秀な3名を「〇〇三銃士」と呼称するのは、現代では定番になった(例えばプロレス関係なら闘魂三銃士)。現在のオタク層ならば、ラーメン三銃士の元ネタの小説を書いた人とか、人気ソーシャルゲーム「フェイト・グランド・オーダー(FGO)」に登場する、「巌窟王エドモン・ダンテス」の元ネタ小説「モンテ・クリスト伯」を書いた人と言った方が通じるだろうか。

 そんな大デュマが、パリ中で人気となった「吸血鬼」の劇について面白いエピソードを残している。大デュマが劇作家になるべく1823年にパリへやってきた最初の夜のことである*55。ポルト・サン・マルタン劇場で再演されていたノディエの劇「吸血鬼」を観に行こうと思っていた。チケットを入手するのは容易ではなかったが、地方から出て来たばかりの若きデュマは、「吸血鬼」を見ることが国際人となる第一歩であると固く心に決めていた。だが初めての観劇は、デュマの黒人混血児特有の天然パーマに言いがかりをつけたフランス人たちと激しい口論の挙句、1階席から追い出されて終わってしまった。それでも「吸血鬼」への熱は冷めず、今度はオーケストラボックスの後ろの特等席のチケットを買って劇場へ向かった。今度は何事も無く席について芝居を見入ることができた。そして隣の席に見知らぬ客と暫く会話を楽しむ機会に恵まれた。彼はイリリア地方にいたことがあり、イリリア地方に滞在中に経験した吸血鬼に関する見聞を披歴してから、ドン・オーギュスタン・カルメの18世紀の有名な吸血鬼論文を引き合いに出したりして、うんちくのほどを示した(そのカルメ師の論文を解説したニコニコ動画はこちら)。それだけなら別に問題はないのだが、その内その男は、自分が知っている吸血鬼信仰が含まれていない、上演中の芝居が吸血鬼信仰とは縁もゆかりもない通俗劇的な場面を玉石混交風に挿入していると言って、非難し始めた。またその見知らぬ男は、シェイクスピアやゲーテやモリエールの舞台の亡霊の役割についてあれこれケチをつけて、三幕目の始まる前に矢庭に仕切り桟敷から平土間へ降りていくと、けたたましい口笛を吹いて上演の妨害をしようとしたものだから、劇場の用務員に小屋から叩き出されてしまった。これぞ「元祖吸血鬼警察」と呼ぶべきだろうか。とまれ一般客からすれば、はた迷惑なだけである。さてそんな一夜に巡り合ってから大デュマが翌日の新聞を見ると、また驚いた。昨日自分と吸血鬼談議して劇の邪魔をしたその人物が、ニュースとなって名前も公開されていたのだが、それはなんと、自分が見た劇の台本を書いたシャルル・ノディエその人であったからだ*56*57*58*59。ノディエが自分が書いた台本の劇で暴れた理由は先ほども説明したように、バーレスク風味の大衆演劇の要素があり、彼の意図にそぐわない演出をされていたことが原因だろと、ディーター・シュトルムクラウス・フェルカーはそう考えている*60

 地方から出てきたばかりの時に黒人差別されたが、それによりノディエと出会うことができた。そしてこれをきっかけに大デュマは、ノディエと知り合いなることができ、ノディエに見出された。彼のサロンに招かれるようになりラマルティーヌユゴーヴィニーミュッセなど, フランスの名だたるロマン派を担う面々に仲間入りすることになった*61。ノディエとの偶然の出会いは、大デュマにとって転機となった。もしこの時ノディエと出会わなければ、大デュマの今日に伝わる活躍はなかったかもしれないと思うのは、私だけであろうか。

 もう一つ、大デュマは興味深い報告を残している。ルスヴン卿に扮して当たり役を掴んだ男優フィリップの死に纏わる事件である。フィリップの遺体を埋葬する段になると、パリの教会筋は、そのような呪わしい役を演じた人間を、キリスト教の儀式に寄って埋葬することはまかりならんと強弁に突っぱねたのである。この教会の埋葬拒絶に抗議して、1824年8月18日のフィリップ葬儀の当日、3000人の群衆がテュイルリー宮殿に向かうデモ行進に参加した。もっともデモ隊はほどなく警察当局によって解散させられ、内務当局はデモ隊代表の講義を却下して一見はあえなく幕を閉じたそうである*62。大分近代化が進んだとはいえ、まだまだ教会の発言力が残っていたことが伺えるエピソードだろう。そして裏を返せば、当時吸血鬼ルスヴン卿は衝撃的な存在であったということになる。さすが吸血鬼の始祖というべきだろうか。

 そして後年、作家として成功した大デュマは、当然と言うべきか、自分でも吸血鬼の作品を作るようになる。1つ目は、上記の吸血鬼文学一覧年表でも示した、1848年の「青ざめた貴婦人」だ。何巻にも及ぶ大著「千霊一霊物語」の第一部「フォントネー・オー・ローズに一日」”Une Journée à Fontenay-aux-Roses”の外伝として発表された。実際には第12章「カルパチア山脈」から、第15章「ハンゴー修道院」までが該当する。英訳の際に「青ざめた貴婦人」"The Pale-Faced Lady"という題が付けられた。英国では単独の物語として出版され、1848年"In the moonlight "「月光のもとに」に収録、1975年には、”Horror at Fontenay”「フォントネーの恐怖」に"The carpathian vampire"「カルパチアの吸血鬼」というタイトルで収録された*63"Vampires, Wine & Roses"というアンソロジーでは、”The Vampire of the Carpathian Mountains”というタイトルで収録されているようだ。バンソンは、初版は1848年、「月光のもとに」に収録されたのも1848年だと述べるが、仏語wikipediaGoogleブックスにあった一番古い版の画像では1849年となっている。

 ピーター・ヘイニングによると、この作品はデュマのお気に入りの弟子であったポール・ボカージなる人物との共著であるといい、フランス語版のタイトルのページにはその名前があるが、英訳版では消えたと述べる*64。だが、少なくともフランス語1849年版を見る限りではボカージの名前が少なくとも出てこず*65、きちんとした典拠も明示していない。一応ポール・ボカージのwikipedia記事が存在するので、実在した人物であることは間違いないようだが、そもそもピーター・ヘイニングという人物は信用ならないので、ヘイニングの解説は話半分に聞いておくのがいい。理由はいずれ記事にする。

 その内容だが、1897年の「吸血鬼ドラキュラ」より先駆けて、カルパチア山脈が舞台となっている。ポリドリの「吸血鬼」のスタイルを色濃く残している作品だと言われ、ヒロインはポーランド人、吸血鬼はモルダヴィアの貴族コスタキだ(実際はほぼ山賊)*66。コスタキは最後、聖剣によって倒される*67。この作品の吸血鬼の特徴だが、ヒロインは血を吸われたのだが、それは首筋に鋭い痛みを覚え、首筋に針で刺されたかのような刺し傷が残っていた。以前の記事でも述べたように、ポリドリの「吸血鬼」では、首筋を食いちぎるという荒々しい手段で血を飲むのだが、ここでは今のスタンダードな吸血鬼の牙で刺して血を飲んだと見ていいだろう。だが念を押すが、吸血鬼の牙がはっきりと描写されたわけではなく、あくまで牙で刺したと思われる描写があるだけだ。

 日本語訳は、単体の物語としてピーター・ヘイニングの「ヴァンパイア・コレクション」に「蒼白の貴婦人」として収録されているほか、いくつかある「千霊一霊物語」の12章から15章に収録されている。入手のしやすさから行けば、電子版もある光文社の「千霊一霊物語」がいいだろう。個人的には「ヴァンパイア・コレクション」の訳の方が好み。


 日本では「巌窟王」の名前でも知られるデュマの代表作「モンテ・クリスト伯」には、吸血鬼自体は出てこないものの、ポリドリの「吸血鬼」の影響が色濃く表れている。例えば39章で登場人物のG伯爵夫人は、ルスヴン卿*68と個人的に知り合いだと述べる*69*70。36章でも伯爵夫人はモンテ・クリスト伯(エドモン・ダンテス)を「現代のルスヴン卿」などと、エドモン・ダンテスを度々ルスヴン卿(吸血鬼)に例えるシーンがある。そして大デュマも、ポリドリの「吸血鬼」を作者をバイロンと思い込んでいたことが読み取れるシーンがある。34章で伯爵夫人が「バイロンは確かに吸血鬼がいると申しましたし」というシーンがそれだ。

 さて「モンテ・クリスト伯」には完訳が2つある。その内の岩波文庫の山内義雄訳では、34章でルスウェン卿(ルスヴン卿)がどんな人物なのか注釈をいれているのだが、「スコットランドの伯爵。マリー・ステュアート時代、事に坐して断頭台で処刑された。バイロンの作にこの人を材としたものがある」という説明をしている。先行して紹介したニコニコ動画のコメントにもあったが、これは山内がポリドリの「吸血鬼」を知らず勘違いして、実在したルスヴン卿、恐らく第三代ルスヴン卿パトリック・ルスヴンのことを間違えて紹介してしまっている。その後の文脈「確かに吸血鬼がいると申しましたし」や、大デュマがノディエ版「吸血鬼」に入れ込んでいたことを含めると、ここでいうルスヴン卿は実在の人物ではなく、ポリドリの「吸血鬼」に登場するルスヴン卿のことを指していると見るべきだ。

 こうして大デュマは自身の小説に吸血鬼を登場させていったが、元は演劇作家になりたかった彼は、これも当然と言うべきか吸血鬼の劇も手掛けた。それは「吸血鬼」(Le vampire)という5幕ものの戯曲で、合作者のマケーと共に、シャルル・ノディエの劇をリメイクしたものだった。初演は1851年12月20日、パリジアン・テアトル・アンビギュ・コミークで上演、M・アルノールがルスヴン卿*71を演じた*72*73


アンビギュ座 大デュマ 戯曲吸血鬼
アンビギュ座で上演された大デュマの戯曲「吸血鬼」を描いたもの

 以上見てきたように、フランスでは1819年のポリドリの「吸血鬼」と、1820年のノディエの劇「吸血鬼」で、フランス中で吸血鬼ブームが巻き起こった。怖いもの見たさに吸血鬼小説を争って読み、劇場に押し掛けたブルジョアジーは、やがてこの吸血鬼=バイロン・ブームに恐怖に近い感情を抱き始めたようだ(何度も言ったが、当時はバイロン作と思われた)。1824年のアンスティテュー・ド・フランスの講演において、アカデミー会員オージュは次のような演説を行い、当時の状況を述べている。

あまたのずたずたにされた人肉によって肥やされ、婦女子の血を飲みつくしているこれらの食人文学に怖気を振るわれるがよい。それは諸君の精神の内に良き心象をめざませることなく、諸兄の心を冒涜するものである。とりわけ、その使命をサタンそのものから授かっているかのような、食人的な、あるいはむしろ悪魔的な文学に怖気を振るわれるがよい。このような文学は、それが常に崇高且つ無敵なるものとして描き出している悪行へと人を挑発するものである。それは美徳を弱弱しく、小心で打ちひしがれたもののように描くことによって、美徳を笑うべくも無力な存在に仕立てあげているのである。

 マリオ・プラーツが指摘するところでは、この評論は明らかにバイロンに向けられていたが、同時にもう一人にも向けられていた。それは文中に何度かでてくる美徳という言葉から察せられるように、『ジュスティーヌ 美徳の不幸』『ジュリエット 悪の栄え』の作者、マルキ・ド・サドにも向けられていたという*74。ド・サドはご存知のようにサディズム、サディストの語源になった作家。「美徳の不幸」「悪の栄え」は、清貧に暮らしていた妹が不幸のどん底に落ち、悪行の限りを尽くした姉が繁栄の道を歩むという内容だ。他にもキリスト教に喧嘩を売る内容だったから、ナポレオンによって裁判なしで投獄されてしまう原因となった作品だ。このことから分かるように、ポリドリの「吸血鬼」はあのマルキ・ド・サドと同列に語られていた。だが同列に語ったのはオージュだけではない。


サント=ブーヴ
シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ
(1804~1869)
日本語wikipedia

 19世紀フランスの文芸評論家・小説家・詩人で、近代批評の父とも言われる人物。このサント=ブーヴも次のように述べている。

反論を恐れることなく、私はあえて次のように主張したいと思う。即ちバイロンド・サドは(両者の名を一気に述べたてることを、どうかご容赦ねがいたい)、恐らく我々近代人にとって二人の最も巨大な鼓吹者であったのだ。一人は公然たる光の元に置いて明瞭に、もう一人は隠密裏に、とはいえ隠密に過ぎると言うほど極端にではなく。我が近代作家達のある者の作品を読みその心の内奥にまで立ち入って、彼らの部屋の裏階段まで用立てようと思うのならば、人は断じてこの二つの鍵を忘れてはならない*75

以上の原文はこちらの海外サイトこちらの海外サイトで読める。

 Googleブックスにあったこちらの本によれば、この批評は1843年に行ったもののようだ(そのGoogle翻訳先)。外国人特有の小難しい言い回しをしてて分かりづらい。もうリンク切れになってしまったが、以前あったerudit.orgの解説ではつまるところ、バイロンとドサドはロマン主義を代表する天才であるのは間違いない、どちらも悍ましい文学を作り上げた、ただその中でバイロンは公然と評価されるであろうと、サント=ブーヴは述べたようだ。このようにポリドリの「吸血鬼」は長いことバイロン作と思われていたこと、そしてあのマルキ・ド・サドの作品と同列に語られていたことが伺える。原作では主人公も妹も吸血鬼にやられるというバッド・エンドだったことが、当時のフランス人の恐怖を掻き立てたようだ。その一方でノディエの劇を中心に、勧善懲悪なハッピー・エンドに改変され、それが受けて吸血鬼の劇が大流行した。

 ポリドリの「吸血鬼」の登場の後、パリでは劇やヴォードヴィルという形式の劇で、吸血鬼の劇が大流行した。この当時の批評家は次の様に述べている。

「パリの劇場という劇場が吸血鬼づくめだ!」*76

 バイロンの作品集から「吸血鬼」を削除したことによる、予約者からの夥しいクレーム、ノディエの劇から始まった吸血鬼劇の大ブーム、マルキ・ド・サドと一緒に比べられたこと、あの大デュマをも魅了したといったことを見ていくと、ポリドリの「吸血鬼」の人気ぶりがいかに凄まじかったのかがよくわかる。

劇でも「吸血鬼」と「フランケンシュタイン」は縁がある

 1819年の英国のポリドリの「吸血鬼」は、1820年のノディエの劇「吸血鬼、序幕付三幕のメロドラマ」となり、フランス中で吸血鬼大ブームを引き起こした。そのノディエの吸血鬼劇の脚本は、その年の内にイギリスへと逆輸入された。ノディエの劇を翻案したのは英国の劇作家・古美術研究家のジェイムズ・ロビンソン・プランシェ*77*78


ジェイムズ・ロビンソン・プランシェ
ジェイムズ・ロビンソン・プランシェ
(1796~1880)
英語wikipedia

 彼は舞台衣装やセットに歴史的な正確さを追求するなど、演劇界に数々の革新をもたらした人物だ*79。とくに古代のドレスの知識が豊富。ビクトリア女王は出席者に時代にあったドレスを着るように命じていたので、彼のドレスに関する知識は大変参考になったという*80。プランシェは「吸血鬼、あるいは島の花嫁」(The vampire or The bride of the isles)という劇を、シャルル・ノディエの吸血鬼劇から翻案する。1820年8月9日、イングリッシュ・オペラ・ハウス劇場、後のライシアム劇場で初演された*81*82。英語wikipediaにはこの劇を解説した単体記事も存在する。”The vampire(play)”


島の花嫁吸血鬼、あるいは島の花嫁吸血鬼 島の花嫁 プランシェ


 当時の「島の花嫁」の広告。左から1820年8月7日(拡大画像)、1828年1月21日(拡大画像)、1837年4月18日(拡大画像)開演のもの。その人気ぶりが長かったことが伺える。だがその人気ぶりとは裏腹に、プランシェもノディエと同じく、自分の意に沿わな作品となってしまった。彼は次のように残している。

場面設定は、フランスの劇作家たちが通例みせる無謀さから、スコットランドになっていた*83。ところがスコットランドには、この迷信(吸血鬼のこと)は存在していなかった。私は支配人に、そこをヨーロッパ東部のどこかに代えさせてくれと頼みこんだが、無駄であった。彼はスコットランドの音楽と衣装を欲しがっており、私の躊躇をよそに笑いながら、世間の人々は知りもしないし、気にもかけないというのであった。ちなみにスコットランドの音楽はあったが、衣装は持ち合わせていなかったようだ。とにかく大丈夫だというので、私はそれで最善を尽くす以外に方法がなかった*84*85

島の花嫁 ジェイムズ・プランシェ

 小さい画像しか見つからなかったが、上記がその様子を描いたもの。一番右が吸血鬼ルスヴン卿、左がヒロインのマーガレットになる。キルトとタモシャンターを着用している*86。このブログでは詳しく解説はまだしていないが、吸血鬼の伝承は本来東欧のもので、西欧には18世紀の吸血鬼大論争でようやく広く知れ渡った。詳しくは先行解説したニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」を参照。今でもスポンサーの意向には逆らえないという事例はあるが、昔からあったようだ。ちなみに上記の画像はクリストファー・フレイニング「悪夢の世界」p.122にもあるが、やはり画像が粗い。

 さてプランシェの「島の花嫁」の影響は数多に及ぶ。まずこの劇はロンドンやダブリンのロイヤル劇場でも上演された。そしていずれの劇場でも、一部6ペンスでおみやげのノベライゼーションが売られていたという。これは間違いなくタイアップ出版のはしりだろうと、ピーターへイニングは述べている。今でいう映像作品のノベライズ化が既に行われており、それが劇場で売られたいた。そしてそのノベライズのタイトルには次のように記述があったという。

「島の花嫁 有名な吸血鬼伝説に基づく物語 バイロン卿作」
「バイロン卿による吸血鬼の描写」*87

 ここでもバイロン作と勘違いされていた、あるいはそう思わせようとする魂胆があったようだ。さて劇の脚本はプランシェが手掛けたが、ノベライゼーションの方を書いた人物は不明だ。だが便宜上、プランシェ作と紹介されるようだ。脚本は復刻されており、日本のAmazonでも購入することができる。そしてノベライゼーションの方だが、実はこれは日本語訳が存在している。ピーター・ヘイニングの吸血鬼アンソロジー「The Vampire Omnibus」を日本語訳した「ヴァンパイア・コレクション」に収録されている。古めかしさはあるしご都合主義な展開もあるが、勧善懲悪なこれぞ王道と言った作品なので、そういうものが好きな人からすれば、今見ても楽しめる作品だろう。内容に関してはポリドリの「吸血鬼」と対比させる形で、後日別の記事で行いたい。

 「島の花嫁」は演劇の発展にも多大なる影響を与えた。というのもこの劇、吸血鬼役の俳優が一筋の煙とともに一瞬にして消えるという演出がなされたからだ。なのでぼんやり観劇している観客を驚愕させたという。仕組みは簡単だ。ゴムで止めた跳ね蓋が開くことによって、下に落ちるだけだ。下にはクッション材として毛布が敷き詰められていた*88*89。つまり舞台装置のさきがけだった。日本の舞台用語にも「奈落」があるが、どちらが先にやったのかが気になるところだ。こうして、吸血鬼の劇からはじまったこの仕掛けはヴァンパイア・トラップ(吸血鬼の落とし穴)と呼ばれるようになる。そして英単語"vampire"にも落とし穴の意が出来たようだ。例えば1918年『熟語本位英和中辭典』「芝居の舞台ににわかに出入りするに用いる落とし戸」という説明がある。1919年の『井上英和大辞典』にも「【劇】切穴、すっぽん」の意を載せている。goo辞書で検索できる小学館プログレッシブ英和中辞典の第5義に、《演劇》(舞台の)落とし戸,はね落とし(vampire trap)とあるので、”vampire”は今なお、劇における落とし穴の意が含まれていることが伺える。この件は過去記事も参照して頂きたい。

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 「島の花嫁」に関して最後に紹介しておきたいことは、この劇で吸血鬼ルスヴン卿を演じた俳優についてだ。

トーマス・クックトーマス・ポッター・クックトーマス・クーク
トーマス・ポッター・クック
(1786~1864)
英語wikipedia

 ルスヴン卿を演じたのは、商船船員から舞台俳優となったトーマス・ポッター・クック*90。イギリス人では一番最初に吸血鬼を演じた人物と言っていいだろう*91。元船員なだけであって、船員役が十八番だったそうだ。そして彼の英語wikipedia記事によれば、それこそこの「島の花嫁」でルスヴンを演じて、一躍有名になったと言われている。その演技は「真に迫っており」悪意に満ちたまなざしで、犠牲者と観客を交互にねめつけた、と伝わる*92。それだけなら特に言及することもないのだが、このクックが名声を更に高めるきっかけとなるのがフランケンシュタインだ。それどころか、フランケンシュタインと結びついた俳優として有名だ。

ボリス・カーロフフランケンシュタイン

 今日ではフランケンシュタインと聞けば、まず上記で示した化け物を今では指すことになっている。だがメアリー・シェリーによる原作の「フランケンシュタイン」とは、「醜い化け物」を作り上げた学生、ヴィクター・フランケンシュタインのことであり、怪物には名前はなく、ただ「怪物」「被造物」などとしか呼ばれない。wikipedia記事など「フランケンシュタインの怪物」と呼称することもある。フランケンシュタインとは、あくまで怪物を作り上げた人物の苗字だったものが、それがいつしか怪物の名前にとって代わってしまったが、その最初の事例がこのクックだ。

 クックはルスヴンを演じた3年後の1823年に『僭越!フランケンシュタインの運命!』(Presumption; or, the Fate of Frankenstein)*93という劇で、所謂『化け物』の役を演じる(以下、「僭越」と略す)。フランケンシュタイン専門の海外ブログ「Frankensteinia: The Frankenstein Blog」によればこの劇は、初演からわずか数週間で5つの模倣劇が生まれるほどであったという。


僭越、フランケンシュタインの運命トーマス・クック

 左が「僭越」のポスター、右が「名もなき怪物」を演じたクック。今日フランケンシュタインと聞けば、ボルトがあって角ばったごついものを想像されるが、あれはボリス・カーロフが演じた映画から始まったもの。原作では単に「醜い」としか表現されていない。それゆえ描写が甘いというのがよくある批判だが、裏を返せば「怪物」の造詣は、好き勝手に想像してもよいということでもある。

 さて元の小説の原作者、メアリー・シェリーはフランケンシュタインを作り上げた後、著作権の制御ができなかったようで、演劇の著作権は持っていなかった。それでもこのクック演じる「僭越」は、かなり気に入っていたようだ*94*95。1823年8月29日、彼女は父のウィリアム・ゴドウィンと、弟のウィリアム(父と同姓同名)と一緒に、23日目のものを観劇し、夫パーシーの友人であったリー・ハントに観劇した感想の手紙を書き送っている。

しかしこれは何たることでしょう!私は有名人になったのです。
(中略)
この物語はの筋書きはうまい運びではなかった。でもクックは「・・・・・・」の役をとてもうまく演じていました。私はとても楽しめましたし、観客も固唾をのんで熱心に見入っていたようでした*96*97

 メアリーは大絶賛している。とくに広告にある「……」:トーマス・クックという表記方法を「名前のない名前という表記方法は、とても良いものです」と言い、いたく気に入っていたようだ*98

見込み、フランケンシュタインの運命

 上記はメアリーが見た1823年のものではないが、1826年10月5日開演の「僭越」の広告の実物画像。フレイニングの「悪夢の世界」p.91でも、同じ1826年10月5日開演のものを例として紹介していることから、メアリーが見た1823年のものは現存していないと思われる*99。下の青線部分(・・・・・・) Mr.T.P.COOKE(T.P.クック)と、役柄の名前は三転リーダで非表示にし、役者名だけ表示している。この表記を原作者のメアリーはいたく気にいったようだ。ちなみにこの広告の上部を見ると、プランシェの「島の花嫁」も同時上演していたようで、画像の上部の赤線部分吸血鬼役:T.P.クックとあり、クックはおいしい役どころを立て続けに担っていた。「島の花嫁」も「僭越」も長いこと上演されるほど人気を誇っていたようだ。


怪物と魔術師怪物と魔術師

 「僭越」の出演から3年後の1826年、今度はフランスのポルト・サン・マルタン座で「怪物と魔術師」(Le Monstre et le magicien)で、こちらでも怪物役をクックは80日間演じた。上記の画像は、その怪物を演じたクックを描いたもの。この劇は一応フランケンシュタインものなのだが、別の劇にインスパイアされたもので、もはやメアリ・シェリー原作の物とは別物だという。ここでは、原作では怪物を創った学生ヴィクター・フランケンシュタインは登場せず、代わりにZametti(ザメティ)という人物に代わってしまった。この芝居の終わりには余りの死者がいたので、凄く印象に残った。これと博士の名前が変わったことにより、原作と大きくかけ離れたものになっていたのにも関わらず、大衆の間では博士と怪物の混同が起きたという*100*101。ただwikipediaのフランケンシュタインの怪物の記事を見ると、確かにこれ以降怪物をフランケンシュタイン呼びする事例が出てきたようだが、定着するほどでもなかったという。怪物の外見を決定づけたボリス・カーロフの映画でも「名もなき怪物」だった。だがユニバーサル社の映画以降、名無しの怪物がフランケンシュタインと一般的に呼ばれることが定着したという。クックの場合は、あくまで怪物のフランケンシュタイン呼びの最初の事例に留まるようだ。

このあたりは過去記事でも解説したので、そちらもご覧頂きたい。

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 こうしてクックは、吸血鬼役としてもフランケンシュタインの怪物役としても、名を馳せることになる。なおいずれ解説記事にするが、ポリドリの「吸血鬼」の系譜で、吸血鬼ドラキュラにも影響を与えた重要作品「吸血鬼ヴァーニー」という小説があるのだが、この劇においても吸血鬼役としてクックが演じたという。まさに化け物専門の役者といったところだろうか。一つ個人的に気になるのは、フランケンシュタイン演じるクックの絵画はいくつも出てくるのに、名を馳せるきっかけとなった吸血鬼ルスヴン卿役を描いたものは見つからないことだ。当時はバイロン原作として有名だったのだから、何かしら残っていてもよさそうなのにとは思う。まあフランケンシュタインの怪物と、あまりにも結び付いたせいなのかもしれない。

 クックに関しては海外のフランケンシュタインウィキという、専門wikiサイトで簡潔に紹介されているので、併せてご覧頂くといいだろう。とまれ、こうしてディオダティ荘の怪奇談義で生まれた化け物2匹は、劇でも奇妙な縁があったことが伺えた。

オペラやバレエまでに発展したポリドリの「吸血鬼」

 これまで解説してきたシャルル・ノディエのメロドラマ「吸血鬼」は、フランスやイギリスで大成功を収めたが、当然と言うべきだろうか、オペラにまで影響を与えることになった。

 まずフランスでは、マーティン・ジョセフ・メンガルにより「吸血鬼、あるいは何もない所から来た男」”Le Vampire ou L'Homme du néant”が、1826年に上演された。これは日本では紹介されたことがなく、後述するリントパイントナーのwikipedia記事を見て私は初めて知ったし、詳しく解説したものも見つからないので詳細は不明だ。だが恐らくではあるが、ノディエの劇からインスパイアされた作られたものであると思う。

 1820年のノディエのメロドラマ劇「吸血鬼」は、ドイツにも伝わった。1822年、ハインリヒ・ルートヴィヒ・リッターににより「吸血鬼、あるいは死者の花嫁、三幕もののロマン主義演劇」”Der Vampyr, oder die todten Braut. Romantisches Schauspiel in drei Akten”という題名で独訳された。そのリッターが独訳したノディエ版を下敷きに、オペラが作られた。

 一つ目はヴィルヘルム・アウグスト・ウォールブリュックが台本作成、ハインリヒ・マルシュナーが作曲した1828年のオペラ「吸血鬼、二幕もののロマン主義オペラ」"Der vampyre,Romantische Oper in zwei Akten"である。



 上記左は、1828年マルシュナーの「吸血鬼」の広告、右側も広告ないし目次だと思われる。右側画像の赤線部には「バイロン卿」とある英語wikipediaドイツ語wikipediaには、それぞれ専用の解説記事が作られている。


 ウォールブリュックは本人も俳優でありながら、リッター版からさらに脚色して台本を書いた。そしてそれに音楽を付けたのが、ウォールブリュックの妹の夫、義兄となるマルシュナーであった*102


ハインリヒ・マルシュナー
ハインリヒ・アウグスト・マルシュナー
(1795~1861)
日本語wikipedia 英語wikipedia 独語wikipedia

 ドイツ・ロマン派音楽の作曲家で、その生涯と活躍は、「ワルキューレの騎行」で有名なリヒャルト・ワーグナーの陰に隠れてしまった人物。1824年、オペラ「魔弾の射手(Der Freischütz )」(1821年)で有名なカール・マリア・フォン・ウェーバーの助手となるものの、徐々に関係が悪化する。マルシュナーが自分の様式を商業目的で利用しているとヴェーバーが感じたためであった。そしてこのオペラ「吸血鬼」の音楽や戦慄は、その「魔弾の射手」から多く取り入れられているという*103。1828年3月28日か29日に、ドイツのライプツィヒで初演された。Amazonで販売しているこの「吸血鬼」のCD販売ページの説明を見ると、この初演は先ほども紹介した、まだ15歳のワーグナーが初演を観劇していたという。それどころか1833年には、ワーグナーがこのマルシュナーの「吸血鬼」を指揮したこともあるそうだ*104。そして今日ではそのワーグナーの「さまよえるオランダ人」に影響を与えたとして、今日では有名だ*105。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」(youtube)のイントロを聞いたことがないという人は、まずいないだろう。オペラ「吸血鬼」は、そんな有名な人の作品に影響を与えていたのだ。この1843年に初演された「さまよえるオランダ人」英wiki)(独wikiの登場後は、このマルシュナーの「吸血鬼」は早くも時代遅れと見なされたという*106。そして「吸血鬼」は、ウェーバーとワーグナーの作品を橋渡しした作品とみなされている*107

「魔弾の射手」ー「吸血鬼」ー「さまよえるオランダ人」

 マルシュナーのオペラ「吸血鬼」について、あのゲーテも言及している。最初の方でも解説したように、ポリドリの「吸血鬼」をバイロン作と思い込んでいたゲーテは、「この作品こそはバイロン卿の最高傑作」と絶賛するほどであった。だが1831年4月24日のカール・フリードリヒ・ツェルター宛ての手紙には、ウォールブリュックが翻案した内容については否定的な反応を示している。手紙には「「主題は忌まわしいが、人が私に語るところによると、オペラとして全体は非常に良いものだった ようです」とある。またマルシュナーの「吸血鬼」を観劇したゲーテの孫の反応も「ヴェルフヒェンは全く公平な判断をしていたが、少しも心を動かされず「ヴァンパイア」から戻ってきた」と芳しくなかったようだ*108。どうもゲーテ本人は観劇しておらず、人の感想を聞いただけのように思われる。


 このマルシュナーのオペラ「吸血鬼」は翌年の1829年、イギリスにもすぐさま伝わり英語でさらに翻案された。翻案を手掛けたのは、吸血鬼劇「島の花嫁」を手掛けた、ジェイムズ・プランシェだった。前述したように、もとのノディエ版の舞台はスコットランドであり、「島の花嫁」でも劇場支配人の意向により、舞台は吸血鬼伝承のないスコットランドのままにされたので、プランシェは大いに不満を漏らしていた。ウォーリュブリュック版でも舞台はスコットランドであったようだが、プランシェはオペラの歌詞を翻案する際、舞台をハンガリーに変更した*109。プランシェは次のように回想している。

私は英語の劇場用音楽の歌詞を書くことに従事し、結果として場面はハンガリーにした。そこでは、その迷信(吸血鬼のこと)は今日まで存在している。また、スコットランドの族長の代わりに、ヴァラキア人の特権貴族にして、その他多くの点で以前のものを改良した*110

 プランシェはこのオペラでは自分の思うようにできて、満足出来ていたようだ。このプランシェ版は1829年8月25日、「島の花嫁」を上演したライシアム劇場で、60日間のみ興行が行われた*111

 このマルシュナーの「吸血鬼」は、ドイツの作曲家ハンス・プフィッツナーが1924年に改稿し、現在ではその1924年改稿版が通常上演されている*112*113。森口大地によれば、このオペラは二幕ものだが、版によっては四幕ものも存在しているという*114。もしかしたら1924年の改稿版により四幕ものになったのかもしれないが、森口はそのあたりの言及はしていないので、いつ四幕ものになったのかは不明なようだ。


ハンス・プフィッツナー
ハンス・プフィッツナー
(1869~1949)
日本語wikipedia 英語wikipedia ドイツ語wikipedia

 プフィッツナーは人嫌いな性格をしていたこと、政治的な発言、それもナチスとの関わり合いを疑われる発言も多かったことから、未だに評価が定まっていない人物である。


 1828年に上演されたマルシュナーの「吸血鬼」だが同年、同じドイツで、もう一つ吸血鬼のオペラが作られた。これもノディエのメロドラマ「吸血鬼」を独訳したリッター版をもとにして作られたものである。それはツェーザル・マックス・ハイゲル台本、ペーター・ヨーゼフ・フォン・リントパイントナー作曲の「吸血鬼、三幕もののロマン主義オペラ」”Der Vampyr. Romantische Oper in drei Akten"で、1828年9月2日(21日?)に*115、シュトゥットガルトにて初演された*116*117


ペーター・ヨーゼフ・フォン・リントパイントナ―リントパイントナ―「吸血鬼」
ペーター・ヨーゼフ・フォン・リントパイントナー (1791~1856)
英語wikipedia ドイツ語wikipedia
Der Vampyr(Lindpaintner):リントパイントナ―の「吸血鬼」の解説記事
右側はリントパイントナ―の「吸血鬼」の台本?画像 wikisourceに全文有り


 リントパイントナーは、ドイツの作曲者・指揮者。ペーター・ヴェンターヨーゼフ・グレーツに師事した。このオペラでソプラノパートを務めたのは、オペラ歌手のカテリーナ・カンジ

 種村の「吸血鬼幻想」によれば、マルシュナー版もリントパイントナー版も、「バイロン原作による」という但し書きが明記されていたそうだ*118。実際上記で見せたように、マルシュナー版もリントパイントナー版も赤線部にある通り、「バイロン卿」の名前が確認できる。このようにドイツでもポリドリの「吸血鬼」は、バイロン作と信じられていたことが伺える。

 マルシュナー版は、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」のせいで時代遅れと評価されたが、森口大地によればウォールブリュック版(マルシュナー版)は19世紀、20世紀を通じて人気が高く、頻繁に上演されているという*119。実際マルシュナー版は、AmazonでCDが発売されていたりYoutubuでもフル演奏がいくつかアップロードされているが、リントパイントナー版はいくら探しても見つからない。とまれ、せっかくなので、Youtubeで公開されているマルシュナー版「吸血鬼」のフル演奏動画をいくつか紹介しよう。同時に作中に出てくるルスヴン卿も紹介しよう。 ドイツ語の発音だとルートフェン卿、あるいはルートヴェン卿となるが、ここではルスヴン卿で統一する。



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ルスヴン卿

 最初に紹介するのは、ロサンゼルスのリリックオペラ”Lyric Opera of Los Angeles” (LOLA)が2002年に上演したもの。LOLAはカリフォルニア州ロサンゼルスにある小さな非営利オペラ会社で、英語wikipedia記事も存在している。何も知らずに見たときは、衣装やセットがやけに安っぽいなと思ったが、後から非営利団体と知って納得した。


 次に紹介するものは、男性のイチモツ、ぶっちゃけていうとチン〇が無修正で映し出される。汚いケツも映し出されるので、視聴は自己責任にて。女性も惜しげなく胸をさらけ出している。少々きわどい性的なシーンもあります。


www.youtube.com


吸血鬼

 上記はイギリスBBCで放送されていたもので、これは舞台を現代にして翻案したアレンジバージョンであり、セリフは全てドイツ語から英語に直され、吸血鬼ルスヴン卿はビジネスマンのリプリーという人物に変更されている。これは「ソープ・オペラ」と呼ばれるもので、こちらでいう昼ドラみたいなもの。今回はたまたまオペラ作品だが、ソープ・オペラ自体は、普通のドラマであるということの方が多いようだ。オリジナル版と比べると合唱パートはことごとく削除されているものの、基本的な旋律は確かに元のマルシュナーのものと同じだと分かる。一番分かり易いのは、クライマックスのルスヴンとの対決シーンだろう。このソープオペラバージョンも、英語wikipediaには単体で解説記事がある。詳細は次の記事で紹介しよう。
エロティックで真面目なものではあるのだが、いかんせん無修正チン〇のインパクトが強すぎた。



 ということでもう一つ紹介しよう。これは2008年にフランスで上演されたものである。繰り返す、2008年にフランスで上演されたものである。これは後半パートしかない。(つい最近、フル演奏版がアップロードされたことに直前になって気が付いた。フル版の紹介は次回にて)



www.youtube.com

(。´・ω・)ん? なんだ、このサムネ?




吸血鬼ルスヴン卿
2008年のフランスで上演されたルスヴン卿


ファッ!!??なんじゃこりゃあああ!?
ニコラス・ケイジもどきが日本刀持っとる!!??
多くの日本人が知らないところで、日本喧嘩売られとる!!


 とまあこのルスヴンのインパクトはすごかったが、それが霞んでしまうほどの存在がこのオペラには存在する。それは先ほどの動画の41分30秒あたりから出てくる。





( ´・д・)エッ?









例の奥さんDer vampireDer vampyre
最強の奥さん
私はここの「ドスン!」でやられた



ブ━━(;.;:´;:.゚;;w;;゚;.)━━ッ!!


私の初見の感想は、腹を抱えならがら「このひと一人でルスヴン倒せるやろ」というものであった。いや、こんなん卑怯やwww脱ぐんじゃねえwww
今までの真面目な雰囲気のブログが台無しだ!困惑する人も出てくるだろうなあ……
とまあ、とてつもないインパクトがあり過ぎた。ニコニコ動画で先行して紹介したときも、コメントだらけになるほど大反響であった。そしてニコニコ動画内ではいつしか日本に喧嘩売ったこのオペラは「クソオペラ」、この奥さんは「例の奥さん」などと自然に呼ばれるようになった。そのきっかけとなった動画は下記からご覧頂きたい。

 このクソオペラが気になった人も多いことだろう。ということで次回の記事はこのクソオペラについて解説していきたい。同時に先ほどのチン〇オペラソープオペラについても、対比させる形で紹介していこう。なお、ニコニコ動画ではこのクソオペラのみを紹介した動画も投稿しているので、気になる人はぜひご覧頂きたい。(しかしチン〇オペラといい、この日本に喧嘩売ったクソオペラといい、マルシュナーの「吸血鬼」は、ネタに走らなあかん決まりでもあるんか……マルシュナー、あの世で泣いてるぞ多分……)




 気を取り直してあと一つ、吸血鬼のオペラを紹介しておこう。今ではほぼ忘れ去られてしまったイタリアの作曲家・シルヴェストロ・デ・パルマが「吸血鬼」”I Vmpiri"というイタリアン・オペラを、ポリドリの「吸血鬼」の前に発表されている。「吸血鬼」の事典では1800年、海外wikipedia等では1812年作とあり*120、テアトロ・サン・カルロにて初演された。1819年のポリドリの「吸血鬼」が発表される前に作られた吸血鬼のオペラなので、今想像されるバイロン的吸血鬼(貴族的な、ルスヴン卿のような)とは違った吸血鬼である。このオペラのもととなったのは、トラーニ地区の大司教であるジュゼッペ・ダヴァンツァーティが書いた「吸血鬼に関する論文」“Dissertazione sopra i Vampiri”だという。これは18世紀末に東ヨーロッパで吸血鬼が流行したとされることを受けて書いたもので、彼の死後、1774年に作られたものだという。この18世紀末の東欧での吸血鬼の流行というのは、アルノルト・パウル事件から始まる、吸血鬼大論争のことを指していると思われる。当時のローマ教皇、ベネディクト14世やあの女帝マリア・テレジアまでもを巻き込んだ騒動である。それに関してはニコニコ動画の「ゆっくりと学ぶ吸血鬼7話」を参照してほしい。ポリドリ以前にも吸血鬼のオペラがあったことに非常に驚いた。この作品の解説だが、日本ではマシュー・バンソン「吸血鬼の事典」と、デイヴィット・J・スカルの「ハリウッド・ゴシック」で、簡単な紹介があるぐらいだ。*121。詳しい解説は下記のイタリア語のサイトぐらいしかまともなものは見当たらないところから、海外でも非常にマイナーな作品であるようだ。だが「私は吸血鬼」は未だに上演されるらしく、全編がYoutubeに投稿されていたのを見つけたので、紹介しておこう。

パルマのオペラ「吸血鬼」の解説記事リンク
下はパルマの「吸血鬼」映像、後半はyoutube内から移動してください。


www.youtube.com


 最後にポリドリの「吸血鬼」から派生したバレエについても紹介しておこう。1857年初演の『喜劇的な魔法バレエ、モルガーノ』で、これはベルリン王室バレエ劇場監督のパウル(ポール?)・タリオーニによって企画され、ピーター・ルートヴィヒ・ヘルテルが作曲した*122。種村は「吸血鬼幻想」でJ・ヘルテルが作曲したと述べる。恐らくJohann Wilhelm Hertel、ヨハン・ウィリアム・ヘルテルのことを指しているようだ。確かに彼はドイツの作曲家ではあるが、初演から68年前の1789年に既に亡くなっているので、明らかにおかしい。他にヘルテルという名前の作曲家を探したところ、Peter Ludwig Hertel、ペーター・ルートヴィヒ・ヘルテルが該当する。フランス語ドイツ語にwikipedia記事がありそれらを見ると、パウル・タリオーニの多くの作品に音楽を付けたとある。そして代表作に1875年”Morgano (Phantastisches Ballet in 3 Akten und einem Vorspiel; Musik: Peter Ludwig Hertel)”とあった。日本語に直せば『喜劇的な魔法バレエ、モルガーノ』である。よってJ.ヘルテルではく、P.ヘルテルが正しい。

 こうしてポリドリの「吸血鬼」は劇、オペラ、バレエと発展した。イギリス、フランス、ドイツにおいて、派生作品が沢山作られていったことが伺える。日本では紹介されたことがないが*123、アメリカでもポリドリの「吸血鬼」の派生作品が作られている。まず、ポリドリの「吸血鬼」と同じ1819年にはウリア・デリック・ダーシーにより「黒人吸血鬼 サント・ドミンゴの伝説」“The Black Vampyre” (英wikipdia記事)という小説が作られた。これはハイチ革命を諷刺したこので、ポリドリの「吸血鬼」人気に乗っかる形で作られたようだ。初の黒人吸血鬼物語、初のダンピールの作品、英語で書かれた2番目の小説と、多くの「最初」をやった小説である。マーベル・コミックのブレイドよりも早く「黒人のダンピール」をやった作品だ。黒人吸血鬼についてもっと知りたい方は、上記の英語wikipedia記事か、英語ではあるが下記のドリス・V・サザーランドさんの解説記事がまとまっている。というか詳しく解説したものが、サザーランドさんの記事しか見当たらなかった。

womenwriteaboutcomics.com


 もう一つ、これもサザーランドさんの記事で初めて知ったのだが、1849年のエリザベス・F・エレット「吸血鬼」(原題“The Vampyre”)も、ポリドリの「吸血鬼」の影響を受けた作品だ。作者のエリザベス・F・エレットは、あのエドガー・アラン・ポーとフランシス・サージェント・オズグッドのスキャンダルに関わったことで有名な人。そんな人が1849年にそのまま「吸血鬼」という作品を作り上げていた。この作品が判明したのは、結構最近のことらしく、デュエイン・パーソンズという人が2012年に発売したアンソロジー”The Night Season: Lost Tales from the Golden Age of Macabr”で収録されるまで、忘れ去られていたという。kindle版は”The Macabre Megapack: 25 Lost Tales from the Golden Age (English Edition) Kindle版”というタイトルに変更されている。いずれも日本のAmazonで購入が可能で、気になる方はリンク先もご覧頂きたい。

 エレットの吸血鬼はエレットが1849年に発表した著作(アンソロジー?)「人気の伝説、またはウッドローンでの夜」”Popular Legends; or, Evenings at Woodlawn”に収録されている。Abeブックスにて古書が購入できるが、Googleブックスにてアーカイブ化されて公開されている。169~188ページが「吸血鬼」なので、英語ができて気になる方は読んでみてはいかがだろうか。

 内容だがサザーランドさんによれば、ポリドリの「吸血鬼」の明確な模倣であるという。そして舞台がスコットランドになっているあたりから、どうやらシャルル・ノディエがメロドラマ劇にした「吸血鬼」や、プランシェ「島の花嫁」の影響もあるようだ。

 エレットの「吸血鬼」に関しても、詳しく解説したものは下記のサザーランドさんの解説記事しか見当たらない。「黒人吸血鬼」もエレットの「吸血鬼」も、今後もしなにか新たに分かったことがあれば、別記事にて紹介しよう。

エレットの「吸血鬼」はこちらが詳しい。 womenwriteaboutcomics.com


エレットの「吸血鬼」について言及に留まるのみでほぼ解説はないが、一応紹介しておく。 womenwriteaboutcomics.com


「黒人吸血鬼」やエレットの「吸血鬼」は過去記事でも触れているので紹介しておこう。 www.vampire-load-ruthven.com




 以上、長々と説明してきたが種村によれば、ドイツでは(英国の)ポリドリの「吸血鬼」のヒットに刺激されて、おびただしい吸血鬼小説や戯曲を輩出したそうだ。そして本国イギリスでも、第二ベストセリングを狙って、無数のキワ物吸血鬼小説が出版されたという*124。種村は言及していないが、ポリドリの「吸血鬼」が特に大流行したフランスでも同様とみるべきだろう。いずれにせよ、1819年のポリドリの「吸血鬼」は、おびただしい数の吸血鬼小説や戯曲を生み出した。以上見てきたように、今日有名なブラム・ストーカーの1897年の小説「吸血鬼ドラキュラ」よも数十年も前に、吸血鬼ブームが巻き起こっていたことが、これでお判りになられたかと思う。だがこうした吸血鬼創作の大半は歴史上から忘れ去られてしまった。現在想像される吸血鬼の基礎を作り上げ、あのフランケンシュタインと同じきっかけで生まれたポリドリの「吸血鬼」すら、一般的にはあまり知られていない存在に成り果ててしまった。とまれこうした熱狂的なポリドリの「吸血鬼」から、吸血鬼というモチーフが一般化したと言えるだろう。それが今日、遠い日本においても商業・同人問わず、吸血鬼の創作が作られている。吸血鬼の人気は1819年から未だに続いているというのが、一番正しい認識と言ってもよいのではないと思う。

 ここまで説明してきたが、時系列が分かりづらいと思われる。そこ主要な作品に関して年表を作成した。これを見ればポリドリの「吸血鬼」から始まって、どのように派生作品が作られていったかが分かり易いかと思う。ということで非常に長くなったが、今回の解説はここまでにしよう。この後は、重箱の隅をつつくような補足をする。

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補足① フェヴァル作「吸血鬼の息子」は、1820年作ではない?

 上記で、ノディエの劇をきっかけに、1820年には少なくとも6作の吸血鬼劇がパリで開演したと説明した。それはエミール作『吸血鬼のアンコール』、デソギュ作『吸血鬼カデット・ビユー』、マルティネ作『吸血鬼・三幕のメロドラマ』、フェヴァル作『吸血鬼の息子』スクリブ作『吸血鬼』、作者不詳『吸血鬼のお年玉』。これは仁賀克雄の「ドラキュラ誕生」(1995) の93ページから引用した。この中でふと個人的に気になった作品がフェヴァル作『吸血鬼の息子』だ。このフェヴァルという人物は、1875年の「吸血都市」の作者、ポール・フェバール(Paul Henri Corentin Féval)のことではないかと思ったからだ*125。上記や以前の「ドラキュラ以前の吸血鬼小説」の記事で紹介したように、彼は吸血鬼の作品を3つもつくり、その内「吸血都市」は、マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」で紹介されている作品だ。その作者と同一ではないかと思った。英語wikipediaの紹介では、フェバルは劇作家でもあったからだ。だが気になるのは、そのフェバールであるのならば、1820年に劇「吸血鬼の息子」を創るのあり得ない。なぜなら彼は1816年生まれなので、本当に吸血鬼劇を創ったのであれば僅か4歳で作ったことになる。もしかしたら他にもフェバールという人がいて、たまたま吸血鬼劇を創ったのかもしれないが、そうそう名前は被ることはないだろう。このフェバールは「吸血都市」を作ったフェバールに違いない、と私は思った。仁賀は最後に参考文献は紹介しているものの、どこから引用したのか細かい引用はしていないので、一体何を参照したかまでは不明だ。

 フランス語で「息子」は”fils”なので、”vampire”と混ぜて色々検索したら、該当の作品を見つけた。それは吸血鬼の初期研究を行ったことで有名な自称聖職者モンタギュー・サマーズ師の”The Vampire, his Kith and Kin: The History of Vampirism"に記述が検索にヒットした。キンドル版もあるので確認してみたら、この作品の詳細が判明した。ポール・フェバールの作品に”Le fils Vampire”というものがあると紹介している。Google翻訳にかけると、そのまま「吸血鬼の息子」となる。仁賀が紹介したフェバウル作「吸血鬼の息子」は、まずこれに違いないだろう。

Jean Larat further mentions a play by Paul Féval, Le fils Vampire. The version by John Wilson Ross of The Loves of Paris, a romance, published by G. Vickers, 3, Catherine Street, Strand, 1846, is said to be "Translated from the French of Paul Féval, author of 'The Vampire,' 'The Loves of the Palais-Royal,' 'The Receipt at Midnight,' 'Stella,' 'The Son of the Devil,' etc., etc.", but it does not appear whether "The Vampire" mentioned here is a play or a romance. Probably it is the latter but no such translation is known. Le Vampire which was produced at the Vaudeville, 15 June, 1820, 42 is a comédicvaudeville in one act by Scribe and Mélesville.

ジャン・ララはさらに、ポール・フェヴァルの戯曲『Le fils Vampire』についても言及している。1846年にG. Vickers, 3, Catherine Street, Strandから出版されたロマンス『The Loves of Paris』のJohn Wilson Rossによる版は、「『The Vampire』、『The Loves of the Palais-Royal』、『The Receipt at Midnight』、『Stella』、『The Son of the Devil』などの作者であるPaul Févalのフランス語から翻訳されたもの」とされているが、ここで言及されている『The Vampire』が戯曲なのかロマンスなのかは不明である。おそらく後者であろうが、そのような翻訳は知られていない。1820年6月15日にヴォードヴィルで上演された『Le Vampire』42は、ScribeとMélesvilleによる1幕のコメディックヴォードヴィルである。(Deepl翻訳)

 恐らくだが、「吸血鬼の息子」は1846年作だろう。ただ、キンドル版のThe Loves of Paris: A Romance を確認してみたが、vampireという単語は一つもヒットしなかった。不明点は残るものの、仁賀が言うところの「吸血鬼の息子」の作者フェバウルは、ポール・フェバールでほぼ間違いないと思う。そしてそのフェバールが作者なら、1820年作は絶対にあり得ない。一応可能性として、1816年生まれのPaul Henri Corentin Févalではなく、別の同性同名のPaul Henri Corentin Févalが存在していたのではという可能性も考えられるが、それは流石にあり得ないだろう。一番いいのは仁賀に聞くことだが、仁賀は既にお亡くなりになられているので、確認する術がない。だが私の憶測は当たらずとも遠からずではあるだろう。

補足②「吸血鬼のお年玉」は正しい翻訳なのか?

 同じく仁賀の「ドラキュラ誕生」で、フェバウル作「吸血鬼の息子」と同じく紹介されていた、作者不詳「吸血鬼のお年玉」。仁賀は1820年のフランスでこの劇が上演されていたと解説している。だがお年玉?こんなギャグみたいなタイトルなのだろうか。ニコニコ動画で先行して紹介したときも「ちょwお年玉www」「お年玉ってwww」「タイトルおかしいやろwww」みたいなコメントで溢れていた。これは当然、私も非常に気なったところだ。だが先ほども言ったように、仁賀は細かい引用を引いていていない。だが同じ仁賀が翻訳したデイヴィット・J・スカルの「ハリウッド・ゴシック」でも紹介されており、しかも言語のタイトルを巻末の「索引ⅲ」で紹介していたので、そこから調査することができた。

 結論から言えば「吸血鬼のお年玉」というタイトルは、原語のタイトルを一言で表すのであればまあ正しいと言える。「吸血鬼のお年玉」のもとのタイトルは”Les Étrennes d’un vampire”という。この”Étrennes ”がお年玉に当たる言葉だろう。まずGlosbeという翻訳サイトによると、「歳暮、クリスマスプレゼント」という意味だった。そしてもっと詳しい用法を「フランス語の扉を開こう~ペンギンと」のサイト「年末年始の単語 その3~お年玉など」で紹介されていた。

furansu-go.com


そこには次のようにある。

étrennesとは何ぞや?日本では子どもにお金をあげますが、フランスのéternesはEtrennes: combien donner? – Argent – Notre Tempsによると、消防士( pompiers)、郵便配達の人(facteurs)、ビルの管理人さん(gardiens d’immeubles)に、一年の感謝をこめて渡すものです。
義務ではありません。あくまでも自発的なもの。

(中略)
それからお年玉という新年の贈り物をします。一般に、それはお金を入れた封筒です。と言っているので、家族や親戚でお金をあげることもあるようです(中略)日本のお年玉の説明をするときは、この単語(étrennes)を使えばいいです。

 ”étrennes”には、感謝の贈り物、それも元旦にあげるもので、お金の場合もあるようだ。これは現代フランス語の話なので、19世紀のフランス語にも当てはめてよいのかという問題が残る。単語の意味は世界各国、昔と今とで意味合いが変わっているという場合があるからだ。だが都合がいいことに「吸血鬼のお年玉」がwikisourceにて全文公開されているのを発見し、機械翻訳にかけてみた。次のようにあった。

fr.wikisource.org

(著者からのメッセージとして)
私は小さな新年の贈り物を一般に届けるつもりです。皆様のご多幸をお祈り申し上げますと共に、お詫び申し上げます。
(中略)
この作品を提供するにあたり、著者はあなたを楽しませたいだけです。

 機械翻訳頼みなので、不確定な部分も多いが、どうやらこの物語は著者から読者への、新年の贈り物らしいことが読み取れる。

 以上を踏まえると「吸血鬼のお年玉」という訳は、”Les Étrennes d’un vampire”を日本人に一発で分かるように説明するのであれば、決して間違いではない。だがニュアンス的には「吸血鬼による新年の感謝の贈り物」となるが、長いし説明っぽくなる。そうなると「吸血鬼のお年玉」にせざるを得ないんだろうなと思った。もしフランス語が得意な方は、このあたりをどう解釈すればよいのか、そして劇の内容をぜ教えて頂きたいと思いますので、お問い合わせまでお願い申し上げます。

※種村季弘の「吸血鬼幻想」(初版1970年)から参照した部分だが、今回その全てが、紀田順一郎+荒俣宏のアンソロジー「怪奇幻想の文学① 真紅の法悦」新人物往来社(1969年)にも同じ種村の解説がある。つまり「真紅の法悦」が解説として一番古い(1969年)。「吸血鬼幻想」は、種村が色んな媒体で寄せた吸血鬼解説を加筆訂正してまとめた本。内容が同じ個所も多いが加筆訂正あるので、「真紅の法悦」からの参照ページは割愛する。また「吸血鬼幻想」は薔薇十字社、青土社と、河出文庫から文庫版が出版されている。青土社版に関しては入手していないこともあり、これも参照ページは割愛している。

 今回非常に長くなりました(毎回か)。今回参照した参考文献は都度紹介していますが、海外サイトのリンクなど一覧にしてまとめた記事もあるので、そちらも紹介しておきます。ニコニコ動画版を作成したときに典拠一覧として作ったものです。また今回紹介したクソオペラ関連の典拠一覧も以前作ったので、そちらも念のために紹介しておきます。

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 次回は閑話として、現在youtubeにあるマルシュナーのオペラ「吸血鬼」について、比較して紹介するしたいと思います。ぶっちゃけ、あのクソオペラをもう少し紹介していきます。


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*1:矮小化されるルスヴン卿 --1820年代の仏独演劇におけるヴァンパイア像--
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2020/01 p.2

*2:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*3:"Le Vampire (nouvelle)" 仏語wikipedia記事

*4:種村季弘「吸血鬼幻想」: 薔薇十字社版(1970) p.131 河出文庫版(1983) p.172
種村は、アンリ・ファーベルは「ルスヴン卿」というタイトルにしたと説明しているが、森口は「ヴァンパイア、英語から訳されたバイロン卿の小説」というタイトルにしたと述べる。森口の解説を裏付ける実物の画像を見つけたことから、森口の説明が正しいと判断した。

*5:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:松田和也・訳/青土社(1994) p.341

*6:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 pp.1-2

*7:Vampires on the Margins: The Black Vampyre-WWAC

*8:"The Black Vampyre: A Legend of St. Domingo" 英語wikipedia記事

*9:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.172

*10:クリストファー・フレイニング「悪夢の世界 ホラー小説誕生」:訳・荒木正純 他/東洋書林(1998) pp.117-118

*11:"シャルル・ノディエ" 日本語wikipedia

*12:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 pp.50-51 河出文庫版 pp.68-69

*13:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*14:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.131 河出文庫版 p.172

*15:「悪夢の世界」 p.114

*16:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.129 河出文庫版 p.169

*17:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 pp.2-3

*18:"ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ" 日本語wikipedia記事

*19:楠本晢夫「永遠の巡礼詩人バイロン」:三省堂(1991)p.ⅴ,p.10

*20:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.129 河出文庫版 p.169

*21:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*22:デイヴィット・J・スカル「ハリウッド・ゴシック ドラキュラの世界」:仁賀克雄・訳/国書刊行会(1997)  巻末の原注1より

*23:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:松田和也・訳/青土社(1994) p.129

*24:「悪夢の世界」 p.119

*25:東雅夫・編「ドラキュラ文学館 吸血鬼小説大全 (別冊幻想文学 7)」:幻想文学出版局(1993) p.48

*26:「悪夢の世界」 p.119

*27:「吸血鬼の事典」 p.129

*28:ノディエのメロドラマ『吸血鬼』:「狂熱派」演劇の一側面
関西学院大学 藤田 友尚

*29:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*30:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.172

*31:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*32:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.172

*33:「ドラキュラ文学館」 p.48

*34:「吸血鬼の事典」のp.122では1820年作とされているが、p.277のシャルル・ノディエの解説では1821年作としている。全文を公開しているプロジェクト・グーテンベルクでは1821年作となっている。

*35:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*36:ノディエのメロドラマ『吸血鬼』 藤田友尚 p.118
藤田は「アンフェルナリアナ」という題名で紹介している。"Infernaliana"を「地獄奇譚」と訳したのはこのあと紹介する、"Infernaliana"の一部を翻訳した写原祐二氏が付けた題名であり、今回それを紹介した。

*37:「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』」 藤田友尚 p.177

*38:「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』」 藤田友尚 p.178

*39:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*40:「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』 藤田友尚 p.119

*41:メロドラマとは - コトバンク

*42:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 pp.7-8
もっとも、ピクセレクールの芝居には上流貴族も多く訪れたらしい。(森口p.8の注釈より)

*43:"ブルーバール劇" コトバンク

*44:「吸血鬼の事典」 p.277

*45:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*46:「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』 p.122

*47:「悪夢の世界」 p.120

*48:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.173

*49:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.8

*50:「ノディエのメロドラマ『吸血鬼』 藤田友尚 p.122
藤田は”Théâtre choisi”を「戯曲選」と訳している。

*51:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.8

*52:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.173

*53:「ハリウッド・ゴシック ドラキュラの世界」 pp.28-29

*54:仁賀克雄「ドラキュラ誕生」:講談社現代新書(1995) p.93

*55:アレクサンドル・デュマ「千霊一霊物語」:前山悠・訳/光文社古典新訳文庫(2019) p.391

*56:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.132 河出文庫版 p.173

*57:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*58:「ハリウッド・ゴシック ドラキュラの世界」 pp.29-30

*59:dumaspere.com フランス語のサイト

*60:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.5

*61:「千霊一霊物語」 大山悠 p.370

*62:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 pp.132-133 河出文庫版 p.174

*63:「吸血鬼の事典」 p.14

*64:ピーター・ヘイニング「ヴァンパイア・コレクション」:風間賢二ほか・訳/角川文庫(1999) pp.74-75

*65:全部見たわけではないが、すくなくともタイトルなど、分かり易い所にボカージの名前は出てこない。

*66:「吸血鬼の事典」 p.14

*67:個人的にはもはや邪剣。調べると第四次十字軍で使用したものだった。その時の十字軍の所業は、虐殺、文化物の略奪、そして目についた女は片っ端からレイプ。これを聖剣とは呼びたくない。

*68:前述したが、フランスではRuthvenがRuthwenに変化してしまった。山内義雄訳、岩波文庫版ではルスウェン卿と表記される。

*69:"「吸血鬼」(ポリドリ))" 日本語wikipedia

*70:sparknotes 「モンテ・クリスト伯」35章から39章の解説

*71:何度も述べたが、フランスではルスヴンの綴りが変化してルスウェン卿となってしまった。この劇でも実際はルスウェン卿と表記されていたようだ。

*72:「吸血鬼の事典」 p.96,p.234

*73:ジャン・マリニー「吸血鬼伝説」:池上俊一・監修/創元社(1994) p.81

*74:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 pp.133-134 河出文庫版 p.174

*75:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.134 河出文庫版 pp.174-175

*76:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.134 河出文庫版 p.177

*77:「吸血鬼の事典」 p.96,p.277

*78:「悪夢の世界」 p.121

*79:「ヴァンパイア・コレクション」 p.220

*80:"ジェイムズ・プランシェ" 英語wikpedia

*81:「ヴァンパイア・コレクション」 p.220

*82:「吸血鬼の事典」 p.96

*83:前述したように、ポリドリ原作の舞台はロンドンとギリシア。そこからメロドラマを創ったノディエ版ではスコットランドが舞台。

*84:「悪夢の世界」 p.121

*85:「吸血鬼の事典」 p.96

*86:「悪夢の世界」 p.122

*87:「ヴァンパイア・コレクション」 p.220

*88:「吸血鬼の事典」 p.96

*89:「悪夢の世界」 p.124

*90:「ヴァンパイア・コレクション」 p.221

*91:人類初は、ノディエ版の吸血鬼を演じたフランス人だろう

*92:「ヴァンパイア・コレクション」 pp.221-222

*93:クリストファー・フレイニングの「悪夢の世界」では、確かに「僭越」とある。以前、本当に正しいのかという問い合わせがあり、それ以前にも自分でも本当に正しいのか疑問に思った。僭越にあたる言葉は”Presumption”であるが、僭越の他には「推定」「見込み」「ずうずうしさ」という意味もあるようだ。幻想文学大辞典p.255では「見込み、フランケンシュタインの運命」と訳している。恐らくだが直訳してはならず、物語の内容を見て意訳すべきだろう。

*94:「悪夢の世界」 p.94

*95:ジャック・サリヴァン「幻想文学大辞典」:翻訳多数/国書刊行会(1999) p.255

*96:「悪夢の世界」 pp.94-95

*97:「幻想文学大辞典」 p.255

*98:Haggerty, George E. (1989). Gothic Fiction/Gothic Form. University Park: Pennsylvania State University Press. pp. 37. ISBN 9780271006451. 0271006455
”フランケンシュタインの怪物” 日本語wikipedia記事より孫引き

*99:ただし「悪夢の世界」 では、保存状態が良好なものを紹介している

*100:「悪夢の世界」 p.89

*101:Frankensteinia フランケンシュタイン専門の海外解説ブログ

*102:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.134 河出文庫版 p.177

*103:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.13

*104:"Der vmpyre" 英語wikipedia記事

*105:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.134 河出文庫版 p.177

*106:”Der Vampyre(Oper)” ドイツ語wikipedia記事

*107:”Der Vampyr (Oper)” ドイツ語wikipedia記事、ハインリヒ・マルシュナー ドイツ語wikipedia記事

*108:「矮小化されるルスヴン卿」 p.20

*109:「吸血鬼の事典」 p.96

*110:「悪夢の世界」 p.126

*111:「吸血鬼の事典」 p.94,p.96

*112:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.134 河出文庫版 p.177

*113:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.4

*114:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.14

*115:種村の「吸血鬼幻想」では1829年、森口大地「矮小化されたルスヴン卿」では1828年9月2日、リントパイントナー”Der Vampyr (Lindpaintner)”のwikipedia記事では、1828年9月21日になっている。1828年はまず間違いないだろう。森口は典拠を示しているが、21日の「1」が、単純に脱字してしまったとも考えられる。いずれにせよ確固たる証拠がない以上、現段階では両方の日付を紹介しておく。

*116:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 pp.134-135 河出文庫版 p.177

*117:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.4

*118:「吸血鬼幻想:薔薇十字社版 p.135 河出文庫版:p.177

*119:「矮小化されるルスヴン卿」 森口大地 p.4

*120:海外サイトだと1812年と紹介するものしか見当たらないので、個人的には1812年作だと思う。

*121:「ハリウッド・ゴシック」 p.31

*122:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.135 河出文庫版 p.177

*123:正確に言えば、以前の記事で当ブログが紹介した。2020年、私が発見した時にTwitterで呟いたのが、日本において最初に紹介した事例だろう。

*124:「吸血鬼幻想」:薔薇十字社版 p.135 河出文庫版 pp.177-178

*125:余談だが、翻訳者の松田和也氏はFévalの名前をウィーヴァルと訳しているが、どう考えてもフェバールやフェバウルの方がいいだろう。