吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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バイロンの吸血鬼の詩「異教徒」とバイロンの祖国追放【吸血鬼の元祖解説④】

シリーズ目次<(クリックで展開)吸血鬼の元祖はドラキュラではなく、吸血鬼ルスヴン卿こそが吸血鬼の始祖
吸血鬼ドラキュラより古い吸血鬼小説はこれだけある
最初の吸血鬼小説の作者ジョン・ポリドリと詩人バイロン卿、その運命の出会い
④この記事
『最初の吸血鬼』と『醜い怪物』が生まれた歴史的一夜「ディオダティ荘の怪奇談義」
最初の吸血鬼小説と当時の出版事情の闇、それに翻弄される者たち
ドラキュラ以前に起きた「第一次吸血鬼大ブーム」・大デュマの運命も変えた
日本に喧嘩を売ったフランスの吸血鬼のクソオペラ

実の姉と近親相姦の関係になるバイロン

 前回の続きより解説する。不倫関係にあったキャロライン・ラムとどうにか分かれることができた後、バイロンは虚無感に襲われる。 そうした最中1813年6月のある日、ロンドンにいるバイロンのもとに腹違いの姉オーガスタ・リーが、シックス・マイル・ボトムより押しかけてきた*1

オーガスタ・リー
オーガスタ・リー
(1783~1851)
日本語wikipedia 英語wikipedia

 姉のオーガスタは、夫のリー大佐から家庭内暴力を受けていた。さらに経済的に困窮していた。夫がギャンブル狂いで競馬にハマっていたからだ。幼児3人抱えているので家計が持ちこたえられなかったので、弟のバイロンのもとに逃げてきた。この時まだ29歳。そしてバイロンに献身的に尽くす。彼女の官能的な優しさはバイロン好みでもあった*2

 ここまで言えば察せられたことだろう。バイロンは実の姉オーガスタと愛し合うようになる。それは傍目からみても恋人同士にしか見えないとか、愛人関係は公然たる事実だと言われるほどであった*3*4。そしてナポレオンが退位した8日後の1814年4月14日、オーガスタは娘のエリザベス・メドラ・リーを産む。この女児は姓が一応夫のリーとなっているが、世間ではバイロンの子と噂された*5。  メドラというミドルネームは、バイロンの作品「The Corsair:海賊」に登場する美しい愛人メドラの名前であるから、このあたりからも噂を助長する羽目になったのだろう。

エリザベス・メドラ―・リー
エリザベス・メドラ・リー
(1814~1849)
日本語wikipedia記事 英語wikipedia記事

 メドラの父親がリー大佐であるということは、懐妊と出生の日より数えて無理だとされている。だがもちろん、リー大佐の子供の可能性が完全に否定できるものでもないとされている*6。だがバイロンや彼の近親者たちは、バイロンとオーガスタの子と考えていたようである。バイロンはレディ・メルボルン(註1)との間に、次のような会話を残している。

「オーガスタとの間に子供をつくることが、それだけ価値があることなの?」
「ああ、それは。-でも、価値があることなのです。その理由は言えないですが。そしてその児は絶対ー鬼子(モンスター)ーではない。であってはならないし、もしそうであれば、それは私の罪とならねばならない*7

註1 メルボルン子爵夫人エリザベス・ラムのこと。旧姓エリザベス・ミルバンク。バイロンと愛人関係にあったキャロライン・ラムの義母であり、後にバイロンと結婚することになるアナベラ・ミルバンクの父、ラルフ・メルボルン卿の姉。

 バイロンはたぶん、近親相姦によって生まれた児はモンスターであるという中性の迷信を恐れていたと楠本は述べる。後年、バイロン元妻アナベラは娘のエイダに対し、「メドラはバイロンの娘で、あなたの母親違いのお姉さんになるのよ。」と教えていたようだ。実際メドラは、アナベラとエイダに熱心に財政援助を受けていた*8

バイロン卿による吸血鬼の詩「異教徒」

 バイロンの生涯の解説から逸脱するが、ここでバイロンの詩「異教徒」について詳しく説明しておきたい。これも本題のポリドリの「吸血鬼」に関わってくるからである。姉オーガスタが押しかけてきた1813年6月、バイロンは一つの詩を発表している。それが「The Giaour:異教徒」という詩で、吸血鬼関連の書籍やアンソロジーでは「バイロンが書いた吸血鬼の詩」と紹介される。副題に"A Fragment of a Turkish Tale:トルコの物語の断片"とある。この作品は前回紹介した1812年の詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」の派生作品である*9。つまりこの作品も、バイロンがグランドツアーで訪れた、オスマン帝国での経験をもとにして作成したものになる。

バイロン卿の吸血鬼の詩「異教徒」
バイロンの詩「異教徒」の表紙

 "Giaour"とは、トルコ人が非イスラム教徒、とくにキリスト教徒を呼ぶ軽蔑の言葉である*10。邦題は「異端者」「邪教徒」「不信者」などあるが、”Giaour”を端的に表す言葉としては「異教徒」が一番相応しいと思う。吸血鬼関連の書籍では「吸血鬼の詩」と紹介される本作だが、本文中には吸血鬼自体は出てこず、「お前は呪いを受けて吸血鬼となり、肉親の血を吸うだろう」という言及がなされるだけ。本題は、イスラム教徒の女を愛したキリスト教徒による、愛の復讐劇の物語である。内容を簡単にだけ紹介しよう。

 イスラム教徒ハッサンの女奴隷レイラは、異教徒であるキリスト教徒の男と密通する。だがそれに気が付いたハッサンは、トルコの習慣に従ってレイラを袋に詰めて海に投げ捨てて殺す。レイラを殺した犯人がハッサンだということを知った異教徒(キリスト教徒)は、復讐の為にハッサンと戦い、ハッサンを殺して復讐を果たす。だがこの後、オスマンの語り手が次のように述べる。

恥ずべき異教徒はまず、『吸血鬼』として地上に送られる。汝の体は、その墓場から引き離されるであろう。それから生まれた地を亡霊の如く彷徨い、お前の一族の全ての血を吸うことになる。お前の娘から、お前の妹から、そしてお前の妻から、真夜中に生命の流れを飲み干すのだ。やがて息を引き取る犠牲者たちは、その悪魔が自分の父であることを思い知ることになるのだ。そしてお前を呪うように彼女らは悪態をつきながら、お前の美しい花たちは茎の上で立ち枯れるのだ。

【原文】
But first, on earth as vampire sent,
Thy corse shall from its tomb be rent:
Then ghastly haunt thy native place,
And suck the blood of all thy race;
There from thy daughter, sister, wife,
At midnight drain the stream of life;
Yet loathe the banquet which perforce
Must feed thy livid living corse:
Thy victims ere they yet expire
Shall know the demon for their sire,
As cursing thee, thou cursing them,
Thy flowers are withered on the stem.

英語原文参照先サイトへ

 このように、異教徒(キリスト教徒)は、吸血鬼になってしまうことを示唆されるだけだ。実際、物語中に吸血鬼になることはないので、吸血鬼物語を期待して読むと肩透かしをくらうだろう。だが異教徒は、ハッサンを殺したことを後悔する。そして修道院に赴いて僧侶にその公開の懺悔を聞いて貰う。また愛しいレイラのことを思い続ける。そして最後は僧侶に、「自分の墓は誰の目にも留まらないようにしてほしい」と頼み、後日死ぬ。この死は、文脈から読み取る限り自殺だと思われる。あくまでキリスト教徒が、いとしのレイラの為に復讐を果たすも、後悔の念に駆られる愛の物語である。

 まずレイラが慣習に従って、袋に詰めて海に投げ捨てられてしまうシーン。前回の記事で紹介した、バイロンがグランドツアー中のアテネで目撃した出来事と類似している。トルコの娘が異教徒暮らしていることが発覚したので、今まさに海に投げ捨てられようとしていた。バイロンは官憲に交渉して何とか助け出すも、既にリンチを受けていたのか、間もなく娘は死んでしまった。バイロンは「自分の経験したことでないと、詩を作れない」と言っていたことから、レイラが投げ捨てられるシーンは、アテネでみたショッキングな場面を元にしているのは明らかだ。

 この詩「異教徒」だが、今回の主題であるジョン・ポリドリの「吸血鬼」の本文の前の序章において、ポリドリは「異教徒」の一文を引用して「吸血鬼」という存在を説明している。ポリドリの「吸血鬼」のことを真に知るには、この作品は避けては通れないだろう。

 この「異教徒」は、東京帝国大学時代の小泉八雲に教えを受けた、小日向定次郎教授により「不信者」というタイトルで翻訳され、これが唯一の完訳だと思われる。小日向訳は東雅夫編「ゴシック名訳集成 吸血鬼妖鬼譚―伝奇ノ匣〈9〉」:学研M文庫(2008)に収録されているが、パブリックドメインなのでバイロン詩集というブログサイトに、同じ翻訳が無料で公開されている。文語体で書かれているので、個人的には非常に読み辛く、ところどころ意味が分からないところもあって、この作品は完全には理解できていない(先ほどのストーリー解説も正しいのか自信がもてない)。「吸血鬼妖奇譚」には、ポリドリが「異教徒」を紹介した序章も掲載されている。そこでは「邪教徒」というタイトルになっている。cygnus_odile氏もその序章を翻訳してご自身のサイトで公開していたが、Yahooジオシティーズ終了の為消失し、現在はアーカイブ経由でその和訳が確認できる。ここでは「異端者」というタイトルになっている。先ほど一部紹介した本文はcygnus_odile氏の翻訳を参考にしている。

cygnus_odile氏による、ポリドリの序文の翻訳・バイロンの「異教徒」の翻訳あり。 web.archive.org

 小日向は、イスラム教の神や精霊を、日本の神仏に置き換えて訳している。作中に『閻魔』『女菩薩』『地獄の鬼』『悪鬼』『羅刹』なんて名前が出てくるが、キリスト教とイスラム教徒の物語なので、本来はおかしい。また武器の名前として「無鍔の長剣」「偃月刀」も出てくる。完全に個人的憶測になるが、小日向教授が活躍していた明治時代では、キリスト教ならまだしもイスラム教は当時の日本人にはなじみが無かったから、当時の日本人がすぐに想像できるように、あえて置き換えたものと考えられる。そこで英語の原著を掲載したサイトから、本来の神や精霊の名を調査してみた。

閻魔→”ebils(エビルス)”、現在は”Iblis(イブリース)”と表記される。ユダヤ教やキリスト教のサタンに相当する

女菩薩→”houri(ホウリ、フーリ)” イスラム教では死後、美女(しかも処女)のハーレムが天国で迎えてくれるということは有名だが、そのハーレムの美女たちを”houri”と呼ぶ。イスラムテロ組織が自爆テロを恐れない原因として有名だろう。作中では、「美しい麗人たちがハッサンを向かえてくれる」とある。

地獄の鬼→”Monkir(モンキル)” ”Monkir”はイスラムにおける駆除天使で、どうも処刑とか拷問を行うらしい。日本では検索にヒットしなかったので、日本では一般的に知られていない存在だろう。海外サイトを調べると、MonkirとNekir(モンキルとネキア)とあったので、通常は二人一組で登場する天使なようだ。

悪鬼→グール、羅刹→”Afrīt(アフリート)、現在はイフリートと呼ばれる。この二つは詳しい説明は不要だろう。グールは、今やゲームなどではゾンビと混同される存在。イフリートは有名なゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズで、炎の召喚獣として有名だ。

無鍔の長剣→"atagan(アタガン)" アタガンはどうも古い言い方のようで、現在は”Yatagan(ヤタガン)"と呼ばれる。16~19世紀のオスマン帝国(トルコ)の剣。このアタガンはポリドリの吸血鬼にも出てくるので、頭の片隅に入れておいて欲しい。

ヤタガン
ヤタガン(アタガン)

偃月刀→”scimitar(シミター)” シミターは西洋の呼び方で、作中でもシミターとして出てくるが、アラビアでは「シャムシール」と呼ばれる。どちらも今はゲーム等で有名な武器なので、どこかで聞いたことがあるだろう。日本語だと「三日月刀」と和訳されることが多く、「偃月刀」は本来は中国の曲刀で、形状もやや異なり頑丈な造りをしている。Google翻訳だと、ヤタガンを「偃月刀」と訳すので、ややこしいことになっている。

シャムシール
シミター(シャムシール)

 この「異教徒」は韻を踏んだ詩であるが、その韻はサミュエル・テイラー・コールリッジの未完成の詩「クリスタベル)」の韻によく似ている。というかコールリッジ自身は、バイロンの「異教徒」は、あからさまに「クリスタベル」の韻律を真似たと、他の2名の作品と共に名指しで批判している(註2)。だが「クリスタベル」は「異教徒(1813年)」よりも後の1816年に出版されたために、「クリスタベル」の方が剽窃したのだろう思われてしまった。「クリスタベル」は第一部が1797年(但し、多くの批評家は1797年以降に作ったと指摘)に、第二部が1800年につくられ、その1800年に友人で湖水詩人でもあるワーズワースと共同出版本『The Pedlar』において発表する予定だったのだが、諸般の事情で、ワーズワースが「クリスタベル」の収録を断ってしまった。1816年に出版する前に一部の人には「クリスタベル」を見せてもらっていた。コールリッジは「初作品を5部作にする 予定があったが、上記の2つの時期に全5部を完成させるか、あるいは1800年に作品を出版していたら、作品に対する読者の “the impression of its originality” はより大きかっただろう」と述べている。バイロンは何らかの方法で、クリスタベルを見ていたのだろう。こうしてコールリッジはバイロンを批判していたのだが、「クリスタベル」を1816年に出版できたのは、クリスタベルに感銘を受けたバイロンの支援があってのことである*11。「クリスタベル」は有名な吸血鬼小説で女吸血鬼の「吸血鬼カーミラ」に影響を与えたとされている*12*13。ブラム・ストーカーは「カーミラ」を見て「ドラキュラ」の執筆を決めたことは有名だ。もしこの時バイロンが支援せず「クリスタベル」が公にならなかったら、吸血鬼の歴史も変わっていたのかもしれない。

註2 バイロンは1815年の春までクリスタベルを知らなかった可能性がある。詳細は後述する。

 話を異教徒に戻そう。「異教徒」は1812年9月から1813年3月にかけて作成され、1813年6月に初版が公開された。その後色々追加されたようで最終版では1300行と、初版の約2倍の量になる。そして1815年の時点で14版が出版されるという、凄まじい人気ぶりを誇ったそうだ*14。それは多方面にも及び、ウジェーヌ・ドラクロワにより1826年にこの作品をモチーフとした絵画『異教徒とハッサンの戦い』という絵が描かれるほど。

異教徒とハッサンの戦い
「The Combat of the Giaour and Hassan」(1826年)

 最後に、きちんとした参考文献の情報ではないが、もう一つ「異教徒」が与えた影響を紹介しておこう。ヨーロッパでは馴染みがなかった「レイラ(Leila)」)という名前が「異教徒」以降、ヨーロッパ人女性の名前にも使われるようになったそうだ。レイラは元はヘブライ語やアラブ語で「夜」「暗い」を意味し、「夜の娘」という意味があるという。夜中に生まれた女の子によく付けられる名前だそうだ。"Leila"はフランス語読みで、英語読みは”Layla:ライラ”となる。ただしバイロンは作中では"Leila"としている。中東には「ライラとマジュヌーン」という有名な古典悲恋物語があるので、そこからバイロンは着想を得た可能性がある。 (英語は"Layla and Majnun"、仏語では"Majnoun et Leila")  これも余談だが、「デレク・アンド・ザ・ドミノス」時代のエリック・クラプトンが発表した有名な楽曲「いとしのレイラ」は、この「ライラとマジュヌーン」から着想を得たと言われている*15。(異教徒ではない)

バイロンの娘は世界で最初のプログラマー

 話をバイロンの生涯に戻そう。オーガスタとの近親相姦の噂は、今以上に世間体が悪かった。キリスト教の思想により近親相姦は神をも恐れぬ行為として、社会的地位を全て失ってもおかしくはなかった。聖書のレビ記18章6節では近親相姦を禁じているので、中世では最悪処刑もありえた。例えば狼男として有名なペーター・シュトゥンプは狼男として処刑されたが、彼の妹と娘は近親相姦罪で火あぶりにされている。その流れを汲んでいるために、19世紀の欧州では近親相姦は民事的には罪はないものの、社会的に死んでしまってもおかしくはないほど、大それた行為だった。

 1814年、姉オーガスタは再び、バイロンに付き添って暮らしていた。そうしていると前回の記事でも紹介した、バイロンのかつての愛人キャロライン・ラムが、一度縁を切ったのにも関わらず再びバイロンに付きまとい始めた。バイロンの家に不法侵入してメッセージを書き残したり、バイロンの手紙を手に入れるために、姑のレディ・メルボルンの机の中をかき混ぜて探すなどした。1枚のバイロンの写真(肖像画だと思われる)を手に入れるために、手紙の偽造をしたりもした。挙句の果てには、ヒースコート夫人の家でバイロンとあったとき、バイロンに冷たい皮肉を言われてカッとしたキャロラインは、食卓上のナイフを取り上げた。それに対してバイロンは、「そのナイフは自分の胸に当てろ、当てる場所を間違えないように」と言い、これ聞いたキャロラインは狂ったように窓外の暗闇に飛び出していった。後を追った者が追いかけると、そこには血まみれになって倒れているキャロラインがいた。どうもガラスを突き破っていったようだ。これが話題となって、バイロンの敵に攻撃する材料を提供したという*16。何ともはた迷惑な人物である。

 オーガスタとの近親相姦の噂を払拭するため、バイロンは周りからの勧めもあって結婚を決意する。そのお相手は既に紹介したが、キャロライン・ラムの従妹に当たる、アナベラ・ミルバンクである。アナベラは特に数学が得意だった。バイロンはどうも、アナベラとの結婚は乗り気じゃなかったようだが*17、紆余曲折を経て、アナベラとの結婚を決めた。1815年1月2日、二人は挙式挙げた*18

バイロン卿アン・イザベラ・ミルバンク
結婚する頃のバイロンとアナベラ

 こうして結婚する二人だが、結婚生活はうまくいかなかった。「永遠の巡礼詩人バイロン」は「地獄と化した」と書くほどだ。それもそのはずで、オーガスタとの近親相姦の噂を払拭するために結婚したはずが、そのオーガスタを交えての、3人での新婚生活が暫らく続いた。この時期のバイロンは酒におぼれ癇癪を起し、何かとアナベラに辛く当たった*19。アナベラの目の前で「オーガスタはニッカーズ(ブルマに似た婦人用下着)を付けるのが好き」などと、下卑た言動に及んだこともしばしばだった。そしてある日アナベラは、バイロンがオーガスタと近親相姦に及んでいると疑い、こっそりバイロンの所持品を探ったとき、そこにあったのはマルキ・ド・サドの「ジュスティーヌ(美徳の不幸)」と、「黒色の液体」だったという*20。今のはトマス・ド・クインシーの「阿片常用者の告白」を翻訳した、野島秀勝氏の解説からの引用だ。だがここでいう「黒色の液体」はアヘンチンキのことではなく、アヘンチンキよりももっと強力な「ブラック・ドロップ」(英語wiki)を指しているだろう。バイロンの有名な「ドン・ジュアン」第9編においても、「典型的なアヘンチンキまたは『黒い滴』、それは一度に酔わせる」とあるので、ブラック・ドロップだと思われる。いずれにせよ、この時期のバイロンは薬物に手を出していたのは間違いない。こうしたことから後年アナベラは、「私はオーガスタの胸に短刀を突き刺すことができたらと思う瞬間が、度々あったのよ」と、親しい友人に漏らしている。だが、新居へ引っ越すとき、アナベラはオーガスタに一緒に新居にやってきて逗留してくれるようにと招いてもいる。これはアナベラなりの、色々な理由があったようだ*21。このような生活のなかで、アナベラは自身の妊娠を知る。

アヘンチンキ
当時のアヘンチンキの空瓶
ブラック・ドロップ
当時のブラック・ドロップの空瓶

 結婚した1815年の春、バイロンは友人であり、彼の本の出版も手掛けたジョン・マレー2世のところに度々立ち寄った。そしてマレーの紹介を通じてバイロンは、イギリスのロマン派作家サー・ウォルター・スコットと初めて出会った。スコットはロマン派嫌いのゲーテ*22が、バイロン卿、トマス・ムーアと共に三大詩人と褒めたうちの一人だ*23

ジョン・マレー
ジョン・マレー2世
(1778~1843)
英語wikipedia 日本語wikipedia(マレー出版)

 マレー出版社は、当時影響力の大きな出版社の一つであった。また同名の旅行ガイドブックシリーズを出版していたことも知られ、ドイツの『ベデカー』と共に、近代的な旅行ガイドブックの始祖とされる。息子の3世がこれまでとは違うガイドブックを作った。江戸時代末に日本を訪れたアーネスト・サトウは道中記のことを日本の『マレー』と表している。

ウォルター・スコット
初代准男爵サー・ウォルター・スコット
(1771~1832)
日本語wikipedia 英語wikipedia

 ドイツの有名なビュルガーの詩「レノーレ」は、「吸血鬼ドラキュラ」の第一章でその一部が引用されるシーンがある。この詩は、ドイツ以上にイギリスで大評判を得た。「レノーレ」の英訳で特に人気があったのが2つ。今回紹介するポリドリの甥であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのものと、そしてこのサー・ウォルター・スコットのものである。

  共に足に障害を抱える二人は、宗教観や政見が異なっていたが親交が深まる。そして6月のある日スコットは、コールリッジの「クリスタベル」を謡い、バイロンはそれを聞いた*24。バイロンはそれまでコールリッジをさほど評価していなかったが、スコットが謡う「クリスタベル」を聞いてコールリッジの評価を変えたようだ。その後バイロンは、コールリッジに称賛の手紙を送っている。そしてコールリッジを助けたいと思うようになる*25

 上記で、バイロンが1813年に出版した「異教徒」は、「クリスタベル」の独特の韻律を真似たと、コールリッジは名指しで批判していた 野中美賀子の論文より引用して説明した。だがバイロンは1815年にスコットが謡うの聞くまでは「クリスタベル」の存在は、どうも知らなかったとする情報もある。1815年10月15日付で、バイロンはコールリッジに手紙を出している。バイロンが作った詩「コリントの包囲網」において「クリスタベル」と似た個所があり、その似通ってしまった非礼を詫びる旨と、似通った個所を削除する旨の内容だった。さらには、「今年(1815年)の春に初めてサー・ウォルター・スコットと出会い「クリスタベル」を聞かせてもらったが、その時は題名は聞いていなかった」と答えている*26。ここら辺体系的に説明しているものが見当たらないので、これ以上のことは不明だ。分かっていることは、バイロンはスコットの「クリスタベル」を聞いて以降、コールリッジを助けたいと思うようになった。バイロンは「クリスタベル」を友人ジョン・マレーに送り、1816年に出版できるように取り計らった。上記でも述べたが、「クリスタベル」は「吸血鬼カーミラ」に影響を与えたと考えられているので、バイロンの支援がなければ吸血鬼の歴史も変わっていたのかもしれない。

 ウォルター・スコットはバイロンよりも17歳年上だ。これまでの話で分かるように、バイロンは何かと癇癪を起しやすい。バイロン自身が「自分はむらっけのある性格」だと言うほどだ。だがスコットは、バイロンの操縦術が名人の域かというほど長けていた。バイロンが不機嫌になってもスコットの手腕にかかれば、ものの一分もすればバイロンの心は活発に始動しだした。反対にバイロンの操縦術が絶望的なまでに下手だったのが、妻アナベラだった。バイロンの忠僕フレッチャーはしみじみと述懐している。

「私の仕えた、このレディ・アナベラ若奥様ほど、殿バイロンを御するに不器用だったご婦人には、いまだかつてお目にかかったことがない。」*27

 ホブハウスなど、バイロンと友人になる人たちは、癇癪を起しやすいバイロンを宥める術を持っていた。だが、妻であるアナベラにその能力がなかったことが、二人にとってあまりにも不幸だった。

 1816年6月、アナベラはオーガスタに新居から出ていくように要請する。だがオーガスタが去ったあと、バイロン家に新たな問題が降りかかる。アナベラの叔父が死んだことにより、諸々の事情が重なって、バイロンのところに債権者たちが押し掛けてきた。玄関先で債権者から執拗な取り立てが始まった。8月、自身の屋敷が競売に掛けられたが、バイロンの希望の額に達せず、売却できなかった。そうした不安がつのって、家庭では苛立ち激怒し、狂乱することが多くなった。アナベラの産み月が近づくにつれ、バイロンは彼女との性的喜びを奪われていき、若い愛人をつくったり酩酊して帰宅する夜が多くなった。男色に走ったのだと言う風評もたった。バイロンはたびたび癇癪を起し、アナベラにつらく当たった。ホブハウスによれば、この時期のバイロンは貴族のローブを着て威張り腐って歩き、まるでナポレオンのような話しぶりだったという。アナベラは自分ではバイロンを制御できないと悟り、再びオーガスタに住んでくれるよう要請した。「短刀」を突き立てたいと思った相手であるが、このときは四の五の言ってられなかったのだろう。だがオーガスタでも御することができなくなったので、オーガスタは従弟であるジョージ・アンソン・バイロンに移り住んでくれるように要請した。アナベラの安全を守るために、召使たちによってボディガード団が結成された*28*29。この時期のバイロンの荒れ具合は、相当なものであったことが伺える。こうした状況の中、1815年12月10日、バイロンとアナベラの間に女児が生まれる。その女児はオーガスタ・エイダ・バイロンと名付けられた。そう、バイロンは自分の子に姉オーガスタの名前を与えたのである。

エイダ・ラブレス
ラブレス伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(旧姓バイロン)
(1815~1852)
日本語wikipedia 英語wikipedia

 このバイロンの娘は、姉オーガスタと区別するためか、ミドルネームと結婚後の夫の称号名を取り、一般的にエイダ・ラブレスと呼ばれる。彼女は人類の技術発展を考えると、父バイロンよりも歴史的に遥かに重要な人物である。彼女は「世界で最初のプログラマー」とされる人だからだ。母アナベラは数学が得意だったので、その教育の賜物であった。WindowsOSでお馴染みマイクロソフト社では、認証用のホログラムにエイダの肖像画を採用しているとか。フェミニズム的にも重要な人物だとされる。だが彼女が技術にどれだけ貢献したかについては、議論の余地もあるらしい。そもそも数学は得意じゃなかったという意見も…

 躁鬱症状が書簡からも見て取れ、「自分は天才」と書いたものもあれば、ひどく落ち込んでいることもあり、判断が難しいとある。精神の波が激しいあたりが、バイロンの血筋であることを思わされる。子宮がんを患い、皮肉なことに父バイロン、祖父マッド・ジャック・バイロンと同じく、36歳という年齢で亡くなった。それどころか彼女は死因も父バイロンと同じで、瀉血によるものだった。このあたりからも、バイロンは「事実は小説より奇なり」を体現した人物であると個人的に思う一因である。彼女は死の間際の願いは「父の隣で眠りたい」というもので、実際、愛した父バイロンの隣に埋葬された。離婚後の母アナベラからは、父のことは悪く聞かされていたが、エイダ自身は赤子のころに生き別れとなった父のことを、ずっと慕っていたようだ。

離婚、そして国外追放へ

 娘エイダが生まれるも、バイロンのアナベラの夫婦の仲は、さらに悪化するばかりであった。詳細を書くときりがないので「永遠の巡礼詩人バイロン」の内容から要約すると、次の通り。バイロンは機嫌がいい時は良い人物ではあるのだが、いかんせん結婚したことは、癇癪を起すことが多かった。この時期のバイロンは決して裕福とはいかなかった。この時代は文筆業一本で食べていけず、他の本職で稼ぐ必要があった。「チャイルド・ハロルドの巡礼」が、当時としては異例の5000部も売れたが、それだけでは到底食べてはいけなかった。そこに妻アナベラの叔父に起因する借金のせいで、債権者が押し寄せてきた。借金返済のための財産売却も思い通りにいかなかった。これらが重なり酒におぼれ、度々癇癪を起してはアナベラにつらく当たった。やり場のない感情をどうにかするためか愛人を作った。男色の噂も立った。アナベラ自身がバイロンのご機嫌を取る技術が、絶望的なまでに下手くそだったことも追い打ちをかけた。バイロンは医者からはハイパマニア(過度の躁鬱病)か若しくは狂気的擬態なのか、判断に困っていた。だがアナベラはバイロンは狂ったのではなく、背徳者だと言った。

 こうして結婚後僅か1年ほどで(1816年)、アナベラは娘とともに実家に帰る。当初は出ていくだけの予定だったが、事情を知ったアナベラの母が1816年1月20日、バイロンを起訴する。酩酊、姦通、威嚇、侮辱など16項目に及んだ。こうして別居の協議に入っていくのだが、バイロンは積極的な行動はせず、気ままに気まぐれな生活を送った。お金もないのに慈善活動に奔走してたということと、借金苦でそれどころじゃなかったのもあるのだろう。とくにこの時期のバイロンの困窮ぶりは凄まじかったようで、「異教徒」出版の際に世話になった友人ジョン・マレーが、借金苦を見かねて、友情からかなりのお金をバイロンに送ろうとした。だがバイロンは受け取ろうとせず、むしろ拒否してそのお金を詩人コールリッジ、劇作家のマチュリン、急進的哲学者ウィリアム・ゴドウィンに分配するようにと言った*30

サミュエル・テイラー・コールリッジ
サミュエル・テイラー・コールリッジ

 「クリスタベル」の作者。彼の「老水不行」は「吸血鬼ドラキュラ」に影響を与えたという意見がある。コールリッジといえばアヘンというほど常用していた。上記で紹介したアヘンチンキよりも強力なブラック・ドロップであるが、ブラック・ドロップと言えばコールリッジというほど関連付けられているとか。

チャールズ・ロバート・マチューリン
チャールズ・ロバート・マチューリン

 ゴシック小説家。日本語訳された作品に「放浪者メルモス」がある。あのオスカー・ワイルドの義理の大叔父といったほうが通じるかもしれない。

ウィリアム・ゴドウィン
ウィリアム・ゴドウィン

 イギリスの急進的政治評論家、著作家。無政府主義(アナキズム)の先駆者。彼の政治思想は発表当時は政府から危険視された。自分の政治主張を一般庶民にも広めるべく、庶民向けに小説にした「ケイレブ・ウィリアムズ(日本語訳あり)」が有名。プロパガンダのための小説だったのが、筆が乗ったのか、いつの間にか主人公が「善」であるとは言えない内容に変化。さらにサスペンス仕立てで心理的闘争を描いた、ミステリーの古典というべきものに仕上がるなど、ゴドウィンの当初の思惑を超えた複雑なものへと変化した。彼よりも彼の娘の作品のほうが遥かに有名である。マレーが言うには、送った600ポンドのお金は、なぜかゴドウィンには届かなかったそうである*31。彼は借金まみれだったので、送金途中に債権者に回収されてしまったのかもしれない

 閑話休題。こうして起訴されたバイロンだが、1816年2月22日に状況が一変する。アナベラは突然ラッシントン弁護士に、別居申し立ての理由として、バイロンとオーガスタの近親相姦疑惑を打ち明けた。当初弁護士は仲直りするように努めていたのだが、この事実を聞いて態度を急変させた。アナベラに、バイロンとはこれ以上交渉を持つべきでないと言い放つ。それから一週間後の2月29日、バイロンとアナベラの別居の噂が、バイロンに極めて不利な形で流れ始めた。近親相姦は20世紀までは民事犯罪ではなかったが、キリスト教の思想により世間体はかなり悪くなる行為だった*32。だが近親相姦以上に問題となったのが、バイロンの男色の噂だ。wikipedia「ソドミー法」の記事から分かるように、イギリスでは1861年まで同性愛は最悪死刑が科されていた。軽微なものでもさらし台の刑となる。当然バイロンが生きた時代は最悪死刑となってもおかしくはなかった。1967年にようやくイングランドでは、人が見ていない状態なら男性間の性行為は合法とされた。スコットランドは1980年、北アイルランドは1982年にようやく合法化。イギリス全土で同性愛が合法化されたのは1990年になる。このような背景があるため、バイロンの友人ホブハウスはアナベラに、バイロンにとって不利で不名誉な告訴など、数々の罪状のリストを提示し、それを否定、撤回するように求めた。ホブハウスが提出したリストには、繰り返された不貞、近親相姦、そして「……」の罪が書かれていた。この「……」のブランクの部分はソドミー(男色)の罪である。当時男色は大罪だったので、ホブハウスはあえてこの言葉を避けたようだ。だがこれに対しアナベラは「近親相姦と男色の罪は否定や撤回はできない。また噂を蒔いたのも自分ではない。だが別居の件で争うときは、この罪状を理由に争うこともしない」と返答した。 実際、バイロンの近親相姦や男色の噂は事実だし、知ってる人は知っていただろうから、噂が広まったのは致し方無い。

 3月27日、キャロライン・ラムが従姉であるアナベラのもとに訪れた。バイロンの悪徳を蘇らせることを、彼女の生きがいにするかの如く、バイロンの近親相姦と、最悪の罪である男色の告白について彼女と語り合った*33。とことんバイロンを陥れたいようだ。

 こうしてバイロンはあることないこと噂されるようになる。近親相姦、男色の他、梅毒にかかって性生活出来なくなったからアナベラは別居したとか、殺人の噂まで出てきた。バイロンは「不貞を働いた情人を簀巻きにして溺死させた」といって、この後作る愛人に言って驚かせたことがある。けどこれはバイロンの子供じみた虚言だ。こうした冗談を度々言っていたのだろう、それがあたかも真実であるかのように世間では流布してしまった。1816年4月21日、バイロンの友人たちの立ち合いのもとに、別居の取り決めに署名された*34

 アナベラと別居した後、バイロンは国外追放されることになる。その追放命令を下したのはアナベラだった。バイロンは終生、その追放理由を理解できなかったという。それでアナベラに命令されるのは癪だったのか、追放宣言を下したのはバイロン自身だった*35

 このバイロンに対して、バイロンは社交界からも非難を浴び、とくに英国の名流の婦人たちからは、厳しく冷ややかな目で見られた。ジャージー夫人が開催した舞踏会に、バイロンとオーガスタが出席したときのこと。二人の姿をみるやいなや、今までに室内にいた多くの人々は、一人残らず出て行ってしまったという。当時、コンチネンタル・タイプ・マリッジというものがあった。「ヨーロッパ大陸的結婚」の意で、結婚しても一人だけは公然と愛人を持つことが法的に許されていた*36。だがバイロンの場合は、公式に宣言はしていなかったものの、その相手があろうことか肉親のオーガスタであったと周りは思っていたことから、さすがに異常だと思われていたようだ。

 バイロンを批判したのは社交界だけでなく、マスコミも冷ややかな態度を示した。4つの新聞社、『イグザミナー』『ニューズ』『モーニング・クロニクル』『インデペンデント・ウィッグ』だけは、バイロンを擁護した。だがそれ以外の、特に保守系統の新聞は、筆をそろえてバイロンを痛罵した。バイロンが摂政王(ジョージ三世)の専制政治に反対したことで、貴族に捨てられたこと、貞淑な妻アナベラに見捨てられたことなどが書かれてしまう。また当時イギリスの敵国であったフランスのナポレオンを称える詩を作っていたことも、「国賊バイロン」として罵声を浴び、彼の敵は「驕児バイロンを叩き倒せ!」と連呼した。こうしてマスコミの報道により群集心理も働き、妻アナベラには熱烈な同情が、バイロンにはイギリス全土から激しい憎悪を向けられることとなった*37

 1816年4月14日、バイロンと最愛の姉オーガスタは、お互い涙で何も見えなくなるまで、泣きぬれて、お互いに別れを告げた。これが二人にとって永遠の別れになるであろうことが、お互い分かっていたからだ。周りからどんな批判を浴びようとも、お互い(恋人というだけでなく単純な姉弟としても)愛し合っていたことが伺える。

 バイロンはオーガスタと涙のお別れをした。だが、その涙のお別れからわずか11時間後、バイロンは新しい女を作る*38いくら何でも早すぎ!涙のお別れはなんだったんだ!
 まるでタイミングを見計らったかのようにバイロンに近づいたその女性は、当時17歳*39だったクレア・クレアモントである。

クレア・クレアモント
クレア・クレアモント
(1798~1879)
英語wikipedia

 余談になるが、母のメアリー・ジェーン・クレアモントは、彼女と彼女の兄を非嫡出子として偽装したこともあって、本当の父親は長らく不明だった。だが2010年と近年になり、彼女の父親は、第1準男爵サー・ジョン・レスブリッジであることが判明した。しかもサー・レスブリッジは英語圏ではwikipedia記事が作られているほど有名だった。

 肖像画はこれしかないが、当時は魅力的な少女だったようだ。彼女は何度か改名している。最初はジェーン・クレアモントと名乗っていたが、クララ、クレアラと変え、最終的にはクレアと名乗るようになった。本によってはその都度名前を変えて紹介しているものもあるが、正直ややこしいので、以降このブログでは、最後に改名したクレアの名で統一する。彼女は、バイロンが友人ジョン・マレーに依頼してお金を分け与えたうちの一人、急進的哲学者ウィリアム・ゴドウィンの再婚相手の連れ子である。バイロンと直接出会う前、手紙でやりとりしていた時は全く見知らぬ者として近づいた。バイロンは離婚という空虚さを紛らわせるためか、彼女と関係をもった。だが、バイロンは一時の密通だと思っており、国外へ出てまで彼女との関係を続けるつもりはなかった。だが父ゴドウィンと、ゴドウィンの前妻でフェミニズムの先駆者でもあるウルストンクラフトにバイロンが好奇心をそそられることを、彼女は知っていた。だからクレアは、ゴドウィンとウルストンクラフトの娘である、歳が数か月しか違わない姉のメアリー・ゴドウィンを、バイロンが国外へ出ていく前に紹介する。そして妹メアリに対するバイロンの高評価を利用して、クレアはバイロンの旅の目的地を探り当てる。バイロンは「ジニーブア(ジュネーブ)局留め郵便で」とクレアに言った。つまりスイス、ジュネーブへ行くことをバイロンは示唆した*40*41これが吸血鬼、いや吸血鬼だけでなく、ある化け物を生み出すきっかけにもなることなぞ、誰が想像できたであろうか。


 きりがいいので今回はここまで。次回今回の主題であるポリドリとの出会い、そして最初の吸血鬼と一匹の怪物が生まれるきっかけとなった「ディオダティ荘の怪奇談義」について解説する。

この記事は2020年12月6日にニコニコのブロマガで投稿した記事を、加筆訂正したものです。元記事は下記のアーカイブよりご覧ください。

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*1:楠本晢夫「永遠の巡礼詩人バイロン」:三省堂(1991) pp.120-121

*2:同上 p.121

*3:同上  p.121

*4:「オーガスタ・リー」日本語wikipedia記事

*5:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.137

*6:同上  p.138

*7:同上 p.137

*8:「エリザベス・メドラ・リー」 日本語wikipedia記事

*9:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.109
ちなみに娘のエリザベス・メドラ・リーの名前の元ネタとなった「海賊」も、「チャイルド・ハロルドの巡礼」の派生作品である。

*10:同上 p.126

*11:コールリッジの「クリスタベル」における現実と夢幻
野中美賀子 奈良女子大学大学院人間文化研究科(2012.3.31) p.1,p.11

*12:サミュエル・テイラー・コールリッジの「クリスタベル」 : ヘルマフロディトスのミューズを巡って
照屋由佳 学習院大学(1989.8.12) p.20

*13:「ゴシック名訳集集 吸血鬼妖奇譚」 p.547
ちなみに大和資雄訳による「クリスタベル姫」が収録されている。

*14:"The Giaour"  英語wikipedia記事

*15:アンティークバカラ レイラ BACCARAT LEILA(ガレリア・ガジョリカ) 2015年10月11日記事より

*16:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.140-141

*17:同上 p.149

*18:Lady Byron” 英語wikipedia記事

*19:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.160-161

*20:トマス・ド・クインシー「阿片常用者の告白」:野島秀勝訳/岩波文庫(2007) pp.235-236

*21:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.160

*22:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 日本語wikipedia記事

*23:論家・翻訳家の山形浩生のサイトより、トマス・ムーアの記事

*24:British Literature 1700-1900, A Course Blog(クリスタベルを聞いたのは6月) 

*25:バイロンとポリドリ:ヴァンパイアリズムを中心に
相浦玲子 滋賀医科大学基礎学研究 (9), 9-30 1998/03 p.18

*26:BARS.blog ②Romantic Bicentennials ③pastnowの各海外サイト

*27:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.164

*28:同上 pp.165-170

*29:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 p.69

*30:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.177-185

*31:ジャネット・トッド「死と乙女たち ファニー・ウルストンクラフトとシェリー・サークル」:平倉菜摘子訳/音羽書房鶴見書店(2016) p.240

*32:「永遠の巡礼詩人バイロン」 pp.187-191

*33:同上 pp.187-190

*34:同上 p.194

*35:同上 p.198

*36:同上 p.193

*37:同上 pp.198-199

*38:同上 pp.200-206

*39:「永遠の巡礼詩人バイロン」では17歳、「死と乙女たち」では18歳としているが、クレアは1798年4月27日生まれなので、1816年4月14日か15日にバイロンと出会った時は、まだぎりぎり17歳である。

*40:「死と乙女たち」 pp.236-241

*41:「永遠の巡礼詩人バイロン」 p.207