この記事は、前回の記事 の続きです。前の記事を見たという前提で話が進みますので、必ず下記の①~③までの記事を見てからこの記事をご覧ください。
【目 次】
①吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳を公開します
②最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
③吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?
④この記事
⑤世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?
下記の動画もよろしければご覧ください。
またこちらの動画は、この記事を先行して解説したものとなります。
尚、上記②の記事でも解説したように、日本では「死者よ目覚めるなかれ」というタイトルで長年紹介されてきましたが、これは誤訳であり本当は「死者を起こすことなかれ」がニュアンスとしては正しいです。この解説では啓蒙の為にも「死者を起こすことなかれ」で表記していきます。
前の記事では、吸血鬼小説「死者を起こすことなかれ」の作者が、これまで信じられていたヨハン・ルートヴィヒ・ティーク(ティエック)ではなくて、ドイツのエルンスト・ラウパッハが 本当の作者であることを解説してきた。ティークは国際的にも有名で、日本でもwikipedia記事を筆頭に、ティークの人物像はネット上で確認することができる。だが本当の作者であるエルンスト・ラウパッハについては日本ではあまり知られているとは言えない。幸いにして、今回参照したクロフォード女史の論文ではラウパッハを紹介している。また海外ではwikipedia記事など、ラウパッハを紹介するサイトもいくつか確認できた。この記事では1973 年以降、イギリス、アメリカ、日本では伝わることのなかった「死者を起こすことなかれ」の本当の作者、エルンスト・ラウパッハについて解説していく。また クロフォード女史による「死者を起こすことなかれ」の作品の解説も、簡単にだが紹介していこう。
1.多作劇作家、エルンスト・ラウパッハ
エルンスト・ラウパッハは、当時のドイツでは有名だったが、国外ではそれほどでもなかったようだ。だが現在はドイツ語の他、英語、スウェーデン語のwikipediaにそれぞれ記事が存在している。なので現在の海外ではそれなりに名の通った人物なのかもしれない。その証拠ともいうべきか、ラウパッハの作品は「ワルキューレの騎行」で非常に有名なワーグナーが曲を付けていたりする。「ラウパッハの悲劇『エンツィオ王』のための序曲と付随音楽(Ouvertüre und Theatermusik zu Raupachs "König Enzio")」を1831年に作曲、1832年に初演している。
エルンスト・ラウパッハはシレジアの(ポーランド南西部)レグニツァの近くの村シュトラウピッツ(現在はドイツ)で生まれた。彼は1801年から1804年まで神学を学ぶ目的でハレ大学に通ったが、勉強の過程で歴史、ラテン語、数学に興味を持ち、フランス語を教えたという。とくに18世紀の啓蒙思想家、ヴォルテールやルソーの著作を好んで読んだ。その後ハレ大学で博士号を取得する。1810年に作家としてのキャリアを開始し、現在では多作劇作家として最もよく知られている。
(ヴォルテールらについては拙作ゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話や第7.5話で解説しているので、よろしければそちらもご覧頂きたい。)
前回の記事でも紹介した「ミネルヴァ」に掲載された「死者を起こすことなかれ」の表紙。D.Ernst Raupachとある。つまり、「エルンスト・ラウパッハ博士(ドクター)」と肩書き付きで紹介している。
ラウパッハは1816年に結婚するも、最初の妻は産褥熱で亡くなり、生まれた子もすぐに死ぬという不幸に見舞われる。その後1848年、ベルリンの女優アマリー・ポーリン・ヴェルナーと再婚することになる。このアマリーもドイツ語wikipediaに専用の記事がある人物なので、ドイツでは現在でも名の通った人物のようだ。
ラウパッハは最初の妻の死後ヴァイマルに移り住み、「魔王」や「ファウスト」で有名なあのゲーテとの実りのある交流を期待したという。ところがゲーテはラウパッハに興味が無かったようで、社交辞令的な対応に終始し、余所余所しい態度を取った。この対応にラウパッハは怒り、定住する気でいたヴァイマルを離れてベルリンへ移り住むことになる。その後は多作劇作家として活躍し、ベルリン劇場のために1820年から1842年の間に、98の演劇を制作する。その過程でラウパッハは今回紹介した「死者を起こすことなかれ」を1823年、アンソロジー「ミネルヴァ」にて発表したという流れになる。
2.クロフォード女史による、「死者を起こすことなかれ」の解説
①吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳のご紹介
②最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
上記の記事では、「死者よ目覚めるなかれ」拙訳を紹介し、そして断片的な情報から作品の解説を行った。ここではクロフォード女史による作品の解説を、ピックアップして紹介したい。
1)死者よ目覚めるなかれの一連の解説
まずクロフォード女史はこの作品のストーリーの一連の流れを紹介している。それを見る限りでは、私の拙訳は大きな間違いはしていなかった。日本で唯一この作品を紹介している、マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」なんかを見る限りだと、後妻スワンヒルダの存在は一切触れていない。ウォルターが、それまで尽くしてくれた後妻スワンヒルダと一方的に離婚する件はあまりにも酷過ぎるので、翻訳ミスとか、私がなにか勘違いしたんじゃないかと思ったぐらいだ。だが翻訳ミスなどではなく、翻訳通りであった。
2)主要人物の髪の色について
2つ目、原著ではブルンヒルダは「漆黒の髪」、後妻スワンヒルダは「金髪」とある。そしてウォルターはスワンヒルダの拒絶された後、美人狩猟者をお持ち帰りするが、この狩猟者は原著だと「茶髪」とある。そして容姿は後妻スワンヒルダに似ていると描写されている。
さてクロフォード女史の解説だと、この狩人はブルンヒルダと同じブルネットの髪を持っているとしている。だが先程述べたように、狩人の髪の色は茶髪とある。そもそも原著ではブルンヒルダの髪は漆黒という表現になっており、ブルネットという言い回しにはなっていない。まあ黒い髪を指していることに関しては間違ってはいないが。ともかくこの発言を受けて「狩人はブルンヒルダに似ている」と解説している海外の個人ブログを見かけたりもした。だが先程も指摘したように、原著ではあくまで狩人は茶髪とあるので、この解説には少々疑問符が付く。
3)「3」と「7」という数字の過度の使用について
私の拙訳では、度々「7日後」という表記があったのを皆様は覚えているだろうか。普通なら7日後と言わず1週間と言うだろう。この件に関してクロフォード女史は言及しており、ラウパッハは「3」と「7」という数字を過度に用いていると述べている。「3」に纏わるものは、三叉路や3日後という表記後所々に見られる。ただクロフォード女史は「3」と「7」が多用されている事実だけを述べており、ラウパッハがなぜこの数値を多用したのかまでは言及していない。さすがに理由までは分からなかったようだ。しかしラウパッハはなぜ「1週間」と書かず「7日後」という表記に拘ったのか、非常に気になるところである。
4)ビュルガーの「レノーレ」との関連性について
私は翻訳する際に気にも留めなかったが、本文には馬に乗って駆けていくシーンが2つ程ある。一つはウォルターがスワンヒルダと離婚を決意する時。2つ目はウォルターが魔術師と共にブルンヒルダを殺しに行く時。クロフォード女史によれば、この時に馬に乗って風景がどんどんと変わっていく様子が、ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーの韻詩「レノーレ」を想起させると述べている。ビュルガーはロマン派を築いたとも言うべき詩人で、それこそこの「レノーレ」によって一躍有名になったと言われている。
また結婚後妻の妹と恋に落ち,その苦悩を歌った詩でも有名になった。
(ビュルガーの妻の妹、オーガスタ・レオンハート:肖像画① 肖像画②)
「レノーレ」はマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」でも吸血鬼文学として紹介されている。だがこの作品はそもそも吸血鬼という単語すら出てこない。但しこの作品の一文が、あの「吸血鬼ドラキュラ」において用いられている。また「レノーレ」は民話をもとに作成されたものだが、その民話が民間伝承の吸血鬼伝承との関連性が指摘されている。こうしたこともあって「レノーレ」は吸血鬼文学に影響を与えたとして、吸血鬼解説本でも時折目にする作品である。この詩の日本語訳は荒俣宏編纂「怪奇文学大山脈Ⅰ」に収録されているほか、 cygnus_odile氏が翻訳・サイトで公開(されている。
また私も「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第9話」にて、ゆっくり劇場で再現したので、よろしければそちらもご覧頂きたい。
話を戻すと、「レノーレ」は当時かなり有名になった作品であり、特にイギリスで大人気となった。「この作品以上に英訳された作品はない」とまで言われたほど。有名所を挙げればイギリスの詩人サー・ウォルター・スコット、現在は画家として著名なダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが英訳を手掛けている。とくにロセッティの英訳は若干16歳の詩集として、大いに好評を得たという。この作品は後に日本の文壇にも影響を与えている。このあたりの詳しい解説は、「ゆっくりと学ぶ吸血鬼9話」で詳しく解説している。
このように「レノーレ」は当時かなり有名になり、欧州では長年愛読されてきた作品である。ラウパッハもこの「レノーレ」にあやかりたかった、またオマージュしたかったということは十分考えられる。
5)美人狩猟者はヘビではなくてドラゴン?
物語のラスト、ウォルターは美人狩猟者と性行為に及ぼうとした瞬間、なぜか狩猟者はヘビに変身、ウォルターを潰して殺害してしまう。ここでクロフォード女史はヘビでなくてドラゴンではないかと指摘している。但し、ここの書き方は「スネーク(ドラゴン?)」となっている。最後のシーンは城が焼け落ちることもあるので、同じ爬虫類ならヘビよりドラゴンかも、という根拠のない推論のようだ。
6)この物語の意図について
クロフォード女史は、この物語の意図について解説している。この物語を日本で知る手段は、マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」か、それを受けて作られたTEAS事務所「萌える!ヴァンパイア事典」のみである。そこの記述は大体以下の通り。
夫ウォルターは、死んだ妻を思い続ける。そしてある日、魔法使いと知り合ったので生き返らせて貰う。
↓
ブルンヒルダは特に子供を餌食にしていた。そして夫だけは襲わないようにしていたが、血の衝動には勝てず、遂に「魔法の虜となった」夫を襲ってしまう。
↓
そして夫は魔法使いにブルンヒルダを殺す方法を聞いて、ブルンヒルダを殺す。
これだけなら、美しい夫婦愛の物語だと勘違いしてしまう。少なくとも私はそうとしか取れなかった。昔、掲示板等の書き込みを見ていると「愛する妻を二度も死なせる悲劇の物語」と考えている人はちらほらと見受けられた。ところが実際の内容は以下の通り。
・ウォルターの妻ブルンヒルダは死んでしまう。
・ウォルターはその後、スワンヒルダという女性と結婚、彼女との間に男子と女児を設ける。
・けどウォルターはブルンヒルダを忘れられない。ある日魔法使いが訪ねて来たので散々魔法使いが反対するなか、ブルンヒルダを蘇らせる。
・蘇ったブルンヒルダと暮らすべく、スワンヒルダに離婚状を突きつけて彼女を追いだす。
・幸せに暮らすも、ブルンヒルダは恐怖で城を統治する。また近郊の子供たちを次々と餌食にする。死なずに済んだ人は次々と領地から逃げていく。
・襲う子供がいなくなったので、ブルンヒルダはウォルターの子供を襲い死なせる。そしてついにウォルターをも襲うが、気付かれてしまう。
・ウォルターは魔法使いを探し出して、ブルンヒルダを殺す方法を聞いてブルンヒルダを殺す。
・何もかも失ったウォルターは、スワンヒルダとよりを戻すべく、許しを乞いにいくも断られて泣きじゃくる。
・その帰路、スワンヒルダに似た美女をお持ち帰りする。
・そして結婚式あげて、性行為に及ぼうとした瞬間、彼女はヘビに変身、ウォルターは押し潰されて死んでしまう。
このようにウォルターの行動は余りにも身勝手過ぎて、もはや人間のクズである。とくにスワンヒルダを一方的に離婚状を突きつけて、子供たちとも別れさせて置きながら、自分の都合が悪くなったら復縁を迫るあたりは、唖然とさせられる。
私の動画でもこの一連の流れを紹介したとき、ウォルターのあまりにも突き抜けたクズ行為に視聴者様も、このクズさはもはや笑うしかないといったコメントがいくつもあったほどだ。
さてクロフォード女史によれば、この物語はサスペンスでない、つまりドキドキハラハラさせることでなくて、一貫して意図的かつ道徳的な方法で読者に反感を感じさせることが、ラウパッハの目的だろうと述べている。
ウォルターの行動は社会的なタブーばかりだ。死者を蘇らせる、姦通、そして重婚。キリスト教的にも禁忌な行為をウォルターは行っている。つまりこの物語は、1つの教訓話であるということだ。
実はこの物語が最初に収録されたアンソロジー「ミネルヴァ」は、教訓的な物語を紹介することを目的としたものだったという。そういった経緯もあってこの物語が生まれたようだ。物語の最後は「死者を起こすことなかれ!」という声がどこからともなく聞こえて終わるが、このあたりからも、教訓話だろうという推察を後押しするだろう。
7)ジョン・ポリドリの小説「吸血鬼」との関連
1819年に作られたジョン・ポリドリの「吸血鬼(The Vampyre)」は、現在の吸血鬼のプロトタイプだとされている。これは私の独断と偏見という訳ではなく、海外の研究者や識者はそのような認識であり、まず海外の吸血鬼解説本でもそのように紹介される。民間伝承の吸血鬼は死体に悪霊が憑りついて動かしたもの、つまりゾンビみたいな存在で、ポリドリ以前は悪霊の類であった。
ところがポリドリの吸血鬼に出てくるルスヴン卿という吸血鬼は、「夜会服に身を包む」「美形」「冷酷で厭世観を漂わせる」「美女の生き血を好む(但し処女には拘らず、人妻も狙う)」「力が強い」といったように、今の吸血鬼の土台を作り上げた作品である。アニメやマンガを好む層に受ける言い方を用いるとすれば、ルスヴンこそが「真祖」と言える唯一人の吸血鬼だ。このあたりについては「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話」をご覧いただきたい。
(真祖という言い方は海外にはない。あくまで近年の日本で生まれた設定。よく真祖設定がない作品にまで「この吸血鬼は真祖だ!」なんていう人がいるが、それは誤りである。そういったことを言った時点で「にわか」扱いされるので気を付けて頂きたい。)
現在吸血鬼の代名詞はブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラであるが、そのドラキュラでさえこのルスヴン卿の影響を受けて出来たものにしか過ぎない。いや、今現在、ありとあらゆる創作の吸血鬼はルスヴン卿の亜流でしかなく、意地悪な言い方をすれば、今なお創作における吸血鬼は、ルスヴン卿から脱却できていないといっても過言ではない。
さて今回紹介した「死者を起こすことなかれ」であるが、この作品は英・米・日本では長らく1800年初版であると信じられてきた。つまり始祖の吸血鬼ともいうべきポリドリの「吸血鬼」よりも前に出来た作品であると信じられていた。そしてこの作品は小説という媒体では最初の吸血鬼作品であるとも思われてきた。ところが前の記事で解説したように、1800年初版というのは根拠がなく、今の所現存しているものから辿れるのは1823年に出版されたものが最古となる。つまりこの作品は、ポリドリの吸血鬼の後に出来た作品であるということだ。
詳細は「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話」をご覧いただきたいのだが、ポリドリの吸血鬼は1819年イギリスで出版以降、ヨーロッパ中で大ブームを引き起こした。重版は勿論のこと、とくにフランスでの人気が凄まじく、1年後には早くもシャルル・ノディエによって劇場化された。これが好評となり、フランスでは夥しいほどのパクリ劇が生まれたほどであった。あのアレクサンドル・デュマ・ペールもシャルル・ノディエの吸血鬼の劇をリメイクした。またこのノディエの劇からオペラまで翻案されている。特に有名なのが1828年、ドイツのハインリヒ・マルシュナーの「吸血鬼」というオペラだろう。
何が言いたいのかと言うと、「死者を起こすことなかれ」がポリドリの「吸血鬼」より4年後に生まれたとなれば、この「死者を起こすことなかれ」も、ポリドリの吸血鬼ブームに乗っかって作られた作品であるかもしれないということだ。ポリドリの吸血鬼は当然、ドイツでも大ブームとなっていた。あのゲーテが「この作品こそはバイロン卿の最高傑作である」とべた褒めしているのだ。この件に関して独文学者の種村季弘は「吸血鬼幻想」において、「炯眼なゲーテにしては軽率な評価をした」と述べている。
(ゲーテはポリドリの吸血鬼の作者をバイロンだと思い込んでいた。詳細は上記の動画にて)
これは私の憶測でしかないが、ラウパッハはアンソロジー「ミネルヴァ」のテーマに沿うように教訓話を作ろうとした。そして当時ヨーロッパ中を熱狂させたポリドリの吸血鬼にあやかり、吸血鬼をモチーフとした教訓話を作ることにした、ということは十分考えられる。少なくとも的外れな推察でないだろう。
実はamazonで購入できるLasst die Toten ruhen (German Edition)には、ちょっとした作品の解説がある。残念ながら私はドイツ語は読めないし、機械翻訳の精度もあまりよくないので内容はあまり理解できなかった。だがそれでもポリドリの吸血鬼と関連性が指摘されている。
この作品は今まで、吸血鬼の始祖たるポリドリの作品より前に出来たと思われていた為、その貴重性が注目されていた。だからこそ「日本語訳が読んでみたい」という声が、ずいぶん昔から聞かれたものだった。だがポリドリの「吸血鬼」より後に出来たとなると、その神秘性は失われてしまうことになる。これはこの作品を随分前から知っていた人からすれば、残念に思われる部分だろう。
今回のクロフォード女史のレジュメの内容紹介は以上となる。「Journal of Popular Culture」にて、38ドルで購入できる。購入する際はメールアドレス等の登録が必要。また購入はクレジットカードが必要となる。研究室所属大学生や企業の研究職の方ならば「Research gate」で無料で手に入れることが出来るようだ。
だがクロフォード女史が出版した「The Origins of the Literary Vampire(amazon)」では、上記で紹介したものよりもより詳細に紹介している。日本のamazonストアでも購入できるし、ハードカバー版ならいまならPDFを購入するより安く済む。キンドル版もあるので、個人的にはこちらの購入をお勧めしたい。
さて「死者よ目覚めるなかれ」は「最初の吸血鬼小説&女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説」ではなくなってしまった。では最初の吸血鬼小説は一体どの作品になるのか?その解説を次回の記事で紹介したい。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
この記事は2017年10月10にブロマガで投稿した記事を移転させたものです。
リンク修正は行いましたが、抜けがあればご連絡下さい。
下は元記事のアーカイブ。
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