吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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英語に"vampire"の語が入ったのは1734年ではなかった?【ゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話、13話の訂正記事】

この記事は2018年9月30日に、ニコニコのブロマガにて投稿した記事を移転させたものです。下記は元記事のアーカイブ。

web.archive.org


 いつも「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」をご覧頂き、誠にありがとうございます。
今回は第7話と第13話その1で紹介していた内容の訂正させていただこうと思います。

動画はこちらから

 


 第7話では近代国家で最初に正式に公的記録として残された吸血鬼事件、1725年ペーター・プロゴヨヴィッチ事件1731年(発端は数年前)のアルノルト・パウル事件を紹介させて頂いた。

 西欧ではヴァンパイア=吸血鬼と呼ばれる伝承は18世紀になるまでは(あまり)知られておらず、現在「吸血鬼」を表す英語”vampire”もなかった。この英単語は1734年オックスフォード英語辞典(略:OED)に掲載されたのが最初と解説した。

 ところがゆっくりと学ぶ吸血鬼第13話で再び同じ話をしたとき、「OEDが出来たのはもっと後だから違う」との指摘を頂いた。結論から言えばこれはご指摘の通りで、私の勘違いだった。

 確かにOEDは編纂が始まったのがそもそも1857年と、一世紀も後だ。そして私が解説において参照したのは、ポール・バーバー著「ヴァンパイアと屍体」だ。
 P10に「そもそも吸血鬼(vampire)という語が英語に入ったのが、オックスフォード英語辞典に”よれば”1734年」と、確かに書いてあった。

 ハイド・クロフォード著「The Origins of the Literary Vampire Kindle版」No.100にも同様の記述があったし、英語wikipediaの「vampire」の記事においても、「OEDによればvampireという単語は1734年から1774年にかけて英語での民俗学的使用を記録している」という記述がある。

 これを私は「vampireという単語は、1734年”OEDによって”掲載された」と読み替えてしまっていた。こんな初歩的なミスを、しかも第7話の動画では堂々とサムネイルにしてしまい、本当に恥ずかしい限りである。視聴者の皆様には間違った情報を伝えてしまい、本当に申し訳ありませんでした。こうした情報発信をしているものとしては、こうした間違いは本当に犯してはならないと深く反省する次第です。

 ところでもう一つ指摘があったのは英語での初出は1732年だからオックスフォード英語辞典の記述も間違いなんだよなあ」というもの。これも指摘されて、初めて「そういえばおかしい!」と気づいた。

 第7話ではアルノルト・パウル事件が、欧州各地に広まっていったことを解説したが、そこではジャン・マリニー「吸血鬼伝説」(1994年)を引用して次のように解説していた。

王宮で読まれていたオランダ・フランス系の雑誌『ル・グラヌール』の1732年3月3日号では、豊富な資料を載せてアルノルト・パウル事件を紹介したという。

中略

同年(つまり1732年)、イギリスでもロンドン・ジャーナルが3月11日『vampire』という言葉を用いて、吸血鬼を紹介している。

第7.5話ではエリック・バトラー・著「よみがえるヴァンパイア」(2016年)においても、


『ザ・クラフツマン誌』において吸血鬼が紹介されたが、そこでは笑い飛ばされた。


という解説を見た。それが発行された正確な年月を調査したところ、リスター・マセソン著「Icons of the Middle Ages: Rulers, Writers, Rebels, and Saints(第1巻)」より、1732年5月20日号の「ザ・クラフツマン誌」に書いてあることまで当時既に突き止めており、動画で紹介していたのだった。

 自分で解説動画を作っておきながら、なぜこの矛盾に気が付かなかったのか不思議で仕方がない。1732年には既にイギリスで、ロンドンジャーナルとザ・クラフツマン誌において「vampire」(vamyre)という単語が使われていたのだ。


※動画でも解説したが、この当時のvampireのスペルは定まっておらずvampyre表記もある。Vampyreの表記は、特別だったり強力な吸血鬼を表すのに今でも使われている。(参考:マシュー・バンソン「吸血鬼の事典」:(実際に使われているPS4のゲーム「vampyr」

 今回の指摘を受けて本当に1732年の当時の英文紙面に「vampire」があったのかを探るべく調査してみた。1732年のロンドン・ジャーナルは見つからなかったが、ザ・クラフツマン誌1732年5月20日号は、画像を掲載するサイトを見つけ出すことができた。


 画像を掲載していたサイトでは、クラフツマン誌で紹介された吸血鬼について簡単な解説がなされている。

 他にもGoogleブックスで見つけたこの著書においても、「vampireという単語は1732年にできた」というような解説があった。

 そして偶然見つけた別の海外サイトでは、日本の書籍では見たことのない情報もあった

 イギリスにおいて1732年3月11日号のロンドンジャーナルと同じ3月に、別の媒体が吸血鬼を紹介していたのだ。それは「The Gentleman's Magazine:ザ・ジェントルマンズ・マガジン」1732年3月号第2巻だ。先ほどのサイトの解説によるとP681には

『ヴァンパイア』と呼ばれる特定の死体が、血をすべて吸うことによっていくつかの人を殺したことがある」と報告している。

と解説がある。先ほどのサイトには当時のThe Gentleman's Magazineを掲載するサイトが紹介されていたが、画像が表示されなかった。だがこれもGoogleブックスに当時の紙面の画像コピーが掲載されていたのを発見した。



 確かにP681に「vampyre」の説明がある。以上からオックスフォード英語辞典が「英語にvampireという単語が入ったのは1734年」とした理由は不明だった。

 これをさらに調査してみたところ、GoogleブックスにおいてSharon M. Gallagher著「The Irish Vampire: From Folklore to the Imaginations of Charles Robert Maturin, Joseph Sheridan Le Fanu and Bram Stoker」のサンプルを見つけた。

 そこの解説によると、1745年The Travels of Three English Gentlemen(3人の英国紳士の旅)が、「vampyre」が初めて英語で登場したテキストとされる、というような紹介をしていた。そこでGallagherは1600年から1950年までの英文新聞を「vampire OR vampyre」の単語で検索をしたところ、次のような結果が得られた。

 Grub Street Journal contained(グラブ・ストリート・ジャーナル)1732年3月16日版には、1731年のハンガリーにおいて吸血鬼に人が殺された云々という説明があった。つまりアルノルト・パウル事件が紹介されていたのだ。

Gallagherは

これが最初に英語で「vampyre」が印刷された確かな例とは言えないが、10年後の1745年の「3人の英国紳士の旅」に先行しているから結論は出せない。

というようなことを述べている。(ここら辺はGoogle翻訳と辞書片手に翻訳したが自身がない)

 このように日本の書籍では見かけない新たな説が出てきた。だがこれを見る限りではオックスフォード英語辞典が1734年としたのは、吸血鬼の本場海外の研究者(評論家)から見ても不可解に思っていることは確かなようだ。

2018/10/1追記
 以前から所持していたマシュー・バンソン「吸血鬼の事典」(1994)にも、『英国三紳士の見聞録』という見出し語で掲載されていたのを発見した。

1745年にロンドンで出版された。英語において vampyre なる単語が用いられた最も初期の例の一つ

 「最も初期の例の一つ」という書き方が何ともいやらしい。吸血鬼の事典でも1732年にアルノルト・パウル事件が西欧諸国で広まったことも解説している。この時はすでにvampire,
vampyre表記入り乱れている。だからなぜ1745年なのに「初期の例の一つ」と紹介したのか根拠が知りたいところ。
 ただマシュー・バンソンは本来は宗教関係の研究者であり、どうも吸血鬼は趣味で調べているようだ。そして吸血鬼の事典は二次資料からの引用も多く、一次資料を調べていないのが見受けられる(それを詳しく解説した記事)
 だからマシュー・バンソンも他の参照文献からそのまま引用しただけなのだろう。『英国三紳士の見聞録』は最初期にvampyreという言葉を使った例という認識が、海外ではあることが確認できた。ただその根拠を解説している書物はあるのか。そして明らかに1732年にも使用例があるので、その矛盾点を突く解説が現地にあるのか気になるところ。これ以上は海外の吸血鬼解説本を調査するしか、今のところ手立てはない。

追記ここまで

これ以上の調査となると、海外の吸血鬼解説本や当時の英国の新聞や雑誌を総当たりするしかないので、ここまでとしたい。以上、間違った解説の調査をしていたら、思わぬ情報を見つけ出したことは収穫だった。

 1731年のアルノルト・パウル事件は、欧州ではこぞって1732年に紹介された。イギリスにおいてはロンドン・ジャーナル紙とザ・クラフツマン誌が紹介していたというのは知っていた。だが同じ年にザ・ジェントルマンズ・マガジン、クラブ・ストリート・ジャーナルという雑誌も紹介していたということは、日本の吸血鬼解説本では見たことがなく、今回の調査で初めて知った。

 こうしてみると、日本では吸血鬼と言う存在はサブカルチャーにおいてポピュラーな存在なのにもかかわらず、こうした吸血鬼の歴史における部分はまだまだ全然伝わっていないな思わされる。こうした情報を少しづつでも発信し続けるように、頑張りたいと思います。



 さて動画の13話その1やその2では「吸血鬼という言葉の成り立ち」について、他にも色々間違った解説をしてしまった。動画内では動画を作る上で基礎調査を行われて情報提供してくださった烏山奏春氏自ら訂正コメントされているが、きちんと訂正解説を行おうと考えていた。だが動画は作るのに時間がかかるし、その内容はもともとブロマガ記事でも発信しようと考えていたので、その記事をもって動画の内容も修正した完全版とさせて頂きたい。

 とくに今回は、烏山奏春氏がご厚意により情報提供してくださったのに、単純な早とちりにより間違った解説をした挙句、奏春氏のお手を煩わせてしまったため、余計に恥ずべきものだと猛省しております。今後はこういったミスがないように、動画作りに励んでいきたいと思います。

 というわけで次は、ゆっくりと学ぶ吸血鬼第13話①~③で紹介した、vampireの訳語の移り変わりについて、何回かに分けて投稿していく予定です。

原稿は出来たので、初回は近日中に投稿予定です。