吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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「吸血鬼文学名作選」(東雅夫編)に、当ブログが紹介されました【レビューもあり】

吸血鬼文学名作選



 2022年6月30日、創元推理文庫から東雅夫編「吸血鬼文学名作選」が刊行されました。東雅夫氏はこれまでにも、「血と薔薇の誘う夜に」:角川ホラー文庫(2005)、「ゴシック名訳集成 吸血妖鬼譚―伝奇ノ匣〈9〉」:学研M文庫(2008)といった吸血鬼アンソロジーを送り出してきましたが、今年になって久々に吸血鬼アンソロジーを刊行されということになります。


 その「吸血鬼文学名作選」ですが……なんと今回このアンソロジーにおいて東雅夫氏が、参考すべきサイトとして当ブログをご紹介して下さっておりました!!


 こうしてニコニコ動画やブログで吸血鬼の啓蒙活動をしてきてよかったなと思えた瞬間でした。自慢話となってしまいますが、簡単に事の経緯を紹介していきたいと思います。勿論、吸血鬼を解説する当ブログの本旨として、収録された作品のレビュー・感想も簡単にだけ紹介していきます。


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 上記は、ニコニコのブロマガに投稿した記事を移行させたもので、このはてなブログに引っ越ししてからも一番反響があった解説記事。内容は、「吸血鬼」という和製漢語を作ったのは南方熊楠であると思われていたが、熊楠以前にも使われていた用例を発見したという記事。詳しい経緯は過去記事をご覧頂きたい。


 簡単に経緯説明すると、2016年6月に私は、ニコニコ動画で同じゆっくり解説動画を作成されている烏山奏春氏に、吸血鬼という言葉の成立に関することを話したことが事の始まり。「吸血鬼」という言葉を作ったのは南方熊楠がだとされている。根拠は、1914年に芥川龍之介は「クラリモンド」の邦訳で、vampire「夜叉」と訳していた、その翌年1915年、熊楠は「詛言に就て」vampire「吸血鬼」という言葉で紹介していた。以上から熊楠造語説が有力視されている。この情報ソースは東雅夫編「血と薔薇の誘う夜に」である、ということを奏春氏にTwitterで伝えた。この東雅夫の説は、森瀬 繚, 静川 龍宗「図解 吸血鬼」(2006)などでも紹介されている。


 翌日、私の言ったことが気になった奏春氏が独自調査をしたところ、熊楠より1年前、1914年6月の押川春浪の小説「武侠小説 怪風一陣」においても吸血鬼という単語が使われていたということを発見、連絡してきた。これまでの定説が覆された瞬間なので、私は大いに驚いた。そして翌日、さらに事態が進展する。我々のやりとりをなんと東雅夫氏が見て下さり、下記のようなコメントも頂けた。これには私も奏春氏も大変驚いた。



 これにより更に多くの方の目にとまり、更に古い用例を見つけた方も出てきた。こうしたことがあったとあと奏春氏は、吸血鬼という言葉の用例の更なる調査を行った。その結果、吸血鬼という単語は熊楠以前にもいくつも使用例が確認され、ブラム・ストーカーがドラキュラを刊行する1897年以前からも確認できた。最終的には「吸血鬼」と言う言葉が確認できた一番古い年は、1873年(明治6年)であったことが確認された。奏春氏の調査報告を、ご本人の許可を得てまとめたものが、先ほど紹介した上記のブログ記事となる。この「吸血鬼」という単語の成立に関する新発見と詳細な解説は、当ブログ(とニコニコ動画)が初であり、唯一の詳細な紹介事例だ。東雅夫氏のリプライ含め、以上の流れは先ほどのブログ記事で紹介しているので、詳細が知りたい方はぜひそちらの記事もご確認頂きたい。ちなみにこの件はブログよりも先に、ニコニコ動画で紹介している。ニコニコ動画の方もかなり反響があったので、よろしければそちらもぜひご覧頂きたい。


 以上、新発見は2016年だが、事の経緯をまとめて紹介したのは2018年になる。この件が公に紹介されたのは2020年に発売された山口雅也・総指揮「甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション」だ。ここに山口雅也と京極夏彦による対談が行われ、そのなかで京極氏が「熊楠説を考証したアンソロジストの東雅夫さんから、ネット上で押川春浪の『怪風一陣』(1914年)という武侠小説にも吸血鬼という言葉は使われているので、そちらの方が早いという指摘があったと聞きました。ネットの集合知とはすごいもので、その後もさらに早い用例がいくつか発見されているようです。」と語っていた。



 そして今回、その東雅夫氏の吸血鬼のアンソロジー「吸血鬼文学名作選」を刊行された。今回のアンソロジーには小泉八雲/平井呈一訳の「忠五郎のはなし」と、芥川龍之介が翻訳した「クラリモンド」が収録されている。小泉八雲は、来日前からゴーティエの「クラリモンド」がお気に入りで、ラフカディオ・ハーン時代に英訳していた。その英訳版を元に日本語訳にしたのが芥川龍之介である。この「忠五郎のはなし」の解説において、「血と薔薇の誘う夜に」と「クラリモンド」の名が出たところで、是非とも一言しておかねばならない件があると書かれていた。そう、吸血鬼という単語を作ったのは南方熊楠ではなかったということが紹介されていたのだ。前半は「血と薔薇の誘うよるに」でも解説していたこれまでの「南方熊楠造語説」を紹介、だが実は南方熊楠ではなかったということを紹介、そしてそのことを突き止めたのが烏山奏春氏であり、それを紹介した当ブログ「吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ」であると、ご紹介してくださっていた。


 この件は、私が「吸血鬼文学名作選」が届いたことをTwitterで呟いたら、東雅夫氏から直接リプライを頂いて初めて知った次第。


 冒頭でも紹介したように、こうして吸血鬼の啓蒙活動を続けてきてよかったなと思った瞬間でした。ぜひ実物を手に取って、詳しい解説をご覧になってみて下さい。


 私事だけではあれなので、吸血鬼解説ブログらしく、ここからは「吸血鬼文学名作選」に収録された作品のレビュー・感想を簡単にだが紹介していこう。都合上、ネタバレもしていく。なるべくネタバレしないようにしていくが、気になる方はご注意を。また今回読んで特に感想が思いつかなかったものは、紹介を省いている。


須永朝彦「彼の最期」「三題噺擬維納風贋画」

 「彼の最期」は、手書きの原稿も収録されている。両作品とも、ストーリーよりかはその雰囲気を味わう作品というべきだろう。ぶっちゃけ須永氏も、ストーリーなんて二の次で、雰囲気優先で作ったんじゃないかと思う。それぐらい「ゴシック」な雰囲気漂う作品だった。「彼の最期」は設定が面白かった。血液銀行という機関、ポリドリやブラム・ストーカーなど、吸血鬼に関する実在の人物の手助けを借りたという設定が面白かった。この設定で長編をかけば面白くなりそうだと思うぐらい、いい設定だと思った。


須永朝彦訳「死者の訪ひ」(スロヴァキア古謡)

 スロバキアの古謡を日本語訳にしたもの。国書刊行会の「書物の王国12 吸血鬼」にも収録されており、既に読んだことがある。その時は、こんな話があるんだなぐらいの感想だった。ところが巻末の東雅夫の解説によると、当時の国書刊行会の編集担当曰く、須永持ち前の茶目っ気による真っ赤なフェイク、安全オリジナルの作品であったという。正直、こうした嘘はその場でネタ晴らしするのであればいいが、本当に信じてしまう人が出かねない嘘をそのまま紹介するというのは、編集は止めるべきだ。現に、今回この解説がなければ本当にスロヴァキアの古謡であると信じる人が未だにいたことだろう。この行為はすくなくとも私は容認できない。


菊地秀行×須永朝彦「対談 吸血鬼 この永遠なる憧憬」

 吸血鬼ハンターDシリーズでお馴染み菊地秀行氏と須永の対談。元は1990年「幻想文学第28号 特集:吸血鬼文学 真紅のデカダンス」に収録されており、1993年に東雅夫の「ドラキュラ文学館 吸血鬼小説大全 (別冊幻想文学7) にも再録された。私は「ドラキュラ文学館」の方で既に読んでいた。吸血鬼の由来から、昭和の吸血鬼映画の話に至るまで、なかなか濃密な対談だった。


菊地秀行「D――ハルマゲドン」

 ご存知「吸血鬼ハンターD」シリーズの外伝とも言うべき作品。中二病バトルがこれでもかと繰り広げられている。ストーリーはこれだけでは何のことかは分からないが、吸血鬼がもつ「中二的」な魅力は存分に味わえる。


江戸川乱歩「吸血鬼」

 江戸川乱歩は1930年から31年にかけて、名探偵明智小五郎作品の一つでもある「吸血鬼」という同名の長編小説を書いているが、これは1926年に書いた「早すぎた埋葬」をメインテーマとして吸血鬼エッセイ。東欧に伝わる民間伝承の吸血鬼を詳しく解説している。こうした創作でない、本来の東欧の吸血鬼の紹介は乱歩以前にも紹介されている事例があることは知っていた。だが乱歩が、科学的な面から吸血鬼を紹介していたことには驚いた。乱歩は「吸血鬼とされた人の死体」について紹介していた。吸血鬼とされた人の墓をあばいて棺桶を開けると、死体がまるまると太っていることがある。こうした現象は、腸内の微小有機体によってはじまり、ガスを発生させる。その膨張力は大気の1倍半を超えるとか、ガスの力は横隔膜を上方に押し上げ、体内深くにある血管中の血液を滲み出させて、死人の血色がよくする、または切ったり突いたりすると鮮血がほとばしるのもこの体内循環が原因だろう。そして吸血鬼が発するこの異様な叫び声も、体内から発生したガスが咽喉から押し出されるときの音響かもしれない。吸血鬼とされた死体の爪や頭髪が伸びるというのは少し解釈に困るけれど、これは見る人の気のせいだと言えば、一応うなづくことができる。乱歩は以上のよう、吸血鬼という現象を科学的に紹介していた。


 吸血鬼とされた死体の科学的な根拠が、戦前の日本でもある程度既に理解されていたということが非常に驚いた。こうしたことを乱歩は、一体どのように知ったか、非常に気になるところだ。ちなみになぜ死体が吸血鬼と思われたのかは、ポール・バーバー著「ヴァンパイアと屍体」に詳しく解説されている。乱歩が疑問に思った「なぜ吸血鬼とされた死体が、死後爪や頭髪が伸びるのか」ということについても解説されている。バーバーによれば、体の水分が失われることによって、頭髪が少し伸びたように見えるのだろうとしている。この件はもっと納得のいく根拠があって、それは2018年、NHKBSプレミアムで放映された「ダークサイドミステリー」「永遠の命!?吸血鬼伝説の真相〜人類は天敵に勝てるのか?〜」で紹介されていた。ここでは法医学の専門、兵庫医科大学法医の西尾元教授が、法医学の観点から吸血鬼を解説していた。西尾教授によれば、人が死んだとしても細胞全部がすぐさま活動を停止するのではなく、しばらくは細胞は生きているという。それにより頭髪や爪も、死後も新陳代謝により伸びることがあるということだった。ダークサイドミステリーは定期的に再放送されるので、興味がある方はぜひご覧になってみてください。

「ヴァンパイアと屍体」は今年新装版が新しく発売されました。


城昌幸「吸血鬼」

 エジプトが舞台でそこで起きた奇怪なこと体験した日本人の話。これも「ドラキュラ文学館」で既に読んだことのある作品だった。1930年に発表された作品で、血を吸われたらミイラのようになる、吸血鬼に血を吸われると性的快感があるという、今ではよくある描写が、戦前の日本で既にあったということに驚いた作品。今回読み返してみると、最後のオチが投げっぱなしで残念だった。謎に関して考察するような情報がなくて、話がなんとも煮え切らない。


柴田錬三郎・日影丈吉・都築道夫

 いずれもかなりエロティックな女吸血鬼の物語。エロい女吸血鬼の作品がこんなにもあったことに驚いた。


 柴田錬三郎の「吸血鬼」はエログロホラー。ホラーとしては、今の刺激的に満ち溢れた作品と比べるそのオチは「手ぬるくて優しい」と感じた。まあ当時の価値観と今の価値観とで比べるのはお門違いというのは重々承知はしているのだが、でもやはり先ほどの感想が出てきてしまった。


 都築道夫の「夜明けの吸血鬼」は設定が非常に面白いと思った作品。今なお通用する面白さだと思う。いうなれば、死ぬことができない吸血鬼に、父、息子ともに関わっていた。女吸血鬼がいまだ現代でも生きていて、孫、曾孫もおなじ妙齢の女吸血鬼に誘惑されるなんて話を書いたら面白くなりそうだ。「毛」に関する描写には思わず笑ってしまった。腋毛を覗かせる小柄な女性などは、時代を感じさせる。顔は幼いのに、下半身は陰毛が成人女性の如く生えそろった幼女は、思わず笑った。いや、これにはきちんとした設定があるし笑うシーンでないことも理解しているが、それでも笑ってしまった。説明したいところではあるが、物語の根幹にかかわる部分なので詳細は伏せる。


小泉八雲/平井呈一訳「忠五郎のはなし」

 「吸血鬼」という言葉は一切でてこないが、被害者の男は血を吸われつくされ、血管には水ばかりとなっている。小泉八雲は来日前、ラフカディオ・ハーンと名乗っていた時代、ゴーティエの作品を好んでおり、「クラリモンド」を始め多くの作品を英訳した。とくに「クラリモンド」は東大の講義においても傑作であると紹介するほどだった。このクラリモンドに影響を受けて作ったのが「雪女」であると考えられている。東雅夫によれば、この忠五郎のはなしも、ゴーティエの「クラリモンド」の影響を大いに受けたと思われる作品だという。確かにクラリモンドのような「美男子と美女」「ファム・ファタール」「血を吸う女」「最後は女との約束を破り破滅を迎える」という共通点がある。話としてはただの怪談話と言った感じだが、小泉八雲/ラフカディオ・ハーンが西洋の小説、とくにゴーティエを代表とするファム・ファタール作品を好んでいたということを知れば、また違った面で見ることできて面白い。ちなみにニコニコ動画で、小泉八雲とクラリモンドと雪女に関する共通点を解説しているで、そちらも興味があればぜひ。


日夏耿之介「恠異ぶくろ」

 吸血鬼の初期研究を行って有名になったモンタギュー・サマーズ師の研究を、日本でいち早く紹介したのが日夏耿之介である。この「恠異ぶくろ」は、吸血鬼とフランケンシュタインが生まれるきっかけとなったディオダティ荘の怪奇談義を紹介したもの。今見ると、事の経緯の時系列が違っている。クリスタベル朗読後、バイロン卿がみんなで怪談話を作ろうという提案するという時系列で紹介している。これは種村季弘などもこの時系列で紹介しており、私もずっとそれを信じて居たが、現在は「皆で怪奇話つくろうぜ!」→「その翌日クリスタベル朗読」ということが、当事者たちの日記などから判明している。だが日夏が間違えたというより、日夏が参考にしていたものが間違っていたのだろう。恐らく、モンタギュー・サマーズ師が間違えていたのではないかと思う。


バイロン卿/南條竹則訳「断章」

 先ほどのディオダティ荘の怪奇談義の提案で、バイロンが作った小説。メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のまえがきでも触れられている作品で、「断片」と訳されることが多い。たった一日で散文に嫌気がさして、途中で筆を置いた未完作品。この後バイロンは吸血鬼を登場させる気であったらしい。断章は国書刊行会「書物の王国12 吸血鬼」(1998)と、ちくま文庫「イギリス恐怖小説傑作選」(2005)で読んだことがある。今回見たとき、以前読んだものとは違うものだと気が付いた。今回の訳では、護衛(イェニチェリ)トルコ兵に置き換わっていたのだ。今回の断章は国書刊行会が2018年に刊行した「英国怪談珠玉集」に収録された新訳であるという。このイェニチェリの変更は残念だった。元の方では"Janissarie"と言う言葉は2度出てきて、旧訳では一度目は「護衛(イェニチェリ)」と表記し、二度目は単に「護衛」としか表記しなかった。これもかなり不満だったのが、今回はトルコ兵に置き換えられていて、更に不満が募った。イェニチェリはオスマン帝国の常備軍だが、とくに征服地のキリスト教徒の少年を徴兵して作った軍隊だ。当然単なる軍隊ではなく、それだけで色んな歴史と文化を持つ。イェニチェリと検索すればwikpediaを筆頭に解説するサイトはすぐに出てくるし、漫画「ヘルシング」とかでも取り上げられた存在だ。それをただのトルコ兵と訳すのは、なんとも興ざめする話だ。知ってる人からすれば「トルコ兵」なのか「イェニチェリ」なのかで、受け取る印象は違ってくる。異国情緒感も醸し出すためにも、ここはそのままイェニチェリでよかったのにと思う。最近はネットですぐに検索できるし、なんなら注釈を入れとけばそれでよかっただろうに。これが非常に残念だった。


ジョン・ポリドリ/佐藤春夫「バイロンの吸血鬼」

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 今は更新が止まっているが、いずれ上記の「吸血鬼の元祖解説」シリーズで、春夫訳について取り上げる予定。だが簡単に感想だけ。春夫の解題を改めて読むと、ここも日夏耿之介と一緒で、クリスタベル朗読→みんなで怪談話書こうぜという時系列になってた。やはり当時はこの時系列が正しいと信じられていたようだ。あと春夫は、ポリドリの甥ウィリアム・ロセッティが出版した叔父ジョン・ポリドリの日記のまとめも読もうとはしていたようだ。もし春夫が読んでいれば、吸血鬼の出版事情がいちはやく日本に伝わっていたのではないだろうかと想像した。


 翻訳の方だが、種村季弘は、誤字や脱漏が多くて読むに値しないという辛辣な評価をしている(種村の「ドラキュラドラキュラ」で言及)。その翻訳は、当時弟子だった平井呈一が下訳している。というか、ほぼ平井訳らしい。春夫は、この作品はジョン・ポリドリのもので、当時は主人のバイロンの作品であると思われたと解説しておきながら、肝心の本編は「バイロンの吸血鬼」と銘打っている。春夫の茶目っ気が感じられるところだ。本編の前にある原作緒言は、ポリドリによる注記ではなく編集注記であることが現在では判明している。


 肝心の内容だが、春夫訳は何度か読んだが、やっぱり今回も文体が古すぎて読むのが辛いという感想になる。これがいいと言う人もいるのだろうが、私には合わなかった。ポリドリの吸血鬼の翻訳は他にもあるので、別の機会で紹介しよう。


ゴーティエ/芥川龍之介訳「クラリモンド」

 上記で何度も述べたが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)お気に入りの作品。ハーンの英訳は夏目漱石や芥川龍之介といった誰もが知っている文豪が目にしている。その為か多くの人が日本語訳にしており、おもにゴーティエのフランス語から直接翻訳したものと、ハーンの英訳から翻訳したものとがある。今回はハーン英訳を元に邦訳した芥川龍之介のもので、これがクラリモンドの初の日本語訳となるもの。私は芥川訳は青空文庫にあるものを読んだのが最初。最初読んだときは、最後のクラリモンドってなんとも辛辣で冷たいなぁという印象だった。後に他の人の翻訳をみて認識を改めた。芥川訳は言い方が冷たく感じるだけだった。クラリモンドはそんなに悪い存在と言えないし、最後のクラリモンドはつらく当たっても仕方がない。


 このクラリモンドは芥川の友人である文豪の谷崎潤一郎も翻訳しているのだが、状況証拠からどうも芥川訳を参考にしているようだ。vampireを夜叉と当てているし*1、芥川の誤字がそのまま踏襲されている。「谷崎潤一郎全集 第6巻」中央公論新社 (2015)の巻末解説によれば、芥川はヒー → C(地区の名前、C地区なのにヒーとした)、アルゲリトン → マルグリトン(黒人従者の名前、翻訳者によって表記がかなりバラバラ)といった間違いをしているのだが、それを谷崎も踏襲しているあたりから、芥川訳を参考にしているだろうと考えられている。


 そんな芥川の誤字は青空文庫では修正されているのだが、今回の「吸血鬼文学名作選」では、誤字がそのまま紹介されていることに気が付いた。そして「書物の王国12」などに収録されている他の芥川訳を見てみると、そちらも誤字はそのままだったことに気が付いた。非常にどうでもいいことだろうが、そんなどうでもいいことに気が付けたことが、なんともうれしかった。ちなみにクラリモンドは解説の一環として、ゆっくり劇場で動画で再現した。興味がある方はぜひご覧頂きたい。



須永朝彦編「小説・ヴァン・ヘルシング」

 一見するとブラム・ストーカーがドラキュラを作るまでを紹介したドキュメンタリーのようだが、これはモキュメンタリー、つまりフィクションを、ドキュメンタリー映像のように見せかけて演出したものだ。当ブログをずっと見てきた方は何となくお分かりになるかたもいらっしゃるかと思うが、私の興味は吸血鬼の成立の過程であり、そして「事実を限りなくありのままに正確に知る・伝える」ということを是としている。だからこうしたエセドキュメンタリは肩透かしもいいところであり、評価したくないというところが本音だ。いや、最初は確かに面白いと思ったのだけれど、それがただの創作だと知ったときの落胆は大きかった。こうしたものは事実だと勘違いする人も出てくるだろうから、やるのであれば本当のドキュメンタリーにして欲しかったところ。


 以上、簡単にだが作品の感想となる。ここで紹介していない作品は、言うべきコメントが思いつかなかったもの。以前にも読んだことがあるものも多かったが、改めて読んでみると新たな発見もあってよかった。吸血鬼に興味がある方は、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。


 今年2022年は、吸血鬼イヤーとも言うべき年で、この「吸血鬼文学名作選」が発売される1か月ほどまえ、東京創元社からブラム・ストーカーのドラキュラより前に刊行された吸血鬼小説を集めたアンソロジー「吸血鬼ラスヴァン」が発売された。本邦初公開の作品も多いので、次回はこの「吸血鬼ラスヴァン」の紹介を行いたい。本当なら先に発売されたこちらを紹介しようと思っていたのだが、当ブログを紹介されたことを早く言いたかったために「吸血鬼文学名作選」を先に紹介させていただいた。次回は数日後に紹介する予定です。ちなみに今年11月には、荒俣宏&紀田順一郎により吸血鬼のアンソロジーが刊行される予定です。


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*1:vampireという単語は作中2度出てくるが、芥川は2度目は訳さず。対して谷崎1度は芥川に倣って「夜叉」と翻訳するが、2度目のvampireは「吸血鬼」と訳している。なぜ使い分けしたのかは理由は不明。"vampire"の訳語の変異まとめの記事も参照されたし。