吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

MENU

当ブログを参考にした漫画「ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して」の紹介とレビュー

 年末に嬉しい連絡がありました。とある方から、当ブログとニコニコ動画の内容を参考にした漫画が、商業誌の受賞作品に選ばれたとの嬉しいご報告を頂きました。もちろん、私のブログ以外にも様々なものをご参照されておりますが、商業誌の受賞作品の一助になれたことは、吸血鬼の啓蒙活動を続けてきた甲斐があったと思った瞬間でした。拝読させて頂きましたが、非常に設定が上手く、面白い作品でした。作者様により無料公開されていることもあり、当ブログをご覧になるような、吸血鬼にご興味がある方はぜひ読んで頂きたい作品でした。今回はその漫画を紹介と、個人的な感想も述べていきます。なお、今回一部紙面を公開しておりますが、作者様を通じて出版社様からも問題無いとの承諾を得て掲載しております。



漫画「ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して」のあらすじ

河野硝一作「ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して」


 今回ご紹介するのは、河野硝一様による「ペニー・フィクションで吸血鬼を殺して」というマンガです。こちらはヤングアニマルの『YA NEXT漫画賞 奨励賞』を受賞されました。ただ残念なことに、本誌での掲載はないとのこと。でもその代わりに、公開は可能ということで作者様により、Twitterとpixivで公開されております。



www.pixiv.net


 この物語の舞台は19世紀のイギリス。当時、若者に絶大な人気を誇るも、大人からは「教育によくない」と敵視されていた「ペニー・ドレッドフル」と呼ばれた、独特の販売方式の週刊連載文学を背景とした物語です。


あらすじ

舞台は1860年代(とある描写から、1860年代であることが分かります。後程説明)の、産業革命による発展が著しいロンドン。大量印刷が可能となり、圧倒的な人口をほこる労働者階級の者たちは、独特の販売方式の小説「ペニー・ドレッドフル」に熱狂していた。毎週一話ずつ刊行される、エロ・グロ・ホラー・ゴシップなどのアンモラルな物語が、大衆に人気を博した。だが主人公のアル(アルバート)は、そんな流行に逆らい、「愛、希望、平和」な物語で一旗揚げようとするも、出版社からは売れ筋の「欲望、暴力、絶望」の物語を持ってこいと一蹴されてしまう。アルは自分の信念を貫きたいが、かといってこのままでは食べてはいけない。そう悩んでいるときに、逃げる若い女と、その後を追いかけるとガラの悪い男たちと遭遇する。先ほどの編集の言葉もあり気になったアルは、連中を追いかける。路地裏までいくとそこには、血だらけになって倒れた男たちと、腹を刺されたにも関わらず平然とする女。アルはその異様な光景に吐いてしまう。そしてなぜ刺されても平気なのかと聞くと、「私の名はメノ、吸血鬼だから死なない」と答える。そして驚いたアルがばらまいた原稿を見てアルがライターであることを知った女吸血鬼メノは「吸血鬼であることにつかれたから、せめて物語の中で死にたい、だから吸血鬼を殺す物語を書いて欲しい」とアルに依頼する。吸血鬼が吸血鬼であることを嫌がるその葛藤は実に面白く、美しい物語が書けるに違いないと思ったアルは了承する。だがメノは、美しい物語では駄目だ、あくまで性的で暴力的で恐怖物語(ドレッドフル)な物語を書いてもらうことに拘る。ここでもドレッドフルを求められたことに腹を立てたアルは、自身が書いた美しい物語で目に物を見せてやると宣言する―――


売れないハック・ライター志望のアル


という感じで進むお話です。これ以上は読んでいただいた方が早いでしょう。長々と説明してまいましたが。漫画では物語の根幹にかかわる「ペニー・ドレッドフル」というものについて知らない人向けに説明が必要だと思ったために長くなりました。でも実際の漫画ではドレッドフルについて簡素に説明があるので、事前知識がなくとも理解できるように描写されています。ですが物語の背景を理解する上ではもっと詳しく知った方がいいことには違いありません。


このペニー・ドレッドフルは私のニコニコ動画では解説しているのですが、このブログではまだ詳しく解説しておらず、動画作成の際の参考文献一覧を紹介するにとどまっております。ですが河野様は有難いことにそれらを参照して、今回漫画を作成されました。その動画と参考文献一覧は下記の通りです。



ペニー・ドレッドフルに関する典拠*1
www.vampire-load-ruthven.com

ペニー・ドレッドフルに関して手軽にお知りになりたい場合は、今では日本語のwikipediaに記事があります(当時はなかった)。さらに詳しく知りたい場合は実践女子大学・土屋結城准教授の論文か、入手が難しいですが荒俣宏氏の解説がまとまっていて分かり易いです。


ja.wikipedia.org


cir.nii.ac.jp

・紀田順一郎・編『ゴシック幻想』書苑新社/1997年
 紀田順一郎・編『出口なき迷宮』 牧神社/1975年を改題して出版したもの。
 また今回参考にした個所は、荒俣宏『空想文学千一夜 いつか魔法のとけるまで』工作舎/1995年に全く同じ内容のものが収録されている。PD流行の流れは、個人的にはこれが一番分かりやすい。


ペニー・ドレッドフルとは?

ということでペニー・ドレッドフルをご存知でない方向けに、できるだけ簡素に説明していきます。


ぺ二ー・ドレッドフルは19世紀イギリスで生まれた小説の販売方式で、非常に乱暴な例えをすれば「週刊少年ライトノベル」「週刊ヤングライトノベル」といったものでしょう。但し単一の作品を週刊販売していました。この例えで分かるように、対象は主に若い青少年で、19世紀中期以降はとくにそうだったようです。余談ですが、後の1900年代のアメリカで流行した大衆向け雑誌のパルプ・マガジンは、ペニー・ドレッドフル系統の雑誌と言われています。


産業革命以前、アメリカではただ当然のパルプが手に入ったが、イギリスではそうはいかず、本というものは当時とても高価なもので、金持ちか貸本屋が買うものでした。そして庶民は移動図書館、巡回図書館と呼ばれる制度で本を借りていました。ところが産業革命後、労働者階級と呼ばれる下層民の識字率の向上により、教養がない層にむけた大衆文学という需要が出てくるようになります。そうなると当然、下層民にも本を売ることができれば利益になると考える、先見の明がある出版社が出てくるようになります。産業革命により技術も追いつき、粗雑な紙の大量生産と、組版・製本の技術の向上により、そうした需要に応えられるようになったことが、ペニー・ドレッドフルが生まれるきっかけとなります。


そうして先行した週刊誌の売り上げ傾向から、当時の下層民はジャーナリズムよりも、フィクションを大いに好む傾向があることが分かってきます。そしてついに、フィクションをたった1ペニーで週刊販売するというペニー・ドレッドフル(1ペニーの恐怖物語)という販売方式が生まれることになりました。当時本の価格は1.5ギニーほどで、これは約360ペンスにもなり、しかも通常は3巻に分けて販売するスリー・デッカー*2と呼ばれる方式で販売されていました。当然、労働者階級にはおいそれと購入することはできません。それがたった1ペニーで買えるわけですから、当時としては非常に革新的でした。それでも買うのが難しい層も一定数おり、そうした者たちは代表で誰かが購入し、回し読みをするということもしていたとされます。日本の中学生が少年ジャンプを回し読みをするという構造と非常によく似ています(今は電子版もあるから回し読み文化ってあるのかな?)


ペニー・ドレッドフル(以下、PD)単一の作品を週刊販売していたもので、この名は自然とつきました。他にもペニー・ブラッド、ブラッド・アンド・サンダーズの他、批判的な呼び方として「penny horrible」「penny awful」などの呼称もありました。当時、これらの呼び方の線引きは曖昧であったそうですが、先ほどの実践女子大学の土屋准教授の論文によれば、1830~50年代に発行された、比較的大人向けの物をペニー・ブラッド1860年以降に主に男児を対象として発行されたものをペニー・ドレッドフルと、大まかに区別しているということです。ペニー・ブラッドの例が、今後解説予定の吸血鬼ヴァーニーとなります。そして1860年代、当時の男児に非常に人気を博したのペニー・ドレッドフルの例が、当時のイギリスの都市伝説として世間を賑わせた「バネ足ジャック」の物語です。


PDは出版社にとっても革新的なものでした。売上が悪ければ、1か月足らずでさっさと打ち切り、逆に人気が出た作品は吸血鬼ヴァーニーのように2年間も連載させるなどして、出版社は人気作をどんどん生み出し、巨大な利益をあげていきました。アンケート至上主義の「少年ジャンプ方式」が、すでに19世紀のイギリスで生まれていたのです。こうした少年ジャンプ方式は、出版と言う業態の上では実に合理的であると言えるでしょう。最盛期にはPDの出版社は100社以上もあったというから、当たれば大きかったことが伺えます。


さてPDはとにかく「数うちゃあたる戦法」でした。なのできちんと文章を練って書く人よりも、とにかく筆が早い人の方が重宝されました。こうした作家はハック・ライターと呼ばれ、やや軽蔑的な職業に思われていました。三文文士という日本語訳も一応あります。ハック・ライターは、一文字あたりか文章一行あたりで原稿料が決まっていました。なので吸血鬼ヴァーニーの作者候補の一人、ジェイムズ・マルコム・ライマーのように連載を掛け持ちする人もいたようです。そうすると当然、一人ではアイデアも枯渇してくるので、剽窃(パクリ)も横行したといいます。大衆に人気のあったチャールズ・ディケンズはとくに剽窃の被害に遭った一人であり、裁判を起こしたこともありました。その様子はディケンズの生涯を描いた映画「メリー・クリスマス!ロンドンに奇跡を起こした男」でも描写されています*3。上手くやって一財産を築く人もいれば、当然売れない人もいました。その際たる例が先ほども例にした「吸血鬼ヴァーニー」です。ヴァーニーには作者候補が二人居り、一人はトマス・プレスケット・プレスト、もう一人はジェイムズ・マルコム・ライマーだとされています*4。両者ともにエドワード・ロイド社が誇るドル箱ハック・ライターでした。ライマーはエドワード・ロイド社を離れた後もとにかく書きまくり、子孫に8000ポンドの資産を残したとされます。一方のプレストは悲惨な末路を遂げました。晩年はほとんど一文なしとなり、ロンドンの安下宿で野たれ死んだと伝わっています。このように吸血鬼ヴァーニーの作者候補二人が、ハック・ライターの一番の成功例と一番の失敗例となっています。


PDの主な対象は教養のない労働者階級だったので、全体の傾向としてエロ・グロが求められたようです。吸血鬼ヴァーニーなんかもそうで、エロ・グロといっても今の基準では大したことありませんが、当時はまるで強姦シーンを見ているかのような興奮を与えたとも伝えられています。エロ・グロを好むのは今も昔も変わらないと言うことが伺えます。


青少年向けの物語がエロ・グロを推しているということで、PDは当時の大人たちからは目の敵にされました。少年犯罪を助長するという意見もあれば、個人的には気に入らないが、だからと言ってPDと少年犯罪に相関関係はない、PDで犯罪者が増えるのなら、サー・ウォルター・スコットの作品ですでに犯罪者が増えてもおかしくはない、といった感じの慎重論を唱える人も、当時からすでにいたことが分かっています。日本においても、貸本屋が少年の教育によくないと言われた時期があり、今でも残酷な漫画やゲームが定期的に敵視されています。こうした青少年向けのサブカルチャーが親たちから目の仇にされるのは、昔からあったことが伺えます。先ほどハック・ライターは軽蔑的に思われていたとありましたが、パクリ上等、エロ・グロも上等で青少年の教育によくないとくれば、軽蔑的に思われるのも仕方がなかったと言えます。


長々と説明してしまいましたが、河野様の今回の漫画は「19世紀イギリスで大流行したペニー・ドレッドフル」を背景に、主人公アルと吸血鬼メノの交流を描いた漫画となります。果たしてペニードレッドフルを書かずして、メノを"殺す"ことができるのか。それはぜひ本編をご覧になって確かめてみて下さい。


感想:実に"ペニー・ドレッドフル"的な作品

ここでは実際読んでみた私の感想を述べていきます。当然ネタバレしていくので、気になる方は先に漫画の方をぜひご覧ください。ちなみに「吸血鬼ヴァーニー」のラストのネタバレもあるので注意。


冒頭はペニー・ドレッドフルの説明から。非常に簡単な説明ですが、PDを知る上で必要な情報は揃っており、またPDを題材にした物語であるということが、知らない人にも伝わってくると思います。そして主人公のアルは、エロ・グロ・恐怖が主流の中、逆行する物語書こうとしているのが、実に印象的です。この主人公の設定は創作ならではですが、当時もあえて売れない路線の物語を書こうとしたハック・ライターもいたのかもしれない、そう思わせることができたのも河野さんがPDというものをよくご理解されているからこそできたものだと思います。細かい所では、アルとすれ違った少年たちが「今週のジャックやばっ!」と言っているシーン。これは間違いなく当時英国を騒がせた都市伝説「バネ足ジャック」のことです。バネ足ジャックは都市伝説として話題になりましたが、その話題が広まった要因の一つとしてペニー・ドレッドフルでバネ足ジャックが連載されていたことも大きな要因となっていました。このことから舞台は1860年代であることが伺えます。何気ないシーンではあるのですが、知っている人には「にやり」とさせられるシーンとなっています。

三大ペニー・ドレッドフルの実物


上記が本物のペニー・ドレッドフルの画像で、上段が連続殺人理容師のスウイーニー・トッド*5、下段右が吸血鬼ヴァーニー、下段真ん中と左がバネ足ジャックの実物画像です。


メルが「吸血鬼であることに疲れたから、せめて物語の中で殺して欲しい」と依頼するシーン。この吸血鬼とペニー・ドレッドフルがメインテーマとなっているこの漫画でこのセリフは、私は真っ先に「吸血鬼ヴァーニー」を想起しました。何度も説明したように、「吸血鬼ヴァーニー」はペニー・ドレッドフルで連載されていた吸血鬼小説です。この漫画の主題は当然「吸血鬼」と「ペニー・ドレッドフル」、となれば当然、ヴァーニーが真っ先に想起します。だがヴァーニーを想起するのはこれだけが理由ではありません。吸血鬼ヴァーニーは研究者や評論家から「(人間に)同情的な吸血鬼を描いた最初の吸血鬼物語」という評価を得ています。どういうことかと言うと、吸血鬼ヴァーニーは作中何度も死にますが、その度に月光を浴びて復活するということ繰り返します。そして自身が吸血鬼として恐れられることにつかれたヴァーニーは二度と月光を浴びれぬよう、ヴェスヴィオ火山に投身自殺を行うことで、最終回を迎えます。


「ペニー・ドレッドフル」の「吸血鬼物語」に加えて「吸血鬼が死にたがっている」、これはもうPD作品で当時人気を博したとされる吸血鬼ヴァーニーを想起せざるを得ません。こうした「吸血鬼ヴァーニーのオマージュ」を感じさせる描写が、19世イギリスのペニー・ドレッドフルをテーマにした漫画であると思わされた瞬間でした。


さてなんやかんやあってアルは吸血鬼の物語の執筆を始めるが、信念に従いあくまでも「恐怖物語」でなく「美しい物語」を書いていく。父から「理想に逃げる者がなせるほど現実は甘くない、お前に事業(作家)はできやしない」という否定の言葉が脳内に響く。アルは幾度となく父から、作家として否定され続けていたことが伺えます。


そうして一先ず完成した原稿を見せるべくメノを訪ねるアル。何故か床に寝ているメノ。「ドレッドフルを書け」と言った時は凄んでいたのに、寝顔はかわいいんだなと思うアル。そして原稿を見せる。「これは現実(私)ではない。愛だのなんだの鼻につく。こんなに私を綺麗に書いて、恋文かと思うじゃない」と言われて、思わず顔を赤らめてしまうアル。先ほどの寝顔を見たシーンも相まって、アルがメノに恋心を持ったとわかります。


メノに酷評された原稿は、出版社でも「まだお前は現実から目をそらすのか」と入れます。さらには「ここ(PD)は、100社が蠢く剽窃上等の無法地帯。より過激に大衆を扇情して、1ペニーでも多く払わせる場所、ここはそうなってしまった、お前には向いていない」と、もはや最後通牒と言わんばかりに突き放されてしまします。上記で解説したように、当時のPD市場は最盛期には100社以上あったこと、剽窃の横行、とくにチャールズ・ディケンズがその被害にあったことは、上記で説明した通りです。このように史実をうまく織り交ぜるられており、またアルの作風が市場では受け入れられないことをうまく描写しているシーンとなっています。


こうして自信を無くしたアルはメノにその事実を伝えると、メノからも「私は汚れている、綺麗じゃない」と言われ、押し問答の末、二度と来なくていいとメノはアルを突き放します。それでもあきらめきれないアルは再度メルのところを訪れる。するとそこには、服を少しはだけたメノと、貴族らしき中年の男が抱き合おうとしている場面を見てしまう。当然売春であろうことは予想され、ショックを受けるアル。ところが中年の男は予想外の行動にでます。なんと中年の男の方がメノに噛みつき、血を飲み始めたのです。そう、この作品における吸血鬼とは「(不老不死信仰の人間に)血を飲まれる側」だったのです。これを見たアルは衝撃のあまり嘔吐してしまいます。


ここの描写がこの漫画において一番感嘆したシーンでした。解説の項目でも説明したように、ペニー・ドレッドフル、特に吸血鬼ヴァーニーは、現代の基準では大したことはないものの、当時は「まるで強姦シーンのような興奮を読者に与えた」と評価されています。なのでここの「NTRされたわけではないのに、まるでNTRされたかのように脳みそを破壊されたアル」の様子*6、肌を晒しながらメノの「諦めて受け入れてずっと冒されてきた私を」というセリフは、まさにペニー・ドレッドフル的なNTR・性的な描写だと言え、ペニー・ドレッドフルを主題とした漫画の表現として、これ以上のない描写だと思った瞬間でした。


吸血鬼とは強欲な人間が不老不死のために、寧ろその血を搾取される側という存在でした。民間伝承・土着信仰を利用して、メノのような長寿の亜人は、ずっと公的に搾取されていたことがメノの口から明かされます。そしてそのラストは、吸血鬼を物語の中で殺すことを誓いあうという、なんとも綺麗な終わり方でした。そして今後彼らの歩む道は、アルは果たしてハック・ライターとして成功するのか、色々と想像を掻き立てられる読後感でした。この作品簡単に表すとすれば、「ペニー・ドレッドフル的な、だが実に美しい物語」となります。


もう非常に面白かった作品ですが、気になるところもありました。それは抵抗できるはずなのに、なぜか嫌々ながら中年男に血を吸われていたのかです。最初にアルとメノがあったとき、メノは複数の男たちをボコボコにして気絶させていたが、この男たちは最後の方で中年男の馭者であることが判明します。なぜ中年男には血を吸わせて、その下っ端たちには血を飲ませなかったか、そのあたりの事情と背景が読み取れませんでした。刃物持った男2人でも余裕で気絶させることができるし、メノ自身も馭者に「もう一度地面舐めたくなければ、馬車を走らせなさい」と言ってるぐらいです。中年男なぞ一ひねりできるはずなのに、なぜか嫌々ながら血を吸われていたのか。中年男には血を吸わせておいて、なぜその下っ端には血を吸わせたくなかったのか。恐らくお金の為と、不必要な人間には吸わせたくなかったということだろうとは思います。


私は実際に読んだPD作品は「人狼ヴァグナー」ぐらいのもので、PDに関する知識は、あくまで論文や評論で仕入れたものになります。そんな私がこの作品に持った印象はとくにかく、実に「ペニー・ドレッドフル的」だということです。「吸血鬼なのに死にたがる」というのは当時PDで一番人気を博したとされる「吸血鬼ヴァーニー」を彷彿とさせます。直接的ではない暗喩的な性的描写も、実にペニー・ドレッドフル的でした。河野さんがPDというものをよく理解され、それを作品に落とし込んだことがいるところで伺えました。


そして吸血鬼とはむしろ搾取される側というのも、なかなか斬新な設定で面白かったです。多くの日本人にはなじみのないぺ二ー・ドレッドフルを背景として、人間と人間に搾取される側の吸血鬼が織りなすヒューマンドラ、その発想も物語自体も非常に面白くて楽しませて頂きました。ペニー・ドレッドフルを題材にしようなぞ(しかもPDに馴染みのない日本人が)、よく思いついたと驚くしかありません。河野様もTwitterで仰っていますが、史実を知ったうえでエンタメに落とし込むことは、実に大変な作業だったそうです。その苦労が結実していることが伺えます。(ちなみに人狼ヴァグナーとは、エドワード・ロイド社と人気を二分した、ジョージ・W・M・レイノルズのペニー・ドレッドフル作品。レイノルズは出版業者でありながら自身も作家として活動した人。彼のPD作品「人狼ヴァグナー」は2021年に邦訳され、帯には荒俣宏により「1ペニー恐怖文庫(ドレッドフル)」と紹介されている)

www.kokusho.co.jp


今回、河野様はこうして私のブログや動画をご参考にされ、しかも商業誌で受賞されたということは、本当に嬉しいご報告でした。河野様よりお礼のお言葉を頂戴しましたが、私の方こそブログや動画を選んでいただいたことは嬉しく思い、感謝しかありません。この場をお借りしまして河野様には厚くお礼を申し上げます。当ブログや動画を参考にして頂きましてありがとうございました!


最後に河野さまが作品を作成する当たり、参照された文献一覧を紹介します。そして今回の私のペニー・ドレッドフルの解説で主要な文献は上記で既に紹介しています。ペニー・ドレッドフルについてもっと知りたい方は是非ご自身でも調べてみて下さい。
それともう一点。何度も話題にしたペニー・ドレッドフル作品の「吸血鬼ヴァーニー」ですが、なんと数日前に、ついに国書刊行会より邦訳化されることが発表されました!ヴァーニーはブラム・ストーカーのドラキュラにさえ影響を与えたと言われる作品。それがついに邦訳化されるときいて、もう私は感無量でした。何十年も前、荒俣宏と紀田順一郎氏がヴァーニー邦訳化を予定していたにも関わらず頓挫。国書刊行会時代の藤原編集室が企画を計画するも、余りにも売れなさそうということで自らお蔵入りにした。それが今回、ついに邦訳化されることとなりました。実はTwitter上で匂わせ発言をしている方がおり、その後新紀元社の「怪奇幻想の文学2 吸血鬼」(2022)で邦訳化が進行しているとアナウンスがあったのですが、やはりこうして邦訳化のニュースを聞いたときは、もう喜びでいっぱいでした。国書刊行会のサイトではすでに書影も公開されております。吸血鬼を語る上では外せない作品なので、皆様にもぜひ読んでいただきたい作品です。ヴァーニー書誌情報のリンクと、藤原編集室によるヴァーニー邦訳化計画の解説のリンクも貼っておきますので、こちらもぜひご覧になってみて下さい。


今回紹介した漫画の参考文献


過去の吸血鬼ヴァーニーの邦訳化頓挫の経緯など

国書刊行会 吸血鬼ヴァーニー刊行決定
www.kokusho.co.jp


【内容見本でみる国書刊行会 第3回】
国書刊行会 ドラキュラ叢書
没企画 吸血鬼ヴァーニー

上記3つはいずれも藤原編集室のサイトより


吸血鬼ヴァーニー刊行を知ったときの私の反応

*1:ニコニコのブロマガで作成した記事を移転させた記事となります。一部レイアウトなどに変なところがあるのはご容赦願います。

*2:他にも呼び方があり、トリプル・デッカー、スリー・ボリュームなどとも呼ばれます。

*3:ちなみにこの映画では、ディケンズは吸血鬼ヴァーニーに触発されてクリスマス・キャロルを書くことになります。ですがこれは本来あり得ない描写です。というのも、ディケンズがクリスマス・キャロルを出版したのは1843年。それに対して吸血鬼ヴァーニーが連載されたのは1845年です。本来ならありえませんが、ディケンズがこうしたゴシック・ロマンスに触発された事実は知られているので、映画ではあえてヴァーニーを出したのではないかと考察されています。

*4:今はほぼライマーでほぼ確定。出版社によっては、ライマーの名前しか出さない出版社もあるほど。だが1970年代以前は、作者はプレストだと思われていた。

*5:余談だが、スウィーニー・トッドの物語「真珠の糸」の作者だが、当初は吸血鬼ヴァーニーの作者候補の一人、トマス・プレスケットだとされていた。というか吸血鬼ヴァーニーの作者が当初プレスケットだとされていたとき、「真珠の糸」の作者であるプレストだろうというような言い方をされていた。後にライマーが有力視されることとなるが。ところが近年の研究により、この「真珠の糸」の作者もプレストでなくライマーであろうとされている。その証拠に「真珠の糸」も「吸血鬼ヴァーニー」も海外では多くの出版社が復刻版を出しているが、ライマーの名前しか表記しない出版社もあるぐらいだ。そもそもプレストとライマーは色んな作品で作者が混同されているようで、どちらが作者であるのか調査した論文もあったほどだ。機会があればいずれ紹介しようと思う。

*6:当ブログにはオタク特有のノリが分からない方も来訪されことがあるので補足を。寝取られとはエロ同人界隈で一定の人気があるジャンルで、彼女や幼馴染の女の子を、チャラ男が寝取ってしまうというものが一種のテンプレとなっており、NTRと表記します。そして想い人を寝取られて絶望する様子を「脳みそを破壊された」と表現します。