吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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芥川龍之介に英語を教えた先生は、吸血鬼にも詳しかった!?【ヴァンパイアの訳語の歴史⑤】

【目 次】
『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!
英語ヴァンパイアの最初の翻訳は「吸血鬼」ではなくて『蛭』だった! 
『吸血鬼』は和製漢語で中国へ伝来した!
吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた!日本の『鬼』とは関係がない?
戦前の日本で吸血鬼といえば『女吸血鬼』が主流だった?
⑤この記事
ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?
 番外編:「怪物」が『フランケンシュタイン』に変わったのは何時?
⑦ "vampire"の訳語の変異まとめ【最終記事】
日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブログ記事を参考にした卒業論文が作られました


 前回の記事からの続きです。前回の記事を見たという前提で話が進みます。今回も烏山奏春氏ドロップボックスで公開した「vampire訳一覧.pdfから解説していきますので、併せて奏春氏のPDFの方もご覧ください。またこの記事は、動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第13話」で先行して紹介した内容となります。動画では一部誤った解説をしているので、それらの訂正もしたものとなります。

奏春氏のドロップボックスの現在の公開先はこちら(2019年4月18日)

【前 提】

Vampaire(ヴァンパイア)=英語で吸血鬼の意味

ドラキュラ=ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」に登場する吸血鬼。     つまりドラキュラ伯爵という個人を表し、決して吸血鬼全体を示す一般名詞でない。ここでは混同を避けるために厳密に使い分ける


 以前の記事と重複するが、改めて現状を整理しておこう。まず今回の記事の発端となったのは、吸血鬼という言葉を作ったのは南方熊楠ではなかったというもの。

 吸血鬼と聞くと西欧のものしかイメージできないことから、吸血鬼という言葉は和製漢語であり、2016年までは東雅夫先生が紹介した「南方熊楠による造語説」が、有力視されていた。熊楠は1915年「祖言について」で、吸血鬼という存在を紹介している。熊楠造語説を後押ししていたのが、芥川龍之介1914年に発表したゴーティエの「クラリモンド(リンク先青空文庫)という小説の翻訳である。リンク先の青空文庫を見てもらえればわかるが、ここで龍之介は”vampire”「夜叉」とあてた。そしてそのすぐ後に出てくる、蠅の王として有名なベルゼブブはそのまま「ビイルゼバップ」としていることから、この当時の翻訳にはありがちな、西欧の語彙を分かりやすくするために日本の神仏に置き換えたわけでもなさそうだ。だから”vampire”の訳語「吸血鬼」という漢語は1914年にはなくて、熊楠が1915年に作り出したのであろうというのが、東雅夫先生の説であった。1929年の岡本綺堂による「クラリモンド」(リンク先青空文庫)では同じシーンで「吸血鬼」と翻訳している。

 この東雅夫説は「図解 吸血鬼」などの他の吸血鬼解説本でも紹介されていた。ところが2016年、烏山奏春氏の調査により、龍之介より数か月早い1914年6月、元祖SF小説家の押川春浪吸血鬼という言葉を使っていたことが判明、南方熊楠造語説は覆った。それどころかこの一連の流れのツイートを東雅夫先生が発見し、「本朝吸血鬼移入史上、新発見である」との太鼓判を押してくださった。

 これまでの記事①~④の解説、とくに烏山奏春氏がまとめた「vampireの訳語一覧.pdf」を見てもらえれば分かるが、龍之介が”vampire”「夜叉」として翻訳した1914年の時点ですでに、”vampire”「吸血鬼」と翻訳している事典はいくらでも見受けられる。龍之介がなぜ夜叉としたのかは依然謎のままであるが。


 さてきっかけとなる押川春浪が1914年に吸血鬼と使っていたわけだが、同年1914年に他にも”vampire”を「吸血鬼」と当てて紹介していた人がいたのだ。そしてその人物を知ったとき、私は驚きを隠せなかった。

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芥川龍之介「クラリモンド」発行日:1914年10月16日(当初は久米正雄名義で刊行)
青空文庫の一番下にあるように、発行年月日が同じであることが伺える。
画像詳細(10番目) 画像直リンク先



 1914年平井金三による「三摩地 心身修養」という本に、「吸血鬼」という言葉があったのだ。この本は芥川龍之介のクラリモンド発行より1日早い1914年10月15日刊行である、これは今風にいうとスピリチュアルの本なのだが、そこになぜか吸血鬼の解説があったのだ。

 さてこの平井金三という人は、明治の英文学者で近代宗教に大きな足跡を残した人だ。宗教や瞑想法についての著書を残している。そして実は…第一高等学校時代の芥川龍之介に英語を教えていた先生でもあった

 明治43年(1910年)9月16日 山本喜誉司宛書簡(月推定)に、龍之介による平井金三の思い出が書き記されている。

水曜日から授業有之、一週独逸語九時間英語七時間と云ふひどいめにあい居候 教科書はマカウレイのクライブ カーライルのヒーローウォーシップ及びホーソーンの十二夜物語の抜萃に御坐候。存外平凡なもののやうに候へどもそれを極めて正確に且つ極めて文法的に訳させ候。まゝ中々容易な事には無之候。殊にクライブを講ずる平井金三氏の如きはevery bodyを「どの小供でも」と訳を不可とし必ず「小供と云ふ小供は皆」と訳させI have little moneyを「あまり金を持つていない」と訳すを不可とし「金を持つ事少し」と訳させる位に候へば試験の時が思いやられ候

参考サイト
もう少しきちんとしたソースをご存知な方は、ぜひ教えてください。


 平井金三は英語の訳に特定の表現しか認めなかったようで、余りの細かさに龍之介がうんざりしていたのだ。分かりやすく4コマにしている方がいるのだが、どうも直リンク禁止なようなので「芥川龍之介 平井金三」で検索して頂きたい。上位検索にまず引っかかるはず。

 さてそんな高校時代の龍之介をうんざりさせていた平井金三が、なぜかスピリチュアルの本にて吸血鬼を紹介していたのだ。それが奇しくも龍之介が”vampire”「夜叉」として翻訳した同じ1914年というのが、なんとも面白い。もし平井が龍之介の”vampire:夜叉”という翻訳を見たのら、うるさく注意したのではないかという想像を掻き立てられる。

 さてその三摩地:心身修養の278ページより、吸血鬼の解説がある。国立国会図書館デジタルコレクション、もしくはGoogleブックスにて閲覧が可能。グーグルブックスは現在、なぜから下から上へとみるようになっている(前は普通に読めた)。





 P278には「日本では聞いたことはないがヨーロッパでは吸血鬼(ちすいおに)vampireなるものがいる」とある。1914年、芥川龍之介はvampireを夜叉と翻訳した日より1日早く、龍之介の英語の先生だった平井金三は、きちんとvampire吸血鬼とあてていたのだ。


 この三摩地にある内容を見ていくと、私生児だった子だとか、吸血鬼によって死んだ者が吸血鬼になる、吸血鬼は夜に犬、猫、虱などに変身する、爪や髪が通常より早く生えるなど、東欧の民間伝承の吸血鬼の特徴を詳しく解説しているのが伺える。

 こちらは動画:ゆっくりと学ぶ吸血鬼第2話や5話で解説したが、吸血鬼を科学的に解説したポール・バーバー著「ヴァンパイアと屍体」で解説されているものばかりだ。民間伝承の吸血鬼についてここまで詳しく解説をしていたことに驚きを隠せなかったが、P282からの解説にはさらに驚愕させられた。

要約 ハンガリー※のあーのるど・ぼうるという人は、埋められてから40日を経て暴き出されてが、体は赤く髪の毛、髭は伸びており、血だらけになっておりどうみても吸血鬼となっていたので、棒で心臓を打ち抜いたら、恐ろしい叫び声を出した。

※ こちらの記事でも解説したが、当時の領地割譲のごたごたでハンガリーと記す資料が多いが、本当はセルビアで起きた。

 

 これは1731年に、近代国家の公的記録として記録された最初の吸血鬼事件、アルノルト・パウル事件のことである。ここから西欧では吸血鬼という存在が知られるようになり、それまでなかった”vampire”という英単語が1734年に初めて掲載された。(参照)それどころか、聖職者、科学者、啓蒙思想家はおろか、女帝マリア・テレジアやローマ教皇ベネディクト14世までをも巻きこみ、吸血鬼の存在の有無について論じる吸血鬼大論争を引き起こした事件である。それまで西欧諸国ではあまり知られていなかった吸血鬼という化け物の存在が広く知れたわった事件であり、これがなければ今の創作市場において吸血鬼は生まれなかったといっても過言ではない事件だ。

 死後40日後に掘り起こされた、心臓をついたら叫び声をあげたということはゆっくりと学ぶ吸血鬼2話から5話を、アルノルト・パウル事件については7話、7.5話を参照。ただ、視聴には時間がかかるので、もしくはこれらを解説したサイトを参照。参照サイト1参照サイト2
サイト2の方が詳しい。どちらも背景や文字色のせいで目が痛くなるので我慢頂きたい。


 これの何が衝撃だったのかというと、アルノルト・パウル事件や学術的な吸血鬼日本で最初に紹介したのは、これまでは1931年(昭和6年)日夏耿之介が発表した吸血妖魅考(性科學全集 第十一篇)」だと思われていたからだ。これは吸血鬼、狼男、魔女の初期研究として著名なモンタギュー・サマーズ師※の著書を英訳したものである。

 ところが日夏が参考にしたサマーズ師の著書:The Vampire: His Kith and Kin と The Vampire in Europeはそれぞれ1928年1929年に刊行されている(英語wikipedia参照)。これがサマーズ師の吸血鬼に関する最も古いものである。日夏耿之介どころかサマーズ師より前、大正3年1914年には、既にアルノルト・パウル事件が日本で紹介されていた事実に驚愕した。平井金三は一体どこで知りえたのか気になって仕方がない。

 ただ烏山奏春氏に聞いたところ、すでに明治時代の新聞にマダガスカル島の事件に関する記事があったから、明治・大正時代の海外の情報収集能力は馬鹿には出来ないということであった。となると学術的な吸血鬼は明治時代に既に詳しく伝わっていたとしてもおかしくはない。


 平井金三は近代宗教の研究家であり、あの芥川龍之介に英語を教えてうんざりさせたということ以外では論じられることはなかった。それが日本の吸血鬼移入の歴史を見るうえで重要な人物にもなった。少なくとも現段階で、日本において最初にアルノルト・パウル事件を伝えたのは日夏耿之介ではなく、平井金三になった。もしかしたらもっと古い例があるかもしれないが、さすがに簡単に調査できるものではないだろう。まさか平井の「三摩地」が宗教のみならず、日本の吸血鬼移入の歴史を見るうえでも重要文献になるなど、平井金三も平井の研究者もまさか思いもしなかったことだろう。


※ サマーズ師は、当時の正当な教会からは胡散臭すぎて聖職者として認められずに、聖職者は自称であった。色々と怪しい人物ではあるのだが、吸血鬼や魔女の研究に関して様々な文献を調査し、学術的に魔女や吸血鬼を調査したため、彼の吸血鬼や魔女に関する著書は初期研究本として、お堅い論文でも今なお目にする。他にも当時沸かせた長編小説「吸血鬼ヴァー二ー」を発掘して紹介したりもした。彼が本領を発揮したのは、むしろこうした吸血鬼文学の発掘であるという評価もある。


 今回はここまで。次回は”vampire”には「吸血鬼」だけではなく「落とし穴」という意味もあることについて解説する。

ここまで長い記事をご覧いただきましてありがとうございました。

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この記事を先行して紹介した動画

この記事は2018年10月14日にブロマガで投稿したものを移転させた記事です。
下は元記事のアーカイブ。

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