吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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「怪物」が『フランケンシュタイン』に変わったのは何時?【ヴァンパイアの訳語の歴史・番外編】

【目 次】
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芥川龍之介に英語を教えた先生は、吸血鬼にも詳しかった!?
ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?
 番外編:この記事
⑦ "vampire"の訳語の変異まとめ【最終記事】
日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブログ記事を参考にした卒業論文が作られました


 ⑥ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?の記事の派生記事です。一応見なくても理解できるようにはしていますが、できれば前の記事をご覧ください。

 ”vampire”という英語には「劇における落とし穴」の意味が戦前の英和辞典で既に確認でき、goo辞書の検索を見ると、今なおその意味が残っていることが伺える。これは1816年ディオダディ荘の怪奇談義が、そもそもの発端である。バイロン卿が「自分たちでも怪奇譚を書こう」と提案した結果、メアリ・シェリーは1818年に怪物「フランケンシュタイン」を、バイロン卿の侍医であったジョン・ポリドリは1819年に小説「吸血鬼」を作り上げた。この小説に登場する吸血鬼ルスヴン卿は、今の吸血鬼のプロトタイプとなる吸血鬼であり、吸血鬼ドラキュラもルスヴン卿の亜流でしかない。

  ポリドリの吸血鬼はイギリスであっという間にベストセラーとなり、1920年には早くもフランス語訳されて、フランスでもベストセラーとなった。フランスの幻想文学の祖であるシャルル・ノディエによってその年のうちに、ポリドリの吸血鬼から劇が作られる。これも人気を博し、パリの劇場という劇場が吸血鬼づくめだというほど、数多の吸血鬼劇が生まれた。のちに大デュマのノディエの劇をリメイクした程だ。

 そんなノディエの劇は1920年には早くもイギリスに逆輸入される。イギリスではノディエの劇からさらに脚色される。翻案したのは、英国の劇作家・古美術研究家のジェイムズ・ロビンソン・プランシェという人物。彼は、舞台衣装やセットに歴史的な正確さを追求するなど、演劇界に数々の革新をもたらした人だ。このプランシェによる『島の花嫁』という劇は1820年8月9日、イングリッシュ・オペラ・ハウス劇場、後のライシアム劇場で初演された。

 この『島の花嫁』は革新的であった。当時お土産として劇のノベライゼーションが売られていたが、これはタイアップ出版のはしりであろうと言われている。このノベライゼーションは日本語訳されており、「ヴァンパイア・コレクション」に収録されている。

 2つ目は、吸血鬼が一筋の煙とともに一瞬で消え失せる演出がされたこと。これは床の羽根蓋が開き、奈落に落ちるという単純な仕掛け。だが当時としては画期的で舞台装置のさきがけとなった。このことからこの仕掛けは「ヴァンパイア・トラップ」と呼ばれるようになり、現在でもvampireという単語には「劇における落とし穴」の意が含まれていることは冒頭で説明した通り。

 そして『島の花嫁』に関するもう一つの面白いエピソードが、吸血鬼ルスヴン卿を演じた役者トーマス・ポッター・クックについてだ。彼の日本語表は定まっていない。彼は吸血鬼という存在を演じた最初のイギリス人だ(人類最初は恐らくフランス人:ノディエの劇)。商船船員から舞台俳優となった少々変わった経歴の持ち主であり、もとは船員であっため当然というべきか、船員役が十八番だったという。そしてそれこそこのプランシェの『島の花嫁』でルスヴン卿をを演じて、一躍有名になったと言われている。その演技は「真に迫っており」悪意に満ちたまなざしで、犠牲者と観客を交互にねめつけたと言われている。

トーマス・ポッター・クック

トーマス・ポッター・クック
トーマス・ポッター・クック(1786~1864)

若いころ


 そんなトーマス・クックであるが、さらに名声を高めるきっかけになるのが、ポリドリの「吸血鬼」と同じディオダディ荘の怪奇談義で生まれた、メアリ・シェリーのフランケンシュタインだ。いや、彼はフランケンシュタインと結びついた俳優として、現在は名を残している


 さてフランケンシュタインと聞くと、上記画像の化け物を今では指すことが多い。これには版権がきちんとあり、ボルトの位置を変えるなどして著作権から逃げていることは有名な話。


 だが原作のフランケンシュタインとは、「醜い化物」を作ったヴィクター・フランケンシュタインという学生のことであり、現在フランケンシュタインと形容される怪物には名前はなく、原作では単純に(醜い)怪物としか呼ばれない。いつしか怪物を生んだ学生の苗字、フランケンシュタインが怪物のことを指し、博士の名前が忘れられることになるが、そのきっかけとなったのがトーマス・クックなのである。


 まずクックは、ルスヴンを演じた3年後の1823年に『僭越!フランケンシュタインの運命!』※1という劇で、所謂『化け物』の役を演じる。この劇、実は原作者のメアリ・シェリーも見に来ていたようで、その迫真の演技に大満足していたそうだ。


 「演者リストにある「 ________:トーマス・クーク」の表記は、私をとても興奮させてくれました」「名前のない名前という表記方法は、とても良いものです」と友人のライト・ハントに手紙を書いている。


※1  クリストファー・フレイニング「悪夢の世界」には確かに「僭越」とある。自分でもおかしいと思ったし、先行して紹介した動画でもそういった指摘が上がった。だが言語の"presumption"を検索にかけてみたが、他には「推定」という言葉が出た。これは物語の内容を見ないことには判断ができないので、とりあえずは「悪夢の世界」の日本語訳の表記に準じておく。

 

当時の広告

 これが実際の当時の広告。下部青線部をみると(------)MR.T.P.COOKE とあるように、役者はトーマス・ポッター・クックであるがその演じる訳は名前が伏せられている。ちなみに上部の赤線にあるように、この劇は『島の花嫁』も同時上演されており、クックが吸血鬼役で出演していたことも伺える。(画像引用先リンク:海外サイト)



フランケンシュタインのポスター

フランケンシュタインのポスター

 上記画像2つは、英語wikipedia記事『僭越!フランケンシュタインの運命』の記事より引用。とくに下の画像はクック演じるフランケンシュタインを描いたもの。今のフランケンシュタインの姿かたちとは似ても似つかない。それもそのはずで、原作のフランケンシュタインはただ「醜い」としかなくて、どういった姿をしているかは詳しくは言及されていない(それが想像を掻き立てられるのだが、同時にそこの描写が甘いとの批判もある)。今想像される姿は映画によるものである。


 そして3年後の1826年、『怪物と魔術師』という劇でやはり怪物役を行う。この劇は一応フランケンシュタインものなのだが、別の劇にインスパイアされたもので、もはやメアリ・シェリー原作の物とは別物だという。ここで怪物を作り出した人物の名前は、ヴィクター・フランケンシュタインではなくて、Zametti(ザメティ)という名前に変わった。この芝居の終わりには余りの死者がいたので、観客に凄く印象に残したそうだ。

怪物と魔術師

 この怪物を作り出した人物の名前が変わったこと、劇のインパクトにより、大衆の間では博士と怪物の混同が起きたという。つまりクック≒怪物≒フランケンシュタインの図式が出来た。これは悪夢の世界ほか、複数の海外サイトでも確認できた。このように吸血鬼ルスヴン卿を演じたクックは後に、名もないただの怪物を「フランケンシュタイン」に変えてしまうきっかけを与えた人物でもあった。


 さてこれだけ見るとクックから怪物の名前がフランケンシュタインに変わって一般化したように見えてしまう。少なくとも悪夢の世界の解説やThe Frankenstein Wikiなどの海外サイトを見る限りではそうだ。ところが怪物とフランケンシュタインの混同はこのとき一般的でもなかったとする説もある。

 日本語wikipediaにはフランケンシュタインの怪物という記事があり、小説のフランケンシュタインの解説とは別に、フランケンシュタインに登場する「怪物」を解説した記事である。そこには次のようにある。

小説の出版から10年以内の間に、怪物をヴィクターの名前を借りて「フランケンシュタイン」と表現することはしばしば見られたが、定着するほどの頻度ではなかった。小説は1927年にペギー・ウェブリング(英語版)によって舞台化され[6]、この舞台ではヴィクターが怪物に名前を与えている。しかし、ウェブリングの舞台を踏襲したユニバーサル映画の作品では、ボリス・カーロフ演じる怪物は再び「名無しの怪物」に戻った[7]。1931年公開の『フランケンシュタイン』では小説同様に怪物を扱い、オープニング・クレジットでは「The Monster」と表記している(演者カーロフの名前も伏せられ、エンド・クレジットで表記されている)[8]。しかし、ユニバーサル映画の公開以降、怪物は「フランケンシュタイン」と呼ばれることが一般化していった。この呼び方について誤りだという指摘があるが、「フランケンシュタインという呼び方は既に確立されたものであり、誤用ではない」という反論もある[9][10]


 以上のように、怪物をフランケンシュタイン呼びするのは定着しなかったとある。Wikipediaをどこまで信用するのか難しいところではあるが、個人的にはwikipediaにあるように、怪物のフランケンシュタイン呼びは当時あったとはいえ、定着はしてなかったと思う
その理由は論理性に欠けるが2つある。一つは、該当のwikipedia記事は海外の参考文献を豊富に明示している。そこまで調査する人物がまとめたものであれば、wikipediaといえどかなり信頼性のある記事と言える。もうひとつは、クリストファー・フレイニングの「悪夢の世界」だが、どうも通説とは違う説を載せたがる傾向がところどころ見受けられる。例えばジョン・ポリドリの死因は一般的には服毒自殺といわれているが、フレイニングは「ポリドリは馬車から落ちて死に、それをバイロンが自殺したと世間に広めた」という悪意に満ちた説を紹介している。ちなみに海外サイトをいろいろ見てみたが、このバイロン悪意説は見つけたことがない。ただどちらにせよ、トーマス・クックが怪物を「フランケンシュタイン呼び」させる最初の事例となったことはまず間違いない。

 こうしてイギリス人としは初めて吸血鬼を演じて有名になったクックは、フランケンシュタインと結びついたわけである。彼が演じる「怪物=フランケンシュタイン」を描いた絵はあるが、残念ながら吸血鬼ルスヴン卿を描いたものは見当たらない。


 以上から、ポリドリの吸血鬼から生まれた劇『島の花嫁』は、vampireという単語に吸血鬼以外に「落とし穴」の意味を付け加え、そしてのちに怪物の名前をフランケンシュタインに変えてしまった最初の人物である、トーマス・クックを一躍有名にさせたのだ。フランケンシュタインはポリドリの吸血鬼と同じく「ディオダディ荘の怪奇談義」で生まれた小説であるが、劇においても不思議な縁があると思わずにはいられない。

 そして今年2018年は「フランケンシュタイン」が刊行されてからちょうど200周年にあたる。海外にとどまらず日本でもフランケンシュタイン200周年の特集などが組まれている。なかでも2018年12月公開の「メアリーの総て」だ。

メアリーの総て

 フランケンシュタインの作者メアリ・シェリーの恋を描いたもので、登場人物にバイロンやポリドリも出演することから、ディオダディ荘の怪奇談義も描写されるようだ。吸血鬼やフランケンシュタインが生まれたきっかけである出来事であるので、皆さんもぜひ映画館に足を運んではいかがでしょうか。


参考文献一覧
「悪夢の世界」:クリストファー・フレイニング/東洋書林/1998
フランケンシュタインの怪物:日本語wikipedia
トーマス・クック:英語wikipedia
僭越!フランケンシュタインの運命:英語wikipedia
The Frankenstein Wiki(トーマス・クックについて)
海外サイト(当時の僭越(略)の広告)
海外サイト2(トーマス・クックや「怪物と魔術師」について)

ここまで長い記事をご覧いただきましてありがとうございました。
次回はヴァンパイアの訳語解説シリーズ最後、これまでのまとめとして吸血鬼の訳語の移入の歴史を時系列で解説していきます。

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この記事を先行して紹介した動画

この記事は2018年10月15日にブロマガで投稿した記事を移転させたものです。
下は元記事のアーカイブ。

web.archive.org

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