吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ

吸血鬼の形成の歴史を民間伝承と海外文学の観点から詳しく解説、日本の解説書では紹介されたことがない貴重な情報も紹介します。ニコニコ動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」もぜひご覧ください。

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日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブログ記事を参考にした卒業論文が作られました

 

【目 次】クリックで展開『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!
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『吸血鬼』は和製漢語で中国へ伝来した!
吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた!日本の『鬼』とは関係がない?
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芥川龍之介に英語を教えた先生は、吸血鬼にも詳しかった!?
ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?
 番外編:「怪物」が『フランケンシュタイン』に変わったのは何時?
"vampire"の訳語の変異まとめ【最終記事】
⑧この記事

 

 この記事はニコニコのブロマガから移転させた記事です。ブロマガではできなかったアコーディオンメニューをhtml5で書いてみたのですが、 改行タグを入れてもなぜかpタグが挿入されてしまい、不自然な空白が出来てしまっています。新規作成記事ではこんなことはおきないのだが…とまれアコーディオンメニューを移転記事に導入するのはこの記事だけに留めておきます。

  以前、英語”vampire”の訳語として「吸血鬼」という言葉を作ったのは南方熊楠であったという説が覆ったことを解説しました。これらの記事はこれまでの定説が覆ったことと、その定説の提言者である東雅夫氏が新発見と太鼓判を押してくださったこともあり、大変反響がありました。そしてなんと当記事を参考として、「日本における吸血鬼イメージの定着について」卒業論文を作り上げた方がいらっしゃいましたので、今回はその卒業論文についてご紹介しようと思います。論文の紹介、公開、ご本人様の名前の公開は、ご本人様からご許可を頂いております。

 以下の記事は読まなくても理解はできますが、これらの記事を参考にした論文であるので、できれば先にご覧ください。動画バージョンもあります。


上記を説明した動画はこちらから

論文は下記リンクよりダウンロードして閲覧してください。


各ファイルはドロップボックス内にある「各ファイルの説明.pdf」をご覧ください。卒業論文本文は、「soturon.pdf」になります。

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ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第15.5話①と②分 参考文献一覧

ゆっくりと学ぶ吸血鬼第15話①と②の参考文献一覧です。
③は別に紹介します。
また卒論で紹介された件についても、後日別の記事で参考文献を紹介します。

動画はこちらから

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Netflixの「ドラキュラ伯爵」は『公式が』ゲイでもバイでもないと断言、海外の批判事情と個人的感想

BBC OneとNetflixによるオリジナルドラマ『ドラキュラ伯爵』のシーズン1の全3話が、イギリス国外では2020年1月4日より、Netflixで配信開始されました。以前もブロマガでお知らせしたので、興味がある方はご覧になられたことでしょう。


Dracula | Netflix Official Site
The Count Dracula legend transforms with new tales that flesh out the vampire's gory crimes -- and bring his vulnerability into the light.


 1897年のブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」をドラマ化したもので、大胆なアレンジを加えられていることは事前情報としてありました。そのアレンジで話題に上ったことは何といっても、このドラマのドラキュラ伯爵が”ゲイ、バイ”であることで、特に海外では物議を醸していました。私がドラマを見たのは放映開始から半月後ぐらいのことで、視聴前にツイッターのTLでこの噂は目にしていました。日本では所謂「腐女子」の方々が好意的な反応をしていたようですが、海外ではドラキュラのバイセクシュアル化について批判されているようでした。これは最初、同性愛に厳しい海外の保守層が、原作にはないバイセクシュアル要素を足しこんだために批判しているのかと思っていました。ところがドラマ視聴後よく調べてみると、そう単純な話ではないことが分かりました。ツイッターでは既に、私よりもいち早くその事情を掴んだ人がいらっしゃったので記事にしようか迷いましたが、せっかく調べたことだし、一連の流れまでをまとめた人はいなかったので、普段私の吸血鬼解説動画を見ている方向けに、解説していくことにしました。

解説の都合上、ネタバレしていきますので、気になる方はご注意下さい。

また、ホモという言葉も出てきますが、参考にしたサイトや書籍でそのように書かれており、正確に伝えるために、あえてそのまま書いていきます。

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ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第15話 参考文献一覧

ゆっくりと学ぶ吸血鬼第15話の参考文献一覧です。

骸骨伯爵が捏造と分かったときのうp主の反応


動画はこちらから

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ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第14話 参考文献一覧

遅くなってしまいました。ゆっくりと学ぶ吸血鬼第14話の参考文献です。
今回の吸血鬼ヴァーニーは重要な作品ですが、日本語訳がありません。
この作品を読めば、日本において吸血鬼の知識人を名乗れるので、英語ができる方は挑戦なさってみてはいかがでしょうか。

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映画「メアリーの総て」、全然「総て」ではなかった!【批判的レビュー&解説】

小説『フランケンシュタイン』の作者、メアリー・シェリーの恋を描いた、2018年12月15日上映の映画「メアリーの総て」の感想記事です。かなり批判的なレビューとなります。
歴史人物の映画ということもあってネタバレしていきますのでご注意ください。
映画.comで既にレビューを投稿しましたが、ここではより詳しく感想を述べていきます。批判の的は主に史実の大幅な改変にあり、映画では史実の人物が必要以上に貶められたと感じたため、史実はどうであったかの解説も交えていきます。最初に長い前置きがありますが、どうかご容赦下さい。



ゆっくりと学ぶ吸血鬼シリーズ


 フランケンシュタイン現在の吸血鬼が出来た歴史的一夜『ディオダティ荘の怪奇談義』。詩人バイロン卿が提案したこの出来事は、今の一般的に想像される吸血鬼像を生み出した歴史的一夜であり、吸血鬼を知る上では常識といっても過言ではない。私は吸血鬼の元祖はブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラではなくて、ジョン・ポリドリ原作「吸血鬼」に登場する吸血鬼ルスヴン卿が吸血鬼の始祖であると広めたくて、上記の動画シリーズを作っている。とくにポリドリの吸血鬼が作られるきっかけとなった『ディオダティ荘の怪奇談義』は必ず紹介したいと思い、動画作りにも力が入った。調査の過程でポリドリやバイロン卿はもちろん、フランケンシュタインの作者メアリー・シェリーにも思入れができた。

 ディオダティ荘の怪奇談義はこの出来事も摩訶不思議で面白い。だから海外では度々映画や劇のモチーフになっている。劇でいえば英米では幾度となく上演されているブラディ・ポエトリー。メアリー・シェリーの夫・パーシー・シェリーを主人公としたセリフ劇で、去年2018年2月には、日本で初めて上演された。その感想記事はこちらへ



 1986年、鬼才ケン・ラッセル監督の映画「ゴシック」が上映された。ディオダティ荘の怪奇談義をモチーフとしたホラー映画で、途中からオリジナル展開となる。ホラーとしては当時としても怖いとは思えず、登場人物の数々のエピソードを知っているという前提で作ってるとしか思えない作品なので、リアル知識がなければ意味不明な映画だろう。とくにクライマックスシーンの、バイロンが蛭に血を吸われているあたりなんかは、リアル知識がなければ荒唐無稽に見えてしまうだろう。ホラー映画としても伝記映画としても中途半端な印象をもった。そして鬼才ラッセル監督のためか、演出がところどろこエキセントリックなのでイロモノ映画の雰囲気さえ醸し出している。視聴にはリアル知識必須、リアル知識がある人にもお勧めできるような映画ではなかった。あとは単純にDVD版はLD版と比べてかなり画質が悪い、そもそもDVDもレンタルすらなかなかないというのもあるが。

 映画ゴシックでは史実ではイケメンとされるポリドリを老け顔ハゲにし(ゲイ疑惑はある)、変な人形が踊り、パーシーがケツを晒す。(映画ゴシックの映像を紹介している海外サイト
(昔の映画なのでホモになっている。あと演じたティモシー・スポール氏はその後、ハリーポッターのピーター・ペティグリューを演じたことで有名)


 それが今回、メアリー・シェリーを主人公とした「メアリーの総て」がディオダティ荘の怪奇談義も取り上げるということを知り、私は大いに喜んだ。これでディオダティ荘の怪奇談義を知ることができる映画として、映画「ゴシック」ではなく「メアリーの総て」をお勧めすればいいと。フランケンシュタインの作者視点だけれども、今の吸血鬼が出来た出来事でもあるので、吸血鬼好きな人にもぜひ見て貰いたい。今は予告編がyoutubeにもあるし「ゴシック」より見られる映画なのは間違いなさそうだ、そう思っていた。

だが私の予想に反して「メアリーの総て」はとてもお勧めできるような映画ではなかった!



 ツイッターや映画批評サイトを見る限りでは概ね好評である。「ゴシック」と比べても一般受けするのは間違いない。だがこう言っては失礼だが、好評なのは多くの日本人がメアリー・シェリーの人物像を詳しく知らないからだ。大河ドラマで史実とあまりにかけ離れていると批判が出るのと同じで、彼女の生涯を詳しく知れば不満に思う人も大勢出ていたことだろう。
後述するが現に海外では日本とは違って、やはり史実の大幅な改変に批判的な意見が噴出していた

 勿論映画が史実通りやれるとは思ってもいないし、改変もやむを得ないものもあるということは十分理解している。

 だが、押さえておくべき「ディオダティ荘の怪奇談義」を改変したこと、これがダメだった。歴史オタの人ならわかって頂けると思うが、歴史人物とかエピソードは「絶対対押さえておくべきエピソード」というものがある。この映画はその「絶対押さえておくべきディオダティ荘の怪奇談義」を、あろうことか一部省略・改変した。『ディオダディ荘の怪奇談義』と呼ばれる一夜は、フランケンシュタイン今の吸血鬼の原型ができた歴史的一夜。当然いろんな本で紹介されるしこの出来事自体も面白いから、海外では度々映画や劇のモチーフにされている。その根幹たる出来事を省略・改変したのは、史実ファンからすれば受け入れ難い。私がこの映画に不満を持った部分は結論を先に言うと次の通り。

・史実の改変ぶりが、我慢できる許容範囲を超えてしまった。
 具体的には一番押さえておくべき「ディオダティ荘の怪奇談義」のエピソードを改変・省略したこと。

・メアリーの悲劇性ばかりを取り上げて、文学性をいかにして身に着けていったかという描写がなかった。

・史実ではメアリーに文学性を与えたパーシーやバイロンの功績を描かず、ろくでなしな面しか描写しなかった。

・そのためメアリーが独力でフランケンシュタインを作り上げたかのような描写に大いに不満が残った。

・ポリドリの扱い・監督インタビューも含めてみると、イデオロギー駄々洩れな作品。メアリーを語る上でフェミニズムは欠かせないが、やりすぎ。メアリーを道具にしたように思えて不愉快だった。

辛口評価となったのは事前に期待し過ぎていた反動である。
映画の改変された事実、人物像が広まるのは我慢ならないため次からは、史実との違いの解説も交えて詳しくレビューしていきたい。


レビューの前に名前の表記ゆれに関して。

メアリー・ウルスンクラフト・シェリー(旧姓ゴドウィン):主人公
メアリー・ウルストンクラフト:亡き母
メアリージェーン・クレアモント:継母
ジェーン・クレアモント:劇中のメアリーの妹クレアのこと

ややこしいので、亡き母はウルストンクラフト、継母はクレアモント夫人、ジェーンは最後に改名したクレアを用いていく。クレアは何度か改名しているけど、映画では最初から最後のクレアを名乗っていた。これは本当にややこしいから仕方がない。さらに細かいことを言えば、書籍によればジェーンはジェインと表記されていたりと日本語の表記が定まっていないのが、これまたややこしい。あとメアリーを演じたエル・ファニングの本名はメアリー・エル・ファニング。メアリー尽くしだ。

 序盤、メアリー・ゴドウィンの家から始まる。父のウィリアム・ゴドウィン、継母のクレアモント夫人、継母の連れ子で数か月年下の妹のクレア・クレアモント、再婚後に両親が設けた弟のウィリアム・ゴドウィンJr.の計5人家族の場面から始まった。メアリーと継母との折り合いが悪いので、ゴドウィンがメアリーを友人のバクスター家に預けることも史実通り。ここまでであれっと思ったのは、メアリーの種違いの姉ファニー・イムレイがいなかったことだ。

ゴドウィン家・家族構成図

兄弟姉妹、共通する両親を持つものはいない。ゴドウィンとクレアモント夫人には、ウィリアムJr.の前に子供を作ったが、生後間もなく死んでいる
クレアの父は2010年と、近年になって初めて判明した。第一准男爵サー・ジョン・レスブリッジは、元々英語wikipediaで記事が作成されるほどには、歴史に名を残した人物だった。


クレアの兄・チャールズ・クレアモントがいないのは史実通り。むしろ、ゴドウィンがメアリーをバクスター家に預けたのは万が一メアリーに何かあったとき、バクスター家に近いエディンバラに住んでいるチャールズに様子を見に行って貰おうという理由もあったからだ。
 だがメアリーの種違いの姉ファニー・イムレイはそうはいかない。この映画ではいないものとされてしまった。最初は不満に思ったが落ち着いたあと考えてみれば、これは仕方がなかったと思う。ファニーを登場させるとなると、メアリーがフランケンシュタインを執筆している頃に自殺するので、そのエピソードを入れなければならない。それ以前にファニーは幼少時に罹患した天然痘の痕、水疱をかきむしって出来た傷があり、その容姿はかなり残念なものであったと伝えられている。史実通りに登場させるとなると、特殊メイクが必要となる。自殺の件も考えると、登場させなかったのもやむを得なしだったのも理解できる。ただやっぱり少し不満は残っていて、ファニーは出かけていて留守にしていたということはできなかったのかと思う。実際パーシーとメアリーが初めて出会ったとき、ファニーは叔母(母ウルストンクラフトの妹2人)のところへ訪ねて留守にしていたので、どうとでも理由は作れたはずだ。パーシーの正妻ハリエットの自殺もさらっと流していたことだし、ファニーの自殺もさらっと流せたはずだ。



史実の流れ

1812年

メアリー、継母と距離を置くためにバクスター家に預けられる。

1814年
メアリー、実家に戻り家に出入りしていたパーシー・シェリーと出会う。
メアリーの方から手管を用いてパーシーに接近した形跡すらある
お互い惹かれあい愛し合っていることを打ち明けるも、父ゴドウィンが激怒。
妹クレアも伴い、フランスへ亡命駆け落ちするも、資金が尽きて数か月で帰国。
帰国後父ゴドウィンを訪ねるが、面会を拒否される。
メアリー、パーシーの友人トマス・ジェファーソン・ホッグに言い寄られる。 パーシーに相談するが「何なら付き合ってみればいい」と言われ困惑する。
メアリー妊娠発覚。だがパーシーは正妻ハリエットとの間にできた第二子を可愛がる。

1815年
2月、メアリーは第一子を産むも七か月の未熟児で間もなく死亡する。やり場のない悲しみの手紙をトマス・ホッグに送る。
5月、メアリー、第二子を妊娠する。

1816年
1月、メアリーは第二子で長男となるウィリアム・シェリーを出産する。
妹のクレア、詩人バイロン卿と肉体関係を持つ。 後にメアリーもクレアを介してバイロンと出会う。この時に国外追放となったバイロンの行き先を聞き出す。

メアリー、パーシー、クレア、メアリーの子ウィリアムも連れてバイロンを追う。
その前にドイツのゲルンスハイムへ立ち寄る。
この時、遠くにあるフランケンシュタイン城を遠望したものと考えられている

6月、スイスのディオダティ荘に滞在中のバイロンを訪ねる。しばらく滞在する。
6月15日~18日の間で、ディオダティ荘の怪奇談義が行われた。
メアリーはフランケンシュタインにつながる悪夢をみる。最初は短い小説にするつもりだったが、パーシーが長編小説にするように勧める。こうしてフランケンシュタインの執筆が始まる。ポリドリは「頭が骸骨になってしまった女性」の物語を書き始める。バイロンは「断章(断片)」を書くも、途中で飽きて書くのをやめる。だがその未完成品をメアリーやポリドリには読み聞かせた。

7月21日、バイロン以外で、フランスとイタリアの国境境の最高峰モンブランにあるメール・ド・グラス氷河を訪れる。この氷河は小説「フランケンシュタイン」において、ヴィクターと被造物(怪物)が初めて邂逅した場所。

夏頃、メアリーたちは再度イギリスに帰国。11月頃父ゴドウィンから、種違いの姉ファニーが自殺したと知らされる。その数週間後、パーシーの正妻であるハリエットが入水自殺する。
その20日後、パーシーに正妻がいなくなったことにより、メアリーとパーシーは結婚、メアリー・ウルストンクラフト・シェリーと名乗ることになる。

1817年
1月、クレアはバイロンの子アレグラを出産する。アレグラはすぐにクレアのもとから引き離され、紆余曲折を得てバイロンのもとへ送り届けられる。
5月、フランケンシュタイン脱稿。夫のパーシーが出版してくれる出版社を探すことになる。2社から断られて、匿名という条件で500部の出版にこぎつける。
9月、メアリーは第三子となるクララを出産する。産後メアリーの体調は思わしくなかった。

1818年
1月1日、「フランケンシュタイン」の初版、匿名で出版。
3月11日、パーシーの序文をつけて「フランケンシュタイン」の初版再度出版、この日シェリー夫妻は生活費節約と体の療養のために、イタリアへ渡航する。妹クレアもバイロンと娘のアレグラに遭うために、ついていく。
9月24日、メアリーの第三子クララ、過酷な旅による熱病で死亡する
12月頃、夫パーシーとイタリア現地の女との間にできた私生児が生まれる。メアリーの子、エレナ・シェリーとして役所に登録されて、孤児院に預けられる。クレアとの間にできた子だという噂もたち、これを信じたバイロンは怒って当初の約束を反故にして、クレアとアレグラの接触を禁じた。エレナ・シェリーは17か月で死亡する。

1819年
4月1日、ポリドリの小説「吸血鬼」、ニュー・マンスリー・マガジン誌4月号より出版。だが編集者コルバーンの策略により、バイロン作として売り出されてしまう。
6月7日、メアリーの第二子のウィリアム、マラリアにかかり死亡。
11月12日、第四子で次男のパーシー・フローレンス生誕。メアリーの子の中で唯一生き残る。

1822年
4月、バイロンとクレアの子、アレグラが死亡。クレアはとうとう会えないままであった。
6月、メアリーの第五子、流産して亡くす。
7月、夫のパーシー、ヨットの事故で死亡。メアリーは葬式には参加せず、バイロンが葬式に駆け付けた。

1823年
2月、「フランケンシュタイン」第二版が出版。この第二版でメアリーが著者であることが公開されたという説がある。(私が調査した限りでは第三版説が多い)
8月、メアリー、イギリスへ帰国。バイロンとの別れ際はぎくしゃくしたものとなる。
帰国後、フランケンシュタインの劇を父ゴドウィンと弟のウィリアムと一緒に見に行く。演劇の著作権はなかったが、名もなき怪物を演じた役者の演技に多いに満足した。

1824年
バイロン死亡。その死を悲しむ。

1831年
フランケンシュタイン第三版出版。ここで初めてメアリーが著者であることが公開されたという説を見かけることが多い。

1851年
2月1日、息子夫婦に看取られる中、53歳で死去。脳腫瘍であったと考えられている。


 上記が史実の流れだが、映画では色々と改変されている。パーシーとの出会いは実家ではなくて、バクスター家になっている。史実では第三子のクララが第一子にされ、第一子の流産や第二子のウィリアムはないことにされてしまった。史実ではパーシーは借金取りからのらりくらりと逃げていたが、映画では雨の中熱が出ているクララを無理やり連れだして逃げたため死亡する、という流れに変わっていた。
 フランス亡命もなくなり、ドイツへ立ちよってフランケンシュタイン城を遠望することなく、いきなりスイスへ渡航するという流れになっていた。(ちなみに、フランケンシュタイン城はいまも廃墟となって残っている:参考wikipedia
 この改変も上映時間を考えれば仕方がないと思った。ただやっぱりメアリーは「フランケンシュタイン」の作者であり、「フランケンシュタイン城」は入れて欲しかったという不満は残ってはいるが。フランケンシュタイン城を見たという証拠はないのだが、有力視されているのは事実。フランケンシュタインと分かり易く銘打っているわけだし、改変しているのだから、こうしたエピソードをむしろ優先して入れて欲しかったところ。


 トマス・ホッグのエピソードは、メアリーがドン引きしたのも含めて史実通りだった。ちなみに史実で第一子を流産したとき、パーシーは自分の体調の心配と赤子の死因ばかりを考えてメアリーを慰めなかったので、感情の行き場をなくしたメアリーはホッグに、母になれなかった悲しみの手紙を送ってSOSを求めている。あとメアリーはホッグからイタリア語を教わるが、これが後にイタリアへ移住する際に役立つこととなった。


 上記までの流れで映画の改変は、「やっぱりメアリーの人生を二時間の映画で収めようというのが無理がある」と不満と、「尺の都合ということで改変するのも仕方がない」という思いが混在していた。唯一良い改変だなと思ったのは、メアリーがパーシーと共に「ファンタスマゴリー(魔術幻燈)」を見に行って、そこでガルヴァーニ電流のショーで、電気でカエルの足が動いたというのを見たこと。メアリーの時代のファンタスマゴリーには、壮観な閃光で電流を見せる大掛かりなものもあったようだ。小説「フランケンシュタイン」において名もなき化け物は、電気の力によって生命活動を開始させたが、その理論のもとになったのがガルヴァーニ電流などの生気論だ。映画でも電気で化け物の生命活動を開始させようとするシーンが出てきた。実際はディオダティ荘においてバイロンとパーシーが生気論について語っているのを傍から聞いていただけなようなので、史実通りだと実に地味になってしまう。クリストファー・フレイニング「悪夢の世界」の解説によると史実では、現代的なパラシュートの発明者であるアンドレ=ジャック・ガルヌランのショーを見に行っている。電気のショーもあったようだ。パーシーはそのガルヌランのショーを見損なっている。それをメアリーとパーシーが共に実際のガルヴァーニ電流を見たという改変は、演出的に良かったと思った点だ。

 ここまでは不満もあるが、改変も仕方がないと思いつつ鑑賞していた。だがフランケンシュタインの執筆の直接のきっかけとなる「ディオダティ荘の怪奇談義」の改変には我慢ならなかった!

まず、バイロンがシェリー一行を迎えるシーン。ここであれっと思ったのが、「バイロン、普通に歩いているような、いないような…」というもの。バイロンの右足は先天性内反足により反っており、生涯にわたって右足は引きずっていた(リンク先参照)。映画「ゴシック」のバイロン卿は、きちんと分かり易く足を引きずっていた。だが「メアリーの総て」のバイロンは普通に歩ているように見えた。いや引きずったようにも見えるが、その割には歩くスピードが速かったので、判別がつかなかった。それをツイッターで呟いたところ、「きちんと引きずっていましたよ」と教えて下さった方がいたので、どうやら引きずっていたようだ。ただ足を引きずって歩くにしては、スピードが速すぎではあったと思う。DVDなどが出たら今一度確認してみたい。

 さて問題のシーン。1816年はインドネシアのタンボラ火山の噴火の影響がヨーロッパにも及び、「夏のない日」と呼ばれるほど雨が続いた。外に出ることもままならず、バイロン一行は大いに退屈した。ここまでは史実通りだ。映画のクレアは「詩の筆写ばかりで退屈だ」といった。そこで映画のバイロン卿はある提案をする。

バイロン「それなら退屈しない方法を教えてあげよう。それはみんなで怪奇譚を書くことだ」

私「はぁっ!!!!???」



 映画の改変ぶりに少しずつ不満を貯めていた状態でこのシーンを見たときは、私は我慢の限界を超えた。史実ではドイツの怪奇譚集「ファンタスマゴリア」のフランス語訳があるので、それを皆で朗読する。それを読んだ後でバイロン卿が「ひとつみんなで怪奇譚を書こう」と提案する。映画ではこの「ファンタスマゴリア」の朗読を、あろうことかすっ飛ばしやがった!そしてその後の改変にはキレそうになった。大体こんな感じだった。

ポリドリ「私は吸血鬼の物語を書こうと思う」
バイロン「ぷっwwww吸血鬼なんて信じているのかwww」
ポリドリ「吸血鬼は実在する!(キリッ)」


こらあああああっ!!!!!
なんでメアリーの物語に関係ないところで、ポリドリのエピソードまで改変しとんねん!!!!!



 ポリドリが書こうとしていたのは、「頭が骸骨になってしまった女の物語」であり、それは「エルネスタス・バーチトルド 現代のオイディプス」という近親相姦の物語だ。オチにずいぶん苦労していたようだとメアリーは「フランケンシュタイン」の第三版のまえがきで語っている。まえがきも当然日本語訳にまず収録されているので、フランケンシュタインの文庫を持っている方は、ぜひまえがきを確認してほしい。
 ポリドリが吸血鬼を書くのは、バイロンと仲が悪くなって解雇された後だ。しかもバイロンの「断章(断片)」内容を剽窃して。研究者の間では、これはバイロンへの恨みからだろうという見方で一致している。

 そしてさらにその後のシーンだ。酔っぱらったパーシーがメアリーと仲良くしているポリドリに嫉妬してつっかかり、逆にポリドリに張り飛ばされてしまう。

あのさぁ…なんでポリドリをかっこよく描写するかな…今のシーン必要か!?

 史実のポリドリは「美男だがそそっかしい若者」(フレイニングの悪夢の世界)とか、バイロンとすぐに仲良くなったパーシー一行らが、ポリドリは気にいらなかった、パーシー達もポリドリをあまり相手にしなかったとある。


 私は確かに「吸血鬼の元祖はブラム・ストーカーの「ドラキュラ」ではなくて、ポリドリの吸血鬼に登場する「ルスヴン卿」である。ドラキュラは個人名だから、ヴァンパイアの意味で使ってはいけない」ということ広めるために、ニコニコで吸血鬼解説活動をしている。けどポリドリの一連のエピソードを改変する必要性があったとは思わない。それどころかメアリーの物語なのだから、ポリドリのエピソードは無くてもいいだろうと思ったぐらいだ。ポリドリに尺を取るぐらいならば、メアリーがバイロンから影響を受けたシーンを描くべきだった。映画で妹クレアが「雨ばかりで、詩の筆写ばかりしてて退屈」と言っていたが、なぜそこをメアリーにしなかったのか。確かにクレアはバイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼第三篇」を筆写していたが、メアリーはそれ以外の詩を筆写しており、その中にはバイロンの詩「プロメテウス」もあったものと考えられている。フランケンシュタインの副題は「現代のプロメテウス」である。メアリーのフランケンシュタインはバイロンの「プロメテウス」のパロディであるという研究結果もある(参考リンク先)。メアリーの悲劇性やバイロンのろくでもない面ばかりを描くのではなく、こうした詩の筆写からバイロンとメアリーがプロメテウスについて語り合い、そこからフランケンシュタインを書くためのヒントを得ていくシーンがあってもよかったのではないか。ポリドリなんて史実通り「頭が頭蓋骨になった女の話」を書くといってさらっと流しておけば、それで良かったはずだ。メアリーの物語なんだから。ポリドリのエピソードを改変したうえに、無くてもストーリーに影響はなかったことが、この映画の評価を一気に落とす原因となった。

 ポリドリとメアリーを絡ませるのならば、ポリドリの口から当時社会問題となっていた「医学生用の検体遺体の不足」のことをポリドリが実体を聞かせる、という描写ができなかったのかと思う。小説フランケンシュタインでは、ヴィクターが墓場から死体を盗んできて、それらをつなぎ合わせて人間を創ろうとする。普通なら墓場から死体を盗むなんて…って思うだろうが、当時は本当に医学生用の検体遺体が不足していたために、死体窃盗が社会問題になるほど横行していた。ポリドリ自身も、自分が通っていたエディンバラ大学で不正に死体を取得していたことが横行していた事実を、自身の日記に書き残している。当時のイギリスの死体窃盗の実状は、以下のwikipedia記事を参照してほしい。
イギリスの死体窃盗 ・ロバート・ノックス 
バークとヘア連続殺人事件(死体入手のために殺人事件を犯した二人) 
Burke and Hare murders(上記の英語記事、バークの末路が掲載されている)


 話を戻そう。ディオダディ荘滞在中、パーシーの正妻ハリエットが自殺したというニュースが舞い込む。史実とは時期が違うが、その前までのシーンの改変ぶりのショックからすれば些細なことだ。というかここはどうせ改変しているのだから、メアリーの種違いの姉ファニーの自殺の報も来て、お互い肉親が死んで悲しいという描写にすればよかったと後から思った。そう考えるとやはりファニー・イムレイの削除には不満が大いに残る。


 なんやかんやあって「フランケンシュタイン」を書き上げるメアリー。父ゴドウィンがそれをみて「若い女が書いた怪奇ものなんて誰が見る?」と言って批判する。予告編でも流れていたのだが、予告編の時点でここはちょっと引っかかったところだ。ゴドウィンの妻メアリー・ウルストンクラフトは、史上初めてフェミニズム思想を体系的に著書として残した人物で、フェミニズムの開祖ともいうべ人物。現代のフェミニズムの理論と実践の歴史を辿ると、必ずウルストンクラフトへ行きつくとさえ言われている。(ちなみにその著書「女性の権利の擁護」は日本語訳もある)

 ゴドウィンは幼少時のメアリーに「亡き母は、女も男と同じように活躍できるということを実践した女性だ」ということを幾度となく言っていたそうだ。そんなゴドウィンが映画のようなセリフを果たして言ったのだろうか疑問に思った。ただ別の書籍では、ゴドウィンは妻ウルストンクラフトの「女性の権利の擁護」には感銘を受けておらず、男女の性が同等であるとは思ってなかったともある。「死と乙女たち」という書籍を読めばわかるのだが、ゴドウィンはもはや傲慢ともいうべき亭主関白な人物だ。映画でメアリーに言ったようなことを、実際に言ったのかどうかが気になるところ。

 出来上がった「フランケンシュタイン」は、夫のパーシーもその内容にケチをつける。「この物語の希望はどこに?」と。ここも予告編で流れていた場面だ。フランケンシュタインは創造主ヴィクターも、被造物の名もなき化け物両者ともに悲劇の物語だ。だからパーシーがケチをつける。だがそれを聞いたメアリーは、自分の子を亡くしたことなどが相まってか、今までの不満を爆発させて怒り、自分で出版してくれる業者を探し出すことにする。


ここまでパーシーの功績が一切合切なかったことにするの!?


 実際フランケンシュタインの執筆を促したのは、メアリーの知性、そして作家としての才能があると見込んだパーシーの方からだ。文章の書き方から校正まで行っている。それどころか初版はパーシーが加筆訂正まで行っている。だからこそメアリーの文学的功績は、過小評価されていた時期もあった。フランケンシュタインはパーシーの助力があってからこそできた作品だ。パーシーは確かに映画以上のろくでなしだ。だがこの改変はもはやパーシーに対する風評被害である。


 そして次のシーン、メアリーはフランケンシュタインを出版してくれる業者を探すのだが、何社からも断られたかのような描写がされている。だが実際は、この時期のメアリーは第三子のクララを妊娠中ということもあってか、出版社を探したのはパーシーの方であり、断られたのも2社だけ。映画では執筆から出版まで何もかも、メアリーの功績であるかのような描写していた。そして出版は出来たものの、匿名という条件でわずか500部。ここまでくると史実を知らない人からすれば、メアリーはとても悲劇的な人物に見えたことであろう。執筆から出版までヒントや助力を与えてくれたバイロンやパーシーといった、ろくでなし達の功績を知ることなしに。これが私は非常に気に食わない。

 さて出版後、ポリドリと出会うメアリー。ポリドリは殴られた跡があり、何やら様子がおかしい。ポリドリは次のようにメアリーに語る。

「私はバイロンをモデルにした吸血鬼の物語を書いた。だが作者はバイロン作ということにされてしまった。私の作品だと言ったが、逆にお前の方が盗作者と言われてしまった。」


いや、このシーンもいらんかったやろ!!!


 ポリドリまで哀れな弱者として描き、同情を誘うシーンだ。確かにポリドリの吸血鬼に登場するルスヴン卿は、どうみてもバイロンがモデルであるとしか思われなかったし、編集者コルバーンの策略でバイロン作とされて正当な報酬も貰えず、ポリドリは盗作者やペテン師と言われたのも事実だ。だが上記でも述べたが、ポリドリが吸血鬼を書いたのはバイロンの恨みからであり、ルスヴン卿もバイロンを揶揄するための存在という見方がまずされている。なによりバイロンがディオダティ荘で語った「断章」を明らかにパクっている。「吸血鬼」が掲載された次号にポリドリは、次のような抗議文を送っている。

土台は確かにバイロンの案だが、物語に仕立てたのは私でありある婦人(注・メアリー・シェリーを指す)の依頼によって書き上げたものである。この婦人は、本作品において、バイロンが自身の幽霊物語に使おうと公言した材料が流用された可能性を、一切否定している。

荒俣宏編『怪奇文学大山脈Ⅰ』P43より


 このようにポリドリは「パクリじゃなくて、アイデアを借用した」と弁明している。実際バイロンの断章とポリドリの吸血鬼を見て貰えればわかるのだが、パクった(ポリドリ的にアイデア借用)部分は一目瞭然である。確かにポリドリは哀れな面もあるが、少なくとも盗作者呼ばわりは仕方がない。バイロンと喧嘩して解雇された事実、バイロンの断章のことに触れずにポリドリが盗作者呼ばわりされたことだけを描写するのは、非常にフェアではない。バイロンに対して失礼だ。というかそれ以前に、このシーンも必要なかった。繰り返すが、ポリドリに尺を取るぐらいならば、メアリーが文学性を身に着けていくことを描写して欲しかった。そもそも「吸血鬼」の発表は「フランケンシュタイン」の1年後なんだし…ポリドリまで「哀れな弱者」にしたてあげて、視聴者に同情を誘おうとする描写はなんともいやらしく思えた。これで同情を誘えるのは、ポリドリのエピソードを知らない人だけだ。海外では日本より知られているであろうポリドリを、このように描写することに疑問を持たなかったのか不思議だ。というか海外では、ポリドリのwikipedia記事は普通に存在しているわけだし…

 クライマックスシーン。フランケンシュタインは匿名で出版されたので、当然作者は不明。だがパーシー・シェリーであると思われた。そして父ゴドウィン主催のお披露目会?にてパーシーもゲストとして招かれる。それを陰から見守るメアリー。そして集まった客の前でパーシーが話し始める。「フランケンシュタインの作者は自分(パーシー)ではなくて、妻のメアリーだ!」と宣言する。そしてメアリーはパーシーの前に躍り出て、二人は幸せなキスをして終了、そして主要メンバーのその後の歴史をさらっと流してスタッフロールへ。

 うーん、最後は盛り上がりに欠けた。というのも映画のパーシーはほんと何もやっていないからだ。メアリーに迷惑かけてばかりだし、終盤ではあろうことか「フランケンシュタイン」の内容にまでケチをつけている。勝手にフランケンシュタインの作者であると思われているところに、「本当の作者は妻でした」という演出は性急にまとめすぎだった。ここは、私生活では散々メアリーに迷惑をかけた、だからせめてその贖罪として妻の作品の出版ができるように裏から尽力していた、という描写があれば盛り上がったはずだ。実際史実では、パーシーが色々尽力しているわけだし。


 この映画の監督はサウジアラビア初の女性監督ハイファ・アル=マンスール氏。インタビュー記事(毎日新聞アーカイブ保存先)を見ると、女ごときが映画なんて撮りやがってという理由から殺害予告までされたという。こうしたインタビューも踏まえてみるとこの映画は、監督と脚本のイデオロギーに満ちた作品だと感じた。


女性(+ポリドリのような弱者)が虐げられているということを訴えたいがために、そしてメアリーの生涯を描くというよりは、メアリーを通して女だってすごいんだぞっていうのを訴えたいがためのイデオロギー駄々洩れな映画だと感じた。

 メアリーを語る上でフェミニズムは欠かせないが、やりすぎだ。押し付けがましく感じ、メアリー・シェリーを道具にしたように思えた。メアリー・シェリーの悲劇と功績を過剰に演出し、バイロンやパーシーの功績を演出しなかったことに大いに不満が残った。
 その意味では日本語タイトルにも不満が残る。日本の公式サイトで廣野由美子×野中モモ『メアリーの総て』を100倍楽しむ映画徹底解説というものがあって、次のようにある。

私は「総て」というタイトル、はじめは「“総て”なんて言っちゃっていいのかな…」と思ったんです。でも、さっき配給会社の方のお話を聞いたら、監督が“シェリー夫人”というのを前に出さないで欲しい、と言っているそうなんですね。 “夫人”ではなく彼女自身、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーが経験した「総て」を注ぎ込んで『フランケンシュタイン』という小説を執筆した、という意味でこの邦題になったと聞いて、なるほど、と納得しました。

 私は納得いかない。メアリーの人生の一部、しかも改変しまくったものなのに「総て」と銘打つのはどうかと思う。【メアリーが経験した「総て」を注ぎ込んで】というのならば、メアリーがバイロンやパーシーから文学性を学ぶ内容があってしかるべきだ。
 そもそも日本人はフランケンシュタインの名前は知っていても、メアリー・シェリーの名を知る人はそうはいない。海外でさえ小説の方を読む人は少ないという(参考元)。内容に沿ってないタイトルをつけるぐらいならば、海外と同じように「Mary Shelley」のままでよかった。

 この映画は私のように、リアル知識を得れば得れるほど不満が出てくる映画だ。むしろ何も知らないほうが楽しめただろう。私だってリアル知識がなければここまで辛辣な評価はしなかったはずだ。映画「ゴシック」はイロモノ映画だし、リアル知識必須なのでお勧めできるようなものではないと言ったが、今思い返せばゴシックは意外と史実に沿っていたし、細かいところまで史実エピソードを盛り込んでおり、史実ファンを喜ばせようという気概が随所にみられる作品だった(むしろ史実ファン以外お断りな作品に仕上がっている)。

 リアル知識を持つことによる一番の弊害は、妹クレアとバイロンの子アレグラの件だ。一緒には住まない、体だけの関係だった、でもせめて養育費だけは払うと言われて結局バイロンに捨てられてたこと。妹クレアも可哀そうだなんて感想を見かけたが、むしろ私は「よかった!自分の赤子と一緒に暮らせる上に、養育費まで貰えるなんて、映画のクレアよかったな!」と思ったほどだ。史実のクレアとアレグラのエピソードは、バイロンのクズエピソードNo1だと思っているぐらい、バイロンは酷い対応を取っている。簡単に言えば、生まれてすぐクレアから引き離され、会いたいと言っても会わせて貰えず、そのまま会えないままアレグラは5歳で死んでしまう。この改変もなぁ…海外ではこのエピソードはwikipediaにも書かれているわけだから、海外では不評を買うと思うのだが…

 メアリー・シェリーを語るのにたった二時間の映画では無理がある。やるなら日本の大河ドラマや朝ドラのように時間をかけなければ、とてもじゃないがメアリーの「総て」を紹介しきれない、そう思った映画だった。



その他・気になったこと

1.コールリッジの有効活用

 序盤バクスター家のパーティーで、詩人のコールリッジが恐らく自身の詩「老水夫行(老水夫の唄)」を朗読するシーンがあった。それを聞いたメアリーがパーシーに「コールリッジも全盛期から衰えた」と言うシーンがあった。コールリッジを出すのならば、幼少時のメアリーが老水夫行を聞いたとき、怖くて寝付けなかったというエピソードを入れるべきだったと思った。メアリーはこれを聞いて、想像力が鍛えられたとでも言っておけば、フランケンシュタインを生み出す要因の一つとして、幼少時から培った想像力の賜物もあるのだなと、視聴者に思わせることができたはずだ。あとコールリッジと言えばディオダティ荘に滞在中、バイロンがコールリッジの詩「クリスタベル」を朗読するエピソードだ。これを聞いたパーシーは恐ろしくなって部屋を飛び出し気絶する。そして起こして聞いてみると「乳首が目になった女を想像して怖くなった」という。これもディオダティ荘の怪奇談義の有名なエピソードだ。映画「ゴシック」でも状況は違うが再現されているし、劇「ブラディ・ポエトリー」でも劇中のナレーションで紹介されたエピソードだ。確かに映画中で入れるのは難しいことはわかる。だがせっかくコールリッジを登場させたこと、史実ファンを喜ばせるエピソードであること、何より改変しまくっているのだから、どうにかしてねじ込んで欲しかったところだ。コールリッジをいまいち活用しきれていないと感じた部分だ。映画のような登場させ方なら、コールリッジなんて登場させずに、バイロンとエピソードに時間を割いた方がよかったと思った。ちなみにこちらの海外サイトで、映画ゴシックの「乳首が目になった女」の画像を見ることができる。リンク先、上2つの画像はクレア・クレアモント。

2.ヘンリー・フューズリと彼の絵「悪夢」についてのエピソード


ヘンリー・フューズリ「悪夢(夢魔)」


 映画「ゴシック」のパッケージはフューズリの「悪夢」という絵がもとになっている。メアリーの総ての予告編でも一瞬だがフューズリの絵が映っている。「ゴシック」ではなんの説明もないから、リアル知識がないと「絵から変なサルっぽい人間が実体化してきたなぁ」という感想しか持てないだろう。「ゴシック」も「メアリーの総て」も、この絵はディオダティ荘に飾られていた。実際はどうだったのかを言及した本は見つからないので、非常に気になる。

 メアリーの母ウルストンクラフトは、18歳年上だったフューズリと不倫関係にあった。そして映画「メアリーの総て」では、この絵を見たときにバイロン達に「フューズリは母の初恋の人だった。フラれて自殺未遂したけど」という。ウルストンクラフトがフューズリに捨てられて自殺未遂したというのは初耳だった。これ最初は映画のオリジナルなのかと思ったが、メアリーの総ての公式ツイッターによると、どうやらそういう説があるのは本当らしい。
(余談:ツイッターの画像を埋め込もうとするとなぜかその後の文章が保存されない…これが2回も起きて大いに気力を削られた…)


 母ウルストンクラフトがフューズリに捨てられた理由は、木村晶子「メアリー・シェリー研究―『フランケンシュタイン』作家の全体像」では、「彼女の師となることは承知しても、人生を共にする女性としては受け入れなかった」とあり、フューズリのwikipedia記事には「フェミニズムの先駆者メアリ・ウルストンクラフトがフュースリーをパリ旅行に誘ったが、(フュースリーの妻)ソフィアが猛反対し、それ以後フューズリー家はウルトスンクラフトに門を閉ざしたという」とある。確かに所説入り乱れている。これでもしフューズリに捨てられて自殺未遂したのが本当ならば、ウルストンクラフトは生涯3回も自殺未遂を試みたことになる。2回は最初の夫ギルバート・イムレイに絡むもの。このあたりが本当はどうであったのかが気になったところだ。

3.フランケンシュタイン作者名の公開は第二版?それとも第三版?

 映画の最後、フランケンシュタインの作者がメアリーだと名前が公開されたのは、第二版からだとナレーションにあった。ここも気になったところだ。私が調べた限りでは1831年の第三版説ばかりを見かけるからだ。クリストファー・フレイニング「悪夢の世界」、「100分de名著 メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月」、「マチルダ」のあとがき解説はいずれも第三版からと紹介している。先ほど紹介した日本公式サイトの廣野由美子×野中モモの解説でも第三版からと紹介しているし、ネット上でもまず第三版説ばかり見かける。第二版と紹介していたのは、私が調べた限りでは怪奇文脈大山脈Ⅰの荒俣宏先生の解説だけだ。他に見かけないこともあって、荒俣先生が間違えたのだろうとばかりずっとぞう思っていた。ところが映画視聴後改めて調べたみたところ、海外の「メアリーの総て」のレビュー記事において1823年の第二版からと紹介している記事を見つけたことから、第二版説も何らかの根拠があるのは間違いないようだ。

4.海外では日本ほど好評ではない、辛口レビューも

 メアリーの総てだが、日本では批判レビューはほとんど見かけず、概ね好評だ。だが海外ではそうでもないようだ。メアリーの総てのwikipedia記事には次のようにあるRotten Tomatoesでは112件のレビューが寄せられ支持率40%、平均評価5.4/10となっており、Metacriticでは26件のレビューが寄せられ49/100のスコアとなっている。このようにそこまで好評でないことが伺える。

 Rotten Tomatoesは私が投稿した動画のコメントで知ったが、Rotten Tomatoes(腐ったトマト)の名前の通り、ユーザー層はかなり重度のオタクで辛辣な評論で有名らしい。だから先ほどの批評は辛口すぎる傾向にあると見たほうがいいが、裏を返せば海外のオタク層にはそこまで受けなかったのも事実だ。そしてこちらがその海外の「メアリーの総て」のレビューページ。有名レビュアー指標と、一般レビュアー指標がある。有名レビュアー指標は好評ならトマトアイコン、その中でも特に良ければフレッシュトマトアイコン、不評が目立つなら腐ったトマトアイコンとなる。一般レビュアー指標は、好評なら山盛りポップコーン、不評なら倒れたポップコーン容器のアイコンとなる。それで見て貰えればわかるが、メアリーの総ての指標はそれぞれ腐ったトマトアイコン倒れたポップコーンアイコンであり、不評レビューが集まっていることが伺える。このサイトでは簡単なレビューが表示され、自身のサイトで詳しいレビューが見れるという仕様になっている。それらを翻訳サイトを使いながら見ていった。メアリーの人生の一部しか描いてないこと、フランケンシュタインを作り出すための知識を得ていくエピソードがないことに批判が集まっていた。やはり海外のレビュアーはメアリーの人生をある程度知っているからこそ、不満が出てきているようだった。先ほど紹介した海外の「メアリーの総て」のレビュー記事だが、この方はメアリーの妹ファニーが登場しなかったことなど、史実とは違う点を批判している。後よく見かけたのは批判しつつも、メアリーを演じたエル・ファニングの演技は文句なしに褒める人が多かった。やはり史実通り描かなかった点に批判が集まっている。日本でもメアリーがよく知られている人物なら、そこまで好評ではなかっただろう。

5.メアリーは当初は匿名出版にそこまで拘っていなかった?

 この時代は作家の力が弱くて、出版社が設けるために匿名で出版させられることは珍しくない。それこそポリドリがその最たる例だ。だがフランケンシュタインの出版において匿名という条件は、女性差別からなのは間違いない。メアリーの少し後の年代のブロンテ三姉妹も性別不明のペンネームを使わざるを得なかった。これは現代も残っていて、あのハリーポッターの作者のローリングもそうだ。メインターゲット層の男の子は女性作者だと知ると嫌がるだろうということからJ・K・ローリングと性別不明のペンネームにさせられたという経緯がある。メアリーは自分が作者であることを公開したがっていたのも間違いない。だが一つだけ不可解なことがある。それはバイロンへ送った献呈本のサインだ。2011年、メアリーがバイロンへ送った献呈本の一つが奇跡的に発見された。発見の経緯は荒俣宏編「怪奇文学大山脈Ⅰ」に書かれているが、幻想画家・イラストレーター山田維史氏が自身のサイトでより詳しく解説されているので、発見の経緯などについてはそちらを参照して頂きたい。



上記はそのメアリーの直筆サイン。真ん中に、
”To Lord Byron from the author:バイロン卿へ、著者より”とある。

最初の「T」が他のメアリーの直筆と明らかに筆法が一致したことから、本人のものであると断定に至ったそうだ。フランケンシュタインの匿名の出版は分かるが、ではなぜバイロンへ送る本のサインまで著者よりと名前を隠す必要があったのか、そこが謎である。
色々理由は考えたが、どれも説得力に欠ける理由しか思いつかなかった。何かご存知な方はぜひご一報ください。ちなにみこのエピソードから分かるように、メアリーとバイロンは映画と違ってそこまで険悪ではなかったことが伺える。

こちらはメアリーがバイロンへ送った献呈本のお披露目会の様子の動画



 ここまで長文駄文にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。史実とは違うという部分について、つらつらと述べさせてもらいました。ここまでお読みくださった方の中には「創作なんだし楽しめたらいいじゃん、細かいこと言いすぎ、きっかけづくりにはよかったはず」などと思われる方もいらっしゃるかもしれません。だが冒頭でも申し上げたように、私はポリドリの吸血鬼に登場するルスヴン卿が最初の吸血鬼であること、それが出来るきっかけとなったディオダティ荘の怪奇談義を広めたいという思いをもって、ニコニコ動画で吸血鬼の啓蒙活動をしてきました。その過程でポリドリやバイロン、そしてメアリーといった人物に思い入れができました。
 だからこそ今回の「メアリーの総て」のように、メアリーを過剰に持ち上げ、バイロンやパーシーの功績を描かなかったことには大いに不満を持ちました。日本の歴史上の人物ならいくらでも調べることができますし、簡単に正しい情報が手に入ります。ところがメアリーに関しては、彼女自身を調べた学術書ですらは2009年時点では日本にはないと言われていました。ネット上でも簡単なことしか書かれてれていません。だからこそ映画の誤った人物像・事実、きちんと説明が必要なエピソードが省略されて広まることが我慢なりませんでした。だから正しい史実をきちんと紹介したいと思うに至りました。何度も言いますが、バイロンやパーシーはろくでもないのは事実ですが、功績も大いにあります。特にバイロンは善いか悪いかだけでは測れない人物です。私見ですが、メアリーを語るのならばそもそも彼女の出生から、つまり父ゴドウィンと母ウルストンクラフトのエピソードからやらないと意味がないとすら思います。メアリーはその生誕から既に数々のドラマを背負っています。それは映画でもメアリーが言っていたように、単に自分の出産の際に母が死亡した、という理由だけではありません。母ウルストンクラフトは自分の信念を曲げてまで、メアリーを産む覚悟をしました。そこにはどんなに他人に批判されようとも産むと覚悟を決めた母の愛が詰まっています。気になる方はぜひ伝記を読んで見てください。もしくは映画公開記念に合わせて公開した、拙作動画をご覧ください。

メアリー・シェリー解説



ジャネット・トッド『死と乙女たち ファニー・ウルストンクラフトとシェリー・サークル』
メアリの種違いの姉、ファニー・イムレイに焦点を当てているが、メアリーの人生にも詳細に触れた伝記本。現状日本語で体系的にメアリーの人生を知ることができる本はこれだけだと思う。これを読めば、パーシー・シェリーは映画以上のクズ野郎であることが実感できる。あと父ゴドウィンは傲慢過ぎてとてもいい父とは思えないし、メアリーも決して清廉潔白な人物ではないなということも理解できる。

木村晶子編『メアリー・シェリー研究 「フランケンシュタイン」作家の全体像』
父ゴドウィンと母ウルストンクラフトのエピソード、そしてメアリーを産むまでの葛藤はこの本が一番分かり易い。またメアリーの人生の一通りの流れが紹介されている。

クリストファー・フレイニング『悪夢の世界』
メアリーがフランケンシュタインを作り出すまでに、どういった知識やヒントを得ていったのか、メアリーの文学性について焦点を当てて解説をしている。だが直訳ばかりしており、意味の通らない部分が結構ある。そして英語翻訳ものにありがちな、英語の文法の並びをそのまま当てはめて翻訳(たとえば文章の途中にこうした長い注釈を入れている。こうした注釈が至るところにある)しており、非常に目が滑り読みづらい。時系列がバラバラなのもそれに拍車をかけている。

楠本晢夫『永遠の巡礼詩人バイロン』
バイロンの伝記本。メアリーたちの行動も紹介されている。バイロンとクレアの関係、そして二人の子のアレグラの運命はこの本で知ることができる。バイロンは決してただのダメなクズ男ではなく、パーシーと比べると、まだ大人で世間というものが分かっている、そしてなによりバイロンは英雄的人物の側面を持っていることも理解できるはずだ。

その他参考文献はこちらへ

 最後に。動画でメアリー・シェリーの解説動画を投稿しましたが、これはおまけみたいなもので私が普段投稿しているのは吸血鬼解説です。ゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話は、ポリドリの吸血鬼について詳しく解説しています。ぜひそちらもご覧になって下さい。バイロンの「断章」とポリドリの「吸血鬼」もゆっくり劇場で再現しています。それをご覧になれば、ポリドリが盗作者呼ばわりされたのは残念だが当然という感想になることでしょう。

南條竹則イギリス小説傑作選
バイロンの「断章(断片)」が収録されている。
国書刊行会「書物の王国12 吸血鬼」
ポリドリの吸血鬼が収録されている。また上記の南條訳の断章も収録されている。



 もう上映する映画館も少ないし、投稿時期は遅くなり過ぎた感がありますが、どうしても残しておきたく投稿することにしました。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

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この記事は2019年1月16日にブロマガで投稿した記事を移転させたものです。
下は元記事のアーカイブ。

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