2022年5月26日に、工作舎よりポール・バーバー・著/野村美紀子・訳「ヴァンパイアと屍体 死と埋葬のフォークロア」の新装版が発売された。これは1991年翻訳・発売されたものであるが、復刊の要望が多かったらしく、今回装いを新たにして発売された。これは吸血鬼と言う存在を現代法医学の観点から詳細に分析し解説した書籍。吸血鬼には「杭で心臓刺せば死ぬ」「ニンニクが弱点」「物を数える習性がある」といった弱点があり、その弱点の理由を考察したり議論する場面をネット上のどこかしらで見かけることがあるが、そうした疑問に、容赦なくその理由を答えてくれる書籍である。吸血鬼の弱点は科学知識を持たない当時の人たちが、一生懸命考えた末の結論であることがわかるだろう。著者のポール・バーバー博士はドイツ文学専攻、民俗学が専門であるが、法医学的観点から吸血鬼を論じたこの書籍は、民俗学はおろか医学会からも称賛を受けたという、大変信頼のおける吸血鬼研究本である。吸血鬼退治にも科学知識が全く持っていなかった人たちが、工夫していたことが分かる。アニメや漫画の吸血鬼しか知らない人が読めば、吸血鬼イメージがぶち壊れてしまうかもしれない一冊である。
さてそんな本が30年以上の時を経てカバーデザインを新しくして再版されたのだが、旧版のときから一つだけずっと気になっていたことがあった。それは本文中に「手榴弾」という言葉が出てくるのである。この手榴弾という訳は当然誤訳であると思っていたのだが、今回の新装版でもそのままであった。そこで急遽調べてみたら誤訳ではなく、英語圏には古くからある慣用句の意味で使っていたことがわかった。実は数年前ニコニコ動画では誤訳と決めつけて紹介してしまっていた。知らなかったとはいえ間違いと決めつけてしまったことは事実。今回はその私の思い込み故の恥を紹介していきたい。
問題の個所は第7章(厄除け)の項目だ。7章では、悪霊(吸血鬼)を遠ざける様々な方法を紹介している。死体が生きている人を噛んで死を招かないよう、口に陶片、硬貨、汚物などを詰めて噛めないようにしたこと、サンザシで作った杭や十字架を墓に一緒に入れる、亡骸の鼻孔、耳、目などに香、キビ、にんにくなどを詰めるなどといった事例を紹介している。そして旧版の108ページには次のようにある。
このような慣行はきわめて徐々にしか変わらないようだ。シュネーヴァイスが、葬儀ほど古い慣行と信仰が断固として保存されている場はない、と言いきっているぐらいだ。人間が一番習慣を変えやすいのは移住するときだが、カナダのカシューブ人が亡霊に対処する方法は、来たヨーロッパからカナダに移ってもほとんど変わっていないことをペルコウスキが示した。「唯一注目すべき革新は、埋葬時にロザリオにつけた十字架像に変えてポプラの十字架を使うようになったことで、その他はすべて以前の習慣を踏襲している」。バイトルによれば、カシューブ人地区に住むドイツ人は、同じ用途に使う十字架をトネリコで創るのだが、これは北方では一般に吸血鬼に刺す杭を作る木である。
さまざまな粒状物質を、亡霊を妨げるために墓地への道に撒いたりする。キビ、海の砂、カラシの種、オートムギ、麻の種、ニンジンの種、ヒナゲシの種などが使われる。
ヒナゲシの種が選ばれるのは、麻酔効果が想定されるからだろう。死者を歩かせず、「眠」らせるだろう。実際はヒナゲシの種には麻酔効果のある物質はほとんど含まれていないのだが、蹄鉄や手榴弾の場合と同じで類比がはたらくから、近いだけでよいのである。二つの物が同じようなはたらきをもつと考えるためには、二つに共通の性質があれば十分である。また死と睡眠の類比も広く知れわたっており、cemetery 墓地という語(「眠らせる」という意味のギリシア語の単語からの)派生にも、二つの概念の神話における近縁関係にも、みてとることができる。ヘシオドスによれば、睡眠と死は兄弟で、夜の子どもである。
これを最初に見たとき、私は「科学が発達していない時代の、民間伝承についての逸話なのになぜ近代兵器の手榴弾がでてくるのだ、明らかにおかしい」と思ってしまった。そして私は手榴弾ではなくて果実のザクロの誤訳じゃないかと疑った。ザクロなら色々と辻褄もあうからだ。
まずザクロは英語で"pomegranate"。そして手榴弾は英語で"hand grenade"となり、その語源はまさしくザクロから来ている。ザクロは様々な神話や宗教で象徴となる果実だ。ユダヤ教では虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所に持ち込むことを許された唯一の果実であるし、キリスト教でも『聖母子像』でイエスがザクロを持っている図像もあり、後のキリストの受難を表している。
参考
www.ncbi.nlm.nih.gov
ギリシア神話のペルセポネの逸話でもザクロは象徴的だ。女神ペルセポネは、冥王ハーデスに攫われ、6つのザクロを口にした(食べた個数は所説あり)。ザクロは死者の国の食べ物である。その食べた6個分、つまり6か月間を冥界で過すこととなり、母デメテルはその期間嘆き悲しむことで冬となり、穀物が全く育たなかったが、ペルセポネが戻ると花が咲き、木々には実がついたという。こうしてザクロは多産と豊穣の象徴とされた。「ヴァンパイアと屍体」では先ほど紹介したように、ギリシアの詩人ヘシオドスが「死と眠りは兄弟である」と述べたことを紹介していることから、余計に死者の国の食べ物であるザクロではないかと思ったのである。ましてや直前には色々な種子を数える習性があると説明しており、ザクロは吸血鬼が数えたくなるほど実がぎっしりと詰まっている。こうした自論を2016年ニコニコ動画で私は誤訳ではないかと紹介してしまった。
そうしてザクロだと思っていたなか、今回2022年5月に、ヴァンパイアと屍体の新装版が発売された。そして手榴弾は修正されているかなと思って、同じ108ページを見てみたら、旧版と同じく手榴弾のままであった。これはどういうことかと気になり、私はヴァンパイアと屍体の英語原著を入手して確かめようと思い立った。原著の"Vampires, Burial, And Death: Folklore And Reality "だが、原著はなんとネット上でPDFで全文無料公開されていた。サンプル文も、ちょうど問題の個所を紹介してくれている。
英語原著
Such practices appear to change only very slowly. Indeed, Schneeweis ventures the opinion that nowhere are old practices and views so resolutely preserved as in funerary rites. People are most likely to alter their habits when they migrate, but Perkowski has demonstrated that the methods of the Canadian Kashubes in dealing with revenants have changed little as they have moved from Northern Europe to Canada: "The only innovation of note is the use of poplar crosses during burial instead of a rosary crucifix. All else has been retained. According to Beitl such crosses among the Germans in Kashube territory are to be made of ash, which, in the north, is generally the wood chosen to stake the vampire.
Various granular substances are put into graves or strewn along the path to the graveyard in order to hinder the revenant, and these include millet, sea sand, mustard seeds oats, linen seeds carrot seeds and poppy seeds.
The poppy seed is apparently chosen because of a supposed narcotic effect: it would encourage the deceased to "sleep" rather than walk. Infact poppy seeds contain only traces of narcotic, but in the orkings of analogy, as with horseshoes and hand grenades, close is good enough.For two things to be thought to function similarly, it is enough that they share qualities. Also, the analogy between death and sleep is well established,evident not only in the derivation of the word cemetery (from a Greek word meaning "to put to sleep"), but also in the mythological kinship relation between the two concepts: according to Hesiod, Sleep and Death were brothers, being children of Night.
原著でも"hand grenades"としておりそのまま翻訳されていたことがわかった。ポール・バーバーは意図的に蹄鉄や手榴弾と言っていたことになる。そこで漸く私は"horseshoes and hand grenades"で検索することを思い立った。するとかなりの件数がヒットし、そして英語圏では"Close only counts in horseshoes and hand grenades”一文が慣用句として使われることを初めて知った。その経緯を詳しく説明しているのが下記のサイト。
上記の言葉は元メジャーリーガーのフランク・ロビンソンが放った言葉。彼は史上初めてMLB両リーグでMVPに選出され、ワールドシリーズMVP、オールスターMVP、三冠王、ゴールドグラブ賞などのありとあらゆる栄誉を獲得した。引退後はアフリカ系アメリカ人初のMLB監督となった人物だ。そんな彼が言った"Close only counts in horseshoes and hand grenades”というフレーズは有名だった。ここでいう"Close"はどうもスラングのようで訳せば「『もう少し』でいいのは、蹄鉄(投げ)と手榴弾だけだ」となる。先ほどのサイトの解説によればロビンソンは「目標に近づくだけでは十分ではない」という意味を言いたかったようだ。蹄鉄投げというゲームは目標の杭に近ければ近いほど点を得られるゲームで、杭にかかれば最高点を得られるが、なかなか難しい。だから杭の近くに落ちるほど良い。そして手榴弾。手榴弾は、そのものを敵に命中させなくてもその近くに投げれば、爆発でダメージを与えられる。当然近ければ近いほど致命傷を与えられる。つまり馬蹄投げも手榴弾も命中させる必要はなく、近ければそれでいいという共通がある。だがロビンソンは、野球とは目標に近づくだけではだめだということを言うために、蹄鉄と手榴弾を用いて例えたようだ。だがこの蹄鉄と手榴弾の例えはロビンソン以前でも使われていたようである。
英語圏では“Almost Only Counts In Horseshoes And Hand Grenades”という慣用句があるようだ。「もう少し(almost)でいいのは、蹄鉄(投げ)と手榴弾のみだ」という意味になる。これは仕事などで失敗した人に対して戒めるためにいうフレーズだという。つまり「もう少し」が許されるのは、蹄鉄投げと手榴弾だけで、手を抜くなの意がある。
他にも「不死身の戦艦 銀河連邦SF傑作選」という本にも「もう少しが意味を持つのは、蹄鉄なげと手榴弾だけさ」「どういう意味?」といった会話がなされていた。下記のサンプルページにて確認できる。他にも”horseshoes and hand grenades”で検索すると、ゲームのタイトルだったり曲名になっていたりと、わりと使われているフレーズであった。
以上、「蹄鉄と手榴弾は近づくだけでそれでよい」という意味があることがわかった。ヴァンパイアと屍体でも慣用句として用いていたわけだ。吸血鬼退治においてはヒナゲシが墓に撒かれる。これはケシの種と同様の麻酔効果を期待してである。ケシはご存知麻酔薬のモルヒネの材料であると同時に、麻薬の一つアヘンの材料でもある。ケシには当然麻酔(眠り)効果がある。そしてヒナゲシ。ヒナゲシもケシ科植物であるが、こちらには麻酔効果はない。だが同じケシ科なら一緒だろうと当時の人は思い、ケシでなくてヒナゲシで代用したのだ。そう、的に近づくだけでいい蹄鉄投げと手榴弾投げと同じように。私が当初考えた「手榴弾はザクロの翻訳ミス」というのは、全くの見当違いであった。
2016年のニコニコ動画では「翻訳ミスだろう」と言ってしまったことは、非常に恥ずかしいの一言だ。翻訳者の野村氏にも大変失礼なことをしてしまったと、ただただ猛省する次第です。当時の私は手榴弾は間違いと決めつけたので"pomegranate vampire"では一生懸命検索していたのだが、"Horseshoes Hand Grenades"で検索することや、ポール・バーバーの原著を当たるという発想がなかった。とくにザクロと吸血鬼の関連性が検索に出てこなかったとき、もっと疑うべきであった。動画では「吸血鬼がザクロを数えるのは他では見たことがないので、違う可能性もある」と補足していたのがせめてもの救いか。当時は手榴弾は違うと思っていたとはいえ、念のために"horseshoes hand Grenades"で検索しておれば、見当違いなことを言わずに済んだはず。思い込みはよくないと非常に反省させられる次第だ。実は新装版を見たとき、「まだ誤訳が修正されていない!」と息巻いて勢いでツイッターで呟いてしまった。だがその後冷静になって改めて調べてみようと思い立って、ギリギリのところで踏みとどまることができた。数年前に誤訳だと言いきってしまったため、今回訂正するとともに、この私の無学さを公開するに至った。
今回は以上となる。「ヴァンパイアと屍体」は何度も言うように、よく話題に上る「吸血鬼の弱点」が何故作られていったのかというのがよくわかる本。しかも豊富な典拠を示して紹介しているので、非常に信頼性がある。吸血鬼好きにはぜひとも一度は手に取って読んで頂きたい本なので、ぜひ購入してみてはいかがでしょうか。
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