【目 次】
〇『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!
①英語ヴァンパイアの最初の翻訳は「吸血鬼」ではなくて『蛭』だった!
②この記事
③吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた!日本の『鬼』とは関係がない?
④戦前の日本で吸血鬼といえば『女吸血鬼』が主流だった?
⑤芥川龍之介に英語を教えた先生は、吸血鬼にも詳しかった!?
⑥ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?
番外編:「怪物」が『フランケンシュタイン』に変わったのは何時?
⑦ "vampire"の訳語の変異まとめ【最終記事】
⑧日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブログ記事を参考にした卒業論文が作られました
前回の記事からの続きです。前回の記事を見たという前提で話が進みます。今回も烏山奏春氏がドロップボックスで公開した「vampire訳一覧.pdf」から解説していきますので、併せて奏春氏のPDFの方もご覧ください。またこの記事は、動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第13話」で先行して紹介した内容となります。動画では一部誤った解説をしているので、それらの訂正もしたものとなります。
※奏春氏のドロップボックスの現在の公開先はこちら(2019年4月18日)
【前 提】
Vampaire(ヴァンパイア)=英語で吸血鬼の意味
ドラキュラ=ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」に登場する吸血鬼。 つまりドラキュラ伯爵という個人を表し、決して吸血鬼全体を示す一般名詞でない。ここでは混同を避けるために厳密に使い分ける。
前回の記事では、最初の”vampire”の訳語は「吸血鬼」ではなくて『蛭』とされていたことを説明した。今回は、いつ『吸血鬼』と翻訳されるようになっていったのかを見ていこう。
さて1862年版の英和対訳袖珍辞書ではvampireを蛭と訳していたのだが、これが堀越亀之助らによって編纂された幕末の慶応2年・1866年版になると、蛭という訳から変化が起こる。
妖鬼(小説ニテ夜中人ノ血ヲ吸ウト云ハレシ)大蝙蝠ノ名
このように吸血鬼とは明言してないが、明らかに吸血鬼と呼ばれる存在を指すようになった。また「オオコウモリ」の名前であるともしている。早川勇や三好彰によると堀越らはこの時、1859年のWebster の「英英辞書」などを参照していたらしい。※1それを受けて奏春氏が調査したところ、1859 年版は見つけ出せなかったが1862、63、64 年版は確認出来たそうだ。例えば1864年版は次のようにある。
1、In mythology, an imaginary demon, which was fabled to suck the blood of persons during thenight.…
この後に、マダガスカルや当時のスペイン植民地などに住む、吸血蝙蝠の説明が書かれている。1859 年版の「Webster辞書」にもこの64年版と同様の説明が書かれていたと考えられるが、堀越はこのような説明から「妖鬼[小説ニテ夜中人ノ血ヲ吸ウト云ハレシ]」という訳を考えたと思われる。おそらく、「demon」を「妖鬼」とし、「fabled」を「小説」、「suck the blood of persons during the night」を「夜中人ノ血ヲ吸ウ」としたのだろう。
「ヴァンパイア」と呼ばれる存在が、この明治より2年前の幕末において既に、「小説における存在」として認識していたことは実に興味深い。
…と思ったのだが、先行して紹介した動画を見たとある方から、「ここでいう『小説』とは今の『ノベル』の意味としての小説ではないかも」と、メールでご指摘を頂いた。
英語novelの訳語として「小説」と当てたのは、この辞書より7年前に生まれた1859年生まれの坪内逍遥であるとされる(参考:デジタル大辞泉)。また先ほどのデジタル大辞泉や、「小説」のwikipedia記事を見ると、「小説」という言葉はもともと、中国で国史・正史に対して、民間の俗話のことを「稗史小説」と呼んでいたそうだ。また先ほど「fabled」を「小説」と当てたのだろうと解説をしたが、この語はもともとは「寓話」の意味を持っている。以上から、英和対訳袖珍辞書にある「小説ニテ夜中人ノ血ヲ吸ウト云ハレシ」とは、「(欧州の)民間伝承として伝わっている、夜中に人の血を吸うと言われている…」という意味であるのかもしれない。
私には判断できるほどの知識はないので、この件に詳しい方はぜひメールなどでご教授頂きたい。
※1 烏山奏春氏「吸血鬼訳成立に関する覚書.pdf」より。参考文献あり。
この堀越の”vampire”の『妖鬼』という訳語はその後の辞書にも継承され、1869 年の高橋新吉『和訳英辞書』、1871年の前田正穀他『和訳英辞林』、1872 年の荒井郁之助『英和対訳辞書』などに同様の訳が載せられている。なお、1869 年の『和訳英辞書』から妖鬼に「バケモノ」というルビが振られている。
そしてさらに3年後の1872年の吉田賢輔の『英和辞典』では「魔、血ヲ吸フ鬼(小説ノ)、大蝙蝠ノ名〇啐血之蝠、飛狗、牛蜞、蝙蝠」というように、吸血鬼に近い言葉が出てくるようになる。〇以下の説明はLobscheid の『英華字典』にも同様の説明があるため、同辞書から引用したものと推察される。
英華事典:英語 対 中国語の事典
それでは『吸血鬼』という言葉が出てくるのはいつなのか。それは発端となる記事で紹介した、1873年明治6年の柴田昌吉、子安峻らによる『英和字彙 附音插図』である。吸血鬼と書いて「チヲスウオニ」とルビを振っていたものである。よって吸血鬼という言葉は、これまで有力視されていた1915年の南方熊楠の「詛言について」ではなく、紫原・子安らにより1873年が、現在判明しているなかでは最古のものとなる。これより古い例は奏春氏は見つけられなかったので、現状は柴田・子安らが吸血鬼という言葉を生み出したと考えていいだろう。
だが6世紀の「仏説仏名経」では『吸血鬼王』という言葉があり、十四世紀の「渓嵐拾葉集」では「旱恩吸血鬼」という言葉があることが奏春氏の調査で分かっている。こちらの記事でも解説したが、英語vampireの成立は一般的に1734年とされているので、これらの語に「ヴァンパイア」の意味はない。
それでは柴田・子安らはこの「吸血鬼王」「旱恩吸血鬼」という言葉を知ってて、それを流用した可能性はあるのか。これらの言葉は古くから仏典で使われていたようである。だが調査人である奏春氏は、これらを柴田らが知っていたとは考えにくいとしている。私はまだそう言い切るのは早いのではと思い、奏春氏と議論を交わした。だが般若心経とか法華経などの見たり聞いたりする機会が多いものなら、柴田・子安らが知っていた可能性はあるかもしれないが、仏教徒でない人間が仏説仏名経とか渓嵐拾葉集を目にする機会はほとんどないだろうから、柴田、子安らが「吸血鬼王」「旱恩吸血鬼」という言葉を目にしたとは考えにくいということであった。自身の浅学さを思い知った次第である。
さてもう一つ気になるのが、この辞書では吸血鬼に「チヲスフオニ」というルビを振っていたこと。これも先行で紹介した動画では、そう読ませていたものと勘違いして紹介してしまった。だがこれは森岡健二や湯浅茂雄などによると、「読み仮名」ではなく「意味の説明」なのだという。そのため、吸血鬼の読みは、「チヲスウオニ」ではなく「キュウケツキ」と想定されていた可能性は高い。この「チヲスフオニ」とルビを振っていたのは、1889年の岡上尚儀による「英和字彙」まで確認できる。
この柴田・子安らの1873年「英和字彙 附音插図」以降、ヴァンパイアの訳は「英和対訳袖珍辞書」に影響を受けた「妖鬼」と訳すものと、「英和字彙」に影響を受けた「吸血鬼」と訳すもの2系統に、大まかに分けることができる。英和字彙が出版された1873年から1900年の間に出版された英和辞典は、全78冊ある。その間で「妖鬼」と訳したものは17件、チオスウオニを含めて「吸血鬼」と訳したものは44件であったことが、奏春氏の調査で判明した。これは奏春氏のドロップボックス内にある「vampire訳一覧.pdf」で確認して頂きたい。このように19世紀末日本では、”vampire”の訳語は定まっていなかった。だが20世紀に入るころには、vampireの訳語は「吸血鬼」が主流となっていった。「妖鬼」は奏春さんが調べた限りでは、1904年、磯部清亮『最近英和辞林』が最後の例のようだ。
ここでもう一つ、明らかにしておきたいことがある。それは「吸血鬼」という漢語は本当に和製漢語であり、中国語由来ではないのか。現在、vampireの中国語訳は日本と同じく「吸血鬼」である(こちらも参考)。だが最初の記事で解説したようにvampireという存在は欧州の血を吸う化け物を指す言葉。”vampiare”という単語が出来たのもオックスフォード英語辞典によれば1734年とされている。ということで、たとえ中国で作られてとしても最短で1734年と、比較的新しいということになる。それで結論から先に行ってしまえば、吸血鬼という単語は和製漢語であり、それが中国へ輸出されたものとまず考えてもよい。
今の日本、特にビジネスの世界だと何でもかんでもカタカナ語で表現したがる傾向にあるが、幕末から明治にかけては、西欧の文物や概念を日本人でもすぐ理解できるように、西欧の語彙や概念を漢字に置き換えてきた。
科学、哲学、野球、接吻、共産、失恋、進化などは、全て日本で作られた漢語である。和製漢語は特に近代以降、中国に輸出されたものも少なくない。中国が近代化を遂げる過程で、特に日清・日露戦争前後に、中国人留学生によって日本語の書物が多く翻訳されたことが大きいとされる。先ほど挙げた和製漢語は、どれも中国語となっている。(参考:wikipedia記事)
英単語を中国語対訳したものを「英華事典」というが、これも国立国会図書館デジタルコレクションなどで閲覧が可能。これも奏春氏が一連の調査を行った。1815~1823年のモリソン『英華字典』、1869年の復刻版のウィリアムズ『英華字彙』には、vampireの項目自体がない。1865年のメドバースト『英漢字典』、1866~69年のロプシャイト『英華文典』、1872年のドーリットル『英華萃林韻府』には「Vampire 蝙蝠」。 1897、1898年のF.キングセルの『新増英華字典』にはvampireの項目はあれど、「吸血鬼」という言葉がなかった。
これが1920年の顔惠慶(wikipedia記事) 『英華大辭典』(画像掲載先)には、
Vampire 1.吸血鬼(夜間出墓啜睡者血之鬼) 2.吸人膏血者,兇悪之人,勒詐者 3.吮血之蝙蝠,大蝙蝠
とある。奏春さんの調査ではこの1920年の『英華大辭典』が、中国語で吸血鬼と訳していた最古の例であった。だが『英華大辭典』の初版は1908年である。また関西大学外国語教育機構・沈国威教授の研究によれば、和製漢語が中国へ流入したのは日清戦争前後、とくに中国人留学生が本格的に活動を開始した1900年から10年間と考えられるという。(PDF下番号47p)。この事実を考慮すると、1908年初版の「英華大辭典」が、”vampire”を中国語で吸血鬼と訳した最初の事例である可能性が高い。1908年の英華大辭典はネット上では公開されていなかったが国立国会図書館で閲覧が可能であり、来館せずともwebでコピーを申し込めることが分かった。そのため、私の方でコピーを申し込みを行った。※2
光緒34年=1908年(wikipedia記事参照)
確かに「吸血鬼」という言葉で確認でき、1920年版と同じ解説であることがわかった。ということで今回の調査から、中国語で「吸血鬼」という言葉が確認できたのは、1908年『英華大辭典』が最古となる。
※2 国立国会図書館のコピー申し込みは通常、該当ページを指定する必要があるが、今回は辞書で、つまりアルファベット順で検索が容易なこともあって、コピーのネット申し込みが可能だった。
来館する場合は、東京か京都府精華町のどちらかに赴く必要がある。どちらかにしか置いていない本はあらかじめ書籍の移動をお願いしておく必要がある。京都精華町は近鉄(大阪メトロ乗り入れ)「学研奈良登美ヶ丘駅」かJR「祝園駅」からバスで行くしかない。どちらも主要沿線から外れた駅なので行きづらい。車で行くにしても、近くに止めれる場所はない。
今回の調査をまとめると、日本で「吸血鬼」という漢語が確認できた最古の例は明治6年・1873年。一方、吸血鬼という中国語が見られる最古の例は、明治41年、中国がまだ清王朝だった1908年。和製漢語が中国へ流入したのは1900年から10年間がピークという研究結果も踏まえると、「吸血鬼」という漢語は日本で作られた和製漢語であると判断され、それが中国へと伝わったものと考えられるというのが、今回の調査の結論である。
もちろん、これより古い例は探せばあるのかもしれない。とくに吸血鬼という訳語は明治6年が最古であったがここまで遡れたのなら、幕末には既に存在していれば面白いのになと思って調査したが、これより最古のものは見つからなかった。
さて今回の調査では1873年が”vampire”を吸血鬼と訳した最古の例であった。一方、吸血鬼の代名詞であり、一般名詞として誤用されることもあるブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」の刊行は1897年。ドラキュラの刊行より24年も前に、日本では「ヴァンパイア=吸血鬼」という存在が伝わっていたことになる。それがいつしかドラキュラは吸血鬼の代名詞となるのだから、面白いものである。ドラキュラより刊行前の明治時代の人たちの「吸血鬼」とは、一体どんなイメージを持っていたのか気になるとこだ。
長くなったので、今回はここまで。
次回は「吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた?」ということを紹介していきたいと思います。
メール:y.noseru.vamp●gmail.com ●は@に置き換えてください。
ツイッター:https://twitter.com/y_noseru
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この記事を先行して紹介した動画
この記事は2018年10月7日にブロマガで投稿した記事を移転させたものです。 下は元記事のアーカイブ。
次→吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた!日本の『鬼』とは関係がない?【ヴァンパイアの訳語の歴史③】
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