吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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当ブログで紹介した「吸血鬼」という単語の成立の新発見の件が、ついに書籍で紹介されました。

 私のニコニコ動画による吸血鬼解説動画、そしてニコニコのブロマガ時代でとくに反響があった記事、それは「英語”vampire”の訳に「吸血鬼」と最初に宛てたのは、これまでは南方熊楠であったと考えられてきたが、それが覆ったという件」です。それを最初に発見したのは私ではありませんが、最初に紹介したのは、私のニコニコ動画とブログ記事です。これまでは私のブログや動画でしか紹介していない大変貴重な情報でしたが*1ついにきちんとした書籍で紹介されました。それどころか、超大物作家にまで知れ渡っておりました。
 もはや数か月前の出来事ではありますが、遅らせばながら今回ぜひ紹介したいと思います。



「吸血鬼」という言葉の成立の簡単な経緯

www.vampire-load-ruthven.com

 これまでの経緯は詳細は上記の記事にあるが、初めてご覧になる方向けに、これまでの経緯を簡単に紹介しておこう。すでにご存じの方は目次より該当の箇所に進んでいただきたい。

 「吸血鬼」という存在はもともとは日本に存在しておらず、英語の"vampire”を表すために作られた和製漢語だ。*2英語のvampireに「吸血鬼」という言葉を造語し、あてたのは、粘菌学者、民俗学者として名高い南方熊楠であるとこれまでは考えられてきた。その根拠は、1914年芥川龍之介が翻訳したゴーティエの小説「クラリモンド」の翻訳だ。龍之介はここでvampireの訳として「夜叉」と宛てている。その1年後の1915年、南方熊楠は「詛言に就て」で、「吸血鬼」という言葉を登場させた。以上から「吸血鬼」という言葉を作ったのは南方熊楠ではないか、文芸評論家・アンソロジストの東雅夫「血と薔薇の誘う夜に―吸血鬼ホラー傑作選 」(2005)の巻末の解説でそのように述べたのが最初だ。これ以降、ネット上や吸血鬼の解説本ではこの東雅夫氏の説が紹介されるようになり有力視されていたが*3、それを覆す証拠が2016年に見つかった。


 きっかけは私と同じゆっくり解説動画を作成されている烏山奏春氏との会話がきっかけだ。私が奏春氏に「芥川訳のゴーティエのクラリモンドは、吸血鬼という言葉の成立に絡んでいる、これは東雅夫の著書に書いてあった」と話した。そこでふと気になった奏春氏が調査してみると、押川俊朗の1914年(大正3年)の小説『怪風一陣:武侠小説』で、すでに「吸血鬼」という言葉が使われていることを発見、ツイッターで私に連絡してきた。これはこれまでの定説を覆した瞬間だ。下の画像のように、国立国会図書館デジタルコレクションにて確認することができる。

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国立国会図書館デジタルコレクションの画像のリンク先
発行年月日が分かるリンク先

 その日はこれで終わったのだがその翌日、まさか当の東雅夫氏が我々のやり取りを目されて、奏春氏の発見は「新発見である」と太鼓判を押していただく事態にまで発展した。当時のタイムライン、実際のツイートは以下の通り。奏春氏は前のハンドルネームのひょうすべとなっている。

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当時のタイムライン。下から上に読んでいてください。

東雅夫氏による実際のツイート

 この発言からさらに吸血鬼という言葉を調査される方が現れ、「吸血鬼」という言葉がさらに前から存在していたことが判明した。

 これ以降烏山奏春氏は吸血鬼という言葉の成立に関して興味を持たれ、独自に調査された。奏春氏の調査により、英語vampireの訳として吸血鬼という言葉が出てくる最古の書物は現状、1873年明治6年の柴田昌吉、子安峻らによる『英和字彙 附音插図』であることが判明した。私自身は調査にかかわってはいないが、奏春氏は調査結果を私にすべて教えて下さった。こんな面白い事実は世に広まるべきと考えた私は、奏春氏の許可を得てニコニコ動画とブログ記事で大々的に紹介した*4。下記の記事と動画はその内容をまとめて紹介したものだ。

www.vampire-load-ruthven.com

 新発見であること、それも当の東雅夫氏から直々に新発見とのお墨付きをいただいたこともあってか、動画もブログも大いに反響があった。そして2019年には、私のブログを参考に「日本における吸血鬼のヴィジュアルイメージの変遷」をテーマとして卒業論文を作成された方も出てきた。大学内で優秀論文に選ばれたそうで、私のブログがその一助ができるという、非常に喜ばしい出来事もあった。下のリンクはその件を紹介したブログ記事と動画だ。

www.vampire-load-ruthven.com

 以上をまとめると、「ヴァンパイアの訳語として「吸血鬼」という言葉をつくり当てたのは南方熊楠ではないかと東雅夫氏は唱えていたが、烏山奏春氏がそれを覆す証拠を発見、とうの東雅夫氏からも「新発見」というお墨付きをいただけた。そしてそこからさらに起源を探ることができた」というのが、これまでの簡単な流れだ。この新しい事実は、これまでは一般の書籍では公開されていない。公開しているのは私のブログ記事とニコニコ動画の吸血鬼解説動画、私の記事を参考にした卒論、そして奏春氏が少量発行した同人誌のみであり、公の書籍等ではこれまで紹介されたことはなかった。

 だが今回、これまで説明してきた件が、ついに商業書籍で紹介されていた。この言い方からわかるように、その書籍を発見したのは偶然だ。ということでその書籍の内容を紹介しよう。

当ブログの内容を紹介した書籍



甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション
表紙
上記は2021年2月二見書房より発売された、小説家・山口雅也氏が総指揮を取られた「甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション」という吸血鬼のアンソロジーだ。音楽の世界では、特定のテーマや一定のコンセプトに基づいて集められた楽曲のアルバムをコンピレーション・アルバムと呼ぶが、それを吸血鬼で目指したものだ。恥ずかしながら、私は最初勘違いしていて直接山口先生よりツイッターで訂正、タイトルの意図を教えていただいた次第だ。



 内容面でいえば、最初の吸血鬼小説として名高いジョン・ポリドリの小説「吸血鬼」から始まり、日本の吸血鬼小説や吸血鬼映画の話題、無類の吸血鬼映画好きとしても有名な漫画家の丸尾末広の「啼く吸血鬼」が収録されていたりと、非常にバラエティに富んだアンソロジーだ。

 さてそのアンソロジーの企画の一つに、小説家で妖怪研究家として名高い、あの京極夏彦先生と、先ほどの山口先生の対談、題して「ヴァンパイアVS日本の吸血妖怪」というコーナーがある。世紀の博覧強記対談と銘打たれている対談だ。

 ここまで言えば皆さんも察せられたことだろう。この対談の中で、なんと京極先生が私のブログの内容をお話しされていたのだ!何の前情報もなしにこの本を読んだので、「ひええ!京極先生が私がブログや動画で紹介した吸血鬼の成立の新発見を話しているー」という感じで非常に驚いた。その京極先生と山口先生の対談の一部を紹介しよう。


山口
「ところで、「ヴァンパイア」に初めて「吸血鬼」の訳語を当てた日本人は誰か、京極さん、あなたならご存知ですよね?」

京極
「いや、個人を特定することはできませんが、南方熊楠が『人類学雑誌』に発表した論文「祖言について」(1915)でこの語を使っていて、それが最初ではないかという説が人口に膾炙していますが、どうも違うようですね。

京極
「熊楠説を考証したアンソロジストの東雅夫さんから、ネット上で押川春浪の『怪風一陣』(1914年)という武侠小説にも吸血鬼という言葉は使われているので、そちらの方が早いという指摘があったと聞きました。ネットの集合知とはすごいもので、その後もさらに早い用例がいくつか発見されているようです。」

京極
「ただ当時の環境を鑑みるに、小説や論文で使われたからと言って、それが一般化するかといえば疑問に残ります。まあ中国にも「吸血」という言葉ならあったんでしょうし、ヴァンパイアの意味ではないものの田中貴子さんなんかが研究されている『渓嵐拾葉集』(1300年代)などの仏教書にも吸血鬼の三文字は見られることから、言葉自体は造語というほど新奇なものでもなかったのかもしれない。それがヴァンパイアに宛てられたのがいつか、ということになります。明治期の辞書に載っているという情報をもらったので、調べてみたら載っていました。

(中略)

京極
「周知と言えるか問われれば答えは否なんですが、明治六年(1873年)の『英和字彙』には吸血鬼として載っているのを確認しました。とはいえ、成立の過程はともかく、「吸血鬼」は和製語ではあるんです。」


 以上のように、このブログやニコニコ動画の名前は出てこないけれども、このブログやニコニコ動画で最初に紹介した事例であることは、皆様もお分かりになったことだろう。東雅夫先生から京極先生へと、吸血鬼の訳語の新説が伝わっていた。

 これを初めて読んだときの感想ですが、我々の何気ないやり取りから、吸血鬼の歴史を覆してしまったんだなぁと、改めて認識することができました。私は発見者ではなくて、ただ広めただけの広報者ではありますが、それでもこうして名のある方々が、このブログが最初に紹介した内容をこうして紹介しているのをみると、先んじて紹介できたことは非常に喜ばしく思いました。

 以上のように、当ブログの内容が書籍で、しかも京極先生の口から語られておりました。今後「吸血鬼の成立」の解説は「南方熊楠造語説」ではなく、この烏山奏春氏が発見した新発見が広まっていくことでしょう。

 「甘美で痛いキス」は、この件以外にも最初の吸血鬼小説、ジョン・ポリドリ「吸血鬼」を筆頭に、いろんな吸血鬼作品や情報が盛りだくさんなので、ぜひ皆様もこの書籍を手にとってみてはいかがでしょうか。


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*1:実際には最初に新発見をした烏山奏春氏もご自身の同人誌で発表されているが、現在は入手不可能。また私のブログを参考に卒論を作成された方がおり、そこでも紹介されている。詳細はリンク先参照

*2:よく飛縁魔が日本の吸血鬼などと言われているが、それは西欧のヴァンパイアっぽい妖怪の例として挙げられているだけであり、本当に吸血鬼なら最初から「吸血鬼」と呼称すればいいだけであることは以前の記事でも解説した通り。

*3:例えば、2006年に新紀元社より発売された「図解 吸血鬼」では、東雅夫氏の「南方熊楠造語説」を紹介している。

*4:私が公開してから奏春氏はさらに調査をされて、ご自身の同人誌で公開された。だが現在その同人誌は入手不可能。