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闇の力②:スウェーデン語版「ドラキュラ」である"Powers of Darkness"は、作者の許可を得なかった海賊版だったことが判明


前回の記事
www.vampire-load-ruthven.com


 前回のアイスランド版ドラキュラ「闇の力」の解説記事からの続きとなる。前回説明したように、リチャード・ダルビーは1986年、1900年のアイスランド語版ドラキュラに1897年のオリジナルの英語版ドラキュラにはない作者ブラム・ストーカーの序文が付けられていたことを発見、当時の研究者やドラキュラファンを大いに驚かせた。なにせ研究者がずっと気が付かなかったし、内容をよく見るとオリジナルの英語版から大胆に改変されており、しかもストーカーが残した初期草稿からのシーンもあった、つまりストーカーによる大胆な改変・完全版ドラキュラかと思われたからだ。


 だが2017年に、アイスランド語版はスウェーデン語版から明らかに翻訳されたもの、しかも抄訳というか要約版ともいうべきものだったことが判明する。そしてそのスウェーデン語版ドラキュラは、ストーカーの許可を得ずして勝手に改変した海賊版である可能性が極めて高いことが、去年2021年に明らかにされた。今回はそのスウェーデン語版ドラキュラ「闇の力」、原語"Mörkrets makter"(マーケッツ・マクター)を解説していく。このスウェーデン語版に関する一連の流れも、前回のアイスランド版と同様、日本ではツイッターで少数の人が紹介するだけにとどまる。前回紹介したアイスランド語版ドラキュラが絡んでくるので、先にそちらをみてからご覧頂きたい。ニコニコ動画で先行して解説しているので、よろしければぜひそちらもご覧頂きたい。



スウェーデン語版ドラキュラの存在が明らかに

 1986年にリチャード・ダルビーによって存在が認識されたアイスランド版ドラキュラの発見当初は、初期草稿の痕跡が見られたことから、ストーカーの手による改訂版ではないかと思われた。ただプロットを羅列したかのような内容であったため、オリジナルから要約しつつアレンジしたものではないかと思われていた。だが全文に飛びついて本格的な研究をする人はずっとおらず、2014年になってようやくハンス・デ・ルースにより、詳細な研究報告がなされた。ドラキュラのアイスランド語訳は、ヴァルディマー・アスムンドソンによって行われた。初期草稿の痕跡は認められ、ストーカーとアスムンドソンとの間で人脈が被っていることまでは確認できたものの、直接やりとりした証拠は見つからなった。


 デ・ルースはその後2017年2月7日に、アイスランド版「ドラキュラ」である「闇の力(Powers of Darkness)」の英訳版を刊行する。オリジナルからの大胆な改変版と銘打って発売され、ブラムの弟の曾孫であるデイカー・ストーカーは「私の考えではアイスランド版は、ブラムによるドラキュラの別バージョンか草案版だろう」という序文を寄せている。ハードカバー版、電子書籍版共に、日本でもAmazon等で購入が可能だ。この発売の件は、アイスランド専門ニュースサイトを中心に取り上げられれ、英語圏のドラキュラファンの注目度が伺える。


 だがこの英訳版の発売からすぐに、事態が急転することとなる。そう、スウェーデン語版「ドラキュラ」の存在が明らかとなったのだ。スウェーデン人文学研究者のリカード・ベルグホーン"Rickard Berghorn"が、英訳されたアイスランド語版「闇の力」を見てすぐに、スウェーデン語版との共通点に気が付いた。スウェーデン語版もタイトルは「ドラキュラ」ではなく、アイスランド語版と同じ「闇の力(Powers of Darkness)」を意味するタイトルが付けられていること、そしてスウェーデン語版の内容がアイスランド版と似ているどころか、明らかにスウェーデン語版の方が詳細で、なおかつアイスランド版よりも前に発表されていたこと。こうした事実をベルグホーンはアイスランド版英訳版の発売からすぐに、メールでデ・ルースに連絡した*1



 ベルグホーンがメールを送信したとき、デ・ルースは回線の貧弱な国へ旅行していたので、ベルグホーンのメールに気が付いたのは帰国してからだった。この発見のニュースは、アイスランド専門ニュースサイトにおいても、新発見だとして下記のとおり取り上げられた。

icelandmonitor.mbl.is


 スウェーデン語版の存在は、もっと早くに気が付きそうなものでありそうなのに、結局はデ・ルースが英訳版を発売するまで指摘にあがることはなかった。アイスランド版は他のスカンジナビア諸国の言語から翻訳されたものではないかという意見は、以前からあった。例えばアイスランド人のドラキュラ専門の研究者ギュンドニ・エリソン博士"Guðni Elísson"は、1997年に「ドラキュラ」に関する講演を開き、"Makt Myrkranna"(アイスランド版ドラキュラ)がもともと北欧のどこかの資料に由来しているかということを聴衆と共に議論し、その可能性が高いとの意見が大半を占めた*2。さらにエリソンよれば、アイスランドの文学者たちは以前から"Makt Myrkranna"は他のスカンジナビア言語からの翻訳に過ぎず、アイスランド語版の原文ではないのではないかと考えていたという*3


アイスランド人学者・ギュンドニ・エリソン博士

キム・ニューマン
小説「ドラキュラ紀元」の作者・キム・ニューマン


 余談。大変失礼なの承知なのだがエリソン博士は、人相の悪くなったキム・ニューマンかと思ってしまった。キム・ニューマンは、ドラキュラ退治を失敗した時間軸という設定の小説「ドラキュラ紀元」の作者である。日本語訳は復刊要望が出るほどで、実際リニューアルされて翻訳されるほどコアなファンがついている小説だ。


 閑話休題。デ・ルースはエリソンの件は知らなかったようだが、それでもアスゲイル・ヨンソンから、アイスランド版のストーカーの序文は、明らかに他言語から翻訳された形跡があると、2014年にメールで指摘を受けている。そしてデ・ルースの友人でイタリア人の同僚シモーネ・ベルニに、スウェーデンや他のスカンジナビア諸国で、アイスランド版と同じドラキュラの改変版がないかを探して貰っていたのだが、見つけ出すことはできなかった。それもそのはずで、スウェーデン語版の"Mörkrets makter"は新聞で連載されたのだが、再掲は雑誌のみで、書籍での出版はされてはいなかったからだ。自国のドラキュラがオリジナルとは違うと知っていたスウェーデン人学者も中にはいたのだが、それをあえて国際的な研究の場で指摘する人がいなかったことも、スウェーデン語版が長年英語圏の研究者に知られなかった要因になったとデ・ルースは述べている*4


 デ・ルースは、アイスランド版の調査の時、ブラム・ストーカーと、アイスランド語訳したヴァルディマー・アスムンドソンとの間でやり取りがあったのか、その証拠を探すのに躍起になっていた。だがスウェーデン語版からの翻訳であったことを知ったとき、なぜもっと早くに調査をあきらめなかったのかと、彼は嘆いていた*5。ベルグホーンも、デ・ルースは正しいやり方をしていたといいつつも、スウェーデン語の原文を探すのは、スカンジナビアの国立図書館をもっと訪ね、データベースを検索しさえすれば、それほど難しいことではなく、スウェーデン語のテキストを薄く要約しただけのアイスランド語のテキストに、多くの学術的努力と研究が無駄になっていると、やや辛辣に指摘する*6。分かればなんてことはないのだが、それに至るまでが難しいことが伺える。


 こうしてベルグホーンからの指摘を受けたデ・ルースは、当然調査を行う。そして2021年1月、「闇の力のミニ・ミステリー」"Morkrets Makter’s Mini-Mysteries"という題で、スウェーデン語版ドラキュラに関する研究結果を発表した。アイスランド版の時は、TSDの会報「ドラキュラ城からの手紙」で発表していたが、こちらは、ブラショフ・トランシルヴァニア大学の紀要論文として発表された*7。リンクは複数あり、デ・ルースのサイトでは2021年9月改訂版が公開されている。リンクは記事の最後で他の参考文献と共に紹介しよう。またデ・ルースが紀要論文を発表する前、デ・ルースにメールで指摘した数か月後、ベルグホーンは自身が運営するサイトで、このスウェーデン版に関する解説を2017年11月に発表している(リンクは最後に表示)。当然、デ・ルースの紀要論文でも参考文献として挙げられている。ということで、この2つを中心に解説していこう。


切り裂きジャックとの関連はなかった

 前回のアイスランド版の記事で述べたように、アイスランド版のブラム・ストーカーの序文には、ホワイトチャペル連続殺人事件、つまり有名な切り裂きジャックの事件の仄めかしがあると紹介した。これは序文の最初の発見者リチャード・ダルビーが1986年当時そのように紹介していた。だが2014年の時点でデ・ルースは違うと思っていた。そして今回のスウェーデン語版に関する論文でデ・ルースは、切り裂きジャックの仄めかしは、最初にアイスランド版の序文を翻訳したジョエル・H・エマーソンの誤訳であると断定した。具体的には、ホワイトチャペル殺人事件と同じぐらい大衆に動揺を与えた、という訳になる。つまり切り裂きジャックとは違う事件を指している。


 その事件とは1888年の切り裂きジャックより1年前の87年から89年にかけて発生した、テムズ川胴体殺人事件"Thames Torso Murders"のことだろうとしている*8。切り裂きジャックは被害者が腹部と生殖器を段階的に切り裂さいたの特徴だが、この胴体殺人者を意味するトルソ・キラーは、被害者の体をバラバラにするのが特徴的だ。胴体と名がつくことからわかるように、頭のない死体が断続的に発見された。手脚が切断されていることも多く、医学的知識を持つ人物の犯行と考えられていた。


テムズ川胴体殺人事件
イラストレイテド・ロンドン・ニュース:1887年5月28日号
gruesome discovery in Rainham(レイナムで陰惨の発見)


 当時のイギリスでは、同時期に起きた切り裂きジャックが犯人ではないかとの憶測記事も流れた。とくに、ホワイトホール・ミステリーや、ホワイトチャペルのピンチン通りの胴体殺人事件などが該当する。トルソ・キラーと切り裂きジャックとが同一人物であるのかは、未だ議論の余地はあるという。だが手口の違いから当時の警察は、トルソ・キラーと切り裂きジャックは関係ないとの見解を示した。このテムズ川胴体殺人事件は、日本ではホワイトチャペル殺人事件のwikipedia記事で言及されるぐらいだが、英語圏ではテムズ川胴体殺人事件と、そのうちのホワイトホール・ミステリーは個別に記事が作られており、切り裂きジャックと別の事件であることが明確にされている。ちなみに、切り裂きジャックの事件は死体画像、それも凄惨な死体画像も出てくるが、テムズ川胴体殺人事件はイラストしか出てこない。


ホワイトホール・ミステリー
ホワイトホール・ミステリー
ホワイトチャペル、ピンチン通りの胴体殺人事件


 前回、アイスランド版の序文において、切り裂きジャックの仄めかしがあると真に受けた研究者の中には、オリジナルの方にも切り裂きジャックの暗示があるかを調査したものもいると説明した。そしてピーター・ヘイニングは「ブラム・ストーカーは、切り裂きジャックの正体を知っており、それをドラキュラという小説に組み込んだ」というような陰謀論を唱えていたが、全くの見当違いであったことが明らかになった。数多くの捏造疑惑を生んだヘイニングは、この件については誤訳に踊らされてしまったと言えよう(ヘイニングの捏造疑惑はこちらへ)


スウェーデン語版ドラキュラの翻訳者

Mörkrets Makter
新聞Dagenに連載されていた"Mörkrets Makter"「闇の力」


 スウェーデン語版は1900年のアイスランド版の1年前、1899年6月10日から1900年2月7日にかけて新聞Dagen"Mörkrets Makter"というタイトルで連載された。作者名は"A‐e"とだけクレジットされていた。同時に半週刊誌Aftonbladets Halfveck-upplagaにも1899年8月16日から1900年3月31日にかけて連載されていた。この半週刊誌はタブロイド紙Aftonbladetの特別版で、地方で週2回発行されていたものだ。Halfveck-upplaga版(半週刊版)の「闇の力」は、Dagen版よりも省略されたものだという。半週刊のAftonbladetも新聞Dagenも、編集長としてハラルド・ソールマン"Harald Sohlman"が関わっており、編集スタッフも一部同じであった。新聞や半週刊で連載された「闇の力」は、その後の再掲載は一度のみで、Dagenの完全版の方が安物人気雑誌"Tip-Top"に、1916年40号から1918年4号に掲載された*9*10。書籍化は一度もされていない。2014年時にデ・ルースが友人のベルニは、スウェーデンでドラキュラの変種がないかを探していたのだが、書籍としてはなかったために見つけ出すことができなかったわけである。


 アイスランド語訳は、ヴァルディマー・アスムンドソンによって行われたが、元にしたのはDagenに連載された完全版ではなく、ストックホルムの王立図書館から直接入手した簡略版のHalfveck-upplaga版を参考にしたようだ。そしてアイスランド語訳にする際さらに簡略されたのが、アイスランド語版ドラキュラの"Makt Myrkranna"となるという*11*12。だから先ほど紹介したように、ベルグホーンは「存在しないストーカーとアスムンドソンの繋がり」を追求したデ・ルースの無駄な努力を嘆いたわけだ。1986年、アイスランド版を発見したリチャード・ダルビーは、アイスランド版はプロットの要約のように思えるなどと述べていたが、既に簡略されていたものからさらに要約したものなのだから、プロットを要約したようなものに思えたのも頷ける話というものだろう。


 さて、ドラキュラをスウェーデン語版に翻訳、というか改変しまくった翻訳者であるが、"A‐e"としかクレジットされていない。だがデ・ルースはその正体は、ストックホルムの著名なジャーナリストであった、アンデルス・アルベルト・アンダーソン=エデンベルク"Anders Albert Anderson-Edenberg"ではないかと主張した。


Albert Andersson-Edenberg
アルベルト・アンダーソン=エデンベルク(瑞典語wikipedia)
(1983~1913)


 彼は文学・文化・科学など幅広いテーマを扱う月刊誌『スヴェンスカ・ファミリ・ジャーナル』の編集長を務め、20年間(1867~1887年)勤務していた。またその雑誌の寄稿を見ると、英語からの翻訳能力が伺えることが、彼が翻訳者であるという理由の一つ。そして主に舞台演劇の翻訳のために、下記のように色々なペンネームを使用していた。


"A. E-g" "Edbg" "Eg" "E-g" "A.E."


 なかでも、今回の「闇の力」のペンネーム"A‐e"に近い"A.E."というペンネームをかつて用いていたことがあると言う事実も、彼が翻訳者ではないかとデ・ルースは主張している*13。だが、筋の通った推測にしかすぎず、決定的な証拠は見つかっていない。


ブラム・ストーカーは瑞典語版に関与していたか

 スウェーデン語版ドラキュラである"Mörkrets makter"は、オリジナルから大胆に改変されたものであった。となると一番気になるところは、前回のアイスランド語版と同様、作者ブラム・ストーカーが、スウェーデン語版にどれだけ関与していたのかについてだろう。そのヒントを解くカギは、ストーカーの序文にあった。アイスランド版はスウェーデン語版から翻訳されたものであり、ストーカーのものとされる序文も翻訳されていた。だがスウェーデン語につけられたいたストーカーの序文の最後の方は、アイスランド語には翻訳されていなかった。そしてその翻訳されなかった部分は2018年に、ストックホルムの有名な司祭であったベルンハルト・ヴァドストロム"Bernhard Wadström"の回想録からの大部分からコピーされたものであることが判明した。


[Bernhard Wadström
ベルンハルト・ヴァドストロム(瑞典語wikipedia)
(1831~1918)


 第1巻にはすでに、トム・ハーカーの日記に反映されていると思われる「白い女」との出会いの記述がある。ヴァドストロムの回想録第2巻は1899年にスウェーデン語で出版され、幽霊の出現に関する観察とコメントが数多く含まれていたが、それはスウェーデン版「闇の力」のストーカーの序文にほぼそのまま反映されている。ヴァドストロムの回想録第2巻は1899年のクリスマス前、つまり12月24日に出版されたのだが、その内容はそれよりも前に3冊の小冊子にされており、1899年3月29日と4月5日に書店に入荷されていた。



 上の表から分かるように、スウェーデン語版「ドラキュラ」は、たった2、3か月前のほぼ最新と言っていい情報を盛り込んだことになる。これらの情報から分かることは、アイルランド人はスウェーデン語が理解できないので、アイルランド人であるブラム・ストーカーがヴァドストロムの回想録を盗用したという可能性は、まず排除してよいとしている。だが勿論、ストーカーがスウェーデンの新聞記者に、ヴァドストロムの文を「闇の力」の序文として挿入することを許可し、そこに自分の名前を署名したという可能性は、当然として残っている。だがそんなややこしいことを普通はするだろうか?回想録の発売からスウェーデン語版の発表開始まで、たった2、3か月しかない。ストーカーが関与したのであれば、彼はヴァドストロムの回想録をスウェーデンから送ってもらい、翻訳に関する打ち合わせをスウェーデン人翻訳者と早急にやり取りした。そして翻訳者もかなりの速筆であったということになる。


 こうした事実から、スウェーデン語版ドラキュラである「闇の力」は、ストーカーの許可を得たものでなく、海賊版であることを示唆しているとデ・ルースは主張する。だが依然として、スウェーデン語版「闇の力」には、ドラキュラの初期草稿版の形跡があることから、何らかの形で草稿版がストックホルムに渡り、それをもとにして作られた可能性までは否定されないという。となると気になるのが、その初期草稿をどうやって複製しスウェーデンに送ったのかだ。初期草稿を送ったとなれば、少なくともその草稿はまずコピーだと考えられるが、ストーカーは果たしてコピーを作ったのだろうか。


 1980年代、アメリカ・ペンシルベニア州北西部の納屋で、タイプライターで打たれた「ドラキュラ」の初期草稿が発見された。ブラム・ストーカーの友人トーマス・コーウィン・ドナルドソンが所有していたもので、彼の相続人たちが発見した。(ちなみに後にその原稿は、ビル・ゲイツとともにマイクロソフト社の創設にかかわった、ポール・アレンが入手した)*14。よって、ブラム・ストーカーはタイプライターを使っていたことが判明した。だがストーカーは、ドラキュラのアイデアは手書きしていたという情報もある。だがもし初期草稿を渡すのだとすれば、当然手書きよりもタイプライターの方が当然読みやすいから、タイプライター原稿を渡したものと考えられる。だがストーカーのような多忙な男が、果たしてそんなことをしただろうか。当時はボールペンはなく、万年筆や付けペンで書くのは面倒である。そして生の初期草稿を輸送することは、紛失の恐れがあるから、渡すのだとすれば一つしかない生の草稿ではなく、タイプライターのコピーを当然渡すだろうとデ・ルースは推測する。


 以上からデ・ルースは、スウェーデン版は海賊版の可能性が高いといいつつも、ストーカーが関与した可能性までは否定できないとしている。こうして述べた根拠も「もっともらしい」ものでしかなく、ストーカーが関与していたか、それとも海賊版か、それを証明できる学者は今のところ存在しないとぶっちゃけている。


 こうして総論を述べたあとも、デ・ルースは様々な角度から、ストーカー関与か海賊版であるかを考察している。例えば、先ほど紹介したテムズ川胴体殺人事件の件を取り上げている。ストーカーのものとされる序文には、イギリスで起きたテムズ川胴体殺人事件のことが仄めかされている。序文がストーカーのものでないのだとしたら、スウェーデン人がイギリスで起きたテムズ川胴体殺人事件のことを知る機会があったのだろうか。これが切り裂きジャックの事件(ホワイトチャペル殺人事件)なら、イギリスを震撼させ、後に世界中で有名になった事件であるから、当時から既に周辺国に伝わっていてもおかしくはない。だがはたしてテムズ川胴体殺人事件は知れ渡っていたのだろうか。


 そのあたりのこともデ・ルースはきちんと調査を行っている。彼は、エデンベルクのようなジャーナリストは、英国の新聞にアクセスできたのではないかとする。その証拠に、「闇の力」を掲載したDagenようなストックホルムの新聞社には、例えば「ロンドン・タイムズ」や「テレグラフ」紙が、毎日電信で届いていた。実際、ホワイトホール・ミステリーやピンチン通の胴体殺人事件が、少なくとも6つのスウェーデンの新聞社で記事になっていたことが確認できている*15。これらの事実から、スウェーデン版の翻訳にストーカーが関与していなかったとしても、何もおかしくはないと言える。


 次に、スウェーデン版がストーカーの初期草稿版を下敷きにしているのだとすれば、デ・ルースはある点を問題にあげている。スウェーデン版のドラキュラは女性の胸に胸に執着するなどを筆頭に、オリジナルよりもかなり性的な内容となっている*16。ブラムの弟の曾孫であるデイカー・ストーカーは、エロティックな原稿はヴィクトリア朝のイギリスにはセクシー過ぎたから、その原稿が何らかの形で渡ったのかもと言いきっている。この説はベルグホーンも賛成しているようだ。だがデ・ルースはこの説を疑っている。まずストーカーの他の作品を見る限り、ストーカーにはスウェーデン版のようなエロティックな内容が書けるとは到底思えないことを理由としている*17


ブラム・ストーカーの草稿はスウェーデンに渡ったのか?

 デ・ルースはスウェーデン語版ドラキュラの存在を2017年2月頃、スウェーデン人学者、リカード・ベルグホーンからのメール連絡でその存在を知ったわけだが、そのベルグホーンは2017年11月に自身が運営するサイトで、スウェーデン版ドラキュラに関する解説を公開した。デ・ルースも2021年の論文には参考文献として取り上げているほどだ。そこでベルグホーンは、スウェーデン版がストーカーの初期草稿の可能性と、そして初期草稿を持ち込んだ人物の考察を繰り広げていた。


 ベルグホーンは、スウェーデン語版は海賊版であろうことは間違いないだろうとする。当時のスウェーデンはベルン条約に加盟していなかったため海賊版が横行しており、正規に翻訳するより格安だったからだろうという。だが海賊版であったとしてもスウェーデン版には「ドラキュラの客」"Dracula's Guest"との類似点があることを指摘、何らかの形でストーカーの初期草稿が渡った可能性があると考えている。ドラキュラの客は前回も説明したように、ストーカーの死後、妻フローレンスが1914年に出版したもの。内容は、本編のドラキュラの第一章、ジョナサン・ハーカーがドラキュラ城に向かう話の別バージョンと言えるような内容で、ワルプルギスの夜にドラキュラ城へ向かう途中に起きた出来事を物語る内容だ。フローレンスは発表時の序文にて、「未発表のもので、元々は長さの関係で削除されたもの」と述べている*18。長い間、この文章はドラキュラ研究者を困惑させていた。なぜなら、この文章は単純に小説の内容と合わないからである。だが、前述したように、1980年代にドナルドソンのタイプライターが発見され、そこにあった内容がドラキュラの客と同じくワルプルギスの夜の運命的な冒険について触れていたことから、ドラキュラの客は現在は本当に本編から削除されたものだとされている。


Dracula's Guestドラキュラの客
「ドラキュラの客」 当時の表紙と日本語訳の表紙
Stoker Dracula Notes Personal
ブラム・ストーカーによるドラキュラ創作ノート

wikipedia commonsより


 そのドラキュラの客とスウェーデン語版には類似点がある。となると海賊版と言えど何らかの形でストーカーの創作メモが、スウェーデンに渡ったことになる。ベルグホーンはその可能性として、アン・シャーロット・レフターと、ヨースタ・ミッタク・レフターが関わった可能性を挙げている。


アン・シャーロット・レフター(英語wikipedia)
(1849~1892)


ヨースタ・ミッタク・レフター
ヨースタ・ミッタク・レフター(wikipedia)
(1846~1927)


 アン・レフターはスウェーデン人の作家で、今日ではどちらかといえば忘れ去られた存在だが、主に女性解放をテーマにした戯曲を発表していた。彼女は生前、国際的にも大きな成功を収め、多くの議論を呼んだ作家であり、イギリスではヘンリック・イプセンよりも注目を集めたと言われている。


 兄のヨースタは世界的に有名になった。ヨースタは数学者であり複素解析の創始者、ミッタク=レフラーの定理など、今日にも残る成果を残した。彼はむしろノーベル賞関連で有名だろう。ノーベル賞に数学関連がないのは、ノーベルの妻をレフターが奪ったからだと言われている。ノーベルは生涯独身だったのでこれはただの俗説だとされるが、ノーベルと仲が悪かったという状況証拠がいくつかあるのは事実だという。彼に関してもっと分かり易く興味を引くエピソードは、キュリー夫人として名高いマリー・キュリーに関してだろう*19。キュリー夫人はご存知のように放射能を研究、放射能という用語も発案し、女性として初めてノーベル賞を受賞、2度ノーベル賞を受賞した唯一の女性としても有名だ。だが最初の受賞で推挙された際、フランス科学アカデミーは意図的に彼女の名前を消した。だがレフターが強く推挙したため、キュリー夫人は女性初のノベール章受賞者になることができた。そんなヨースタは、スウェーデン王立科学アカデミーの会員のみならず、イギリスの王立協会の名誉会員でもあった。文化や文学にも強い関心を持っていたという。そんなレフター兄妹は、ストーカーの妹マーガレット・ダリンプル・ストーカーと、弟のジョージ・ストーカー(デイカーの曽祖父)と仲が良かったことが判明している。ブラムの母、シャーロット・マチルダ・ブレイク・ストーカーも、レフター兄妹に手紙のやりとりを残している。それに従い、兄のブラムとも仲がよかったことが示唆されているという。


マーガレット・ダリンプル・ストーカー
マーガレット・ダリンプル・ストーカー(参考サイト)
(1853~1928)


ジョージ・ストーカー
ジョージ・ストーカー(参考サイト)
(1854~1920)


シャーロット・マチルダ・ブレイク・ストーカー
シャーロット・マチルダ・ブレイク・ストーカー(参考サイト)
(1818~1901)


 スウェーデンの国立図書館の写本コレクションに、ジョージ・ストーカーからアン・レフラーに宛てた1887年の手紙と、ジョージからヨースタに宛てた日付のない名刺が残されているという。ブラムの妹マーガレット・ストーカーの方は、ヨースタに1874年頃から1883年までの間に7通の手紙を送っていた。具体的な日付は不明だが、1875年にはブラムの母シャーロット・ストーカーからヨースタに送った3通の手紙も残っているという。このように書簡はありふれたもので、文学研究者にとって特に興味深いものはないが、レフラー兄妹とストーカー兄妹の接触が広範囲に及び、親密であったことがわかるベルグホーンは述べる。


 アン・レフターには別の可能性もある。スウェーデンの国立図書館には、「サロメ」や童話「幸福な王子」で有名なオスカー・ワイルドの母、一般的にジェーン・ワイルド(1821~1896)として呼ばれるフランシスカ・エルギー・ワイルドから、1884 年に書かれた日付未定の彼女への手紙が保管されている。ジェーン・ワイルドはダブリンでサロンを開いており、若き頃のブラム・ストーカーはそのサロン頻繁に出入りしていた。当然、ジェーンの息子のオスカー・ワイルドとも親交を持つようになる。というか、ブラム・ストーカーの妻フローレンスは、元はオスカー・ワイルドの恋人だった。だが根無し草のワイルドより、ブラムを選んで結婚したという経緯がある。下記画像は、オスカー・ワイルド自身が描いた、フローレンス・ストーカーの肖像画である。


オスカー・ワイルドが描いたフローレンス・ストーカー


 話を戻すと、アン・レフターは1884年、ロンドン滞在中にジェーン・ワイルドと出会っている。ベルグホーンはこの事実しか書いていないが、この時にジェーン・ワイルドと親交があったブラムと何らかの接触があったと暗に言いたいのだろう。


 ブラムとアン・レフターのもう一つの接触の可能性は、Monica Lauritzen's biography Sanningens vägar: Anne Charlotte Lefflers liv och dikt (2012)に書かれている(モニカ・ローリッツェンの伝記)。アン・レフターは、同時期のロンドンで頻繁に劇場に足を運び、中でもサー・ヘンリー・アーヴィングの『Much Ado About Nothing』をライシアム劇場で観て感銘を受けたはずだと語っている。ご存知の方も多いだろうが、ブラム・ストーカーは俳優ヘンリー アーヴィングが監督を務めるライシアム劇場のマネージャーとして仕事をしていた。残念ながらこの出来事についてローリッツェンは、あまり具体的なことを述べていない。アン・レフラーは、ブラムの妹や弟と親交していたことは明らか。だとすれば、ライシアム劇場のマネージャであり、自分が親交している人物の兄であるブラムとは講演後、普通エチケットとしてあいさつぐらいはしたんじゃないだろうかとベルグホーンは述べる。


 以上、ブラム・ストーカーとスウェーデンの繋がりをベルグホーンは説明しているが、あくまでこういった繋がりがある事実を紹介するにとどまっている。レフター兄妹にストーカーの初期草稿が渡った証拠は何一つない。それとは別に、もしビジネスとして初期草稿を渡すのであれば、ストーカーなら契約書を事細かく作ったであろうことは、前回のアイスランド版で説明した通りだ。となると、スウェーデンに初期草稿が渡ったとなればやはり、ある程度親密な関係にある者、つまり手紙のやりとりをしていたレフター兄妹がその候補にあがるのは必然だろう。このあたりのことは、何一つ証拠はない。そもそもレフター兄妹と繋がったいたのは、母、妹、弟であり、ブラム本人と繋がっていた証拠は何一つない。ベルグホーンもあくまで、自分が分かる範囲で可能性を示しただけのことを強調している。デ・ルースも自身の論文でこのあたりのことは簡単に触れている*20


スウェーデン語版の内容と英訳版の出版

 アイスランド版の登場人物の名前は変更されていたが、当然元となったスウェーデン語版も変更されている。一つ違うのはアイスランド版はドラキュラの名前はそのままだったが、スウェーデン語版ではDraculitz(ドラキュリッツ)という名前に変更されていた。文字数はオリジナルが約83万字に対して、スペースを含めて162万5800字と、オリジナル版より約2倍の分量となっている*21。これだけでもはや別物とわかるというものだ。そしてその内容だが、まず冒頭のドラキュラ城から脱出からしてより広範囲に、より衝撃的だという。イギリス侵略のシーンもかなり変更されている。ドラキュリッツは単独でイギリスを侵略しようとしているのではなく、世界支配を目指す世界の指導者たちの国際的陰謀の先頭にたっていることが明らかになる*22。ドラキュリッツは一種の人種生物学と「強い者」に継承される自然な支配権に関する明白なファシズム思想に基づいて、新しい世界秩序を導入しようとしている。つまり、吸血鬼という種族を人類の進化の次のステップとしてとらえて、吸血鬼と言う種族を広めようとしている。これは19世紀終わりから1900年代初頭に隆盛を誇った社会進化論の諷刺ではないかと言われている。そこにオリジナルよりもよりエロティックになり、北欧神話や北欧文学への言及も加わっている。


 こうして聞くと、キム・ニューマンの小説「ドラキュラ紀元」を想起させる。原作はドラキュラはヴァン・ヘルシング教授たちに倒されてしまうが、ドラキュラ紀元では逆にヘルシング教授がドラキュラに敗れてしまったと言う時間軸のif物語。ドラキュラがイギリスを支配したことにより、世界の影で生きてきた吸血鬼達が表の世界へ現れ、人類との奇妙な共存がドラキュラ紀元では描かれている。


 連載時はスウェーデン人の画家・エミル・アベリ"Emil Åberg"が描いた挿絵がついていた。彼は風景画、肖像画、とくに風俗画を書くことが多く、暖かい色使いが特徴。そんな彼が、ドラキュラの挿絵を担当していた。


エミル・アベリ
エミル・アベリ(瑞典語wikipedia)
(1864~1940)

Båttur
エミル・アベリ作「Båttur」(1941年以前)


 そんなスウェーデン語版ドラキュラは、2019年6月にMisty Woods Entertainment より電子版が発売された。その後2020年1月には、リカード・ベルグホーンがハードバカバー版を発売した。当然両者はスウェーデン語である。電子版は日本のkindleストアでも購入できるが、ベルグホーンのものはアメリカAmazon等、海外の通販サイトでしか入手できない。


Mörkrets makter
「Mörkrets makter」電子版表紙(2019)
Mörkrets makter
ベルグホーンが出版した「Mörkrets makter」(2020)


 さてドラキュラのファン層は、やはり英語圏が一番多い。その英語圏ファン待望の、スウェーデン語版の英訳版は今年2022年2月6日に、「パワーズ・オブ・ダークネス、世紀末スウェーデンから来たドラキュラの荒唐無稽な翻訳」というタイトルで発売された。翻訳はウィリアム・トリンブルという人が行った。スウェーデン版の原稿をOCRで読み取り校正し、2つの自動翻訳プログラムにかけた後、スウェーデン語翻訳者と2人の英語編集者によって手直しするというやり方で翻訳したものになる。アベリによる挿絵も収録されている。デ・ルースを始め、複数の研究者によるエッセイも付けられている。電子版のみで発売され、日本ではAmazonのkindleストア、楽天koboで購入が可能だ。


 さらに今年2022年の後半にCentipede Pressから、ベルグホーンによる英訳版も発売予定だ。500部限定でアベリの挿絵も収録、デイカー・ストーカーによる序文もつくと言う。サイトを見ると2022年4月に予約開始予定、7月に発売予定とあるが、まだ予約は始まってないようなので、もしかしたら購入することができるかもしれない。私もベルグホーン版は、可能なら購入して見ようと思う(英語は読めないが)*23


ベルグホーン版 www.centipedepress.com


【2022年8月30日追記】
ずっと「coming soon」でありほぼ毎日サイトを見ていたが、お盆を過ぎたあと数日目を離していた隙に、既に売り切れてしまった。2022年8月の後半に発売されたようだ。500部限定だったので、日本からの購入は難しかっただろうが、それでも目を離してしまったという後悔の念が残ってしまった。
【追記ここまで】


 以上がスウェーデン語版ドラキュラである「闇の力」の解説となる。1986年にリチャード・ダルビーが発見したアイスランド版は、2021年になって漸く事の経緯と真相が明らかにされた。アイスランド版の発見当初こそは、ストーカーによる完全版・改訂版かと思われていた。だが2017年にスウェーデン語版からの翻訳・要約版ということが明らかにされた。さらに去年2021年に、そのスウェーデン版もストーカーの名を勝手に借りた海賊版である可能性が高いことが示された。単純に「アイスランド版ドラキュラからストーカーの序文が発見された」というだけなのことなのだが、それだけでもなんとも面白い歴史をもつものだと思うのは私だけだろうか。繰り返しになるが、スウェーデン語版ドラキュラは、ブラム・ストーカーの名前を勝手に借りた海賊版である可能性が高い。だが、ストーカーの初期草稿の形跡があることから、何らかの形でストーカーが関与した可能性は未だ残っている。それを掘り下げるには、更なる証拠が見つからない限り、明らかにすることはできないだろう。


 日本でも吸血鬼というモチーフは人気で、とくにドラキュラという名はヴァンパイア(吸血鬼)の意で使う人もいるぐらいだ。だがアイスランド版やスウェーデン版ドラキュラについて紹介する人は、ツイッターで少数の人が触れるのみというのは、なんとももったいない話だと思う。ドラキュラ好きの日本人にもぜひ知って頂きたいと思い、2回に分けて今回紹介させて頂いた。参考にしたものは、幸いネット上で公開されており、日本からでも簡単にアクセスできる。もっと詳しく知りたい方は、ぜひ元の論文を読んでみてはいかがでしょうか。ネット上に論文が公開されている関係からか、アイスランド版もスウェーデン版も、英語のwikipedia記事が非常によくまとまっていて分かり易いです。典拠も豊富に示されているので、wikipedia記事だけでも十分事の経緯が分かるかと思います。各参考文献のリンクは、下記に紹介しておきます。


 最後に。デ・ルースは調査の過程で面白い発見をしていた。それはアイスランドやスウェーデンの新聞では、あの切り裂きジャックが自首して捕まったという報道がされていたことを偶然発見していた。しかもその自首した人物は、切り裂きジャックと疑われた者たちとして名が挙がったことがない、全くの無名の人物だのだ。吸血鬼を紹介するという当ブログのコンセプトから外れるが、こんな面白い話題を見逃すのももったいない話なので、次回は切り裂きジャック逮捕の件を紹介したい。数日中に投稿予定。


参考文献:主要なもの

デ・ルースによるアイスランド版に関する報告書

  • "Letter From Castle Dracula, February 2014 Special Issue. MAKT MYRKRANNA: MOTHER OF ALL DRACULA MODIFICATIONS? (PDF)" (2014年2月特別号)
  • "LETTER FROM CASTLE DRACULA - SPECIAL EASTER ISSUE April 18, 2014 (PDF)"(2014年4月号)


下記リンクより、該当のPDFを取得してください
www.mysterious-journeys.com


デ・ルースによる瑞典語版ドラキュラに関する論文:リンク複数あり
Hans Corneel De Roos "Morkrets Makter’s Mini-Mysteries "
Bulletin of the Transilvania University of Braşov Series IV: Philology and Cultural Studies • Vol. 14(63) No. 1 – 2021

ハンス・デ・ルース「『闇の力』のミニ・ミステリー」
ブラショフ・トランシルヴァニア大学紀要・シリーズIV 文学・文化研究 - Vol.14(63) 特集(2021)


登録不要なもの


無料の登録が必要なもの


デ・ルースによる途中報告
 PDFファイル、いずれもリンク先の下部にある同タイトルより取得


リカード・ベルグホーンによる解説記事


wikiepdia記事(英語)


その他の参考文献

 上2つは、デ・ルースによるアイスランド版の英訳版発売に関する記事。下は、アイスランド版の英訳版発売後すぐに、スウェーデン語版ドラキュラの存在が明らかになったという記事。アイスランド版の英訳版を見たベルグホーンが気が付いて、デ・ルースに連絡したという件などが書かれている。


アイスランド版やスウェーデン版に関するニュース記事


ドラキュラの初期草稿や創作ノートに関するもの


ドラキュラの最初の翻訳について


アイスランド版ドラキュラ「闇の力」英訳版公式サイトより


ブラム・ストーカーの家系図(ストーカーオフィシャルサイト)


wikipedia記事

 ホワイトチャペル殺人事件と切り裂きジャックの記事はかなりグロテスクな死体画像(メアリー・ジェーン・ケリー)あるのでリンクは掲載しない。ホワイトチャペル殺人事件の方は、グロ画像閲覧にワンクッションあるが、切り裂きジャックの記事はダイレクトにグロ画像が表示されるので要注意。そのホワイトチャペルの記事も、死体画像が掲載されている。閲覧は自己責任でお願いします。


リチャード・ダルビー(en) ・ヴァルディマー・アスムンドソン(en) ・ブリエット・ビャンヘリンズドッター(en) ・ハルドル・ラクスネス(ja) ・アルベルト・アンダーソン=エデンベルク(瑞典語) ・ベルンハルト・ヴァドストロム(瑞典語) ・エミル・アベリ(瑞典語) ・ダーゲン紙(1896-1920)(en) ・Aftonbladet(スウェーデンのタブロイド紙)(en) ・テムズ川胴体殺人事件(en) ・ホワイトホール・ミステリー(en) ・イラストレイテド・ロンドン・ニュース(ja) ・イラストレイテド・ポリス・ニュース(en)*26 ・切り裂きジャックと疑われた者たち(ja) ・切り裂きジャックと疑われた者たち(en) ・トランシルヴァニア・ソサエティ・オブ・ドラキュラ(en) ・アンネ・シャーロット・レフター(en) ・ヨースタ・ミッタク=レフラー(ja) ・ノーベル賞(ja) ・マリー・キュリー(ja) ・ジェーン・ワイルド(en)


【お借りした素材】
・七三ゆきのアトリエ:https://nanamiyuki.com/ (最初の画像の青い花の背景)
・いらすとや:https://www.irasutoya.com/


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www.vampire-load-ruthven.com


次の記事➡切り裂きジャックは自首して逮捕されていた!?研究者すら知らないその犯人を本邦初公開!

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*1:Björnsson, Anna Margrét (6 March 2017). "Icelandic version of Dracula, Makt myrkranna, turns out to be Swedish in origin". Iceland Monitor(アイスランド関連の英文記事サイト)

*2:Björnsson, Anna Margrét (6 March 2017). "Icelandic version of Dracula, Makt myrkranna, turns out to be Swedish in origin". Iceland Monitor(アイスランド関連の英文記事サイト)

*3:Berghorn,Rickard(2017/11) ."Dracula's Way to Sweden: A Unique Version of Stoker's Novel". Weird Webzineより.

*4:デ・ルース(2021/1/26) p.71、(2021/9/19) p.5

*5:デ・ルース(2021/1/26)p.71、デ・ルース(2021/9/19)p.5

*6:Berghorn,Rickard(2017/11).

*7:アメリカ・ケンタッキー州のトランシルヴァニア大学ではない。ルーマニアのブラショフにあるほうのトランシルヴァニア大学の紀要論文として発表された。

*8:デ・ルース(2021/1/26)pp.67-69、デ・ルース(2021/9/19)pp.1-3

*9:デ・ルース(2021/1/26)p.69、デ・ルース(2021/9/19)p.3

*10:Berghorn,Rickard(2017/11).

*11:デ・ルース(2021/1/26)p.69、デ・ルース(2021/9/19)p.3

*12:Berghorn,Rickard(2017/11).

*13:デ・ルース(2021/1/26)pp.69-71、デ・ルース(2021/9/19)pp.3-4

*14:デ・ルース(2014年4月号)pp.3-5

*15:デ・ルース(2021/1/26)pp.80-81、デ・ルース(2021/9/19)pp.14-15

*16:Fleming, Colin (19 April 2017). "The Icelandic Dracula: Bram Stoker's vampire takes a second bite". The Guardian. アーカイブリンク(2019/9/6取得)

*17:デ・ルース(2021/1/26)pp.96-97、デ・ルース(2021/9/19)pp.29-30

*18:新妻昭彦、丹治愛・編集・解説「ドラキュラ 完訳詳註版」:水声社(2000) p.468

*19:キュリー夫人という呼び方はマリー・キュリー本人が言っており、夫の従属を意味しておらず、友人宛に「キュリー夫人、これが私の新しい名前です」と、自ら使用している。

*20:Berghorn, Rickard (2017/11).

*21:Berghorn, Rickard (2017/11).

*22:"English Translation Published of Swedish Dracula—Is It a Lost Stoker Manuscript?"(2022/2/9).The Gothic Wandererより.アーカイブ(2022/2/10)取得.

*23:私はDeeple翻訳で英文を読んでいる。

*24:リサーチゲートは登録の際、自分の研究成果も登録しなければ他の論文を閲覧することができない。私は昔登録しようとしたが、その研究成果の登録で躓き、登録できなかった。研究室に在籍している大学生などであれば閲覧が可能だと思われる。

*25:リサーチゲートは登録が必要で研究成果も報告しなければならないが、なぜかダウンロードできた。

*26:イラストレイテド・ロンドン・ニュースとは別物。ロンドンニュースが受けたことを参考にして作られた報道紙。ロンドンニュースと違い、こちらは所謂低俗なタブロイド紙。切り裂きジャックの事件をきっかけとして部数を重ねる。