シリーズ目次(クリックで展開)
①吸血鬼の元祖はドラキュラではなく、吸血鬼ルスヴン卿こそが吸血鬼の始祖
②この記事
③最初の吸血鬼小説の作者ジョン・ポリドリと詩人バイロン卿、その運命の出会い
④バイロンの吸血鬼の詩「異教徒」とバイロンの祖国追放
⑤『最初の吸血鬼』と『醜い怪物』が生まれた歴史的一夜「ディオダティ荘の怪奇談義」
⑥最初の吸血鬼小説と当時の出版事情の闇、それに翻弄される者たち
⑦ドラキュラ以前に起きた「第一次吸血鬼大ブーム」・大デュマの運命も変えた
⑧日本に喧嘩を売ったフランスの吸血鬼のクソオペラ
ブラム・ストーカーの小説に登場するドラキュラという吸血鬼は、今やヴァンパイアの意味で誤用されるほど、吸血鬼(ヴァンパイア)の代名詞的存在となったが、ドラキュラは吸血鬼作品としては後発作品であり、ドラキュラ以前にも吸血鬼作品は多数存在していることを、前回の記事で紹介した。当ブログにお越し頂いた方々の中には、是非とも読んでみたいと思われる方もいらっしゃることだろう。今回はそんな「ドラキュラ以前の吸血鬼小説」を、分かる範囲で簡単に内容の紹介と、日本語訳があるものに関してはその邦訳本を紹介していく。簡単な紹介にとどまるが、それでも19世紀の吸血鬼像は今とは違うということ、吸血鬼はもっと自由に設定していいというのが、何となくお分かりになるかと思う。ということで、まずは前回記事でも紹介した、マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」(1992)に掲載されていた吸血鬼作品年表を元に、私が追記した年表をご覧頂こう。赤線は、ドラキュラの系譜とも言うべき重要な作品を表す。
後から私が付けたしたことから分かるように、マシュー・バンソンは全ての吸血鬼作品を紹介できたわけではない。種村季弘によれば、1819年のポリドリの「吸血鬼」のヒットに刺激されて、ドイツではおびただしい吸血鬼小説や戯曲が輩出したという。イギリス本国では第二のベストセリングを狙って、無数のキワモノ吸血鬼小説が出版されたという*1。当時ポリドリの吸血鬼はまずフランスで大流行したので、フランスでも夥しい数の小説や戯曲が作られたのは間違いないだろう。なのでここで紹介できたのはあくまで一部であり、大半は歴史上から忘れ去られてしまったことになる。
そして上記の年表だが、マシュー・バンソンは「心霊的吸血鬼」など、血を吸わずに生気を吸い取る化け物を拡大解釈して吸血鬼認定した作品もいくつか含まれている。それらは何も知らずに見れば、吸血鬼作品とは到底思えないものばかり。有名な作家の作品もあるが、吸血鬼作品としてみると肩透かしを食らう作品もある。そして発表年月日は「吸血鬼の事典」にならったが、他の参考文献などを見ると年数がずれているという作品もある。その場合は都度注釈を入れている。
ということで、年代順に沿って、吸血鬼小説の日本語訳が読めるものを紹介していこう。また原語で読みたいという方のために、原語版や英訳版もできる限り紹介していく他、物語を理解するうえで参考になる書籍やサイトも合わせて紹介していこう。
一応当ブログは、アニメ、漫画、ゲームなどの所謂「オタク層」に読んでもらうことを想定している。なので本をお勧めする基準は何より「読みやすさ」「とりあえず大まかにストーリーを知ってもらう」を基準としている。よって文語体はお勧めしないようにするし、文豪と呼ばれる人の作品も読み辛いと思えば、簡単にストーリー内容が分かる手段を優先して紹介していく。読書家の人からすれば怒りたくなろうだろうが、吸血鬼の普及のためには、まず手に持ってもらわなければ始まらないので、このスタンスで紹介していく。あと私は英語は読めず翻訳サイト頼みであるので、日本語訳のない作品については、内容紹介しないものもあることを、どうかご了承頂きたい。
英語原著紹介時にプロジェクト・グーテンベルクというサイトを紹介する作品がいくつかあるが、これは日本における青空文庫みたいなサイトだと思っていただければいい。
1748年 オッセンフィルダー「吸血鬼」(原題"Der vampire")
種村季弘「吸血鬼幻想」:薔薇十字社(1970)、青土社(1979)、河出文庫(1983)
英訳版 vampires.com
題名は「吸血鬼」と謳ってはいるものの、その内容は、女に恋をした男が酒場で酒を飲み「俺のことを好きにならないと、吸血鬼になって襲っちゃうぞ!」というもので、吸血鬼は一切でてこない。この作品は意外にも日本語訳が存在している。
「吸血鬼幻想」は、薔薇十字社より1970年に出版されたのが最初。他の媒体で寄せた吸血鬼エッセイを集めて加筆修正した吸血鬼解説本。次回詳しく紹介するポリドリの「吸血鬼」が作られた経緯などを詳しく解説している他、民間伝承の吸血鬼など、吸血鬼について幅広く解説しているので、吸血鬼を知る上で半ば必須と言っても過言ではない本。薔薇十字社は倒産してしまったが、青土社と河出文庫から再販されている。最も新しい河出文庫版でも1983年出版だが、これが現状一番安く手に入れやすい。他とは違い文庫なので嵩張らないのもいい。余談だが、東方projectのレミリア・スカーレットのスペルカード・神術「吸血鬼幻想」の元ネタであると思われる。
エリック・バトラー「よみがえるヴァンパイア」:松田和也・訳/青土社(2016)にも一部だけ翻訳が紹介されている。短い詩なので、この抄訳よりは全訳を見るほうがいい。一見種村訳と同じだが、微妙に違う個所が2、3か所ある。
英訳は何とか見つけ出せたが、ドイツ語原著は見つけ出すことができなかった。もし見つけ出せた方はご一報ください。
1773年 ゴットフリート・A・ビュルガー「レノーレ」(原題:"Lenore")
cygnus_odile氏のサイトのアーカイブ(Yahoo!ジオシティーズサービス終了の為)
「レノーレ」自体は吸血鬼小説ではない。だが以前の記事で解説したように、民間伝承の吸血鬼には「レノーレ型」という吸血鬼伝承がある。そしてレノーレはあの「吸血鬼ドラキュラ」の冒頭において、このレノーレを引用するシーンが出てくる。そうしたことからマシュー・バンソンは吸血鬼作品として含めたものと思われる。
内容は、恋人を戦争で失った娘が、「神様酷い!神様に祈ったってしょうがない!(要約)」と叫ぶが、その声が神のもとに届いてしまう。ある日の夜、死んだはずの恋人が娘を迎えにくる。夜の暗闇を馬に乗り駆け落ちを決行する。だが恋人は既に死霊となっており、最終的に娘は恋人の墓の中で結ばれてしまい、泣き叫んで後悔するという内容。この物語は「神を唾棄することなかれ」という意味が込められているようだ。
荒俣宏編纂「怪奇文学大山脈」1巻目に、南條竹則訳の「レノーレ」が収録されている。この本はノレーレ以外にも、ポリドリの「吸血鬼」に纏わる経緯を荒俣先生が解説している。この解説で初めて知ったこともあるので、これも吸血鬼好きの人は是非読んで頂きたい。
だが買わなくてもcygnus_odile氏が翻訳、web上で公開していた。cygnus_odile氏はご自身のサイトで色んな吸血鬼小説の翻訳・公開されていたのだが、Yahoo!ジオシティーズがサービス終了したためサイトは消失。ただアーカイブが残っていたのでそれを紹介させて頂いた。通常はこちらをみれば事足りるだろう。
英訳は主に、イギリスの有名な詩人サー・ウォルター・スコットのものと、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのものが有名。南条訳、cygnus_odile訳は共に、ロセッティの英訳からの重訳となる。ロセッティはわずか16歳で、それこそこの「レノーレ」の英訳で、詩人して一躍有名になった。あの小泉八雲も当時の東京帝国大学の講義で、ロセッティについて度々話題にしている。だが現在ではラファエル前派と呼ばれる画家としての方が遥かに有名で、2019年には大阪のあべのハルカスで彼の絵の展示会もあったぐらいだ。そんなロセッティだが、なんと実は今回紹介しているジョン・ポリドリの甥っ子である。ポリドリの妹の息子がロセッティだ。このあたりの事情は後日、別の記事で詳しく解説しよう。
吸血鬼ドラキュラの冒頭においてこの詩が引用されているが、新妻昭彦らによれば、どうも不正確な引用らしい*2。どこら辺が不正確なのか詳しい説明はないが、この言い方であれば、ストーカーはレノーレを自分で翻訳したようだ。
レノーレはニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」において解説、そして実際の内容をゆっくり劇場として再現しているので、ご興味があればぜひご覧頂きたい。とくにゆっくり劇場は、普通に読むよりも臨場感があって分かり易いとの評判を頂いております。
1797年 ゲーテ「コリントの花嫁」(原題:"Die Braut von Korinth")
cygnus_odile氏のサイトのアーカイブ 生野幸吉・訳
cygnus_odile氏のサイトのアーカイブ cygnus_odile氏による翻訳
ドイツ語原著) wikisourceより
英訳版 vampires.comより
(参考)
吸血鬼という言葉は出てこず、死んだ乙女が血を飲むことが示唆されているだけである。昔個人掲示板で、「コリントの花嫁って吸血鬼の物語だったの?」という人がいるぐらい、吸血鬼物語とはわかりにくい内容だ。今でも他のブログを見ていくと「吸血鬼作品」かどうか意見が分かれているようだ。だがこの作品は前回でも述べたように、作者のゲーテが自身の日記に「(コリントの花嫁は)吸血鬼の詩」というメモを残している*3。当事者が吸血鬼の詩と言っているのだから、この作品は、今のよく想像される吸血鬼とは違った特徴を持つ吸血鬼作品ということになる。先ほど紹介した2つの作品は、吸血鬼自体は出てこない。なのでこのコリントの花嫁が現状、吸血鬼が出てきた最初の作品且つ女吸血鬼が最初に出てきた作品ということになる。
内容は、アテネからコリントへ、一人の若者が父親同士の決めた婚約者の元へ訪れると言うところから始まる。キリスト教が徐々に浸透しだした時代が舞台であり、コリントはキリスト教化したが、アテネからやってきた若者はまだ異教(ギリシア・ローマ神話)を信じているという設定。途中、娘が銀の装飾品の受け取りを拒否するシーンがある。この銀の拒否シーンをもってこの作品は吸血鬼の作品だ、という人がいるが、それで吸血鬼と断ずるのは早計である。なぜなら民間伝承の吸血鬼には銀が弱点という伝承は見当たらない。銀を忌避したから吸血鬼だとする意見は、近年の吸血鬼の弱点にされることが多いことによる固定観念によるものだ。吸血鬼は銀が弱点というのは映画から始まったもの。銀はそもそも古来から魔除けとしての道具として用いられてきている*4。なので乙女が銀を忌避したのは、そうした悪霊除けとしての意味である可能性が高いだろう。それでも「コリントの花嫁は吸血鬼だから銀が弱点」というのであれば、ゲーテが生きていた当時「吸血鬼は銀が弱点だった」という伝承が知れ渡っていた証拠を提示しなければならない*5。ドラキュラ以前の吸血鬼小説で、銀が弱点となった吸血鬼小説は皆無。もしあれば大発見だ。民間伝承の吸血鬼おいても、銀が弱点という伝承は私は見たことがない。民間伝承の吸血鬼の弱点を幅広く紹介したポール・バーバー「ヴァンパイアと屍体」:工作舎(1991)にも書いてないあたり、民間伝承の吸血鬼は銀が弱点などという伝承はないと見るべきだ。この作品が吸血鬼の作品であるとされるのは、銀を忌避したからではなく、あくまで作者のゲーテ本人が「吸血鬼の詩」とメモに残したことにより、吸血鬼作品とみなされているのである。
話を元に戻そう。ストーリーの内容だが説明しにくいので、実際に物語を見て頂いた方が早い。潮出版社の山口四郎訳は、公式サイトの目次を見ても該当の作品が見当たらないが、この全集1巻に「コリントの花嫁」が収録されていると紹介するブログを発見した。私は未確認だが、間違いなさそうなので紹介する。
「書物の王国12 吸血鬼」に収録されている竹山訳は、文語体であるので非常に読みづらい。だが後述する「スラブ吸血鬼伝説考」でも解説されていない、当時の習慣などについて注釈をつけているので、物語の背景を知るには良い。また「書物の王国12」は色んな吸血鬼小説が収録されているし、この後紹介する小説もここに収録されているものが多いので、「書物の王国12」自体は是非とも入手して欲しい。ちなみに先ほど紹介した種村季弘「吸血鬼幻想」の一部の章が掲載されている。
cygnus_odile氏はご自身で翻訳されたものと、東京大学・千葉大学などの教授に就いた生野幸吉教授の翻訳を掲載している。生野訳は「ゲーテ詩集」より選出したとあるが、具体的な参照物は不明。岩波文庫の「ドイツ名詩選」(1993)ではないかと思っているが、確認まではしていない。
「コリントの花嫁」はもとは当然ドイツ語、そこから日本語に直すと倒置法だらけになり、非常に読み辛い。それ以前に、この物語はギリシアの民間伝承を元にしており、平均的な日本人では一目読んだだけでは、どういう状況なのか分かりづらい。栗原成郎「スラブ吸血鬼伝説考」では、生野幸吉訳を元に解説を入れてくれているので、ストーリーを理解するのに一役買ってくれるだろう。少なくとも私は栗原の解説を読んで、ようやくストーリーを理解することができた。実は一番分かり易い口語訳に近い翻訳が、ジャン・マリニー「吸血鬼伝説」に収録されている。だが途中までしか掲載されていない。それでも一番分かり易い訳なので、これも物語を理解するのに役立つだろう。
物語を知る上で一番分かり易いのが、手前味噌になるが、私が作ったゆっくり劇場だろう。物語の解説もしているので、気になる方はぜひニコニコ動画の方もご覧頂きたい。
ニコニコ動画で紹介したときは、かなり評判がよかった作品だ。だが吸血鬼という通俗的な存在をモチーフにした為、高級文学作家のゲーテには相応しくないということ、キリスト教を攻撃するかのような内容であったため、長らく正当な評価はされなかった。研究者ですら、長年吸血鬼モチーフを無視して研究していたとか*6。
1797年 コールリッジ「クリスタベル」(原題"Christabel")
この作品も吸血鬼は出てこない。だが前の記事でも言ったように、吸血鬼カーミラに影響を与えたと考えられているので、吸血鬼作品に含めたものと思われる。
第二部までの未完作品。なぜ未完なのか詳しい理由は、ゆっくりと学ぶ吸血鬼第10話を参照。
第一部は1797年に、第二部は1800年に完成させ、同年に友人ワーズワースとの共同出版本で発表する予定が、ワーズワースに断られてしまった。ただ多くの批評家は、第一部は1797年よりも後に作ったと考えている。独特の韻律を持った作品だが、1816年当時は、この後紹介するバイロン卿の「異教徒(1813年)」や他の作品の韻律を剽窃したと思われてしまった。コールリッジはバイロンの「異教徒」ほか2名の作品を挙げて名指しで批判した。だが出版できたのは、そのバイロン卿の支援によるものである*7。以上のように奈良女子大学の野中美賀子は説明している。だがバイロンがクリスタベルを聞いたのは、バイロンが異教徒を出版した1813年より後の1815年であったという証拠がある。バイロンの詩「コリントの包囲網」において「クリスタベル」と似た個所があり、意図せず似通ってしまった非礼を詫びる旨と、似通った個所を削除する旨の手紙を、バイロンはコールリッジに送っている。そこには「今年(1815年)の春に初めてサー・ウォルター・スコットと出会い「クリスタベル」を聞かせてもらったが、その時は題名は聞いていなかった」と答えている*8*9*10。野中の説明と矛盾するが、私の調査ではこれ以上のことは分からなかった。
クリスタベルの日本語訳は「ゴシック名訳集成 吸血鬼妖鬼譚」に収録されているが、学研M文庫事業撤退により入手し辛い。すぐに読みたいのであれば、cygnus_odile氏のサイトのアーカイブを見るのが早い。
この作品の日本語訳だが、cygnus_odile訳は格調高い翻訳なこともあるのだが、海外の詩を無理やり日本語に当てはめていることも手伝い、内容が非常に分かりづらい。そして「吸血鬼妖鬼譚」であるが、これは当時の名訳を収めようというコンセプトの本である。これや他の収録物も文語体ばかりである。もともと分かりづらいストーリーであるのに、さらに分かりづらくなっている。正直恥ずかしい話ではあるが、私自身もどういったストーリーなのか把握できていない。本読みの人からすれば文語体も味があるのだろうが、本を読みなれていない人には、文語体は一目見て嫌になって投げ出してしまう代物なので、正直この作品は無理して読む必要はないと思っている。ただこの「吸血鬼妖鬼譚」、他の吸血鬼小説や、中には貴重な情報もあって資料的価値があるので、それらが気になる人は手に取ってみて欲しい。
1800年 ロバート・サウジー「破壊者タラバ」(原題"Thalaba the Destroyer")
英語原著 当時の本のコピー1巻目、2巻目(Google books)
西洋ファンタジーは日本でも馴染み深いものになったが、この作品はイスラム教徒の主人公であり、アッラーの神の加護の元、悪の魔術師軍団をぶっ倒すという、イスラムファンタジーとも言うべき作品。あくまで悪の魔術師軍団をぶっ倒すというのがストーリーの主題で、吸血鬼の登場は本当に一瞬。別に吸血鬼である必要性を感じさせないので、吸血鬼ものとして読むと肩透かしをくらう。一神教ゆえの残酷さがあり受け入れられない人もいるだろうが、それを差し引いても、勧善懲悪なこれぞ王道というファンタジー物語なので、そういったものが好きな方は楽しめるだろう。キリスト教圏の人間が作ったイスラム教の物語だが、当時のイスラム教徒の人間からは好意的に受け止められた作品である。ただし、作者のサウジーは、晩年はイスラム教が嫌いになり、かなりディスっていたらしい……
「夜の勝利2」に「破壊者サラバ」というタイトルで抄訳が掲載されている。完訳が出たのは近年のことで、2017年に「タラバ、悪を滅ぼす者」のタイトルで発売された。イスラム教の物語なので、馴染みのない日本人には分からないことも多い。それは当時のイギリスでも同じだったようで、サウジーによる詳細な注釈がつけられている*11。この道家訳はその注釈も大半が翻訳されている。全部じゃないのは、長すぎるのでどうでもいいようなものは省いたそうだ。この道家訳は近年に発売されたこともあるので比較的入手しやすい。以前レビュー記事を書いたので、興味がある方はそちらもご覧頂きたい。ただ、吸血鬼が出てくるシーンはほんと一瞬ですぐに退場してしまう。cygnus_odile氏がその部分だけ翻訳したので、とりあえず確認したい場合は、cygnus_odile氏のサイトのアーカイブを見れば事足りるだろう。 www.vampire-load-ruthven.com
1801年 イグナーツ・F・アルノルト「吸血鬼」(原題"Der Vmapir")
詩ではなく散文(小説)という形式ならば最初の吸血鬼小説。だが、同時代の書評やカタログにはたしかにこの作品の名前が確認されてはいるが、原著自体は未だ発見されていない*12。
1805年 ハインリヒ・F・クライスト「O公爵夫人」(原題"Die Marquise von O")
「O侯爵夫人 : クライスト短篇小説集」:藤原肇・訳/叡智社(1947)
マシュー・バンソンは「ゴシック文学における元型的な吸血鬼を創造した重要な作品であるとされる」と説明しているが*13、私個人の感覚では吸血鬼作品とは到底思えなかった。マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」で紹介している文学作品一覧は、拡大解釈して吸血鬼作品と紹介しているものがいくつかあり、これもそのうちの一つなのだろう。ただ他の作品は一応、吸血鬼作品だとする意見は納得はいかなくても、理屈は一応理解できた。だがこの「O侯爵夫人」だけは吸血鬼要素が一切見当たらず、吸血鬼作品だとする理屈が本当に分からなったのはこれだけだ。バンソンは、具体的な吸血鬼要素を説明してくれていない。クライマックスシーンで、O侯爵夫人は自分を助けてくれて、まるで天使様のようだ思ったF伯爵が、実は自分をレイプした犯人だと分かり、邪悪なものとしてF伯爵に聖水を投げつける。吸血鬼の事典はこの記述をもって吸血鬼作品として紹介しているが、F伯爵が血を吸うシーンはないので、この聖水投げつけで吸血鬼とするのには、非常に無理がある。あまりにも理解できなかったので、この物語を読んだ他の方にも意見を伺った。その方は、吸血鬼作品とされているという情報を知らずに読んだのだが、吸血鬼作品とは到底思えなかったとのことだった。海外のサイトをvampireという言葉と共に作品名で検索してみても、この作品が吸血鬼の作品であると説明するものは見当たらなかった。この作品の吸血鬼要素がお分かりになる方は、ぜひご一報ください。
マシュー・バンソンは1805年に書かれたと説明するが、英語wikipediaやドイツ語wikipediaを見る限りだと、1808年に最初に公開されたとある。この作品を元にした映画を解説したwikipedia記事では、やっぱり1805年に書かれたと解説している。恐らく書かれたのが1805年で初公開が1808年なんだと思われるが、決定的なことは私の調査では分からなかった。
簡単にだけ内容を。イタリアの未亡人O侯爵夫人が住む砦に、ある日ロシア軍が攻めてくる。そしてO侯爵夫人はロシア兵にレイプされそうになるが、同じロシアの将校F伯爵が窮地を救ってくれる。自分を救ってくれたF伯爵を「まるで天使様のようだ」と思い、安堵感から気を失うO侯爵夫人。そのなんやかんやあったある日のこと、O侯爵夫人は自分が妊娠していることに気付く。そう、O侯爵夫人を助けたF伯爵が、助けて気を失った婦人をあろうことか昏睡レイプしていたのだ!!(うっそだろ!!)当時は未亡人が子をなすなど世間体が悪いので、O侯爵夫人ははF伯爵と結婚することになるが、経緯が経緯なのでF伯爵に極めて不利な契約で結婚する。数年後、2人の間には次々と子供が出来ていた。彼らは互いに本当に愛し合うようになっていた、というのが物語の概要。バンソン曰く「二人は愛し合うようになり、F伯爵は贖罪を得た」とのこと。英語wikipediaで紹介されている解説によると、F伯爵によるレイプは明確には示されていないとある。そしてある学者は次のようにこの物語を評価している。
"the most-delicately accomplished rape in our literature"
(この作品は)我々の文学のなかで、もっとも繊細に(優美に?)レイプを達成した作品だ。
どんな評価やねん!と思わず突っ込まざるを得なかった。
日本語訳はどれも入手し辛いものばかり。私は図書館でクライスト全集だったか、ドイツ作家集だったかに収録されたものを読んだが、あいにくタイトルが思い出せない。他にも収録されているものはあると思われる。
簡単に読めるものは、「聖ドミンゴの婚約」に収録されたもの。国立国会図書館デジタルコレクションでアーカイブ化されているのでweb上で読むことができる。だが文語体であり慣れない人には非常に読み辛いのが辛いところ。
ちなみに、この作品の良さを私は全く理解できなかったが、キリスト教圏ではどうも何かしらの感動や感銘を与える作品なようで映画化されている。それどころか第29回(1976年)カンヌ国際映画祭審査委員特別賞を受賞したほどだ。主演男優はなんと、日本どころか世界中で嘘字幕が作られるほどに有名な「総統閣下シリーズ」のヒトラー役、若き頃の故ブルーノ・ガンツだったりする。。気になる人は見てみよう。ただし、DVDはあまり出回っておらず、アマゾンの中古価格は1万円を超える場合も*14。
1810年 ジョン・スタッグ「吸血鬼」(原題"The Vampyre")
日本語訳は恐らくない。ヴァンパイアの英語のスペルはvampireが使われる。だが西欧に吸血鬼なる存在が伝わったとき、vampire表記とvampyre表記が入り乱れていた。そのうちvampireが正式に採用された。だが"y"のほうが海外の人には強力だったり特別だったりする吸血鬼のイメージがあるようで、今でも小説やゲームなどで使われる。PS4やニンテンドーSwitchで日本でも発売されたアクションゲーム「VAMPYR」が、分かり易い例として挙げられるだろう。
【2022年3月27日追記】
萩原學氏が2022年3月26日、小説家になろうにおいて、邦訳を公開された(下記リンク)。本邦初の翻訳になるだろう。
ジョン・スタッグ:吸血鬼 The Vampyre, by John Stagg (1810)
ジョン・スタッグは盲目の詩人で、"The minstrel of the north; or, Cumbrian legends."(1810)に収められた1篇。"Being a poetical miscellany of legendary, gothic, and romantic tales."とし、バラッド形式によるゴシック・ロマンスな説話集となっている。友人の支援を受け3版まで出されながら売れなかったという*15。
萩原學氏より、前置き付のバラッドで、吸血鬼自体を歌ったものとしては最初の作品ではないだろうかとの情報を頂いた。これよりも古い作品、たとえば1748年のオッセンフィルダーの詩は吸血鬼とは銘打ってはいるものの、俺のことを好きにならければ吸血鬼となって襲うぞというものである。ゲーテのコリントの花嫁は、ゲーテは日記に「吸血鬼の詩」とは書いてあるものの、本題は死んだ乙女が失った青春を求める恋の物語だし、同年のコールリッジの「クリスタベル」は解釈の如何によっては吸血鬼作品とは言い難い。破壊者タラバでは、吸血鬼は登場するものの、「愛した妻が吸血鬼として蘇った」という一文しかなくて、吸血鬼である必要性すら感じさせない。それに対しこのスタッグの「吸血鬼」は、確かに吸血鬼自体を取り扱った最初の作品と言っても過言ではないだろう。
【追記ここまで】
1812年 作者不詳「ヴァンパイア、クロアチアの美しい花嫁と血の婚礼、ボヘミアの牧師の数奇な物語」
(原題”Der Vampyr oder die blutige Hochzeit milder sci nen Kroatin; cine sondcrbare Geschichtc vom bllhmischen Wiesenpatcr”)
京都大学大学院独文研究室 森口大地の論文「19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-」p.67や、「ラウシュニクの『死人花嫁』に見られるヴァンパイア像 --<宿命の女>と<宿命の男>の二重構造--」p.2で紹介されている吸血鬼小説。但し、テキストの入手可能が疑わしい作品とのことなので、詳細は一切不明。
1813年 バイロン卿「異教徒」(原題"The Giaour")
イスラム教徒の娘に恋したキリスト教徒が、恋した娘が殺されたので殺した相手に復讐するも後悔するお話。バイロンがグランドツアーでオスマン帝国を旅行した時の体験をもとにして作ったもの。「お前は吸血鬼になる呪いを受けて、家族を襲うだろう」と言われるだけであり、実際に吸血鬼が出てくるわけではない。
小泉八雲の教えを受けた小日向定次郎教授により、「不信者」というタイトルで翻訳されているのが唯一の邦訳だろう。小日向訳は上記で紹介した「クリスタベル」が収録された「ゴシック名訳集成 吸血鬼妖鬼譚」に収録されている。だがパブリックドメインなので、同じものがweb上で無料公開されている。これも文語体だが、個人的にはクリスタベルよりはまだ読みやすい(文語体でないとのご指摘を頂きました 2022.4.2)。当時の日本人に分かり易く説明するためか、イスラムの神や精霊などを日本の神仏に置き換えているのが特徴(例:エビルス→閻魔)。海外の文化に触れる機会が多い現代では、逆に元がなんだったのか分かり辛くなっている。以下に、小日向がイスラムの神、精霊、武器を日本の神仏に置き換えたものを抽出したので、小日向訳を読む際に参考になれば幸いである。
閻魔→”ebils(エビルス)”、現在は”Iblis(イブリース)”と表記される。ユダヤ教やキリスト教のサタンに相当する。
女菩薩→”houri(ホウリ、フーリ)” イスラム教では死後、美女(しかも処女)のハーレムが天国で迎えてくれるということは有名だが、そのハーレムの美女たちを”houri”と呼ぶ。イスラムテロ組織が自爆テロを恐れない原因として有名だろう。作中では、「美しい麗人たちがハッサンを向かえてくれる」とある。
地獄の鬼→”Monkir(モンキル)” ”Monkir”はイスラムにおける駆除天使で、どうも処刑とか拷問を行うらしい。日本では検索にヒットしなかったので、日本では一般的に知られていない存在だろう。海外サイトを調べると、MonkirとNekir(モンキルとネキア)とあったので、通常は二人一組で登場する天使なようだ。
悪鬼→グール
羅刹→”Afrīt(アフリート)、現在はイフリートと呼ばれる。この二つは詳しい説明は不要だろう。グールは、今やゲームなどではゾンビと混同される存在。イフリートは有名なゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズで、炎の召喚獣として有名だ。
無鍔の長剣→"atagan(アタガン)" アタガンはどうも古い言い方のようで、現在は”Yatagan(ヤタガン)"と呼ばれる。16~19世紀のオスマン帝国(トルコ)の剣。
偃月刀→”scimitar(シミター)” シミターは西洋の呼び方で、作中でもシミターとして出てくるが、アラビアでは「シャムシール」と呼ばれる。どちらも今はゲーム等で有名な武器なので、どこかで聞いたことがあるだろう。日本語だと「三日月刀」と和訳される。偃月刀は本来は中国の曲刀で、形状もやや異なり頑丈な造りをしている。Google翻訳だと、ヤタガンを「偃月刀」と訳す。
1816年 バイロン卿「断章(断片とも)」(原題"Fragment of a Novel")
「ディオダティ荘の怪奇談義」において、詩人バイロンが「自分たちでも一つ怪奇譚を書こう」と提案して作ったもの。詩人のバイロンはからすれば散文は冗長に感じ、たった1日で、冒頭部分を書いて筆を置いた未完成品。バイロンの詩「マゼッパ」の付録として出版された。日本語訳は南条竹則のものが、「イギリス恐怖小説傑作選」と「書物の王国12 吸血鬼」に、「断章」というタイトルで収録されている。だが「断片」というタイトルで日本では紹介されることが多い。
「イギリス恐怖小説傑作選」の方が文庫なこともあり、安価で入手し易い。だがこの作品はこの後紹介するジョン・ポリドリの「吸血鬼」と一緒に見ないと意味がない作品なので、ポリドリの吸血鬼が紹介されていない「イギリス恐怖小説傑作選」よりは、「書物の王国12」の方でぜひ読んでいただきたい。下記のポリドリ作「吸血鬼」は、あからさまにこの「断章」の内容を一部真似ている部分がある。吸血鬼関連の本や英語wikipediaでは吸血鬼の未完成作品と紹介されることもあるが、内容自体には吸血鬼要素はなく、この後吸血鬼を登場させるような言及もバイロンはしていない。ポリドリの「吸血鬼」に多大な影響を与えたがために、吸血鬼作品として含められている模様。この作品については、ポリドリの吸血鬼解説の時に、詳しく解説する。
1819年 ジョン・ポリドリ「吸血鬼」(原題"The Vampyre")
佐藤春夫訳
平井呈一訳
今本渉訳
英語原著
参考
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」第三版の序文を翻訳したものどれでも
前回の記事でも述べたように、「最初の吸血鬼小説」「今の吸血鬼のプロトタイプ」と評されている作品。今の貴族的で耽美的な吸血鬼は、この作品の吸血鬼ルスヴン卿より始まった。吸血鬼は力が強いという描写がされたのもこの作品から。吸血鬼好きを名乗ったり考察するのであれば、常識として知っておくべき作品。今日の吸血鬼のプロトタイプだが、プロトタイプらしく、今の吸血鬼に必須な牙はなく、喉元を食いちぎっていたりと、荒々しさが残る。その他詳細は、今後の解説記事で紹介しよう。
最初の吸血鬼小説、ポリドリの「吸血鬼」は現在3つの翻訳がある。1つ目は文豪・佐藤春夫による翻訳のものは、「ゴシック名訳集成 吸血鬼妖鬼譚」と、種村季弘の「ドラキュラドラキュラ」に収録されている。ただ下訳は弟子の平井呈一に任せているので、実質平井訳だとされている*16*17。種村季弘は、「誤訳や脱漏が見受けられる」と低評価を下している*18。文語体でなので読みづらいこともあって、無理して読むものでもないだろう。「ドラキュラドラキュラ」は、この後紹介するE.T.A.ホフマンの「吸血鬼の女」ほか、色んな吸血鬼作品が収録されている。「吸血鬼妖鬼譚」の方は、日本で連載された当時の挿絵があることと、他の翻訳にはないジョン・ポリドリによる序文も翻訳掲載しており、資料価値は高い。
2つ目は「ドラキュラ」を初めて完訳した平井呈一による翻訳。佐藤訳よりは読みやすいが、「もとより承知の助」なんて言葉が出てきたりと、古めかしさがあるのは否めない。平井訳は長らく「怪奇幻想の文学1 真紅の法悦」でしか読むことができなかった。ちなみに編集は平井呈一の弟子である紀田順一郎先生と、あの荒俣宏先生である。50年ほど前の本であるし、新人物往来社もなくなったので入手し辛い。だが2019年、創元推理文庫から「幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成」が発売され、そこにポリドリの「吸血鬼」も収録された。そして2021年「甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション」にも収録された。よってこの2つが現状、ポリドリの「吸血鬼」を一番入手し易いものとなった。「真紅の法悦」には、最初の方で紹介した「吸血鬼幻想」の種村季弘による、ポリドリの吸血鬼に纏わるエピソードの紹介がある。だがこれは後に種村の「吸血鬼幻想」に収録されたので、そちらで確認した方がいいだろう。あと「真紅の法悦」には平井訳の「吸血鬼カーミラ」もあるが、こちらは創元推理文庫から今も簡単に購入できる。
最後は「書物の王国12 吸血鬼」に収録された、今本渉氏による翻訳。これが一番読みやすい翻訳だろう。ポリドリの吸血鬼は、バイロン卿の「断章」と大いに関係する物語なので、「断章」も収録されている「書物の王国12」を読むのがベストだろうか。
入手し易さだけを考えれば、近年発売された「幽霊島」か「甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション」を買えばいいが、翻訳の読みやすさと、関連する「断章」も見るのならば「書物の王国12」になる。ポリドリは物語の前に序章として、そもそも吸血鬼とは一体どんな存在であったのかという解説をしている。これも当時の吸血鬼観を知る上では貴重な資料だ。それを見たい場合は「ゴシック名訳集成 吸血鬼妖鬼譚」しかない。このようにどの翻訳を選ぶのかは悩ましい問題だろう。ただポリドリの「序文」は、cygnus_odile氏が翻訳公開されており、そのアーカイブが残っている。もちろん佐藤訳より読みやすい。ポリドリの「吸血鬼」はバイロンの「断章」とセットで見て初めて意味があると思っているので*19、「書物の王国12」とcygnus_odile氏による序文を見るのがベストではないかと思っている。
他の参考書籍として、「レノーレ」が収録された荒俣宏先生の「怪奇文学大山脈1」や、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の、序文も翻訳されたものどれでもいいから見るといいだろう。「怪奇文学大山脈1」にはポリドリの吸血鬼に纏わるエピソードが紹介されている。ここでしか書かれていないこともあるので、背景が気になる方は是非見て欲しい。そしてメアリー・シェリーのフランケンシュタインの序文。ここにポリドリについて言及がある。詳細は後日解説しよう。
ポリドリの「吸血鬼」は長らく中古も入手し辛く、大きめの図書館にでも行かないと読めないものであったが、2019年、2021年に収録本が発売されて、今では大分手に取り易くなった。そしてTwitterで流れてきた不確かな情報ではあるが、今年2021年東京創元社より、ポリドリの「吸血鬼」の新訳がでるかも、という情報が流れてきた。最初の吸血鬼小説がここにきて注目されつつあるようだ。
こちらはポリドリの「吸血鬼」をゆっくり劇場で私が再現したもの。手前味噌になるが、内容を知りたい方はこれが一番手っ取り早いかと思います。
1819年 ウリア・デリック・ダーシー「黒人吸血鬼 サント・ドミンゴの伝説」
(原題"The Black Vampyre;A Legend of St. Domingo")
- 英語wikipedia記事 「黒人吸血鬼」
英語原著は見当たらず。
ドリス・V・サザーランドさんによる解説記事
womenwriteaboutcomics.com
この小説は日本ではこれまで一切紹介されたことがない。私は上記のドリス・V・サザーランドさんのコラムで偶然発見した次第だ。英語wikipediaにも専用記事が作られておりそこを見ると、吸血鬼創作史上、かなり重要な作品であることがわかった。
この作品は「アメリカで最初の吸血鬼小説」「最初のコメディ吸血鬼物語」「ムラートの吸血鬼が出てきた最初の物語」「恐らく最初の反奴隷制を訴えた短篇小説」、そして「最初の黒人吸血鬼の物語」と、数多くの「最初」をもつ吸血鬼小説だ。そして解説にはなかったが物語の概要を見る限りだと、「吸血鬼に襲われたら吸血鬼化してしまうという設定を持ち込んだ最初の物語」「吸血鬼化してしまった人間を元に戻すことができた最初の物語」であることも分かり、吸血鬼創作史上、かなり重要な吸血鬼作品であることもわかった。アメリカで黒人吸血鬼と言えば、マーベルの「ブレイド」が真っ先に思い浮かぶだろうが、そのアメリカでは最初の吸血鬼小説は黒人吸血鬼であったというのが、非常に面白い。
1819年のポリドリの「吸血鬼」の人気に乗っかって作られた作品だ。だが主題は吸血鬼というより、当時間近に起きたハイチ革命を諷刺した作品であるようだ。作者のウリア・デリック・ダーシーは偽名。本当の作者は候補はいるが、決定的な証拠はない。
この作品は日本においては、まず紹介されたことがないだろう。私が2020年10月にツイッターで紹介したほか、2021年4月17日、ポリドリの「吸血鬼」の日本語によるwikipedia記事)が初めて作られたのだが、そこでこの黒人吸血鬼という作品があると紹介されたぐらいだろうか。吸血鬼創作史上見るべき設定が多いので、いずれ個別に解説する予定だ。
1819年 ジョン・キーツ「つれなき美女」(原題"La Belle Dame Sans Merci")
「美しいけれど無慈悲な乙女」壺齋散人・訳(壺齋散人氏のサイト)
壺齋氏による翻訳の他、英語原著オリジナルも掲載あり。りらりの展示室(日本語訳と英語オリジナル版を掲載している)
- 雑草録(つれなき美女の解説)
血を吸うというより生気を吸い取る系のお話であることから、マシュー・バンソンは拡大解釈して吸血鬼作品として含めたものと思われる。
「イギリス名詩選」に「つれなき美女」が収録されているが、壺齋散人氏が自身のサイトにて「美しいけれど無慈悲な乙女」というタイトルで翻訳・公開されている。これを見れば事足りるだろう。壺齋氏のサイトはご自身の翻訳のみならず、英語オリジナルも掲載されている。だがこの詩は、ジョン・キーツの友人であるリー・ハントの助言を受けて、書き直したバージョンがある。その書き直しバージョンも上記にリンクをつけたので、気になる人は確認してみて欲しい。書き直したバージョンは、どうも古英語のようで、書き直す前の方が読みやすいかもしれない。
これは女が男の生気を奪う物語だが、海外のサイトを見ると海外のフェミニストは、「女はレイプされた」という解釈をしているという。どうも女の方から男を誘うというのが、フェミニストからすれば許されないらし*20。うーん、この……
1820年 ジョン・キーツ「ラミア(レイミア)」(原題"Lamia")
(参考)
ラミアと言えばギリシャ神話に登場する下半身蛇の女だが、こちらは「テュアナのアポロニウス伝」が元になっているとか*21。南条竹則「蛇女の伝説」には、キーツのラミアの紹介解説があるらしい。私は確かめていないが、物語の理解を深めるのに役立つものと思われる。
1820年 シプリアン・ベラール「吸血鬼ルトヴァン卿」
(原題"Lord Ruthwen ou les Vampires")
この作品はフランスの小説家、シャルル・ノディエとの共著という説や、本当の作者はノディエであると唱える人もいる。海外のネット掲示板では、シプリアン・ベラールはノディエのペンネームだったと唱える人もいた。いずれにせよノディエが関わっていることには間違いない。
1819年のポリドリの「吸血鬼」と吸血鬼ルスヴン卿に感銘を受けた作者が、勝手に続編と銘打って作ったのがこの作品である。ポリドリの「吸血鬼」は、当時作者はバイロン卿であると思われていた。そこでベラール(ノディエ)は勝手に続編を作り、バイロンに献呈したとか。バイロン卿にとっては迷惑極まりない話である。
題名は「吸血鬼の事典」に倣ったが、「吸血鬼ルスヴェン卿、あるいは吸血鬼」「ルスヴン卿」「ルスウェン卿」と、日本語の表記は定まっていない。Ruthven(ルスヴン)がフランスではRuthwen(ルスウェン)やRutwen(ルツウェン)になっているが、デイヴィット・J・スカルによれば、翻案や翻訳の際に次第に変化したそうだ。単純な誤字なのか意図的なものによるのかさえ不明だ。
フランス語・英語ともに、ネット上で無料テキストは見つからなかった。日本のamazonキンドルストアにて電子書籍版が、ともに購入可能。ドイツの劇作家クラウス・フェルカーによれば「冗漫に詩と散文、歴史的逸話と奇妙な思いつきを組み合わせたもの」だとか*22、フランス文学者の森茂太郎は「退屈のあまり途中で投げ出してしまった」と言っている。他にも書評家からは、ボロクソに批判されているようだ*23。
1820年 シャルル・ノディエ「スマラ、夜の悪霊」
(原題"Smarra ou les démons de la nuit")
フランス語原著 プロジェクト・グーテンベルク
ノディエ幻想短篇集に「スマラ(夜の霊)」として収録されている。古代ギリシアが舞台。「スマラ」とは当時バルカン地方に伝わっていた業病のこと*24。この短編集には一応「吸血鬼」という言葉は出てくるが、原語は”une mante”、直訳すれば「メスカマキリ」となる。直前にある「陰気な女鬼」は”une sombre lamie”なので、これも直訳すれば蛇女で有名な「陰気なラミアー」となる。では吸血鬼とは関係がないのかというとそうではなく、「スマラ」と吸血鬼を結び付けた論文をノディエは発表している*25。詳細は後日、ポリドリの吸血鬼解説にて(作成次第、リンクも掲載)。
「吸血鬼の事典」p.122では1820年作とされているが、p.277のシャルル・ノディエの説明では1821年作としている。これは英語原著の”The Vampire Encyclopedia”でも別々の年代で説明していることを確認できた。スマラ全文を公開しているプロジェクト・グーテンベルクでも1821年作としている。正しい出版日がお分かりになるかたはご一報ください。
ノディエは「吸血鬼ルトヴァン卿」や「スマラ」以外にも吸血鬼に関する論文や吸血鬼の小話集を収録した本を出版している。そのうちの1つが1822年の地獄奇譚だ。
1820年 ジェイムズ・R・プランシェ「島の花嫁」(原題"The Bride of the Isles")
1819年のポリドリの「吸血鬼」は当時大ブームとなって、勝手に続編だったり劇が作られた。特にフランスでは大ブームとなり、シャルル・ノディエがポリドリの「吸血鬼」をもとに劇を作り大評判となった。その劇が逆にイギリスへと渡り、更に脚色されたのが「島の花嫁」という劇である。「島の花嫁」を上演した劇場では、いずれもおみやげのノベライゼーションが売られていたという。そのノベライズはなんと日本語訳にされており、ピーター・ヘイニングの吸血鬼アンソロジー「ヴァンパイア・コレクション」で読むことができる。ヘイニングの解説によれば、プランシェはあくまで劇作家であり、ノベライズの方を書いたのは不明だとされる。だが元の劇の脚本を創ったのはプランシェなことには違いないので、便宜上作者はプランシェとして紹介されるようだ。
内容は、これぞ王道といった勧善懲悪物語で、私は面白く読むことができた。この作品はポリドリの「吸血鬼」にもかなり絡んでくるので、後日、ポリドリの「吸血鬼」解説記事で詳しく紹介する。
1820年 ゴットフリート・P・ラウシュニク「死人花嫁」(原題”Die Totenbraut")
日本では、京都大学大学院独文研究室 森口大地の論文「ラウシュニクの『死人花嫁』に見られるヴァンパイア像 --<宿命の女>と<宿命の男>の二重構造--」でのみ紹介されている吸血鬼小説。
作中に「吸血鬼」という言葉は一切ないが、血を飲むし杭でとどめを刺されていることから明らかに吸血鬼小説と言っていい作品だ。ポリドリの「吸血鬼」の流行に乗った作品なのは明らかだというので、そのあたりから言っても吸血鬼小説と言っていいのだろう。個人的には、この後紹介するポーの「リジィア」やモーパッサンの「オルラ」なんかと比べると、よっぽど吸血鬼らしく思える。ドイツ語原著はこの後紹介する「セラピオンの兄弟(1821)」や「死者を起こすことなかれ(1823)」が収録された吸血鬼アンソロジー「Lasst die Toten ruhen (German Edition) Kindle版」に収録されている。
森口大地氏や、上記で紹介したアンソロジー”Lasst die Toten ruhen”の編集者Oliver Kotowski(オリバー・コトウスキ)によれば、「死人花嫁」はヴァンパイア・ハンターが登場した最初の吸血鬼小説とみなしてよいと述べていることだ*26。聖堂参事会員"der Domherr"が、吸血鬼の正体を見破り、吸血鬼を退治する。
先ほどのコトウスキによれば、ラウシュニクの「死人花嫁」は、フリードリヒ・ラウンとアウグスト・アベルの『幽霊本(Gespensterbuch)』の二巻に収録された『死人花嫁(Die Todtenbraut)』*27の影響もあるのではないかと、多少断りを入れつつ示唆しているという。ちなみに「幽霊本」は、今後紹介するポリドリの「吸血鬼」の作成に多大なる影響を与えた作品である。詳細はその時に解説しよう。その他物語の概要などは、森口大地氏の論文を読んでいただきた。
日本では2019年に森口大地によってはじめて紹介された作品であるが、なんといってもヴァンパイアハンターが登場した最初の吸血鬼小説であるので、今後はその点を中心にもっと注目していくべき作品だろう。
1821年 E.T.A.ホフマン「セラピオンの兄弟」(原題"Die Serapionsbrüder")
「世界短篇小説大系. 独逸篇」:近代社(1926)
ドイツ語原著 Kindle版
「セラピオンの兄弟」は直訳だが、「セラピオンの同盟員」とか「セラピオンの同人集」と訳されることもあり、それらの方が意味合いとしては正しい。また「ゼ」ラピオン表記もある。またホフマンの真似をして「セラピオンの兄弟」と名乗るロシア人たちの集まりもあり、検索ではそちらばかりヒットするので注意を。
同人集と訳すことから分かるように、ホフマンを中心とした文芸サークルの集まりみたいなもの。本名でなく今でいうハンドルネームを名乗り、みんなで物語を語り合い評価するという集まりだったようだ。それをホフマンが後に本にしてまとめたのが、この「セラピオンの兄弟」というわけだ。その中の一つの作品が吸血鬼に関するものだった。それを語ったのはゲストメンバーであった”シプリアン”こと、アーデルベルト・フォン・シャミッソーだ*28。シャミッソー自身も小説家で「影を亡くした男」の翻訳が、岩波文庫から販売されている。だが今は植物学者としての方が有名らしい。
「ドラキュラドラキュラ」には「吸血鬼の女」というタイトルで収録されているが、元はタイトルはなく、「シプリアンが語った物語」と紹介するか、後の編集者が勝手につけた「ヴァンピリスムス」という副題で、海外では紹介されるようだ。「世界短篇小説大系. 独逸篇」(1926)に北村喜八により「吸血鬼」という題名で翻訳されたのが、恐らく最初の翻訳だろう。だが戦前の本なので読みたい場合は、国立国会図書館にまで出向く必要がある。
原著は”Lasst die Toten ruhen (German Edition)”という吸血鬼アンソロジーに、「シプリアンの物語」というタイトルで収録されている。日本でもキンドル版が購入可能。
この作品は副題に「ヴァンピリスムス」、日本では「吸血鬼の女」というタイトルが付けられているが、作中には吸血鬼という言葉は一切出てこない。人肉を食べるので、ゾンビやグールと言った方がいい存在だ。でもこれははっきりと吸血鬼作品と言える。詳細は以前の記事かニコニコ動画を参照して欲しい。
1822年 シャルル・ノディエ「地獄奇譚」(原題"Infernaliana")
当時の原著のコピー(Googleブックス)
写原 祐二氏による翻訳 トップページリンク
ただし、吸血鬼に関する逸話は翻訳されていない。
Google翻訳の自動翻訳によると”Infernaliana”とは、コルシカ語で地獄という意味になるようだ。コルシカ島は皇帝ナポレオンの出生地。日本では恐らく、関西学院大学の藤田友尚氏の論文でしか紹介されていない吸血鬼作品*29。藤田によると、”Infernaliana”は複数の作家の作品を寄せ集めた怪奇コント集で、多くの吸血鬼物語が含まれているという。上記リンクの原著コピーを見て貰えればわかるが、”Le Vampire Arnold-Paul:吸血鬼アルノルト・パウル" "Vampire de Hongrie:ハンガリーの吸血鬼" "Le Vampire Happe:ハープの吸血鬼"と、ヴァンパイアに関する物語や逸話が収録されていることが伺える。英語wikipediaのノディエの記事によると、いくつかの物語は以前の本からの抜粋になるらしい。
アルノルト・パウルとは、吸血鬼化したとされる人物で、これをきっかけに西欧で吸血鬼の存在に関して、政治家、聖職者、ローマ教皇をも巻き込んだ吸血鬼大論争を引き起こした。これをきっかけに西欧で吸血鬼という存在が一気に認知されることとなった。詳細はニコニコ動画で解説している。
日本語訳は写原祐二氏がご自身のサイトで、いくつかの話を翻訳されているが、先ほどの吸血鬼に関する3つの逸話は翻訳されていない。
1823年 エルンスト・ラウパッハ「死者を起こすことなかれ」(原題"Lasst die Toten ruhen")
英訳版 タイトル”Wake not the dead” プロジェクト・グーテンベルク
この小説は日本では長年、「詩ではなくて小説としてなら最初の吸血鬼小説&女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼」であると、ネット掲示板などで言われてきた。以下のように「萌えるヴァンパイア事典」を発売したTEAS事務所もそのように述べている。
【萌え萌えヴァンパイア事典 収録吸血鬼紹介(4)】
— TEAS事務所 (@studioTEAS) June 28, 2011
四人目の吸血鬼は、こちらも女性の吸血鬼です。ドイツの短編小説『死者よ目覚めるなかれ』の主人公ブルンヒルダは、小説や演劇など、文学の世界にはじめて登場した女性吸血鬼だといわれています。
二つの「最初」を持つから吸血鬼マニアの間で気になる作品として、なんとしてでも日本語訳を読んでみたいと言う声がちらほらと見かけた。きちんとした翻訳はないが、私がGoogle翻訳を駆使して翻訳公開したものが唯一の日本語訳である。
この作品は長年、ヨハン・ルートヴィヒ・ティークが1800年に作った作品とされてきたが、実は作者はティークではなく、同じドイツのエルンスト・ベンジャミン・サロモ・ラウパッハであることが判明、初版も1800年ではなく1823年が初版だったようで、最初の吸血鬼小説ではなくなったし、女吸血鬼が最初に出てきた小説は、一つ前に紹介したホフマンの「吸血鬼の女」になることが判明した*30。「死者よ目覚めるなかれ」という邦題タイトルもよくないことが分かり、「死者を起こすことなかれ」が意味合い的に正しい。この一連の流れは記事やニコニコ動画で解説したので、是非とも順番に見ていって欲しい。
www.vampire-load-ruthven.com www.vampire-load-ruthven.com
ドイツ語原著は「セラピオンの兄弟」の時でも紹介したLasst die Toten ruhen (German Edition)キンドル版に収録されている。英訳は"Wake not the dead"のタイトルでプロジェクト・グーテンベルクで公開されている。ただしこちらは、作者はティークと誤ったまま紹介されている。
1827年 プロスペル・メリメ「ラ・グズラ」(原題"La Guzla")
「プロスペル・メリメ全集05」:今日出海/斎藤正直他/河出書房(1939)
フランス語原著 ウィキソース
「プロスペル・メリメ全集05」には、根津憲三により「グズラ」というタイトルで収録されている(参照先)。こちらは戦前の本ゆえに中古の販売は見かけない。ただ、同じ根津憲三による翻訳が「ドラキュラドラキュラ」に収録されている。ただしこちらは「グスラ」とスが濁音にならない。抄訳であるし「全集05」と同じものなのかは不明。この作品は色んな話を集めたオムニバスなので、抄訳は吸血鬼に関するものだけ抜き出したのかと思っていた。だがフランス語の原著を確認してみると、”Le Vampire”「吸血鬼」、”Sur le vampirisme”「吸血鬼について」という話もあるようだ。「ドラキュラドラキュラ」でなぜ掲載しなかったのか、気になるところである。
「吸血鬼について」は、実際にあった吸血鬼事件「アルノルト・パウル事件」について解説したもの。これは同じ種村の「吸血鬼幻想」で紹介している。小説ではなく実際の吸血鬼事件史の内容紹介ゆえに「ドラキュラドラキュラ」には掲載しなかったのかもしれない。”Sur le vampirisme”「吸血鬼」の方は本当に短いので、載せておいてもよかった気はするが。気になる人は翻訳サイトを使えばそれなりに意味は分かるかと思う。「吸血鬼について」にあるアルノルト・パウル事件の内容は、拙作動画で解説しているので、気になる人は下記動画へ。 「メリメ全集1」の方には、「グズラ」というタイトルで収録されているようだが、見たことがないので全訳かどうかは不明。
種村季弘の「吸血鬼幻想」にこの「グスラ」の解説があり、「ドラキュラドラキュラ」にも同様の解説が収録されている。この「グズラ」はメリメ曰く、イリリア地方の民衆抒情詩を翻訳したものだという。イリリアは今のクロアチアのあたりで、日本語ではイリュリアと表記するのが一般的なようだ。イリリアのヴェルゴラツ山地の奥深い村ヴァルボスカで発見した、吸血鬼の話まで収録されている。だがそれらしくは見せているが、実はこれらの話は全てメリメによる創作であるという。だから性急な全集編集者たちは、かなり長い間この「グズラ」をメリメの作品目録から削除していた。ただ英語wikipedia記事によると、一つだけ本物の民話があったようだ。その他メリメとグズラに関するエピソードは、エリック・バトラー「よみがえるヴァンパイア」pp.182-183に書かれているで、興味があればぜひ。このように実際にあった民話ではなく完全な創作ではあるが、吸血鬼の創作であることには違いない。内容は読めばわかるが、民間伝承の泥臭い感じの吸血鬼のお話が幾つか収録されている。民間伝承の吸血鬼の血の吸い方は、心臓から血を飲んだに違いないとか、耳や足などに噛みついたとかいうもの。それに死体がメタンガスで膨らんだ状態をみて、「なんか知らんけど血を吸ったに違いない」と思われていた。この作品も民間伝承の吸血鬼(っぽくした創作)であるが、ポリドリの吸血鬼のように「首筋」に噛みついている。この首に噛みつくというあたりが、ポリドリの「吸血鬼」の影響を受けたのではないかと思わせている。
1828年 エリザベス・グレイ「骸骨伯爵 あるいは女吸血鬼」
(原題"The Skeleton Count, or The Vampire Mistress")
「ヴァンパイア・コレクション」は、本国では「The Vampire Omnibus」というタイトルで発売されている。吸血鬼の短編を集めたオムニバス。いくつかの作品は未訳で収録されなかった。「骸骨伯爵」に関して言えば原著も邦訳も、吸血鬼が出てくる一部の章だけの紹介にとどまり全訳はない。そしてこの作品、海外では存在しないものとして扱われている。なぜならこの作品、最初に紹介した英国のアンソロジスト、故ピーター・ヘイニングによる捏造作品だからである。詳細は下記動画か記事をご覧頂きたい。
1833年 ヘンリー・リデル「吸血鬼の花嫁」(原題"The Vampire Bride")
日本語訳は恐らくない。作者の名前は正式には、ヘンリー・トーマス・リデル、レイヴンズワース第1代伯爵。1797年生まれ。本業は議員だったようだ。参考1 参考2
ヘンリー・リデルと日本語で検索すると出てくるwikipedia記事はヘンリー・ジョージ・リデルであり別人。ジョージ・リデルは古典文学者で『リデル=スコット』または『リデル=スコット=ジョーンズ』(LSJ)という通称で呼ばれるそうだ。彼の娘・アリスは、ルイス・キャロルの名作、あの「不思議の国のアリス」のモデルとなった。彼の父も息子とミドルネームまで同じで、ヘンリー・ジョージ・リデルといい、司祭だったようだ。生まれは1787年。参考3) 以上のように、「吸血鬼の花嫁」の作者のヘンリー・トーマス・リデルは、ヘンリー・ジョージ・リデルとは何ら関係がないので、縁者だと思わないように注意が必要。
1833年 ニコライ・ゴーゴリ「ヴィイ」(原題"Вій")
ウクライナ語原著)(ウクライナ語wikipediaのヴィイの記事に、原著のリンクあり)
(参考)
- 『新版 ヴィイ調査ノート』:麻野嘉史(自費出版)
ヴィイとはウクライナやロシアに伝わる化け物ということだが、実はヴィイと呼ばれる化け物はウクライナやロシアには存在しておらず、ゴーゴリの創作だという。ただ、似たような伝承はスラヴ地方に存在している。そしてそもそもヴィイは血を吸わず、ヴィイに仕えていた女が血を吸う魔女だ。こちらの魔女をさして、「吸血鬼の事典」は吸血鬼小説に含めた模様。
日本語訳は「ロシア怪談集」に小平武翻訳のものが収録されている。他にも探せばあるかもしれない。
麻野嘉史氏がヴィイについて詳細に調査し、それを調査ノートとして自費出版されている。鳥取市内にある定有堂で買うか、麻野嘉史氏に直接連絡して販売してもらうしかないが、非常に面白い本なので、気になる方はぜひ。
私のゆっくり解説者仲間である雪景ゾリア氏(旧:碧い金星)が、「ヴィイ」をゆっくり劇場で再現したので、とりあえずストーリーを知りたいのであれば、こちらがおすすめ。
1836年 テオフィル・ゴーティエ「死女の恋」(原題"La morte amoureuse")
この作品は数多く翻訳されており、また別の本に何度か再収録されたというのも多い。フリー編集者・山林智樹氏が収録本をまとめた一覧(リンク先参照)が以下のとおり。
「死霊の恋」 田辺 1963, 1975, 1982, 1988
「死女の恋」 高野 1989 店村+小柳 1977
青柳 1959, 1969, 2006
「死戀」 佐々木 1926
「魔女の恋」 青柳 1948
「吸血鬼の恋人」 千葉 1996
「吸血女の恋」 小柳 2004
「クラリモンド」 芥川 1914, 1921, 1929, 1955, etc.
岡本 1929, 1987 ※久米 1914, 1921
「遊女クラリモンドの恋」 野内 1986
※芥川龍之介訳は当初、友人の久米正雄名義で発表された。なので上記の久米訳は実質芥川訳である。
山林氏が紹介していないもの
「夢の中の戀」:田辺貞之助(1948)
「英-仏 クラリモンド」:佐竹龍照+内田英一(1997)
「クラリモンド」:谷崎潤一郎(2015,2018)
私が読んだもの:原著から翻訳
「フランス幻想小説 吸血女の恋」:小柳保義・訳/現代教養文庫(1992)
2021年5月現在、amazonには文庫版の販売は無い模様。
私が読んだもの:ラフカディオ・ハーン英訳からの重訳
「英-仏 クラリモンド」:L・ハーン英訳/佐竹龍照・内田英一 ※入手困難
芥川龍之介訳・クラリモンド:青空文庫
岡本綺堂訳・クラリモンド:青空文庫
「谷崎潤一郎全集 第6巻」:谷崎潤一郎/中央公論新社(2015)
数多くの翻訳が刊行されており、タイトルだけでも「死女の恋」「死霊の恋」「クラリモンド」「吸血女の恋」など、色んなタイトルが付けられている。元の原題名からいくと「死女の恋」が直訳になる。日本語wikipediaでは「死霊の恋」という名で、記事が作成されている。作者のゴーティエ自身が別の書籍に再録する際、「クラリモンド」という題名に改めている。英訳版は「クラリモンド」の他、「美しい吸血鬼」というタイトルを付けられたりもするようだ。
ゴーティエの「クラリモンド」は、あのラフカディオ・ハーンこと小泉八雲のお気に入りの作品で、アメリカ時代では自費を出してまで翻訳・出版、名訳として名を馳せた。来日後、小泉八雲と名乗ってからも変わらなかったようで、東大の講義でこの作品の素晴らしさを生徒に説いている。そのせいか夏目漱石、芥川龍之介といった誰もが知っている文豪が、ハーンの名訳を見ている。とくに芥川はハーン英訳を元に自分で翻訳したほど*31。それを芥川の友人である、これまた文豪の谷崎潤一郎が、芥川訳をベースに再翻訳している*32。このように名だたる文豪を虜にした作品であるから、日本語訳が非常にたくさん刊行されている。先ほどの山林氏のサイトでは同じ個所の文章をいくつかサンプルとして挙げているので、それを見て気になったものを買うといいだろう。
日本語訳は、ゴーティエのフランス語原著から直接翻訳したものと、ラフカディオ・ハーンの英訳から重訳したものとに分けられる。簡単に見分ける方法は主人公ロミュアルドがリア充を見て暴れるシーン。原著では「3日も何も食べていない虎の如く」とあるが、ハーン英訳では「10日も何も食べていない虎の如く」と、ハーン英訳では日数が変更されている。
日本語訳を読みたい場合は、青空文庫で無料で読める芥川訳か、抄訳だが岡本綺堂訳でいいだろう。ロマン派の作品は悪く言えば描写がくどいので、とりあえず内容を知りたいのであれば、余計な描写を省いた岡本訳がおすすめ。だが芥川は、この作品を一番最初に翻訳しているし、なによりあの芥川龍之介による翻訳である。芥川訳も一度は是非ご覧頂きたい。ちなみに芥川訳だが、最初は友人の久米正雄名義で発表された。理由は当時芥川は無名だったので、既に有名だった久米の名前で出して広めたかったなどと考えられているが、確証がなく憶測の域にとどまる。
小柳保義教授による「フランス幻想小説 吸血女の恋」は注釈が細かいので、物語の背景を知りたいのであればおすすめ。私は文庫版を購入したが、amazonでは現在販売されていないようで、キンドル版なら即時入手が可能。
佐竹龍照・内田英一らによる「英-仏 クラリモンド」だが、これは学術書の類なので、大きめの図書館でもまずおいていない。むしろ文学部がある大学の図書館を探す方が早いかもしれない。私はオークションで運よく中古が入手できた。ハーンがどのようにして翻訳していったかとか、ハーンが英訳を出版するまでの経緯が紹介されているので、それらが気になる人は入手してみるといいかもしれない。
余談だが、「吸血鬼」という言葉は和製漢語であり、芥川龍之介により翻訳された「クラリモンド」が、「吸血鬼」という言葉が作られた歴史を見るうえで判断材料となった作品だった……のだが、実はそれが崩れた。以前詳細な記事を作成したのでそちらをご覧頂きたい。どの本にも書かれていない、かなり貴重な情報です。
1838年 エドガー・アラン・ポー「リジィア」(原題"Ligeia")
キンドル版もある新潮文庫のものが手に入り易いだろう。「ライジーア」というタイトルで収録されている。これは血を吸う描写がない。マシュー・バンソンは「吸血鬼の事典」において「心霊的吸血鬼」として紹介している*33。拡大解釈して、生気を吸い取る存在も吸血鬼として含めたようだ。何も知らなければ到底吸血鬼とは思えず、吸血鬼物語として読むと肩透かしを食うのは間違いない。ライジーアのwikipedia記事に、全体ストーリーの要約が書かれているので、とりあえず内容が知りたい人はwikipediaを見れば事足りるだろう。
1841年 アレクセイ・トルストイ「吸血鬼」(原題”Упырь”)
同じトルストイの「ヴルダラクの家族(1847)」の項目で解説。
1844年 カール・A・F・ワークスマン「謎の男」(原題"Der Fremde")
英訳版 タイトル"The Mysterious Stranger"
この作品は、1860年に匿名でドイツ語で書かれて、英語に翻訳されて「オッズ・アンド・エンズ」誌に発表されたと、長年そのように紹介されていた。比較的近年に発売された「萌えるヴァンパイア事典」(2015年)でも、1860年作で作者不詳と紹介されている。
だが海外の近年の研究により、正しい出版年月日と作者が判明していた。上記で紹介した英訳版に簡単に経緯を解説している。そもそも「謎の男」の作者は不詳、1860年に英訳されたと唱えたのは、1948年に亡くなった自称聖職者のモンタギュー・サマーズ師である。サマーズ師は吸血鬼、魔女、狼男の初期研究を行った人で、同時に数々の怪奇小説を発掘して紹介して広めたことでも有名。歴史から忘れさられようとしていた吸血鬼ヴァーニーを発掘して世に広めたのも、サマーズ師によるところが大きい。そんな人が言った説なので長年信じられていたが、近年研究が進み、サマーズ師の情報は古いことがわかった。もっと前に作品が作られており、しかも作者まで判明していた。
そもそも英訳は1860年のオッズ・アンド・エンズ誌が最初ではなく、1854年2月のChambers's Repositoryで既に掲載されていた。発行人は、ウィリアム・チェンバーズとロバート・チェンバーズ兄弟だ。実際に、当時のものを複写したアーカイブもweb上で公開されている。
そして長年不詳とされていた作者も判明した。それはドイツの作家カール・アドルフ・フォン・ワークスマンであり、ドイツ語やフランス語wikipediaには記事も作られているような人物だ。とくにフランス語wikipediaでは、きちんと「謎の男」の作者であると紹介されている。
そしてドイツ語原著であるが、これは2017までは、1847年作と考えられたいたようだ。ハイド・クロフォードは自著「The Origins of the Literary Vampire」において、「謎の男」は1847年作と紹介しており*34*35、参照元はジョン・エドガー・ブロウニングの「the Vampire, Encyclopedia of: The Living Dead in Myth, Legend, and Popular Culture(2010)」であった。そのブロウニングは2017年に「Horror Literature through History: An Encyclopedia of the Stories that Speak to Our Deepest Fears」を発表したのだが、そこでは「謎の男」は1844年作としていた。そして実際、原著である”Der Fremde”の1844年版がweb上で公開されていた。そして1844年はドイツ語のみならず、フランス語で”L'étranger des Carpathes”というタイトルでも発表されていたようだ。このように2017年にもなって新たな事実が判明している。このあたりの事情は日本ではこれまで紹介されたことがないので、いずれ別記事にて詳しく解説しよう。
英訳、Chambers's Repositoryの発行年(1854年)が分かるページ
Chambers's Repository版「謎の男」が始まるページ
ドイツ語原著、発行年(1844年)が分かるページ
ドイツ語原著、物語が始まるページ
Googleブックス版
www.google.co.jp
物語はブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」と似ている部分が多く、多くの研究者が、ストーカーは参考にしたに違いだの、事実上の原型などと評価しているという*36。 具体的には、森で狼に襲われそうになり、追い払うシーン。謎の男では、吸血鬼アツォ・フォン・クラトカが、ドラキュラでは馭者に成りすましたドラキュラ伯爵が、手で狼たちを払いのける。
ポリドリの「吸血鬼」のルスヴン卿は力が強い描写があるが、この謎の男に出てくるアツォ・フォン・クラトカは、よりその腕力の強さが強調されている。腕力の強さゆえに間抜けな勘違いをするあたりからも、吸血鬼の腕力が印象に残る作品である。
日本語訳はハヤカワ文庫のものしかなく、中古の販売もあまり見かけない。当然、作者不詳として紹介されている。私はオークションで手に入れたが、かなりボロボロの状態だった。図書館で借りて読むのが一番早いかもしれない。
1845~1847年 J.M.ライマー「吸血鬼ヴァーニー、あるいは血の饗宴」
(原題"Varney the Vampire; or, the Feast of Blood")
この作品は全訳はなく、全220章ほどあるうちの、数章が翻訳されているのみ。
第一章が読めるもの
終盤の3章分が読めるもの
英語原著:WEB上で読めるもの
バージニア大学電子テキストセンター
WebArcive経由でしか閲覧できないが、無料のものではまだ読みやすい。全237章。The HumpMan's Homepage
藤原編集室氏のサイトで紹介されていたもの。テキストファイル、つまりテキストフォントなので見辛い。全237章。
英語原著:amazon kindle版
ドーヴァー・パブリケーションズ キンドル版1巻 キンドル版2巻
一般的に購入できるようになったという意味では初めて復刻されたもの。当時の挿絵が見れるのはドーヴァー社だけ。また吸血鬼ヴァーニーの作者問題など、研究を活発化させることになるE・F・ブライラーの解説もついている。全220章。1巻でペーパーバック版を選ぶと、なぜかZittaw Pr社のものが表示される。2巻では普通にドーヴァー社のペーパーバック版が表示される。なぜなのかは不明。ワーズワース・エディションズ社 キンドル版
1巻474円で全220章が読める。ペーパー・バックを選ぶと、キンドル版の値段が118円に変わる。表紙も別のものに変わり、章も全237章と変わる。プラネットモンク・ブックス社 キンドル版
100円で全232章。これが一番安い。ワイルドサイド・プレス社 ペーパーバック版
第1巻、第2巻、第3巻、第4巻、第5巻
5巻だけ巻数表示がないので、amazon内で探すの手こずる。ペーパーバック版のみ。2巻にマイケル・ホームズの解説がある。これはフリー編集者藤原編集室氏のサイトでも一部紹介されている。3巻まではプリント・オン・デマンド対象商品。日本で印刷されてくるので、注文後3日ほどで配達される。*37。ちなみにワイルドサイド・プレス社はハードカバー版も発売しており、海外通販サイトで購入が可能。スペイン語のキンドル版
スペイン語が読める方は挑戦されてはいかがでしょうか。
他にもAmazon内では色んな出版社が発売している。アマゾンPOD専門ペーパーバック版や、なぜか同じ表紙を採用したVintage International社版、Norton Critical Edition社版などあったのだが、アマゾンでの販売が取りやめになったらしく、今では購入できない。また吸血鬼ヴァーニーの販売ページはどうもきちんとリンク設定がされていないようだ。通常、単行本とキンドル版があったとすれば、当然同じ出版社の同じ刊行物が表示されるが、吸血鬼ヴァーニーに関しては、違う出版社を表示することが多々ある。
吸血鬼ヴァーニーはポリドリの「吸血鬼」が終われば解説記事を作るので、詳細はそこで説明する。簡単にだけ説明すると、ポリドリの「吸血鬼ルスヴン卿」をベースに、今の吸血鬼のスタンダードな特徴を備えた吸血鬼だ。黒マントを羽織った最初の吸血鬼、、人を襲って血を飲むことに悩んだ最初の吸血鬼、悪役ではなく物語の主人公となった最初の吸血鬼、そして今の吸血鬼ではほぼ当たり前な吸血鬼の牙が最初に生えた吸血鬼なのだ。他にも1819年の黒人吸血鬼が先だが、吸血鬼に襲われたものは吸血鬼化してしまうという、今でもよくある設定を持ち込んだ作品だ*38。このように、吸血鬼形成の歴史を追う上で必須の作品であると断言できる。現にドラキュラは、ヴァーニーの影響を受けて出て来たに過ぎないと辛辣に評価する評論家もいるぐらい。だが残念なことに、長すぎる故に完訳は未だにない。前回の記事で、大半の吸血鬼警察は偽物、ドラキュラすらも読んでないにわかと言ったが、本物の吸血鬼警察とは、このヴァーニーを借りて読んだ人のことである。これはなにも私個人の意見ではなくて、以前より個人掲示板などで散見された意見である。
現在販売されている日本語訳は第1章と、終盤の3章分のもの。復刻版は現在、全220章、全237章、全232章のものがある。この作品は週刊連載作品で、掲載時は途中から番号付けが無茶苦茶になった結果が220章である。その後3巻本として単行本になるのだが、そこでも章の番号付けを間違い、237章となった。232章がヴァーニーの正しい章の総数である。
1847年 アレクセイ・トルストイ「ヴルダラクの家族」
(フランス語原題"La Famille du Vourdalak")
(ロシア語原題"Семья вурдалака")
この作品の出版事情はかなり複雑だ。作者のアレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイは、名前の通りロシア人だが、この物語は最初フランス語で書かれた。その作成年月日は「吸血鬼の事典」は1847年作としているが、実際は所説入り乱れている。英語wikipeidaやロシア語wikipediaは1839年作としている。フランクフルトからフランスへ旅行する際に書いたという。だがGoogleブックスで閲覧できたこの書籍によれば*39、作成年月日は1839年説、1840年説、1841年説、1847年説があり、今も研究されているようで、はっきりとしたことは不明だ。そのGoogle翻訳がこちら。この作品が初めて出版されたのは、ボレスラフ・マルケビッチによりロシア語に翻訳されたものが最初。1884年1月に出版された。元のフランス語原著版が出版されたのは、1950年になってからと、最初に書いてから100年以上経ってからのことである。
ヴルダラクとはウクライナの民話に伝わる吸血鬼の一種だ。実際この物語の題名は「吸血鬼の家族」として「ヴルダラクの家族」とルビを振っている場合がある。東欧では血を吸う化け物を呼称する名前は多種多様あり、今ではヴァンパイアが主流になったに過ぎないので、ヴルダラクと音節の似た血を吸う化け物を指す言葉は他にもたくさんある。例えばギリシアにはヴリコラカスという、ヴルダラクと似た音節の吸血鬼がいる。
日本語訳は「ヴィイ」が収録されている「ロシア怪談集」に「ヴルダラクの家族」が収録されている。kindleアンリミデッドに加入しているのなら、西周成氏による翻訳が無料で読める。「幻想と怪奇4 吸血鬼の系譜」に収録されている池畑奈央子による翻訳は新訳である。近年に出版されて手に入れやすいこともあるので、気になる方はぜひご覧になってみて下さい。
内容について。ある貴族たちの集まり(サロン)で、自国のに伝わる昔話や個人の思い出について話すことになった。ドュルフェ侯爵は自身の若いころの体験、「吸血鬼(ヴルダラク)の家族」と過ごした思い出を語りだす……
この作品の特徴は、民間伝承では吸血鬼の弱点だった十字架に嫌悪感を見せるという、今の吸血鬼らしい特性が出てくる。またポピュラーな吸血鬼退治法の一つである「杭」を使うという描写も出てくる。吸血鬼に十字架というスタンダードな弱点を創作で持ち込んだ、最初の例だろう。
ちなみにトルストイは、1841年に”Упырь”「吸血鬼」という作品を発表している。これは「吸血鬼の事典」では紹介されていない。”Упырь”はグーグル翻訳だとグールと翻訳する。wikipedia記事によると「スラブ神話に伝わる吸血鬼みたいな存在」というような紹介をしており、西欧のヴァンパイアは"Вампир"と区別しているようだ。その「吸血鬼(1841)」の日本語訳は「世界幻想文学大系 第34巻 ロシア神秘小説集」:国書刊行会(1984)に収録されているようだが、入手は非常に困難。図書館で借りるほうが早いだろう。
1848年 大デュマ「青ざめた貴婦人」
(仏語原題"Les monts Carpathes") (英語原題"The Pale-Faced Lady")
フランス語原著 wikisource 千霊一霊物語 第12章から15章が該当の作品回
「吸血鬼の事典」では1848年作とされるが他のwikipediaなど見る限りでは1849年作とするものが多い。
「青ざめた貴婦人」"The Pale-Faced Lady"は「千霊一霊物語」の第12章「カルパチア山脈」"Les monts Carpathes"から第15章「ハンゴー修道院」”Le monastère de Hango”というタイトルで紹介されたのが初出。「千霊一霊物語」というタイトルで察した人もいるだろうが、イスラム世界の有名な説話集「千夜一夜物語:アラビアンナイト」の構成をデュマが真似たもの。「青ざめた貴婦人」は、もとは「千霊一霊物語」の中の一つの話にすぎない。だがイギリスでは単独の物語として発表され、1848年"In the moonlight "「月光のもとに」に、「青ざめた貴婦人」というタイトルで収録された。1975年には、”Horror at Fontenay”「フォントネーの恐怖」に"The carpathian vampire"「カルパチアの吸血鬼」というタイトルで収録された。"Vampires, Wine & Roses"というアンソロジーでは、”The Vampire of the Carpathian Mountains”というタイトルで収録されているようだ。
大デュマはポリドリの「吸血鬼」にかなり触発されている。有名なモンテ・クリスト伯では、主人公エドモン・ダンテスを、ポリドリの「吸血鬼」を暗に引き合いに出すシーンや、伯爵夫人はルスヴン卿と個人的に知り合いであったというシーンすらある*40。この「青ざめた貴婦人」も、ポリドリの「吸血鬼」の影響が色濃く出た作品だと言われているようだ。その他の詳細は、ポリドリの吸血鬼の解説で行おう。
日本語訳を読むのなら、電子書籍版もある光文社の「千霊一霊物語」を買うのが早いだろう。何度も紹介した「ヴァンパイア・コレクション」は「蒼白の貴婦人」というタイトルで、単独の物語として収録している。ヴァンパイア・コレクションの訳の方が、私は好みである。
首筋に突き刺すような痛み、頸動脈のあたりに虫にでも刺されたかのような刺し傷があるという描写が出てくる。これは示唆の範囲にとどまるが、吸血鬼ヴァーニーに次いで牙の生えた吸血鬼の例といって間違いないだろう。
1849年 エリザベス・F・エレット「吸血鬼」(原題“The Vampyre”)
- 英語原著 Googleブックスに当時のコピー掲載、P169より
ドリス・V・サザーランドさんによる解説記事
womenwriteaboutcomics.com
womenwriteaboutcomics.com
作者のエリザベス・F・エレットは、あのエドガー・アラン・ポーとフランシス・サージェント・オズグッドのスキャンダルに関わったことで有名な人。そんな人が1849年にそのまま「吸血鬼」という作品を作り上げた。
その内容だが、1819年のポリドリの「吸血鬼」の模倣だ。サザーランドさんの解説を読む限りだと、むしろシャルル・ノディエが作った劇の内容に非常に似通っている。しかもスコットランドを舞台にしたので、上記でも説明したジェイムズ・プランシェの「島の花嫁」と色々と被っている。ポリドリの吸血鬼より大分たってから、模倣に近い作品をなぜ作ったのか気になるところだ。
日本語訳はないが、当時の原著コピーがGoogleブックスに掲載されているので、気になる人は読んでみるといいだろう。
1856年 作者不詳「クリングの吸血鬼」(原題”The Vampire of Kring")
1828年「骸骨伯爵」に関連したことを調査しているときに発見。検索しても当時の写しどころか、そもそもあまり検索にヒットしないが、「クリングの吸血鬼」という作品が1856年に作られていたことだけは確からしい。
下記はクリングの吸血鬼を知るきっかけとなった海外の掲示板。英国のアンソロジスト、ピーターヘイニングの著書”M R James Book Of The Supernatural”について語るスレッド。 vaultofevil.proboards.com
【2021年10月9日追記】
同じヘイニングの著書”The Vampire Omnibus”(日本ではヴァンパイア・コレクションという名で翻訳された)のスレッドの書き込みを見ると、どうも存在しない作品のようだ。ヘイニングによれば「クリングの吸血鬼」は『Chambers's Repository』誌の1856年11月号に掲載されたと主張しているようだが、ダグラス・A・アンダーソンが同誌全巻を調査しても、「クリングの吸血鬼」という物語は見つからなかったという。ピーター・ヘイニングは他にも不正疑惑があるので、このクリングの吸血鬼は現状その存在が極めて疑わしいと考えたほうがよさそうだ。詳細は下記の掲示板の書き込みにある。
【追記ここまで】
1857年 シャルル・ボードレール「吸血鬼」「吸血鬼の轉身」
(原題"Le Vampire") (原題"Les Métamorphoses du Vampire")
「吸血鬼」の日本語訳
- Invitation@Baudelaire ボードレール作品の翻訳、公開しているサイト
「吸血鬼の轉身」の日本語訳
マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」p.336
以上の他、「吸血鬼」はいくつかあるボードレールの「悪の華」の日本語訳に収録されている。ただし「吸血鬼の轉身」は収録されていない可能性がある。
あのシャルル・ボードレールは「吸血鬼」「吸血鬼の轉身」という詩を作り、そしてボードレールの代表作「悪の華」に収録されていたものだ。マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」によれば、「悪の華」の1857年初版本は猥褻罪に問われて、後の編からは6篇の詩は削除されたが、この2つも含まれていたという。だが「悪の華」のフランス語wikipediaやInvitation@Baudelaireを見る限りだと、削除されたのは「吸血鬼の轉身」だけのようだ。
マシュー・バンソンによると「吸血鬼の轉身」は、文学における「宿命の女(ファム・ファタール)」のイメージを一般的に広め、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ(1897)」の登場まで、文字通り一世を風靡し続けた吸血鬼像となったという*41。これが本当なら、ドラキュラが登場するまでは、吸血鬼は「ファム・ファタール:宿命の女」のイメージが一般的であったことになる。これを裏付ける資料が欲しいところだ。
新潮文庫から堀口大學による「悪の華」が刊行されているが、削除後の1861年版とあるので、「吸血鬼の轉身」は収録されていないかもしれない。文語体なので読みづらく、初心者にはお勧めしない。簡単に読めるものは、ゆないキズト氏のブログ「筋肉少女帯の奇跡」に、「吸血鬼の変身」というタイトルで公開されているので、とりあえず内容を知りたい場合は、これを見るといいだろう。恐らくだが「吸血鬼の轉身」は、現在は「吸血鬼の変身」と紹介されることが多いのではないかと思う。
1860年 ポール・フェバール「闇の騎士」(原題”Le Chevalier Ténèbre”)
1865年 ポール・フェバール「吸血鬼」(原題”La Vampire”)
同じフェバールの1875年「吸血都市」の項目で解説。
1870年 サー・リチャード・バートン「ヴィクラムと吸血鬼」
(原題"vikram and the vampire")
- 英語原著 プロジェクト・グーテンベルク
日本語訳は恐らくない。ただ、G・ウィロー・ウィルソン「無限の書(2017)」(翻訳・鍛冶靖子)に、「ヴィクラムと吸血鬼」を引き合いに出すシーンがあり、そのシーンにおいてだけ日本語訳が読める模様。Googleブックスにもちょうどサンプルがあった。 翻訳者の鍛冶靖子氏によれば、サンスクリット語で書かれたインドの民話をバートンが英語に翻訳して紹介したものだという。マシュー・バンソンも、インドの吸血鬼の一種ヴェターラを紹介、これをバートンが西洋人のために「ヴィクラムと吸血鬼」として改作したと紹介している*42。なので、一般的な西欧の「ヴァンパイア」ではなく、西欧のヴァンパイアにあたる、「血に纏わる化け物」を分かりすく説明するために「ヴァンパイア」として紹介した作品になる。これも今の吸血鬼像を求める人からすれば肩透かしをくらう作品であろう。英語原著はプロジェクト・グーテンベルクで無料で読める。
1872年 ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」(原題"Carmilla")
「怪奇幻想の文学1 真紅の法悦」:平井呈一・訳/新人物往来社/1969年
同郷で同じ大学出身のレ・ファニュの「カーミラ」に感銘を受けて、ブラム・ストーカーは「ドラキュラ」の執筆を決意したという、ドラキュラそのものが生まれるきっかけとなった作品。
朝は苦手な描写があるほかは、賛美歌を嫌がるという描写がある。最後は杭で止めを刺される。この杭による方法はカーミラ以前だと1827年の「ラ・グズラ」、1847年の「ヴルダラクの家族」ぐらいだろうか。もちろん他にもあったかもしれないが、歴史に名を残した作品で言えば、これぐらいだろう。「吸血鬼は棺桶で寝る」というのがよく知られているが、最初にそれをやったのが「カーミラ」だ。この設定が「ドラキュラ」でも引き継がれることとなる。
カーミラ以前の吸血鬼小説でも女吸血鬼作品はあるが、ファム・ファタールなものばかり。今の吸血鬼像に近い女吸血鬼となると、やはりカーミラが最初と言ってもいいだろう。
この作品はレズビアン小説としても有名だが、当のレ・ファニュは「カーミラはレズビアンではない、なぜなら彼女は吸血鬼で性別はないから」と言ったそうだ。これは詭弁で、当時は同性愛に厳しいのでそう答えざるを得なかったのだろう。現にそう答えたおかげで、発禁処分にならずに済んでいる*43。
カーミラの日本語訳は長らくドラキュラの翻訳者、平井呈一のものぐらいしかなかった。平井訳はポリドリの「吸血鬼」も収録されている「真紅の法悦」に掲載されているが、創元推理文庫から発売されているものを買う方が早いだろう。
2015年には、長井那智子訳のものと、キンドル版だけを販売するものが出てきた。長井那智子のものは単行本で、キンドル版はアンリミデッド加入なら無料で読める。それぞれ好きなもを買うといいだろう。創元推理文庫の平井訳のものは「緑茶」など、カーミラ以外の作品の翻訳が収録されている。
1875年 ポール・フェバール「吸血都市」(原題"La Ville Vampire")
- フランス語原著 日本amazonで購入可能
正式な名前はPaul Henri Corentin Féval , père。「吸血鬼の事典」の翻訳者松田和也氏はポール・ウィーバルとしているが、どう考えてもフェヴァルやフェバールとした方が良さそうである。
日本語訳はない。そもそもフェバール自身が現地でもあまり著名ではない。早稲田大学文学部フランス語フランス文化コースに、一條由紀氏による「ポール・フェヴァル試論」という論文があるが、日本でフェバールを解説したものは、この論文しか見当たらない。彼は当時人気を博した新聞大衆作家。フランス語wikipediaの彼の記事によると、当時は大デュマと同等の人気を誇ったとか。純文学作家にも憧れがあったようだが、そのせいでどっちつかずになってしまう。また人気も落ちて、晩年には既にフランスの人々からは忘れ去られた存在だったという。今のフランス人も知ってる人は少ないようだ。
英語wikipediaの彼の記事を読むと、「吸血都市」は1874年作ということになっている。だがフランス語wikipediaの記事や彼の作品一覧を紹介するサイトでは、1867年作となっている。これもトルストイの「ヴルダラクの家族」と一緒で、はっきりとしたことは不明なのだろう。もっと調査すれば何かわかるかもしれないが、そこまでする気力はない。
「吸血鬼の事典」では「吸血都市」しか紹介されていないが、英語wikipedia記事を読むと他にも”Le Chevalier Ténèbre”「闇の騎士(暗黒の騎士、ダークナイト)」(1860)、”La Vampire”「吸血鬼」(1865)と、他の吸血鬼作品も作っていた。特に「吸血鬼」(1865)はフランス語wikipediaには単独記事が作成されており、これら3作品がフェバールによる吸血鬼3作品として紹介されるようだ。実は一番早く書かれたのは「吸血鬼」の方で、1856年に"Les Drames de la Mort"「死の物語」という題名で、”La Chambre des amours”「愛情の部屋」という物語が続いたという。
このようにフェバールは吸血鬼作品を3つ作っており、セットで紹介されるようだが*44、マシュー・バンソンは「吸血鬼の事典」ではなぜか「吸血都市」しか紹介しなかった。マシュー・バンソンは年表で紹介した作品は、別の項目にて作品紹介するか、もしくは作者の項目で作品のことに触れるのだが、「吸血都市」や作者フェバールについては何の解説もしていない。「吸血都市」を紹介する日本の書籍は見かけないので、他の2作品含めて一体どんな作品であったのか非常に気になる。ストーカーの「ドラキュラ」(1897年)以前の作品であるし、題名にはっきりと「ヴァンパイア」とあることだから、今の吸血鬼との違うのか、もしくは今の吸血鬼と何らかの類似点があるのか、吸血鬼の歴史を見ていくうえでは、一度は見てみたい作品である。
1881年 フィル・ロビンソン「人食いの木」(原題"The Man-eating Tree")
英語原著 ”Under the Punkah”「扇の下」、原著画像コピー版
英語原著 「扇の下」 テキスト版
”Under the Punkah”の中の"The Man-eating Tree."が該当の物語。
本名Philip Stewart Robinsonだが、略したフィル・ロビンソンで一般的に呼ばれるようだ。英語wikipedia記事もある。インド生まれのイギリスの博物学者、ジャーナリスト、そしてユーモラスなアングロ・インディアン文学のジャンルを広めた人気作家だという。そしてブラム・ストーカーと同じ1897年に「吸血鬼」という詩を発表した幼少時のラドヤード・キプリングを育てたこともあるそうだ。
「吸血鬼の事典」によると”Under the Punkah”「扇の下」に収録された短篇の一つで、吸血樹木をテーマとした最初の物語として注目されたという。アフリカで発見され、ただ一本きりで草の湿原に生えているとの説明がある。このように西欧のヴァンパイア:吸血鬼ではなくて、血を吸う樹木のお話だから吸血鬼が登場すると思って読むと、これも肩透かしを食うだろう。それ以前に日本語訳がないが…
この小説が生まれた背景は”Man-eating tree”というwikipedia記事が参考になる。事の発端は、1874年4月26日付の”New York World”誌において、マダガスカルのムコドという部族が「人食いの木」に人身御供をささげたことを、エドモンド・スペンサーが紹介したことがきっかけで、文学的創作が始まったという。このスペンサーの報告から2日後には、自称ドイツ人探検家のカール・リッヒェ(Carl Liche)による手紙が添えられた。リッヒェの手紙は、同じ1874年に”South Australian Register”「南オーストラリア登録簿」誌など、多くの新聞社で取り上げられた。これ以降長年にわたって「人食いの木」の存在が論争されるようになったという*45。以降こうして「人食いの木」の目撃例が相次いで報告されていくことになった。その詳しい内容は、日本語wikipediaや英語wikipedia記事を見て欲しい。最終的には1955年、科学ライターのウィリー・レイが著書『Salamanders and other Wonders』において、「ムコド」、「カール・リッヒェ」、マダガスカルの食人木は全て捏造だったと結論、この議論を終了させた。最初の報告から実に81年もの間、「人食いの木」の存在について論争されていたわけだ。
「吸血鬼の事典」で紹介されているフィル・ロビンソンの「人食いの木」の話は、そんな「人食いの木」論争が起きている中、執筆されて小説だ。先ほどの英語wikpedia記事によると、ヌビアで見つかった人食いの木について説明しているとある。もっと決定的なのことが、このサイトに書かれていた。「人食いの木」を収録した「扇の下」は、ロビンソンの叔父がナイル川の近くにあるアフリカ北部のヌビアで色んな体験をしたことを元に書かれた本であるという。血を吸う文学にはこういったものもある言いたいであろうから、紹介する気も分からなくないが、やはり個人的には食人の木を吸血鬼だとして紹介するのは抵抗がある。
【2022年5月5日追記】 フィル・ロビンソンは、1893年に"The last of vampire”という小説を発表していたことが、ISFDBより判明した。きちんと「吸血鬼」と銘打った作品を作っていた。こちらはマシュー・バンソン「吸血鬼の事典」では紹介されていない。キンドル版も販売されている。詳細が分かりしだい紹介する。 【追記ここまで】
1886年 アン・クロフォード「カンパーニャの謎」
(原題”A Mystery of the Campagna”)
ドリス・V・サザーランドさんによる解説記事 womenwriteaboutcomics.com womenwriteaboutcomics.com
これも、日本ではこれまで一切紹介されてたことがない吸血鬼作品。作者はアン・クロフォード。吸血鬼小説「血は命の水だから」(1905)の作者・フランシス・マリオン・クロフォードの妹。兄の方も「血は命の水だから」という吸血鬼小説を晩年の1905年に発表していて、日本語訳もいくつかある*46。今回はドラキュラ以前の吸血鬼小説を紹介するというコンセプトの為、詳しい紹介は差し控える。兄の作品はときには「ゴミ」と言う評価がされたが、支持も得た。そんな人の妹がアン・クロフォードだ。ドイツ軍将校エーリッヒ・フォン・レーべ男爵と結婚したため、フォン・レーべ男爵夫人となる。 創作活動ではVon Degen(フォン・デゲン)名義を使用しており、「カンパーニャの謎」もフォン・デゲン名義で発表したようだ(参考サイト)。
サザーランドさんの解説記事をみると、吸血鬼カーミラ以降で女吸血鬼が登場した吸血鬼小説だという。カーミラとは違いレズビアンではないが。
アンソロジー”The Witching Time:Tales for the Year'sEnd”誌に掲載された。カーミラ以降に登場した女吸血鬼の物語。カーミラは今でも新しい翻訳が出るほどに著名だが、こちらは本国でもあまり知られていない作品。サザーランドさんの解説記事に、簡単なストーリの解説あり。
その後単独の物語として再販されたようだが、その当時の原著を販売するページを見ると、出版時は本名のアン・クロフォードでなく、偽名のフォン・デゲンで発表していたようだ。キンドル版も発売されており、そこでも作者名はフォン・デゲンとなっている。WorldCatの総合目録を見てみると、本名で発表した版、偽名で発表した版とあるようだ。
1887年 ギィ・ド・モーパッサン「オルラ」(原題"Le Horla")
ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲は、少年時代は大叔母に神学校に入れられていたのだが、一時期だけフランスの神学校に在籍していたときがある。だがその学校はモーパッサンがちょうど在学していた時期でもあった。ただ二人が知り合いだったかどうかまでは不明。お互い学校には馴染めなかったのは共通している。ただその後アメリカ時代のハーンは、モーパッサンの作品を数多く英訳して発表している*47。
日本語訳は「怪奇と幻想」に収録された大友徳明によるものと、新潮文庫の青柳瑞穂によるものがある。主人公の一人称が、大友訳では「わたし」、青柳訳は「おれ」となっており、これだけで主人公の性格面が違って見えてくるという、翻訳の妙を味わうことができる。ちなみに私は大友訳の方が好きである。
さてこの作品は一応吸血鬼の話題が一回だけ出てくるが、血を吸う描写はない。あくまで主人公の男の生気を口から吸い取るだけ(しかも、妄想や幻覚の可能性もある)なので、これもマシュー・バンソンは「心霊的吸血鬼」として紹介したようだ。だが日本語訳もある「怪奇と幻想 吸血鬼と魔女」は、名の通り吸血鬼アンソロジーとして本国では発売されている。発売も「吸血鬼の事典」よりも十数年ほど前だ。よって海外では「オルラ」は吸血鬼作品という認識があることには間違いない。こちらのサイトでも「吸血鬼の本」として「オルラ」を紹介している。今は無くなったが、「最初期の吸血鬼小説」と紹介するサイトを2年前に確かに見た記憶がある。私個人の意見を述べると、この作品は到底吸血鬼作品とは思えなかった。一応新聞で吸血鬼の話題が出てくるが、血を吸い取るシーンはなく、あくまで口から生気を吸い取られる(という妄想の可能性あり)だけだ。だが海外では吸血鬼作品と紹介されているので、私個人の意見がおかしいのかと思っていた。だが海外でも異論がある人はやはりいるようで、このサイトでは途中までしか読めないが、「オルラにどこに吸血鬼要素がある?認めない!」と主張していた。これを見たときは私の意見も間違ってなかったとホッとしたぐらいだ。
オルラの内容だが、当時の科学的知見を総動員して未知なる存在に対する恐怖を描いており、SF小説の先駆けと評されることもあるようだ。だがその未知なる恐怖の存在「オルラ」は本当に存在しているのかわからず、読者は主人公の妄想や幻覚の産物の可能性も考えてしまう。主人公は正体不明の存在に襲撃を受けている。だが、それが現実なのか妄想・幻覚なのかは分からない。実は今出回っているのは第二版であり、第一版とは内容が異なっている。第一版では正体不明の襲撃者に攻撃に恐怖した主人公は、そのまま精神病院に直行して庇護を受けるという結末を迎える。それに対して現在読める第2版では、この恐怖に真っ向から挑んで、最後の最後まで戦い抜くという選択を選ぶ*48。
1887年 ジュリアン・ホーソーン「白い肩の女」 改題「ケンのミステリー」
(原題"The grave of ethelind fionguala")(改題"Ken's Mystery")
ヴァンパイア・コレクションにあるピーター・ヘイニングの解説を読むと、アメリカ最初期の(一番最初という意味ではない)吸血鬼小説であるということと、ブラム・ストーカーが読んでいた可能性が無きにしも非ずという。たが、ヘイニングの解説はあてにならないので、話半分に聞いておく方がいい。その理由はいずれ別の解説記事にて説明する。完成次第、ここにもリンクを貼っておく。
1894年 アーサー・コナン・ドイル「寄生者」(原題"The Parasite")
ご存知「シャーロック・ホームズ」シリーズのコナン・ドイルの吸血鬼作品。日本語訳は創元推理文庫のものが手に入り易いだろうか。「寄生体」というタイトルで収録されている。探せば他にもあるかもしれない。
これも「心霊的吸血鬼」として、マシュー・バンソンは拡大解釈して吸血鬼作品として含めたようである。男に恋をした女が、精神をのっとって操り、最終的に男は死んでしまうという内容。これも「吸血鬼もの」として期待していると肩透かしを食らうだろう。
コナン・ドイルは、吸血鬼ドラキュラの作者、ブラム・ストーカーと親交があったという。あの「シャーロック・ホームズ」シリーズの一篇に「サセックスの吸血鬼」という作品がある。ホームズがワトソンに対して「(吸血鬼は)杭を刺して死ぬくだらない存在」などというシーンがある。そんな「サセックスの吸血鬼」は、吸血鬼ドラキュラが生まれたからこそできた作品であると考えられている。
1894年 X・L「ユダのキス」(原題"A Kiss of Judas")
- 英語原著 クリストファー・フレイニングによる吸血鬼アンソロジーに収録されている
日本語訳は無し。英語版の無料テキストのリンクはリンク切れになっていた。X.L.は本名はジュリアン・オズグッド・フィールドといい、アメリカの社交界の名士、作家で、作品を発表するときはX.L.かSigmaというペンネームを名乗っていたという。彼のwikipedia記事を見ると、この作品の初出は1893年となっている。スペイン語wikipediaの「ユダのキス」の記事を読むと、初出が1893年、翌年のX.L.の作品集に収録されたとあるので、そちらを見てマシュー・バンソンは1894年としてしまったのだろう。
日本語訳はないが、マシュー・バンソン「吸血鬼の事典 p.375」に簡単なストーリー紹介があるのでそれを紹介しよう。”The Pall Mall Gazette”「パル・マル・ガゼット」誌に、オーブリー・ビアズリーの挿絵とともに発表され、後にX.L.の作品集"Aut Diabolus Aut Nihil and Other Tales"「悪魔にあらずんば人にあらず」(1894)に収録された。「ユダのキス」は「ユダの子ら」と呼ばれる吸血種族に基づく作品。「ユダの子ら」はセルビア、ブルガリア、ルーマニアなどバルカン諸国の口承伝承に登場する。ユダの子らは「赤毛」であるという。なのでイスカリオテのユダの子孫であるとされる。ユダの子らの恐るべき能力は、たった一度噛みついたりキスしたりするだけで、犠牲者の血を吸い取ることができ、その後に”XXX”という形の傷を残すことである。これはユダがキリストを裏切った際に支払われた銀30枚を表しているという。
「ユダのキス」はこの設定を活かした作品。ユダの子らが人を殺すときは守らねばならない条件がある。それはまずユダの子らは自殺し、それからサタン相手に取引を行い、サタンが彼らを吸血鬼の形で蘇らせる。この形が、狙い定めた犠牲者を誘惑し、殺すのに最も都合の良い形だという。通常、選ばれた人は殺されて当然の人物である。醜い顔をした邪悪な人物であるアイザック・レベデンコは死後、美しい女性へと生まれ変わる。彼(彼女)の標的は「三国一の幸せ者」ディック・ローワン大佐。マシュー・バンソンによれば、クライマックスは極めてドラマティックであるとか。
先ほど紹介したスペイン語wikipediaの「ユダのキス」の記事)では、簡単にだがストーリーの概要が紹介されている。翻訳サイトを駆使しながら読めば、なんとなく全体像は掴めると思う。
1894年 エリック・ステンボック伯爵「夜ごとの調べ」
(原題"The True Story of A Vampire")
英語原著 プロジェクト・グーテンベルク
名前はエリック・スタニスラウス・ステンボック伯爵か、スタニスラウス・エリック・ステンボック伯爵と順番を変えても呼んでもよいとか。日本語訳は何度も紹介した「書物の王国12 吸血鬼」に加藤幹也・佐藤弓生による翻訳が唯一のものだろう。原題名を直訳すると「吸血鬼の真実の話」となり、何とも味気ない。そしてストーリーを見た後だとこの「夜ごとの調べ」というタイトルは、実にセンスのよいタイトルを付けたものだと感嘆した。
この作品は”Studies of Death”「死の研究」に収録されて、ロンドンで刊行された。今日ではその内容と著者の異常性によってのみ記憶されているに過ぎないとか、作者のステンボック伯爵は少々頭のおかしいロシア貴族と紹介したりと、マシュー・バンソンは辛辣に紹介している。まあ、それもそのはずで伯爵は吸血鬼のように柩で寝ていたりとか、いつもペットのガマガエルを肩にのせて、食事も蛙と一緒に取っていたという。さらに英語wikipediaの記事を見てみると、部屋にはヘビ、トカゲ、サンショウウオ、庭にはキツネ、トナカイ、クマを含む動物園があったという。そして伯爵は旅行するときはいつも犬、猿、等身大の人形を持っていく。そして「ルプチコント」(「リトルカウント」)と呼んだこの人形は、それが伯爵の息子だとみんなに言いふらしていたというのだという。当時の人は「お、おう……」となったに違いない。頭のおかしさは「少々」どころでない。そしてこことかこのサイトを見ると、当時は世間の目が厳しかった同性愛者でもあったようだ。
この「夜ごとの調べ」は評判が悪かったようだ。まず「吸血鬼カーミラ」の影響を受けていると思われた。あっちはレズっぽかったが、こっちはゲイ的な雰囲気に漂う作品だ。そして舞台がカーミラと同じくオーストリアのスティリア地方となっている。そしてこの作品は吸血鬼の犠牲となった美少年の姉が過去を語っていくという形をとるが、その姉の名前は”Carmela”カメアラという。無論”Carmilla”カーミラと非常に似ている。舞台が同じオーストリア・スティリア地方だということ、男と女の違いはあるが同性愛を取り扱っているというのが、インスパイアというより剽窃に近いと思われたのだろう。
一般に吸血鬼伝説の舞台とされておりますのは、スティリア地方でございますが、
「夜ごとの調べ」はこの一文から始まっている。この一文は吸血鬼の歴史を見るうえで重要だろう。この書き方を信じるのならば、当時はオーストリアが吸血鬼の本場であったということになる。もちろん、色んな裏付け調査は必要だから断定はできない。カーミラの人気に乗っかっただけの可能性もある。実はブラム・ストーカーも最初は敬愛する先輩の小説にならって、ドラキュラの舞台をオーストリアのスティリア地方にしようと考えていた。だがルーマニアのヴラド三世のことを知って、舞台をルーマニアに変更した経緯がある。ストーカーが心変わりしなければ、吸血鬼の本場は今頃オーストリアになっていたのかもしれない。
さてポリドリの「吸血鬼」はゲイとかバイセクシュアルな作品だと言われているが、個人的にはそうは感じなかった。だがこの作品はあからさまにゲイセクシュアルに思えた作品だ。吸血鬼の犠牲となった弟ガブリルだが、当然美少年という設定だ。ガブリルは動物に対する特殊能力があって、それは獣は彼に寄り付き、鳥は肩にとまるほどなつく。森にいけばハリネズミ、子ぎつね、野ウサギ、マーモットといった動物がガブリルの周りを取り囲む。しまいには、その動物たちを連れて帰ってきて飼うと言ってきかない……
…
……
………
これ、明らかにステンボック伯爵自己投影してんじゃねーか!!
オ〇ニー小説やんけ!
とまあこうしたことが見え透いたから、評価が低かったのだと思われる。一応この作品じゃなくてこの作品が収録された「死の研究」自体を褒める人はいた。その人とは、あのH.P.ラヴクラフトである。(参考サイト)
評価は低かっただろうが、元祖ボーイズラブ吸血鬼小説と思えば、価値はあるだろう。腐女子の方は一度はご覧になるべきかと思う。(おじさまと美少年ってBLに入るのですかね?)
1897年 ラドヤード・キプリング「吸血鬼」(原題"The Vampire")
吸血鬼解説本「ハリウッド・ゴシック」にキプリングの吸血鬼の全訳が紹介されている。吸血鬼の解説本なのでそちらに興味がある人もぜひ手に取ってみて欲しい。
ポリドリの甥っ子、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはラファエル前派と呼ばれる画家集団だったが、同じラファエル前派の画家で、ロセッティに一時師事していたエドワード・バーン=ジョーンズという有名な画家がいる。バーン=ジョーンズと言えば、通常このエドワードを指す。そのエドワードの息子フィリップは、1897年に「吸血鬼」という女性の絵を描いた。これはファム・ファタールな吸血鬼だ。その絵を元に詩を創ったものが現れた。それがフィリップの従兄弟に当たるラドヤード・キプリングである。奇しくも吸血鬼ドラキュラが作られた同年に、一方は現在の吸血鬼のスタンダードを、もう一方はファム・ファタール系の吸血鬼作品を生み出した。さらに奇妙なことは、バーン=ジョーンズ家とブラム・ストーカーは家族ぐるみでお付き合いがあり、しかも父エドワードは、ストーカーの妻フローレンス・ストーカーをモデルにラフスケッチまで残していたりと、何かと吸血鬼絡みで奇妙な縁がある。
キプリングはイギリスで最初のノーベル文学賞受賞者で、日本にも二度ほど来日している。そして鎌倉の大仏に関する詩を残していたりと、何かと日本に縁のある人物だったりする。
キプリングの「吸血鬼」はアメリカに渡り、幾度となく劇、映画が作られた。1910年から20年代は、アメリカにおいて吸血鬼とは、ドラキュラよりもキプリングの作品を発端とするファム・ファタールのイメージが強かったように思われる。そのあたりのことに関しては以前の記事で紹介しているので、詳しくはそちらを見て欲しい。ポリドリの「吸血鬼」の解説でも少し紹介する予定だ。 www.vampire-load-ruthven.com www.vampire-load-ruthven.com
1897年 フローレンス・マリエット「吸血鬼の血」
(原題”The Blood of the Vampire”)
英語原著 kindle版
The Blood of the Vampire 英語wikipedia記事
ドリス・V・サザーランドさんによる解説記事 womenwriteaboutcomics.com
ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」と同じ年に出版された吸血鬼小説。英語wikipediaにも専用の記事が作られているほどではあるが、日本では一切紹介されたことがない小説。サザーランドさんも「ドラキュラの忘れられた妹」という題名でこの作品を紹介していることから、wikipedia記事があるとはいえ、これも本国ですらあまり有名ではないようだ。ドラキュラと同じ年度に作られた作品であるから批評家からは、ストーカーのドラキュラ、レ・ファニュのカーミラとともに、比較される作品だという。ちなみに、先ほどのキプリングの詩「吸血鬼」も同年に出版されているが、ファム・ファタール系女吸血鬼であること、アメリカに伝わってからは映画も作られ、ついにはセダ・バラ主演の映画「愚者ありき」が上映され日本にも多大なる影響を与えた作品と、こちらは独自の評価が固まっている。
ドラキュラと比較されるし、ドラキュラが出てきたからこの作品の出版を促した可能性もあると考えられているが、その内容は、今やスタンダードとなった「ドラキュラ」の影響の兆候はまるで示されていないとサザーランドは評価している。
内容について。両親がなくなったハリエット。幼少時のハリエットは、怠惰な奴隷に「おやつとして」鞭を打つなどしていた。そんなハリエットは両親の遺産を使い、新しい生活を始める。一人の女性はハリエットを不快に感じたが、マーガレットは好意的に思った。ところがハリエットの周りの人々が次々と亡くなる。とある男爵夫人からはハリエットは「黒い血(黒人の血かもしれない)」と「吸血鬼の血」の両方に呪われていると非難する。実はハリエットの父は医者であるが、反乱されるほど奴隷たちで実験していたようで、母はバルバドスの裁判官の奴隷の娘だった。ハリエットは吸血鬼の血とかまやかしだろうと言われて結婚するが、新婚旅行の時にその相手がしんでしまい、絶望からかクロラールを服用して自殺する。
解説記事を見ただけなので断言はできないが、どうも血は直接は吸わず、「吸血鬼の血」の呪いで人々を殺しているようだ。そしてジャマイカの黒人奴隷が出てくるので機械翻訳の「黒い血」は「黒人の血」という意味なのかもしれない。実際、人種差別もテーマとして含まれているようだ。
私が英語が読めず機械翻訳頼みであるので、中途半端な解説になってしまった。いずれ単独記事で解説予定なので、そこで新たに何かわかればその時に改めて紹介したい。
1897年 ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(原題"Dracula")
英語原著 プロジェクト・グーテンベルク
平井は全訳の前に抄訳「魔人ドラキュラ」もだしており、それが最初のドラキュラの翻訳なのだが、よほどのマニアでない限り必要はないだろう。他にも平井の後に翻訳した人がいるが、入手し辛いので紹介は割愛。手に入れやすいものに絞って紹介した。
今やヴァンパイアの意味で誤用する人が出てくるほど、吸血鬼のスタンダードとなった吸血鬼作品。だが辛辣な評論家は「ドラキュラはカーミラや吸血鬼ヴァーニーの影響を受けたに過ぎない」などと評することから分かるように、ドラキュラは吸血鬼作品としては後発も後発にしか過ぎない。吸血鬼のスタンダードになったが、原作のドラキュラは昼間普通に歩いている。日光が弱点になったのは映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」からである。
日本語訳は、なんといってもまずは平井訳だろう。2014年までは、実質これしか手に入らなかったようなものだ。平井訳は他の訳とは違い時代がかった喋り口調が特徴だが、それがヴィクトリア朝時代の雰囲気を醸し出していると感じた。他にも平井訳の方が味があるので、これが一番好きという人も結構見かける。だが平井訳は賛も多いが否も多く、貶す人は徹底的に貶す。というのも平井訳は、誤訳や翻訳漏れが結構あるからだ。翻訳漏れに関しては当時の日本人には分かりづらいから意図的に省かれたものもあるが、単純な脱漏も勿論あるようだ。分かり易い誤訳の例は、吸血鬼は流水を渡れないというもの。吸血鬼は流水を渡ることができないというのは有名な弱点だが、平井は「スイスイと渡ることができる」と訳してしまっている。これを筆頭に色んな誤訳があるので、誤訳絶対に許さないマン翻訳の正確性を重視する神経質な人からの評判は非常に悪い。昔、個人掲示板で、誤訳に関してそれはもうクソミソに批判しているのを見かけたことがある。ただ気持ちは分からないでもない。ストーリーに関わる肝心なことも翻訳漏れしていたからだ。このように、翻訳の正確性を重視する人にはお勧めできない。それに本に読みなれていない人は、平井訳は慣れるまでに嫌になってしまうだろう。なので本を読むということに慣れていない人は、現代的な言葉遣いの田内訳の方がいい。ただ平井訳は巻末にて吸血鬼の解説をしている。そこには「ポリドリの吸血鬼」が最初の吸血鬼小説であること、ドラキュラより古い作品に吸血鬼ヴァーニーという作品があることなどを解説している。私は度々ポリドリの「吸血鬼」は常識と言ってきたが、その理由の一つが「ドラキュラ」の巻末解説で解説しているからである。2014年の田内訳がでるまでは実質これしかドラキュラの翻訳はなかったので、ポリドリの吸血鬼を知らない人は、吸血鬼の基本であるドラキュラを読んでいない可能性が高いと判断できたからだ。現にまとめサイトのコメントでしたり顔で吸血鬼に語っている人は、大半がドラキュラすら読んでいないことが伺える。だが私の動画のコメントを見ると、本文は読んだけど巻末解説までは読まないと言う人が結構いたので、安易な断定はよくないと反省させられた次第である。
平井は日本人には分かりづらい箇所は省いたので、新妻昭彦 丹治愛による翻訳が初の完訳と言っていいだろう。2000年に発売されたが、これは中古すら非常に入手し辛い。だがこれはドラキュラに関する研究解説本も兼ねている。吸血鬼の歴史を追っていきたい人は難しいが、入手するといいだろう。
新紀元社「幻想と怪奇3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ」の中の「これで怖くなかったら木戸銭はお返しする 平井呈一訳ドラキュラ考」では、平井は最初に抄訳したとき、タイトル何故を「魔人ドラキュラ」としたのか、その考察が展開されているので、気になる人はご覧になってみるといいだろう。
田内訳は一番最近に発売されたので入手しやすい。電子書籍版もあるので電子書籍として読みたい場合はこれ一択となる。言葉遣いも平井よりは現代的なので、本自体を読みなれていない人もこれがおすすめ。
以上、ドラキュラ(1897年)以前の文学作品を紹介した。簡単な解説しかしていないが、吸血鬼という存在が主に文学によって徐々に形作られていったことが、何となくお分かりになられたかと思う。だが吸血鬼の形成の歴史を追うには、文学作品だけでは足りない。劇、オペラなどの作品も見ていく必要がある。冒頭でも説明したが、吸血鬼小説の契機となったのが1819年のポリドリの「吸血鬼」で、これはヨーロッパ中で大ヒット。特にフランスでは大人気となり、すぐにあちこちで吸血鬼の劇が作られた。ポリドリの物語ベースのものもあれば、オリジナルの吸血鬼劇もあったようだ。ポリドリの小説の劇から、さらにオペラ、バレエまで作られている。このように吸血鬼の歴史を追うには文学作品だけでなく、劇、オペラ、バレエなんかの作品なんかも見ていかないと、本当の意味での当時の吸血鬼観というものは分からないだろう。当然こうした劇は歴史に残らなかったものが大半だ。吸血鬼に一番影響を及ぼした文学の方でも、今回紹介したものが全てでないこと、大半は歴史上に残らなかったものばかり。だが例えば、これまで作者不詳と考えらえていた1860年の「謎の男」。日本では未だに作者不詳となっているし、正しい出版日が分かったのは、なんと2017年であったりと、未だに新発見があるぐらいだ。歴史上から忘れ去られてしまった作品が大半とはいえ、それでも日本では一切紹介されたことがない作品というのも、まだまだある。日本で紹介される吸血鬼作品は、実はほんの一部であることが、分かって頂けたかと思う。今回紹介したサザーランドさんの吸血鬼解説記事から分かるように、当然ながら海外の方が吸血鬼情報は充実しており、日本における吸血鬼情報は一部しか伝わっていない。そして吸血鬼の歴史の研究は、そのまま海外文学の研究であるということが、お分かりになって頂けたかと思う。英語は出来て当然、そこからフランス文学なのか、ドイツ文学なのか、英文学なのか、どれか専攻を決めて研究しなければならない存在なのである。そして文学以外にも、劇、オペラといった作品にも目を向けていく必要がある。日本で吸血鬼研究を行うのは、不可能とまでは言わないが、非常にハードルが高いことには間違いない。
私は何度も「日光が平気な吸血鬼はおかしい」「弱点のない吸血鬼はありえない」などと言う人を吸血鬼にわかと断じてきたが、その理由が今回の紹介で何となくわかって頂けたかと思う。吸血鬼の歴史を見ていけば、我々がよく知る吸血鬼とは、後発作品による後付け設定であることが分かる。吸血鬼の創作をしている方は、ぜひ気にせず「自分が考えた吸血鬼」を発表していかれるとよいでしょう。
非常に長い紹介となりました。ただ紹介するよりも簡単な紹介をしておいた方が参考になるだろうと思い解説を入れましたが、ちりも積もって膨大な文字量となってしまいました。もっとスマートなやり方はあったでしょうが、私の技量ではこれが限界です。ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。何度も見直しましたが、それでも誤字脱字がありましたら大変申し訳ありません。次回からは最初の吸血鬼小説、ジョン・ポリドリ「吸血鬼」が作られた経緯を解説していきます。
この記事は2019年12月31日にニコニコの「ブロマガ」で投稿した記事です。そこから新発見などがあり、加筆訂正した記事となります。元記事は下記アーカイブからご覧ください。 web.archive.org
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次の記事➡最初の吸血鬼小説の作者ジョン・ポリドリと詩人バイロン卿、その運命の出会い
*1:種村季弘「吸血鬼幻想」:薔薇十字社(1970) p.135 河出文庫版(1983) pp.177-178
*2:「吸血鬼ドラキュラ」:新妻昭彦、丹治愛・訳・注釈/水声社(2000) p.402
*3:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 p.78
*4:アト・ド・フリース「イメージシンボル事典」:翻訳多数/大修館書店(1984) pp.581-582
*5:当然、「ある」という証明はできても「ない」という証明はできない。
*6:ハンス・エッセルボルン「吸血鬼バラードとしての『コリントの花嫁』」
2006年2006巻28号 p.94 J-STAGE公開日: 2010/02/26
*7:コールリッジの「クリスタベル」における現実と夢幻
野中 美賀子 奈良女子大学大学院人間文化研究科
*11:あくまでサウジー(キリスト教)によるイスラム教の解説であること、当時のイスラム教の解説であるので、現代のイスラム教とは違う可能性もあることを念頭に入れて頂きたい。
*12:19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 p.67
*13:「吸血鬼の事典」 p.62
*14:以前は14000円の値がついていたが、この記事を書いている時点では8900円だった。ちなみに私は数年前に9千円ほどで中古を購入した
*15:萩原學「ジョン・スタッグ:吸血鬼 The Vampyre, by John Stagg (1810)」より
*16:「ゴシック名訳集成」 p.128
ちなみに佐藤は平井種一くんと、平井呈一の名前を間違ってしまっている。
*17:「幻想と怪奇3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ」:新紀元社(2020) p.66
*18:「ドラキュラドラキュラ」 p.246
*19:ポリドリの「吸血鬼」はあからさまに断章を剽窃した(と思われても仕方がない)シーンがある。詳細は今後の記事で詳しく紹介する。
*20:そのあたりをソース付きで紹介していたブログがあったのだが、ヤフーブログだったため消失。ブックマークもし忘れていた。だが英語で検索してみたら、確かにそのようなことを書くサイトがあった。
*21:テュアナはティアナになったりと、日本語は表記揺れしている
*22:「吸血鬼幻想」河出文庫版 p.172
*23:「ドラキュラ文学館 吸血鬼小説大全 (別冊幻想文学 7)」:東雅夫・編/幻想文学出版局(1993) p.48
*24:「吸血鬼幻想」河出文庫版 pp.68-69
*25:「吸血鬼幻想」河出文庫版 pp.68-69
*26:ラウシュニクの『死人花嫁』 森口大地 pp.14-15
*27:ラウシュニクの「死人花嫁」は"Die Totenbraut"、幽霊本に収録されている「死人花嫁」は”Die Todtenbraut”と、微妙にスペルが違う。Google翻訳だと前者が「死者の花嫁」、後者は「死の花嫁」と訳す。
*28:ドイツ語wikipedia「セラピオンの兄弟」の記事より。ちなみにシプリアン=シャミッソーを紹介しているのは日本語の書籍では見当たらず、ドイツ語wikipediaを見て初めて知った。
*29:ノディエのメロドラマ『吸血鬼』:「狂熱派」演劇の一側面
関西学院大学 藤田 友尚
*30:小説でなく詩も含めれば、最初の女吸血鬼が出てきた作品は、前述したようにゲーテの「コリントの花嫁」となる。
*31:刊行当時は芥川の学友であった久米正雄の名で刊行された。今は芥川龍之介本人による翻訳であることが断定され、青空文庫などでは芥川訳として収録されている。
*32:谷崎が芥川訳をベースにしたというのは、確固たる証拠はない。だが、芥川訳の単純な誤訳が踏襲されているので、極めて可能性が高い。青空文庫で読める芥川訳はその単純な誤訳が修正されているので、比較するのであれば当時の刊行物で比較しなければならない。刊行当時は久米正雄名義である。
*33:「吸血鬼の事典」pp.195-196,p.334
*34:Crawford,Heide The Origins of the Literary Vampire (English Edition) Kindle版 No.2239-2246
*35:クロフォードによる「謎の男」紹介、クリックでグーグルブックスのサンプルページに移動
*36:「吸血鬼の事典」 p.264
*37:4巻、5巻はなぜかPOD対象ではなく、アメリカ本国から送付されるのを待たなければならない。
*38:現在では吸血鬼に血を吸われると吸血鬼化するというのがスタンダードだが、この作品における吸血鬼化は結構複雑な過程が必要みだ。詳しくは吸血鬼ヴァーニーの解説記事で行う予定
*39:現在はサンプルが閲覧できなくなった。当時の文章はGoogle翻訳のリンクに残っているのでそちらを参照してほしい。
*40:「吸血鬼(ポリドリ)」 日本語wikipedia
*41:「吸血鬼の事典」 p.336
*42:「吸血鬼の事典」 pp.44-45
*43:「女吸血鬼カーミラ」:長井那智子・訳 p.165
*44:先ほどのフェバールの「吸血鬼」の記事だと、フェバールによる3つの吸血鬼小説というような紹介がなされている。
*45:ちなみに日本語wikipedia「食人木」の記事では、1881年にSouth Australian Register誌に載ったとあるが、1874年が正しいだろう。
*46:平井呈一訳の邦題は「血こそ命なれば」
*47:『英-仏 モーパッサン短編選集』:ハーン英訳/佐竹龍照・内田英一・訳注/大学書林/1988年 ※入手困難